1. 地名が出てくる歌について
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2024-05-01 05:19

配信118@高尾山:アーティストは自分よりも作品を残したい

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八王子の名峰であり、都民の裏山でもある高尾山を雄々しく歌い上げる【高尾山/北島三郎】から、銅像と歌碑についての話。

【番組紹介】
・日本のどこかの都市を描いた歌とともに、都市や地域について語らう配信。
・国内で唯一無二のご当地ソング専門メディア。
・府中コミュニティFM(ラジオフチューズ)で放映中のラジオ番組「ご当地ソング捜索隊」のバックナンバーも、時々お届けします。
・ラジオ放送は、毎月第4土曜日 ~絶賛放送中。

【パーソナリティ】
◆ワタンド
本配信のメインパーソナリティ、都市と音楽を愛するご当地ソングコレクター。多摩地域で暮らす都市系コンサルタント。
◆しゃり
ラジオ放送のパーソナリティ。ご当地ソングは素人。オーストラリア在住のエンジニアで主にリモート参加。

【Twitter】
https://twitter.com/RRwatandia
【BLOG】
https://sublife.hatenablog.com/
【note】
https://note.com/localsong
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お盤です。この配信は、日本のどこかの都市を描いた歌と、その歌が描く地域についての話をお届けします。
お相手はMCワタンドです。よろしくお願いします。 そんなわけで今回お届けする曲は、北島三郎さんの高尾山です。
この歌が描く高尾山は、東京都にある山です。 東京都の西にあります八王子市の中にありまして、都心から行こうとすると、
京王線や中央線で楽にアクセスすることができます。 山の麓にはミュージアムや温泉、トリックアウトミュージアムなんかもありますし、
山の途中には猿山もあったりするし、 あとケーブルカーで、あまり体力を温存しながらショートカットして登る選択肢もあったりするということで、
いろんなコンテンツがあるので、非常に行きやすく人気の都内の日帰り観光スポットになっています。 あと山の途中にあるビアマウントというビアガーデンがありますので、
絶景を見ながら酒飲めるっていうのもいいなというところです。 めちゃめちゃ酔っ払いましたね、僕行ったとき。
そんな場所なんですけども、この歌を歌う北島三郎さんは、八王子出身ということでも知られる宴歌会の御所になっています。
八王子市内で北島三郎さんの実家なんかは結構有名な場所にもあったりするということで、八王子のシンボル的な存在でもあります。
そしてこの歌、高尾さんがリリースされた2014年には、北島三郎さんが歌う我らが山の歌ということで、大々的にリリースされたぞということになりまして、
山の麓のケーブルカーの駅にはサブちゃんの銅像まで設置されました。 地域のシンボルということなんでしょうね。
ご当地ソングがリリースされたり、それが人気になるのに合わせて、何かその地域にシンボルを置こうということは結構よくある活動なんですよね。
そういう場合に多いのは歌詞という歌詞が刻まれた石碑を置くことが多いなというふうに思うんですよ。
歌のことを発信したいということだと思うんですね。 一方でこの高尾さんの場合はサブちゃん自身が置かれているという形になるので、
少し他のご当地ソングで何かを残そうかなと、有続のアクションと少し違うなというふうに思います。
この歌詞を残そうとか、銅像を残そうとかということについては、やっぱりその文化だとか存在だとかはこの地域に残していこう、
ぜひみんなに知ってもらおうということの動きだと思うんですよね。 この動きっていうのが結構大きく、人を残すのか歌を残すのかで全くベクトルが違うなというふうにも思います。
アーティストの人自身は表現者でありますので、その人自身がやっぱり特徴だと思うんですね。
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一方で歌っていうものはその人から一旦離れたものであり、文化になり無形のものかなというふうにも思うんですよ。
そういう意味でここに残したいもの、そして伝えたいものはどちらかというところが大きく一種として現れているのかなというふうに思います。
やっぱりサブちゃんの像を置くということは、八王子にはサブちゃんがいるということをみんなに伝えたいと思っているということだと思うんですね。
だからタカオ山の曲っていうのはそんなにどちらかというと重要じゃないというふうなことなのかなと思います。
一方で有名な歌詞だと、津軽海峡冬景色の歌なんかが津軽海峡に置いてあったりしますけども、それなんかはやっぱりこういう歌があって長く歌いついてほしい。
この歌をいろんなここに訪れた人に知ってほしいというところなのかなと思います。
そういったところでですね、大きくその歌が残すものっていうのの違いが出るのかなと思うんです。
このサブちゃんの銅像が置かれた経緯とかはちょっと僕は知らないのでわからないんですけども、表現者とするとね、やっぱり俺っていう自分自身を知ってほしいという思いがある一方で、
自分が生み出した表現の方が残したいって思うもんじゃないのかなというふうな気はするんですよね。
自分の名前が英語を飾り継がれるというよりも、未来にわたって自分の歌う歌が残ってほしいという方が願いなんじゃないかなというような気はするんですよね。
それは人によって違うと思うんですけど、表現者とかアーティストというものは自分が名を成すためというよりはどちらかというと自分の表現、考え方を知ってもらいたいというところなのだとすると、
どちらかというとやっぱり歌詞というふうな姿の方がご当地ソングと地域というところの関係性を紐解く上では、どちらかというとあるべき姿なのかなという気はしています。
ちょっと僕の意見なんでいろいろそれぞれあるかと思いますが、そんなところをこの高尾山の歌と地域に残された像のところから思ったところです。
はい、そんなわけで歌が残す意味、地域に伝えたいことというふうなところもイメージしながら聴いてもらえればなと思います。
北島さぶろう、高尾山。
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