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こんにちは、学校教育になぜか上から目線なアナーキスト、おあです。
今日はですね、告知が多いんですけれども、まずですね、来週なんですけど4月11日金曜日の10時から11時半に
これからの学びの在り方を考える勉強会、子どもの権利に基づく教育とはということで、地域で小さな教育に関する勉強会を行っておりまして
この来週の勉強会ではですね、【第131回】これぞ公教育ハック究極のタイパーコスパ術大公開という放送会でご紹介いたしました
古山昭雄先生の最新刊ですね。学校に合わない子どもと親が元気になる77の知恵という書籍を取り上げまして
ズバリ不登校問題について話し合いたいと思っております。
一応ですね、想定しておりますのは、お子様が今の学校に合わなくて困っていらっしゃる方ですとか、教育問題に関心をお持ちの方ですとか
子どもたちを取り巻く環境を有料されている方、子ども主体の教育について学んでみたい方をちょっと想定して
私の方でですね、こちらの書籍を簡単にまとめて解説した後、皆さんと一緒に不登校問題について語り合いたいと思っております。
東京多摩地域にお住まいでご興味あるという方は、レターなどいただければ詳細をご案内いたします。
この勉強会はですね、今年度は各月、偶数月に行っていこうと思っておりまして
来週はね、ちょっと急なんですけれども、その次が6月の13日の金曜日の10時からということになるんですが、ここはですね
ちょっともう読書会ではなく、小学校、それは小さな社会を見てきた方々との対話会をしたいと思っているんですね。
実はですね、この小学校それは小さな社会の対話会というのはちょっと先日参加してまいりまして
その対話会にはですね、学校の先生方もいらっしゃってまして
やっぱりこういうね、リアルに現場の先生方や不登校当事者がね、会って実際に対話をするといえば本当に大事だなと心底思ったんですよね。
その学校、元学校の先生なんですかね、おっしゃってました。
やっぱりあの学校にいると、もうあの世界が世界のすべてになってしまっていて、他の世界はもう全然見えなくなっちゃうんだと。
あとね、自分がこうしたいと思っても同僚からの同調圧力が半端ないし、
なんで私たちみたいな不登校の当事者の生の声っていうのがなかなか届いてないんだなっていうことがよくわかったんですね。
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やっぱりほとんどの大人がね、誰でもね、自分が受けてきた教育を否定されるのって嫌なんです。怖いんです。ムカつくんです。
それってつまりね、やっぱり自分の人生を否定されることに等しいぐらいのことなんですよね。
特に先生は辛いんですよ。自分が受けてきた教育を、やっぱり良かったと思ってるからそのまま自分たちの子どもたちに繰り返しているわけで、
そのことをね、1ミリも疑っていらっしゃらないわけです。すべて善意なんですよ。子どもたちのためにと心の底から思ってやっていらっしゃるわけですから。
頑張っていらっしゃるわけですから。なのにそのことを少しでも批判されたりすると、やっぱり相当傷つくんだなとわかったんですね。
あくまでも今のこの学校システム、教育制度を私としてはそこを批判しているつもりなんですけれども、そこを変えてほしいと主張しているつもりなんですけど、
やっぱりそのシステムに適応して、その教育制度の中で頑張ってこられた大人たちは、
まるでね、そのシステムを先生を批判しているわけではないのに、まるで自分を批判されたかのように受け取ってしまうんだなって。
だからものすごいちょっとでもね、やっぱりあの小学校、それは小さな社会を批判するとすごい拒絶反応を示すんだろうなと。
ものすごい私たちのようなマイノリティですよ。私たちは本当に不登校、閉じ去ってものすごくまだまだマイノリティなんですけど、
その声がものすごく大きな声のように感じられてしまってるんだなって。
批判って難しいですよね。
あのボー、ボイシー界隈なんかでもね、なんかあったみたいですけど、8割9割賞賛で、
まあ批判ってのは1割2割だったとしても、その1割2割がものすごくでっかい声に聞こえるらしいんですよね。
で、ものすごいダメージを与えるみたいなんですよ。で、すごい攻撃されたって感じるものらしいんですよね。
なんで今の学校教育部の、私は8割9割いいと思っている人がほとんどだと思ってますよ。
なんでこうやって私みたいに批判してるのは、本当1割2割だと思いますよ。
なんだけど、まあ私がこうやってね、こんな程度の私が言ったところ、言っただけでも、こんなこと言われた。
ねえ、私たちこんな頑張ってんのに、あんなこと言ってやがる。
みんな私たちを悪く言うの。最近は私たちをみんなして責めるの。
学校の悪いところばっかり取り上げて、批判ばっかりされるの。みたいになっちゃうわけです。
いやいや、本当にもしですよ、批判ばっかりなんだとしたら、学校があのままのわけないじゃないですか。
特工の等に学校変わってるはずですよ。逆ですよ。
8割9割、基本的にはあの学校のままでいいよねっていうことになってるから、
いまだにあんな軍隊みたいな卒業練習、卒業訓練してるわけでしょ。
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批判の声が耳に痛いからものすごく大きく聞こえてしまってるだけなんですよね。
だってね、この30年40年とね、ああいう白井智子さんとか西野博之さんみたいな先人たちが、
もう本当にお行儀よく、礼儀正しく、いやちょっとおかしいんじゃないですか。
ちょっとこういうところ変じゃないですか。
こういうことちょっと嫌なんですけど勘弁していただけませんかって手帳にお願いしてるんじゃね。
全然聞いてくれなかったわけでしょ。
全然声をかけされてしまって、むしろ白井智子さんとか西野博之さんなんかもう大変だったって言うじゃないですか。
バッシングに晒されてきて子どもたちの身代わりとなって。
なのにちょっとね最近ね、私たちみたいな普通の保護者がちょっとやっぱりおかしいんじゃないですかって言い始めると、
素直に自分の感じたこと思ってることを言い始めたら急にそれを批判と受け取られてですね、
あいつらがいじめるってなぜか被害者ぶられちゃうわけですよ。
いやいやこっちはずっと被害者ですよと大変な目に今だってずっと会ってますよって話なんですけどね。
だから完全に逆なのになんでそうなるって感じなんですけど。
だからやっぱり学校という組織の中にいるもしくはその中にいた先生とかたちと直接ですね、
この映画を題材に話し合う場っていうのはものすごく重要だなと改めて思ってるんですよね。
はいというわけで、それはですね6月13日にやる予定ですので東京多摩地域の方でね、
もし来られそうな方がいらっしゃいましたらご連絡いただければと思います。
あともう一つですね、またあの哲学対話の会を開催します。
今年度も全部で4回やる予定なんですけどね、ちょっとね1回目がちょっとずれ込んでしまいまして5月17日の土曜日になりました。
5月17日の土曜日の14時から15時半に哲学対話の会を行います。
以前128回目の放送で仕事って何というテーマで哲学対話をしてきましたという放送してるんですけど、
どんな感じでね、あの哲学対話やってるかということについてはノートの方に詳しく全て書いておりますので、ぜひお読みいただきたいんですけれども。
ちょっと次回のね、5月17日のテーマはまだ考えてません。当日もしかしたらみんなで話し合って決める可能性が高いんですけど。
あとですね、7月30日の水曜日の10時から11時半にも行います。
あと11月にもちょっとやる予定です。
あと来年の2026年2月8日の日曜日の14時から15時半も予定しております。
今日はですね、最後になぜか突然恐怖の詩をご紹介して終わりにしたいと思ってるんですね。
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139回目のウサカンさんとのコラボ放送会でも出た通りのお話なんですけどね。
子どもたちが今置かれている状況というのはまるでディストピアです。
あのお話をしながらね、ある有名な詩を思い出したので、ちょっとどうしてもご紹介したいと思いまして、突然ここにぶっこみたいと思います。
この詩は1972年に発表されている詩で、もう53年も昔の詩になります。
石川逸子さんという1933年生まれの詩人の方が書かれた詩で、元中学校の教師だったそうです。
今の学校教育が子どもたちに行っている教育はまさにこんなことではないでしょうかと、今の社会を言い表しているよとしか思えない詩だなと思って
思い出したので、ご紹介しておしまいにしたいと思います。
石川逸子
彼ら笑う
この子は手足が長すぎる
子を食う母
朝に晩に
バリバリと
この手足を食う母
血みどろの口と
慈愛の瞳
私はお前のためを思っている
いつもお前のためを思っている
子は逃げる
短くなった手と足で
子は逃げる
母の沼
ドブドロの匂い放つ
沼から逃れようともがく
誰か来て
息子が逃げる
どうかあの子を捕まえて
髪振り乱し
喚く母
滴る涙
子は取り巻かれる
おとなしい隣人たちが
子を囲み
次第にその輪を縮めていく
食べられたのは僕です
流れたのは僕の血だけなのです
悪いのはお前だ
お前だ
僕の手足は僕のものだ
僕は僕の手足を守らなければならない
それでも悪いのはお前だ
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お前だ
子はひとりぼっち
味方はいない
大勢の手が彼をつかみ
またつなぐ
彼を
逃れよう
その母の足元近く
灰色のきつい鎖に
僕はあなたを憎む
私はお前を持っている
ああいっそ僕はあなたを殺したい
私はお前を持っている
うっとりしながら母はささやく
微笑みながら近づき
ばりばりと
子の手足をしゃぶる
子は変わってゆく
朝に晩に手足を食われて
子は変わってゆく
もう子は逃げようとしない
彼は静かに朝焼けを見つめ
じっと一日の終わりを待つ
終わりを待つ
私の息子
お前はやっといい子になった
彼は死んだのです母さん
まあお前ったらふざけて
上機嫌に笑う母
うつむく子
ごらん実にいい風景だ
ええ心温まる
遠く語り合う隣人
誰も彼も笑っていた
死んだ
あるいは死にかかった
この魂はそっちの家に
笑っていた
実に楽しげに笑っていた