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こんにちは、おあです。小学生の3人の子どもたちは、ホームエデュケーションを選択しています。今の学校教育に疑問を持っている方や、今の学校には合わないけれど、代わりとなる教育がなくて困っている方と一緒に、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第128回目の今日は、【仕事ってなに】というテーマで哲学対話をしてきました✨というお話をします。
以前にも何回かお話ししていることなんですけど、一昨年から自治体にバックアップしてもらって、地域で哲学対話の会というのを主催しているんですね。
3ヶ月に1回ぐらいやっておりまして、もうね、先月の話なのでちょっと1ヶ月ぐらい経っちゃってるんですけど、【仕事ってなに】というテーマで哲学対話を行ってきました。
以前、ノートの方でも【哲学対話を体験してみませんか】とか【哲学対話のやり方をご紹介します】という記事をアップしてますので、どんな感じでやっているのかはそちらをご覧になっていただきたいんですけれども、
そういうのを読んだり、こちらのスタイフを聞いてくださった方が興味を持ってくださって、何人かお問い合わせもいただきまして、本当に嬉しく思っております。ありがとうございます。
一応ね、こんな弱小チャンネルでも一応言ってみるもんだなと思いましたね。
その中で今回はですね、こちらのスタイフで日本の東京の浅草から見る世界というチャンネルをされているまちこさんが参加してくださいまして、ノートでもその時の様子を記事にしてくださっているんですね。
リンク貼っておくので、ぜひ見ていただきたいんですけれども。
10月に行った哲学対話では、火事って何?というテーマで話し合ったんですよね。
で、どこまで火事なの?とか、あと最後の方にですけど、2016年にTBSで逃げるは恥だが役に立つっていうドラマが社会現象にもなりましたよね。
私もこれ大好きで、やっぱりこのドラマが社会に一番投げかけてたテーマの一つがね、
みくりが火事代行というね、仕事として火事を受け負っている間は平尾美さんから給料という形で報酬が支払われていたのにもかかわらず、結婚したら無報酬になったわけですよ。
ここに火事って何?仕事って何?っていう本質が隠されていると思うわけなんですよね。
私ね、もう何を隠そう?火事大嫌いなんですよ。もう料理も掃除も洗濯とかね、もう本当は誰かやってくれたらそれが一番ありがたいです。
もう掃除はロボット掃除機、洗濯も全自動ですし、もう料理はね、本当最低限ですよ、私なんか。
もし自分が今一人暮らしだったら、たぶんね、本当にご飯と味噌汁とせいぜい納豆、漬物ぐらいで済ませると思いますよ。
家族いるからね、しょうがない作ってますけど。
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そのうちね、もし火事ロボットみたいなのができて一家に一台みたいなね、全部やってくれるってなったら、もう本当ありがたいですね。
夢の世界だと思ってますよ。
実際ですね、昭和の初期ぐらいまでは日本でも、ある程度の中流以上の家庭には女中さんがいるのが当たり前だったと言われてますよね。
地方の農家の貧しい家庭から都市の家庭に方向に出すということで、女中さんという方が掃除とか洗濯とか子守りとか料理とか全部やっていて、奥様に使えるっていうのが一般的だったそうなんですよね。
ところが戦後ですね、経済成長に伴って家電製品が普及して、女性の社会進出も進んで、女中を雇うという過程はほとんど今なくなってますよね。
代わりにパートとかアルバイトという形での過政府という形に変わっていったわけですよ。
現代では外国人労働者なんかが家事代行サービスということで、一部の富裕層の方々が女中制度ではなく、労働基準法の下で働くという形になっているそうなんですよ。
対話でもですね、仕事と労働は違うのかっていう話から始まったわけなんですけれども、というのは元々ですね、労働というのはかつて大昔ですね、癒やしいものとされていて、労働は奴隷がすることで身分の高い貴族なんかは仕事をしてはいけないとされていたんですよ。
私も書いてから調べたんですけど、哲学者のアリストテレスがですね、労働は自由な人間、貴族のするべきことではないと考えて、政治とか学問に時間を使うことこそが高貴な生き方だと言っていたそうなんですよね。
あと労働っていうのは神の罰であるっていうね、キリスト教の考えがあるそうなんですね。
日本も同じでね、平安時代あんな貴族がさ、宮廷で優雅に和歌読んだり、おことひいたりね、決まりで遊んでるって、そんな暮らしができたのって、当時の全人口の0.1から0.2%しかいなかったっていうことなんですね。
実際以上は9割以上の庶民は毎日田畑を耕しながら一生懸命年号を収めて生活は相当厳しかったということなんですよ。
要はですね、長くこれまで多くの奴隷なり大多数の庶民の搾取の上っていうんですか、犠牲の上にごくごく一部の権力を握った上層部だけが働かずにいい暮らしを享受していたという現実があったわけですよね。
ところがヨーロッパの方ではキリスト教の宗教科学なんかがあって、労働を神聖なものとむしろ捉えるようになって、仕事を通じた勤勉さっていうのが美徳とされるように思いっきり変わったということなんですよ。
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その後資本主義の発展なんかと結びついて、仕事イコール社会的に意義のあるものっていう価値観に変わっていったっていうことなんですよね。
今ではですね、誰もが働くことが当たり前の社会として、労働とか仕事っていうのは自己実現ですとか社会貢献の手段だということで、肯定的に捉えられるようにだいぶ変わったということなんですよね。
ところがこれがまた逆に触れすぎてですね、今度は働いていない奴はダメだみたいなね。働かざるもの食うべからずみたいなね。
第83回のところでも以前にもお話ししてますけど、何でもかんでもお金で価値を図られるこの社会でですね、子どもを産み育てることっていうのは十分価値のある尊いことだと思うんだけれども、
結局それはお金にはならない。むしろお金がかかるわけじゃないですか。そこがねじれてるわけじゃないですか。
もう今や子どもを産み育てる行為なんて贅沢品でしかないわけじゃないですか。
タイパーコスパなんか考え始めたら子どもを持つなんていう選択ありえませんよ。一人で生きていくほうがよっぽど気楽。お金もかからないです。
だってね、子ども一人につき家一軒分は余計にお金がかかると言われてるんですよ。
こうしてすべてをお金で換算する社会においては子どもが生まれなくなっていくということは必然だと思うんですよね。
ただその子どもを産み育てるにはお金がかかるっていうのは昔からだったみたいで、
昔は口紅らしいと言って子どもをね、生まれたばかりの子どもを殺したり放行に出したり誘拐に打ったりしていたということじゃないですか。
この口紅らしいっていうのは主に経済的な理由から家族の人数を減らすために行われていた慣習のことで、江戸時代から日本でも行われている貧困に苦しむ農村などで行われていたそうなんですよね。
今はなんでそれに比べたらそもそも生まない選択が許されるようになったという意味では本当にいい時代になったのかもしれないんですけれども。
前回の127回目の放送でラフレシアの話をしてるんですけどね。
熱帯雨林に自生するものすごく珍しい、何のお金にもならない、人間生活には何の役にも立たない、不気味な植物なんですけど、まさにこのラフレシアなんて経済的な価値は何もないですよね。
きゅうりとか人参とかリンゴとかブドウと違って何のお金にもなりませんよ、ラフレシアを育ててもね。
人間にとってはこのラフレシアを育てるとか生かす意味とか目的なんかないわけじゃないですか。
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なんでこんな話をするかってね。仕事の定義って何ということで、対話をした後に家に帰ってチャットGPTとかで仕事の定義を調べたらですね。
社会や他者に対して何らかの価値を提供するための活動とされていたんですね。
仕事と呼ぶための要素としては目的や役割がある。何のためにやるのか。もしくは価値を生む。自分または他者に利益や影響をもたらすと書いてあったんですよ。
私はその答えなんかで納得できなくて。じゃあね、ゴッホの絵を描くという行為は仕事だったと言えるんですかって聞いてみたんですね。
チャットGPTですね。そしたら仕事だと言えるって返事があって。なぜならゴッホにとっては絵を描くということは自己表現の手段で。
趣味として楽しむためではなくて、画家として生きるために絵を描いていたからだと返事が書いてきたんですよね。
要はですね、その価値が社会に認められるかどうかは別問題で。仕事であるかどうかは社会の評価ではなく、その行為や目的や視線によって決まるって返事があったんですよ。
えーって一線にもならなくてもそれは仕事だったと言えるんだって。なんかちょっと納得いかなくて。じゃあね、あの無意味な目的とかね、無意味な行動は価値がないから仕事じゃないっていうことだとするとですね。
よくあの修行の一環でね僧侶なんかがひたすら石を積むみたいなのとかあるって言うじゃないですか。意味がないことをすることが精神的訓練の一種みたいな。
ただ滝に打たれるとかねただ石を積み続けるとかただ座禅を組み続けるみたいなのってある意味ね社会から見たら何の価値も生まないし何の意味も影響もないわけですよね。この世の中にそこに経済的な価値はないわけですよね。
ということはその行為がどんなものであれその人自身に何か目的なり意味があればいいわけ。修行ってなるのとか。私がどうもこれがモヤモヤするとか納得できないとかでわからないなと思っているのはやっぱりこの社会にとって何らかの価値を生み出していたり
その行為とかに何か目的がちゃんとあってどういう意味があるのかっていうのがないとダメなのっていう。要はねラフレシアみたいな植物は何の価値も生んでないし役にも立ってない。もういらないってことなのって。
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私はねどうしてこんなに大人たちは子どもたちに勉強させたくなっちゃうんだろうっていうのがずっと疑問で。子どもたちには教育が必要だ勉強しないと大変だっていうことでああいう学校というシステムを作ってるわけじゃないですか。
これは何なのかなってずっと思っているときにですね。子どもは勉強が仕事だと。子どもの仕事は勉強だって言っていらっしゃる方がいたんですよ。
それを聞いてねはぁなるほどとなんかちょっとわかってきた気がするんですよね。つまりその人の言う仕事っていうのはこの社会に価値を生み何らかの目的意味があることなわけですよ。
自分はこんなにね頑張って朝から晩まで働いて仕事をして価値を生んで金を稼いで食わせてやってるんだと。
なのになんだ子どもたちは遊んでばっかりで何も生み出してない何も意味のあることをこの世の中に役立っていないと。
ずるいと。勉強という義務も果たさないでね。仕事もしないで遊んでばっかりで許されないと。働かざる者を食うべからずだと。誰が食わせてやってるんだと。黙って子どもは勉強しろと。そういうことなのかなって。
だから子どもがゲームをしてたりボートしてると宿題やったのとか勉強終わってからにしなさいとかね。成績が悪いとね。もっと勉強させないと。努力が足りないからだってなっちゃうんじゃないかなって。
まさに仕事なんですよ。子どもにとっての仕事が勉強だと。生産性とか効率だとか合理性っていうことでね。が一番大事な価値観である灰色の時間泥棒に全部絡めとられてしまっている大人から見たら、ただただ今この瞬間を楽しんで味わっている子どもたちを見ると許せないというか嫉妬というか憎悪みたいな感情が湧いてくるのかなと。
だから子どもたちにこんなにみんな大人たちは勉強させたがっちゃうのかなって。なんかわかってきた気がするんですよね。
ちょっと話がだいぶずれちゃったんですけど、先月の哲学対話の会話では、仕事とボランティアの違いはどうなのかとか、責任というキーワードが出てきたりとか。
あと、ご近所同士でちょっとした預け合いとか助け合いみたいなのが、昔はよくしてましたよっていう話でね。昔は子ども気軽に預け合ったり、ちょっとした作りすぎたおかずなんかを分け合ったりみたいな。
お醤油貸してとか、隣近所でみんなやってましたよ。いい時代でしたよみたいな。よく聞くじゃないですか。今田舎なら今でもそんな感じがあるのかもしれないですけど。
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でも私はね、私の地域はファミリーサポートとか家事支援みたいな子育て支援がね、お金を払えばワンコインで気軽にいろいろ利用できるんですね。
気軽にね、ただでね、近所のママ友にしょっちゅう子ども預けられるかってね、隣のおばちゃん家にしょっちゅうね、醤油借りに行かれるかって私だってできませんって話を。
私自身はママ友とかご近所の方に、ただでね、いろんなことやってもらったり、子ども預かってもらうよりもお金を出してサービスとしてそういうのを利用する方がずっと気楽だっていう話を最後になりまして。
これ何でなんだろうねっていう話ですとか、あとPTAですよね。私昔ね、小学校でPTAの会計係やってたんですけど、それは完全な無償労働で完全ボランティアなんですけど、すごい責任感じてたんですよ。1円でも合わないとやばいって緊張感が半端なかったんですね。
でもそれが会社という組織に所属すれば一応報酬という形でお金が発生すると。あと職業に寄せんはないと言うけれどもブルシットジョブという言葉も出てきてるじゃないですか。
これだけAIだとかって言われてる時代なのに、どうも何か肉体労働系の仕事を卑下するような風潮っていうのがあるわけじゃないですか。
あと以前の放送でも話してますけど、専業主婦の女性たちが何か今むしろ肩身が狭いって自分がお金を稼げてないからみたいな。
あとですね、この社会を維持していく上で必要不可欠で誰かがやらなければならないんだけど多くの人はやりたくない仕事っていうのもありますよねっていう話も出ましてね。
例えば遺体を処理するようなお仕事ですよね。孤独死していて夏場ね、そうするともう腐ってしまっていて一周が漂ってゴミだらけで虫だらけの現場からドロドロになった遺体をね運んできれいにしたりという
そういうみんなやっぱりやりたくないんだけれども、でも誰かがやらなければならない大事な仕事っていうのがあるわけじゃないですか。
そういうお仕事っていうのは大昔はねやっぱり死に関わる仕事は穢れとされていて、非差別身分の人たちが行っていたということなんですよね。
でもそういう遺体処理とか夜を徹したインフラを維持するような大事な仕事っていうのは必要だし価値もあるし誰でもできるわけではないんだけれども、それがどうも対価に反映されていない報酬に比例していない感じがすると。
そこがどうもいびつに感じられるからどうもバランスが取れていない感じがするからみんな何かこうもやむやしているというかね。
やっぱりこのテーマちょっとね深すぎて広すぎてねやっぱり答えは出ませんよね。まだまだ私ももうちょっといろいろ本とか読んで深めたいなと思っているんですけど。
でもこうやってねいろんな方と仕事って何っていうことで一つのテーマでいろいろいろな視点からお話が聞けて本当にいい時間だったんですよね。
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やっぱり改めて私こういう対話好きだなと思いましたね。
4月から来年度もですね3ヶ月に1回一応行っていくということになってますので。
こういう哲学対話興味お持ちの方はレターなんかお知らせいただければ詳細日にち決まりましたらご連絡いたしますのでお待ちしております。
お聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。いいねコメントフォローお待ちしています。