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こんにちは、おあです。今日はちょっとですね、昨日からなんかこのスタンドFMの編集機能が全然効かなくなっちゃって、途中まで録音してた内容がですね、もう全然そこから編集ができなくなっちゃって、再起動したりいろいろやったんですけど、どうしてもダメでですね、もう諦めて1から、もう今日は雑談会ということで、
撮り直していきたいと思います。
ちょうどですね、真面目な話がずっと続いちゃったので、息抜きということも含めて、ゆるく、最近のお話をしていきたいなと思うんですけれども、
まずですね、この音声配信というのを1ヶ月ちょっとやってきて、改めてですね、今までいろんな情報をインプットしてきて、やっぱりアウトプット、聞いたことや読んだものを自分なりに、なるほどとかってその場では思うんですけど、
それはまた改めてですね、まとめて、何らかの言語化していくっていうんですか、それってほんと結構きついですね、これほんと筋トレと同じなんだなと思って、やっぱある程度の筋肉がつくまでやっぱしんどいですね。
いかにですね、自分が今までいろんなことを知った気になってたか、わかった気になってたかっていうことをつくづく突きつけられてる感じで、
それをただ言えばいいのかなと思ったら、言えないんですよ。言った言葉が全然しっくりこないですし、言おうと思ってもうまく言葉に出てこない。
こんなにインプットしたことをアウトプットするっていうのは全く違う機能というか、能力なんだなって。
ちょっとこの歳にして、もう改めて一から鍛え直す筋力っていう感じで、しんどいですけれども、もうちょっとここはね、やってかなきゃ何にもならないなと思って、はい、踏ん張るだけだと思っておりるところです。
いくら簡単に誰でも音声配信だとかブログだとか発信ができる時代になったといえども、確かにいろんな方が始めてますけれども、やっぱり一番これが継続するっていうのが一番難しいハードルなんだなっていうのをひしひしと感じていますね。
皆さんすごいなと思います。
私もですね、なんかこう真面目な話ばっかりも疲れるなっていうところもあって、子供たちと家で時々哲学対話っていうのを言い照れを見ながらやったりするので、そういう様子を配信しても面白いかなと思ってるところなんですけれども。
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昨日たまたまですね、その哲学対話までは全然いかないんですけども、ほんと雑談で子供たちとおしゃべりしてて面白かったことをちょっと今日シェアしようかなと思うんですけど。
うちはですね、やっぱり絵本も結構読むんですね。寝る前とか。
で今回ですね、私のお人形さんっていうデクネイクさんっていう方が書かれた絵本。
2023年の9月に出たばかりの新刊ですねが、たまたまですね、図書館で新しく入荷しましたみたいなところに置いてあって、絵がなんか味があって素敵だったので、内容とか知らずに借りてきたんですよ。
こういう絵本ですね、子供たちと一緒に読んだ後にですね、どう思ったっていうような感じでお話しすることがあるんですけど、その子供たちの反応がね、昨日面白かったのでちょっとお話ししてみますね。
主人公はですね、たぶん4,5歳ぐらいの女の子ですかね。
お友達のお誕生日会があるということで、呼ばれているということで、お母さんがお人形さんを作ってくれるんですよ。
可愛いって言って、これをプレゼントにお誕生日会に行ってきますということで女の子が出かけるんですけれども、途中でカサカサ言ってですね、
人形がしゃべり始めるんですね、プレゼントの包み紙の中から。
びっくりしていたら、お人形さんが包みから出ちゃって、遊び始めるんですよ、公園で。
ドロンコになっちゃってですね、滑り台もいっぱい遊ぶんで、スカートのところが擦り切れちゃったりですね。
そのうちですね、犬に噛まれて、髪の毛もぐちゃぐちゃになっちゃって、最後に泣いちゃったもので、お母さんが描いてくれたペンがにじんじゃって、ぐちゃぐちゃの顔になっちゃうわけなんですよね。
で、あなたはこれからね、私の大好きなお友達のプレゼントとしてお誕生日会に行くんだから、泣かないでっていうようなことを女の子が言ったら、ちょっと考えて、いいわよって言って、
じゃあ私、あなたの大好きなお友達のプレゼントなのねっていうことで、また袋に入って、お友達の家に着きますと。
で、それからはそのお人形さんは静かに目をつむって、しゃべらないでいたんですけれども、
この女の子がですね、親友の女の子にお誕生日おめでとうって言って渡したら、親友の女の子がありがとうって、でも私こんな汚いお人形欲しくないわって言うんですね。
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やっぱり泥んこで髪の毛もこんがらがっちゃって、お尻もすり切れてるお人形さんですのでね。
で、しょうがなくその女の子はまたそのお人形さんを家に持ち帰るんですよ。
で、家に持ち帰って、お母さんがあらまあって言って綺麗に洗ってくれて、顔も描き直してくれて、お洋服も綺麗にしてくれて、
元気にお人形さんもなったので、その日から私のお人形さんになりましたっていうところで終わるんですね。
で、子供たちはね、これ読み終わってどう思ったって聞いたら、
エマちゃんひどって言うんですよ。エマちゃんっていうのはですね、主人公の女の子の親友ですね。お誕生日会の子です。
で、どうしてって言ったら、せっかくこのお友達がくれたお人形、汚いからいらないなんてひどいって言うわけなんですよ。
まあ確かにそうですよね。でも私の方から、例えばさ、ないないちゃんがお誕生日おめでとうって言って、
グッチャグチャのドロドロのぬいぐるみプレゼントされたらどう思うって言ったら、いやだなって確かに言って。
そうやって考えたら、エマちゃんがいらないわっていう気持ちもわからなくないよねみたいな話にはなったんですけど、
そしたら次女がですね、聞けばいいんじゃないって言うんですよ。
で、どういうことって言ったら、もし自分がもらう立場、プレゼントで、エマちゃんの立場で、大好きなお友達からもらったプレゼントが、
もしドロドロでね、グチャグチャのぬいぐるみだったら、やっぱりびっくりすると。
でも、どうしてこんなにドロドロなのってことを聞くと思うって言うんですよ。
いらないっていきなり言うんじゃなくて、どういうことって聞いたら、だってね大好きなお友達がくれるプレゼントなんでしょと、
それがこんな汚かったら、なんかあったのかなって心配するって言うんですよ。
何かこんなになっちゃったら事情があるんじゃないかと、途中で落としちゃったとかね、転んじゃったとか、
どうしたのって聞けばよかったんじゃないかって言うんですね。
いや、私痛く感心してですね、そうだよねって。
お友達なんだったら、どうしたのって、どうしてこんなになっちゃったのって、普通に聞けばいいよねって言う話をしてて、
そうだそうだっていう話だったんですよ。
他にもなんか気になったところある?みたいな話をしてて、長女はお人形さんがそもそも喋るって怖いみたいなことを言ってて、
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私もそう思ったんですけど。
もう一個、主人公の女の子も悪かったっていうか、こうすればよかったんじゃないかっていう意見が出てきてですね、
主人公の女の子もドロドロになっちゃったんだったら、家に帰ってお母さんにまた綺麗にしてもらえたんだったら、
綺麗になったのを持ってまた次の日持ってけばよかったんじゃないのって。
ああ、なるほどって私も思いましてですね。
だって物語の最後は、ドロドロになったのをお母さんがお洗濯して、綺麗にして顔も描き直して、
綺麗になってよかったねっていうことで、私のお人形さんになりましたってところで終わっているわけですので、
その状態でもう一回ですね、エマちゃん昨日ごめんねっていうことで、
お母さんが綺麗にしてくれたんだってことで、もう一回プレゼントで持っていけばよかったんじゃないっていうことを子どもたちが言ってて、
そうだよねって。
要はですね、ただ素朴な絵本なんですけれども、子どもたちはですね、
いや、この子はもっとこうすればよかったんじゃないとか、こういう解決策もあったんじゃないとか、いろいろ言ってくれるんですよ。
もう一個面白かったのは、そもそもですね、プレゼントをなんでお母さんが作るの?みたいな。
長女が言ってましたね。
別に折り紙でも手紙でもなんでもいいじゃないと。
やっぱり自分の大切なお友達なんだから、お母さんに作らせてね。
お母さんが作ったものをプレゼントするんじゃなくて、自分が一生懸命作ったもの、下手でもいいから、
そういうものをプレゼントしたらよかったんじゃない?みたいな。
もう面白いなと思いましてですね。
今回たまたまですね、この私のお人形さんっていう絵本だったんですけど、
ツッコミどころ満載だったんですけれども。
こんなちょっとした時間でも、ちょっとした題材で子どもたちとちょっと違う視点から物事を見るですとか、
違う立場から見た時にどう思うかみたいな話って、
これまさに子ども哲学の一種じゃないかなと思ってまして。
私こういうのが大好きなんですよね。
同じ映画とか同じ本とか、同じ漫画、同じ絵本を読んでも、
人によって捉え方が違ったり、感じ方が違うっていうのをシェアするっていうのがたまらなく面白いんですよ。
人と出会う意味っていうのも、私はそういうところなんじゃないかなって思ってて。
やっぱり自分だけの見方じゃない。
そんな人の考え方とか見方っていうのがあるっていうのを知るだけで世界が広がりますし、
自分では考えもつかなかったような第三の道が見えたりするわけですよね。
私がちょっとやりたいなと思っているそういうオルタナティブな教育を実践する学校では、
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やっぱりこういうことを大事にやっていきたいんですよね。
ただ教科書を開いてお勉強するっていうことよりも、
こういう一つの同じ体験をしても、人によって捉え方とか考え方が違うんだねって、面白いよねって。
学校っていうのは本来ね、本当に違う背景を持った人たちがたまたまその場に集められて、
合わせているメンバーなわけですから、本来はこんな多様な社会ってないはずなんですよ、学校って。
そこに本来は価値があったはずなんですね、公立学校って。
私自身振り返ってもですね、小学校時代本当にいろんな子がいたなって大人になって、
改めて振り返った時にすごいなと思うんですよ。
まず同じクラスにですね、ヤクザの息子がいましたし、国籍がね、
お母さんが海外の方なのかな、日本語が要はちょっとまだまだ難しい子もいましたし、
耳がすごく聞こえづらい子も同じクラスに学んでました。
あとは、今思うと貧困家庭、本当の貧困家庭で育ってたっていう子がいたんですよ。
ほんとガリガリでですね、おそらくあの子は給食しかまともに食べていなかったようなレベルの子だったと思います。
あとは、地域柄かもしれませんけれども、ご両親が何かの事情でいらっしゃらなくて、
児童養護施設みたいなところから通ってきているお友達もいました。
それぞれ全く違うね、生育歴、背景を持って、たまたま同じクラスで学んでいる仲間だったわけですから、
そういうもともと多様性のある学校なんですよ。
そういう本当に多様な背景を持つお互いがですね、一つの絵本でもいいし、一つの何か体験でもいい、
それをどうそれぞれが感じたかというのをお互いに語り合うというのが私は本当の出会いであったり、
それこそが学校が持っている本来の価値だと思うんですよね。
同じクラスに学んでいても、そうなんだと、一人一人そんな違うんだということをちゃんと知る場、
そういうのってある程度デザインされていないとなかなか自然な形では対話というのは生まれないんですよね。
だから学校がそういう対話の場になっていない、今の学校がというのは本当にもったいないことだなって私は本当に残念に思っていますけれども、
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せめて自分のところだけでも集まってきた子たちとこういう絵本でもいいですし、
何か一つの体験を通してお互いに全く違う感じ方、考え方をするというところを対話を通してお互いに理解して、
みんな違ってみんないいんだよねっていうことを本当に体でしてほしいなと思っています。
今日は雑談ということで、昨日たまたま読んだ絵本を通して子どもたちがいろいろな捉え方をして面白かったので、
こういうのを本当に学校でやりたいよなってこういうことをやっていく場が学校であってほしいなという思いが改めて湧き上がってきましたので、
雑談会ということでお話しさせていただきました。
またこのスタンドFMの放送の編集機能っていうんですかね、それがちょっとまともに動くようになったらまたちょっと放送を再開していきたいと思っています。
お聞き下さりありがとうございました。またお会いしましょう。
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