2025-09-04 20:58

【第170回】やばいよ学校シリーズ①「公教育は、もう、崩壊している。」

☘️2024年10月に出版された鈴木大裕著「崩壊する日本の公教育」👇
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721335-5

これを読んで以来、今もずっと、「公教育って何?」って考え続けています🙌
あまりにどでかすぎるテーマで、はっきりいって、私の手には負えません💦

☘️「子ども」に関することならなんでもかんでも「学校」に丸投げして、「学校で教えるべき」って際限なく押し付けてきた結果が、今。気付けば、いつの間にか、学校は、地域最大の、機能過剰な、肥大化したモンスターになり果ててしまっています。

☘️学校があまりに全ての機能、役割を一身に背負ってしまったため、身動き取れなくなって、この学校モンスターがいないとみんな生活が成り立たなくなってしまっています。

☘️いったん、全部0ベースにして、「本当にそれは学校でないとできないことなのか?」「学校がやるべきことなのか?」「学校の価値はどこにあるのか?」ということを、それぞれの保護者が、それぞれの地域が、それぞれの学校が、考え直すべきタイミングだと思っています。

📖鈴木大裕著「崩壊するアメリカの公教育~日本への警告~」(2016年)👇
https://www.iwanami.co.jp/book/b243732.html

📻cotenラジオ「教育の歴史~人間は何のために学ぶのか?」(2021年7月~9月までの13回シリーズ)👇
https://open.spotify.com/episode/7tRKPVrgbMDZiDTEF94MlU?si=yYjlcBo_SC679pqoLhuG2w&nd=1&dlsi=c076cdf37ef84021

🔥北斗の拳オープニング曲🔥
https://youtu.be/PWzf-p06GSY





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こんにちは、おあです。小学生の子供たちは、ホームエデュケーションを選択しています。今の学校教育に疑問を持っている方や、今の学校には合わないけれど、代わりとなる教育がなくて困っている方と一緒に、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第170回目の今日は、「公教育は、もう、崩壊している。」というテーマでお話ししていきます。
ひでぶ、あべし、ゆーわ、しゃーくしゃーくしゃーく。
今日は、そんな北斗の剣放送をしていきたいと思います。
昨年ですね、2024年の10月に、【崩壊する日本の公教育】というね、書籍が、鈴木大優さんの書籍が出版されているんですけどね。
で、私、これ出版されて比較的すぐに読みまして。
いやー、これがね、さすがのこのデストロイヤーオアな私もね、ちょっと信じられない内容だったんですよね。
消化しきれませんで、この本に書いてあることが本当だとすると、これは大変なことだと。
で、その後ですね、さらにその前に2016年に出版されている、同じ鈴木大優さんの【崩壊するアメリカの公教育 日本への警告】という本を遡って読んだんですね。
でですね、もうこれは多分本当だろうと。
で、それからもうちょっと私もね、ずっと、もう今もですね、公教育って何って、何をもって公教育と言えるのかということを考え続けててましてね。
ちょっとね、ぶっちゃけ現時点でも私にはどう考えたらいいのか、ちょっとどうすればいいとかね、わかんないんですよ。
でね、この公教育とは何かっていうような、もうどでかすぎちゃってですね。
まあ私の手にはもう追えないなと思って。
まあちょっとね、この本を読んでからもう1年近く経っちゃってるんですけど。
いやもうずっともやもやし続けてですね。
いろんな本を読んだりその後もね、いろんな方の話を聞いたりもしてるんですけど。
いろんなね、指揮者の方がもうこうしたらいいだろうとかっていろいろ提案されててね。
もうどれもね、その通りだなとはその場では思うんですけど。
でもね、なんだかどれも完全には自分の腹打ちしないっていうかね。
なんかいまいちガッテンガッテンってスッキリしていかないんですね。
一応調べましたらね。
一つが公的責任だそうです。
国や自治体が制度を設計保障していること。
民間が運営していたとしても公的制度の枠組みに入っていること。
それが公的責任だと言われています。
国や自治体が制度を設計保障していること。
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まあ民間が運営していたとしても公的制度の枠組みに入っていること。
二つ目が普遍的なアクセスということで。
経済的、社会的背景に関わらず全ての子どもが学ぶ権利を持って利用できることが保障されていること。
どこに住んでいても受けられるということですね。
民間が制度を設計保障していること。
民間が運営していたとしても公的制度の枠組みに入っていれば、
公教育に含まれる私立学校なんかですねがあるということですね。
三つ目が無償性または大幅な公的負担ということで。
義務教育段階では原則無償であること。
教育を経済力によって制限しないことだそうです。
四つ目が教育の機会均等。
憲法や教育基本法にある全ての国民はその能力に応じて等しく教育を受ける権利を有するという理念を実現するということで。
どんな文化や宗教的な背景を持っていたとしても受けられるということですね。
五つ目が社会的共通の基盤と書いてあるんですけどね。
カリキュラム、教員資格、学校制度などが一定の公共的枠組みに基づいていること。
個人の利益よりも社会全体の基盤を作るという役割を持つと書いてありましたね。
日本においては法的な観点から定義された公教育としては憲法とか教育基本法みたいなものに基づいて国や自治体が責任を持って全ての子どもに教育機会を保障する制度で
特に義務教育段階においては無償で提供される教育を指すということなんですね。
もう一つ思想歴史的な観点から定義される公教育といいますと、国民国家の形成や民主主義の発展の中で全ての子どもを対象に社会的文化的基盤を共有させるために制度化された教育のことで
その根幹には普遍性公共性平等の理念があるということなんです。
公教育といいますと国がやっぱり税金を使って作るわけですよね。学校でなおかつそこで教える先生方のお給料も税金から払うということになりますので
どうしてもやっぱり子どものウェルビングのためというよりもどうしても社会のため国家のために投資的な意味合いがやっぱり強いのかなっていう気がするんですよね。
それでも日本ぐらい結構はっきりと教育はお国のため社会のためって歌って法律を作っている国ってやっぱり珍しいんですよね。
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他に中国とかしかないわけですよ。やっぱりフィンランドとかオーランダとかそういう国の教育の法律としては子どものためっていうのが一番に来てるわけですね。そこがやっぱりだいぶ違うわけですよね。
やっぱりどうもそういう法律が読んでても日本の教育の目的が国に役立つ人材を作るためみたいなすごい下心も見え見えっていうか一言で言えばいやらしいんですよ。めちゃくちゃもう品がないって言いますかね。
そんな下心を見え見えに国を発展させるために子どもたちを教育するんだみたいなことを言っちゃってる国ってすごく珍しくて。
オベなんかはまずは子どもの幸せのためと最初に言ってるわけですよ。結果としてそうやって子どもの幸せを一番に考えて教育していた結果として役立ってくれるということになればいいわけですから。
最初からそうやって国のために社会のために役立つために君たちを教育しますではなくて、まずは君たちの幸せのためをまず考えて教育しますよって。
結果、君たちがこの社会に出ていった時に役立ってくれたら嬉しいなぐらいのもんにしとけばいいものをね。
だから教育のスタートの時点から私はもうちょっとボタンをかけ違えてるんじゃないかなっていう問題意識があるわけですけど。
特に日本はガチガチなんですよ。他の国のもいろいろ調べたらね。やっぱりお国が作った学校でお国が認めた教師によるお国が定めた学習指導要領で教えることが公教育みたいな結構ガチガチに日本は決めちゃってるんですけど。
もちろんね、それだけ徹底してるからこれだけ全国つつ裏裏あらゆる離島、仮想地域、敵地の隅々にまで等しく同じ内容の教育が行き渡ってるというわけですよ。
これはね世界から見たら相当驚異的なことらしいんですね。
本当に究極的な平等なんだと。ここまで徹底して国が全ての子どもたちに同じ教育を提供していますっていう国は珍しくてすごいことみたいなんですよ。
なので海外の方が日本の教育を絶賛するっていうのもわかる気はするんですよね。
かつて田中角栄さんが日本のあらゆる地域に道路とか鉄道も張り巡らしたっていうことと同じぐらいやっぱりその当時はきっと正義だったんだと思うんですよ。
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だいぶ前なんですけど2021年の7月から9月ぐらいまで古典ラジオで13回にわたって教育の歴史、人間は何のために学ぶのかというシリーズやってたんですね。
これ1回40分ぐらいの番組なんで全部聞いたら9時間ぐらいにかかっちゃうんですけど、ぜひ聞いていただきたいなと思うんですけど、
こういう歴史なんか聞くとどんな物事にも光があれば影もあるというわけで、本当に最初の頃は学校っていうのは子どもを労働から救出して保護する役目も果たしていたというところもあったみたいなんですけど、
放っておいたら子どもは貴重な労働力として借り出されて酷使されて搾取されてしまう存在だったので、
なので学校を作って親に就学義務を負わせて学校に行かせないとダメだよと言って、
親よりもずっと知識豊富でいろんなことを教えてくれる質の高い教育を受けた教師という尊敬すべき職業の人たちに子どもを託してですね、親たちは自分たちが受けられなかった、
読み書き算数みたいなのを子どもたちが教えてもらっていろいろ教育してもらって、自分たちの時代よりも子どもがより良い教育を受けて立派な仕事についてしっかりお金を稼いで自分の時代よりも豊かな生活を送れるようにとなってしていたわけですよね。
でも時代はすっかり変わってしまったわけですよ。もう150年も経ってね。昔はね、なんか1時間とかかけて山奥から学校に通ってましたよなんて田舎のおじいちゃんとかおばあちゃんいたんですよ。なんだけど今の時代ね、勉強ってだけだったら自宅にいながらオンラインでいくらでも可能になっちゃってるわけです。
わざわざ1時間かけてね、山を降りて学校まで毎日行かなくちゃ読み書き計算もできないままってことはないわけですよ。しかもね、うちもやってましたけどチャレンジタッチとか、あとYouTubeでもね、本当にいろんな教育動画が無料で見られる時代なんですよね。さすがなんですよ。
本当に子供がね、少しでも興味を持つようにと飽きないようにってよく考えられていまして。こういうの見ちゃうとやっぱりね、学校の先生では申し訳ないんだけど、やっぱり学校の先生があのレベルのコンテンツと勝負できるわけがない。それはしょうがないと思うんです。動機づけからして違いますからね。
学校はなんだかんだ行ったって頑張らなくたって、もう自動的に毎年春になったらね、地域の子供たちが勝手に来てくれるわけですよ。はい、あなたは何年何組ですよって言ってね、あなたはこの1年この先生に勉強を教わることになってますよってお客さんをね、椅子に座らせて待たせておいてくれるわけですよ。
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なんで、先生は言われた教室に行ってですね、お利口に座っている子供たちに依頼された範囲のことを毎日教えればいいだけなんです。ある意味、自分から何か努力したり工夫しなくてもお客さん毎日来てくれるんですよ。
ところがこのチャレンジたちとかYouTubeの先生方は違うんです。子供たちに選ばれなきゃいけないんですよ。数あるコンテンツの中からね、他のいろんなね、マイクラとかね、あのロブロックスとかいろんな面白いゲームよりも見てもらわなければいけない。その数々のね、競合と戦わなければいけないわけですよ。だからものすごい研究してますし、ものすごい工夫されてるんですよ。
子供たちが面白いと思ってくれなかったら、それまでなんですよ。だから子供たちの好き、今ね、一番好きな漫画とかアニメとかを題材にね、取り入れてゲームっぽくして楽しめてたり、もうエンタメ要素満載で、もう子供たちに手を返しなおかれ、もうその努力たるや、なぐみなぐましいものを感じるんですね。
でも毎週のように、さあ今週はこんなイベントをするからみんな来てね、みたいな。逆にはそれくらい子供の興味関心にも完全に合わせに行ってですね、これくらいやらないと子供なんて基本勉強してくれませんから。
それに比べてね、学校で行われている授業、申し訳ございません。やっぱね、あんなつまらん教科書を使ってね、1日何時間も椅子に座らせてね、黒板使ってね、一生一日集団授業ということでね、子供たちにあれだけの量の内容をね、大学出たての先生方が全教科を教えようなんて、もう無理ゲーなんです。
しかも子供たちはもう気づいてしまったわけですよ。目覚めてしまったんですよ。わかっちゃったんですよ。子供は正直、自分にとってこれが必要な場所なのか必要な場所でないのかっていうのを本能的にもうかぎわけてます。
学校楽しいところだよとかって言われてね、送り出されるわけですけれども、どうもこの学校という場所ね、自分たちに大人たちがこれまで大切にしてきた過去を教えようとする場所であって、これから自分たちが生きていくために必要な未来を示してくれるところではないのではないかということをもうわかってしまってるんですよね。
本題のね、この鈴木大優さんの崩壊する日本の公教育という書籍。この内容が本当だとしたら、これはやっぱりもうね、一個人にはどうにもできないなと思うんですよ。
子供たちを国家のために育成管理統制指導していこうという教育が国策なんだとしたら、どれだけ現場の先生方がね、頑張ったところで焼け石に水なのではって思っちゃうんですよね。
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なんでやっぱりね、もう何度も言うように、私は学校というタイタニック校からもうさっさと逃げ出してですね、自分たちでイカダなりね、ボートなり作って、自分たちの子供だけでも生き延びる道を探した方が早いんじゃないかなって思っちゃうんですね。
次回以降、この書籍の内容、私なりにちょっとご紹介していきたいと思ってるんですけど、ちょっと気になるというかね、この鈴木大優さんはね、いわゆるね、共産系の方なんじゃないかなっていう印象なんですよ。
本読んだ感じね。それが良いとか悪いとかじゃないんですけれども、私の個人的な考えとは結構異なるなというところがたくさんありました。
例えば鈴木大優さん自身はね、全人教育を良しとされているっぽいんですよね。つまり教師という存在は人間として、総合的に子供を育てるというか付き合うべきで、だからこそ教師というのは人格者であるべきで、
勉強さえ教えればいい存在ではないんじゃないかと。人間性を育てていくところが学校だというふうに考えていらっしゃるみたいで。
だからあらゆることをね、誰もが学校で体験できるようにということで、プールとか部活とか数字とか給食とかね、全部やっぱり基本必要だと考えていらっしゃる印象なんですよ。
でも私はね、やっぱり違うんですよね。学校一旦全部一回解体してゼロベースで考えたほうがいいと思ってまして。
私がね、やっぱり問題意識として思っているのは、今までね、子供にまつわることをもう次から次に何でもかんどでもね、学校に投げ込んで、学校で教えるべき、学校でやるべきといって再現なくやらせてきてしまった結果が今じゃないかと私は思ってまして。
で、結果としていつの間にかですね、学校というのは地域最大の機能過剰な、肥大化したモンスターになれ果ててしまってたんだと。
学校があまりに全ての機能とか役割を一心に背負わされてしまったために、もう身動きが取れなくなってしまってですね、この学校モンスターがいないとみんなどうにもならなくなっちゃってるんですよ。今。生活が成り立たないってなっちゃってるんですね。
それはもうコロナ禍で露呈したことでした。もう多くの保護者がパニックになったんですよ。あの時、というのはもう学校でもうご飯のことから何までやってもらってたからなんですけれどもね。
で、子供がね、不登校になると保護者がパニックを起こすのもそこに由来するんですよ。要は学校が何でもかんでもやってくれてるっていうことは逆に言えば子供が学校に行かなくなると何もかも一挙に失うことになるわけですから。
不登校になって困っているのは子供より保護者なんですよ。日本でこれだけ不登校が問題となってしまうのは、保護者のみならず社会全体がですね、学校に完全に依存してしまってるからなんだと私は思ってるんですね。
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なんで私としてはですね、もう一旦今学校が抱え込んでいる全ての機能を洗いざらい白日の下にさらしてですね、一つ一つこれは何のためにやってることなのか。本当に学校が担うべき役割なのか。学校でしか本当に果たせない機能なのかっていうことを点検していく必要があると私は思ってるんですね。
どうしてもこれだけは絶対に学校でないとできないことだよね。学校の先生にしか叶えられない役割だよねっていうものだけを丁寧に拾い上げて、それだけをとにかく大事にしてですね。もう一回学校という場所を一から私は作り直す必要があると思っておりまして。
逆に言えば、それ以外の役割とか機能はすべて手放した方がいいと思ってます。もう最低限学校にはですね、最低限の機能だけを残して、あとはもうオプションぐらいの感じでいいと思ってるんですよ。そうじゃないともう持ちません。もう時間の問題だと思いますよ。もう立ち行かなくなってるじゃないですか。実際今学校は。
あまりにもね、あれもこれもと欲張りに思考停止したまま、みんなが社会全体がね、学校に求めてやらせてきたツケが今完全に回ってきてしまってるんですよ。
そういうゼロベースで本当にこれは学校の役割なのか、学校でやるべきことなのか、学校の価値ってどこにあるのかということをですね、一人一人の保護者さんそれぞれの地域それぞれの学校が考え直すべきタイミングに来ているということからも、この鈴木大優さんの崩壊する日本の公教育という書籍と崩壊するアメリカの公教育日本への警告という2冊は
とても示唆深い、とても重要な書籍だなと感じています。次回からちょっとね、この2冊を順番にご紹介していきたいと思うんですけど、ちょっと何回シリーズになるかちょっと今段階ではわからないです。
ちょっと私なりにこの内容、1年いろいろ考えてきましたけど、紹介しきれていないんですけども、一旦ちょっと吐き出してみたいと思いますので、次回以降ですね。
まずはですね、崩壊するアメリカの公教育という書籍の方から、アメリカで起きている恐ろしい教育にまつわる現実というのをちょっとご紹介して、そこから公教育って何なんだろうということを考えていきたいなと思っております。
それでは次回から、公教育とは何かというどでかいテーマでやっていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。失礼いたします。
20:58

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