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こんにちは、おあです。今回も前回、前々回に引き続き、鈴木大優さんの書籍【崩壊するアメリカの公教育 日本への警告】という書籍をご紹介してまいります。
ちょっと本題に入る前にですね、こちら【やばいよ学校シリーズ】ということでね、
あの、公教育がもう崩壊している。
ということでね、北斗の剣ということで始めたはずなんですけど、これがね、どうも通じないみたいなんですよ。
はあ、もう北斗の剣が通じない時代なんですね、もうね。
以上、令和ですからね。
もうそっちにシャクシャクシャクですよ、もうほんと。
で、ね、これね、子供たちも知らないって言うんだよ。
知らないの?あんたたち北斗の剣わかんないの?ってことで、あのー、見せたんですよね。
うん、したらね、あの、「You are shocked!」ってなってるんですよ。
歌詞が。
You are shocked!
でね、これ見たね、夫がね、え、これ、なんかおかしくない?ってね。
You are shocked!じゃない?みたいな。
これ、文法的におかしいんじゃない?って言うわけですよ。
もうこれじゃあルーン大島だよねって。
そしたらね、もうルーン大島も通じないわけですね。
もう、大変、もう昭和生まれはもうちょっと生きにくい。
なんでもうね、ちょっとしょうがない、もう誰にも通じないんですけど、北斗の剣放送ということで、はい、ご利用していきたいと思います。
はい、前回の放送でですね、ピアソン帝国という一部の多国籍企業がアメリカの公教育政策を牛耳るだけじゃでなくですよ。
PISAという国際学習到達度調査というものを使ってですね、OECDですよ。
経済協力開発機構っていうそうなんですけどね、こういう国際機関を通して世界中の公教育システムを遠隔評価し、監視し、競争させ、政策を誘導して世界教育市場を掌握しようとしているという構図が暴かれていたわけですね。
この市場経済の成長に献身する機関であるOECDが今では世界中の公立学校の標準を設定してそのパフォーマンスを評価して、公教育の世界的経緯として振る舞っているという現実。
あまりにも陰謀論っぽいので、このあたりは皆さんにこの本を読んでいただくしかないので、ぜひこちらの本はご自身で読んでいただきたいんですけれども、
まあちょっとね、これが本当だとすると恐ろしいことですよ。新自由主義が教育という業界に狙いを定めてね、その内部にするりと入り込んで、それを自らの支柱に完全に収めてしまって、何が起きているか。
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そのような社会においてはですね、一切の暴力も必要とすることなく、一人一人が誰かに作られた価値観に従って、自ら少しでも求められたパフォーマンスを上げようと努め、自らの生き方や考え方を規制し抑圧し思考を停止していく。
個人の真理の奥底にまで、新自由主義の価値観というのが浸透し、内面化されてしまっている社会では全てが自己責任とされていく。
このことを鈴木大優さんは、公共育を通して世界市場における経済的競争力の増強を目的とする狭く偏った価値観を植え付け、人々の内部から侵食していく社会は人間の市場経済社会への服従を意味しているとおっしゃっています。
新自由主義に侵された教育が、PISAというものを通して、世界規模でテストの点数を各国が競い合っているわけですよ。
世界中の国々が少しでも自分の国の点数を上げようと、完全に踊らされちゃってるわけですよね。
その滑稽さ、タルヤ、日本なんか典型的な国ですよ。もう完全に一騎一駆してるじゃないですか、PISAの結果でね。
この新自由主義的な教育観の下では、費用対効果や測定可能なものだけを教育効果と捉えることになるわけです。
そういう世界観から見たら、教育というのは将来の経済的な見返りを期待して行われる投資ということになるわけです。
ということは、学校はグローバル経済における即戦力を効率よく生産する工場ということになるわけですね。
そうしますと、教育者というのは指示通りに働く労働者ということになりまして、教育はプログラム通りの結果を生み出す機械的なプロセスということになりまして、子どもたちは品質等級に分類された製品とみなされるというわけですね。
これは言い換えれば、テストで定められた学力標準に到達することが教育現場の責任とされていき、教育の質というのはイコール生徒のテストの点数で測定されるということになるわけです。
この状況というのは、大人たちが作り上げたグローバル経済に子どもたちを最適化させることに躍起になっているような滑稽な状況で、測れないものは存在しないという、数字にできるもの、測定可能なもの、経済効果のあるものだけが成果として評価されるという偏った教育観というわけですね。
これは、社会のために子どもを使うことしか考えていないということです。効率よく企画通りの子どもを生み出すこと、社会にとって使いやすい子どもだけが価値があるということになり、癖のある子、標準に満たない子は不要品、お荷物ということになるわけですね。
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鈴木大優さんは、今求められているのは、すでに病んでいるこの社会のニーズに合わせた人間を育てることだとか、1億総活躍の号令の下、戦後最大のGDP600兆円を目指して人々をグローバルスタンドに最適化させることではないはずではないですかとおっしゃってますね。
この書籍の内容に戻りますと、実際にアメリカの公立学校で起きていることとして描かれている実例をご紹介したいんですけれども。
都市部の貧しい地域になればなるほど、テストで結果を出すというわかりやすい結果を求めるしかなくなるわけですよ。予算がないのでね。そこでしか選ばれる道がないわけですから。
そのプレッシャーのためにテスト対策が中心の暗記型の授業にどんどんなっていってしまっているということなんです。
例えば、同じニューヨーク市内でも裕福な地域にある学校では、有数のレストランからセレブシェフを招いてお料理フェスティバルとか、寄付金を使って立体的デジタル映写機とか、自動洗浄型トイレとかが導入されているのに対して、
貧困地区の学校では、学校の存続をかけてテスト対策に特化した教育ばかりが施されることになり、そのため体育も美術も音楽の先生も一切おらず、ほとんどの授業がテストの準備に充てられてしまっているということで。
予算不足のために、そういう学校では消耗品、例えばハンドソープですとか、マーカーですとか、ティッシュですとか、ボンド、ジップロックなども全て家庭が持参しなければならない状況に陥ってしまっているということなんですね。
これを鈴木大優さんは、公教育という名のカースト制度とおっしゃっています。こういう貧困地区の学力テスト対策ばかりに焼きならざるを得なくなり、目先の点数アップを叶えることが教師の役割とされているような教育では、子どもたちに考えることを放棄させるような知識詰め込み型の教育になってしまっているので、
結果として、貧困層の手から政治を奪う最も簡単な方法になってしまっているということなんですね。
ここまでのアメリカの惨状を聞いてしまうと、もう絶望しかない感じになっちゃうんですけど、一応最後の章で2つ希望となるような事例を紹介してくださっているんですね。
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1つがシカゴ教員組合ストライキという事例でして、このシカゴという街では、いち早く市場原理による公教育改革が進められていたそうで、7年間で100校もの公立学校が閉鎖されて、代わりに85のチャータースクールがオープンして、学校が閉鎖されるたびに教員が一斉解雇されて、子どもたちは放り出されて、
中で一部の教員たちが、これはおかしいということで、小さな読書サークルを始めて、自ら何が起きているのかということを学び始めたということなんですね。
その教員たちが立ち上げた小さな読書サークルの中で、教育にこの新自由主義が入り込んでしまっているという全体像を訴える形で、地域の保護者さんたちも巻き込んで、
学校規模の縮小、テスト返帳主義の改正、人種的平等などを目指して、公教育を守ろうという大規模なデモ行進などを行ったそうなんです。
市の教育委員会の委員を市長の任命制ではなく、後線制に戻すということを求めてどんどん活動を展開していき、2012年では大規模なストライキも行って、最終的にはいろんな権利ですね。
全生徒分の教科書を配布の補償ですとか、教員の能力給生度導入案の完全撤回ですとか、いろんなことを、権利を自分たちの手に戻して集結したというニュースなんですけれども。
こちらは、教員たちが中心になって地域を巻き込んで、公教育を自らの手に取り戻したという動き。もう一つが、同じ2012年に保護者たちが立ち上がったという動きがあったそうで。
こちらはテストオプトアウト運動というそうなんです。これね、すごくいいんですよ。保護者たちが自分の子供たちに学力テストを受けさせないという、ボイコットさせるという運動だったそうなんですね。
これはですね、教員や学校の評価が生徒のテストの結果と直接的に結びつけられてしまっているという流れですとか、テストの教科以外の授業がほとんど削られてしまっているということに対する反対運動ということで。
親が子供にテストを受けさせないことで、データそのものを提供しないことで、そういう新自由主義的な教育改革にマッターをかけるという動きだったそうなんです。
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この鈴木大優さんご自身も、娘さんが小学3年生だった2016年にこのテストオプトアウト運動に参画して、この運動を一緒にやってきたということなんですね。
親が子供に学力テストを受けさせない、ボイコットさせるというのと同時に、教員たちは教員たちで、今度は自分たちも統一学力テストの監督を拒否するということで抵抗したということなんです。
あとはハワイではですね、ストライキの代わりに教師たちが労働契約で決められている範囲の仕事しかしませんというようなことで、教員の労働の実情ですとか、教育予算不足のことを訴えるという取り組みがあったりとか、
ミシガン州のデトロイトという街では、教員たちが一斉に病休を取るという形で、教育環境に対する訴えを見せたということですとか、それぞれの地域でそれぞれのやり方でいろんな形でですね、教師も保護者も児童たちも抵抗を示したということなんですね。
こういうのいいなって私は思いますね。やっぱりさすがだなって。アメリカがこうやって教師たちとか保護者たちが立ち上がって声を上げて、具体的に現状を変えていこうというようなエネルギーをすごく感じるのに対して、日本どうしちゃったかなって、ものすごくみんな大人しいですね。
本当にみなさんによく飼い慣らされた犬。もうそもそもおそらくね、学校にも教育に対しても先生も保護者たちも大人たち自身がなんともきっと思ってないってことなんだと思うんですよ。今の学校や教育に何の違和感も疑問も感じてないから、もう何も起きてないんじゃないかなって。
そう考えますとね、ある意味やっぱりこの日本の教育っていうのは成功してますよね。こんな従順で大人しい、自ら動かない国民を育てることにこんなに成功してる国も珍しいんじゃないでしょうかね。そういう意味じゃ確かに日本の教育最高なのかもしれませんね。
こんなに毎日毎日長時間子供たちが狭い教室に押し込められて椅子に座らされて黙って先生のお話を教科書を見ながら聞いて授業を受けてるっていうような姿を見てね、なんていい子たちなのかしらって大人たちは思ってるわけですね。
こんなにしょっちゅうテストを受けさせられてることにも、少子化でとっくに定員はあれしてるのにもかかわらず、受験受験成績なきなきってね、競争させられてることにも大人たちはなんとも思ってないわけですからね。
学校の先生方だってね、こんな大変だ大変だブラックだブラックだって騒いでる割には何か具体的な抵抗運動をしてるっていう話も私は聞かないのでね。そんな言うなら自分たちでストライキやったりテストや成績表や宿題をね、もうボイコットすればいいのにって思っちゃうんですけどね。
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鈴木大優さんは、高教育の大義名分というのは経済格差を是正するというところにあったはずなのにもかかわらず、高教育そのものが経済格差をさらに再生産してしまっているという完全にこれは矛盾だということでね。これはアメリカの高教育は失敗しているんじゃないかというようなことを書かれていて。
にもかかわらずね、その失敗しているはずのアメリカの後、日本は完全に後追いしてしまっていると。なのでちょっとそういうことに危機感を覚えて、2024年にですね、このアメリカの参上と日本への警告ということで崩壊する日本の高教育という種族を出版されたわけですね。
というわけで次回、やっと日本の話に入っていきたいと思います。もともとね、崩壊する日本の高教育を紹介したくて始めたこちらのね、やばいよ学校シリーズだったんで、アメリカの話だけでこんなに2回もやるつもりなかったんですけれども。
というわけでね、次回やばいよ学校シリーズ4回目にしてようやく本題の日本で起きていること、そんなアメリカを後追いしている日本で今起きていることについてお話ししていきたいと思います。次回も引き続きよろしくお願いいたします。失礼いたします。