2023-10-23 11:58

【第18回】虐待の入口は、あなたの日常に存在する。

今日は、村中直人さんの著書「<叱る依存>がとまらない」(紀伊国屋書店)をご紹介しています。 叱るも誉めるも根は一緒。 叱る側のニーズを満たす手段であり、そこに依存していく恐ろしさについてお話しています。 #ホームエデュケーション #ホームスクール #不登校 #オルタナティブ教育 #村中直人 #叱る依存がとまらない #虐待 #依存性 #しつけ --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/63b66a5a7655e00c1c7c63b2
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こんにちは、おあです。3児子育て中で、小学生の娘2人は、ホームエデュケーションを選択しています。
子供たちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第18回目の今日は、【教育虐待の入口は、あなたの日常に存在する】というテーマでお話ししていきます。
皆さんも、叱ったことありませんか?もしくは、誰かに叱られたことありませんかね?
私は、子供3人、よく叱ってきました。
育児本なんかでも、怒ってはいけませんよと、感情的に怒ることはいけないけれども、ちゃんと叱らなければいけませんよっていうようなことを、いろんな方がおっしゃっていますし、
私もそうなんだろうなと思って、やはり正しいことを教えなければいけない。
子供に、しつけということで、ここでは大きな声を出してはいけません。
ここでは、きちんとご挨拶をしなければいけません。
しつけという名目で、それが理想な形があって、それを教えてでもできなかったりした時に、ちゃんとご挨拶しなければダメでしょとか、ちゃんと靴を揃えなければダメじゃないとか、そういう形で、理想の形通りのことを子供ができなかった時に、
それをしつけ、教えるという名目で、叱っていたかなと思います。
叱るという言葉を辞書で引くと、目下の者に対して声を荒立てて欠点を咎める、咎め忌めるというふうに書かれてあります。
ところが、この叱るという一見、いいと言われているような行動が、実は虐待の入り口であるということを書いた本があります。
村中直人さんという臨床心理師、公認心理師で、ニューロダイバーシティの教科書などの著者がある方の、叱る依存が止まらないという、キノクニア書店出版の書籍になるんですけれども、
この書籍の衝撃的な話は、叱るという行為は依存症に近い症状を持つと、村中直人さんによると、叱るという言葉は定義をすると、
言葉を用いてネガティブな感情体験、例えば恐怖、不安、苦痛、悲しみなどを与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為であると言っているんですね。
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叱らなければいけないという人の考えとしては、ちゃんと正しいことを教えなければわからないだろうと、厳しくしないとわからない、なめられると、甘やかしてはいけないと、そういう価値観で、相手に変わってほしいと思って、叱るという行為を使って相手を変えようとしている行為なんですよね。
つまり、他者をコントロールしようとしていて、相手に引き起こされるネガティブな感情体験を利用している行為だと断言しているんです。
村中さん曰く、叱ることと罰を与えることはほとんど同じであって、相手に苦しみを与えたいがゆえに叱るんだと。苦しみを与えることで、人は変わるはずだ、反省するはずだという価値観がその根底にあるのではないかと言っています。
苦しまないと人は変わらない、学ばない、成長しないという思い込みがあるのではないかと言っています。
村中さんがこの本の中で言っているもう一つの衝撃的なポイントは、処罰感情を充足させるという役割があるのではないかと、叱るということに、という話があるんですね。
なんと、人は単に相手を苦しませるだけの行為でも気持ちよくなったり、満足感を得たりするということなんです。
意地悪な相手とか、ずるをした人を見たときに、誰でも何か仕返しをしてやりたいとか、罰を与えてやりたいって思う気持ちってありますよね。
その気持ちを満たすことができるということなんです。
自分が誰かを叱ったことで、相手が怖がって萎縮して、正しい行動に戻れるとしますよね。
そうすると、自己効力感が満たされるわけなんです。
つまり、叱るということがある種の快感につながっているという話を村中さんは指摘しているんです。
しかもですね、あくまでも相手が悪いと思っているわけですよね。
叱られて当然の理由があると、叱られるようなことをしていたから、自分は叱ってあげているんだと思っているので、これがどんどんエスカレートしていくということなんです。
自分の充足感を得られるので、自分が叱ったことで相手の行動が変えられたと思ったときに、ドーパミンが大量に放出されると快感を得るわけです。
自己効力感を得るわけです。
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そうすると、どんどん叱るという行為に依存していくというわけなんです。
これが叱るという行為が虐待の入り口であると、村中さんが指摘している証拠なんですね。
私はこの本を読んで、本当にびっくりしたんですね。
誰かに罰を与えたいという欲求が人間にあると。
人間の生まれつきの欲求の一つに処罰感情というのがあると。
それを満たす行為の一つとして叱るということがあり、日々叱っているとそれに慣れていって、どんどんエスカレートしていくと。
気づけば手が出て足が出て、暴力となり虐待という状況に陥っていくということなんですよ。
ということは、自分自身が持っている処罰欲求というのをまず知らなければいけませんよね。
処罰感情が誰にでもあると。
その処罰欲求を満たそうとして、今目の前の子どもや誰かに叱っているのではないかという自覚をまずしなければいけません。
さらにそれがだんだんエスカレートしていっていないか。
なぜこんなに自分が処罰欲求を満たしたくなってしまっているのか。
自分自身のニーズにもっと掘り下げて気づかなければいけないわけなんです。
それはなかなか難しい話だなと、私はこの本を読んで思いました。
村中さんはこの書籍の中で、叱る側にニーズがあるから叱っているんだということを暴いているんですね。
おそらく叱ることに依存している人というのは、ほとんどの場合、うまくいかない現実に対するイライラがあるのではないかと。
もしくは低すぎる自己評価であったり、他者への劣等感を持っていたり、
場合によっては多忙による慢性的な疲労ですとか、極度の体調不良なんかもあるのかもしれませんが、
とにかく受け入れがたい現実を抱えている状況が叱る側に存在するはずだと言っているんですね。
その受け入れがたい現実を一瞬でも忘れさせてくれるような快感というのが、叱るという行為からもたらされるわけなんです。
自分自身の苦痛から解放される快感が得られるわけなんです。
誰かを叱って、その相手が怖がって、自分の言う通りになると、そうするとスカッとするということなんですよ。
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そして薬物を依存して中毒になっていくように、もうずっと叱らずにはいられないという状態に陥っていくわけなんですね。
私はこの叱る依存が止まらないという本を読んだ時に、そうだったんだって、本当に物事の見方、考え方が変わったなと思います。
早くこの本を読みたかったなと。
叱るの反対の褒めるというのは、じゃあいいのかというと、そうじゃないと思うんです。
褒めることも叱ることも背景には、自分の思う通りにしたいというコントロール欲求というのが存在するからなんですよね。
自分の中にあるべき姿があって、それにそぐわなければ叱る。
自分の思う通りの行動をした時には褒める。それは表裏一体であって、相手をコントロールしたいという欲求を満たそうとするということにおいては、同じことを意味してるんですよ。
この褒めることも叱ることもコントロールの一種である。
気づかされて子供との関係を見直すきっかけになりました。
この本にもっと早く出会いたかったなと思うと同時に、やはりこういう知識を持っていないと気づいた時には、実はそれがかなり虐待の状況になってしまっていたということはあるのではないかなと思うんです。
昨日の教育虐待の話につながってきますけれども、やはり親は良かれと思って、正しいことを教えようと思って、正しい道に進ませたくてというような良かれと思ってという思いから子供に何か褒めたり叱ったりということをするわけなんですけれども、
そのことが無自覚であると虐待という形に気づいた時にはなってしまっていると。
誰もが虐待予備軍であるという自覚が必要なんだなと、本当にこの本を通じて学ばせていただきました。
そういう叱るという行為からどうしたら脱出できるのか、叱らずにどうやって子供を育てたらいいのかというようなことが次にいろいろ疑問で出てくるかと思うんですが、そういうことも含めてすべて、
こちらの村中直人さんの「叱る依存が止まらない」という書籍に、かなりそのあたりについても詳しく書かれていますので、ぜひ一度読んでいただきたいなと思います。
お聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。
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