2026-03-05 24:40

【第195回】学校後遺症シリーズ第5回「受験後遺症」(鳥羽和久より)

☘️今回は、webマガジン「だいわログ」で公開されている鳥羽和久氏の「学校後遺症」第5回『受験後遺症~僕たちの内なる建前と共犯関係』👇
https://daiwa-log.com/magazine/toba2/
をご紹介いたします🔥

☘️過去放送【第186回】アロスタティックロード〜過剰適応する子ども達〜
https://stand.fm/episodes/69439c43b1866cd209c79332
でも取り上げたことのある、鳥羽和久さんは、1976年生まれの教育者です。

☘️noteの記事「不登校児のママ友にどう接したらいい?なんて声をかけたらいい?」と悩むあなたへ👇
https://note.com/oa_oa/n/ncb00948b736d

で厳選した「教育系書籍21冊」に入っております👇
📖「君は君の人生の主役になれ(鳥羽和久著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4480684387?tag=se&linkCode=ogi&th=1&psc=1

☘️それにしても、この方の文章、長すぎる😱そして難解過ぎる😱とても一読しただけでは消化しきれません💦
ということで、またまた生成AIツール❝notebookLM❞さんを頼りにさせていただくことにしました🤣
素晴らしい‼️notebookLMさんがめっちゃ分かり易くまとめてくれてます🙇🏻
相変わらずアクセントや読み方はオカシイけど、そこも愛嬌ということで…😍

📺アベマプライムで鳥羽和久さん×精神科医さわさん×佐々木俊尚さんが出演されていた番組👇
【受験後遺症】過酷な中学受験で偏った思考・ネガティブに…勉強の失敗経験が子どもの人生に影響?
https://youtu.be/NBlvunARVF0?si=gAxojcl3D3tly3vj



📻以前もnotebookLMに頼ってみた放送回👇
【第173回】やばいよ学校シリーズ④「崩壊する日本の公教育」👇
https://stand.fm/episodes/68bfab1e7d42b45d00308bba


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https://stand.fm/channels/63b66a5a7655e00c1c7c63b2

サマリー

本放送では、教育者である鳥羽和久氏の「受験後遺症」という記事を、生成AIツール「notebookLM」の助けを借りて解説します。この記事は、学歴社会が私たちに与える見えない呪縛と、それが子供たちに及ぼす深刻な影響を深く掘り下げています。単に学歴社会を批判するだけでなく、私たち自身の心の動きを解剖し、受験勉強の功罪、そして「象徴権力」への欲望について考察します。最終的には、過去の傷やコンプレックスを、自ら選んだ「好きな呪い」で上書きすることで、自分らしく輝く生き方を見出すヒントを提示します。

はじめに:鳥羽和久氏の「受験後遺症」について
こんにちは、おあです。小学生の子供たちは、ホームエデュケーションを選択しています。今の学校教育に疑問を持っている方や、今の学校には合わないけれど、代わりとなる教育がなくて困っている方と一緒に、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第195回目の今日は、webマガジン大和ログで公開されている、戸場和久さんの学校後遺症第5回、受験後遺症、僕たちの内なる建前と共犯関係という記事についてお話ししていきます。
この戸場和久さんのとんでもない学校後遺症シリーズ、読みましたか?皆さん。
以前、第186回目、アロスタティックロード、過剰適応する子供たちという放送会で取り上げておりますが、この頃第3回が公開されたとき、私は初めてこの戸場和久さんの存在を知りまして、この方の文章を読んで、もう打ちのめされてしまったわけですよ。
何この人、一体誰?ってなりまして、慌てて戸場さんの本をいろいろ読みまして、ノートの記事ですね。
不登校児童をままともにどうせしたらいい?なんて声をかけたらいい?と悩むあなたへという記事で、私21冊厳選しましたと言って、4証言に分類して一覧書表として出している中に、この戸場和久さんの1冊、君は君の人生の主役になれという書籍も取り上げてるんですね。
まあこの本めちゃくちゃ厚かったです。めっちゃブルーハーツでした。見た目と全然違うやんっていう。
この戸場和久さんの学校についての考え方ですとか、教師の役割みたいなことについては、実は私とはかなり見解が違う方なんですね。私はだいぶ私とは考え方が違う方なんですけれども、でもですね、この戸場さんが学校システムですとか、教育に切り込む視点ですとか、ナイフの切れ具合みたいなのがもう半端ないわけで、
まあこれはこれじゃすごいなと。ぐっさぐさ、もう容赦ありません。この方の文章を読んで何もえぐられない人、いないんじゃないでしょうか。
特にですね、今回、学校後遺症第5回のシリーズとして公開された受験後遺症、これはね、もうすごい、とんでもない内容でしたね。
このね、受験後遺症に関しては、もはや国民病といって差し支えないと思うんですよ、私は。私は少なくとももうね、腹から一気に背中までナイフで貫通された勢いでした。
この鳥羽和久さんね、1976年生まれということですので、私とほぼ同世代ですよ。やるねって感じですね。驚いたのが、この受験後遺症、やっぱりね、相当世間でも話題になってるみたいで、今回アベプラでね、精神科医の沢さんとか、
佐々木俊直さんとかと一緒にですね、鳥羽さんがこの受験後遺症について番組に出演されてまして、そちらの番組もリンク貼っておきますので、ぜひ見ていただきたいんですけれども。
ただ、この鳥羽さんの文章、ものすごい長文なのと、ものすごい難解なんです。私、めちゃくちゃ読むの疲れて、しかも一回読んだだけじゃ全然理解できないし、消化できませんで、もう3回か4回読み直して。
それでもですね、これだけの内容をね、自分の言葉でうまくこうして放送で話すっていうことがね、ちょっと難しすぎまして。おそらくね、この受験後遺症第5回のね、受験後遺症のリンク貼ってきますけど、ぜひこちら読んでいただきたいんですけど、最後まで読み切って、なおかつ一発で理解できる方。
ちょっと私、いるかもしれません。すごい方いると思いますけど、なかなかいないんじゃないかなと思ったときに、はい、出ました。こういう時こそ、皆さんね、生成AIですよ。
ノートブックLMの出番です。ノートブックLMというね、生成AIは第175回ヤバイよ学校シリーズの第4回崩壊する日本の公教育の時にも使わせていただきますが、やっぱり頼りになりますね。
ちょっとね、このウェブページを投げ込んで音声解説してもらったんですけど、さすがでした。私にはここまでわかりやすく、とてもじゃないけど解説できません。ただね、やっぱね、読み方とかアクセントとか相変わらずおかしいんです。
例えば、病を病って呼んで、意味不明だったり、一番失礼なのはね、人の名前全然読み方間違ってるんですよ。この筆者の戸場和久さんのことをね、戸場和久さんって呼んでたりね、それ多いですよ、飯本晴久先生をね、飯本洋久さんとかって呼んでまして、もうマジ土下座してほしいっていう感じなんですけど。
ところどころ、え?何?どういう意味?クレッションマークってなると思うんですけど、そんなね、完璧じゃないところが、そんなアホなところがまた愛嬌と言いますか、可愛いやつだなみたいな感じがありますので、はい、お許しいただければと思います。
それでは、ノートブックLMを使って、この戸場和久さんの学校行為書第5回、受験行為書、僕たちの内なる建前と共犯関係というウェブマガジンを解説していただきました。お聞きください。
学歴社会の呪縛と「象徴権力」
あのリスナーのあなたも、自分とか他人の価値を、無意識のうちに学歴とか偏差値で測ってしまったこと、ありませんか?
ああ、それは非常に耳が痛いというか、誰にとっても無関係ではいられないテーマですよね。
えーと、頭では、そんなもので人間の価値は決まらないって分かっているつもりでも、ふとした瞬間に、相手の出身大学を聞いて、すごいなって態度を変えてしまったり。
逆に、勝手にひけ目を感じてしまったり、というのも正直よくあることだと思います。
そうなんですよね。本日は、そんな私たちの心の奥底に潜む、見えない呪縛について、徹底的に深掘りしていきます。
はい、よろしくお願いします。
今回、私たちが情報源として読み解いていくのは、戸場和久さんのエッセイ連載、受験行為書、僕たちの内なる建前と共犯関係です。
戸場さんは、2002年から学習塾やオルタナティブスクールを運営されていて、まさに長年教育現場の最前線に立ってこられた方ですね。
はい。今回の深掘りのミッションは、誰もが一度は通過する学校とか受験というシステムが、大人になった私たちの心に、一体どんな後遺症を残しているのか。
そして、その見えない呪縛から、いかにして自由になれるのかを解き明かすことです。では、早速紐解いていきましょう。
ええ。戸場さん自身、長年受験生を志望校に送り出す仕事をされてきたからこそ、受験がもたらすポジティブな面も、目をそらけたくなるようなダークな面も熟知されています。
現場のリアルを知り尽くしているわけですね。
そうです。だからこそ、このエッセイの本当に素晴らしいところは、単に学歴社会は悪い、だと外側から批判して終わるんじゃないんです。
学歴という勝ちづけに思わず平復してしまう、私たち自身の心の動きそのものを解剖しようとしている点なんですよね。
なるほど。いや、読み進めていくうちに、これ私のことだってドキッとさせられる瞬間が何度もありました。
まず、このエッセイの序盤で登場する作家の佐川京一さんの学歴教の死というエピソードから紹介させてください。
はい。強烈なエピソードでしたね。
佐川さん自身、京都大学出身といういわゆる超高学歴でありながら、自分のことを重症の学歴中って呼んでいるんですよ。
なかなか自虐的ですよね。
しかも、いまだに自分は東大・京大病のせいぜい感慨状態にあるに過ぎないと辞任しているんです。感知じゃなくて感慨ですよ。
その感慨という言葉のチョイス、実に絶妙ですよね。
症状は一時的に落ち着いているように見えても、何か引き金となる条件が揃えば、いつでも再発する病気のようなものだというニュアンスです。
これは佐川さん個人の赤白かな告白であると同時に、現代社会全体への鋭い診断のようにも響きます。
大人になって、もう学歴への執着なんてないよと思っている私たちの多くも、実はその病を抱えたままなんじゃないかと。
他社からの評価とか、社会的な序列への敏感さとして、ただ感慨状態にあるだけじゃないのかと突きつけられるわけですね。
ええ、戸場さんはそう問いかけているんです。
本当にそうですね。そして佐川さんが通っていた新学校のエピソードが、もう衝撃的すぎて。
あの英語の先生の話ですね。
はい。東大・京大国公立医学部以外を志望する生徒は、家畜医科として扱われるような、いわゆるスーパー学歴洗脳施設だったそうです。
そこで、ある英語教師が、出来の悪い生徒の答案用紙に鼻を近づけて、くんくんと匂いを嗅いで。
匂いを嗅いで?
神戸大学の匂いがするって叫んで生徒を情けめたというんです。
いや、すさまじい光景ですね。
ちょっと待ってくださいよ。答案用紙の匂いを嗅ぐって、これ教育というより完全な洗脳であり異常な差別じゃないですか。
客観的に見ればおっしゃる通り異様な光景です。
しかし、ここで私たちが考えなければならない非常に興味深いポイントは、なぜ人はそこまで異常な空間に耐え、己を削ってまで高学歴を求めるのか、という構造そのものなんです。
なぜそこまでしてと。
佐川さんは身も蓋もなく、一言で言えば、見栄のためだと告白しています。
もしこの国が東大や京大に高い価値を認めないような社会だったならば、自分が京大を目指すことはなかっただろうと。
純粋な学問への探求心じゃなくて、見栄ですか。
そうです。これをフランスの社会学者ピエル・ブルデューの概念を借りて説明するなら、公認の権力としての象徴権力への欲望と言えます。
象徴権力への欲望、ちょっと難しく聞こえますが。
例えば、高級時計のロレックスを思い浮かべてみてください。
ロレックス、はい。
人はただ時間を知るためだけに何百万円も払うわけではありませんよね。
まあ、スマホを見れば時間はわかりますからね。
そうなんですよ。つまり、社会全体がロレックスを成功の証として特別な価値があると承認している、その事実そのものを買っているわけです。
ああ、なるほど。すごく腑に落ちました。
学歴も同じです。東大でこの学問がしたいという純粋な欲求以上に、社会が東大や京大を特別なものとしてちやほやしてくれるという状況、そのものを欲望しているんです。
つまり、社会からの承認を買うための競争なんですね。
その通りです。欲望というのは常に他者を経由して作られます。
この象徴権力への欲望が無意識のレベルまで深く沈み込んでいるからこそ、学歴競争はあれほどまでに人々を借り立てる恐ろしい力を持つわけです。
いやあ、これを聞いているあなたも、自分自身の見栄とか他人から認められたいという欲求を、純粋な向上心とか学問への関心といった社会的に正当とされる美しい言葉でカモフラージョした経験、思い当たる節はないでしょうか。
誰しも心当たりがある痛いところをつかれますよね。
受験勉強の功罪と構造的矛盾
正直私はかなり耳が痛いです。でも、ここで一つ素朴な疑問をぶつけてもいいですか。
はい、何でしょう。
そこまでして身も心も削って勝ち抜いた受験勉強って、社会に出てから本当に役に立つのでしょうか。
まさにそこが最大の論争の谷になるところです。実は佐川さんも受験勉強の功用については一定の評価をしているんです。
あ、評価しているんですね。
ええ、受験というのは、講義のすべてのゲームの亜種であり、そこで培った方法は他のすべてのゲームに応用可能だと。
ゲームの亜種?
つまり、思考のフォーム、そして目標に向かって努力を続けるフォームを作る訓練として、受験は非常に有効だという見方です。
なるほど。経済学の人的資本論の観点からも、そうした能力は評価されると資料にありましたね。
ええ、抽象的思考力や長期間にわたる持続的な努力、自己規律といった能力は、労働市場において間違いなく高い価値を持ちます。
確かに、仕事でも求められるスキルですよね。
その意味で、受験というシステムは一定の妥当性と、客観的に見て非常に確実で大きなリターンがある競技だと言えます。
はい。
トバさんもエッセイの中で、教育制度を批判する学者たちも、本来は自分も学歴様のお世話になっていますが、と前置きすべきだと皮肉をこまえて指摘しています。
確かに、激しくシステムを批判している人たち自身が、そのシステムで勝ってきた高学歴者だったりしますもんね。
そういう矛盾はよく見られますね。
この受験は役に立つのかという問いについては、有識者の間でも意見がまってぱつに割れているのが面白いところです。
はい。哲学者の千葉雅也さんは、受験勉強は役に立つという立場ですが、一方で数学教師の妹陽儀さんは、役に立たないという立場を取っているそうです。
専門家の間でも結論が出ていないんですね。
ええ。受験で身につけた方法を社会で応用できるか、あるいは本人が応用することを選ぶかによって、その後の人生での意味合いは大きく変わるのでしょう。
人それぞれという部分も大きいと。
しかし、この役に立つというシステムには、絶対に目をそらしてはいけない、非常に残酷な構造的矛盾が隠されているんです。
残酷な矛盾ですか。
それは、この競争が不可否的に膨大な数の負け組を生み出してしまうという点です。
そうなんですよね。ピラミッドの頂点に立つごく一部の人間以外、つまり99.9%の人々に、自分は負けたんだという強烈な負け組意識や、そもそも競争に参加すらできなかったという疎外観を植え付けてしまう。
そしてそれが次の世代、つまり子どもたちへの深刻なプレッシャーへと繋がっていく。
ここからは、その大人の欲望の代償を払われている子どもたちの現実について触れていきたいと思います。
はい。少し胸が苦しくなるような話になりますが、非常に重要なポイントです。
子供たちへのプレッシャーと教育産業の構造
近年、特に首都圏などでは、小学受験や中学受験の低年齢化と加熱が止まりませんよね。
そうですね。これを社会の全体像とつなぎ合わせて俯瞰してみると、背景には大きく二つの要因が絡み合っていることがわかります。
二つの要因。
一つは、優秀な人的資源を早期に囲い込もうとする学校側の資本主義的欲望です。
学校側の欲望。
そしてもう一つは、親が抱える我が子が将来苦労するのではないかという不安をハッキングして利益を生み続ける教育産業の構造です。
不安をハッキングするという表現はハッとしますね。
例えば、最近発表された英検6979の創設などがその典型だと戸場さんは指摘しています。
6979ですか。
本当に低年齢の子どもにそれが必要なのかという教育的意義よりも、親の不安を煽り、それを資本化する論理で駆動している側面が強いのではないかと。
いやー、その大人の不安と欲望の犠牲になり、心が壊れていく子どもたちの具体的なエピソードがエッセイには綴られていました。
これを読んだ時、私は本当にショックで言葉を失いましたよ。
胸が締め付けられますよね。
例えば、親の期待する成績に届かないという強烈なプレッシャーから、親のクレジットカードの暗証番号を盗み見て現金を引き出し、ゲームセンターで20万円も使ってしまった小学6年生の男の子の話とか。
プレッシャーの反動がそこに向かってしまったんですね。
さらに、日常生活から完全に笑顔が失われてしまった小学4年生の女の子の話もありました。
あのロケット花火の女の子ですね。
はい。彼女が笑うのは走行中の車に向けてロケット花火を撃つという危険な遊びをしている時だけだったそうです。
危険な行為でしか心のバランスを保てなくなっていた。
なぜそんなことになってしまったのか。彼女は家に帰れば漢字の書き順を少し間違えただけで、親からひどく叱責され続けていたんです。
警察に報道されたその日の夜23時を回っているにも関わらず、親は彼女に塾の宿題を終わらせなさいと求めていたと言います。
これ本当に胸が痛みます。
ここで非常に重い事実をお伝えしなければなりません。
厚生労働省の統計によれば、2025年の小・中・高生の自殺者数は過去最多の532人に達しました。
過去最多532人も。
全世代の自殺者数が過去最少を記録しているのとは対照的に、若年層の自殺だけが突出して増加しているんです。
なぜ子どもたちばかりが。
その原因の過半数は学業不振や進路、入試に関する悩みでした。
戸場さんはこの異常な事態を大人の期待と欲望を背負わされた結果としての事実上の多殺だと強い言葉で警鐘を鳴らしています。
事実上の多殺。重い言葉ですね。
でも、親の多くは子どもが自分で受験をやりたいと言ったからって口にしますよね。
私自身周りでそういう言葉をよく耳にします。
そこが最も厄介なポイントなんです。
戸場さんに言わせれば、子どもの意思なんて日々移ろい変化するのが当たり前です。
まあ、小学生ですからね。
それを大人の欲望を叶えるための現実として使ってはいけないのだと。
現実を取る。なるほど。
子どもは、親の不安が作り出した過酷な競争という現実に閉じ込められ、やがて期待に応えられない自分自身を出来損ないだと責めるようになってしまいます。
つまり、大人たちが自分自身の受験後遺症、学生時代に植え付けられた負け組意識やコンプレックス、あるいはもっと上に行けたはずだという感慨状態の病を無自覚のうちに子どもに投影してしまっているんですね。
まさにその通りです。
自分を否定したはずの競争社会の価値観を、深底では捨てきれないまま、うちの子だけには自分と同じ惨めな思いをさせたくないと狂信的に教育に熱を上げる。
それが結果として、地獄の脚本を子どもに押し付けることになってしまっていると。
ええ。これを聞いているあなたも、親戚の集まりや職場で、あるいは子育ての場において、無意識に誰かと学歴や子どもの成績でマウントを取ってしまった、あるいは取られた経験があるのではないでしょうか。
ありますね。間違いなく。
この見えないプレッシャーの連鎖は、私たちが自覚しない限り決して終わることはありません。
本当に恐ろしい連鎖です。
後遺症からの解放:新しい視点と「好きな呪い」
じゃあ、私たちは一体どうすればこの構造から抜け出せるのでしょうか。過去のトラウマや、親から受けたプレッシャーを一生恨んで生きるしかないのでしょうか。
いえ、そこが今回の最も重要なポイントになります。
トバさんは、親や環境のせいにして自分を被害者として固定化するのではなく、全く新しい視点を持つことを提案しています。
新しい視点。自分が苦しいのは親のせいだ、社外のせいだと原因を求めるだけじゃダメだと。
そうです。心理学でいう原因規則は、自分を責めすぎないための一時的な避難所としては有効です。
しかし、それにずっと囚われてしまうと、自分は被害者だから何もできない、という無力感の檻から抜け出せなくなります。
なるほど。
大切なのは、そこから位相を少しずらして、現在の側に自分を支える手応えを構築していくことです。
その見事な実践例として、関流人である倉田マナさんのエッセイ、「死んでいるのにおしゃべりしている」が紹介されていましたね。
彼女のケースは非常に示唆に富んでいます。
彼女は、新学校で学業に挫折して、東大に進学してバリキャリになるという社会的な正しい道から外れてしまったという強烈な自意識とコンプレックスを抱えていました。
でも、彼女は人生をリセットして、人間らしさを取り戻そうとはしなかったんですよね。
そこが彼女の最も素晴らしい、そしてラディカルな点です。
学歴社会という整った世界の権力は、現実として厳然と存在します。
そこから完全に逃げて、人生をまっさらな状態にリセットすることなど不可能です。
なかったことにはできないと?
だから倉田さんは、その呪いを無理に振り払うのではなく、閃流という好きな呪いで自分自身を上書きする道を選びました。
好きな呪いで上書きする、この言葉すごく胸に響きました。
でも、閃流がなぜ呪いの上書きになるんでしょうか?
非常に面白いメカニズムです。
受験勉強というのは、決められた枠組みの中で正解を出し続けるという、ある種の脅迫的なエネルギーを必要とします。
倉田さんは、その体に染み付いた脅迫性や執着性を消し去るのではなく、閃流の5・7・5の定型という別の枠組み、自分が愛せる別のルールにそのエネルギーを全振りしたんです。
あー、なるほど。エネルギーの向かう先を変えたんですね。
ええ。すでに社会から否定され、傷ついた自分の体の横に言葉を操る技術を通じて、もう一つの体を獲得した。これが上書きの正体です。
いや、すごく腑に落ちました。自分の偏りとか、受験で身についてしまった執着心を否定するんじゃなくて、あえて自分で選んだ別の呪いに身を投じることで、社会が押し付けてくる超自我という呪いを無効化してしまったわけですね。
まさにその通りです。
それこそが後遺症を抱えながらも自分らしく輝く生き方なんだと、すごく大会です。
受験の勝者であれ敗者であれ、あるいは全く別の道を歩んだ人であれ、私たちは皆、社会の中で何らかの偏りや傷を抱えて生きています。
しかし、その傷を無かったことにするのではなく、自分が選んだ情熱や執着で塗り替えていく、その後遺症のゆまみがあるからこそ、生み出される独自の輝きや深みがあるのだと、このテキストは私たちに教えてくれます。
素晴らしいですね。今回の深掘りでは、戸場若志さんのエッセイを元に、受験後遺症というテーマに向き合ってきました。
学校や学歴が作り出す見えない象徴権力、それが子供たちに教える残酷なプレッシャーの連鎖、そして私たちが無意識に抱くその後遺症を自覚し、それを好きな呪いで上書きしていくという、力強い生き方のヒントが見えてきました。
過去を否定せず、新しい身体を獲得していくプロセスですね。
はい。これを聞いているあなたにとって、過去の経験やコンプレックスを上書きできるような、好きな呪いとは一体何でしょうか。
それは、仕事で夢中になって培った専門スキルかもしれませんし、社会的な評価とは全く関係のない、時間を忘れて没頭できる趣味かもしれません。
自分だけのルール、自分だけの枠組みを見つけることが大切ですね。
最後に、リスナーのあなたに一つの問いを投げかけたいと思います。もし、私たちの社会が、どのテストに合格したかという過去のスペックではなく、どんな挫折や傷を経験し、それをどう自分なりの形、つまり別の呪いで上書きしてきたかという、回復の履歴を最も高く評価するようになったとしたら。
回復の履歴ですか。
はい。私たちの教育の形や日々の事後肯定感は一体どのように変化するのでしょうか。次に誰がの経歴や履歴書を見るとき、ただの文字の羅列として判断するのではなく、少しだけその裏にある、上書きされてきた物語を想像してみてください。
きっと見え方が全く変わってくるはずです。
本日の深堀はここまでです。最後までお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございました。
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