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#62 身体に残る「学校」の影響とは?学校のしんどさ、縛られたままの大人が生き抜くすべ、あれこれ。(2026.3.20収録)
2026-05-29 1:04:50

#62 身体に残る「学校」の影響とは?学校のしんどさ、縛られたままの大人が生き抜くすべ、あれこれ。(2026.3.20収録)

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今回は、私たちが好きで時々本を読む、鳥羽和久さんの「学校後遺症から自由になる」をテーマにした講演をきっかけに、感じたことを話しています。

 

みなさんは学校にどんな思い出や印象を持っているのでしょうか。

私自身、悪い思い出ばかりではありませんが、しんどいことは多かったように思います。

評価にさらされて、自分はこれが苦手だと思いこまされる。集団行動についていけない、またはそれを責められる。

勤勉さや素直さなど、学校にとって、いや社会にとって都合の良い価値観が是とされることにも薄々気がついて腹が立っていましたが、それがちゃんとできない自分に劣等感がありました。そういうことを言語化できたのは大学以降ですが。

 

時間割があって評価軸が存在する、そういった場の後遺症として身体が硬くなるというような視点は面白いなと思います。私自身、身体の使い方がずっと下手な自覚があるからです。

日本人の表現の苦手さもここから来ているんじゃないか、という話も興味深い。

「表現」「つくる」ことの価値は、ほかの自分の好きな分野でも再確認されているもので、やっぱり人間が「頭」から「身体」に還ろうとしている潮流はあるのかな、と感じます。

これを頭だけでなく、実際に私の身体に落とし込む術をいつも探しています。

 

今回長すぎてついに1時間を超えてしまってます。聞き返すのを先延ばしにしすぎて、こんなに更新の間が開いてしまいました。

長尺すぎて誰が聞くねんという気持ちもありつつ、悩みながらも深い回ではあると思うので、お暇なときにぜひ。

 

#あきさめpodcast

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#学校後遺症

#教育

#子育て

#学校教育

#雑談

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サマリー

このエピソードでは、鳥羽和久氏の著書「学校後遺症から自由になる」をきっかけに、学校教育が大人になった私たちの心身に与える影響について深く掘り下げています。学校という制度空間が刻み込んだ規範や評価、序列、管理の痕跡が、卒業後も無意識の行動パターンや感情反応として作動し続ける「学校後遺症」という概念が紹介されます。具体例として、勉強や計算への苦手意識、評価される状況での緊張、球技や集団行動の苦手さ、空気を読みすぎる傾向などが挙げられ、多くの人が共感できる内容となっています。 さらに、背の順に並ばせることや時間割、給食といった学校の慣習が、実は個人の自由や多様性を抑圧している可能性が指摘されます。これらの慣習は、大人になってからの時間管理や集団行動における価値観にも影響を与えていることが語られます。また、日本人が表現や創作を苦手とする傾向も、学校での評価や他者の目を気にする文化に起因するのではないかという考察が展開されます。身体が硬くなる、表現が苦手になるといった「学校後遺症」は、現代社会において「頭」から「身体」への回帰を促す潮流の中で、どのように解放されていくべきかが議論されます。 番組後半では、この「学校後遺症」という概念が、単なる過去の経験への対処療法に留まらず、日本人の国民性や社会構造にまで言及する広範な射程を持つことが示唆されます。大人になってからも無意識のうちに他者を排除してしまう可能性や、学校というシステムが内面化され、変化しにくい現状についても触れられています。最終的には、この概念が、過去の自分を救い、より良い生き方や教育のあり方を模索するきっかけとなる可能性について語られ、深い考察がなされています。

鳥羽和久氏の「学校後遺症」との出会い
スピーカー 2
はい、回しました。
スピーカー 1
はい、なんかそう、今日ゲントクさんに喋ろうと思ったのが、
あの、なんか、とばさん、とば和久さんが私たち、わりと好きじゃないですか、
はい。
あの、本を読んでるんですよ。
うん。
何の本読みました?とばさん。
スピーカー 2
えーっと、あの、新書のやつだね。えーっと、ちょっと待って。えーっと。
スピーカー 1
なんだったっけ?主役のやつですか?あの。
スピーカー 2
そうそうそうそうそう。
スピーカー 1
君の、君の、何だっけ?
スピーカー 2
君は君の人生の主役になる、だから。
スピーカー 1
あー、うんうんうん。私それ読んでないんですけど。
あ、そうなんだ。
そう、なんか、なんだろう、一番初めに読んだのが、親時々子供っていう本で、
で、そう、なんか結構その、ま、塾、学習塾をやってはる人って、
そうですね。
めっちゃ教育とか親子問題とかについて書いてるけど、なんかその視点が良すぎるってめっちゃ思ってるんですけど。
そう、で、それで、なんかNHKカルチャーで、あの、講座をやってるのを見つけて、
うん。
で、あの、申し込んじゃったんですよ。4回。
スピーカー 2
すごい。え、それは、え、結構何、お金かかるの?
スピーカー 1
あ、かかります。4回で1万円ぐらいかな。
おー、結構。
そうそうそうそう。
スピーカー 2
で、1回90分ぐらい、なんか講義みたいな感じで。
スピーカー 1
あ、そうですそうです。1回90分ぐらいかな。で、あの、4回分あるんですけど、1回が終わったんですけど、
なんかテーマが学校校衣装から自由になるっていうテーマなんですよ。
スピーカー 2
あ、はいはいはい。最近ね、学校校衣装っていうテーマで、なんか、なんだろう、インターネットの記事とかにもあったりとかして。
スピーカー 1
はいはいはい。なんか連載書いて貼る?
うん。
そう、で、すごいね、あの、まあテーマがすごい面白そうだったので申し込んだんですけど。
はいはいはい。
そう、1回目が終わって、めっちゃ良かったです。
スピーカー 2
おー。
スピーカー 1
なんか、すごいなと思って。
スピーカー 2
うーん、なんだろうな、なんか、まあ基本的には大学の講義と似たようなものをイメージしたいの。
なんか、あの、なんていうか、パワポのスライドみたいなので、まあ必要なところはあったりだったりとか。
スピーカー 1
あ、そうですそうです。
スピーカー 2
そういう用語の説明だったりみたいなのがあるようなイメージ。
スピーカー 1
うんうんうん、そうですそうです。パワポの、あの、もう本当に学校の、なんか福祉系とか教育系の授業にめっちゃ似てました。
なんかこんな感じだった、大学って思いながらパワポのところにメモったりとかして。
スピーカー 2
はいはいはいはい。
スピーカー 1
そうそうそう、すごいね、面白かったです。なんかこう、なんやろうな、なんか学校衣装の、なんだろう、学校衣装のまま引きずった大人の解像度が高すぎるのと。
そうそうそう、あとはでも、もう、なんだろうな。
なんかそれは別にその学校が、まあ学校が悪いというか、学校の制度上問題があるよねっていう話ではあるんですけど、でもそのそれだけで終わらないというか。
なんかその、なんか学校衣装の大人がもう一回こう、なんか傷を抱えたまま、なんか、あの世界と交わるためにはどうしたらいいのかみたいな考えを、なんか騙されてるっていう感じで、めっちゃ面白かったんですけど。
そう、まあ学校衣装っていうね、なんか概念がまず面白いなと思うんですけどね。
「学校後遺症」の定義と具体的な現れ
スピーカー 2
まあそうね、自分もちゃんとわかってないんだけど、学校衣装っていうのはその学校が内面化させるような価値観みたいなのを引きずってる大人みたいな感じなのかな。
そうですね、なんかあの、なんか抜粋したやつを読むと、学校衣装とは学校という制度空間が長期に渡って、子供の体、内面、関係性に刻み込んだ規範、評価、序列、管理の痕跡が、学校を離れた後も無意識の行動パターンや感情反応として作動し続ける状態を指すということでした。
なるほど、わかりやすい。
スピーカー 1
そうそうそう、だから別に学校を卒業した後でも、いや本当にもうなんか社会全体が、なんかそういう学校のような、なんだろうな、囚われ方、だから本当にそれはその考え方だけじゃなくて、体の反応、なんか体がそこに染められてしまってるみたいなイメージでしたね。
そうそうそう、なんか本当に書いてあるんですよ、どういう例がいっぱい書いてあるんですけどね、本当になんか、大人になっても勉強に苦手意識がある、計算が苦手、常に正解を探そうとしてしまい自由に考えることが苦手とか、誰かに評価される状況になると緊張するとか、人から注意されると過剰に反応してしまう、球技が苦手、球技が苦手って書いてある。
解像度と思って、球技が苦手、グループ行動に苦手意識がある、人前で話すのは苦手、人前で歌うのはちょっと無理、体の動かし方を人に見られるのが苦手、いつも私は姿勢が悪い気がする、服装や髪型は清潔、控えめにがしみついている、みんなと同じでないと不安、過剰に空気を読みすぎる、場のリーダーへ余計に苦手意識があり、自動的に避けたり従ったりしてしまう、沈黙が怖いとか、
本当に解像度っていう感じなんですけど。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
いろいろ縛られてる価値観みたいなのがバーっとされてて、
それは本当に自然な反応としてあるなっていうのを思ったのと、
あとはなんか、結構当たり前とされてることとかにも疑問というか、
例えば背の順っていうのは人権侵害だみたいな話をしてて、
子供を身長順に並ばせるっていうことが、よく考えてみたらどうなんだっていう話。
前の人が見えやすいじゃないですか、ちっちゃい子も見えるっていう合理性で言うならば、大人のライブ会場とかも全部背の順になってるはずですよね。
でもその、なんで大人は背の順で管理。
でもそのライブ会場が背の順になったら多分結構な批判が来ると思うんですよね。
スピーカー 2
それなのに学校ではそれが起きてると。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
なんかそれがなんでかっていうことを多くの人は考えないみたいな話とか、
あとは時間割り、時間を公平に区切るっていうことに問題があるみたいな話とか。
スピーカー 2
時間割りってことね。
スピーカー 1
そうですね。
結構ね、とばさんの塾だと無時間割りみたいなのやってるらしくて、
やめたくなったらやめるとか、飽きたらやめるみたいなのが結構やってるらしくて。
まあでも人によって違うじゃないですか、処理速度とかって。
だし、今ちょうどできるようになってきたのにみたいなのが、あるタイミングでやめさせられたりとか、
やっぱ時間を区切って管理するっていう目的が結構大きいから、
本当に学習するときに時間割りっていうものが必要なのかっていうと、それはちょっと微妙だなと思うんですけど。
スピーカー 2
確かに面白いね。
自分も話聞いてて思うのは、自分は今会社でホワイトカラーで仕事してるけど、
そういう人たちは結構ね、仕事が時間割り的になってると思う。
例えば定例の会議みたいなのが、例えば月曜日の午後3時から1時間毎週ありますみたいなものであったりとか、
それってもうスケジュールみたいなのに予定を入れていくんだけど、
それの入れ方っていうのがやっぱり基本的には、きりよく1時から2時、2時から3時みたいな感じで1時間の枠で入れていくじゃないですか。
その感覚が完全に小学校の時間割りの感覚と一緒だよね。
それがもうフレキシブルになっただけっていう。
スピーカー 1
確かに会社も学校なんですよね。
だって12時から1時が昼ご飯とかあるじゃないですか。
休憩、毎日それで休憩1時間だし。
そもそもその管理下に置かれてる仕組みのままというか。
だってそもそも週2が休みですもんね、土日が週2、休みでっていうのも一つだし。
いや本当にそう、それもね、なんか言ってましたよ、なんだっけ。
学校給食の話か。
今昼休みが12時から1時みたいな話をしたと思うんですけど、
学校給食っていう制度も呪いみたいな話をしてて、
正しい生活っていうものを身につけさせようとしてる。
だから海外に行った時に思ったのが、何時からご飯っていうのがない。
だからご飯、13時とか回ってご飯食べないんですか?みたいなの言っても、
ご飯は好きな時のお腹空いた時に食べるんだよ、みたいな感じで、
何時から、日本人は本当にそこの辺の時間意識が学校教育の影響でしっかりやるけど、
もうお腹減ったら食べるし、別に3食も食べないし、
スピーカー 1
休食だと味噌汁、ご飯、魚とか栄養バランスがちゃんとしてるじゃないですか。
でも海外だと普通にバンって大皿一つとか、
そんなに日本ほど栄養バランスをしっかり考えられた食事っていうのは普通に少なくて、
だからお母さんとかが栄養バランスをしっかり考えてない食事を出した時に、
ごめんね、みたいな罪悪感になったりとか、
正しい生活ができてないみたいな思い込みがあったりするけど、
そもそもその正しい生活っていう擦り込みがやっぱり学校給食なんじゃないかみたいな話をしてて、
時間も量もそんなにちゃんとしてなくていいのに、
ちゃんとしなければいけないっていうのはやっぱり学校給食の流れなんじゃないかっていうのがあったんです。
学校システムと大人の社会の類似性
スピーカー 2
公罪だよね。
もちろん良かれと思ってやってたはずなんだけどね。
その話で言うと、自分に直接関係ある話じゃないけど、
めちゃくちゃそうだなって思ったのは、
運動部の人で早弁するみたいな、
うちの学校は早弁するの絶対ダメみたいな感じだったんだけど、
なんでダメなのかが全く理解できなかったのね。
スピーカー 1
そりゃそうですね。
今思えば意味わかんないですよね。
スピーカー 2
自分、当時から意味わかんないなってずっと思ってて、
別に人のもの食べてるわけじゃないからさ、いいじゃんっていう。
しかも朝ごはん食べてなくてとかだったら頑張って食べたらと思うけど、
多分朝ごはん食べて朝練とかしてて、
お腹空いたから早弁してますって、
健康的じゃんねって思うけどね。
スピーカー 1
本当に本当に。
食べるっていう時間を管理したいんですかね、その学校が。
今は食べる時間だよ、食べない時間だよみたいなのが意味不明に管理されているというか。
スピーカー 2
先生からしたら不安ではあるのかもしれないよね。
早弁を許容することによって、
秩序がめちゃくちゃになるんじゃないかみたいな不安を感じる人がいるのかもしれないけど。
スピーカー 1
その秩序っていうものの存在自体がよくわからないですよね。
スピーカー 2
それは本当に必要な秩序なのかっていう、そういう気にはなりますよね。
確かに。
スピーカー 1
いやもうこれは全然関係ないですけど、
私の中高とかもかなり厳しかったんですけど、
まあいっぱいあるんですよ、男女が見えるように手を繋いで帰らないみたいな。
意味わかんないですけど。
ある意味風紀が乱れるみたいなのとか、
高校の時も文化祭で、
最後に文化祭実行委員がバンドで演奏したいみたいなの言ったけど、
結構先生たちから反対を食らって、
ちょっとどうなったか忘れたんですけど、
バンド演奏っていう形は認められて、
名目が合唱になったのかな?
めっちゃどうでもいいなと思ったんですけど、
合唱になることによって治安保たれるか?みたいな。
とにかく文化祭っぽいノリを嫌う?抑える?みたいな風潮があったので、
だから名目が合唱になって、
文化祭実行委員の人が前で帰省して歌わないみたいな、
何らかの条件によって認められたんですけど、
本当にどうでもいいなと思いましたね。
何を恐れてるんだろうなぁとちょっと思いましたけど、
表現の苦手さと身体の硬直
スピーカー 1
あれは学校の問題というか、
学校全体というよりはあの学校の問題な気がするんですけど。
スピーカー 2
やっぱりそれだけ日本の教育において、
学校っていうものがとても中心的というか、
なくてはならないというか、
そういう存在にやっぱりなってるっていう、
そこがやっぱり国民の中で内面化されてるっていうのがまず一つあるし、
スピーカー 2
そこから学校による教育っていうのを要するに内面化して、
人が大人になってるっていうことがやっぱり循環してるっていうことなんだろうね。
スピーカー 1
そうですね。
なんか結構、何だろうな、
他にも表現することに苦手意識を持ってる日本人が多いのも、
学校の常みたいな話をしてて、
これは本当にね、玄関さんの言ってたことと繋がるなと思うんですけど、
例えば、自由に表現してくださいっていう場ってあんまりないじゃないですか。
基本的に人に見られてて、いつでも人に見られて評価されるっていうのがあるから、
体がこわばるじゃないですか。
だから自由に上手い子、下手な子っていうのがやっぱり序列として存在するわけだし、
だからどんどん表現っていうのにこわばりが出てくるみたいな話で、
例えば海外、
そばさんがおっしゃってたのが、
キューバとかインドとかに行ったときは、
他の国でもあると思いますけど、
みんなが踊ったり歌ったり大人が平気で、
みんな路上とかでやる、
人前で歌ったり踊ったりするのをやるけど、
日本人で人前で歌ったり踊ったりできる大人ってかなり少数派ですよね。
当たり前のように、
人前で自分を表現することが苦手な人が多いっていう話をしてて、
これはポッドキャストの一番最初に話したことだよね。
嫌なと思って。
いつの間にか、
小学校のときぐらいまでやってたけど、
いつの間にか辞めるようになったみたいなのを、
ポッドキャストでも表現について、想像について言ってたと思うんですけど、
スピーカー 1
もっとその前からやなと思って。
小学校の仕組みというか、
学校でやってることによって、
どんどんそれがもうすでに奪われていってたんやなっていうのはすごい思いましたね。
スピーカー 2
それはね、
自分もね、人前で表現ができる人カウントされてしまうのかもしれないが、
それはあくまで一部的なものであって、
自分人前で歌は無理だし、歌無理、絵が無理、
あとはめちゃめちゃ細かい絵っていうか個別の話で言うと、
高校生のときに国語の先生が一人一個、あれ何だったかな、
普通にあれだったかな、
やばいパッと出てこないけど、何だっけな、
単歌の方だったかな、単歌の方か俳句の方か忘れたけど、
どっちかが一人一個作ってみたいな感じになって、
自分がなかなか出せなかったね。
だからそれはもう本当に、
とばさんの学校行為証そのものだと思う。
出せなかった理由っていうのは、
人に評価されるとか、上手い下手な人とか、
スピーカー 1
それでできなかったね。
なんかもう、教室の中で自由に出してねっていうこと自体が、
もうなんかその評価に晒されてるというか、
これは何なんだろう。
本当に私も人にどう思われてるかを気にする妖怪だったので、
全然もう何もできないですね。
今でも人前で、
なんかそれこそさっき学校行為証の例で出てきた、
人に体の動かし方を人に見られるのが苦手、
いつも私は姿勢が悪い気がするっていうのとかが本当にそうと思って。
私は本当に運動神経悪いので、
結構私が立ったり座ったりするところとか、
動いたり撮ったりするところを誰も見ないでくれみたいな気持ちが本当にある。
一挙手一投足を見ないでほしいみたいな気持ちがめっちゃあって、
スピーカー 1
だから街中とかでも結構嫌ですね。
もうそれぐらい見られるの嫌っていう。
初対面の人と会った時とかにじーっと見られたりとか、
足とかつま先からバッと見られたりとかするのとかめっちゃ苦手で。
だからめっちゃ解像度高って思うんですけど。
「作る」ことの価値と子供たちの創造性
スピーカー 2
でも表現の話で言うなら、この番組も表現の一つでありますから、
いつかもしかしたら人前でポッドキャストをするみたいなことも。
スピーカー 1
リアルタイム厳しい。
まだこうやってクローズドな場で喋ったものを後からオープンにしてるからまだいけるんですけど、
それもだいぶ違うんですよ。今まではやってなかったので。
スピーカー 2
もちろんもちろん。全然ね、それとは違いますけど、
いや、もしかしたらね、お客さんを入れてトークイベントみたいな。
スピーカー 1
うーん、確かに。
いやでも本当にね、なんか作るの話をすごいね、してて、
なんか、やっぱりこう作る、見ると作るを取り戻すみたいな話をしてて、
やっぱりこう、なんだろうな、学校校医症を抱えて体が怖ばった大人を、
やっぱりこう、何らかの方法で解放するみたいな視点になってて、
いやそれは、やっぱそういう潮流ってあるんやな、みたいなのを改めて思ったというか。
だから作ることを恥ずかしがらない練習みたいな、
自分の作った、そんなに上手くないものとかを積極的に子供たちに見せていったりとかしてるとか、
あとなんか、とばさんが現代潜流にめっちゃハマっているらしく、
現代潜流を子供たちとやってる。
スピーカー 2
中学生がめちゃくちゃいいやつたくさん作るっていう。
スピーカー 1
そうそうそうそう、それがめっちゃよかったですね。
なんか面白かったのが、なんかとばさんがおっしゃってた、
なんか全生15歳ピーク生ってのになって、
中学生っていうのが一番外界にまだ染められてないというか、
現実に染められてなくて、
でもなんか10歳ぐらいまでの子供っていうのが世界と交わってるみたいな話をされてて、
なんかもう、なんだろう、
現実に染まってなくて、
自分の手で何かがゆらゆらしてるのを見るだけで面白かったりとか、
自分の手で何かをやってみて、できたっていうのを、
なんか純粋に世界と交われるのは10歳ぐらいまでみたいな。
それ以降になるとやっぱり現実に染まっていってしまうんやけど、
それが18歳ぐらいになるともう完全に染まってしまう。
15歳ぐらいから淡いというか、
まだ自分の手で何かしてたりとか、世界と交わってた手触りをまだ持ってる。
持ってるけど、現実ともガンガンぶつかってるわけで、毎日。
だからその真ん中らへんにいるのが15歳ぐらいで、
そういう中学生と線理をやりたかったみたいな話をしてて、
すごい面白い詩がいっぱいあって、
多分ツイッターとかにも上げてありますよね。
スピーカー 2
上げてます、上げてます。すごい面白いですよ。
スピーカー 1
すごい面白いなと思ったんですけど、
なるほどねと思って、
クルーの話がここでも聞けたんだなって。
スピーカー 2
そうだね。
「作る」ことと生活の連続性
スピーカー 2
多分、とばさんとかが、
多分そう思ってそうだなみたいなことを言うと、
たぶんその作るっていうものが、生活とある程度、
持続になっているものがいいんだと。
絵を描くにしても何を描くか、
その背景線、線理を読むにしても何をテーマにして読むかみたいなものが、
ある程度生活との連続性があるっていうのが、
一つ作るということに入門する上で、
なんかポイントになりそうな気がする。
スピーカー 1
確かにそうですね。
スピーカー 2
自分が実感としてどこまでそう思っているかっていうと、
まあまあ思っているといえば思っているんだけど、
でもたぶん自分以上にそういう実感を持って、
そう思っていそうだなと思う。
とばさんとかクラス。
スピーカー 1
確かに。
でも本当にね、なんかこう作るっていう話は、
他でもポッドキャストの玄徳さんと話した中でも、
表現の話もしたし、
なんか文でも書いてかな。
そうそう、原稿を。
スピーカー 2
半分没られる予定のやつね。
スピーカー 1
そう、詳しく話すと。
なんかポッドキャストの文字起こしとそれにまつわるエッセイを書くっていう取り組みを今やってるんですけど。
スピーカー 2
ここ発出しでいいんですか?
スピーカー 1
いいですよ、別にそんな予告は。
スピーカー 2
なんか話の流れでみたいなんで、発出しでいいんですか?
もっとなんか大発表に。
スピーカー 1
全然大丈夫です。
そんな大発表で、小出しにしていこうと思ってたぐらいなんで。
それで、私が玄徳さんと初めに喋ってたこととか、それに関係することとかを書いて、
玄徳さんにも書いてもらおうと思ったら、結構パンチの効いたものが返ってきたので、
スピーカー 1
要審議だったっていう話なんですけど。
スピーカー 2
半分は許されてるんだよね?
スピーカー 1
そうそう、最初と最後がちょっと私の中で物議をかもしてたっていう話ですね。
そうそう。
で、そこでも、なんだったかな、表現、そこで書いた表現から思い出した話の話で、
私が大学院の時に依存症の人にインタビューしてたみたいな話。
それで、依存症の人は適切な表現手段がなくて、そっちになってしまっていて、
どう書いたかな、とにかく安全な方法で何か自己表現を、
体を通した自己表現をする必要があるみたいな話をしてくれたんですよね。
それがすごい印象に残ってて、頭ではどうにもならない。
頭でやるかやらないかって考えてて、もうその二択でどうにもならないじゃないですか。
じゃなくて、自分の体をもっと使った自己表現をして生き抜く方法を見つけていく必要があるみたいな話をしてて、
本当に繋がるなと思って。
その玄徳さんの言ってたお話と、依存症の回復、自己表現の話と、
あと戸場さんの作るっていうお話は、本当に繋がるなと思って。
やっぱり人間が頭に偏ってて、そこから体に変えていこう、表現に変えていこうっていう潮流っていうのはあるんだなと思って。
学校教育のシステムと個人の適応
スピーカー 1
なんかそれが本当に、あ、そっか。
戸場さんがこの4回あるのでね、どういう風になっていくかわからないですけど、
こういう考えのもと、現代潜流とかをやってはるんやなみたいなのがすごい印象的だったんです。
スピーカー 2
やっぱり頭だけで生きるっていう話でいくと、
頭だけで生きてると残んないじゃないですか、頭だけで考えたことって。
それがやっぱり残るっていうのはまず大事なんだろうなと思いますし、
やっぱり自分が作ったものが残るっていうのは、やっぱり自分が生きてきた証なのであって、
自分も今中学生の時に作った動画とかが残ってるけど、
それはやっぱりその時の自分が連続性を持って生きてたっていうことだから。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
だからそういう気持ちで当時も作ってたし、
クオリティはもちろん大したことはないんだけど、
そういう気持ちで作ってたっていうことに対してのリスペクトは今の自分からもできるし、
だからそれがすごくやっぱり自分にとっては生きる上で助けになってたし、
スピーカー 1
今もなってるなっていうのはね、思いますよね。
そうですね、なんか作る表現、
私本当にそれをやらなくても生きていける世の中になってしまってるから、
それこそ学校がそれを抑制するじゃないですか、で管理するじゃないですか、一定にする。
スピーカー 2
学校ってそういうのなんか作る場を与える動きは一定あると思うんだけど、
やっぱり学校のほかで閉じてしまうなっていう、残んないなっていう一部のもの以外は。
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
そういうところにそっちにもしかしたら問題があるのかもしれないなみたいなことをぼんやり思ったりしましたね。
スピーカー 1
確かにね、残んないんですよね。
しかも別に学校自由に作らせてるって言っても本当に自由ですかっていうのは本当に自由じゃないと思うんですけど、
だってもうそもそも閉じられたクラスの中で時間割も決められて、
完全に何時までやりましょうって決められたあの箱の中で何かを絶対に作るわけじゃないですか。
で、先生がいて評価っていうシステムがもうその時間以外でも根付いてるわけだし、
そこで作れって言われて作れるかっていうのは。
スピーカー 2
自分は小学4年生の時に国語の時間で、
放課後になっても小説書いてたみたいな。
スピーカー 1
それはあれですよね、学校の課題ですか?
スピーカー 2
そう、学校の課題であって、それで楽しくなっちゃって、
紙いっぱいもらっていっぱい書いて、近くの友達に見せたりとかしてたけど、
自分はそういうのって気まぐれな子やったんで、
そういうので日がついたらやっちゃうっていうのはあったし、
そういうふうに自分は、そういう意味での恩恵を受けてた部分もあれば、
逆に高校の時の俳句だか単価だかの時みたいに、
全くそれこそ現実に染まりきったのかもしれないけど、
そういう嫌な思いもしたことがあるね。
スピーカー 1
確かに。
残ってもやってもよかったり、そういう環境があったりとか、
残ってやろうって考えたことなかったですね。
とにかく浮くのが嫌だったんで。
何でも遅かったので、行動が。
だからこう、私一人でいれない子だったから、
友達に早くついていかなきゃ、
友達に置いていかれる、移動教室でも置いていかれるみたいな感じで。
とにかく人に合わせてやる。
遅れてしまったら、もう泣いてるみたいな感じでしたね。
だからそもそも厳しいんですよ、学校って。
私、なんだろうな、
それこそ給食を時間内に食べきらないといけないのもそうだし、
体育の移動教室、体育で着替えて移動して、
時間までにグランド集合とか、
とにかく厳しくて、私もめっちゃ不器用なんで、
名札も自分で付けられないみたいな人間だったので、
とにかくいろんな場面で置いていかれることが多くて、
置いていかれるとみじめだし、周りからも見られるし、
先生にも早くしろみたいな感じだし、
学校に行くことそのものが、
そもそも生活のハードルが高いみたいな感じでしたね。
鈍臭いというか、
いわゆるスピードが遅いから、
私が仕事をしてた時とかも、
子どもたちで支援給の子とかが、
おかしい話ですよ、支援給の子たちが通常給に戻るときに、
移動教室を自分でできたりとか、
いくつかのチェック項目とかクリア項目があって、
それをクリアしないと通常給に戻れないみたいな、
なんだそりゃみたいな感じなんですけど、
とにかく学校という集団行動、
管理者に置かれている集団行動をクリアするハードルが高いというか、
それに馴染むことに何の意味が、
それより大事なことがあるのでは、
自分のペースで勉強したほうがいいのでは、
みたいなところはすごいありますけど、
それがストレスでしたね。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
今でも、そういうことをすごく多いでしょうかもしれないですけど、
やることが早かったりとか、何でも飲み込みが良かったりとか、
位置を聞いて自由をできるタイプ、
例えば家庭科の授業でバッと説明聞いてバーってやったりとか、
計算プリントバーってやって全部丸付けして出したりとか、
スピーカー 1
物分かりが良くてパパッと理解して動ける器用な子に対しては、
ものすごいコンプレックスがありますね。
スピーカー 1
君は器用だから何でもかんでもできてきたかもしれないけどな、みたいな。
こっちの気持ちなどわからんやろ、みたいなコンプレックスがありますね。
スピーカー 2
それで言うと、自分気が使える人、すごい気が回るみたいな人が、
自分がまず気づかない人で、自分が仮に気づいたとしても、
自分が気づくっていうことは周りの人はもうとっくに気づいているのであって、
スピーカー 2
であればそれで何もしてないということは、
ここで自分がそれを対応するのは間違いなのではないだろうか、
みたいな感じの思考にブルブルなって、
自分の中で飲み会がすごいダメなんですよ。
スピーカー 1
でもわかります。
わかる。
スピーカー 2
これポッドキャストで言ったことあるかわかんないけど、
飲み会とかで、人の飲み物次何しますかすら聞けない。
スピーカー 1
私も聞けないですよ。
スピーカー 2
それが聞けないっていうのが、
言ったことがあるんだけど、周りの仕事の人とかに。
だからそれがやっぱり理解余されないくて、
スピーカー 1
そうなんですか?
スピーカー 2
サラダの取り分けも自分からできないし、
飲み物次何しますかとかも聞けないんだけど、
それがなんかやっぱりよくわかんないみたいな感じになる。
多分それは、
スピーカー 1
なんで?
スピーカー 2
自分の中での学校行為症的な部分が多分あると思う。
スピーカー 1
確かに周りに気がついた人からやる、
だから気がついてる人が評価されてて、
でも全然わかりますよ。
私、サラダの取り分けもできないし、
飲み物何しますかも聞かないですよ。
完全に受け身で言ってるんです。
でも言ってることに、
居心地が悪いというか、罪悪感があって行きたくないです。
スピーカー 2
でもそれでも自分は、
全く行かないっていうことの方がマイナスがでかいと思って言ってる。
その場に居すらしないよりかはマシと思って言ってる。
失礼を働くっていう。
スピーカー 1
いや、失礼じゃないと思いますけどね。
多分誰も気づいてないんですけどね。
自分だけが気にしてるとは思いつつ、
本当に私も全然できないです。
なんかキャパオーバーになります。
人がこっちで話してる、
こっちでもなんか話してる、
何々さんがこっち見てる、
食べ物が何かある、飲み物ないみたいな状態で、
飲み物ないですねってチェックというか、
ピックアップできないんですよ、情報から。
「学校後遺症」の広範な射程と国民性
スピーカー 1
でもパニックになって、
参加もできてないような会話に、
参加をしてるふりをするだけで、
もう飲み物なんですかって聞くような脳みそなど残っていないみたいな。
でも参加もしてない。
実質何もしてないみたいな。
全部の情報を拾いすぎて、
逆に何も拾えていないみたいな状態になってるので、
全く飲み物とかもつけないですね。
自分が気づいたことが間違ってることとかも結構多くて、
だから私が何か言うよりも他の人の判断を待った方がいいのでは?みたいな。
スピーカー 2
分かる。
この手の人たちが全員思ってるのは、
飲み物のやつやったら、
勇気を出して飲み物何にしますかって聞いた瞬間に、
その横に日本酒とかがあって、
いやこれ飲んでるからって言われて、
それでもう二度と質問をできなくなってしまうわけよ。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
間違ってたみたいな。
めちゃくちゃ勇気出すって言ったのに、
判断違うやんみたいになるから。
そうなんですよ。
本当にもう、
そう。
だから、
でも私は本当にそれは全然共感できますよ。
なんでその一般の人が共感できないのかが分からないぐらい。
スピーカー 2
それはね、一般の人だからですよ。
スピーカー 1
そっちの方がマジョリティなんですか?
スピーカー 2
そうだよ。
スピーカー 1
処理できる。
スピーカー 2
少なくともうちの会社ではそうだよ。
スピーカー 1
悲しいことにね。
うーん。
結構普通に、
パニックになりますね。
スピーカー 2
そうなんですよ。
はい。
スピーカー 1
でもそういうのいっぱいあります。
もう全然。
スピーカー 2
いや本当に。
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
まあやっぱ、
そうね。
学校交流所の話になってんのかは分かんないけど。
スピーカー 1
いやでもなんか、
派生してると思いますよ、内科から。
まあそれもやっぱりこう、
なんか間違うのが怖いわけじゃないですか。
なんか評価されてるというか。
その気を使える人っていう教科項目があって。
スピーカー 2
まあそもそも、
なんか学校交流所っていう言葉自体が、
結構その、
なんか何でも適用できちゃうワードだろうなっていう感じはするのね。
誰にでも当てはまるっていうか、
いろんな要素を見ていけば。
スピーカー 1
だってまあそれはみんな学校で。
スピーカー 2
そうそうそうそう。
スピーカー 1
受けてますもんね。
学校教育を受けてるし、
いやでもなんか言ってたのが、
その学校教育を受けてない人でさえもそうだと思うみたいなって。
だからそのそれは、
学校教育を受けたような世の中とか、
学校教育を受けた大人とかと交わって育ってるから、
もう学校教育を受けてない人でさえ、
この考え方が身についてる、
なんか染みついてるみたいな話をしてたんですよ。
スピーカー 2
まあそれはそうだよね。
スピーカー 1
だからもう全員に当てはまるとは思いますよ。
スピーカー 2
だからなんか、
学校の話って言ったら、
まあそうだし、
それが原因だっていう話でもそうなんだけど、
なんかその射程にやってる話っていうのが、
なんかもう多分マシュナリズム的な話というか、
要はその、
日本人の国民性みたいなところまでの射程で多分言ってる気がしてて、
なんかそこを多分前提に聞かないと、
なんか誤解じゃないけど、
なんか変な感じで気分悪くする人がいるような気がしたから、
なんかそこはなんかね、
言葉の印象でちょっとなんか変に取り違えちゃうと、
なんかねっていう気はするけど、
そこはなんか注意したほうがいいような気がしたね。
スピーカー 1
まあ確かにね。
学校システムの不変性と再生産
スピーカー 1
まあでもその学校教育って、
なんだろうな、
思ったより変わらないですからね。
なんかこう、
何だろう、
会社とかってこう10年前20年前と全然違うじゃないですか。
もうなんか仕組み自体も全然違ったりするじゃないですか。
学校ってなんか、
私たちが小学生の時も、
母が小学生の時も、
なんかいまいち変わってないみたいな、
時が止まってるみたいな、
閉鎖的だから、
なんかそれは、
私、
まあそれをこう学校の先生たちが、
なんだろう、
まあそういう誤解を招くといえばそうですけど、
やっぱりこう、
まあそれをゼとしてる人たちも多いから、
なんだろう、
なんかこうみんなに合わせられるというか、
もうこう集団行動をなじめるほうがいいに決まってる。
まあまあその、
なんだろう、
強いから潮流が強いから、
まあそっちから浮いたら本人が嫌な思いをするんじゃないかっていう、
先回りも含めてですよ。
親とかもそうじゃないですか。
まあなんだろう、
なんか女の子だからこうしないよとかは言いたくないけど、
でも女の子の中で実際に浮いたらうちの子が困るわけじゃないですか。
そしたらなんかやっぱりその社会に合わせた予防的な教育というか、
もうこれはしない方がいいよっていう方向に持っていくから、
やっぱこの、
なんだろうな、
なんかまあそれも含めて大きい潮流が変わってないから、
私そのやっぱりこう教育現場の中でも、
そうできた方がいいよっていう価値観を持ってる人とかもやっぱり多いから、
なんかどんどん再生産されてる気はします。
スピーカー 2
そうそうそう。
そうそこなのよ。
「学校後遺症」という言葉の可能性と課題
スピーカー 2
自分が気になってるのはそこで、
その学校行為証っていう言葉を立ち上げてやっていくことによって、
その今まで変わってこなかった、
その学校とかそういうものの基本的な部分っていうのを、
変えていきたいっていうふうに思っているのか、
なんかそれはわかんないなと思って、
で、学校行為証っていう話だけ、
その言葉の解釈だけでいくと、
要するにその対処療法的な感じがするのね。
要は今まで学校教育を受けて大人になった人たちへの処方箋、
みたいな文脈で語られてると思ってて。
スピーカー 1
今のところはね、今は第1回なの。
スピーカー 2
だからそこがそういうところに留まるのか、
留まらずに留まらないのだとしたら、
やっぱりどこまでそれを考えて何を主張していくのかっていうのが、
やっぱり一番大事だと思うし、
やっぱりその言葉の射程がやっぱりすごく広くて、
やっぱりすごくいろんな人に刺さる言葉であるだけに、
やっぱりそこにどのぐらい、どのような形で向き合っていくのかっていうのが、
すごい大事な講義になるんだろうなっていう気がします。
スピーカー 1
おー、確かに。
スピーカー 2
やっぱりね、いろんな人が学校行為証っていう言葉で説明できちゃうだけに、
それにやっぱり傷つきを感じる可能性っていうのも十分あると思うんだよね。
そこに対して。
スピーカー 1
それを対象化できるというか、
やっぱり学校、
自分のこういうところって弱さなんだよなというか、
自分こういうところが苦手なんだよなっていうのは思い込みなんですよね。
だからそれを対象化してくれるっていう意味では、
あったほうがいい視点かなとは思ったんです。
何事もそうなんですけど、
やっぱり学校って思わされるじゃないですか。
それこそ小学校とかでもそうですけど、
私はもう中学とかだと、
本当にもうコツコツ努力できないタイプだなとか、
みんなはこうやってるのにとか、
私全然真面目じゃないなとか、
やっぱり思い込まされてるんですよね。
そこで背徳した辞任みたいなのがいっぱいあるんですよ。
でもやっぱそれは、
学校っていう仕組み自体がそもそも
しんどいよねっていうことを、
言葉にできるとできないと違うし、
たぶん学校教育に読されてたら、
背の順っておかしいよねみたいなことにも気づけないじゃないですか。
だから、
自分がそう思わされてきたっていうことに気づくことは、
すごく大事だなって何事に対しても思うんですけど。
ある意味被害者みたいな、
思わされて、こうされてきたんだっていうことを、
でもなんかそこに関して、
そのせいにするな論調っていうのもあるんですけど、
私はそのせいにすることからしか始まらないと思っているので。
スピーカー 2
自分が今ここで全部を詳しく分かりやすく言えるわけではないと思うけど、
学校後遺症っていう言葉で救われる人もいれば、
そうじゃない人もいるんじゃないかなっていう、
それだけの広さを持ったワードだなっていう。
スピーカー 1
そうじゃないっていうのは、例えばどういうイメージですか?
スピーカー 2
なんだろうな。
そこに具体的にこうであーでっていうのが、
存在するわけでは正直ないんだけど、
なんかやっぱり、
そうね、
なんか、やっぱこれだけの言葉の広さというか、
っていうものに、
あんまりね、ここまでの広さの言葉ってあんまできないので、
やっぱりいろんな解釈があり得るんじゃないかなと思ったに過ぎないですね。
スピーカー 1
そうなのか。
この人、なんだろう。
学校というものにものすごく馴染んでいたみたいなイメージですか?
どういうことだろう。
いろんなパターンはあると思うんですけど、
ちょっと私の想定は狭いですけど。
スピーカー 2
いや申し訳ない。ちょっと今パッと分かんない。
分かんないけど。
スピーカー 1
確かに。
それがおかしいと思っていた人にとっては、
なんか救いになると思ったんですけどね。
なんかおかしいと思ってなかった人、
でもおかしいと思ってなかった人は、
無意識なマジョリティでもあるじゃないですか。
なんだろう。
それ自体は悪くないんですけど、
制度の中で無意識なマジョリティになってて、
でもなんか、ありませんか。
自分が悪いと思わされてきたのは、
そういう無意識の強者に対して思わされてきたなって思うんですけどね。
自分の恨みがあるのかもしれないけど。
こういう人たちはそういうことを考えたこともないんだろうなみたいな。
こっちのことを考えすぎだよとか、できないからでしょみたいな目で見てくるみたいな。
だからそれは学校という制度にバチッと当てはまってただけなのに、
そういう価値観を内面化している人がいる。
自分はできるやつみたいな。
そこまでいくとちょっとあれですけど、
学歴とかもそうだし、
社会にバチッとハマってきた人っていうのは、
その自己像を内面化してきてるわけじゃないですか。
でもそれはそれで危なっかしいと思うので、
そういう人たちにも概念として必要なような気がしたんです。
スピーカー 2
まあそうね。
「学校後遺症」概念の受け止め方と影響
スピーカー 2
気持ちの問題の話だけどね。
その人たちが学校行いしようということに。
スピーカー 1
気持ちというか、なんだろう。
でもその評価基準が絶対なわけではないけど、
でもやっぱり学校の続きで生きてると絶対なわけじゃないですか。
何々ができる、何々ができた、
いい会社に入って、いい給料をもらってる。
やっぱりその学校の価値観から抜け出すはずに生きることって、
別に可能だと思うんです。
でもそれによって、
いる人をいないものとして扱うみたいなのとか、
それこそ恋愛の話とかも言ってたんですけど、
学校における異性愛前提がひどすぎるみたいな。
でもそれも、
例えば、
私たちというか、
多くの人たちが、
好きな人、クラスの男子でいいと思う人だねとか、
そういう別に悪気がないマジョリティが、
マイノリティを排除するわけじゃないですか。
その排除した側は別に気づいてないけど、
学校的価値観で優位に生きてきた人たちは、
これから気づかない限りずっと、
そこにいる人はいないものとして扱っていくんじゃないですか。
それがすごい、別にそのまま気づかずに死んでいくんやろうな、
みたいな思うときありますよね。
恨みの深い言い方ですけど。
自分自身も含めてですよね。
気づいてないことはたくさんあると思うんです。
スピーカー 2
そういう言葉によって、
無自覚に、
いろんな人を排斥するような形になってたっていうことを、
大人になった人に対して、
突きつけるっていうやり方になりうるっていうのが、
どこまでいいのかねっていうところが、
そういう意味で、
気持ちの問題。
その論理、ロジックがおかしいとか、
言ってることが間違ってるとかではなく、
そこの気持ちを、
自分は考えている。
スピーカー 1
それを見つけられる方の気持ちってことですね。
スピーカー 2
それはね、正直言うと多分、
戸場さんのやり方がそうなんだと思うんだよね。
スタンス。
スピーカー 1
突きつける。
スピーカー 2
突きつけるというか、
そこに対して、
そういう可能性みたいなものも、
それによって、
例えば、
バッシングが起こるかもしれないみたいな、
そういうことも引き受けてやっていくっていう、
それは戸場さんの覚悟であり、
話としては、もちろんそれだけなんだけど、
そこに対して、
今の自分みたいな意見があっても、
いいんじゃないかなと思う。
スピーカー 1
なるほどね。
それはちょっとわかりますね。
厳しいですよね。
本を読んでても思います。
なるほどね。
どうなんだろう。
「学校後遺症」概念の受け取り方と著者の意図
スピーカー 1
私の立場ですよ。
他の人の立場はわかんないですけど、
私の立場からすると、
厳しい。
大人の自分にとっては厳しいけど、
子供の時の自分が救われるみたいな感覚がします。
大人にとって、
昔にこういうふうに思ってくれる、
こういう視点を持った人が周りにいたなら、
全然違うだろうな、みたいな。
子供の時の自分が救われるっていう感じがして、
私的には、
確かに突きつけられたと思う、
責められたと思う人が、
いるかもしれないっていう可能性はわかります。
スピーカー 2
なんかやっぱり、
言い方がよくない、
いい言葉が見つからない、
スカッとジャパンじゃないけどさ、
俺別に見たことないけど、あの番組。
やっぱりさ、読む人が読んでて、
すっきりする文章だと思うの。
言いたいことを言ってくれたというかさ、
っていうふうにはなるんだけど、
じゃあその、
とばさんの側が、
とばさんが相手にしてる人と、
同じ属性を持ってるかっていうと、
持ってない子供が多い。
スピーカー 1
まあまあそうですね。
スピーカー 2
だからそういう時に、
やっぱり別にそれ自体が悪いわけじゃなくて、
自分の場合は自分に対しては、
それを読んでる側、
自分が情報を受け取るときに、
やっぱり気持ちのいいものとして、
消費しちゃいけないなとは思うんだよね。
スピーカー 1
確かに親の、
塾をされてるっていうのもあって、
親、世間の大人に対して、
ものすごく厳しい部分はあると思っていますね。
だからといって突き放してるわけではないんですけど、
寄り添ってるものも多いと思うんですけど、
親自身の卑怯性、
大人の卑怯性みたいなものを、
休断するっていう属面はかなりある。
大人、あなたがやるって言ったんでしょうとか、
この子ができないんですとか、
そういうことに対して、
表面的に批判ではなくて、
結構精神的な卑怯性の休断になってる、
と思うときはありますが、
でもそうありたいなと思わされるんですけどね。
小さい頃の自分がめっちゃ救われるだろうなって思うのと、
あとはそういうあり方でありたいなとも思わされるっていうところはあるんですけど。
スピーカー 2
もちろん。
救われるなというふうに感じる限りにおいては、
やっぱりその文章を読んで救われるべきだし、
それがやっぱり正しい受け取り方であると思う一方、
やっぱりあの辺の文章を読んでると、
本当に読むべきなのは、
大人であり、やっぱり親だと思うんだよね。
やっぱりそうじゃないと、
結局やっぱり何度読んでも、
もちろん1、2回目は救われたでいいんだけど、
5回、6回って読んでたときに自分のステータスが、
親でなかったら、
それはやっぱり商品になってしまわないかっていう、
そういうものをはらんでいる文章ではないかっていうことを、
ちょっと思っちゃうんだよね。
スピーカー 1
なるほどね。
でも難しいですよね。
めっちゃ難しいなと思って。
自分のと全く土俵が違う、土俵が違う人に対して、
言葉が自分の思ってることの根底というか、
伝えたいことが伝わるかっていうのは、
本当に難しいなと思って。
なんか私は結構ハイタしちゃう。
ハイタ的になっちゃう。
この人には何言っても伝わらんみたいな。
思っちゃうから、
難しいなと思いましたね。
スピーカー 2
自分はね、
とばさんに関しては、
そういう難しい感情を抱きながら見るようになりました。
スピーカー 1
という話でした。
書籍の配置とターゲット層
スピーカー 1
なるほど、なるほど。
すごい面白いです。
確かに、確かに。
スピーカー 2
それこそ気持ちのいい話じゃなかったかもしれないけど。
スピーカー 1
いやいや、でもなんか、
何やろう、
そういう人に対して伝わるかどうかはわからないんですけど、
本の扱いとかも、
この間新しい本を買ったときに、
どこに置いてあるんやろうって思ったときに、
教室経営みたいなとこに置いてあったんですよ。
クラス運営みたいなとこに置いてあって、
私は結構子育てのエリアにあるかなと思って探してたんですよ。
子育て。
やっぱり親がターゲットってイメージですね、私も。
親に呼んでもらうものなんじゃないかと思ったけど、
クラス運営のとこにあって、
ほんまに?って思ったんですよね。
親に呼んでもらえる、
どうだろう、言葉的に伝わるかっていうのはわからないですけど。
スピーカー 2
それはね、正しいとは思うよ。
だってどっちが著者の属性として近いかって言ったら、
そりゃクラス経営者だもんなって。
スピーカー 1
でも個人の本屋さんとかだと絶対そこにないと思ったんですよ。
大きい木の国屋に行ったんだよね。
違うとこで見たときは違うとこにありましたよ。
だからそれは、
届いてないだけで、
手段はあるなと思いましたけどね。
読む機会がないというか。
全く伝わらない、
親である人に伝わらないかっていうと、
私にはわからないですけど。
スピーカー 2
そこがね、結構大事なところなんじゃないかなっていう気はするよね。
やっぱり取り扱ってるテーマと、
友さんの自身、ご自身の属性みたいなことも
組み合わせて考えるとね。
もちろん一歩通行になってるわけはないんだけど、
届さん自身の経験をしてる今のプロセスの中においてもね、
そんなわけはないとは思うんだけど、
気になるなと思ってしまうときはあるという感じかな。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
だいぶ微妙な感じになっちゃいましたけど、
時間的には全然いい時間を過ぎてるぐらい。
まとめと今後の展望
スピーカー 1
何分ぐらいですか?
スピーカー 2
1時間4分です。
スピーカー 1
1時間!?
そんなのも上げれないですよ。
嘘やろ。
スピーカー 2
編集して縮めてください。
スピーカー 1
嫌だ。
スピーカー 2
じゃあとりあえず終わります。
スピーカー 1
はーい。
01:04:50

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