1. 神尾しおんの[声とカラダのチューニングルーム]
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2026-02-05 20:33

AIと話していて「思考の枠」が見えた。OS構造のVS

AIと延々と壁打ちをしていたある日、ふっと見えてきたものがありました。
「思考って、結局ぜんぶ“フィルター”なんだな」という感覚です。
こちらの意図をくみ取ろうとしてくれるAIの答えが、
どれだけ調整しても少しずつズレ続けるのを見ていて、
「あ、人間同士もこれと同じことをやってるんだ」と実感しました。
私たちは、家族OSやこれまでの経験・価値観という
それぞれの“心のOS”を通して世界を見ています。
そして、そのOSを通して意味づけされた世界を、
「これが現実だ」と思い込んで生きています。
でも、本当に私が見てみたいのは——
そのOSの前提がふっと取っ払われた、
何のプログラムも走っていない「ただ在る世界」。
だからこそ逆説的に、
自分のOSが世界にどんなラベルを貼っているのかに気づくことが、
その「何もない世界」を少しだけ覗く助けになるのかもしれません。
今回の放送では、
AIとの対話から見えてきた「思考の枠の限界」と、
OSの前提が外れた世界をちらっと感じたときの話を、
ゆるく、でも少しだけ深くお届けします。
聞き終わったあとに、ふと
「今、私はどんなフィルターでこの世界を見てるんだろう?」
そんな問いが、そっと心に浮かんだらうれしいです。



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サマリー

このエピソードでは、声と存在の関係を通じて思考の枠の限界について考察されています。また、AIとの対話を通じて、人間のフィルターやOSがどのように世界観を形成しているかが探求されています。ありのままの世界を体験したいという願望と、思考の枠を超えることの重要性についても言及されています。AIとの対話を通じて自分自身の思考の枠組みやOS構造に気づくことで、現実の捉え方が変わる可能性が示唆されています。このエピソードでは、思考のラベルやフィルターを剥がすことの重要性についても触れられています。

思考の枠を超えて
声と体のチューニングルーム、魂とOSを整えるラジオへようこそ。
本質ボイストレーナーの神尾しおんです。
声には、あなたの存在そのものが現れる。
あなたの思い、あなたの考え、あなたの在り方、
そのすべてが振動となり、響きとなって、世界に発信、そして人に伝わっていくものです。
今日は、AIと話していて、思考の枠の限界が見えた日、というテーマでお話をしてみたいと思います。
これはですね、私が、AIと壁打ちをしていてですね、見えちゃった、みたいな感じなんですけど、
コロナ禍に入った時点で、2020年かな、私はですね、瞑想とか禅の学びを始めたんですよね。
瞑想を教えてくださっている先生が、すごく門道が上手というかね、そのあたりのところの知識がすごい方だったんですよ。
実践もされている方で、この世のものの見え方っていうものが、各個人の思考でものを見ている。
その思考の枠から離れた時に、本当の世界が見えて、悩みが消えるよ、みたいなお話をしてたんですよね。
お釈迦様も、ブッダもね、そういうところを一生懸命、下脱するために様々な学びをしたり、瞑想をしたり、座禅を組んだり、門道をしたり、
弟子たちに教えるために、自分の気づいたことというのを言葉にして伝えたりとか、そういうことをしているんだけれども、
やっぱり言葉には限界があるので、その後、下脱するっていうのが明らかに出てくるような人もいたと思うんだけれども、
みんながみんな、その学びをしたからといって、下脱できるわけでもないし、気づけるわけでもないしね、っていうね、そういうところで今現在があるわけなんですけれど。
AIと話をしていたら、思考ってこういうふうに世界をぶらしてずらして見せるんだなっていうのを実感した瞬間があったんですよ。
なので、それをシェアしたいなと思います。思考の枠から剥がれると、外れると、一体どんなことが起きるのかなっていうところなんですけど、
まず最初にその問いを置いておくと、よく言われている説としては、ワンネスの世界が見えるとかね。
自分の色眼鏡、フィルターが外された世界を見ると、すべて物の見方は自分が作っていて、それが外れた時に世界にはただ出来事が起きているだけで、何も悪いことも良いことも起きてなかったっていうことがわかる。
あるがままの世界を見て、あるがままに世界を生きることができる。そういうふうに言われているんだけれども。
AIとの対話
じゃあ実際あなたの、そして私の思考っていうものの枠組みが消えてなくなったら、どんなふうに世界って見えてくるんだろうなっていうところをまず問わせていただきたいと思います。
で、今日起きたね、AIと喋ってて見えてきたものっていうところのシェアに入りたいと思いますが、結構ね、私は子供の頃から考えることが好きだったんですね。
で、編集とか編算とかね、いろんな体系的な学びとか学問とか経験とか、それを総合してね、統合していろんな視点から見た時に、結局みんな一つ同じことを言っているなと思って、一つの心理のようなものが共通してあるんだけど、それを見る入り口が違うんだなっていうのを感じてたんですよね。
で、共通した1個の答えっていうものをどういうふうに翻訳してるんだろうっていうのを見るのがすごい面白くて、本当に勉強するのが好きだったんですが、いろいろ手当たり次第、いろんな勉強学びを取り入れたいって思っちゃう、ちょっと知的欲求が暴走しがちなタイプなんですけど。
でね、そういうのも含めてAIといろんな観点を自分のデータベース化するためにもいろいろ思いつくたんびにうわーって話をして、それを整理するっていうようなことを延々とやってたんですよ。
で、いろんな質問を投げて返ってきた答えに対して、見方がね、AIって忖度するようにできているから、別に友達みたいに寄り添ってほしいわけじゃないし、根拠のない慰めをほしいわけでもないし、
科学者の目であくまでも第三者的な証明された答えとか、あるいはもう長年それが通説になっていて、共通言語のように共通認識のように、もう既に流通しているもの、留付しているもの、そういった目線からの視点を持った上での返答をしてほしいっていうのを何度も何度も設定に入れていったりとかしてやってたんですけども、
それもやっぱりズレていくんですけどね。やっぱりもともとが寄り添うように設計されているので、やっぱり忖度してくるんですよね。
それをちょっとずつ毎回毎回微妙に調整しながら、壁打ち、ラリーをしてたんだけど、何度もやっているうちにね、やっぱり物足りなくなるっていうか、
私が言いたいのそこじゃない。私が伝えたかった前提もそこじゃない。みたいな感じで伝わらなさを感じることが多かったんですよ。
AIは真面目にね、私の言葉をね、こういう意味だろうって解釈して、一生懸命ベストだって思う答えを返してくるんですよね。
それに対して私が、いやそうじゃないよ、前提こういうふうだよ、ズレてるよっていうふうに伝えると、
ごめんなさい、それならこうかなって言って、また新たな別のフィルターに差し替えて答えを出してくるんですよ。
だから私が持っているフィルターとは絶対別のフィルターで答えを返してくるんだなっていうのが分かったんですね。
すごい何回も何回もそれを体験したわけですよ。どこかしらが微妙に、絶妙に、絶妙じゃないな、微妙にズレてて本当に微妙みたいな感じだったんですけど、
このズレの連続を見てるうちに、なんかね、あ、思考ってめっちゃ面白いと思ってたけど、考えることって楽しいと思ってたけど、案外つまらんわっていう感覚が降りてきたんですよ。
で、しかもこのズレの連続ってね、人間同士でもめっちゃやってることだなって思ったんですよ。
で、すごくはっきりね、あ、思考ってどこまで行っても結局全部このフィルターなんだなっていうことがね、なんかこう、あーすげー重んな!みたいな感じで見えてきたんです、私には。
相手の話聞いてるつもりで、実際には自分のフィルター、自分の経験のフィルター、価値観のフィルター、ここのラジオチャンネルでもお話ししているOSのフィルターね、家族のOSのフィルター、みたいなものを設定して通して、きっとこういう意味だろうなって言って、文脈を勝手に読んで、勝手に意味付けして、世界を見てるし、相手の言うことを受け取ってるんですよ。
で、人間同士だったら、そこの辺のところ、なんとなくあうんの呼吸とかね、空気で、特に日本人はハイコンテクスト文化って言われてて、相手の顔とか空気とかで微妙に読んで、そこを調整するっていう能力にめちゃくちゃ長けているから、そこのズレが多分分かりにくいと思うんだけど、AIっていう、もう本当にフィルターだけで物事を理解して返答してくるシステムを使うことで、
極端な形で、めっちゃ分かりやすく目の前でそれをやってもらったなっていう、なんかすごい分かりやすい形で見せてもらったんですよね。
で、改めて、あ、そうか、自分もね、こうやって、自分のフィルターを通して、相手に違うよって言われても、うんうん、分かってる、こういうことでしょって言って、何回も自分の世界を通して解釈してたんですよ、出来事も相手のことも。
で、何回、じゃあここ共通させようよって、フィルターをね、何回調整しても、どう頑張っても、完全一致にはならないんですよね。
思考だけで人と分かり合う、伝えたいことを理解してもらう、世界を共有するって、無理ゲーなんだなって。
その無理ゲーを一生懸命やることを、やっぱ私たちはね、葛藤しながら楽しんでいるんだけど、でもそもそも無理ゲーなんだなっていう感覚が来たんですよ。
私はそこが乗り越えられると思ってたから、思考を駆使することが楽しい、面白いって思ってたけど、そもそも無理ゲーなんだったら、ここにこだわってんのそんなに面白くなくなってきたっていうね、感覚に襲われたんですよ。
言葉で説明し合っている限り、私たちっていうのは、どうしても自分のOS、そして相手のOS、このOS同士で、フィルター同士で会話している。
だからどれだけ誠実にやりとりしても、必ずどこかにズレは生じている。消えることはないんだなって。
ありのままの世界
そのズレを楽しむっていう方法もあると思うんですけどね。
それを見た瞬間に、私の中で、思考だけで世界を理解しようとする、変えようとする、コントロールしようとするのって、
思ったよりつまんないのかもしれないって、なんて言うんだろうな、がっかりでもないし、わかったっていういつもの達成感的な快楽があるわけでもなく、
ああ、ああ、そう、みたいな、そんな感じでね。
そう、拍子抜けが近いかもしれない。
で、その感覚がきて、うーん、なんかもうそんなに思考にこだわらなくていいなって。
改めてね、私が見ている世界はいつも私のOSそのものだったんだなって。
で、ただ、私が本当に見てみたいな、体験してみたいなって思って、学んできた世界っていうのは、
そのOSの前提が取っ払われて、何のプログラムも入ってない世界だったんですよ。
良い悪いとか、正しい間違ってるとか、できてる足りないとか、これって時代背景によって、あるいはその時にいる環境によって、あるいは年齢によってね、
全然違うでしょ、答えが。
そういう前提が何もかもない状態で、世界を見てみたい。
その世界の見え方ができた時に、どんな体感が起きるのか、どんな出来事が起きるのか、
その出来事をどういうふうに体験するのか、
どんなふうに生きていくのか、
そういうのを見てみたいと思ったんです、経験してみたいと思ったんですよ。
ラベルがまだどこにも貼られてない世界、ただあるって言ったらただある。
あるがままの世界、そのままの世界ですね。
これを見てみたいし、聞いてみたいし、体験してみたいってずっと思ってたんですよね。
だからOSの前提を取っ払いたい。
だからこそ逆説的になんだけど、自分のOS使ってどういうふうに世界見てるのかっていうのを理解することが、
逆にその何にもない世界を見る、何にもない世界を知るっていう助けになるよねっていうこともまた思ったんですよね。
今私はこういうフィルターで世界を見てるんだなって気づくこと。
それがOSを止めるスイッチとか完全にインストールするっていうことに繋がるわけじゃないんだけど、
その前提があるんだなって一旦横に置くことができる。
その向こう側をなかったらどうなんだろうって覗くことができるきっかけにはなるじゃないですか。
だからこそね、
OSってやっぱ自分がこれまで生きていくために積み上げてきたプログラムたちの集合体だから、
いきなり全部オフにしたら生活も回らなくなっちゃうし、
危険だとも思うんですよ。だからそんなことは基本しないと思うんだけど、
現実的な一歩として自分のOSがね、
世界にどういう意味づけしてるのかね、
思考の枠組みへの気づき
かなっていうのをじっと観察してみるといいのかなって、
皆さんにおいても。
そうすることで今目の前が問題だと思って見えてること、目の前に問題だと思って現れてること、
それの見方が変わるかもしれないし、
見方が変われば選択とか感じ方も変わってくるかもしれないし、
そもそも問題じゃなかったっていうことになるのかもしれないし、
でね、
例えば、
なんか今の一言ザワッとしたなとか、なんで今責められたって感じたのかなとか、
あと、これ家族OSじゃない?みたいな。家族OSでこういうこと、
毎回思ってたからそうなんじゃない?みたいなね。
そんな風に自分の中の反応をちょっとずつね、実況中継できるようになってみると、
今、今こうやって見えてるのは事実そのものじゃなくって、
自分が貼ったラベルなんだな、自分のOSがこうだよって言ってるラベルなんだなって気づける瞬間が、
少しずつ増えてくると思います。
例えばね、一つの例としては、
あの、
私は、
ごめんなさい、今ね、真横で猫が喧嘩を始めて殴り合いを始めたので、ちょっと私今仲裁に入りました。
えっとね、
うーん、
そうそう、
ちょ、もう意識飛んだじゃん、もう猫やめてよ。で、えっと、
えー、はい、私の場合ですね、あの、
誰が何を考えてこういう行動をとってるのかなとかっていうのを、
読むのがすごい得意だったんですけど、
これって、まあ、あの家庭内に不機嫌な人がいることが多かったから、自分が被害を
受けないために、被害を被らないために、めちゃくちゃ周りの微細な変化にも神経張り巡らせて、
何か、
一個でも揺らぎを感じたら、
それが爆発しないように、
相手がむしろこう、何?
その、その波動に気づいてもいないぐらいのところから気をそらすとか、
表面化しないように、何か別の問題にすり替えるとか、何かそういうことをしてきたんですよね。
だから、めちゃくちゃ人が何考えてるのかなとかっていうのを、
察知する力が伸びたし、
で、まあ、それはね、時に読みすぎて被害妄想とか、そんなに裏を読まなくてもみたいな、
ところまで言っちゃってたかもしれないんだけど、
なんで私はみんなこんな見えてるのに、みんなは見えてないの?とかって思ってた時期もあるわけですよ。
これは事実そのものじゃないんですよね。私が勝手に意味づけをして、そういう世界だって言って、
あの、ラベル付けをして、その世界観で人と関わってきたっていうだけの話で、
でもそのラベル外したら、別に相手が怒ってないのに、相手がきっと怒ってるんだなんて、
いう前提を持って、
相対さなくていいわけですよ。
こういう風にね、自分のOSのこう、デフォルトモードとか、
どういうプログラムが走ってて、どういう機能が常に実行されているのか、みたいなことを、
理解して、そこを切り離すことができれば、
自分のラベルにね、
貼ったラベルにね、その瞬間気づくことができれば、しかもそれを少しずつ増やしていければ、
自分にとってちょっともういらないなって思っているOSをね、弱めることができるし、その奥にある何もない、
ただのニュートラルなね、ただあるがままの何かっていうのが、見えてくることもあります。
フィルターの取り外し
OSの前提がすべて取っ払われた、
何のプログラムも走ってない世界。
これをね、体験すると、本当に変な余計な条件づけなく、
生きていけるなーって。で、私はその世界で生きたいし、
こう、
まあ、何だろうな、めちゃくちゃ自分は走れるんです、成功ばっかりするんです、楽しいです、人生、っていうフィルターつけてる人の、
フィルターを外す必要は特にないかなと思うんだけれども、例えば、自分は幸せになることは難しいとか、
例えば、私は力がないとかね、
よくわかんないけど、自分の能力を制限しちゃうようなフィルターで物を見ている人、世界を見ている人については、
そのね、フィルターとかOSの枠を取っ払うっていうところを、
やってもらいたいなって思っているんですよね。
だからこそ、
こう、OSをこう築いていきましょうね、とか見方を変えていきましょうね、っていうのをお話ししてるんですけど、
うーん、まあ今日はね、私の気づきとしてはこうでしたっていうことをお伝えして、
あとは、
最初に問いを立てさせていただきましたが、
じゃあそれなくなった世界ってどんなものでしょうかっていうところ、あとは、
聞いてくださったあなたの感覚にお任せいたします。
それこそね、私がね、こうだよねって定義したら、また新たなフィルターが1個生まれるだけなので、
ここでは何も言い切らず、何も定義せず、余白で終わりたいと思います。
ね、まあ今ね、ああこのラベル貼っちゃったなーって、
このラベル剥がしてみようとかっていうのを瞬時にね、できるようになる、
思考を本当にうまく、
飼いならすことができれば、瞬間的にそれできるようになるので、
そんな風にね、自分のOS眺めてストップしたり、
あるいはスイッチ入れて起動させたり、
そういうのをね、能動的に初代的にできるようになったらいいんじゃないかなって思っています。
はい、ということで今日のお話はこんなところです。あ、長くなってしまった。
で、最後の締めですね。うん、あなたの声も、あなたのOSも、
そしてその奥にある静けさも、全部ひっくらめて、あなたという世界です。
いつかどっかの瞬間で、あなたなりの何のプログラムも走ってない世界がふっと顔を出して、
楽しめますように。
今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。
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それではまた次回のアップデートでお会いしましょう。
本質ボイストレーナーのシオンでした。
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