入院のきっかけ
おはようございます。人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、管理職を捨ててライフコーチとして独立した私が、これから企業復業を目指している方の背中を押せるようなお話をしていきます。
今、8時50分ですね。今日も早朝は起きれなかったので、この時間になっているんですが、昨日から頭痛がひどくてですね、寝れば治るかなと思ったんですけど、寝ている間に頭痛が悪化して、頭痛で目が覚めるという状態だったので、薬を飲んでもう一回寝ましたという感じです。
娘が学校に行った後に、これを歩きながら撮ろうと思いまして、家を出ようとしたらですね、ファイヤレスピンマイクがですね、スマホ側に付ける受信機みたいなのがあるんですけど、それがなくてですね、あれ、ないないと探し回ってですね、
あれーと思って、もういいやーと思って、ユニクロのエアリズムパーカーをですね、着たらその中のポケットに入ってて、あれこれ昨日洗濯しちゃってる?っていう、洗濯しちゃってるんですが、今のところ大丈夫そうなので、このまま続けたいと思います。
まず最初に告知をさせてください。昼スナック開催いたします。9月24日水曜日午後1時から5時まで。場所は東京の赤坂ですね、東京メトロ丸の内線赤坂見つけ駅から徒歩30秒ぐらいのところにあるビルです。料金体系等は概要欄でご確認をお願いします。来ていただける方はぜひご一方いただけると嬉しいです。
お待ちしております。
今日はですね、働きすぎで入院した話をしようかなと思います。
この過去の黒歴史シリーズを色々とお話ししているわけなんですが、前回はですね、新卒で入った飲食チェーンで、本配属されたところがあんまり自分でやりたいことじゃなかったよ、みたいな話と、かつそこにいるバイトさんとのですね、圧力とか色々難しいところがありましたよ、というお話をしたんですが、
なんだかんだでですね、揉まれながら、そこの店舗には1年半ぐらいいたんだろうかと思うんですが、その間にいろんな事件が起きてるんですけど、時系列的にはですね、店長が変わって、上司が変わって、色々ゴタゴタがあったっていうのもあったんですが、
その後にですね、新しい店長に変わった後に、私が入院して2週間ぐらい休んだっていう出来事があったんですよ。
なんでこれを話そうかなって思ったかっていうと、昨日ちょっと頭痛とかでですね、体調不良があって、結構体調不良って、もちろん日々の積み重ねだったりとか、いろんな要因があるんだけど、なんかこう一つ何かを気づかせるというか、今のままじゃいけないんだなっていうきっかけになったり、何かを見直すきっかけになったりするじゃないですか。
っていう一つの出来事だったなと思ったので、今日はそこについてお話ししようかなと思うんですよ。働きすぎというのももちろんあるんですけど、私としてはどっちかというと遊びすぎだったなっていう。遊びすぎっていうか、要は不節制ですよね。その生活してたらそうなるでしょうっていう感じだったかな。
周りからは働きすぎだねって言われたけど、働きすぎの上にケアができていなかったというツケがたまったから、そりゃそうだろうという感じですかね。
社会人2年目の夏のことですね。私当時はその店舗で働いていましたので、朝早い日もあれば昼ぐらいから出勤して、夜遅くまでっていう日もあるという生活をしてました。
割と店長がちゃんとその社員に休みを取らせるという主義のまともな方ではありましたので、それなりにちゃんと高級もらえてました。
そうなんですよね。だから働きすぎかって言われると、働かせすぎだぞと言って上司が責められるとしたら、すごい申し訳ないなっていう感じですね。当時の上司には大変申し訳ないんですよ。
なぜかというと、私が倒れたというか、後で詳しく状況を説明しますけど、当時ってちょうど上司の夏休み中だったんですよ。最悪じゃないですか。
夏休み中に私入院しましたって言って、連絡来て、急遽夏休みを返上して、店長は出勤することになったんですよ。マジで申し訳ないですよね。本当に最悪の部下ですよ。
月末の棚卸しって、お店の中の全部在庫を数えて、入力してっていう作業が月末に発生するんですけど、それはなかなか、本来は営業中、業務時間中にやるべき仕事なんですけど、
忙しい店舗だと、なかなかそうもいかないんですよね。常にお客さん途切れなくて、従業員がずっと作業しているっていう中で、
ちょっとごめんねーって、在庫回収するみたいな作業ができるのは暇な店舗だけなんですよ。
なので、閉店後に、ほんと一晩10時までは行かないけど、夜中までやっているので、その日は帰れないわけです。みたいな日もあるぐらいの感じですね。
業態がバーではなくカフェだったので、閉店時間が早いんですよ、少し。10時だったかな、9時だったかな、そのぐらいなんで、バー業態だとやっぱり終電に間に合わないみたいなこともあったりするんですけど、それは基本的にないっていう、割と健康的なはずなのですが、
私はその頃毎晩のように飲みに行く生活をしておりましたので、帰るのが11時とか日付変わる前ぐらいだとしますけど、そこから飲みに行って、明け方まで遊んでるみたいな生活をして、
明け方、家に帰ってちょっと寝て仕事しに行くみたいな、そういう生活タイプなんですね。
焦った。今目の前で自転車と自転車が交差してぶつかりまして、おけがはなかったみたいなんですけど、割とシニアの方だったんで、骨とか折れてないかなとかちょっと心配でしたけど、大丈夫そうでした。
いや、冷や汗が出ました。
体調不良の症状
うちの地域は本当に自転車社会なんですよ。車社会じゃなくて自転車社会なので、ヘルメットは絶対着けた方がいいですね、本当に。
話を戻しまして、そんな滅茶苦茶な生活を送っていたし、食事もまともに料理なんてほぼしてなかったと思いますね。
基本3食外食みたいな、今からすると考えられない生活ですよ。コンビニかファーストフードか、普通に外食で夜は飲み行くみたいな。
その時なんて、そんな生活してるのもありますけど、パンパンに太ってましたから、何キロだったんですかね。今より10何キロ以上は体重がありましたんで、パンパンですよ。
20代、その店舗にいた時に、バイトの子に中年体系とかからかわれてましたからね。
当時私はですね、新小岩っていうJR総武線の駅ですね。千葉の方に行く電車の葛飾区かな。
ギリー葛飾区に住んでたんですよ。覚えてるのは、終電ぐらいで新小屋まで帰ります。一回家帰ります。
両国ですね、両国国技館がわりと近いんですけど、両国国技館で、電気グルーブの一種の卓球のイベントがあって、それにタクシーで行って、
もう終電がないから、タクシーで行って、そっから朝まで踊り倒すみたいな。そっから帰って、また寝ないで仕事行ったのかな。
何が昼からだったのか覚えてないですけど、そんな生活ですよ。そういうイベントはたまにしかないんですけど、新小岩の駅前の家、
南口の方に住んでたんですけど、アーケード街というか、商店街が結構あるんですけど、その近くにオーナーがナイジリア人で、店員がガーナ人とかですね、アフリカ人がやってるバーがあって、
そこが、日本人も全然来るんですけど、結構その外国籍の方、いろんな国籍の方、東南アジア系の人とか、普通に白人系の方もいましたけど、本当にいろんな国の人がぐちゃって集まってるところで、
そこでバック音でダンスミュージックがかかってて、みんなで楽しく踊ってるみたいな、そういう店があったんですけど、前のモラハラオットとはちなみにそこで出会ってるわけなんですが、私は普通に楽しく遊んでましたけど、
ちょっとヤバめの取引も実は行われていたっていうことは、後から元夫に聞いたんですけどね。そういうとこに入り浸ってると、日本語があんまり得意じゃないお客さんも結構いるので、自然と英語で話さざるを得ない状況になり、
私結構英語喋れたんですよね。今からっきしダメなんですけど、環境が英語を喋れるようになるには、英語が通じないと会話が推立しない環境に身を置くっていうのが一番なんだなっていうのを、今改めて感じますけれども、そういう感じでした。
普通にいろんな国の人と、私ルーツが東京のフッサっていう横田基地ですね、米軍基地があるところなので、普通に地元にですね、黒人も白人もいっぱいいるみたいな、そういう地域だったんで、そこにあんまり抵抗感がないっていうのがあったかなと思います、ベースとして。
何の話だっけ、いやそうだ、入院した話ですよね。そういうところで、夜な夜な遊んでいるみたいな生活をしていましたので、体調不良というか、足が痛くなったんですよ。
足が痛いなっていうのが、最初の症状が現れ始めてですね。
最初は立ってんのしんどいなーぐらいなわけなんですけど、立ち仕事だから結構しんどいんですよ。
痛いなーって思ってたら、足に赤い斑点みたいなものが現れ始めて、ブツブツとかではないんですよ。
触り手応えのある感じのブツブツではなくて、反転っていう感じですかね、が現れ始めて、足全体にですね、何これっていう状態だったんですけど、
その時って15年以上前ですから、スマホもまだなかったというか、私は持ってなかったし、あんまり調べるというスキルはなかったもんで、
何なんだろうこれっていう感じだったけど、押してというか、病院行く暇もないしなーって思いながら仕事してたんですよ。
入院の経緯と反省
だんだん本当にしんどくなってきて、ちょっと早めに上がらせてもらったりとか、休憩長めに取らせてもらったりとかするようになって、
これちょっとやばいかもしれないってなったんだけど、あれその時店長にその状況を伝えてたんだっけな、ちょっとそこは思い出せない。
なんでそのタイミングで店長が夏休みに入ってんだろうって今ふと思ったんですけど、私が黙っていたのかもしれない、心配をかけまいとしてバレないように作ってしまっていたのかもしれないんですが、
ついにその限界を迎えてですね、帰り、電車乗れなくてタクシーで帰った日とかもありました。
普通に足引きずって歩いてたもんで、あれだったかな、竹下通りで、竹下通りって結構いろんな服屋あるじゃないですか、古着屋とか服屋とかあって、黒人のお兄ちゃんとかが立ってるじゃないですか、
その家の一人と仲良くなってて、その人がすごい心配してくれて、家まで送ってくれたりとかしてたんですけど、
その日も原宿に出勤しようと思ったんだけど、原宿駅から歩けなくて、病院に連れて行ってくれようとしたんですけど、そのお友達が。
でも行こうとした病院もやってなくて、もしかしたらどの道だったのか忘れましたけど、やってなくて、もう歩けんの、もう無理ってなって救急車呼んでもらって、救急車に同乗してくれて、黒人の彼も。
で、代々木の病院に運ばれて、そのまま入院っていう流れでした。
足痛いだけだから、まあだけっていうか、すごい痛いんですけど、歩けないほど痛いんですけど、まあでも足が痛いだけなので、普通に意識はね、はっきりしてるんですよ。
その状態で救急車に乗ってるという、救急車乗ったの後にも先にもあれが一回だけな気がするんですが、そういう状況でした。
で、なんかその黒人の彼曰く、なんかね、星座に詳しかったんですよ。星座に詳しくて。
私ヤギ座なんですけど、ヤギ座は足が良くないみたいな。
星座の形的にヤギ座は確か片足がないみたいな形なんですよね。
それでヤギ座は足に難を抱えやすいみたいなことを言っていました。本当なんでしょうか。
そのヨヨギの病院に入院することになったので、親にも連絡をして、いろいろなんか持ってきてもらったりとかですね、着替えとか。
当時一人暮らしはしてましたけど、いろいろ手伝ってもらったんですけど、
当時はまだ父親は会社で働いていましたので、定年後の再雇用みたいな感じの働き方かなと思うんですが、
日中はいなかったので、母親に一人で来てもらうことになったんですけど、
若年認知症が進みかけていた時期だったので、新宿駅かヨヨギ駅かで迷子になっちゃったんですよね。
病院に来ようとした母親が迷子になっちゃって、それでバタバタしたっていう記憶がありますね。
それがもしかしたら知らせだったというか、結構このままだといかんかもっていう。
その後も全く遊ばなくなったわけではないんですけど、ちょっと反省したというか、ちょっと控えなきゃなーみたいな感じにはなった出来事だったかなと思います。
入院は1週間ぐらいしてて、その後自宅療養1週間ぐらい、お店は2週間ぐらい。
ちょうどその8月の一番忙しい時期にシフトに穴を開けてしまったっていうですね、非常に申し訳ない状態だったんですが、
ただ私がいない期間の間に、一番日時の売り上げが一番高い日があったっていう感じだったんですよ。
で、いつも私にマウントを取ってくるバイトの子にも、「別に全然いなくても大丈夫でしたよ。」みたいな感じで言われて、悔しいみたいなんですね。
そういう感じでした。
そんなところですね。大腸を崩すというのはやっぱり今のままだとダメなんだよっていう何かのメッセージなんでしょうね。いろいろ見直したりとか。
新たな気づきと家族の状況
その期間、入院中とかめちゃくちゃ暇だったんで、スマホとかもないから、スーパー暇でどうしようかなっていう感じだったんですよ。
そこでね、いろんなこれからの生き方とか見直せばよかったんですけど、
当時の私にはその発想がないというか、本当に発想がない。
早く飲みに行きたいなぐらいしか思ってなくて、退院前に一回その外泊の日があったんですけど、その外泊の日にも飲みに行ってました。
告示の場に。
っていうぐらいの、全く見直してないんですね。
その後の生活あり方を見直すチャンスだったはずなのに、そのチャンスに飲みに行くっていうですね、また前の生活に戻ろうとするっていうダメダメさでしたよ。
ひどいですね、今考えると。
その後に元夫ですね、村原夫に出会うわけなので、神様からのメッセージを無視してですね、またこれじゃわかんないんだなっていうふうに思われて、もっと強い試練を与えられたということなんだなと今解釈をいたしました。
はい、そんなわけで今日はこの後ミーティングがありますので、これで終わりたいと思います。
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