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2024-05-17 23:35

共に希望を灯す仕事 後編 | Aoiさん(言語聴覚士) with Shin

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第十三回目のゲストは言語聴覚士として働いているAoiさん。中学生の頃に読んだ「13歳のハローワーク」という本をきっかけに言語聴覚士という仕事に興味を持ち、その興味にまっすぐに言語聴覚士として歩みを進めるAoiさんの働く話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうを考えます。

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サマリー

言語聴覚士のAoiさんの話では、回復期の病院での仕事について語られています。Aoiさんは回復期を選んだ理由や、患者さんとの関わりについても触れています。回復期の役割は患者の自然回復に伴ってプラスになることであり、言語聴覚士のキャリアにおいても幅広く活躍できます。臨床の難しさを感じつつも、患者の幸せを考えて一緒に向かっていく姿勢を忘れずに仕事に取り組んでいます。

言語聴覚士の仕事の始まり
はい、ハタラクボクラ、引き続きですね、後半 言語聴覚士のAoiさんのお話、聞いていきたいと思います。
後半もどうぞよろしくお願いします。 よろしくお願いします。
前半でね、そもそもなんで言語聴覚士という仕事を志したのか、 そして今お勤めの、もう今6年目ですかね、
勤めの病院に選ばれて、こんな仕事をしてるよ、 みたいなところを少し教えていただいたんですけど、
個人的に結構こうやっぱりさっきの話の中でも出てきたというか、 本当にこう、まあこれはもしかしたらいろんな仕事で共通なのかももちろん知れないんですけど、
対象がこうまあ、 一人の人というか患者さん。
で、かつそこに対してその人たちがある種生活をできるだけ取り戻すための 支援だったりお手伝いだったりをする。
で、それってただその取り戻す生活みたいなもの、本当に多様なんだなっていうのを、 まあなんか本当にさっきちょっと
限られた例だと思うんですけど、聞いててなんか思った。
僕はその、あおいさんがこう、ノートっていう文章のアプリなんですかね。 プラットフォーム。
プラットフォームで文章を続けてらっしゃるのを何度か読んだことがあって、
いやでなんかすごい良い話だなって思ったのが、 ちょっとそう、僕詳細の記憶があやふやなんで、どういう話だったか教えてほしいんですけど、
なんかの日本酒を飲むのが好きなお客さんに、お客さんじゃなくて患者さんね。
患者さんにその、おチョコでお水を渡して、
お酒だったらちょっとね。 お酒はちょっとお出しできないですね。
っていうのとかって、いやなんか、
なんだろうな、
すごいこう、なんか偉そうな形容詞じゃないですけど、こうなんだろうな、 優しいしかつ気が利いてる、
なんかその、なんでしょうね。 それってなんかこうどういう経緯で、
なんかこうそういう、そこに至ったとかって覚えてます?
そうですね、すごく印象的だった方の一人で、 もちろんご医者してた方は大体、お名前もどういうのが好きだったかも覚えてるんですけど、
患者さんへの支援
その中でもすごく印象的だった方の一人で、
そうですね、
ご病気のご医者で、
飲み込みが難しくなってしまわれた方でして、
それに伴ってやっぱりどんどん体力も落ちてきてしまわれたような方だったんですね。
結局、お口から3食、お食事だけを食べて栄養を賄うっていうのが難しくなってしまった方だったので、
異動って分かります?
分かります。
異動で、栄養を摂取をしていた、胃に穴を開けて、そこから栄養剤を投与してっていう手段なんですけど、
栄養補給というかをなさっていた方で、
安全性が確保できる範囲で、お口から何か食べられたら飲めたらっていうことでご医者させていただいてた方でした。
ただやっぱりどうしても、なかなかご本人が望むものを食べたり飲んだりしていただくのはお体的にちょっと難しそうで、
肺炎のリスクがあったりですとか、やっぱりちょっと飲み込みきれないっていうところがあったんですよね。
となった時に、これはうちの病院だからっていうのと、すごくご理解があるご家族だったからっていうところが大前提なので、
どこの病院でもできるものでもちろんないと思うんですけど、
いろんな何か飲んだり食べたりできそうなものがあれば、何でも試してほしいですっていうお話をいただきました。
その中で、例えば、そうですね、ジュース、甘いジュースを出してみたり、
コンソメスープみたいなのを作るまではないんですけど、
粉のものを溶かして、それに飲み込みやすいにとろみをつけてお出ししたり、いろんなことをしてみてたんですが、やっぱりなかなか進まず。
となった時にご本人に、何が飲みたいですかっていうお尋ねをしたら、お酒が飲みたいっておっしゃってたんですね。
その方はすごくもともとお酒が好きで、ずっとお酒が飲みたいって、最初の方はなんか餃子が食べたい、焼肉が食べたいっていろんなのをおっしゃってた中で、
だんだん食欲がなくなってきてしまって、お酒が飲みたいって言ってくださったのが、その方が唯一言ってくださる食欲というか希望だったんです。
だったんですけど、なかなかやっぱりちょっと病院でお酒をお酒も言ってくれたみたいに出すのって難しくて、
じゃあどうしたらいいかなって。
で、その方が飲めるのは本当にそうですね、ティースプーンにとろみをつけたものを半分、3分の1が一口飲み込めるかどうかなぐらいの方だったので、
どうしたもんかなと思った時に、あのグイ飲みを持ってきて、
それにその方が安全に飲めるだろうなっていう量をお渡しして、その方にそれで飲んでいただいたっていうことがありました。
で、その時に久しぶりにその方がおいしいって、これ本当に酒が入ってないのって言ってくださったのがすごく嬉しくて、
ただこう、入ってないですっていうのも情緒がない話なので、そこで代わりに真心がたくさんって言った時に、じゃあおいしいんだねって言ってくださったのをすごく覚えていて、
もちろんこう、何ですかね、個人情報保護の観点から、その方が特定されない程度のフィクションは、もちろん交えて書かせていただいてるんですけれども、
そう言ってくださったっていうことがすごく自分の中で、セラピストとして、言語聴覚師として働く中で大事にしたい気持ちだなぁと思って、ノートに続きました。
回復期から生活期へ
ありがとうございます。すごい好きなんですよ、あの記事が。
ありがとうございます。そうですね、自分でもすごく思い出があるノートですね。
やっぱり、この方に限らず、おそらくご一緒する、私がお出しするものが、この方の人生で最後に口にするものかもしれないっていう気持ちは、どの方に対しても常に持ちながらご一緒させていただいてるので、
それを決めるのが、どうしても我々になってしまう分、何かちょっとでもっていうところが常に考えられたらかなぁと思ってます。
できることも提供できることも限られてたりする中で、
一つの最善な気もするし、あとなんかその、
この話そのものが結構、青井さんのその他の患者さんとか、まあその自分の仕事全体の、なんだろうな、
なんかこう、心持ちというか、心構えというか、スタンスというか、
を、なんか何かしらすごく象徴しているような、ちょっと気もしたっていうか。
ありがとうございます。
っていう話なんですけど。
そうですね、ポップキャストなのにその文字メディアの話から広がるっていうのは、まああってもいいんじゃないかという。
ありがとうございます。読んでいただいてて。
ありがとうございます。
なーって、あーですねー。
なんか、
まあそうで多分そんな、まあもちろんね、その全てがってことではないです。全て話せるってことではないにせよ、多分
そういったその本当に一人一人の、本当にその本当に一人一人の物語みたいなものがあったりするんだろうなっていうのも思いつつ。
なのでちょっと少し、もうちょっとこうキャリア的なというか、ところに少しお話を
動かすと、結構とはいえ、なんか今まで伺っていると、なんかそういう、まあ多分今の病院の環境っていうのはすごくこう、
あおいさんが言語聴覚してこういうことをしたいっていうことと、で、それをできる環境っていうところが、なんかすごく多分こううまくかみ合っている環境なのかなっていう気はしてるんですけど、やっぱり
まあ病院によってとか、まあもちろん人によってもこういろいろ情勢が変わってくる中で、なんかこう、言語聴覚師としてのこう、その先のキャリアみたいなのとかって、みんなどういうことを考えてたりとかするんですか?
そうですね。
転職していた友人たちの話で言うと、やっぱりその回復期だけではなくて、他の状態、例えば旧世紀に戻って、最初にお会いするタイミングで何をしたら今後生活に戻りやすかったのかっていうところを知りたくて旧世紀に行くっていうスタッフもいれば、
逆に回復期から送り出した後の生活がどうなったのか、そっちから頑張りたいっていう風になって、生活期、訪問リハビリだったりとかっていうところに転職するっていう風に、なんでしょう、見る視点も変えて仕事を続けるっていうスタッフは多いような気がしますね。
アオイさんとしては今のところはこう、回復期っていうところが一番関心が高い。
そうですね。自分の中ではまずはそこかなというところと、あとはちらっと冒頭にお伝えしたんですが、最近こう外来部門といって、ご退院してご生活に戻られて、なおリハビリが必要な方々とご一緒させていただくことも出てきたんですね。
というのが、さっきもお話しした通り、比較的お若くしてご病気を患っていらっしゃる方々で、お仕事に戻りたい方だったりですとか、自動車の運転がしたい方っていう風になった時に、やっぱりこう、なんですかね、ご生活の必要な能力以上のものが求められる方々に対して、プラスアルファのリハビリをする機会をいただいてるんですね。
そうなった時に、やっぱりこう見えるものがまた全く違ってきているので、そういう方々が社会に戻るためにどうしたらいいのかっていうところは、もうちょっと自分なりに広げていけたらかなと思っています。
なんかこれそういえばちょっと冒頭で何か伺い損ねたなと思ってるんですけど、大前提その回復期っていうのはもう選んでいったんですか?それとも、この病院がいいなと思って入ったらたまたま回復期かってことでは多分ないんですか?
そうですね、もう回復期だけがある病院っていうところが一つ大きな条件だったので、自分の中ではそこがまずスタート地点ではありますね。
ちょっともしかしたら聞いた内容と被っちゃうかもしれないんですけど、それでいくと、あおいさんはなんで回復期っていうのをそもそも選んだんだ?そこはすごい気になるなと思う。
一つは、職業選択の時にも似たような考え方をしてるんですけど、適正の部分で考えた時に、救世機って本当にスピーディーな場所なんですよ。別に回復期がのんびりしてるってわけじゃないんですけど、
やっぱり救急搬送されてきて、本当に命に関わっている方々とご一緒するってなると、すごくやっぱりリスクが高かったり、もう次から次に来る方々をどんどんご一緒しなければいけない。
疾患としてその方を捉えなければいけないっていう特性があると私は思っていて、そうなるとちょっと自分には向いてないなと思ったんです。
自分で言うのもなんなんですが、本当にノロマなので、次から次にどんどん容量よくこなしていくっていうところを踏まえると、ちょっと自分の適正とは違うかもしれないっていうのが一つありました。
あとは、回復期の病院に実習先で行かせていただいたところも回復期だったんですけれども、やっぱりそこで実習生として患者さんとご一緒させていただいてたときに、
この人がどう生活を今後していくのかっていう、あくまで中間地点、通り過ぎていく場所っていうことを踏まえたときに、その人自身と向き合うっていうところがすごく面白いなと思って回復期を選びました。
あとはもちろんその後の、じゃあご生活の生活期って言われるとですね、訪問リハビリとかでご自宅にお伺いするっていう分野もなくはないんですが、どうしても発症から日が浅い時期が一番回復の伸び率がいいという風にされているので、
回復期の役割と臨床の難しさ
一番良くなっていく、伸びているところをご一緒したいっていうところ、それは自分の能力云々ではなく、その方々の自然回復に伴う流れの中でご一緒して、ちょっとでもそれが1でも2でもプラスになればいいなっていうのが回復期の役割かなと思ってるんですけど、そこがすごく個人的に興味深いなと思ったので回復期を選びました。
確かに一番変化も大きい時期だったりするんですかね。
そうですね、一般的にはそういう風に言われているかなと思います。
ちょっと同じ職種の方々が聞いてて、ちげえだろうと思ってたらどうしようって言われてるのもあるんですけど、私の中の考えとしてはそういうところかなと思ってます。
面白い、ありがとうございます。
なるほどね、だから一つは患者さんのフェーズみたいなもので、当然職業、仕事として求められる専門性みたいなところも少しずつ変わってきていて、
で、あとはその患者さんっていうのを1つの起点にした時に、どこのタイミングに自分はどうやって関わりたいかっていうのが1つ。
言語聴覚史っていうキャリアを広がりとか考える上での幅になってくるというか、そんな感じの。
もうちょっと中長期とかであります?
もう例えば、じゃあもうなんだろうな、例えば回復期で、それなりの経験を積んだから、じゃあちょっと次はもう全然違う、生活期とか休成期とかに行ってみようとかって、なんか今の時点で想像したりとかってするんですか?
あるいはなんか、ちょっと僕はあまりこう分からないんですけど、例えばその言語聴覚史的な能力が求められる全く別の仕事とかがあったりするとか、あるいはもう全然そことはこう違う仕事みたいなとかっていう想像とかってあります?
そうですね。個人的に仕事をすればするほど、年次が重ねれば重なるほど臨床って難しいなって思うんですよ。
やっぱりこう、今までご一緒させていただいた方に対して、あの方にこうすればよかったなとか、こういう風なアプローチができたんじゃないかなって後悔することがすごく多くて、そういう風になった時にまだまだ今の場所で修行を続けなければならないなっていう気持ちはずっとありますね。
やればやるほど見えてくるというか。
そうですね。それこそやっぱり私の父も先ほどお伝えした通り理学療法士なので、同じように臨床の現場でリハビリの仕事をしてるんですが、父も父で30何年経っても臨床は難しいってずっと言ってるので、ずっと難しい仕事なんだなと思いますし、やっぱり分かりきったつもりになってはいけない仕事だと思ってるので、
勝手にこちらがこの人はこう言ってるんだろうな、こう言いたいんだろうなって早勝手にしてしまうのはすごく怖いことだし、いつまでもやっぱりこう分からないな難しいな、だけど一緒に何とかしたいなっていう気持ちであり続けなきゃいけないのかなとは思いますね、個人的にですけど。
なんかこう明確な答えみたいなものが弾き出したら出てくるみたいなことでもないし。
そうですね。
いや、なんかすごくこうなんだろう、これは別にそのいろんな仕事でも共通なんだと思うんですけど、やっぱりその言語聴覚師ってところにおいてもこう深めれば深めるほどなんかこう謙虚になっていくというか。
そうですね、最後にちょっとなってきてはいるんですけど、なんかそれこそちょっとさっきから少し最近出てきてるノートのところにもおそらく書いてて、昔喋った時にも多分なんかその話をしてくれた記憶があってすごく印象にも残ってるんですけど、
本当に働き始めた頃くらいに、私たちはこう人の不幸でお金をもらってこうやってるような仕事なんだみたいな趣旨のことを言われて、
でなんかそれをすごく自分の一つのこう軸にしてるというか留めてるみたいなお話をちょっとあの少し記憶があれなんですけど、それってなんかこうどういう趣旨のことだったんですか?
そうですね、あの入職して2日目ぐらいにリハビリ課の課長から全体に向けて言われた言葉なんですけど、我々リハビリのスタッフは人の不幸で飯を食う仕事だっていうことを忘れないでほしいっていう風に言われたことがあるんですね。
やっぱり実際にこう何でしょう、いろんな患者さんいろんなご家族とご一緒する中で、やっぱり皆さんこんなはずじゃなかったって思われるんですよ。まさか一家の大黒柱のお父さんが倒れて急にある日仕事ができなくなるとは思ってらっしゃらないし、最後に食べたあれが口から食べれた最後のものだったんだっていう風には思わなかったっていう風にお気持ちをとろしていたんです。
お気持ちをとろしていただくことがすごく多い中で、やっぱりこうそれに対してどうしていくかを一緒に考えさせていただいてるんだって、私たちに合わない人生の方が目の前の患者さんは一人残らず幸せだったんだよなっていうところは忘れちゃいけないなっていう風に思いながら仕事をしています。
だからこそ、もう出会ってしまったからにはもうそれは取り返しのつかないことなので、ならそこから歩まれる人生がどういう風になっていくのか、どうすればちょっとでもいい方向に向かうのかっていうのは常に一緒に考えさせていただきたいなと思いながら仕事をしているかなと思いますね。
なるほど。
まあ、出会ってしまった。
そうなんですよ。
ありがとうございます。
なんか、すごく多分、実際にそこに直面している患者さんたちも本当に全く想像もしてなかったような場面にある種プロフェッタローとして関わっていくっていうのもですし、
なんかすごい、なんだろう、その人の不幸をっていうのを、すごくその、それを当時おっしゃった上司の方っていうのは、ある種その現実みたいなものを冷徹に見た上で何ができるかっていうのをすごく考えられてて、
なんかこう、青木さんの中にもおそらくそういうものが引き継がれてるんだろうなっていう気もして、
なるほどって思ったというところですね。
ありがとうございます。
いや、すごい面白い、すごく面白い話が聞けたなと思って、本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
今日の収録はこの辺りで一旦終わっていくんですけど、また引き続き何かあれば是非お越しいただいてお話し聞かせていただけると嬉しいなと思っています。
はい。
働く僕らはですね、Twitterやってたりしますので、是非フォローしていただければと思うところと、Googleフォームから是非ですね、ご意見だったりご質問だったりいただけると、私も青木さんも泣いて喜べますので、よろしくお願いします。
はい。じゃあ今回は義務職学士の青木さんお越しいただいて、いろいろ話を聞いてきました。
なんか最後に宣伝しておきたいこととかありますか?
いえいえ。
大丈夫ですか?
大丈夫です。
大丈夫ですか?
はい。ありがとうございます。
23:35

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