朝のルーチンと自己認識
おはようございます。人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、管理職を捨ててライフコーチとして独立した私が、これから企業復業を目指している方の背中を背負うようなお話をしていきます。
今ですね、朝5時47分。今日は朝散歩に成功しております。
三連休の中日ですかね、お盆シーズンということもあって、かつお時代なんで車が少ない。
人も少ないが、車がやっぱり少ないですね、今日は。ちょっと静かな感じなので、まだ寝静まってる方も多いので、静かに話したいと思います。
今日も5時15分くらいかな、目覚めて、またあの、どうする?行く?行かない?みたいな、一人工房をですね、繰り広げてたんですけど、今日はちょっと朝行っとかないと、
今日はこの後、娘のバスケの練習試合があるので、ちょっと行っとかないと歩く暇ないかもなぁと思って、行くか、みたいな感じになるんですよね。
やっぱりね、こういう理由とかね、ちょっとした強制力みたいなものがないと、人ってなかなか自分のお尻を叩くことができないんだなぁという感じですね。
行かなかったら後悔するだろうなぁっていうところと、このまだ布団に入っていたいというですね、気持ちを天秤にかけて、中山筋肉風に言うとね、行くのかい?行かないのかい?どっちなんだい?的な感じの筋肉ルーレットをしているようなイメージなんですよ。
でも一回こう、一回というか何度かね、朝散歩をしていて、この朝の涼しさとか人の少なさとかですね、この気持ち良さを経験しているから、行くメリットを感じられるんですけど、一回もやってない状態で、行く?どうする?ってなったら、結構行かない方に引っ張られちゃうんですよね。
行くとこの朝一で歩いて、すでに歩数稼げて、スタイフも取れてるっていうこの状態がすごい気持ちいいわけですよ。朝からすごいやることやれてるっていう肯定感みたいなものがね、上がるので、やっぱり一回これを経験して報酬っていうのは結構大きいのかなと思いますね。
一回はちょっと無理やりにでも、やっぱり誰かを約束をするとかですね、強制力をですね、自分一人ではないところで働かせてですね、誰かの真似をするとか、誰かと朝勝の約束をするとか、コーチに朝散歩をするですね、宣言をするとか、何らかの強制力を働かせて、やっぱり一回でもちゃんとやったことによる報酬っていうのを得ておくっていうのはすごく、
習慣を作る上でですね、大事かなというふうに思います。
あとは何と言っても、何でやるのか、やるとどんな良いことがあるのかっていうのをどれだけ良いイメージとして持てているかですよね。
やっぱりそこはすでにやっている、実際にやっている人がいて、
でかつその人がやること、特に続けることですね、単発じゃなくて、続けることでどんな良いことが起きているのかっていうことをやっぱり実体験を持って聞かせてくれるということがですね、一番、あ、だったら自分もやってみよう、自分にとっても良いことがありそうだっていうふうに腹落ちですよね、できる。
ただ知識として、朝歩いた方がいいでしょう、みたいなことを誰でも思っているじゃないですか、それをね、何でやるのっていうところですよね、どんな良いことがあるのかっていうのは、それをやっぱり先を行っている人がですね、やっている、体現しているということが一番、自分にとってもやる理由につながってくるのでね。
そういう意味で、私も自分の前コーチが、同じように朝散歩をして、スタイフを取るというですね、スタイルを確立されているのを見て、あ、いいなって、じゃあ私もやろうかなってやっぱり思えたわけですよ。
一人では無理です、継続は誰かの力を借りなければ、今日はこの話をしたかったわけではないので、一旦この辺にしておきまして、はい、そんなわけでですね、告知を先にしたいと思います。
AIの台頭とその影響
昼スナック開催します、8月22日、金曜日、午後1時から5時までですね、場所は赤坂のスナック引き出しさんです。
料金いただける方は概要欄でご確認いただければと思います。来ていただける方はですね、予めご一方いただけるととても嬉しいのですが、特にご報告なくしれとご来店いただいても、どちらでも嬉しいので、お待ちしております。
今日はですね、AIにできなくて人間にできること、人間にしかできないことについて話してみたいと思います。
なんでこの話をするかと言いますと、先週じゃないな、先々週ぐらいかな、前コーチとクライアントさんとのミーティングですね、今毎週やっている形なんですが、その中でやっぱりAI
に、コーチもですね、コーチング業もAIにとって変わられているということはもう否定できないと、今までだったら誰かに相談したいという願望、欲求があったときに、相談する相手としてまずそのコーチという存在が
いたんだけど、今はとりあえずAIに聞こうというふうにですね、
だいぶ市民権をですね、得てきたので、ちょっとしたことであればAIに聞いて解決をできてしまうし、なんならその解決方法と言いますか、やっぱりAIはデータの集合値ですから、いろんな角度側面からですね、アイディアとかを出してくれたりするので、なんかこう
わかった気になっちゃうというか、全然その、もちろんコーチ一人が出す情報よりも量とかも多いだろうし、多面的なですね、
情報っていうのを得られるので、かつAIは結構励ましてくれたり、
否定しないというか、承認してくれるみたいな言葉とか、寄り添ってくれる感じがあるので、結構
それで心のメンタル面も充足されやすいっていうところがあると思うんですよね。
実際に何かの調査で、これこの間クレンズさんから聞いたんですけど、AIと人間のコーチ、コーチというか人間相手ですね、どっちに本音を話せるかっていう調査なのか、
ちょっとそのデータの信憑性とか、出どころはちょっとわからないんで、話半分聞いてもらえればと思うんですけど、どっちが本音を話せるかという調査においては、AIの方が本音が話せるという答えた人が多かったみたいなんですよね。
それはそうですよね。それはそうですよねっていうか、別にAIだったら何聞いても恥ずかしくないし、
変なことも、あとしつこく何度でも聞けるじゃないですか。
ここにおいては確かにAIの方が言いやすいみたいなことっていうのはあるだろうというのは、これは否定できない事実なんじゃないかなと思います。
やっぱり人間に対してちょっとこの質問は際どいよなっていうところも、AIに対しては連絡聞けちゃうみたいなところはあるので、そういうところでは助かる部分は私もあります、正直。
際どいことを聞いた時に、ハルシネーションって言うんでしたっけ、AIがそれっぽく答えてくれてしまうが故に間違っていることですよね。
事実と違うこともあたかも正解のように言ってくれてしまう。それで自分がそうなんだって分かった気になっちゃうっていうのがあるので、それはやっぱりちょっと危険かなっていうところはありますよね。
ここはやっぱりまだ人間の目というか判断、人間だからこその判断ですよね。
人間の価値とリスク
例えば工場とかでもね、センサーとか画像判断とかで大抵はそのAIというか機械が判断をしてくれる、たまに異物混入とかですよね、そういうのを判断してくれるわけだけど、
そこを通っちゃって、でも最終的に人間の目でチェックをした時に気付く、発見されるものっていうのもやっぱりまだあるわけなので、
だから多分どっちが正確かとかどっちが上かという話ではなくて、得意分野が違うっていうだけの話なのかなとは思ってますね。
だから両方使うっていうのが一番いいのかなとは思ってます。大前提としてですね。
それぞれの得意分野があるから。AIが集合値の良さであるとしたら、人間は逆ですよね。
ある意味そのハズレ値だし、サンプル数としては人1人だからN1なんだけど、でもそのハズレ値の良さというのもまたあるわけですよね。
この間、リスクの話をしたんですけど、何回か前の放送で、リスクが小さいっていう状態は触れ幅ですよね。
触れ幅が小さいから損する可能性も低いから得をするというか、リターンですね。
得られる可能性も低いっていうことですね。
リスクが大きいというのは損失の可能性も大きいが、その分得られるリターンが大きい可能性、その触れ幅が大きいというのはリスクが大きいという、金融の言葉で言うんですけど。
で、なった時に、AIというのは集合値を使うことで標準偏差的な9割の中には入るであろうみたいな、大きく中心からずれていないだろうという深いを出してくれるというのがAIという存在であって、
ただ、そのぶれが少ないということは、リターンという表現がちょっとだけかもしれないですけど、要はコモディティ化していくっていうことなのかなと思うんですよね。
ほとんどの人は反対しないだろう、ほとんどの人はそうだよねって言うであろうみたいな、無難か、無難ですね。
無難なところに落ち着くであろうというのが多分AIなんですよね。
それに対して人間というのは、もしかしたら人の一人の人間だと、その人の経験知識に患者の意見が左右されてしまうので、もしかしたらめっちゃ間違ってたりとか、全然的外れなこともあるかもしれない。
けれども、その人の能力、知識とかセンスとかが合致した場合は、そのAI的な、集合知的な、まるっといい感じにまとめられたものでは出てこないような、やっぱりその揺さぶりですよね、触れ幅の大きいですね、良い方の外れ値が出てくる可能性があるということですね。
リスクが大きい状態ですよ、触れ幅が。
っていうことなんじゃないかなぁと思っています。
どっちがいいのって感じですね、その生き方として、誰にも後ろ指さされないような、無難な生き方をしていきたいのか、後ろ指が刺されてもいいと、何ならちょっと痛い目を見てもいいと、でも他の人とやっぱり違う生き方をしたいとか、
その他大勢にはなりたくないとか、という覚悟、リスクを手を負うつもりがあるなら、やっぱりAI的な考え方だけをしていると、踏み出せない部分もあるのかなと思います。
人間とAIの違い
あとはですね、そもそもなんですけど、一番のAIと人間の違いって何かというと、私はその物体として存在していること、人間がですね、人間は物体として存在している、AIは物体としては存在、形がないということですよね。
それが根本的に違うよねっていう一番の違いというか、人間にしかできないことなのかなと思ってまして、物体として存在するかつ生物ですね、無機物ではなくて有機物として存在をしているということは、
その生命活動をしているということで生きている、生きているし死ぬこともあるというですね、動的な存在であるというところと、その喜怒哀楽感情というものがある、AIもすごい感情を持っているかのように話してはくるんだけれども、
決して感情を持っているわけではないっていうところは忘れてはいけないのかなと思うんですけど、感情を持っているということと、その物体というのは存在していることで周りにエネルギーを、影響を与えている存在なんですよね。
なんかその素粒子とかいろいろ考え方はあると思うんですけど、そこに別に私は詳しく系統しているわけではないのですが、ただその人という存在が存在して動いたりですね、喋ったりする、その存在しているということ自体が常に周りにエネルギー、影響を与えている存在であるということですね。
シンプルに表情がないじゃないですか。AIも今、画像とか、AI受付、コンシリーズみたいなやつは確かに人が喋ってくれるんだけど、すごいなとか、面白いなっていうのは、そういう心の動かされ方っていうのは、しつこく聞いても嫌な顔をしないとかっていうのがありますけど、そこが逆に人間味がないんだよな、やっぱり。
AIとの対話でいいやって思えてしまうこと自体が、その人間味、豊かさみたいなものを失っていっているような気がしますね。そこは代替されちゃダメだろう、みたいな部分まで代替しようとしてくるということに危機感を持てるかどうかなのかなと。
っていうのを持ってますね。 あと、物理で存在するということに戻るんですけど、話が。
AIとの対話って基本スマホかPCの前でしか、画面の前でしかできないんですけど、人間との対話というのは、歩きながらとか、ご飯を食べながらとか、
そうだな、一緒にご飯食べれないな、AIは。 同じ釜の飯を食えないんだ、AIちゃんは。
それは結構、デカくないですかね。
ただ一緒に歩けないし、 一緒に電車や車に乗って出かけることもできないし、
お酒を組み交わすこともできないし、 会いに行ったり、会いに来てもらうこともできないわけなんですね。
AIに会いに行く、あるのかもしれない。それはあるのかもしれない。 会いに来てもらうことはできないですね。
考えると、人を移動させたり、動かせたり、生命活動そのものを、人というのは発生させ得る、一緒にその体験を伴うことができる。
なぜなら、体という物体があるからですね。 その行動を共にすることでしか浴びられない、
エネルギーみたいなものですね。 要素みたいなものがあるというのは、やっぱり人間にしかないものなのかなって思うんですよね。
実際、私は自分のコーチに、東京から北九州にも飛行機に乗って行っているし、
あと、先々月かな、6月、あれもう1ヶ月半くらい前か。
今度、そのコーチとクライマックスさんに会いに、東京から札幌まで飛んで行っているわけですよ。
うちの子供もね、そんなに小さくないとはいえ、小学生の娘がいます。その状態で、1泊2日で、九州行ったり、札幌行ったり、させているわけですよ。
それ、AIにできますか?っていう話ですよね。いや、できないでしょう。AIのために、わざわざ家族に相談をして、飛行機をとって、1泊で人に会いに行くなんて、AIのためにできないでしょう。
人生はね、移動距離に比例するなんて言葉がありますけれども、やっぱりその人というのは、やっぱり移動を伴う人間であって、その人に会いに行くということが、また人を移動させる。
これを発生させるわけなので、やっぱりそれを発生させられることが、人間にしかできないことだと思うと、
じゃあそのAIコーチングに、どうやって人間が負けないようにしていくか、トートされないようにしていくかっていうことを考えると、
やっぱり何を言うかとか、知識がどうとか、何を質問するかとか、そういうことではなくて、その存在として一緒に過ごしたりとか、
会いに行ったりとか、そういうことをする存在として一緒に過ごしたい人間であるかということが、とてもその時間を共にすることに価値を感じられるかどうかということが求められるのではないかと思っているんですね。
もちろん場所によっては、毎回毎回対面セッションというのが難しいことももちろんありますけど、でもお機会を、会いに行く機会を作りたいと思うんですね。
そのためにいろんなことを調整するわけじゃないですか、人というのは。移動というのはお金以外にもいろんなコストがかかるんですよね、調整コストが。
何か調べたりとか、ホテルとか飛行機とったりとか、家族にも協力してもらったりとか、いろんなコストを発生させて初めて人に会いに行くということが達成できるわけなので、その背中を押すのはやっぱり人間にしかできないんだろうなって思いますね。
この間ですね、自己基盤の講座でですね、途中私参加できなかったんですけど、東京で2日間の講座が、リアル対面講座がありましたと。
そこにですね、長野から参加していた方がいて、結構その方も家庭のことだったりとかあって、すごい行きたいけどどうしようっていうふうに、
迷ってたんですよね。
やっぱりそこで、周りのですね、メンバーが、またコーチとかも同志をしたし、やっぱりその人たちにリアルで会いたいっていう気持ちがあって、長野からですね、滅多に長野から出ないらしいんですよ、東京にも滅多に来ないらしいんですけど、
実際に一泊二日で長野からいらっしゃったみたいで、やっぱりそういう話を聞くとですね、人間にしかできないことってあるよなと思います。
やっぱりそれもそのみんなに会うというですね、目的地、もちろん学び、講座としての妄想なんだけれども、何よりその信頼しているメンバーがですね、リアルで守ってくれているっていうことが、それが一番大きかったのかなと思うんですよ。
人を動かすエネルギーをですね、発生させるのは、やっぱり人間なんだろうなと思います。
あと、これはコーチとクライアントのミーティングの中でも話していたことなんですけど、何をすればいいかみたいな解決策を出すのは、AIは非常に頭がいいので得意ではあるんですけど、
コーチングにおける人間の価値
向こう側の継続ですよね、そこの部分において、お尻を叩くというか、さっき散歩の話もしましたけど、一定の強制力を働かせる存在である。
なんでやるかとかを伝え続けてくれるとか、その実際に自分がこれからやろうとしていることを既に先にやっていて、それをさらに体現している、理想の形で体現をしているということもやっぱりAIにはできないわけなので、実現までの実行部分ですね。
その継続ですよね、そこがやっぱりAIには難しいところなんじゃないかなという話をしていました。何をすればいいかなんてみんな分かっているんですよ、別に。分かっていて、それを実行に移すかつ継続をするというのが難しいわけなんですよね。
だって何でやるか分かんないし、やったらどんないいことがあるのかも分からないし、別にAIだったら約束を破っても怒られないけど、別にコーチも怒られるわけじゃないんですけど、やっぱりそのコーチとの約束を守りたいという気持ちがですね、また自分を実行に向かわせてくれる、いい意味での強制力になるので。
やばい、雨降ってきた。自分との約束を守り続けられるほど、人間は強くないんですね。
あともう一つありましたね、AIにできて、人間に、逆だ、AIにできなくて人間にできることって思ったことがあって、
AIとの対話においては、人間がですね、こちら側が既に自分の中で言語化できていることを認識して、言語化できたことを、AIに対して投げかけるわけですよね。
なんですけど、自分の中でまだ言語化できていない部分というのは、AIには見えないわけなんですよね。
それがそのいわゆる非言語情報と言われる部分なんですけど、そこを読み取ることができるのが人間だと思うんですよね。
例えばその話の中でも、今ちょっと声のトーン変わったじゃないですかとか、言葉に詰まったとかですね、その言語化されてない部分ですよね。
あと表情とかもそうですよね。今表情を、その話をしているときに表情変わりましたよね、みたいなこととかを、そこをフィードバックして、そこにはどういう感情とか意図があるんですか。
今どんな気持ちなんですかっていうところを掘ってくれるっていうんですかね。
そこがやっぱり人間にしかまだできないんじゃないかな、どうなんでしょうか。
それも画面とか音声を学習させたら、そこも読み取れるようになるんですかね、AIでも。
その行間、言葉になっていない行間を読み取ってくれるのがやっぱり人間なんじゃないかなと思うんですよね。
それこそボディーランゲージですよね、体、姿勢とか、そういうのも含めて、そういうところが読み取れるコーチにならないと逆にですね、
ただ相手の言った言葉を自面だけ受け止めていると、それこそAIと同じか、むしろAIの方がいろんなことを答えてくれるっていう風になっちゃうと思うので、
やっぱりそのAIができない部分はどこなのかというのをですね、いろいろ考えて、そこをAIと比較されない、
AIはAIで使いつつ、でもやっぱり人間がいいなって思える、人間にしかできないポイントを育てて出していって、
だから人間のコーチをやっぱりつけた方がいいんだっていう理由ですよね。
これをクライアントさんの中に見出さないと、人間のコーチは選ばれなくなってしまうわけですから、
この間すごいYouTube見てて面白かったのが、糸井重里と二重に光の対談で、
人間にしかできないこと
落語の話で、昔戦った邸川男子秘匠が、落語なんていらないものだってバレないようにやれよみたいな話のエピソードがすごい面白かったんですけど、
本質的には、例えばコーチングとか、お主軸とする対人支援協って、必要ないっちゃ必要ないじゃないですか。
生きていく上で絶対必要かと言われたら、必要ないんですよ。必要ないものに必要性という意義を見出して、
かつ無形の商材というものに対して、絶対必要でもないし、形のないものに必要性を見出してもらうと、
存在意義を見出してもらわないと買ってもらえないわけなので、そこって人間にしかできないことをやらないと、
じゃあAIでいいじゃんになっちゃうわけなので、結論、人間にしかできないことをやりましょうという話でございます。
もしかしたらAI時代において生き残る、これは別にコーチングだけじゃなくて、あらゆるお仕事において、
AIはAIで強みとして活用していきつつ、そのAIができない部分、AIにとって変わられない部分、
やっぱり人間がいいねって思ってもらえる部分、それこそ落語なんて、AIの落語とか見たくない、絶対見たくない、
全然聞きたくないですよね。あれは人間がやるからいいんですよ。
落語で思い出しちゃったんで、ちょっとまた話すんですけど、
昔、柳屋子三次っていう落語家、話しか、落語家って正式名称じゃないんですね、話しかいたんですけど、
落語もいきなりその演目、ストーリーに入るわけじゃなくて、いわゆるアイスブレイク的な最初の雑談があるわけなんですよ、その講座というのは。
その雑談のことを枕と言うんですね、落語用語で。
なんですけど、柳屋子三次は枕が長すぎるで有名で、いつまでもその演目に入らないと、長すぎて面白くて、
っていうので、その枕で話したことだけが本になるみたいな、それぐらいその枕トーク集を集めた本があるっていうですね、そういう人だったんですけど、
でもそのまま無駄ですよね、無駄というか、遊びというか、
しかもプロの話しかさんというのは、その場にいるお客さんの顔とかリアクションを見ながら何を話すかっていうのを、
それから演目自体もその日の客層に合わせてどの話をやるかっていうのを変えてるわけなんですよね。
これはやっぱり言えないようにできないですよね。できないと思う。
それで無駄ね。いつまで話しとんじゃいっていうその無駄な感じとかもないし、相手に合わせて話すことを変えるみたいな。
それもやっぱりできないんじゃないでしょうかね。
そういうこと。落語をもう一回聞こうかな。落語聞きたくなってきたな、久しぶりに。
落語なんてね、それこそもともと大衆芸なんで、今でいうお笑いみたいなもんですけど、あれも無形の必要のない商売ですから、まさに。
でもそこにお金を払って見に行く人がいるわけですよね。
かつ、寄せとか、対面でしか感じられない空気感というか、音とか、一番近くだとツバ飛んでくるみたいな感じとか、
エネルギーを浴びに行くわけですよね、人間というのは。
リアルで何かを見に行くとか、人に会いに行くっていうのは、やっぱりその人のエネルギーを浴びに行くということなので、
エネルギーを浴びたいと思われるエネルギーのある人間でいることというんですかね。
そこがやっぱり有形の存在、物理として存在する人間のAIにはできない一番のお仕事なんじゃないかなと思います。
エネルギーと存在意義
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