ただ、この記事を読んで、秦と自分が高校生の時に体験した出来事を思い出しました。
それはですね、高校生の時にアイスクリーム屋さんで短い期間アルバイトしてたんですが、
一番最初に、アイスクリームすくうやつで、すくう練習をさせられるっていう感じですけど、
グラムがもう決まってるんですよ。きっちりこのグラムをすくえるようになるまで練習してください、というふうに言われるんですね。
いろんな基地具とかの洗浄とかも細かくルールが決まっていたので、
これは私の勝手な思い込みですけど、店長さんがちょっと神経質な感じの印象に思ったので、
私もそういうバイト初めてですし、初めてやるバイトだったので、
明確にルールをこうやってくださいって言われてないことに関しては、ちょっといちいち聞いてたんですね。これで合ってますかっていうのを。
そしたら店長さんに、あなたは依存心が強い人ですねというふうに言われて、すっごいショックを受けたんです。
いや依存心じゃなくて、ここのお店は性格性を求めて、店員に性格性を求めるから、それに合わせてちゃんと求められるようにできるように
聞いてやっていったのに、それを依存というかね、依存心というかねと思って、すっごいびっくりした、すっごいショックだったんですね。
で実際他にも、私より先にだいぶ前から入って長くバイトしている他の子たちは、多分店長さんから、それと依存心が低い一律的に動く人なんですけど、私から見たら店長さんがいないときにやっている、
ちょっと言えないこと。手抜きだけじゃなく、そんなことをしてちゃいけないんじゃないの?と思うようなことをしてたりとか、そういうふうな感じだったんですけど、店長さんからしたら手のかからない人だろうたちにねって言って、
私は手のかかる人に見えている状態だったんですね。
私その経験以来、その経験以来というか、学生やってる間は接しなきゃならない相手一人一人が持っているその人にとっての当たり前。
その人にとっての普通はこうでしょっていうやつを見定めてからやっと、この人の物差しはこれなんだって分かってからじゃないと、ちょっとおしゃべりができないっていうか、ほとんど無口で聞くだけみたいな感じになってたんですが、
それはもう覚えてる範囲では、5歳ぐらいのときからそうなんですね。自分のうちではこれが当たり前だけど、親戚のうちに行ったりしたら、ここのうちの当たり前はどうなんだろう。ここのうちで良しとしてることはどうなんだろうっていうのがわからなくて、
いちかばちかでやったら、間違ってて怒られたみたいな、そういう経験も積んできて、だんだんしゃべれなくなった。しゃべったり、いわゆる一見引っ込みじゃんみたいな感じに、人からは思われるようになっていったんですけど。
で、高校そのバイトでは、ここはこういうのを良しとする場所なんだろうと思って、性格性を出したら依存心が強いという感じで、もうちょっとわけわかんないって思ったんですよね。
で、学生の頃は接する相手がそんなに大きく変わることはなかったので、見極めてから話したりする、おしゃべりができるようになるっていうのは変わらなかったんですけど。
就職したら、初めましての人とか、初めての環境とか場所とかっていうのに出くわす頻度がものすごく上がってしまったので、といっても私技術職だったから、
それでも一般営業職とかの人に比べたら、全然固定の環境で仕事できてたはずなんですけど、それでもやっぱり自分としては多く手をつかなかったので、自分の中でテンプレートを作ったんですね。
こういう感じの人は、とりあえずこれで最初対応しようみたいな。こういう感じだったらこれ、こういう感じだったらこれみたいな。
一番大きな区分は、やっぱり年齢とか性別とか、あとはその人の職種ですよね。それの区分があって、その人の性格まで言い切ると語弊があるんですけど、
どういう感じの傾向の人かっていうのをパッと見定めて、年齢、性別、傾向を一瞬で判別して、最初はこのテンプレートで対応するみたいな、そういう形でやるようになりました。
で、その子の私が使ってたテンプレートのことをおそらくアンコンシャスバイアスの一種って言うんじゃないかとちょっと思ったんですよね。
無意識の思い込みや偏見ってことですけど、みんな生まれてから、親とか周りの人とかから教えてもらう、こういう時はこうじゃないといけませんよっていうのもあったり、
自分の周りの人たちの言動や反応を見ていて、こういう考え方、こういうパターンなんだなっていうのを覚えていって、それをなるべく摩擦がないようにスムーズに生きるための知恵というか術として、
いやわかんないけど、なんとなくだからそこに優しさがあるかどうかっていうことなのかなって思ったりするんですよ。
やっぱり相手の、もう一行で相手のことを全情報を知るっていうのはなくて、メタ認知っていろんな方向から物事を捉えるっていう認知方法のことなんですけど、
これは、スピリチュアルって言うと語弊があるんですけど、高い視点から物事を捉えるっていうのも含むんですね。
それをもっとエネルギー的に言ってしまうのだったら、高次元レベルのエネルギーと高波動のエネルギー、高周波数が高いとかっていう、そこから捉えるということになるんですけど、同じことなんですけど、
一つの物事を違う周波数で捉えると、意味合いが違くなってくるんですよ。それを言語化したときに。
例えば、なんか一個悪いことがありました。低い周波数でその出来事を捉えるとするなら、なんか悪いことが起きたとか、運が悪いとか、そういうふうな捉え方になるんですけど、高い周波数から見たときには、
それは、一方向の視点だけから物事を進めていた状態から、もっとより良い方向に向きを変えるための築きを得たということになるんですね。全然意味が違うんですよ。きっかけをもらえたってなるんですね。
なので、私、例の者とかチャネルラとかが、相手の方を認識するときに、高波動のレベルで認識して、それをそのまま相手にお伝えしたとして、質問されたから答えるっていう場合ですけど、勝手には言わないんですけど、
その場合、その方が普段使っている周波数、イコールその人のテンプレートであったり価値観とか考え方につながるんですけど、ではなく、違う周波数、違うテンプレート、違う価値観からそれをお伝えすると、全く通じないんですね。
なんなら怒り出されちゃうんですね。
だって本人は、こんな不幸なことが起きてるから原因を知りたいですって来られてるときに、それはあなたのための学び、今のままやっていくと、あなたのための学びが起きてるんですよって言われたりとか、
あなたが、もっと他の道に進めるために自分で引き起こしてますよとかっていうのを伝えたとしたら、実際伝えたことがあるんですけど、そういう相談に来られて、
無料でですよ、そのときは。
したら、わからないならわからないって言ってくださいとかって言われてしまったのですね。
もし私とかが、本人の周波数まで自分を下げて、その周波数帯で事象を捉えて言語化するとするには、ちょっと時間かかるんですよ。
自分の周波数を下げて繋ぎ直して、情報を得てっていうことをする。
自分の周波数を下げるということは、自分にも同じ不幸が起こる。この方が自分の身に起きた不幸をと思っているのと、同じように私にも不幸という解釈となることが起きるんです。
同じ周波数になるんで。
昔、若いときは本当に相手が認識する形ではどうなるんだろうというところで、
それこそ自分で無意識に相手の周波数に同調させて、解釈して対応するっていうことをしてたんで、私も付き合う人が、不幸体質だと私も不幸が降り起こるみたいなことになってたんですが、
これは私だけじゃなくて、全ての人類同じように起こるんですよ。本当に。だから一緒にいる人と同じようなこと、似た者同士が集まるみたいによく言われるんだけど、
周波数帯が近くないと出会えないっていうこともあるので似た者同士が集まるとも言えるんですけど、
合わせ癖がある人って実際にいるので、相手に合わせちゃうっていう。そうすると、身近にいる人が、好みの不幸を嘆きがちなタイプの人だとすると、自分もつい無意識に合わせちゃって、
同じような良くないことが起こるようになりやすくなっちゃったりするんですね。実際本当に。だからこの、無意識の思い込みとか偏見っていうものは、そんな部分、本当に良くない部分もあるとは思うんですけど、
優しさの場合もあるし、もう相手のためにパッと私が、この一瞬で判断できる範囲での相手のためにより良いだろうと思う対応を取るための手段でもあると思うし、
あとは自分が、自分が自分の波動を保つっていうか、自分を保つ、保てるように、もう相手に無意味に同調しすぎないっていうか、ための手段でもあるんじゃないかなと。
思ったりもします。だから常に思いやりがあるのであれば、こういう便利なテンプレートというのは必要だし、
あと相手の人がの細かいこと、細かい考え方とか、何にどう反応くるかどうかわかってきたら、それにあわけて、自分の優しさテンプレートをその人専用に微調整していけばいいんじゃないかなっていうふうに思ったりしました。