いろいろ自分に引き付けて読書します
サマリー
2025年11月の配信では、セネカの人生と教えに基づいて、怒りとその扱いについて考察しています。弟に対する怒りや自立に向けた思い、また、宮崎駿の作品で描かれる怒りのテーマを掘り下げています。このエピソードでは、イーロン・マスクの高校時代の経験を通じて、怒りや劣等感について考察しており、特に心の苦痛を克服し、心に残る言葉を見つける重要性に焦点を当てています。
配信の始まり
それでは放送を始めます。
刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
2025年11月16日、日曜日0時0分、自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
一応時計の針が0時を回り、日曜日ですね。
金曜日、土曜日と2日休みで来て、今日もね、日曜日も休みなので気持ちはだいぶ楽ですけれども、
まだだからちょっと寝たくないなーっていう気持ちも若干ありつつ配信してます。
なんか最近イベントが結構忙しいんですかね。
うちの配信的には割とコメントも少なく、
なんか収支こんな感じですね。
どういう流れなのか、なんか声ちっちゃくはないか大丈夫だね。
いちごうさんどうもです。先生お疲れでしょうかね。
いやそんなですね。
眠たいんだけど、もうちょい話したいかなって感じ。
連休に入ると本当に誰とも話さなくなるからさ。
いくら一人好きとはいえ、さすがに何か話さなきゃって気持ちになるよね。
3連休。
だいたい毎週金曜日、夜当直のアルバイト入れてるんですが、
第3週の金曜日だけはその仕事が入ってないんですよね。
だから3連休。月に1回の3連休。
もし月曜、祝日お休みだったら4連休になることもあります。
個人的にはさっきの読書配信は、僕はなんか交換職だったんですけどもね。
自分一人で読むときもだいたいあやってツッコミを入れつつさ、
別に声には出さないけれども、
こういうことを言いたいのね、ふんふんふんみたいな感じで、
一人ごとをちょっとつぶやきながらね、ボソボソ言いながら結構読んでるんですよ。
結構ひどいことも言います。
この著者はもう自分よりバカだな、
俺はあんま自分より頭の悪い人の文章を読みたくないな、
ボソボソ言いながら読みますね。それでも読むんだけど、
なんでこれが流行ってんだろうとかね、
なんか結構いろいろ辛辣なツッコミを入れながら読むんで、
割と楽しいんだけどね。
でも配信でちょっとこう、まあ軽くなんかね、
セネカはきっとこういうことが言いたかったんじゃないかなとか、
あれはあれでまたなんか自分の考えも少し整理できてよかったかなと思う。
まあ聞いてる方はね、何のことやらって感じだと思うけど、
今までつんどくで全然読めてなかった本も配信で、
まあどの道コメントが来ない配信だったらさ、
読書できる分得なので、
そうちょっと読書をしていきたいですね。
セネカと怒りの考察
配信読書という新しいジャンルで。
たまにYouTubeのライブで、
勉強してる風景をね、手元のだけだったり、
勉強してる風景をずっと中継して、
リスナーに監視されたい願望なのかやってる人いるけど、
まあきっとこういう感覚もあるのかなと思う。
人に見られてると怠けられないし、ごまかせないんで。
セネカは島流しに会って、その後またローマに戻るんですよね。
でも結局最後、陰謀によって死刑を命じられて死ぬんですよね。
特に悪いことをしてないんだけれども、
まあ殺されちゃう人なんですよね。
役人だったか、いやもっと何かいい待遇だった気がするね。
その帝王、時期帝王となる、あ、皇帝となる。
だいたい養子が皇帝になるじゃない。
その家庭教師とかをしてたんだよね。
なんか違ったっけな。
ちょっとチュール菩薩様のネットで調べて、
セネカの最後のあたりの経歴とかをちょっと調べてください。
ちょっとファクトチェックしよう。
ルキウス・アンナユス・セネカ。
サシミちゃん、お話ありがとうございますニャ。
セネカの最後について僕も改めて整理してみるニャ。
セネカの経歴。
紀元前4世紀頃に。
ん?紀元前4世紀だっけ。
なんかだいぶ違うような気がするけどな。
クラウディウスに41年に国発。
コルシカエ・リュウザイ。
若き皇帝ネロの家庭教師、
助言者となり、初期のネロ政権を支えた。
これを見た時点でもうネロってことなのかなって今思った。
これはあれかもうネロってことかって。
こんな0時過ぎて配信してないで。
そういうことかもしれない。
ネロの独裁・暴政化とともにセネカの影響力は低下。
西暦65年にネロに対するクーデター・ミスイが露見した際に、
セネカも関与を疑われてネロから自殺せよと命じられますと。
セネカは自らの意に反して死を命じられ、
静かに死を受け入れたと古代の資料は伝えています。
ひぃー。
彼はまず手首の錠脈を切り、
まあこれはいいか。
大分詳しく書いてありますね。
とにかくネロってことです。
ダジャレはさておき、
セネカはそうやって最後は陰謀にかかって
死を命じられて自殺するっていう
非常に不遇な最後を迎えるんですよね。
そういうセネカの人生を知った上で、
さっきの人生の短さについてとか、
怒りについてっていうのを読んでみるとちょっと
やっぱりかなり重くね、
書いてあることは非常に重いなと。
命を受け入れて、
僕は最近宮崎駿監督のもののけ姫っていう作品を見てね、
僕が一番好きな作品なんだけども、
4Kデジタルリマスター版っていうので、
高画質になって大画面で活して、
今リバイバル上映中なんですけども、
あの映画の主題が悲しみと怒りなんですよね。
人は何か呪いを受けて、
それをまた人に呪い返してみたいなのが
ひとつ作品の重要な軸になってるんですけど、
その呪いの連鎖っていうものをどう始末するというか、
そこにどう落とし前をつけていくかっていうのが
すごく難しい問題として描かれていて、
背中は仕返しをするなって。
処罰をしたり、その報いを受けさせることはありだけれども、
でもそこに怒りの感情とかね、
憎しみの感情はいらないんだって。
良き審判人は、なんだっけ、
憎しんだりはしない、恨んだりはしない。
これはとってもいい言葉ですよね。
親を恨む、その毒親っていう言葉はやっぱり僕は
その親の恨みをある種、自己正当化してる部分があると思うんですよね。
親に対する恨みだね。
自分の人生がうまくいかないのは全部親のせいであり、
親が責任を取るべきだっていう、
強い多責思考とかですよね。
あるいはその、自己正当化ですよね。
自分のやってることがうまくいかないのは全部親のせいなんだっていう。
あれもある種の呪いだなって。
憎しみだなと思うんですよね。
それをやってる限りは、もしかしたらその党の本人は
救われないのではないかって。
辛いですよね。その状態にずっといるっていうのはきっと辛いんだろうなと。
最近はね、あんまり親に対する恨みとか
そういうのは僕の今人生のテーマではなくなってるんだけど、
かつてのね、10代の頃のテーマではあったけど、
さすがに30代にもなってちょっと
親に対する恨みとか言ってらんない年齢ですからね。
そこは別に今はもうだいぶ
冷めちゃったんだけど。
ガラスの靴3個プレゼントどうもです。
最近はもっぱら
自分の弟の弟に対する怒りとか
悲しみとか憎しみがやっぱり多少ありますね。
引きこもりがちだったり
言ったことをやらなかったり
期待を裏切ったりね。
そういうことに対する反省もない。
特に恥ずかしいとも思わないし、
謝ったりもしないんですよね。
人に対して恩を返そうという思いもない。
そこら辺のずうずうしさとか
ひるがえって
開き直ってる感じとか
そういうふてぶてしい態度に対して
すごくイライラさせられてかき乱されるんですよね。
弟と話してると常に怒りが湧いてくるんですよね。
なんでお前は平然としてるんだって。
親の金を使って
場合によっては俺の金も使って
なんでそんなノーノート生きてるんだって。
自分は一銭も使わないでね。
こっちは汗水垂らして金を稼いで
なんでお前は一日ゴロゴロしてるんだって。
そういう弟に対する
アンビバレンスな気持ち。
なんとか自立に向けて
弟に対する感情
役に立てることはもちろん協力したいなという気持ちと
お前いつまでそれやってんだよという怒りとね。
最近はそれがすごく
自分の中でバランスが取れなくなってきてますね。
どっちかというと
怒りの方に傾いてるのかなって。
この間のフジテレビ系列の
ザ・ノンフィクションの石黒さんに対しても
若干小バカにするような気持ちが
自分の中に湧いてくるんだけど。
やっぱりああいうのをすごく
憎々しく見てますよね。
憎たらしく。
憎たらしく思いますね。
開き直って被害しゃぶってる人を見るとね。
なんでもっと強く生きないんだって。
仮に親のせいだとしても
なんでもっと親に対してはむかおうとしないんだって。
なんで被害者ポジションをいち早く確立して
養ってもらおうなんて考えてるんだろうって。
僕と全く心構えとかね。
態度が全然違っていて。
僕はどっちかというと親にチャレンジするとか
はむかうという形でなんとか自分を保ってきたんだけど。
どっちかというと弟は被害者戦略を取ることによって
親を従わせるというかね。
結果的にマウントを取ることに成功してるんですけども。
そのやり方は
全員が破滅に向かってくるじゃないですか。
自分の人生を台無しにするし
それがある種の復讐なのかもしれないけどさ。
もちろん親に対する
復讐。親の人生もダメにするし。
ひたすら金を仕送りさせて
老後の資金を食いつぶしてるだけだからね。
セネカを読みながらね
怒っちゃダメですよっていうことが書いてあるんだけど
僕は今そういうものとして個人的に受け取ったよね。
弟に対する怒りをどう収めていったらいいんだろうかとか。
怒りはダメだけど
でも別に報いを受けさせることはね
それはそれとしてルールに則ってやっていいんだって書いてあるから
そのルールに則った罰仕方とか
処罰の仕方とは一体何なんだろうか。
そのルールは何なんだろうとか。
そういうふうに思考が今巡ってますね。
イーロンマスクの高校時代の影響
高校時代、父母が大変仲が悪く
暴力沙汰も小さい時からあったと。
一郷さんね。
図書室で怒りについてを借りて読んだんだと思います。
高校時代に。
結構両親不仲だったり
学校でいじめを受けたりっていう人が
最後本にたどり着いて
本に救われてっていう話はまあまあ聞きますよね。
最近読んだ本の中で
イーロンマスクも中高時代
ずいぶんひどいいじめを受けていて
体中全身痣だらけになったり
階段から突き落とされたりとか
ひどいいじめを受けながら結局SF小説とか
理系の本を読んで
それでいろいろ未来について空想する少年だった
みたいなんですよね。
両親はやっぱ仲が悪くて、彼が9歳ぐらいの頃に
離婚してるのかな。
母親の実家のカダナに行って
そこでいろいろ勉強してっていう感じの人で
意外とイーロンマスクも本読んでるみたいな
感じの本を読んだんですよ。
幅広く読んでるみたい。SFとか
それこそローマの衰退に関してとか
ローマ帝国の衰退とか
哲学とか
一方、僕はあんまり本読まなかった少年なんですよ。
さっきも申し上げた通り。
留学も高校もほぼ読まなくて
打たれ弱さとかストレス耐性の無さは
そこから来てるのかもしれないね。
あまりにも内側を支えるロジックがないから
人に何か言われるとすぐ説得されたり
論破されちゃうんですよね。
なんか僕も僕で辛かったんだけどね。
あんまり本にさえ頼れなかったね。
今は最近ようやく文章が入るようになってきて
ちょっとずつですけどね。
そういうちょっと難しい本とかもチャレンジしてるんですけど。
エネルギーの方向は弁学一筋でしたか?
まあそうですね、当時
とにかくもう医学部に受かるにはどうしたらいいんだろう
っていうところに全振りしてたね。
だからアニメもドラマも
好きなアイドルとかも全部無視だね。
そんなものはなかったね。
趣味もないし、息抜きもないし
どうやったら医学部受かるんだろうって
そればっかり考えてたんだよ。
金持ち医学部だったら別ですよ。
おばかちゃん以代だったら別にさ、金払えば
誰でも医者になれるんだろうけど。
そういう金はない。残念。
そういう金持ちではない。
別に貧乏ではないけど、
学費で年間1億出せるような
そういうバカみたいな金持ちは
ではないからさ、全然。無理じゃん。
自分は自分の人生を
ある程度狭きものを突破しないといけない。
ってなるとこのままではまずいのでは。
常に焦るし、
勉強がうまくいかないとき
自分に自信がなかったね。
見た目にも自信がなかったし。
当時って中学高校生ぐらいになると
心の苦痛の克服
どうしても異性の目が気になる。
世界から必要とされてないような気持ちになって
そういう劣等感も普通にありましたね。
勉強ができるからいいやって羽根返せたんだけど
勉強ができなくなった瞬間に
それが全部また自分に返ってくるんで
とにかく辛かったね。
劣等感の塊で。
今も若干そういうところありますけど。
あと5分ぐらいで終わるか。
最初の15分ぐらいで見切りをつけて
今日はコメント難しいかなって時は
読書に切り替えて
読書の秋ですね。
そっちに切り替えようと思います。
また人がわーっと集まってきた時にね
実はルキウス案内をせねかの話がありまして
さも昔から知ってる風にね
引き出しの奥の方から取り出してきましたみたいな
顔してさ
読んだ話をしようと思います。
せねかはこう言ってたんですよ。
良き審判人は許すまじきことを断罪するのであって
憎むのではない。
なんかこうあれですね。蛍光ペンでね
印をつけながら今読んでるんですよ。
心に残るフレーズとかね。
怒りが心の過ちである以上
何言ってんだろうって感じだけど
一回聞いただけだとよくわかんないけどね。
頭の中こんがらがっちゃう。
手紙を書くとしたらどんな言葉を渡すと思う?
赤ペンで私も引いて読みました。
1号さんね。
なんか心に残るフレーズでいいんですよね。
別に哲学者じゃないし研究者じゃないんで。
ただそのフレーズがあればね
辛い時に生きていけるかもしれないし。
自己満足が大事ですよね。
自分で線を引いて見つけたんだっていう。
自分が見つけたんだっていう優越感とか。
結構大事ですよね。
周りに教わったんじゃなくて
俺は自分の目で見つけてきたんだって。
でも結局医者になってもね
医学部合格して医者になっても
その劣等感が完全に払拭されることはないよ。
結局医師免許を持ってても
見た目によって人から油断されたり
見限られたりするだけで。
本質はあんまり変わってないね。
結局自分よりも医者でもないし頭も良くないし
対して言葉に力のない人が
見た目がいいだけで評価される世の中なので。
それは学生時代の頃から全然変わらないし
その構図は。
あんまり本質じゃないんだなというかね。
どれだけ自分の中身を詰め込もうが
その考え方とか感じ方は今も変わらないですね。
だからあんまり他人の評価とか
異性からの目線みたいなのは
本当に彼らはあんまりよく分かってないで言ってるだけなんで
あんまり信用しないほうがいいなって感じですね。
どうせバカが言ってるんだろうなっていう風に
ちょっとそういう感じでやってます。
リアルの苦しみを少しでも癒したかったのかも。
先生にも劣等感があるなんて。
大学時代にも振られてますしね。
結構定調に振られてますし。
あんまりそんな自信はないですよね。
またリスナーがわーっと集まってきた時に
こんな本があるよっていう風に
紹介できるようにね。
今のうちにまた引き出しの中にたくさん知識を
蓄える時期だと思うんで。
いろいろな本をちょっと読んでおこうと思います。
というわけで終わります。
どうもお疲れ様でした。
この後YouTubeとPodcastに
アーカイブを上げますんで
ぜひそちらの方もまだフォローしてない方がいたら
ぜひお願いします。
じゃあ終わります。
お送りしましたのはSashimi-chanでした。
失礼します。
ちなみに明日は例のThe Nonfictionの
放映放送の日なんで
明日はそのThe Nonfictionの感想とかを
ちょろっと話すと思いますんで
また気になる方はぜひ来てください。
お送りしましたのはSashimi-chanでした。
失礼します。
29:30
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