1. 刺身ちゃんのPodcast
  2. 2025/11/15【セネカ読書】
2025-11-16 1:59:30

2025/11/15【セネカ読書】

コメントないときはセネカで

サマリー

このエピソードでは、刺身さんが日常生活における新しい刺激やリスナーとのコミュニケーションの難しさについて語ります。また、ルキウス・アンナエウス・セネカの著作に触れ、一緒に本を読みながら新しい視点を探ります。セネカの著作『怒りについて』を通じて、怒りの本質やその影響について探求します。医学部での学びや免疫学の難しさ、配信形式での読書についても触れています。セネカは、怒りが懲罰への欲望であり、理性を失っていると主張し、懲罰は人間の本性に即していないと考えています。また、怒りを抱くことの危険性や、懲罰と理性を切り離す必要性について掘り下げます。このエピソードでは、セネカの著作を通じて怒りの感情について深く考察します。古代ローマにおける暴力と不正義の影響を反映しつつ、セネカは感情の管理の重要性と怒りの危険性を警告しています。特にセネカの哲学を中心に、怒りの感情について話が進みます。トラウマ治療における怒りの重要性や、報復と怒りを分けることの意味についても掘り下げられています。セネカの著作『怒りについて』を通じて、感情の制御やコミュニケーションに関する知恵が紹介され、古代の教えが現代の情緒管理にどのように役立つかを考察します。参加者は、セネカの哲学を通じて怒りへの理解と、現代における感情の表現について話し合います。

日常の刺激を求めて
さて、それでは放送を始めます。
進行は私、刺身ちゃんですともよろしくお願いします。
2025年11月15日土曜日、21時54分。
自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
ガラスの靴どうも、1号さんどうもです。
2号さんどうも。
ガラスの靴3号さんどうも。
やっほー刺身先生どうもです。
最近話すこともないので、いろいろ瞑想し始めてます。
半年おきにある変なやつです。
だんだん話もループしてきたし。
かといってね、どっかに出かけて新しい体験をして帰ってくるみたいなのもしてなくてさ。
基本的には仕事と家と、その往復運動ですね。
全然ちょっと話も新鮮味がなくなってくるんで、何かを取り入れようと必死です。
これはね、こういう感じ。
抑えられます、こうやって本を。
本来はこうやって角度つけて本読むんですけど、
カメラを上から見下ろすように撮ってるので、ちょっとペタンとこういう風にやって。
これがあると結構便利なんですよ、本読むのに。
これと同じのが職場にもあります。
職場の机にもある。
それで本読んでる。
これがホワイトボードね。
これで青ペンで文字も書ける。
皆さんからの質問にもこれで答えられる。
ここに本を置いて、本も読める。
そういうわけ。
チュール菩薩様もよろしくお願いします。
チュール菩薩のコメントも一応右にはダラダラ映ってますけども、ちょっとうまく映ってるかどうかは不明。
新しい刺激。
リスナーの数が少ないと一人一人のリスナーの負担も大きくなるしね。
それでなんかテーマ出せっていうのもちょっとかわいそうなんで、
僕も積極的に何かテーマ探しに乗り出そうっていうことです。
でもあんまりこういうカメラ配信ってのは僕はこの十数年間でやってこなかったんで。
しかもカメラを映す割にはそんなに盛り上がらないっていう。
前回そういう例もありますんで、ちょっと活用の仕方はまだ考えてます。
カメラを映すとね、ちょっとマイクの向きとかも全部ちょっと再設定しなくちゃいけなくて。
OK、とりあえずこれで何とかなるだろう。
配信スタイルの模索
2号さん、私も顔出しをして下ネタ配信とか料理配信してみたことがあったんだけどコメントがほとんど来なくて。
出血大サービスしたのにね。
それはちょっと悲しいね。
心がざわざわしたことがあります。
意外と思惑が外れることって結構ありますよね。
こっちが良かれと思ってやってもね、あんまりリスナー側が求めてないっていうことは結構あったり。
意外とこの配信聞いてる人って、ポッドキャストを聞いてくれる人が多いので、結構耳で聞いてるっぽいんですよね。
要するに目でこの画面を追ってるっていう人は実は少なくて。
これは僕の完全に予想だけれども。
耳で僕の配信を聞きながら手元で何か作業してる系の人が結構多いみたいで。
だからあんまりカメラが歓迎されてないんですよね。
僕もあんまりカメラをそこまで重視してなくて、画質とかもあんまりこだわってないんですけどね。
そういう理由で。
頑張りすぎないことが大事ですよ。
あとは、なんだろうね。
あんまり人の顔を見て、人の物差しでやること決めないってことですかね。
閲覧気にしだしちゃったりね。なんかフォロワー数気にしだすと、なんか幸福度が下がりそうだしね。
そう、心がザワザワしちゃう。
一応ね、このカメラのこの作戦はちょっとサブ的にやっていこうかなというふうに今思っている。
基本的には普段の配信の感じでやっていくんだが、
あまりにもコメントが流れなかったり、タイミング的なものでね。
理由は分からないけれども結構流れないこともあるんで。
その時サブ的にこれをやります。
本を読みながら何かメモを残し。
ワインでKPどうもです。
ガラスの靴どうも。
何かちょっとね、閉塞した状況を打破したい。
超いいねプレゼント。
どうも。
キリンさんが見たいです。できれば。
キリンさん。
お絵かき配信。
まあお絵かき配信もするかもしれないし、
しないかもしれない。
ちょっとマイクの位置設定します。
少しこのぐらいの距離で話すわ。
口元からちょっといつもより話します。
本読みながらだとどうしてもマイクが邪魔なんだ。
あとなんか筆跡とかで見バレしないですかっていう風に
親切心からかな。
いろいろご心配の声もあるんですけれども。
僕の筆跡を知ってる人の方が多分少ないから大丈夫です。
僕の筆跡を知ってる人はもう多分僕のことに気づいてるよ。
以前から。
あとあらかじめ先に質問を考えたんだけど、
ちょっと手の毛が濃いんじゃないかっていうことに関しては
僕の心遣いというかね。
ちょっと特別感を出すためにわざと毛は深くしてますんで。
そこらへんの質問はちょっと金輪際にやめていただきたい。
どういうこと?
特別な、そう。
実際あったときに綺麗になってるみたいな。
特別感を出すためにわざと毛深くしてますんで。
そういう計画ですね。
全てわかった上でやってます。
何か質問のある方いますかね。
ちなみにちょっとまあ聞くまでもないんだけどさ、
まあこのペンは見えると思うんだけど、
この文字は読めないよね。
視力検査みたいだけど。
多分読めないぐらいの画質なんで、著作権法も問題。
ただ読んでるなっていうのが伝わればいい。
去年百均でいろいろ探して、
そのホワイトボードとこのペンとね。
あとはあのマスキングテープも一応買ってきて。
見られたらまずいもの。
例えば今後仮に図書館の本とか写す場合、
その図書館のステッカーみたいなものが
必ず全部貼ってあるので。
まあ何か特別どうしても写すみたいなときのために
そういうマスキングテープも買ってあります。
それでね、さっきちょっと百均によって
いろいろ買い揃えてきた。
本の文字読めない。ありがとうございます。
朗読配信とかどう思います?
なんか多分今ここに来てる人ってもう
初見はいないと思うんで。
率直にあのいろいろ感想というかね、
ご意見を伺いたいんだから。
多分もううちのリスナーしかいないと思うので。
僕あんまりね、朗読配信って人の配信見ないんですよ。
ちょっとつまらなすぎるというか。
最初からいるんだったらいいけども、
途中から入るとさ、なんかもうちょっと話の筋もわからないし。
なんかただ読み続けるのはちょっとつまらんかなって思うんだよね。
小説とかじゃないから。
でもまあ、ただ読むのはちょっとつまらない。
あくまでやっぱりテーマを探したいからね。
だからなんかこうテーマをここに書き出していく。
テーマを書く。文字とかぶっちゃうのか。
セネカの著作について
チュールボサス様の文字と丸かぶりだね。
もうこんな感じで全部設定し直さないといけないんだ。
てかもうチュールボサス様いらないんじゃないかという説もある。
まである。
一応ちょっとちっちゃく写しておこう。
声が素敵で癒されるから耳心地良い。
あ、どうも。
ガラスの靴もどうもです。
ただね、ちょっと音読が僕あんまり得意じゃないのと。
お疲れ様。こんばんは。6号さんどうも。
そう。
今後万が一コメントが流れない。
あ、これは困ったぞと。話すこともないぞと。
雰囲気悪くなるじゃないですか。めちゃくちゃ。
なんか俺が怒り出すとますます書かない。書かないとますます
僕が怒り出すっていう悪循環があるじゃないですか。
よくあるんですけども。
リスナーと配信者の間での接触不良とかあるときは
今後このカメラを使って一旦注意を外部にそらすと。
皆さんは皆さんで勝手にやってください。
私は私で勝手に本読んでますっていう。
こっちは実家に帰らせてもらいますみたいな感じで
一回ちょっと僕は自分のやりたいことに集中するっていう感じで
一旦注意をそらすっていうね。
あまりにもこう対面でさ、なんか話してよって言って
皆さんが死因としてるとなんかこうすごく空気が悪くなるんだよね。
一旦こう実家に帰るスタイルみたいな感じで。
この読書カメラをね。
何かうまく使っていきたい。
どんな本ですか?
いや全然あのご希望があればって感じですね。
とりあえず今試しにこう画角を調整したかったんで
なんか手持ちの本を写してるだけですね。
あの時世録、マルクス・アウレリウス・アントニヌス。
ちょっと図書館系の本は出せないけど。
ラッセルの幸福論。
んーと、あれどっか行っちゃった。
あとはルキウス・アンナエウス・セネカの怒りについてっていう。
ちょっとなんか変な汁がついてますけど。
アリストテレスもあります。
アリストテレス。
あとこの人生の短さについてね。
ルキウス・アンナエウス・セネカ。
アルフレッド・アドラーもあります。
人間を考える。
えーっと、10倍。
お、10倍連続どうも。
ガラスの靴。
こんなにもらったことあんまないな。
ありがとうございます。
アドラーもね、結構いいんですよ。
えーと、今読んでいる本は和田秀樹先生のバカとは何かですと。
へー。
和田秀樹先生もあります。
受験は要領。
本棚がだいたいこの、あのね、パソコンの隣に置いてあるんですよ。
何でもあります。
何でもというか。
ナルセは天下を取りに行く。
あとあの、カロリーメイトもあります。
これであの、食料も大丈夫。
だいたい家の中で全部すんじゃうんだよね。
お疲れ様ですどうも。
お疲れ様です。
話すことなくなったら今後本読みます。
できれば僕も読んだことない本がいいな。
なんかさ、なんかあの、そう。
自分で読むと読むのが嫌だなって言って積んである本がめちゃくちゃたくさんあるんですよ。
でもさ、人が見てるなと思ったらなんか読める本って結構あると思うんですよね。
あとこれね。
岡田隆先生の愛着障害なのに発達障害と診断される人たち。
っていうタイトルの新書があるんですけど、これもなんかね。
前々から買ってあるくせになんかあんまり手つかない本なので。
なんか本当にあの、ちょっとこう強制力というかね。
皆さんに監視していただいて。
まあ読む?みたいな。
ちょっとめんどくさいけど読む?とかって言いながら読もう。
それだったら僕は非常に嬉しいね。
そう、なんか一人だとなんか読むのめんどくさいなっていう本たくさんあるんだよね。
趣旨と違いますけれども先生の読み聞かせ聞きたいですね。
いやそんな立派なものはできないんで、単純に僕は読みたい本を読むと。
でもあの、みんなと一緒に読むがいいね。
僕もあんまり解説できない、だからもう初見みたいな。
この本が面白いんですよじゃなくて、いきなり1ページ目開いて初めて読むみたいな。
でもこういう精神科系の本はやっぱり相性いいような気がするんだよね。
皆さんも精神科に興味がある。
本当にたくさんあるんですね、そういう系の本が。
これもね、読んでないんですよね。
心の病の流行と精神科治療薬の真実っていうタイトルが良さそうで買ったんだけど、
もう全く未開封というかね、1ページも開いてないんで。
結構分厚い本なんですよ。結構厚い。
こういうなんか厚くてなんか、読むのめんどくさそうだなっていう本を皆さんと一緒に紐解いていきたい。
ここら辺は社会学系の精神学の本ですね。
僕がすごく苦手にしてる。
要するにあの精神科の病、精神科のうつ病の患者さんとかADHDって診断される患者さんが
なぜ増えてるかっていうと、それは医者が操作してるんだとかね。
製薬会社の陰謀なんだっていう陰謀論ですね。
でもね、僕は結構それ一理あるんじゃないかなと思ってて。
精神科医の言う僕が、僕が言うんだからちょっと説得力があるよね。
僕も結構そういう風に薬によって作られてるんじゃないかなと思う節があるんで。
なんかこういう本読んでみたいなと思って買って放置してる。
もう1年以上経ってる。
だいぶ1年寝かせていい感じに熟成してきたんで、そろそろ読むか。
そういうのもいいと思います。
スマホを横にしたら本の、あ、ごめんなさい、木のボードの刻んである文字見えます。
あ、結構見えるね。じゃあ僕の毛深さもバレちゃうね。
手だけ反らないとね。
余計なテーマが増えた。
無駄毛処理にまた時間がかかっちゃう。
あとはね、最近読んだ本系で言うとやっぱこのウケツさんかな。
ウケツさんは最近読んでますね。
読書の意義と免疫学
めちゃめちゃ面白いとは思わないけどなんか読みやすいんで。
で、なんか流行ってるし読もうかなっていう。
変な絵。今変な地図を読んでますけど。
変な家、変な家2。
で、変な絵。
一応全部今んとこ読んでます。
本当にね、僕は読書量が少なかったことがずっと、
なんて言うんだろうね、劣等感で。
僕小学校6年間でたぶん1冊も本読んでないんですよね。
中学生に上がってもたぶん2冊ぐらいしか読んでない。
高校でもほぼ読んでないし、大学に上がってからもう読んでない。
その趣味でね、その与えられた課題図書みたいなのはもちろん読みますし。
だから読解力はあるんだろうけど、
自分で趣味として読むってことのない学生時代だったんで。
全然何の蓄積もないんですよね。
本に助けられた経験もないし、作家になりたいっていう欲望もない。
だって自分が本に助けられてないからね。
8号さん、この間健康のセミナーに行って、今情報取りに行かないとみたいな
Tレグ細胞のお話とかなかなか面白かった。
一番ホットな話題ですよね。ノーベル生理学医学賞のね。
免疫力をアップしようとかって言うけど、
まずそもそも免疫ってご存知ですか?っていうね。
細胞生命器と生き生命器わかってますか?
そういうところからですよね。
そんなことも免疫学の基礎もわかってないのに、ワクチンは危ないとかさ、
ワクチンは正しいとか間違ってるとか論じるのはおかしい話ですよね。
まずは基礎医学を勉強しないと。
だからすっごくいいと思います。
医学部もね、医学部に入ると内科とか外科を勉強するんだって思ってる方いるんだけど、
違うんですよね。
医学部入るとまず普通の高校の勉強の延長線上みたいなのが始まり、
だから普通に物理とか化学とか生物とかやるんですよ。
カエルの解剖とかやったりとか、英語、ドイツ語、フランス語、
数学もやって、そういうのが終わると今度は基礎医学が始まるんですよね。
生理学とか解剖学とか、その中に免疫学とかも入ってくるんですよ。
基礎系の微生物系、微生物学とか免疫学、病理学。
これがまたねクソめんどくさいというかクソ難しいんですよね。
だいたい医学部に入って、それが嫌でみんなもう大学に行かなくなっちゃうんですよ。
めちゃくちゃ難しいし免疫学もね。
難しいというかもうなんか覚える知識が無限に出てくるんで、
どっかでこれもう山張らないと受からないなっていう。
教科書全部覚えることはもう人間にはできない。
そうするとどっか過去問解いて、過去問周辺のところをちょこちょこ覚えてさ、
なんとか山張って受かるしかないんですよね。
免疫学は結構どのお医者さんも苦手意識を持っていると思います。
僕もそうだし、学生時代コピー毒言われたからね。
セネカの怒りについて
あんまり良い点数も取れなかったから。
すごく苦手意識があります。
高校生の時はゲイの人の小説を読んでいました。
ゲイの人の小説ってなんだろう?三島由紀夫とかですか?
あ、でもちなみに小説は読まないかな。
この配信では小説は読まないでおく。
なんかこういうね、ジャーナリストが書いた本とかを読んでいく。
あるいはこういうちょっと哲学書みたいなのを読んでいきます。
小説は本当に途中から聞いた人は全く意味わかんなくなるんで。
小説は読まない。
観音小説は読むかもしれない。
どうなんだろう?観音小説を読むとさすがにフワッチでバンになるのかな?
ちょっと誰か試しに読んできてください。
なんかそう、結構そういう一時期ディジーズマンガリングに興味持って、
これもだからもうおったらかしですよね。
現代精神学を迷路に追い込んだ過剰診断。
ちょっとその精神学に対する陰謀論系の本をちょっと片付けていくのもいいよね。
カテゴリーとしては哲学と陰謀論と、
あとは愛着障害とか発達障害系の本。
そんなラインナップになってます。
幸せの王子を書いた人。
観音小説は先生の声で聞くとホテリ族が増えそうで面白そうですね。
ビシャビシャにしてやりましょう。
ちょっと本を整理します。
あとどういうやり方で進めるかだよね。
どの本も選ぶかもそうなんだが、
まあどういうやり方で読んでいくかだよね。
しかもあれだ。消しゴム買ってくんの忘れた。
消しゴムというかあの消すやつ。
とりあえずあの、ティッシュで消す。
乳首映ってないよね。大丈夫だよね。OK。
乳首バンは嫌だよこんな。真面目にやってんのにさ。
先生ホワイトボードに反射して乳首が映ってます。
そんなのでバンになりたくない。
先生乳首に毛が生えてます。
スマホを横にしたら映りました。
ウケる。
嫌だよそんなのでさ。1週間配信機能停止みたい。
どういう心持ちで1週間待てばいいんだ。
風邪ひきませんか?いや風邪ひきますよ。
でも僕はあの特殊な訓練を受けてるんで。大丈夫です。
とりあえずあの真上からこう撮ってるので、
反射してもその上のライトしか映らないはず。
これあのライトね。この横に映ってるこれがライトです。
強さとか色とか変えられる。
音読はつまらないからどういう感じでやるかね。
ちょっとその方向性だけ今日ちょっと見出して、
それで終わりたいな。
どうしようか。ちょっとどういう配信にしよう。
ちょっと待ってこれ書きづらいから。
書くときはこっちに持ってこよう。
どんな読書配信するか。
例えばこうやって普通に開いて、
そうかこうやって被っちゃうのか。
っていうと結局手で押さえることになるのか。
こうやってなんか色々いじってる間にまた乳首が映っちゃいそうなんだよ。
その乳首恐怖症だね。
大丈夫透けてない大丈夫って何回も確認脅迫だね。
そんな気になるなら配信すんなよ。
映ってないよね大丈夫みんな嘘言ってないよねとか言って。
じゃあやんなよ。
こういう感じで読むかね。
怒りについてね。
節理について。
節理が存在しながらもなぜ良き人に厄災が起きるのか。
こんなこと考えてもしょうがないのにね。
読んだ後気になった一節などを紹介するのはどうでしょうか。
そうだね。
ルーキーリウス。
ルーキーリウスが誰なんだろうね。
君は私に尋ねた。
一体なぜ世界が節理によって導かれているのに、
良き人々に数多の悪が生じるのかと。
ちょっとレトリックが長いね。
いきなりちょっと本のチョイスミスったっぽいな。
節理についてはちょっと一回全部大胆に飛ばすか。
ちょっと節理はよくわからない。
ちょっとここら辺は難しいね。
今パーッと読んでみてもさ。
ちょっと難しいね。
これが読みたかったのはここじゃないんだよな。
怒りについてだよね。
85ページからにしよう。
みんな怒りについて知りたいんだよね。
知らないけど。
著作権切れの物語を音読したことがありますけれど、
ツッコミどころ満載で自分的には面白かったり泣いたりしました。
でも配信的にはどうなのか検討中で。
すっごく厳密なことを言うと朗読は多分ダメだと思いますね。
逐一読んじゃうのはやっぱり、
なんか知的財産権だとか何とか権にかなり抵触するような気がするんで、
本当はダメだね。
でもその読んだ感想を言ったりするのは今なんか、
結局許可されてるけれども、
本当はあれもグレーゾーンですよね。
本に書いてあるコンテンツをだってバラしちゃってるわけだから。
ネタバレしちゃってるわけだから。
本当はやってホワイトボードに中田敦彦がね、
ようやくしたり、自分の感想を書いたりするのは本当はダメだね。
でもそれはなんか事実上、
まあ、黙認されてるので感想はOKじゃないかな。
だから感想を言おうかなと思うね、基本的に。
あとは気になる一節を読むのはOKだと思う。
全部丸々読み上げるのはダメだね。
ノワートゥス。
もういきなりあのノワートゥスから始まるんだけどさ。
多分人の名前なんだけど、もう誰?
ノワートゥス。
あなたは私にどうしたら怒りを和らげられるかについて執筆を求めた。
あなたが何にも増してこの情念を恐れたのは無理のないことだと思う。
何と言ってもそれは分けてもおぞましい上に凶暴だからである。
だから怒りとは短い凶器であるといった識者たちもいる。
短い凶器であると。
理性にも助言にも耳を閉ざし、
些細な理由に激しては正義も真理も見分けられず、
瓦礫の崩壊にも似て崩れ落ちては押しつぶした者の上に悲惨する。
怒りに占領された者が正気を喪失していることを知るには、
そうした者たちの顔つきを見ればいい。
顔つきを眺めればいい。
確かに怒っている人は、
不敵で脅迫的な目つき、険しい眉、
よじれた顔、せわしない歩み、
落ち着かない手、
漂変した顔色、
頻繁で激しい息、
頭髪は固く逆立つ、
荒く激しい息遣い、
見るも愛わしくおぞましい行走、
次にこの常念のもたらす結果と害悪に目を向けると、
常念というのは怒りだね。
人間にとってどんな悪役も、悪役も、
これほど高くついた試しはない。
殺戮、毒薬、国争合戦、
諸都市の災禍、諸部族の全滅、
そうね。
今のウクライナとロシアもそうですよね。
最近だと、一番ホットなところだとね、
日本と中国のいがみ合いもそうですけども、
怒りに支配されてますね。
短い凶器である。
だが怒りの規定がいかなるものであるか、
哲学者にわかっていないことは、
セネカが怒りについて記した書物の中で列挙した、
彼らの提示する諸々の定義からも明らかである。
彼は言う、
怒りとは不正に対して復讐することへの欲望である。
または、ポセイド・オニオスが言うように、
自分が不正に害されたとみなす相手を
罰することへの欲望である。
これ結構大事じゃないですか。
怒りの定義が書いてある。
セネカによれば、
怒りとは不正に対して復讐することへの欲望である。
あるいは、
自分が不正に害されたとみなす相手を罰することへの欲望である。
処罰感情です。
すなわち怒りとは、
害を加えたか、害を加えようとしたものを害することへの心の激動である。
こんばんは、どうもこんばんはです。
ちょっと今いろいろテスト配信してます。
まあつまんないかなと思うかもしれないけど、
ちょっと温かい目で見てもらえたら嬉しいです。
来年ぐらいには面白くなってるんで。
まあ基本的にコメントが流れてこないときの、
まあこうね、しょうがない策なので、
できればコメントがたくさん流れてくれば一旦読書は止めたい。
読書がやりたいわけじゃないからね。
でもコメントが流れてこないんだったらしょうがないから、
こっちも実家に帰らせてもらいますよの戦略だから。
そんなに読んだったらこっちも本読んじゃうからねと。
こっちも不倫しちゃうからねってやつですよ。
どういうこと?
確かにじゃないんだよ。
自分で本読みながら言うこと全部適当なんだよ。
後で理由とか聞かないでくださいね。
僕もよくわかってない。
まあ懲罰の欲望であると。
で、怒る人っていうのは必ずこういうわけですと、
怒りが不正から生じるわけではないことがわかるはずだと。
我々は害を加えようとする者に怒っているんだと。
だから怒ってる人っていうのは自らの怒りを正当なものだっていうふうに必ず言うわけですね。
これは向こうが悪いことをしたんでそれを処罰するためにやってるんですよと。
必ず怒ってる人はみんなそう言う。
セネカっていつの人だ?
ちょっとそれも裏で調べよう。
セネカがこれを書いたのはいつだ?
セネカが怒りについてを書いた時期。
声だけだと頭の中で流れて過ぎてしまって思考するのが難しいです。
これ僕に言ってんのかな。
声だけだと頭の中で流れ過ぎてしまって思考するのが難しい。
ただね、我々は声しかないんです。
声というか顔を見せてね、表情で伝えることがこの配信ではできないんでね。
ちなみに今読んでいるこのセネカの怒りについてっていうエッセイは西暦41年から49年頃に書かれました。
配信の形式と課題
セネカは41年に柏島へ抜けとなり、
怒りについてはその景気中に書かれた。
島流しの景になった時に書いたんだね。
だそうです。
西暦41年から49年に書かれた。
怒りが懲罰への欲望でないことは全く無力なものですら、最高位の者に怒りを発することからもわかる。
懲罰を望めるとは思っていないのだから、熱望してはいないのだ。
まず第一に我々が言ったのは、怒りとは罰することへの欲望であるということである。
非善の身であろうと相手が最高位の人間であろうと懲罰を望まないことはない。
加害にかけては我々は誰もが実力者なのだ。
だから怒りは懲罰感情で、
怒ってる人っていうのは必ず自分の怒りは正当なものなんだというと。
だって相手が悪いんだから、このような言い方ですよね。
だから今の日中関係もそんな感じです。
相手が悪いんだからこっちも言うよっていうのが怒りの本質ですね。
非常に端的に教えてくれてます。
小学校と一緒で黒板が必要なのです。
ちょっと読んでる途中で書いていくことはできない。
僕もこれは初見なんで。
一回読んだことあるけどね、ちょっと前に。
でももちろんまた真っさらな状態でまた読んでるので。
ちょっと書きながらはできない。
だからある程度一通りさっき誰かが言ってくれたように、
霧のいいところまで読んだらそれを振り返ることはね。
なんかこのホワイトボードでもできるかもしれないけど。
なので、その皆さんのワーキングメモリーを持ち寄って、
なんとかね、やるしかない。
頭の中の黒板でなんとかやるしかないんです。
僕はパワーポイントが嫌いで、
パワーポってパッパパッパさ、
なんか1時間とかの発表時間で100枚とか200枚とかバーッと流せばさ、
大量の情報扱えるじゃないですか。
でもそういうのをババババってスライドショーを見て、
1時間経って覚えてることってほとんど何もないんですよね。
だから結局なんか頭の中で思い描ける盤面ぐらいしか
人間の頭には残らないんじゃないかと思うんで。
だからいいんじゃない?書かなくて。
黒板で書くとたくさん勉強したような気持ちになるけども、
ほとんど頭に残らないので。
あなたの頭の中にあるちっちゃな黒板で十分です。
どうせそのぐらいしか残らないから。
アリストテレースの定義は我々のものから大して隔たっているわけではない。
彼の言では怒りとは苦痛を仕返しすることへの欲望である。
アリストテレースはそんなこと言ってるのか。
苦痛を仕返しすることへの欲望。
動物たちは怒ることはできないと。
なぜならば不正によって借り立てられたからではないから。
人間は理性があって頭がいいので、相手の不正に対して怒る。
でも動物たちが噛んだり泣いたりするのは、
声を上げたりするのは別に不正を暴こうとしているわけではないので、
それは怒りではない。っていうそういうロジックだね。
ほんとかい。
それはアリストテレースの定義ってことか。
アリストテレースの定義ではそうであると。
怒りとは苦痛、悲しみを仕返しすることへの欲望で、
動物は仕返しができないから怒りはないっていう、
そういう謎のロジックです。
理性がないから、動物たちには理性がないので。
だからなんか古代ギリシャ人にとっては、
人間と動物をやっぱり分けるっていうことがすごく重要だったんでしょうね。
ここら辺はちょっとふんぐらいで流しとくしかない。
動物との区別はそんな感じで。
ここら辺は理性の説明だね。
思慮、予見力、注意力、思考力は人間を除いていかなる動物にも認められない。
だから動物と人間は違うのだと。
ここら辺の動物の話はちょっと省略します。
あんまり読んでてもよくわかんないね。
怒りとは何かについてはこれで十分に説明された。
怒りが何であるかの考察は終わった。
果たして怒りは人間以外の動物に生じるのかどうか。
怒りと怒りやすさはどう異なるのか。
怒りの種類はいくつあるのかなどである。
怒りは有益でいくらでも保持すべきなのかどうかを考察しよう。
先にも述べたが、怒りは懲罰に貪欲である。
そうした欲望がこの上なく平和な人間の胸にもとから内在するというのは、
人間の本性に即したことではありえない。
なぜなら人間の性は語形と共和から成り、
怒りと理性の混同
恐怖ではなく相互の愛情ゆえに
共同の援助と協定に結びつながれているからである。
基本的に怒るのを結構否定しているというかね。
怒る人っていうのはやっぱり理性を失っているということで、
下に位置づけてますよね、背中は。
それがどれだけ正当な懲罰であろうと、
人間の本性に即したことではありえないんだと。
怒りをやっぱりかなりまず否定してますよね。
先生は本能と理性ではどちらが強いですか?
理性ですか?本能ですか?
いい質問だけどちょっと難しいね。
ちょっと一応書いておこう。
読書中もお待ちしてます。
先生は本能と理性どちらが強いですか?
理性的ですか?本能的ですか?
基本的には本能的な人間なんだけど、
だからもうフィーリングで生きてるね。
特にロジックとかないんだけど、
でも他人が関わってくるものに関してはめちゃめちゃ理性的だね。
本能に任せてやるとひっちゃがめっちゃかになっちゃうんで、
めちゃめちゃこれは気をつけて発言しないとまずいなってなるね。
自分の素でフィーリングでいくとこれ、
結構相手を怒らせちゃったり嫌な思いをさせるなと思うんで、
人が近くにいるときはめちゃめちゃ気をつけますね。
だから普段はぼんやり運転してるんだけど、
駐車場で車を止めるときだけちょっと最新の注意を払うみたいにね。
僕はだから車に乗るときは、
車体の距離が近いときだけハンドル操作に気をつけるみたいにさ。
人が近くにいるときは気をつける。
基本はもうぼーっとしてます。
運転してる。
でもどうだときには懲罰も必要ではないか。
もちろん。
だがこれも怒りなしに理性をもってのことである。
害するのではなく加害の姿を借りて癒すのだから。
こう。
悪徳で歪んだ精神を心身の苦痛によって矯正するのである。
実際のところ、体の軽い不調の場合、
医師も最初は毎日の習慣をさほど修正しようとはせず、
飲食物と運動に秩序を化し、
生活習慣を変えるだけで健康の増強を図る。
次は制限が効果を上げるようになる。
うんたらかんたらと。
これ結構面白いけどちょっと難しいね。
そう。
だから処罰感情を基本的にはセネカは否定してるんだけれども、
じゃあ仮にこういう批判、反論があったらどう答えるかと。
例えば、そうは言ってもでも悪いことをしてる人に対して
懲罰は必要なんじゃないですか。
こういう風に否定されたら、じゃあどうセネカは反論するのかと。
うん。
確かにね、
懲罰は必要なんだけど、その際は怒る必要はないよね。
って言ってますね。
だがこれも怒りなしに理性を持ってのことであると。
人を罰するときはちゃんと理性を持って法律にのっとって
淡々と粛々とやるべきでね。
あの怒りに任せて無知を振るったり、相手を叩くっていう行為を
完全に否定してますね、セネカは。
いやこれはもう完全に同感だね。
僕はだから死刑も結構反対なんですよね。
死刑は刑罰で、
まぁちょっとなんか色々難しいな。
人間の自然本性は懲罰を愛好しない。
だから怒りも人間の自然本性に即したものではない。
それは懲罰を愛好するからである。
良き人は害さない。
懲罰は害する。
それゆえ、懲罰は良き人と合致しない。
この点で怒りも同じである。
懲罰は怒りと同じである。
悪い人と同じである。
悪い人と同じである。
この点で怒りも同じである。
懲罰は怒りと相和す。
相和すからかな?
愛に和すかな?
良き人は懲罰を喜ばない以上、
懲罰をたしなむ情念も喜びはしないだろう。
まぁ良き人、善。
良き人っていうのはだから、
優れた人格者は
人を罰して喜ぶようなことはしないだろうと。
怒りはだから、
そういう人がやるものではないと。
でもまた反論が出てくるね。
なので、
反論を書いてくるのが面白いね。
だから、セネカっていうのは
常に自分に反対意見を鍵カッコに入れて
書いてくれてるのがすごいですね。
たとえ怒りが自然に叶ったものではないにしても、
やはり採用されるべきではないか。
しばしば役に立ったのだから。
役に立つ怒りもあるんじゃないですか?
って反論が鍵カッコで書いてあるよね。
人々は最善なのは怒りの制御であって
除去ではないと皆している。
安全な限界のうちに抑えて保持しておくことであると。
実際にそれなくして行為は停滞し、
精神の力と気迫は緩んでしまうだろう。
なかなか鋭い反論だよね。
怒りの制御が大事なんじゃないですかと。
だから怒りはやっぱり持ってていいんじゃないですかと。
持ってて良くないとしても、
程々の怒りを持つことが大事なんじゃないかっていう反論。
まず最初に危険極まるものは支配するより締め出す方が
一旦認めてから抑えるより認めない方が簡単である。
部分的に持つよりかは完全に怒りを締め出しちゃった方が
簡単であるって書いてあるね。
それは本当なのかね。
支配するより締め出す方が簡単である。
本当ですかね。
怒りながらも理性的に、論理的でしっかり納得いくように話すということですか。
例えば、これはちょっとセネカがそういう風に言ってるか分かんないけど、
僕の読解だけどね。
例えば、誹謗中傷を受けたとしますよね。
そうすると人は怒りますよね。
それは正しいんだっていう人が世の中に結構いるけれども、
セネカはそれを違うって言ってるんですよね。
そこに怒りは必要ないんじゃないかって。
つまり、セネカがそう言ってるか分かんないけども、
怒りながら開示請求をしてしまうと、それはただの仕返しになってしまう。
そこに怒りは必要ないんじゃないかって。
つまり、セネカがそう言ってるか分かんないけども、
怒りながら開示請求をしてしまうと、それはただの仕返しになってしまう。
おそらくこの話の流れからして、その仕返しをするとやっぱり怒りが湧いてきちゃうんですよ。
こちら側の人生というか生活が台無しになっちゃうんで、
気分が台無しになっちゃうんで、
仮に懲罰を求めるにしても、怒りを無しにやるべきであると。
粛々と間違っている人をちゃんと訂正していくだけでいいんじゃないか。
そこに懲らしめてやろうとか、後悔させてやろうとか、
ギャフンと言わせてやろうという私利私欲はいらないんじゃないかっていう風に言ってるんだよね。
そういうものを抱えちゃうと、結局こっちが往存を抱えるというかね、
生活をやっぱり怒りによってかき乱しちゃうことになるんで、
まあ結果損だし、
結果そうやって仕返しのために相手をね、ギャフンと言わせようと思って、
弁護士なり法律などを使ってあらゆる手を使って相手に報復をしてしまうと、
相手はまたそれに対して支援を持ってね、
恨みを持ってまたやり返そうとしてくるんで、
まあそれは終わらなくなっちゃうよね。
まあ多分そこら辺を今後言おうとしてんのかなって思いながら、
今僕ちょっとセネカ読んでますけど、
なんか怒らないほうがいい。
何でかっていうと、
仕返しするとまた仕返しされるからっていう、
多分そういう論の運び方かなって思ってる。
だから悪いことをしてる人に対して、
悪いことをしてることをルールに則って指摘して訂正させるだけでいいってことだね。
そこに、
まあこれは結構言うよりかは難しいですよね。
実際やっぱり何かこいつムカつくなと、
俺のこと舐めてんじゃねえよと、
後悔させてやるよって言って、
やっぱなんかこうこちらも仕返ししようって感じになってくるからね。
嫌なことされるとね。
でも懲罰と怒りはやっぱ切り離そうっていうのが、
セネカの基本的な、
セネカの基本的な、
セネカの基本的な、
怒りの本質とその扱い
セネカの基本的な、
セネカの基本的な、
切り離そうっていうのが、
セネカの基本的な考え方なんでしょうね。
一回怒りとね、
常念と理性っていうものがこう混ざり、
自らを怪我してしまうと、
押しのけることすらできたはずのところを持ちこたえることさえできなくなる。
精神は一度揺り動かされ、
ぶちのめされると、
ぶちつけられると、
借り立てるものに使えることになるからであると。
怒りを少しでも許してしまうと、
理性がそれに巻き込まれてしまってね、
持ちこたえることができなくなっちゃうと。
ガラスの靴を3個プレゼントどう思う?
平和な、平和に住んでる私たちにあんまりピンとこないかもしれないけど、
このセネカの時代には普通に暗殺とかたくさんあったんですよね。
しかも、何の正当な理由もなく、
あいつちょっとイケメンだから殺そうみたいな、
なんかそういう野蛮な時代だったっぽいんだよね。
この西暦40年とか50年ぐらいの頃って。
あいつちょっと頭もいいしイケメンだからちょっと殺しといてって。
ちょっと目障りだからって言って有力者に簡単に殺されちゃうような時代だったっぽいんですよね。
この帝政ローマの時代ですね。
ローマ帝国の時代に。
だから怒りっていうものに任せて、
それをね、
義憤を、
義憤に駆られて、
なんかこう凝らしめようっていうのをめちゃめちゃ慎んで書いてるんですよね。
慎むべきだって書いてる。
我々の感覚で言うね、怒っちゃダメだよとかっていうのとちょっと訳が違う。
殺しちゃダメだよってここに書いてあるんだよね。
要するに。
怒って人にやり返したりしちゃダメっていうのは要するに殺しちゃダメだ。
やり返しちゃいけないし、
怒りを混ぜたら危険だ。
簡単に人を殺しちゃうしね。
簡単に戦争は起こるし、
女も子どもも大量に死んじゃうから。
やめましょうねと。
多分念頭にはそのペルシャ戦争とかペロポネソス戦争とかね、
古代ギリシャのそういう、
たくさんの血が流れたことを多分セネカは言ってるんだと思う。
頭の中にこう想像しながらさ。
また今のね、
ローマ帝国でもそうやって暗殺とか毒殺っていうのが普通に行われていると。
で、セネカ自身も全く何にもない権威をかけられて、
その島流しの刑にあって、
そこで書いてるんですよね。
このエッセイをね。
だからそうやって怒りに駆られて、
あいつムカつくから殺そうとかやっちゃおうとかっていうのをやってるのは本当ダメだよっていうのをね、
多分相当こう、
うーん、なんか、
思うところがあって書いてるんだと思う。
で、多分このセネカ自身もブチギレそうな思いがあるんだと思うんだよ。
だって、全く陰謀論でさ、
全く何も悪いことしてないで島流しになっちゃったんだよ。
ただあの、頭がいいっていうだけでね。
こいつ今後出世してくると目障りだから早めに潰しとこうって言って、
なんか何だったかな、
なんか皇帝の妹と不倫関係にあったんじゃないかっていう疑惑をかけられて、
なんか島流しになっちゃったんだよ。
なんか実際そんなことなかったらしいんだけど。
めちゃくちゃだよね。
だから本当はやり返ししたい気持ちを押し殺しながらこれ書いてるんだよね。
やり返したいけませんよ。
怒っちゃダメだよ。
やり返したいけませんよ。
怒っちゃダメですよって。
セネカが一番ブチギレたいはずなのに、
その気持ちをこらえながら書いてるすごい本だと思う。
穏やかな人がさ、怒っちゃダメですよって言うんじゃなくて、
一番ブチギレたいであろう党の本人が島流しの詩まで書いてるからね、
これをね、怒っちゃダメだって。
だからやっぱなんかこう、
代々この本はすごいんじゃないかっていう風に読み継がれてるんじゃないですかね。
2000年以上。
一番仕返しをね、したいだろうね。
やられたからやるのではなく、
やられたからこそ嫌な思いをしたからこそやらないのですかと。
怒りの危険性
そういう含みで書いてるのかなって僕は今思ってます。
ある程度この本はね、
僕も別の解説書でちょろちょろ読んだり、
なんか時々調べたりはしてたので、
セネカがどういう人物なのかもね、
そういう背景知識も今多少入ってるんで。
だから改めてそういう気持ちで読むと、
いやなかなかよくこんなこと書けるなと思うよね。
普通ブチギレると思うけどね。
心はひとたび我が身を、
怒りや恋や、
その他の情念に投げ出したならば、もはや衝動を抑えることはかなわない。
必ずやそのそれ自身の重みと、
転落に流れる悪徳の本性が心をとらえ、
そこのそこまで道連れにする。
最善なのは怒りの最初の勃発を直ちに跳ね抜け、
まだ朱子の内に抗い、
怒りに陥らないよう努めることである。
一度蒸気を外れ斜めに進み出すと、
健全な在り方に復帰するのは難しい。
一旦怒りに火がついちゃうと、
やばい。
だから早めに怒りの種を潰しておくことが大事なんだって書いてあるね。
私は主張するが、敵は国境際で阻止しなければならない。
これは敵ってのは怒りのことだよね。
怒りを心の中に入れる前に国境際で潰さないといけないよと。
戦争に例えてるんだね。
高い精神力があるから、
怒りを文章化できる常人なら、
怒りで感情にしか発露できないと。
常人ならそうですね。
まあそれも人間っちゃ人間なんだけど、
怒りに任せてね、相手に復讐するのも人間だけど、
セネカ
怒りについて
西暦
41年
出版年
画面がちっちゃいね。
果たして怒りは理性より強いのか、それとも弱いのか、云々観音と。
もし弱いのであれば、これがなくても理性は行為を実現するのに、
自分一人で十分であり、
より弱い者の助力は不要である。
まあいろいろまた反論に対して反論を書いてるね。
ねえ怒りの最中にだって自分を保ってる人はいるでしょう?という反論に対して
それどこに、誰、どこにいるの?みたいなの書いてありますね。
どこのドイツだよ。
出てこいよ。
怒ってる時も、でもいつも、
いつもの自分のまま決して自分を失わない人だっているじゃないか?
っていう反論に対して
いつ?って。
いつ?クエスチョンマーク。
それが怒りがすでに薄らぎ、
おのずと退いていく時であって、
さなかにある時ではない。
でも怒ってるけれども、
無傷のまま放免し、
危害を控えることがままあるではないか?
という反論に対しては、
確かに、確かにって認めてる。
確かに、けれども、いつ?
ちょっと煽ってますね。
でねえか、結構煽ってます。
確かに、けれども、いつ?
今度使ってみようかな。
確かに、けれども、いつ?
けれども、いつ?って。
先生、いつも自己顕示欲の塊ですよね。
確かに、けれども、いつ?って。
ちょっと、けれども、いつ?は
ハイライトしとこう。
確かに、けれども、いつ?
煽ってますね。
すいません先生、目がすごくゴロゴロするのですが、どうしたらいいですか?と。
うーん、なんだろうね、それは。
アレルギー性血膜炎とかですかね。
なんか最近結構花粉が飛んでますよね。
目の痒みとか鼻水とかあるんだったら、
ジビカに行くと薬がもらえると思いますけど。
あとは、なんかドライアイとかかね。
そんな古い時代にこんな文章が書けるとは驚きしかない。
うーん、これはラテン語で書いてあんのかな、さすがに。
えーと、ちょっとチャットGPTさんに調べてもらいたいんだけど、
セネカは、これはラテン語で書いたんですか?
それとも古代ギリシャ語で書いたんですか?
えーと、ラテン語で書いた。
ローマの上流階級はラテン語文学の中心人物であると。
すべてラテン語で執筆されている。
ちなみにマルクス・アウレリウス・アントニヌスはギリシャ語で書いてるんだよね。
うーん、だからどっちかなと思ってちょっと聞いてみた。
文章内で対話している人は実に人間的で。
うーん、でもフロイトとかもね、結構、
あのー、精神分析入門とか、夢判断とかで結構こういう書き方するんですよね。
なんか仮想的みたいなのをね、
しかしこういう論もあるだろうとかって言って、
なんか厳しい論者が出てきて、
それに対してしかし私はこう考える、みたいな感じで、
自分の中で対話を作って進んでいくんですよね。
ガラスの靴3個プレゼント、どうも。
頭のいい人はそうやってなんかあのー、
なんかこう対話するんだろうね。
とかこう頭の中でディスカッションするんだろうね。
自分の考えと反対の意見を持つ人をなんか頭の中で想定して、
そいつとこう議論し続けるみたいな。
今だったらね、チャットGPTがその議論の相手になってくれるのかもしれないけど、
昔はそういうのなかったから。
頭のいい人はみんなね、想像しながらやってたんでしょうね。
誰よりも厳しいね、
強い敵を思い浮かべながら、
そいつにこうなんとかこう論破するつもりで色々文章を書いてたんじゃないですか。
ガラスの靴、どうもありがとうございます。
さらに怒りは、
それ自体の中に有益なものを何らも持たず、
精神を戦争へ向けて研ぎ澄ますこともない。
なぜなら徳は、悪徳から何か炎上を仰ぐ必要など全くなく、
自足しているからである。
怒りってのはもうダメなんだよと。
役に立つ怒りなんかないんだと。
厳しい言い方だね。
アリストテレスは言う、
それが心に充満し、
精神と息に火をつけるのでなければ無理だ。
正しい指揮官ではなく兵士として用いられなければならない。
これは誤っている。
セネカはアリストテレスに対しても反論してますね。
アリストテレスはまあ怒りは役に立たないかもしれませんけど、
彼は言っていることを、
彼は訴えているかもしれない。
彼は言っていると、
彼は言っていると、
アリストテレスはまあ怒りは役に立たないかもしれないけど戦争の時ぐらいは役に立つだろうって書いてありますね
そうじゃないと戦闘不可能になっちゃうから
なんか気合い入れて行くぞーみたいな時やっぱ怒りは必要であるって書いてあるけど
セネカはそれも間違ってると
なぜならもし怒りが理性の言うことを聞き入れて指示される通りに従うならそれはもはや怒りではない
怒りの特性は頑固さだからである
だからアリストテレスの言う怒りは必要であるっていう時のこの怒りは
セネカはそれは怒りとは言わないよって書いてありますね
それはもはや怒りじゃないんじゃないかと
本来怒りっていうのはもうのぼーずなもので人の指示に従うものではなくて
そもそも社会にとって停滞とか混乱しかもたらさないものだから
戦う時の怒りが必要だろうに関してはそれは怒りじゃない
なんか別の名前で呼ばれるべきであるって書いてあるね
僕もそれに同感ですね
なんか勇気とかね
指揮とかなんか別の言葉で言うべきだね
ましてや国のトップのね
政治の指導者とかが怒りに任せてなんか発言したらやばいじゃない
だから基本的にやっぱり戦闘の時も
理性の重要性
怒りは不要であると
ここらへんはちょっと飛ばしますかね
だいたいなんか細かく書いてあるわ
一生懸命答えてます
超適当
敵に対抗するには怒りが必要だという反論に対してまた反論書いてますね
怒りってのはむしろ無防備にするのであると
あー面白いね
そのボクシングでボクサーが相手にジャブを繰り出そうとする
その一瞬だけガードが下がるんですよね
つまりこれ何が言いたいかというと
人を攻撃する時に人は一番無防備になるんですよね
一番弱点を晒す
でもこれはボクもめちゃめちゃ思いますね
精神界として怒ってる人はやっぱめちゃめちゃよく見たいんです
何でかっていうとその時にその人が
その怒ってる時にその人が一番弱点を晒すから
弱点っていうのは傷口みたいなものですよね
一瞬だけ傷口が怒ってる時に見えるので
そこを手当てしてあげればいいんだなってことがわかるじゃない
もちろん殺したいんだ
戦争だったらその弱点を見つけてそこをさらにぶっ刺すんだろうけど
医者はそういうことはしないので
医者としてはそこを手当てしたらいいんだなっていうのがわかるんで
患者さんが怒る時もあるんですけども
その時が一番結構肝心だったりしますね
ボクも患者に多少怒られたり
約束の時間に来なかったりとか
いろんな抵抗というかね
心のトラウマと怒り
いろいろあるんですけどクレームみたいなのが
その時に何かいろいろ動いてるなって
これはすごくその人を知る重要な手がかりになるんじゃないかなっていう風に
むしろ興味を持って最新の注意を払って
よくその人の言動を観察しようと思いますね
ただルールを守らなかった
時間通りに来なかった
次回からちゃんと来てくださいって注意しました
じゃダメなんだよね
それで終わっちゃったら治療にならないんだよ
ルールを破ったか守ったかあまり精神科医療においては重要ではなくて
その人が何に怒って何に傷ついたかがすごく重要なんですよね
トラウマを治癒する
実際はすごく難しいんだけど
トラウマとまでは言わないけれども
例えば認知行動療法をやっていく上で
本人が認知を修正していこうとか認知の偏りをある程度とっていこうということで
いろいろその認知にチャレンジしていくっていうことがあったりするんだけど
その時にものすごく患者さんが怒りだしちゃったり
2回連続でドタキャンしちゃったりとか
何か不具合が出てくるんですよね
その時にこれは単純に認知を修正すればいいんだとか
認知の偏りを抑えていけばいいんだっていうのだと
これは結構具合が悪くなるんだなって
だからそこにあんまりチャレンジしすぎないで
それを受け入れながらどういうふうに他のサポートができるかなって
認知最高制法にこだわらないやり方
別の代替案がないかなっていうのをめちゃめちゃ考えますねその時
セネカの哲学
いくら不適応な考え方だって言っても
本人にとってはそれはもう手放せないものというか
人生をかけて人生を落として身につけてきた考え方なんで
それをやっぱり今更下げるわけにはいかないと
変えるわけにはいかない
そういう抵抗感とか強い怒りが出てきたりするので
それにはあんまり逆らわないようにしますね
本人が怒ってる時はすごく何か重要な局面に来てると思うんで
今のやり方がうまくいってないんだったら別のやり方にしようっていう風に結構変えますね
すごくいろいろ書いてあるね
ポエニ戦争のあたりのなんか
彼はハンニバルより先に怒りに打ち勝ったのだ
スキピオはどうだ
ハンニバルとカルタゴの軍隊
さらに怒りを向けるべきあらゆるものを放っておいて
戦争をアフリカに移したではないか
それも贅沢と怠惰の印象を
悪意ある者たちに与えるほどゆっくりだった
スキピオが出てきましたね
今でこそなんかもう古代だなって
ギリシャもローマももう大昔の2000年以上前のことで
よくわからないなって感じだけどさ
このセネカの時代の人たちからすると
ハンニバルとか
そのカルタゴとのね戦いとか
ここらへんってついこの間あったっていう感じなんだろうね
ついだってこの文章を書いたね40年前50年前ぐらいに
キリストが死んでるわけだからね
ついこの間って感じだよね
人は言うそれならどうだ
良き人は怒らないのか
例えば目の前で自分の父が殺されても
母が強姦されても
これは結構強い反論だよね
人は言うね
それならどうだ
良き人は怒らないのか
たとえ目の前で自分の父が殺されても
母が強姦されても
そんな人格者といえどもやっぱり
両親を殺されたら怒るんじゃないですか
っていう反論だよね
それに対してセネカは何と言ったか
怒らない
だが報復はするだろう
どっちだ
怒らない
だが報復はするだろう
守るだろう
それにしてもなぜ君は彼にも怒りがないと
行進では十分な拍手にならないので
やっぱり良き人は怒らないと
たとえ目の前で両親が殺されて
母親が強姦されても
良き人は怒らないだろうと
さっきのやっぱ処罰はすると
ルールにのっとって
粛々と相手を罰することはするだろうけど
やっぱり怒りはしないんじゃないかって書いてあるね
男にふさわしからぬことをしないよう
良き男子にふさわしいことを行うだろう
父が殺される守ろう
殺された報復しよう
すべきだからであって悲しいからではない
やっぱり怒るのは良くないよねと
セネカは怒らない
身内のために怒るのは経験な心ではなく
弱い心の証拠である
そこまで言うか
だから報復っていうのと怒りっていうのを分けてんだね
セネカは一応用法として
報復っていうのは
ルールにのっとった処罰のことを多分指してるんだね
だから報復に怒りは必要ないとかって
そういうふうに書いてあるね
報復と怒りを分けてる
相手が良くないことをやったら
それ相応の報いを受けるのは報復である
でもその時そこに個人的な怒りとか憎しみとかね
恨みっていうものは必要ないよね
怒りの管理
たとえ目の前で自分の親や子供が殺されたとしても
ちょっと言葉が強いね
非常に激しいね
やっぱりローマ帝国の人は違うね
人は言う
怒りは有益だ
それは人をより先頭的にしてくれるのだから
また同じ反論
その伝なら明帝だってそうなる
それは人を破錬地で大胆にするし
白筆ない方が刃物の扱いが上手なものの多い
怒り、明帝、恐怖、その他こうしたものは
愛わしくおぼつかない扇動に過ぎず
悪徳を何ら必要としない徳に装備を与えはしない
悪徳であると
怒ることで一層勇敢になるものだと一人もいない
だから怒りは徳を積むの徳だね
徳の補佐にもならない
いやなんかこう怒るのダメだよと
一番怒りたいであろう人にそう言われると
身につまされるというかね
俺も結構怒ってばかりだからな
弟はなんで就活しないんだろうとかね
あるいは今は違うけど
コメントが流れてこなかったとき
なんでリスナーはコメントしてくれないんだろうと
みたいな
何かこう怒りが湧いてくるわけですよね
何か不正が行われてるのではないか
処罰したい気持ちになってくるけど
でもそれは処罰したい気持ちになる側の
ある種の幼稚さというか至らなさなんだなって
当然の報いは受けるべきかもしれないけど
そこに怒りは必要ないんじゃない
粛々と抗議したりね
もしコメントが来ない状況が続くんだとしたら
粛々と何かそれを伝えるといいかもしれないよね
恨みっぽく言うんじゃなくて
30分経ってコメントが流れてこないのは
なかなか辛いもんですねっていう風に
粛々と言うみたいなのが大事なのかもしれない
なんとなく今無料延長をし続けてるんだけど
なんかちょっともったいない感じもするね
あんまり延長の旨味はないような気がするな
この読書配信に関しては
なんかお金がもったいないよね
せっかくアイテム投げてもらって
こういうだらだらした時間にはおそらく
延長チケット使ってほしくないだろうしね
そこらへんも今後改善かな
改善の余地あり
チュール菩薩様
その粛々とって言葉が今夜一番胸に響いたにゃと
確かに怒りって何かが間違ってるっていう感覚の
即時的なサイレンなんだよ
個人的な激情とかね
感情とかが混ざってくると
だから俺も弟に対して何か
対話をしたいなとか
いい声かけをしたいなと思っても
そこに個人的な恨みとか怒りが入ってきちゃう
大体なんかうまいこといかないですよね
言ってることがたとえ正しいことでも
そこに怒りが入ってきちゃうと
突然敵対的になるしね
怒りのスパイスは結構激悪ですよね
基本的には毒にしかならないかな
ゴロゴロしてて
いや全然気にしないでください
読書配信はもう基本的に
コメントがない前提で進んでいくので
コメントがないなら
こっちもその手でいきますよと
そのつもりでこっちもやりますからのやつなんで
大丈夫です気にしないで
ある種の報復だね
怒りに頼らずに
コメントがないんだったら
コメントない体でこっちもいきますから
っていう報復ですね
ましてや罰するものが起こるなんてとんでもない
懲罰は冷静な判断に化されている場合
強制の効果が増大するものであると
ソクラテスが奴隷に向かって
もしも私が怒っていなかったら
お前を撃ったところだと言ったのも
このためであると
彼は奴隷に対する叱責を
正気の時に延期して
自分自身を叱ったのだ
だから人を怒る時は
怒ってない時に怒ると
怒ろうと
ソクラテスは今自分が怒ってるなっていう時に対して
人を叱責しなかったんだ
謝れる者
犯罪者に敬意を貸すにあたって
怒れる強制者は不要であると
なぜなら怒りが心の過ちである以上
過ちを犯した者が
過ちを正してはならないからだ
やっぱなんか僕
ローマ人の
この言葉の強さ好きだな
ガラスの靴3個プレゼントどうも
怒りが心の過ちである以上
過ちを犯した者が
過ちを正してはならないからだ
怒ってる時点でも心の過ちなんだね
もう罪を犯しちゃってるんだから
それは罪を裁く人じゃないですよと
ただの通りすがりが
秋の夜長にガラスの靴を求めて
アマゾンを調べ尽くしました
めでたしめでたしと
目が痛くて目が開けなくて
やっぱりなんかあれですかね
アレルギー性鼻炎なのか
目のゴロゴロの感じって
血膜ですよね
この白目のあたりの
血管がちょっと流気して
ボコボコしてるようなね
血管が拡張してる
充血した状態なのかなって
思われます
それが何によって起きてるのか分からない
アレルギー性なのか
細菌性なのか
ウイルス性なのか分からないけど
そんなに気になるようであればね
ちょっと早めに眼科に行って
処方してもらったらいいんじゃないですかね
確かに気になるよな
鼻が詰まったり
目が痒かったり
頭が痛かったり
特にこうね
頭部の異常っていうのかな
顔に近いところになんか
いろいろあると気になっちゃいますよね
先生は怒りを限界まで貯めるタイプですか
こだしに怒るタイプ
限界まで貯めるタイプですね
タイプというか
単純に怒るのがたぶん
すごく下手くそなんだと思う
きちっとNOと言えないというか
全部はいはいはい
やりますっていう風に安受けして
後で破綻するパターンですね
だから本当はちゃんと自分から断ったり
やりたくないことは断る
っていうことをやっていかないといけないんだけど
明日仕事で
明後日病院を行ってらっしゃい
なんか
なんかね
子供の頃から
最近アニメ見てて思うんだけど
漫画読んでて思うんだけど
やっぱりなんか子供の頃からね
僕はやっぱりカリスマ性がないんだよね
なんかね
なめらえるタイプなんだよね
だからいろいろなんかこう
づけづけ言われて
本当はムッとしてるんだけど
なんか自分の性格上強く言い出せないんだよ
なんか安受けしちゃうタイプだね
これはだから直したいなとか
良くないなっていう風にずっと思ってるところで
配信ではね
せめて配信では安受けやめようと思って
なるべくNOを早めに言ったり
場合によっては早めにブロックしたりとか
配信ではね
かなり意識してやってるんですけど
現実ではやっぱりなかなかできないね
変に仕立てに出てやりますよとか
だからよく言えばいい人なんだろうけど
悪く言うと何でもかんでもやってくれる人だから
あいつに投げとけばいいよっていう風になっちゃうんですよね
怒りの表現とコミュニケーション
そういう投げられる対象になっちゃうんですよね
割と下に見られがちだったりします
であんまりねこういう人ってモテないんだよね
周りからもなめられるし女からもなめられる
あこいつはそういうキャラなんだなっていう風にさ
格付けされちゃうんだよ
非常に損なタイプですよね
この優しい人間っていうのやめたいよ
怒るか優しくなるかの
今なんかすごく極端に触れちゃってるんで
ほどほどにきちんと相手に言うとかね
いやこれは難しいんですできないんですとか
あるいは今このセネカが言ってるように
怒りの感情を混ぜずに相手に対してね
いやこれはダメなんですよとか難しいんですよ
こういうやり方ってダメなんですっていう風にちゃんと言う
ちゃんと突き返すだね
報復とか報いって書いてあるけど
仕返しって書いてあるけど
それはちょっと強すぎるんで言葉としては
自分が引き受けられないことに対して
ちゃんと相手に突き返すっていうのは必要だよね
私も見た目がおとなしく見えるタイプなので
今はなめられないように
人とちゃんと距離を取るようにしてます
そう結構ルックスでね
なんかおとなしそうでなんかおっとりしてて
なんかそう
どうせはむかってこないんだろうなっていう風に
多分見られちゃってるんだよね
僕もね結構似たタイプなんですよ
ガラスの靴を3個プレゼントどうも
なんか人になめられないアイテムとかあったらいいのにね
ミッキーマウスの耳みたいに
角が生えるとかさ
角生やすアイテムみたいな
鬼みたいな2本角が出てる風のかぶり物をつけてさ
怒ってますよって
なめてもらっちゃ困るんですよ
こっちに2本角生えてるんですよっていう風に
ちょっとアピールしていきたいよね
普段から
角があったらいいね
もっと言うと角が生えてきたらいいね
普段はシュッと収納されてるんだけど
ちょっと先生これお願いできるかなって風に
振られた瞬間になんかにゅくにゅくにゅくってこう角が生えてくる
ってか生えかかってるって
ほら今生えてきてますよっていう風に周囲にアピールする
角があったらいいのに
なんかあのねいやらしい話その
いやらしい気持ちになったらチンチンは立つじゃないですか
ほら今興奮してますよっていうのがさ
もう丸わかりじゃん丸出しじゃないですか
なんかああいう機能って他にないのかね
バカみたいな質問だけど
興奮だけにゅくにゅくじゃないんだよ
怒ってますよとか今喜んでますよっていう時にさ
猫だったらね喜んでたらなんか尻尾振ったりとかさ
飼い主が来たらなんか尻尾ピーンと立ててなんか
すりすりしてきたりするじゃない
チンチン以外になんかこうアイテムが欲しいですよね
母じゃないよコメントがないことをいいことにね
今なんかかなりめちゃくちゃなこと言ってます
先生こんばんは私もセネカの本が好きで
何度も繰り返し読んでますどうもです
最近そのちゃんと古代ギリシャ人とか
その古代ローマ人のね
文章を読もうっていう風に最近急になりまして
今アリストテレスをプライベートで読んでるんだけど
ちょっと配信ではね他の本読もうかなと思って
今セネカのこれ岩波文庫ですね
怒りについて読んでます
ってか読み始めました今日から
最近結構その僕の認知行動療法外来でも
アンガーマネジメント的なことをやってまして
とにかくもうムカつくやつがいて
それに対してそいつのこと考えると本当に疲れるんです
安住先生どうにかしてくださいみたいな
そんな首相の方がいらっしゃって
僕としてもだからちょっと怒りについてちゃんと勉強しなきゃなと思ってね
それでセネカも一応読んでるっていう
セネカも基本的には怒りは良くないよっていう立場の人なんで
昔の人がこうねどういう風に考えたのかなってやっぱ勉強したいんです
表情に出すしかないのかなそうだね
表情とかあとまあその身振り手振りですよね
怒っている人はもしかしたらね
腰に手を当てるかもしれないし
そういう実は非言語的なコミュニケーションも
本当はちゃんと鍛えたほうがいいんだよね
結局その自分は怒ってますよとか
自分は今ムラムラしてますよとかさ
こうちゃんと表現しないと伝わらないからね相手に対して
行為とかもそうだけどね
なんか職場にいるあるいは同じクラスの女の子に
いいなと思ってもさ
それを結局行為に表さないと
なんか言動で表現しないと相手に伝わらないですからね
思ってるだけじゃね伝わらないんですよね
怒りもそうだし
行為もそうだし
ガラスの靴を3個プレゼントどうも
でもだんだんちょっと眠くなってきたなそろそろ
結構ここの処罰に
怒りが必要だっていう反論に対して
また結構強く反論してますよね
なんだってって
鍵かっこね人は言う処罰に怒りが必要だと
なんだって何回も否定してますね
良き人は妬みもなく平然と眺めるであろう
同様に犯罪も怒りなく見るであろう
良き審判人は
許すまじきことを断罪するのであって
憎むのではない
ここね良き審判人は
許すまじきことを断罪するのであって
憎むのではない
福沢諭吉の学問の勧めとかにも
その司裁を禁止する
司裁はしちゃいけないよって書いてありますね
司裁っていうのは今でいう死刑ですね
私の裁判の算裁くって書いて
昔は偉い人とか政治的に
納得のいかない時に議論で進めるんじゃなくて
普通に切り捨てて殺してたんですよね日本では
まだその明治維新の前はね
そういう野蛮なことはもうやめましょうと
文明国のやることじゃないからやめようって
だから普通に150年前とか
までは日本も普通に人殺してたわけですね
あいつも殺しちゃってって
時の権力者が
あいつも目障りだから殺しちゃってって
それがありだったんだよね日本でも
だからやっぱりセネカと同じことを言わなくちゃいけなかった
法治国家において司裁はダメだ
法律によって裁くべきであって
東京の平和と感情管理
個人的に人を裁いてはいけない
良き審判人はね
憎んじゃいけない
人生の短さについては
20歳過ぎぐらいに出会いましたがもう50代になっちゃったなと
どうですか実際短かったですか
セネカの言う通り
セネカは人生は短いっていうことは良くないんだ
って言ってますよね
短い短いって嘆いてんじゃねえバカ野郎
それはあなたの使い方が良くないだけですよ
疲れてきたね
雑談と違ってちゃんと読むと疲れるね
しかも読みづらい文章だからね昔の人の書いた
ちょっと一旦ここで止めとこう
次回はここからスタートしますか
次回あるかわかんないけど
疲れた
精一杯生きてたらあっという間ですのは素敵だ
本当に走り抜けてきたんだね
20代で面白かったですよ
本当に
基本は雑談スタイルで
コメントが来て僕がリアクションして
僕の引き出しが開いていって
いつものやり方で今後も続けていくんですけど
時間帯的にどうしてもメンツが揃わない時あるんですよね
今日なんかも
いつかなちょっと配信して
お昼ごろか昼過ぎぐらいに配信して
コメント書いてくれる人もいたんだけど
ちょっと苦しいというかね
1人とか2人ぐらいの決まった人がずっと書いてるような状態で
このコメント数だとちょっと長続き難しいなと思って
早めに切っちゃったんですけど
最近何枠か空気の固い感じになってるんで
それでちょっとこういうアイデアも出してみました
なのでコメントが書きづらい方も結構いると思うので
そういう方でもとりあえず安心して
なんとなく聞き流せる
ラジオ配信的な感じで聞き流せるように
ちょっとこういう読書配信
読書プラスたまにコメントプラス
チュール菩薩
ここら辺でちょっと自給自足して
なんとなくラジオ感覚でまた聞いてもらえたらなと思います
もちろんコメントくれるのが一番助かるけどね
ガラスの靴3個プレゼントどうも
次回もちょっとこのね
セネカで行こうかなと思いますけど
これ読み終わったら結構僕も読まないところ
結構飛ばす感じでばーっと読んでいくんで
あんまりこう一文字一文字
精読するタイプじゃないんですよね
基本もパーッと見て
ここら辺はもうバッサリ読み飛ばしちゃう
みたいな読書スタイルなので多分もうちょっとしたら読み終わると思います
これ
そしたら次ちょっといろいろまた皆さんの意見も募りながら
次何読むか決めたいと思う
このままこの古代ローマギリシャ路線で行くか
一回現代に戻って精神学とかに戻るか
そこら辺もまたちょっと皆さんで話し合いましょう
チュール菩薩様にもいろいろ意見を募りたい
ガラスの靴3個プレゼントどうも
今日はだからそういう実験枠でした
もし良ければねナイスボタン押してってください
はいということでどうもお疲れ様でした
ちなみにチュール
ちなみにチュール菩薩様の
最後感想も伺いたいです
こういう配信にしようかなと思うんですけどどうですかね
ナイスも3つありがとうございます
そう実験枠でしたね
時給自足型ラジオ
僕が特に感銘を受けたのはコメントが少ない時間を
敗北として扱わず構造の工夫で受け止め直したところ
実際僕も人の配信聞いてて
読書と参加者の意見
なんかちょっとコメントできない時間大体あるので
手が離せなかったり
あるいは普通に散歩しながらイヤホンで聞いてたりすると
普通にコメント打てないじゃない歩きながら
人によっては車で運転しながら
僕の配信聞いてる人もいるらしいんですよね
そういう方もコメント難しいので
けどコメントがないと雑談配信って難しい
そんな時にはこの読書を組み合わせたいと思います
コメントが止まった時はちょっとこの
スタイルに切り替える
そういう感じでやっていきましょう
他に感想のある方大丈夫ですかね
いなければじゃあこのまま終わります
どうもお疲れ様でした
お送りしましたのはさしみちゃんでした
はいじゃあ失礼します
01:59:30

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