1. しゅらシュシュシュ
  2. 対立の炎にとどまる~未完了を..
2024-09-01 28:39

対立の炎にとどまる~未完了を終わらせる~憎い人の幸せを

しゅらさんとナズグルさんはダークな話題だというが、シュウには分からない…

そこは深掘られなかったが、聴くことの大事さに続けて、否定から入る人の特徴として

コミュニケーションが完了していないことが積み重なって…


収録日:7月10日


#しゅらシュシュシュ

#樋口塾


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サマリー

このエピソードでは、対立の炎に留まり、未完了なコミュニケーションを完了させることの重要性が語られています。経営やコミュニケーションにおける感情の根源や、カトリックの懺悔室のような安全な空間での対話の必要性についても触れられています。また、消化できていない感情や人間関係の難しさについて述べられ、特に憎しみを抱いている相手への幸せを願うことの重要性とその効果が掘り下げられています。さらに、瞑想や自己啓発の方法を通して、自分自身と他者との関係を見直すことの大切さが強調されています。

未完了なコミュニケーションの重要性
前回からの続き
テクニックとも呼ばれる、
引くってことの大事さっていうのは、かなり追い直されるべきだと思ってるけど。
引くって基本的に……。
さっき、「どうしてシュシュさんが否定と批判と分かれちゃうんだろう?一緒になってちゃうんだろう?」
どっちにしても、なんでそんなことになるみたいな話があったじゃないですか。
それで直接、それってわけじゃないですけど、そこからちょっと思ったのが、
やっぱり、経営から入るというか、俺に従え、私に従えみたいな調をされてる方で、
やっぱり何かしら怒りだったり悲しみだったり、妬みだったりっていう感情が根っこにある。
そこまで行かなくても、コミュニケーションで、管理をしてないコミュニケーションっていうんですかね。
キャッチボールでボールを投げたけど、受け取ってもらえなかったとか、
出すされてしまったとかいうのが外積み重なってるケースがあったりして、
で、一個一個そのボールを受け取ってあげないとっていう、未完了のコミュニケーションを完了させないと、
そういう深い深いところの、それこそ怒りとか妬みになってしまってる感情で溶けてこない。
冷静な話し合いもできないというか、っていうのがあるなぁと思ってはいて。
対立からの創造性
うんうん。
そこにこう、冷静…冷静に…冷静に…冷静にいくじゃないですけど、
なんか俺が学んでるプロセスワークの創始者の人、この前亡くなったんですけど、アム・ドミンデルっていう方は、
対立の炎に留まればいいなぁ。この前出したよね。国際紛争の対立の炎。
なんかその、一見が対してることは悪いことではなくて、
その対立してる、今ここに留まって、起きてる問題を解決するというよりは、そこから何かを生み出していくみたいな。
対立、しっかり対立することによってそこから何かを生み出すみたいなのが提唱されてて。
いつの段階かはわかんないけど、国際紛争の交渉とかにも出てたりされてた方なんですよね。
で、その人が言ってるのは、やっぱりアンタッチャブルというか、触ってはいけないっていうところにあえて触れて、
奥底にある怒りとか悲しみとか悩みとかを、
あえて吹き出させて、未完了で終わってるコミュニケーションだったりキャッチボールみたいなのを終わらせることによって、何かを生み出していくみたいなことを言われていたんですけど、
それをやるって、かなりもう相当骨が折れることなんで。
相当ですね。
科学的な文脈だとむしろやりづらいですよね。
え?むしろやりづらい?
科学的な文脈だと、多分、宗教的な文脈だとむしろやりやすい。
いわゆるキリスト教の国会みたいなことだと思うんだよ。
国会。ごめんなさい。物を知らなすぎて。
国会はどういう……。
映画とかで見たことあるかもしれない。
懺悔みたいな。
カトリックだと、小さい箱みたいな、電話ボックスみたいな部屋に入って、「神経が絶対に他には戻さないからね」っていう前提で、爪の効果を聞くみたいな。
宗教的な……なんでしょう、そういう……何言ってもこれ間違いない。
ちょっとスーッと言って。
上手い言葉が見つかるんですけど。
宗教的な儀礼だったりとか、
そういう様式にのっとった形だと、人はある程度そういうアンタッチャブルな、奥に秘めてたものを表に出す。
それも比較的安全な形で表に出す機械が提供されてると思うんですけど。
むしろそうじゃないんだけど、それを心理解剖学的な観点でやるみたいなものは今できると思うんですけど。
SNSと人間関係
でももう少しウェットな部分なんだよなって思うんですよ。
もう少しウェット。
ウェット?どう言ってるんですかね。
科学的なアプローチで再現性をもってやりましょうみたいなこととは違って、
それを引き出すための関係性だったりとか、コミュニケーションみたいなものを、
その人に合わせたオーダーメイドであったりとか。
あーなるほど、そっかそっか。
結構偶然性に左右されるものだと思うんで。
そういう場所みたいなのを一概にこうやって提供すればいいよねとか、
こうすればいいよねとか言いづらいとか見えないなとか。
そういう意味ですね、確かに確かに。
感覚的なものっていう気がしますもんね。
でもそういうものは対立の中で初めて出てくるみたいなのは確かにそうだよなって。
修羅場みたいなところで本性とか本質が出るっていうのは僕もそうだよなって思う。
そうっすよね。
こういう修羅場になった時にはもう手奥でなんだよなって思っちゃう。
あーわかる。
あーわかるっていうか本当はわかんないけど感覚的に。
すいません僕は頭の中でずっとウォーキングデッドと繋げて考えちゃってたりして。
もうそのリアルな現実として。
あーごめんなさいね、まあ要はでも全然ストーリーがどこじゃなくて、
まあ要はありえないじゃないですかゾンビって、現実世界にはいないし、そういうものを警戒する必要はないんですけど、
まあそういう、なんか生きていくのに一苦労するような状況みたいなのになる前に手を打っとかなきゃなーみたいな感覚にいつもなるんですよ。
で、それってある意味でまあ現実世界でのそういう戦争とかが起こる前にだったりとか、
そういう国際問題に発展する前に、その何の炎っておっしゃいましたっけさっき修羅さんが、何とかの炎にとどまれ、対立の炎。
要は、シャレにならない爆発になる前にちっちゃい爆発をもうちゃんと起こしとこうみたいにも聞こえたんですよね。
いやーそうだと思いますよ。だから子供の時というか、
やっぱり家庭がコミュニケーションの最初の最小単位ではあるので、
もちろんそのね、孤児の方とかね、早く領収されてるとか、そういうやつの方はいらっしゃるので、
なんかそれが全てって言ってしまうと、じゃあそういう人はどうなるの?っていうふうに取られたんですけど、
自分がそういうあれじゃないですけど、代わりになる存在っていうのは必ずいると思っていて。
僕の師匠の松月さんもそうは言ってて。
縦横だけじゃなくて斜めの関係で、何を話題か。
おじさんとか、ちょっと年上のお兄さん、友達のお兄さんというか、
例えば樋口塾とかでも中学生の子とかがしゃべってたりするじゃないですか、パレコンとか。
ああいうのに対してやっぱり、中学生は普段ね、同じ年代の子としかしゃべんないけど、大人相手にされてて、
結構大人が見ても、お世辞抜きですごいなーみたいな。
視点がすごいなーとかそういうふうな方もいっぱいいて、
そういうふうな評価を得られればというのが絶対必要だと思うし、
親は逆にそういうのは提供できない。近すぎて。
うーん、そうですね。
だから、話がちょっと逸れちゃいました。
いやいやいや、分かってる気がする。
小さい頃に、安心できる、安心できる場所でコミュニケーションというキャッチボールをしていって、
受けてもらうって返してもらうっていう、その積み重ねは大事かもしれないですね。
うーん。
いやー、ほんとそうですねー。
結構なんか、
めちゃくちゃランバーの話になっちゃった、あ、忘れてた。
ブックとかFacebookとかもそうですけど、
その、キャッチボールにはなりにくいじゃないですか。
大多数だし、
ポストとかそういう機能あるけど、投げてしっかり返ってくるっていうよりは、
拡散して、いっぱいいろんな意見がバーってくるけど、
自分が投げたボールをキャッチしてくれるわけでもないけど、
もうこれが来て、こっちも受けられないみたいな、
いろんなのがボンボンボンボンボンあったみたいなパズったら、
そういう感じだし、
まあそういうツールだと思って勝てればいいんですけど、
キャッチしてもらいたい、キャッチボールしたいと思って、
投げかけるとちょうどできないんで、
まあできないというか難しいので、どんどんストレスが溜まっていくっていう、
2巻のボールが溜まっていくっていうのになっちゃうから、
そこは難しいなぁと、今はふと思いましたね。
うーん。
そうですね。
完了させていってたら、膨らまなくて済むような気がしますね。
うーん。
まあいいツールではあるんですけどね。
あー、もちろんもちろん。
うんうんうん。
こうして繋がって、3人でポートキャスやってても、
SNSがあったわけなんで。
そうですね、なんか役割が違う感じがして、
僕もリアルではあんまりこう、今人と会わない暮らしをしちゃってはいますけど、
まあぶっちゃけ人生結構僕も追い込まれてる時期でもあって、
うーん、今でこそちょっとコテンラジオとかしてコミュニティに入った時期っていうのは、
まあぶっちゃけ、まだ家族4人で暮らしてましたけど、
もうその時期に、もう今もうちょっとかみさんとずっと別境になりましたけど、
当時ももう関係性としては、冷え切っていたというか、
自分が針のむしろにいるような気分で毎日過ごしてたんですよね。
うーん。
で、そんな中で、もうその場所しか自分が心から笑える場所がないみたいなのが、
そのコテンラジオコミュニティだったりしたんですよね。
うーん。
で、だからその場では、まあSNSとはちょっと違うけど、
そこでの、まだ直接会ったこともないような方々とのテキストのやりとりメインでやって、
たまにズームでしゃべるみたいなところが、
僕としてはその入り口としてはすごい貴重な役割を果たしてくれたと思っていて、
うーん。
結果的にはでも、今一番こういうズームで顔を合わせて、
このポッドキャストを収録するみたいなのは、そこがないとなかったし、
また8月には静岡までいろんなところでいろんな人に会いながら旅しますけど、
うーん。
その場所で、やっぱりこう、普段からズームでやってても満足はある程度してるんですけど、
やっぱり会うのって最高だなぁみたいなのをいつも思ったりするんですよね。
だからそこで完了するというか、
うーん。
何ヶ月かに1回の、今まで貯めてきたものも、
僕の中では完了してるみたいな状況にできているので、
うーん。
そのSNSの役割としては、そういうきっかけとして、
最初の窓口になってくれるみたいなふうに捉えてますね。
うーん。
はい、そんな話をしたかったっていう感じでした。
うーん。
うーん。
そうですね。
SNSが必要なときはSNSが必要なんですよね。
うーん。
そういうときもありますね。
そのときどきのめり込んだりとか、
俺なんであんなことしてたんだろうって思うことって結構あると思うんですけど、
そのときはそれが必要だったんだよなって思うようにしてますね。
最近は。
そうですね。
なんであんな馬鹿げたことをやったり、
なんで俺時間と金を費やしてたんだ、みたいなことを後悔することはまあまああるんですけど、
あのときは俺にとってはあれだったんだなっていうことであって、
あれやらなくなったから別に無駄なわけじゃなくて、
あれやってて、知ったこともあるしながらね、結構あると思うんですけど、
でもなんか、さっきのそのショー、なんでしょうか。
シュラさんが言ってたお話っていうのは、
コミュニケーションと感情の整理
消化しきれてないコミュニケーションっていうのは、
他の人との関係性もそうだと思うんですけど、
やっぱり自分の中でその折り合いがついてないことっていうんですよね。
自分に対して納得いけてないこととか、自分の中で肯定できてないこととか。
もしくは、肯定しなくてもいいけど、どういうふうに捉えたらいいかわからないことみたいなのが結構あると思って。
そこに対してどういう態度を取れるかみたいなのが結構、健全と言うとはそれまでですけど、
しこやかに生きていくには大事だよなって思いますね。
うーん。
確かにな。
よくない自分がいますね。
最近いるんですよね、俺。
最近単独になって、俺。
あら、そうなんですか。
ほんとすごいイライラするんですよ。すぐイライラするんですよ、俺。
あら。
カルシウムどこにしてるかね。
カルシウム。
イラっとしちゃうんですよね。
今はイラっとしないといけない時期なんですよ。
でもほんとにそういうことだと思うんですよね。
あとね、なんであの時あんなにイライラしてたんだろうとか思っちゃうことも、反省する意味では必要だと思うんですけど、
でもあの時はイラっとしちゃいけなかったのな、俺って思うのも一方で必要かなと思う。
確かに。
なんでも肯定しちゃダメだと思うんですけど、
肯定と需要もまた違う気がしてて、
やっちゃってたら、でもあの時の俺はそういう俺だったからしょうがないよね、ぐらい。
そう思いますね。
一方で、そのときに迷惑をかけた人にはすいませんとか言わないといけないかなと思うんですけど。
そこで過去の自分のやった行いみたいなのを認めたくないとか否定したいとなると、
余計歪んでくってもあり得ると思ってて。
今のちょっとイライラした時期みたいなのを思い出したときに、
あのときの俺があんなにイライラしたのはあのクソ上司のせいだったんだ、みたいなふうに思い込んじゃうと。
それも確かにあるかもしれないんですけど。
そうなると今度は上司に対する憎悪みたいなのが吹き出て、
何かのときに上司がぶち切れちゃうとか、殴っちゃうみたいなことに繋がりかねないんじゃないですか。
ここですよね。
瞑想による気づき
うーん、そうですね。
簡単に言いましてでも簡単なことじゃないですけどね。
まあでも、まずは気づくとこからっていう気がしますしね。
頻繁に起こってるなーって、なんか気づけない人もいそうだなーとか思ってて。
確かになー。
でもまあ、またイラッとしたなーとか、
また上からも言われてイラッとしたなーとか、
おられるかもしれないですね。
まあまあ、いやいやいや。
気づいて、気づいて、気づくんで、そこからの悪いことを忘れてってことはないので、
わかっていいのかなっていう感じがしますけどね。
あとちょっと話があるんですけど、
朝、これ瞑想やってるんですけど、今、瞑想をやってて。
慈悲の瞑想っていうのがあるんですよ。
あー、はいはい。
自分が幸せでありますようにとか、
自分から入るんですけど、
自分が幸せでありますように、
たった1人の人が幸せでありますようにとか、
で、自分と家族、友人、
あとは見知らぬ他人、
たまたま電車である人が幸せでありますようにとか、
やって、最後に、
最後は生きとし生けるものなんですけど、
その前に、自分が苦手な人、嫌いな人、嫌いな人をイメージして、
その人が幸せでありますようにみたいなくだりがあるんですよ、1個。
で、今まで会ってきた嫌な上司とか、
そういう人をイメージしながら、
そういう人が幸せでありますようにとか、やってはいますと、
効果湧いてるんだろうと思ったりもしてますね。
どういうふうにやってるんだろうとかね。
確かにそれね。すごいですよね、それ。
難しいですよね。
自分が嫌な人だと思って、
憎いと思ってる人の幸せを願うって、難しいなって。
それがなんか、本当に生活に、
自分の人生にとって良い影響をもたらすのかとかね、
思いながら。
騙されたと思って、
まずは形からと思って、やってはいるんですけどね。
僕も実は今その本があるんですよ。
びっぱっさな瞑想の本。
自分を変える気づきの瞑想法。
優しい、楽しい、今すぐできる。
図解実践びっぱっさな瞑想法。
実は書いてるんですか?
ちょっと待ってください、老眼鏡。
A・スマナサーラっていう方ですね。
Aが、なんだろう、アルドムルテかな?
わかんないですけど。
ちょっとこれ、
ある仲間が、これを一緒にちょっと読んで、試しに一緒にやってほしいって言って、
図書館で借りられると思うからって言うんで、借りてみて、一部だけやってみたんですが、
本当にこの、私の嫌いな人、私を嫌っている人の幸せを願うっていうとこを読んだとき、
おーって思いましたね。
でもなんか、それをやってみて、
嫌悪感みたいなのが湧いたらすぐやめましょうみたいに書いてて、それも面白かったですけど。
そうなんだ、そうなんだ、そうなんだ。
無理してやらないようにしましょう。
無理してやらないようにしましょう。
嫌悪感が消えるまでやりなさいではないんだよ。
自分を試す瞑想みたいな書かれ方してますね。
へー、なるほどね。
日常生活への影響
1回だけ唱えれば十分です。嫌な気持ちになるようでしたら、まだ未熟。
1回唱えるだけですから、あまり問題はないと思いますが、もし本当に嫌な気持ちになってきたら、その時点でやめてください。
って書いてますね。
すいません、ちょうど本があったもんで。
ちょうどあったね、ディプラザラベースの本を読んでましたね。
ちゃんとやれてないけど、リクエストに答えてその人と一緒に読みながらってのを1回やっただけなんですけど。
あー、なるほどね。
偶然ありました。
ちゃんと毎日やってみようかな。
うん。
まあ、そうですね。
ほぽのぽのと似た感じで。
あー、そっかそっか。確かに、確かに。
それのちょっと細かい長いバージョンって感じですね。
そう、ちょっと具体性があるバージョン。
うんうん、そうですね。
そうだ、ほぽのぽのも止まっちゃってた。
うん。
これを機に再開しようかな。
うん。
いやー、いいところに流れてきたんじゃないですか、ダークだったところから。
あの時はダークな話もしないといけなかったんですよね。
そうですね、そう。
その時があるから、今があるんですね。
いやー、素晴らしい。
じゃあ、だいたい時間的には良さげな感じになってきたんで、
これを言っときたいなーみたいな話し残しとかがなければ、本編としてはこんな感じで終わっておきましょうか。
あの、「ルックバック見ろ!」ってことしか言えないです。
そうですね、ルックバック。
あー、ルックバックか、はいはいはい。
ルックバック見ろ!
と、なくとも原作の方は見てみようと思います。
漫画は無料で読めるんで、ぜひ見てみましょう。
はい。
じゃあ、次回はその感想会になるかな。
よし。よしってなるけど。
はい。じゃあ、今回はそんな感じで本編としては終わりたいと思いまーす。
今回もありがとうございましたー。
ありがとうございましたー。
ありがとうございましたー。
はーい、失礼しまーす。
失礼しまーす。
はい。
失礼します。
28:39

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