00:00
皆様、くすけんラジオを聞いただき、いつも本当にありがとうございます。
今回の話ですけども、いつもと違う感じで話をさせていただきます。
いつもの場合ですと、お聞きをいただいている方であったり、患者様から質問とかテーマをいただきまして、それに沿って話をさせていただいているんですけども、今回は僕が話したい話をさせていただきます。
内容としましては、災害と薬剤師というテーマで話をさせていただきます。また、今回は僕が体験したことなどを踏まえての話をさせていただきます。
この災害というテーマ、僕が薬剤師を目指すことになったきっかけの一つということもありまして、非常に思い入れが強いテーマであります。
テーマ的に興味が湧かないようという方もいらっしゃるかもしれません。ですが、もしもお聞きいただけたら、僕は大変嬉しいです。
また、この話は僕は似たような話をいろんなところでしていますので、聞いたことあるようという方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。
が、今回僕のわがままにお付き合いいただければなぁと思っております。
今回このテーマで話をする理由としましては、最近よく関東大震災から100年というニュースがやっているから、これも少しあるんですけども、
主な理由としましては、先日僕のX、旧ツイッターですけども、そちらの方で少し触れておりますが、
中田博之先生がお亡くなりになりました。
中田先生という方は薬剤師業界ではとても有名な先生です。
薬剤師ではないよという方では、ご存知でない方も当然ながら多いと思われます。
で、ご存知でない方のために、中田先生のことを簡単にご紹介させていただきますと、
有名なところとしては、日本在宅薬学会という薬剤師の在宅医療を考える学会のようなものがあります。
薬局における在宅医療というのは、体に不調を抱えたいとか、高齢のためとか、体の自由が利かない患者様のご自宅へ薬剤師が伺いまして支援をするという薬剤師の業務です。
この在宅業務は今の薬局業界において重要な柱でありまして、
その学会において理事をされていたという中田先生は数々の講演をされていたこともありまして、薬剤師業界では幅広く知られていた先生でした。
が、中田先生は別の分野においてのスペシャリストでした。
その分野というのが災害薬学、救急災害薬学という表現もしたりするんですけども、
災害時における薬剤師の使命であったり対応について研究をして、多くの薬剤師へ伝えていくという災害時の薬剤師対応におけるスペシャリストでした。
何か災害があった際に医療チームが派遣されるようというのを聞いたことがありますでしょうか。
例えばになりますが大地震が起きた際などは家屋の倒壊なので多くの方が怪我をされたりとか、避難場所には数多くの方が詰めかけることになりますので避難場所では人が密集をします。
03:08
そうなると感染症が蔓延しやすくなります。
また災害が起きた場合その地域の病院や薬局も災害を受けることになりまして、医療機器が故障するとか医薬品の物流が止まる恐れもありまして、
被害を受けた地域の医療が機能不全に陥ります。
そこで災害派遣チームというのが組まれまして、その災害があった地域へ派遣されまして、災害地域の医療を助ける取り組みを行っております。
近年での有名な災害、例えば阪神大震災とか東日本大震災、九州熊本地震などが有名です。
地震大国の日本ではこれら以外にも震度6を超える地震は数多くありますので、こういった有名な地震以外でも医療チーム派遣されております。
また地震以外でもトンネルの崩落事故だとか火山噴火、有名なものでは御岳山の噴火とかですかね。
こういった様々な災害において医療チームは派遣されておりますし、日本だけでなく海外の災害においても日本の医療チームが派遣される、そういったことはよくあります。
本来であればこの医療チームどこが主導であるか、例えば日本医師会であるとか、自衛隊の医療チームだとか都道府県の医師会だとか、また全然違う団体など様々なものがありますが、今回そういった違いとかは割愛をさせていただきます。
とにかくこういった災害時の派遣については地震大国である日本の医療チーム派遣、これはとても熟練度も高く迅速な対応をすることで有名であったりします。
ただ、この災害派遣における医療チーム、ネットや本とかで災害派遣の医療チームについて調べたりするとすぐに出てくるんですけれども、
この医療チームどんな職種がいるのかと言いますと、医師や看護師、その他の医療職や事務職と明記されていることが多いんですけれども、薬剤師と明記されることは少ないです。
と言いますのも、災害派遣の場においては薬剤師は必要ないと言われておりました。
薬剤師の仕事というものは、患者様の相談によってどういう薬がいいのかというのを市販薬で紹介するとか、処方箋を受け取って患者様と話をしながら、処方箋に不備がなかったかな、薬足りないものないかな、残薬の調整必要かなとか、そういったのを考えながら患者様に薬を渡して説明をしていく。
こういったのが主な仕事と言われております。
ですが、よく言う治療行為、例えば注射をするとか怪我の手当をするとか、こういうのは薬剤師にはできないとされておりまして、実際学生時代にはそういった注射の主義とか怪我をしている方への手当、こういったのはまともな授業をしてないよ、受けてないよという薬剤師が多いのが現状です。
06:06
災害の場面において建物が倒壊しているとか交通が止まっているよとか、そういった場面では物流が止まってしまいます。物流が止まることで市販薬とかまともに流通もしてないですし、そうなると市販薬の説明どころじゃないですよね。
また、処方箋に沿って薬を渡すという行為にしても、これ医師の指示があれば薬剤師以外の人間が薬を渡してもいいとされております。
今でもありますけれども院内処方という病院とかクリニックに受診をして、そのまま病院内で薬をもらうとか、近所にそういったクリニックとか病院がございませんか?
ああいったところでは薬剤師を配置しないという病院もよくあります。
そういったこともありまして、被災害の場面でも医師が緊急で指示を出せば薬剤師以外の人間が薬を渡してもいいわけです。
被災地のようにただでさえ混乱が起きやすい場面においては、情報共有とかなるべくシンプルにした方がいいという場面がよくあります。
なので、少しでも必要ない職種とかはいらないと思われていることもあります。
薬剤師って災害派遣の場においてはいらないんじゃないか?と言われておりました。
こういったことから、災害時の医療チーム派遣に薬剤師の名前がないということがとても多かったりします。
ですが、ある大きな地震をきっかけに薬剤師の必要性というのが高まることになりました。
そのきっかけというのは阪神淡路大震災でした。
阪神淡路大震災、当時の報道を覚えている方も多いんじゃないでしょうか。
関東大震災以来の大規模な震災だと言われまして、朝から夜までずっとニュースで持ちきりでした。
当然ながら、あれだけの災害ということで医療チームが派遣されました。
そして、日本各地からは様々な物資が送られ、その中には医薬品であるとか、医療用の機器なども送られていた後のことでした。
医療チームと物資が現地に到着しまして、医療行為を行っていこうとした際に大きな問題が生じました。
医薬品はある、でもその医薬品が何の薬かわからなかったという問題が生じました。
どういうことだと言いますと、医師や看護師、薬剤師も大学生の時はそうなんですけども、みんな薬というものは成分の名前で勉強します。
例えば有名な薬で言えばロキソニンという薬。
ロキソニンはあくまで商品の名前でありまして、成分の名前はロキソプロフェナトリウムと言います。
教科書にはロキソニンではなくてロキソプロフェナトリウムという名前で書かれておりまして、それで勉強します。
ですが被災地に送られてきた物資は商品名の方で送られてきます。
今ではジェネリック医薬品とかの場合ですと成分の名前、例えばロキソニンのジェネリックであればロキソプロフェナトリウムといった名前の後にメーカーの矢号が入っているということで、
09:05
成分名とジェネリックの場合は名前がこの成分のことというのがリンクしやすくなっています。
が当時はそんなルールは存在しないです。
先発医薬品もジェネリック医薬品も各メーカーがある程度の自由の中で名前を自分たちでつけていました。
なので成分名と商品名が似ても似つかない名前の薬というものがよくありました。
ただロキソニンとロキソプロフェナトリウムとかこれはまだ似てるからいいんですけども、
例えばボルタレンという痛み止めの成分名はジクロフェナトリウム、
ブロプレスという血圧の薬の成分名はカンデサルタンといったふうに全然違う名前の薬がよくあったりします。
医師や看護師としても普段使っている薬であればこの商品名はこの薬だというのはすぐにわかったりします。
ですが多くの医薬品が送られてきている中では普段自分たちが使っている薬ばかりが送られてきているわけではないです。
普段は使わないような薬もよく目にするという状況でした。
そのため成分名で勉強していた医師や看護師からするとこの商品名の薬って何の成分だというのをそこから調べる必要がありました。
また成分はわかった。でもこれ普段使い慣れていない薬だ。
でも普段使い慣れている薬がないから代わりに使わなきゃいけない。
普段使っている薬の代用になるのでどう使ったら普段の薬の代わりになるんだ?
副作用の違いはなんだ?強さはどうだ?といったそういったことを調べる必要性が出てきました。
被災地ではただでさえ人命のためには早急な治療が必要な状況にもかかわらず、
薬の名前問題、とてつもない時間や労力のロスとなりました。
そしてここで薬剤師会が要請を受けて被災地へ薬剤師の正式派遣が行われました。
現着した薬剤師は箱詰めになっている医薬品に対して片っ端から成分名を記載したり、その成分の特徴であったり、
他の似た成分の薬との違い、こういったのを記載したりしまして、他の医療職へ説明をし続けました。
これによりまして医師や看護師など医療職の負担が大幅に減りました。
また薬剤師が到着する前の時に被災地で薬をどう処分するかで悩んでいるものもありました。
保管スペースの問題なのでやはり使わない薬、要らない薬は捨てなければならないということもありました。
その中には有名な一軸肝臓などもありました。
便秘の時に使うあの肝臓のことです。
肝臓が大量にある、でもこれこんなにいらないよということで、処分をどうしようかということで医療チームで悩んでいた時に、
到着した薬剤師たちは肝臓を切り出して、中の液体を取り出しまして、その液体を被災された方たちへ配っていきました。
肝臓の中に入っているもの、それはグリセリンです。
12:01
グリセリンは保湿効果とかが擦れておりまして、肌を怪我する商品として使われたりもしています。
阪神淡路大震災、これは1月にありました。
がれきとかで怪我をしてしまった方もいれば、冬の寒さがきつい時期でした。また乾燥もしやすい時期でした。
なので肌がひび割れたりとか赤切れができたり、様々な症状が現れやすい時期でした。
そこでそういった肌の赤切れとかひび割れ対策として、グリセリンを使ってもらうために肝臓を切って、グリセリンを取り出して配り回ったそうです。
こういったことが他の医療職から、薬剤師ってやっぱり被災地で重要なんだなということで薬剤師が見直されたと言われております。
この阪神淡路大震災のエピソードですけども、これ、僕は薬剤師の方から聞いたのではなくて、僕が中学生の時に塾の先生から聞いたものです。
当時僕は親の勧めもありまして、薬剤師をなんとなくですけども目指しておりました。
ただ、目指そうと思ってもあくまで手堅い職業だとか、国家資格があるので食いっぱくりはしないよなぁという感じで目指しておりました。
が、このエピソードを聞きまして、薬剤師って人の役に立つ素晴らしい職業だなぁと思いまして、改めて薬剤師を目指していこうと思いました。
その後、薬剤師の現実とかも大学で学びまして、理想と現実の差に打ちのめされて鬱になった時期もありました。
が、僕にとって震災の薬剤師派遣というのは今でも特別なもの、そういった風に心に残っておりました。
その後、社会時に1年目に東日本大震災がありました。
当時僕はある企業の山口県岩国市の店舗で勤務しておりました。
実家は関東ということもありまして、物資を送ったりとか定期的に実家に帰って家族の様子を見たりはしました。
が、自分としては地震が起きた時でも全く揺れとかを感じない場所にいたので、なんとなくやっぱり被災地というのがわからない状況でした。
ですが、昔聞いたエピソードもありまして、薬剤師としての災害派遣に興味がありましたので、被災地で行こうとは試みました。
が、大規模な地震、とんでもない混乱が予想される被災地には熟練した医療従事者が求められました。
薬剤師1年目の人間では役に立たない荷物になるだけだということで、会社としての災害派遣チームにも選ばれなかったですし、薬剤師会での災害派遣要員にもなれませんでした。
その後、5年の月日が流れました。
2016年4月14日、この日にある地震が起きました。
熊本大震災です。
当時、僕はある企業から別の企業へ転職するタイミングだったということもありまして、有給消化中で実家に戻っておりました。
以前勤めていた会社の方では、会社としての熊本大震災の災害派遣チーム考えてないという情報を得ておりました。
15:00
が、薬剤師会という会社とは別組織での災害派遣であれば、これは問題ないよという旨は確認しました。
すぐさま東京都薬剤師会へ連絡を試みまして、災害派遣チームへ立候補しました。
そして、5月の上旬、薬剤師会としての災害派遣チームの一員として、僕は熊本へ向かいました。
その時の数日間の経験、これは僕の薬剤師人生の中でもとても濃密なものでした。
医療派遣チームには様々な役割があります。
震災とか被災直後であれば、負傷者の救護活動、これがメインですし、救急活動には熟練した人員が派遣されます。
そして、僕らのように震災後3週間くらい経っているチームでは、救護活動とかの割合は減っていきます。
では何が必要なのかとなると、いかに地域の医療機関のネットワークを震災より前の状態に戻すのか。
言ってしまえば、復興への前掛かりをどう作っていくのかが主な仕事でした。
この復興という話で、実は大事になってくるんですけども、少しお金の話をさせていただきます。
被災をされた方で、怪我をしたから痛み止めが欲しいとか、夜眠れないから睡眠薬が欲しいとか、薬が必要になる場面はとても多いです。
また、もともと血圧の薬を飲んでいる方が被災して家に帰れない間に薬が切れてしまう、こういったこともよくあります。
こういった場合、派遣されている医師の診察を受けまして処方箋が発行されます。
そして、派遣されている薬剤師が薬をお渡しする、こういった診察とか薬のような医療行為を受けることができますし、
この時の費用というのは全て公費、国や都道府県が負担をします。
ここで重要なのは、この医療チームでの診察した行為とか薬を渡す行為によって発生する報酬、よく言う診療報酬ですけども、ざっくり言えば診察代とか薬代ですね。
これ発生した分でどこかもらえるの?と言いますと、発生した分は日本医師会とか日本薬剤師会など派遣された組織がもらっていきます。
人を派遣しているんだからそういった報酬をもらうのは当然だろうというのは、それはそうだなというのはなります。
ですが、震災からある程度時間が経ってきて落ち着いてきた状況、こうなってくると可能な限りですけども、僕らのような薬剤師会ではなくて地域の薬局とかそういったところで薬をもらってほしくなります。
なぜならば地域の薬局の方が被災された方に対して薬をもらう。そうすると当然ながらこの報酬は地域の薬局に入ります。
そのためある意味ですけども、僕ら医療チームが派遣をされて医療行為を行うということは、本来であれば地域で発生して地域で回るはずのお金を僕らが奪っているという行為になります。
地域でお金を回すというのは経済活動、これ復興のためにとても立派な支援になります。
18:04
なので僕ら医療チームというのはなるべく早く地域の医療機関が再開できるようにするのがとても大事な支援になっていきます。
少し話がそれますけども、よく被災地で送るものは何がいいかということが話題になったりします。
結論から言いますとお金の支援ってとても大事です。
ただ、お金の支援って味気ないよなぁとか、お金を被災地が求めているのってなんか嫌な感じがするなぁというのはよく言われることではあります。
が、復興のためにはお金がやっぱり大事です。何をするにもお金がかかります。
そして、物では困るということがよくあります。
当時熊本で僕らが直接廃棄をしていたわけではないんですけども、熊本の場合でも日本全国から送られてくる物資をどう処分するかで問題になりました。
当時被災直後の熊本、気温が30度を超えるのが当たり前、また雨の多い時期だったということもありまして、湿度が70から80%くらい、これ珍しくない状況でした。
僕らが派遣された数日間でも、毎日どこかしらの時間は雨が降ってたというような状況でした。
ここまで気温と湿度が高いと、当然ながら物が腐ります。
送られてきた食べ物、これが付いた時にはもう腐ってるというのは当たり前のようにありました。
また、限界がありますけども、室温で保管できる保存食とかであればまだ何とかなりますが、冷蔵とか冷凍、これが必要なものも送られてきたりしました。
冷蔵とか冷凍が必要なものだよ。これ、保管する場所まともに確保できないです。
大量に送られてきても、そんなものを置ける冷蔵庫とか冷凍庫、どうやって確保すればいいんだよという状況でした。
また、折り鶴とかメッセージカード、こういったものも送られてきました。
ただ、こういったものを送られてきても、正直なところ、被災をされた方というのは、そういったものを見てありがとうとか言ってられる余裕はないです。
正直なところ邪魔になるだけだったとか、あとは折り鶴が送られてきたことに対して、被災してない場所からそういったものを送られてきて、もう鼻につくとか、そういうことでイライラするとか、そういった風に被災者の方のメンタルを悪くするという方もよくありました。
ただ、そういった事情を無視しまして、食べ物とかを廃棄するシーンを撮影して、支援を無駄にしている被災地だとか、支援者の心を無下にしているんだということを平気でニュースで流すメディアの方々には、
正直殺意を覚えたりもしました。
そこまで言うなら、あの腐った食べ物をお前らが食べろよと。
悪くなっている食べ物を食べて、食中毒でも発生させたりしたら、どれだけのパニックが起きるのか、分かっているのかと。
トイレの数、足りてない場所も全然あるよ。
入浴施設だって、自衛隊の方が用意された風呂、これ、順番待ちの列ができることもよくあったと。
21:01
1日に複数回空気の検査をしないと不安、そういった、衛生状態を保つのにも必死な場所で、食中毒なんて出たら、一気に蔓延してパニックになる。
にも変わらず、被災地が無駄なことをしているとか、報道したメディアやネットニュース、そういったのに殺意を覚えたことも、今でも思い出せます。
話が逸れましたけども、復興のためには経済活動は大事であり、地域の医療機関の復興というのはとても大事です。
が、医療機関によっては機械の故障状況、全然違ったりしますし、スタッフの被災状況も異なります。
そのため、医療機関の復興に当たりまして、どこの医療機関はいつから再開できるのか、営業時間はどうするのか、といったことを一件一件、その医療機関の責任者の方へ電話をしたりとか、訪問をすることで確認をしていき、
そういった様々な情報の下、地域の医療マップを作っていくというのも、僕ら医療チームが行っていた支援の一つでした。
なので、医療チームの派遣といっても、医療行為をするだけではないんだ。
被災地のために何ができるのか、といったことを考えて行動するというのも、大事な使命だったり仕事だった、という本当に貴重な経験をさせていただきまして、様々なことを学ばせていただきました。
そして、その熊本の場におきまして、冒頭でも触れさせていただきました、中村先生に僕はお会いすることができました。
中村先生は阪神大震災以前からも被災地での医療ボランティア活動であったりとか、医療関係ないボランティア活動もされていたと。
また、それは国内だけではなくて海外での活動もされておりました。
そして、ご自身で経験されたこと、学ばれたことを若い子へ教えていくということを、岡山大学で教鞭を取られておりました。
中村先生には、熊本ではそういった過去の貴重な体験のことを話していただきまして、本当にありがとうございました。
また、薬剤師チームというのは当時、熊本県薬剤師会館で布団を借りて座コネをしていた中、中村先生は椅子を並べてその上で寝ておりまして、熟睡しすぎないようにして何かあっても動けるようにされていた、そういった被災地の心構えなども学ばせていただきました。
僕は東日本大震災の現地でのボランティア活動、これはできていませんでしたけれども、中村先生やまた熊本でご一緒させていただいた先生方では、東日本大震災の時にボランティア活動をされていたという先生方も、それも多かったです。
そういった先生方の話の中には、熊本のように瓦礫がある被災地は体力的に辛いが、東日本の特に東北のように何もかもなくなっている被災地は心に来るという話を今でも覚えております。
熊本の場合は地割れとか家屋の倒壊、これによって様々なものが潰れている。建て直しとかに時間はかかるし、人手や資金もかかる。でも、まだ思い出のものが発見されるかもしれないとか、そういった良いこともあるかもしれないですし、悪い方の発見になるかもしれないけども、家族の遺体を発見することもできる、そういった可能性もあると。
24:13
しかし、東日本での東北、これは何もなかった。思い出も何もかも流され、家族の姿も発見されない、こういったことが頻繁だった。これはとても心に来た。実際に様々な被災地を経験されたからこそ出てくる言葉でありまして、そういった経験されたことを伝えていただきまして、本当にありがとうございました。
この場で改めて中田先生のご冥福をお祈りいたします。
そろそろ長くなってきておりますし、熊本での話をするともっと長くなってしまいますので、ここらで話を締めさせていただきますが、今回、災害と薬剤死というテーマで話をしましたけれども、被災地で経験したことを伝えて災害のことを様々な方に知ってもらうというのも、ボランティアで派遣された人間の責務だということを僕は熊本の地で教わりました。
そして、その言葉を実践するのは今だなということで、今回話をさせていただきました。
災害というのは、いつ起こるかわからないものです。ただ、災害の時のために準備をしとくことはとても大事だということを改めて認識していただければなと思っております。
最後になりますが、どの災害におきましても、被災後、本当の意味での復興をできたという方はやはり少ないと思います。
皆様何かしらのものを戦っているそういう方が多いと思います。
そういった被災をされた方々の本当の意味での復興が、1日でも早く、そして完璧ではないにしろ少しずつでも復興ができていくことを心より願っております。
今回も最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。また次回も聞いていただけると大変嬉しいです。それではまたお会いしましょう。