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2023-02-25 08:13

人を傷つけるのもモノサシで、自分を傷つけるのもモノサシだ

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どうも杉山けいたです。このラジオでは、スポーツ現場や日々の生活から得た、学生や子供のためになる情報を発信しています。
普段は、ストレングス&コンディショニングコーチとして、アスリートのトレーニングコーチをしています。
今日のテーマは、人を傷つけるのもモノサシで、自分を傷つけるのもモノサシだ、というテーマでお送りしたいと思います。
よく、人を自分のモノサシで測ってはいけない、という言葉を聞いたりすると思うんですけど、
これはすごくその通りだな、と感じるし、
逆に、自分を人のモノサシで測ってもいけないな、というふうに思ったことがあったので、そのことについてお話ししたいと思います。
まず、自分のモノサシで人を測るってどういうことかというと、
例えばですね、自分はこれだけやってるんだから、あいつも頑張れよ、とかあると思うんですよね。
自分はこれだけでできたんだから、あいつももっとできるだろう、とかあると思うんですけど、
でも果たしてそれって本当に正しいのかっていうところですね。
僕自身ですね、大学時代バスケットボールをやってたんですけど、
部活を辞めていく人たちもいたんですね。
で、いった中で、いろいろ理由があるんですけど、その中の理由とかの中に、
あんまり満足いかないと、みたいな感じの意見があったんですけど、
その時に思ったのは、あんまり満足いかないとか、ちょっと自分には限界が来ましたとか、っていうふうなのがあったんですけど、
僕は本当にお前努力したのかよ、みたいな、ずっと思ってたんですよ。
ずっと思ってて、心よく思えなかったんですよね、部活を辞める人たちに対して。
ただ、僕が2年前かな、2年前か3年前に鬱病になったんですけど、
その時に思ったのが、自分のものさして人測ってたなってすごく感じたんですよね。
まさか自分自身が鬱になるとはと思ったし、これはまた別の話なんでそんな広げないんですけど、
その時に、やっぱり人それぞれ頑張れるキャパシティ違うんだなっていうのを自分の身をもって経験して、
だからこそ、人に頑張れって言えなくなったんですけど、
自分はこれぐらいでできたけど、相手は本当はもっと大変なのかもしれないとかも思うようになったし、
逆に相手が大変そうにしたもん、僕は簡単かもしれない。
相手が簡単だとしても、自分は簡単じゃないかもしれないっていう風に、
やっぱり物差しは同じじゃないなっていうのをすごく感じたんですよね。
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でもこれって別のこと、目に見えるものだとすごくみんな理解してるんですよ。
例えば身長の低い人、身長の高い人だったら、できることできないことあると違いがあるのわかるし、
体重の重そうな人と体重の軽そうな人だと、できることできないことがあるのは誰でもわかると。
ただ目に見えないところに関しては、みんな同じだと思いがちなんですよね。
それこそ頑張れる量とか、目に見えないので、
みんな自分の中に持っているなんとなくの物差しで全部測るんですけど、
それぞれの物差しがあって、本当は比べちゃいけないものというか、比べても意味のないものなんですよね。
だから、俺はこんだけやってるのにあいつはってイライラしたときとかは、
本当にイライラすべきなのか、それは仕方のないことだって割り切るしかないんじゃないかなと思ったりもします。
逆にイライラすると逆に、自分を責めてしまうとき、
あの人たちはあんなに頑張っているのに自分はとか思ったりとか、
自分は人に比べてどうだって、要は人と比べてしまうときですよね。
自分は人と比べて仕事ができないとか、自分は人と比べて何がうまくいかないとか、
例えがちょっと出てこなかったんですけど、
そういうときは逆に人の物差しで自分を測っていると思うんですよね。
人はこれぐらいできる、だから自分もできるはずだと思ってたのにできなかったから自分を責めてしまう。
これもやっぱ辛いですよね。
とか、仕事できるできないとか云々じゃなくて、生活、ライフスタイルとかもそうですよね。
例えば今の日本だと、最近はフリーランスとか増えてきたと思うんですけど、
やっぱりまだ大学行って、大学卒業した後就職してそこで働いてっていうのが、
いわゆる一般的というか多数派な働き方だと思うんですよね。
別にそれが悪いわけじゃなくて、ただそれを人に押し付けてしまうっていうのもあると思うんですよ。
例えば大学卒業した後に就職せずにちょっと一旦世界一周してみたいとか、全然いいと思うんですよね僕は。
むしろその経験ってほとんどの人がしないので、むしろ価値ある経験じゃないかなと思ったりするんですけど、
例えば親御さんとか心配になったりもすると思うし、友達も心配で声をかけるとかも思うんですけど、
いやお前一旦就職した方がいいよとか、それもある意味人の物差し、または自分の物差しで他人を当てはめていることになると思うんですよね。
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ただそれをしていると自分自身も他人の物差しで自分を図ろうとしてしまって苦しむ時が来るなと思います。
僕自身もよく、よくというかたまに人の物差しで自分を図ろうとして、こうあるべきだとかこうするべきだみたいなのをたまに思ってしんどくなるんですけど、
しんどくなった時に今人の物差しで自分を図ってたなって改めて客観視できるようになってきたんですけど、
やっぱそれってすごくしんどいことというか意味のないことというかだなというふうに思います。
だからちょっと長くなったんですけど、要はまとめるとですね、自分の物差しで人を図ろうとするとなんかイライラすることが増えるし、
人の物差しで自分を図ろうとするとなんか苦しいこと、窮屈な感じがすごくすると思うんですよね。
自分の物差しは自分の物差しだし、人の物差しは人の物差し。
特にその目に見えないものを図る時っていうのは特に気をつけないといけないなというふうに思いました。
なのでもし他人に対してイライラすることだとか、他人と比べて自分を責めてしまう時があったら、
目に見えないものを自分の物差しだったり人の物差しで図ってないかなというふうに改めて気をつけてもらえれば、
気をつけてもらえればというか、気をつけるようにすればちょっと心が楽になるかなと思いますので、ぜひ参考にしてもらえればなと思います。
僕もなるべく自分の物差しで人を図らないようにして、人の物差しで自分を図らないように気をつけながら生きていきたいと思います。
というわけで今日のテーマは、自分…ちょっと待ってくださいね。
メモ帳が閉じちゃいました。
というわけで今日のテーマは、人を傷つけるのも物差しで、自分を傷つけるのも物差しだというテーマでお送りしました。
今日も素敵な一日にしてください。杉山啓太でした。またねー。
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