1. Leave a Voice 明日へのでんぱ
  2. 『坂の途中の家』 感想回(ネ..
『坂の途中の家』 感想回(ネタバレあり) 【Voice-18】(2026.4.30配信)
2026-04-30 31:24

『坂の途中の家』 感想回(ネタバレあり) 【Voice-18】(2026.4.30配信)

spotify

ドラマ 『坂の途中の家』 を観ての感想を僕なりに話してみました。
ネタバレありです。
また、この作品に関連して、株式会社コテンのジェンダーギャップ解消のための音源を聴いて感じたことも話してます。
――――――――――――――――

愛の楽曲工房 #291 お待たせしました!『坂の途中の家』感想回

愛の楽曲工房 #298 『坂の途中の家』を監督と語ろう【ゲスト:森ガキ侑大さん&鈴木雄吾さん】※ネタバレ注意


ドラマ 『坂の途中の家』
Prime Video
Netflix

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このポッドキャストは、ドラマ『坂の途中の家』の感想を語る回です。語り手は、ドラマを視聴し、特に主人公の梨沙子が裁判員として向き合うことになる、幼い娘を亡くした母親・水穂の境遇に自身を重ね合わせる様子に焦点を当てています。梨沙子は、水穂の置かれた状況や、母親として周囲から期待される役割、そして世代間の価値観の違いに苦悩する姿を通して、自身の経験や社会における母親像について深く考えさせられます。 ドラマの感想に加え、株式会社コテンが提供するジェンダーギャップ解消のための音源についても触れられています。特に、高度経済成長期から続く古い母親像が、現代においても一部の世代や社会のリーダー層に引きずられている現状や、無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)の根深さについて考察しています。語り手は、自身は子供を持つ経験がないものの、社会全体で子供を育てるという視点から、ドラマで描かれるような当事者だけでなく、第三者としての視点や想像力の重要性を説いています。最終的に、人は社会的な役割だけでなく、多様な側面を持つ多面体であること、そして自分軸を持ちつつ他者を想像することの大切さを訴えかけています。

はじめに:ポッドキャストの趣旨とドラマ視聴のきっかけ
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
Leave a Voice. 明日への電波
僕、シンイチの声や思いを今に残しておく。
それらが電波に乗って、明日の誰かに電波し、
役立ってくれたらいいなーって思いで始めたポッドキャストです。
収録している今日は、2026年4月28日火曜日、18回目の配信です。
いやー、さっきですね。
坂の途中の家、見終わりました。
僕が毎回聞いているポッドキャストの一つで、
愛の楽曲工房というのがありますけど、
去年ですね。そこで紹介をされていて、
たっぷり感想も出演されている3人が話されていて、
さらに監督さんとそのお弟子さんですかね、
も番組に出て一緒に語り合うなんていうのを聞いてですね、
自分も見たいなーって思っていたところ、
監督さんとお弟子さんが出演された愛の楽曲工房が配信されて、
1ヶ月後ぐらいにですね、
コテンのジェンダーギャップ解消のための音源というのが公開というか、
コテンクルーなので招待をいただきまして、
その音源を早速聞きつつ聞き始め、
そして逆の途中の家も見るというのをし始めました。
集中して見れば6話しかないので、
1話50分ぐらいはあるのかなと思うんですけど、
そんなに何ヶ月もかかるわけではないと思うんですけども、
なかなか後回しにしちゃった部分があって、
今日ですね、第6話目、最終話を見ることができました。
ドラマ『坂の途中の家』のあらすじと主人公の葛藤
逆の途中の家については、
いわゆるネタバレというのも含まれてしまう、話してしまうかもしれないです。
ご了承ください。
あらすじも愛の楽曲工房の中で話されていると思うので、
3人のあるいは監督と一緒に話した感想とかを聞いていただければなとは思うんですけども、
主役は柴崎工房が演じる3歳の娘がいる梨沙子。
梨沙子が裁判員に選ばれるんですね。
その裁判となる事件というのが、
自分と同じように娘、幼い娘がいるですね。
専業主婦の水穂。
これは水の幹が演じているんですけども、
その生後8ヶ月の娘を浴槽に落として死なせてしまったという事件なんですね。
最初はそんなことあり得ない。
母親だったらそんなことは絶対しない。
というような嫌悪感。
別の、自分とは全く別の人間、母親だと思っていたんですね。
でも裁判で段々と後半が進むにつれて、
いろいろと水穂の家族とかの証言が出てきまして、
段々と梨沙子、主人公が、
被告である水穂の境遇に自分を重ねていくという風に、
同じような状況なんじゃないかとか、
夫との関係、実母との関係、
義理のお母さんとの関係とかも言ってたかな、あったかな、
という風にいろいろ重なる部分が出てきてですね、
母親としての苦しさ、
特に周りの人、家族とか周りの人が、
自分に対して期待していること、
当然に求められてくる、
求められる役割っていうんですかね、
悪気があってそういう風に言ってくるのではなくて、
よかれと思って手助けしようとしてっていう面は、
結構あるんじゃないかなって感じましたね。
その手助けというのが、
その梨沙子からすると、
梨沙子の世代の女性母親からすると、
それは違うんだなというような、
手助けも含めた関わり方をしてるんですかね。
その梨沙子の母親の世代にとっては、
その梨沙子の義理のお母さんは、
吹雪純がやってるんですけども、
その世代の人にとっては、
そのさらに親、
母親、特に義母なんですかね、やはり、
その吹雪純がお嫁さんかなとしていた時の、
家族との関係性、関わり合い方を踏まえて、
自分の息子の妻である梨沙子に対して、
自分のような苦労をさせたくないとかいうのもありつつ、
あくまでその母親像というのは、
手助けによって達成に近づく、
良いとされる母親像は、
吹雪純が現役で子育てをしていた時代のまま、
ということなんですかね。
社会的な役割と理想像への迷い
義母との関係だけではなくて、
他にも、いわゆる世代間ギャップっていうのは、
裁判員さん同士の話し合いでも、
ちらほら出てきたような気もしますし、
全体的な感想として、
それぞれ各々が自分の与えられた役割、
自ら選んでない人もいるかもしれないですけれども、
受動的に選ばざるを得なかった人もいたとは思うんですけれども、
理想としている役割、
何々像、母親像とか父親像とか、
あそこにはそれぞれ女性、男性、
特に社会的な女性、社会的な男性ですね、
としての目指す像、
良しとされる姿っていうのがあって、
そこになかなか行けないなぁ。
でも本当にそこに、
私は行きたいんだっけ?とか、
それぞれ迷ってるっていうのは、
見てとれましたね。
前回のリーブアボイスで、
明日への電波で言った通り、
僕は、
坂の途中の家で出てきている、
登場人物、主な登場人物って言えばいいのかな、
主人公や梨沙子や、
被告人の水穂とか、
その家族や、裁判員に選ばれている、
人たちの、
いずれにも当てはまらない、
属性っていうんですかね、
になるのかなぁとは思います。
なのでなかなか、
感情移入ができる人、登場人物っていうのが、
なくて、
ないからといってでも、
何も感じることがなかったわけじゃなくて、
ああ、こういうのって、
なんかあるよなぁ、とか、
友人、同世代の友人には、もちろん、
こういった経験をしてきたり、
これから逆に、逆にじゃないな、
おじいさんおばあさん、
おじいちゃんおばあちゃんになって、
っていう経験も、
そんなに遠くない将来あるでしょうし、
想像してみることはできます。
もうちょっと踏み込んで考えてみると、
それらの関係者、
というか、当事者ですかね、
には、
ではなく、今、
子供もいない、結婚経験もないので、
アラフィ風なので、
こういうことって世の中に、
極端な例なのかもしれないですけども、
デフォルメされている部分はあるかもしれないですけども、
でも確実にあるんだろうなって、
その際に、直接、
その立場で、
自分がいい方向に、
その場、関係性を、
いい方向に向かわせる、
わかりやすく言えば、
今回、水穂が自分の子を謝るような事態になる可能性を下げる、
というようなことに、
直接関与するっていうのは、
なかなかない、
可能性は低いのかな、
他の方と比べてですね。
と思ったりします。
第三者の視点の重要性と「世の中の子供は世の中全員で育てる」という考え
でも、こういう、いわば、
第三者から、
見る、眺める、考える、
っていうのも、
そういう人もいてもいいんじゃないかな、
っていう風にも思ったりしますね。
当事者、直接関わっている人っていうのは、
なかなか、
どうしても目の前の、
起こっていることに、
心が奪われる、
それは当然なんですけども、
第三者から見る視点というのも、
あった方がいいっていうことですね。
武田佐徹が書いた、
父ではありませんが、第三者として考える、
っていう本、僕読んではいないんですけども、
この本自体はどうも、
いわゆる、
当事者ではない、
外野は黙ってろ、
的な声に対する意義、
申し立て、
なのかなと思うんですけども、
当事者だけで、
解決できるものばっかりではなく、
関係のない人も、
何らかの形で関わっていった方が、
その課題が解決の方に向かいやすくなる、
とかいうのも、
あるんじゃないかなーって思います。
あと、シンプルに、
僕は、
多分、
子供を持つことはないとは思うんですけども、
だからこそなのかもしれないですけども、
世の中の子供っていうのは、
世の中の人全員で育てるもの
だろうとは思ってます。
ただ、
ほとんど何もできていない気はするんですけど、
現状は、
自分の血を引く人間が、
子供がいないからこそ、
自分の遺伝子を受け継ぐものがいないからこそ、
自分の何かを残す
相手っていうのが、
社会全体、
特にその、
社会の中の子供に、
なればいいなーっていう感じですかね。
それで、
坂の途中の家で、
印象に残った、
シーンというのは、
ドラマの印象的なセリフとコテンの音源との関連性
今の僕の話に通じるものですけども、
判決の時に、
裁判長が言った、
言葉の最後の方でですね、
少しはしょってしまうんですけど、
本来であれば、
被告人の罪は、
関係する全ての人が分かち合うべきものである。
ここの、
本来であればっていうところが結構、
未曾有な気はしてますね。
今の制度の限界って言ってもいいのかな。
社会みんなが、
母親に求める、
役割というのに、
不幸にも押しつぶされた、
ということを言っているのかな。
これは、
ちょうど株式会社コテンのですね、
ジェンダーギャップ解消のための、
音源の中でも、
母親が担うべき、
役割としての育児についてもですね、
話していまして、
大まかに高度経済成長期とか、
80年代くらいまでなのかな。
僕の親世代とか、
リサコの親世代も、
そうなんでしょうね。
そういう描かれ方をしているんだと思うんですけども、
その時の、
母親像、
というのを、
まだそうですね、
年齢がある程度上の人が特に、
という話だと思うんですけども、
引きずっていって、
コテンの調査的に言うと、
大企業の経営者層とか、
政治家の人とか、
が、その昔の、
規範、常識のままでいるので、
なかなか社会のメインストリームが、
変わりきらないっていう感じなんですかね。
常識なので、
常識を変えるっていうこと自体は、
非常識なので、
非常識を求めるっていうのは、
なかなか他人からは言えないことなので、
悪気はないっていうことですかね。
何て言えばいいんですかね。
他人からそうしろっていう風に言うのは、
なんか違うかな。
自分で気づいて、
その常識を、
変えて、
いけるのがいいんだろうなっていう風に、
感じますね。
無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)と気づきの難しさ
もちろん僕も、
このジェンダー的な話に関わらず、
いろいろそういうのを、
球体前としたら、
規範、常識、
変えないほうがいいものもあると思うんですけども、
そういうのはたぶんいくつもあって、
当然この50年も生きてると、
そういうのはたぶん相当こびりついてると思うので、
そのこびりつき方というのは、
だいたいが、
アンコンシャス、無意識なものっていうのが、
結構あって、
それは剥がしにくいと思うので、
なかなかどうしてっていう感じですかね。
でもそういうアンコンシャスなものっていうのは、
なかなか一人で、
自分だけで考えたり、日々の行動の中で、
普段の行動の中では気づきにくい、
そうですね。
何かいつもと違うことをするとか、
普段全然話をしない人と、
たまたま深いというか、
本質的な話、
本質的、核心的な部分に、
たまたま触れるような話ができた時に、
後で気づいたりとか、あるかもしれないですね。
多面体としての人間と、自分軸と他者への想像力
話があっちゃこっちゃにいってる感じもするんですけれども、
坂の途中の家を、
反面教師的に捉えるのであれば、
各々が担っている社会的な、
役割というのは、
その人、ひとりひとりが持つ、
複数の面のひとつでしかない、
ひとつしか持っていない人、
一面しか持っていない人っていうのは、
いなくて、
通常、本来は、
多面体なはずなんですよね。
その役割、本来はその多面体であるはずの面が、
ひとつしか自分は持っていない、
この役割だけなんだ。
そうですね。
母親であることを、
母親で亡くなったのであれば、
自分ではないとか、
存在価値がないとか、
そういったことにですね、
陥らないように、
多面体のひとつの面、
としての役割、
というのを、
ちょくちょく意識していた方が、
いいんじゃないかなって思いました。
あと、
梨沙子がですね、
自分が、
母親や夫の、
こういう表現じゃなかったとは思うんですけど、
コントロール化にあった、
ような感じのこと、
縛られていた、というようなこと、
そういうのがあるんですけども、
あとは、
同じ裁判員で、
雑誌の編集長だったかな?をやっている、
子供はいないんですけど、
子供をとても欲しがっている女性がいて、
子供がいる女性と、
子供がいない女性との間で、
お互いの置かれた状況っていうのが、
相手の立場の違う、
相手の状況っていうのを、
想像できていなかった、
というような感じのシーンがあったんですね。
そんなところから、この坂の途中の家から、
もう一つ言えることっていうのが、
自分軸を持ちつつ、
他人のことを想像する、
そんな感じなんですかね。
今後の展望とリスナーへの感謝
もう結構、
30分ぐらい撮っているので、
本当はもう少し、古典ラジオをやっている、
古典のジェンダーインクルーシブの方ですね。
話したかったんですけども、
また次回だかどこかの機会で、
話をしたいなって思います。
一回一通り、
このジェンダーギャップ解消のための音源、
聞き切ったんですけど、
もう一度聞こうかなっていう感じで、
聞き始めたところですが、
20何時間もあるので、
2回目聞き終わるのが、
いつかなーって感じではあるんですけども、
やっぱり坂の途中の家と、
一緒にですね、
聞くのが、より聞き応えがある。
僕は実体験っていうのが、
ほぼないので、
そういう感じで補う、
というんですかね。
あと、職場でも、
僕と同じ仕事をしている人が、
パート主婦の方なので、
あまり深く話すことはないんですけど、
見てて、
彼女たちの言動ですかね、
振る舞いを見てて、
ちょっと感じるところがあるなっていうのも、
今回全然話せなかったんですけど、
いつか話せたらいいなーっていうところです。
皆様、今回もお聞きくださりありがとうございました。
今日はこの辺りで。ではまた。
31:24

コメント

スクロール