TALENT TALK。才能が見つかれば、仕事も人生もうまくいく。この番組では、一人一人に秘められた才能を見つけ、その才能を活かして、自分らしい仕事や人生を作っていくためのヒントを発信していきます。
こんにちは、パーソナリティを務めます株式会社タレント代表のタカチンこと佐野隆です。
野村 同じくパーソナリティを務めます音声プロデューサーの野村隆文です。TALENT TALKシーズン2第27回です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。今日はですね、番外編ということで、野村さんの人生についてちょっと勝手ながら深掘ってみたいなって思ってます。
なるほど。確かにTALENT TALK、才能時代からもそうですけど、タカチンさんがメインスピーカーじゃないですか。で、私聞き手だから、あんまり自分の話してなかったかもしれないですね。
そうなんですよね。意外と野村さんってどんな人なんですかって結構聞かれるんですけど、言ってなかったなと思ってまして。
なんか初期の頃ね、考え方の話は結構したんですけど、経歴がどうこうみたいな話はあんまりしてないですね。
そうなんですよね。幼少期どんな人だったのか、学生時代、社会人みたいなところはあんまり聞いてないなと思ってまして。これからの番外編シリーズでいろんな人たちゲストにもお招きしたいなと思ってて。
はい。
まず第一弾はやっぱ野村さんの人生だよなって思って。
なるほど。それはどう思う?そうですか。
みんな気になってるんで、ちょっと聞いていきたいなと思います。
わかりました。
じゃあまず、野村さんって幼少期、本当に小さい時、幼稚園生、小学生、中学生とかはどんな幼少期を過ごされていらっしゃったんですか?
幼少期、まず私は愛知県出身なんですね。本当に片田舎、田園地帯に育ちまして、比較的真面目な家に育ったんですよ。
リスナーの皆さん想像つくかわからないですけど、田舎の割と代々田んぼを持ってるような家の長男だったんですよね。
で、身内は学校の先生がめっちゃ多いみたいな感じで、学校の先生か会社員みたいな、そんな感じの家だったんですよ。
で、どんな子供だったかっていうと、いい子だったと思いますよ。
いい子そう、めちゃくちゃ。
いい子そうじゃないですか。いい子そうじゃないですかっていうのはあれだけど。多分いい子で、どういう意味でいい子かっていうと、多分そんな基本的に大人の言うことには反抗しなくて、
で、あと多分発達的にも比較的早くて、言語能力にしても数値の能力っていうんですか、早くて勉強もできた方だったんですよね。
で、あと友達付き合いもまあまあできてた方っていう感じ。ただあんま運動能力が高くないみたいな、そんな子供でしたね。
真面目に育っていたって親の影響だったんですかそれは。
そうですね、自分としてはその遊びがない真面目さとはあんまり思ってないんですけど、なんかそのあんまり波風立てないというか、
あ、そんなもんか、そんなもんかっていうほどの多分自我もなかったんですけど、こういうのが推奨される行動だよっていうのを割と何かナチュラルにやってたっていう感じで、
ただどっかでこの話したかもしれないんですけど、容量をもっと良くしたいみたいな思いはずっとあったんですよ当時から。
それは主体的にそう思ったんですか、その親から言われてたんですか。
いや多分主体的ですね。 そうなんですね。
親とか先生とかは真面目にコツコツとっていうような教えだったんですけど、なんとなく自分としてはなんかもっとうまい方法ないかなみたいなことを思う嫌いはあって、
一回ちょっとこれ厳密的にはその法的には少しグレーな行為なんで、当時子供が考えることだと思って許していただきたいんですけど。
気になりますね。
ちょっと私が結構覚えてるエピソードが一個あって、廃品回収っていうのがあったんですよ。高地さんやりましたかね、地域のボランティア活動とかでアルミ缶とかコシとかそういうのを回収するっていうやつ。
やりました。僕なんか名前ついてて、それやるとおしるこもらえるっていうのでよくやってました。
はいはい、そうですよね。なんか結構小学生がボランティアとしてそういうのに動員されて、ゴミ収集所みたいなところで廃品回収をするっていうのに手伝ったことがあったんですけど、
そこにやっぱ古紙がいっぱい来るわけなんですよ。その古紙の中はほとんど新聞紙とか雑誌とかなんですけど、ごくたまに漫画の単行本が紛れ込んでいたんですね。
漫画の単行本って売れるんですよね、古本屋に持っていくと。今はもうちょっと多分個人認証とかが厳密になってると思うんですけど、
私が子供の頃って牧歌的な時代だったんで、街の古本屋とか買い取ってくれたんですよ。
ゴミ拾って古本屋に売る。 ゴミ拾って、そうそうそう古本屋に売ると。
で、そのゴミステーションに運ばれてきた古紙を数冊まずはこれなんか売れるんじゃないの?と思って隠して売りに行ったんですね。
そうしたら一冊100円150円ぐらいの値付けがついて、そうするとこれ子供にとってはすごい大きい金額なんですよ。
なんか普通にお菓子も買えるし、なんなら他の漫画本も買えちゃうしみたいな感じで、それに結構味を占めて、
次の販品開始のタイミングでダンボール箱を用意して、そこに売れそうなものを片っ端から入れていったんですよ。
だから数冊とかじゃなくて箱で売りに行こうと思ったら、それは先生にバレまして怒られたんですね。
真面目な生活を送ってたの村田さんがそこで初めて怒られる。 怒られました。
それまでもちょいちょい怒られはあったんですけど、その時は怒られたとかたしなめられたことを覚えていて、
なんか言われたのがそんなずるいことをしちゃいけませんと。
真面目が一番ですみたいな、真面目にコツコツが一番ですみたいなことを言われたんですね。
女の先生に言われたんですけど。で、その時も疑問に思ったし今でも疑問に思ってるんですけど、
こんな別にゴミとして捨てられてる個室を古本屋に売ることってそんな悪いことなのっていうのは、
これダメなんですよ。後で法律とか調べると収集されたゴミっていうのは、
市が所有しているものなんで勝手に流しちゃいけないんですけど、
いやでもなんかこれ売った方が金銭的な価値上がらないみたいな、
それをじゃあ私が懐に収めないにしても、分かんないけどみんなでジュースを買うみたいな、
その手伝ってくれた人にそのお金でジュースを買うみたいな風にした方が良くないみたいなことを、
当時も思ったし今でも思ってるんですよね。
仕組みが変わったら法律的にはいいですからね。直接引き取ることができたりとかすれば。
そうそうそうそうなんですよね。そういう風にやっている業者さんとかもあると思うんですけど、
みたいなことを思う子供ではあったっていうのは結構覚えてるエピソードですね。
だからやっぱり本質的に考える思考がすごい強かったんでしょうね、昔から。
それってそもそもこうした方が良くないっていう考え方があって、
法律をただ知らなかっただけで、法律を知っていればじゃあ捨てる直前に私が引き取りますみたいなビラをたくさん配って、
そうすればリサイクル屋さんになれるわけじゃないですか。
そうなんですよね。だからその時に真面目にコツコツとやるっていうのは大事なんですけど、
もっと上手い方法あるんじゃないのっていうような思考パターンを自分は当時持っていたし、
今でも持ってるんじゃないかなっていうのは思いましたね。
そこから例えば高校大学とか受験とか部活動とかで、
その法律的なことの才能を生かして結構上手くいってるなっていう事例とか具体例とかあったりするんですか。
そうですね。一個だけ覚えてるのは、授業中に寝るのが一番効率悪いと思ってたんですよ。
これはたぶん中学も高校も結構たぶん徹底してて、眠い授業ほど後で損することはないと思ってたんですね。
その理由はなぜですか。
なんでかっていうと授業って全部やるじゃないですか。一回全部、かゆきらも一通り。
そこで知識とか理解に穴が空いてると、後でそれを補わなきゃいけないんですよ。
面倒くさいなと思って。先生に聞きに行ったりとか参考書読んだりとかそういう風にして後で補わなきゃいけないと。
ひょっとしたらその次の授業は、その時その穴が空いたことを前提に次の話をしてるから、ますます理解が深まんないなという風に思ってたんですね。
だから基本的には授業で完璧に理解しきるっていうのをその時は徹底していた記憶があって。
すごいな。
そのためにやったのが仮眠です。絶対にご飯を食べた後眠くなるっていうのがわかっていたから、
学校って確か午前中が4時間かな、4限あって、昼から5限6限じゃないですか、多分。
だからご飯、中学校までは給食で、高校からは弁当ですけど、それの後に10分だけ空き教室に行って寝て帰ってくるっていうのをやってましたね。
天才ですね。それ小学、え、いつからですか、小学生から。
それはね、多分中学生ぐらいから。うつらうつらするのが一番効率悪いなと思ったっていうのが、中学校の時に気づいたかな。
いやめちゃくちゃすごい顔になって、高校の予備校とかで本気出してる子がやるような行動ですよね。
なんかね、眠気に耐えるっていうのがすごい効率悪いなと思ったんですよね、当時。
その時から効率やっぱ考えてらっしゃったんですね。
だから効率って言葉は大人になって後付けで思ってるかもしれないんですけど、結局これやんなきゃいけないんだったら今やっといた方がいいなって思ったっていう感じですかね。
学びがありますわ、それは。僕も未だにできてないかもしれないですけど。
あ、そうそう。で、その時に、多分これは今の自分の思考の癖でもあるんですけど、頑張ろうとしないっていうのはあるかもしれないですね。
え、どういうことですか、頑張ろうとしないっていうのは。
要は眠い中、眠気に耐えて授業を聞くって頑張ることじゃないですか。で、無理だと思ったんですよ、そんなの。
最初のうちやってたんですよ、手の壺とか押すと眠気が一時的に消えるから、授業中眠くなったら頑張って壺とか押して眠らないようにしてたんですけど、
寝るわと思って、じゃあ寝ないためにどうしたらいいかっていうと、お昼休みに寝ときゃいいんだっていうふうに思ったっていうところで、
眠気に耐えるというその頑張りをなくすためにどうしたらいいかっていうのを考えていた記憶はありますね。
友達と遊びたいとかなかったんですか?
友達とは喋ってから最後の10分だけ消えてました。
えっ、ちょっと抜けるわって言ってたじゃないですか。
そうそうそう、ごめんっつって。給食とか弁当は友達と食べるんですよ。
えっ、ノリ悪いなとか言われなかったですか?
言われなかった言われなかった。スッと消えてました。その最後の5分10分だけ。
優秀すぎてすごい、本当に。人間関係構築も、正直ちょっと言いたくなかったんですけど、いじめられたりとかしなかったんですか?
いじめられたりは、小学校の高学年でいじめまではいかないんだけど、ちょっとなんか嫌がらせたりしたことはあります。
そうなんですね。
でもね、いまだに原因が何かわかんないんですよね。
まあ、適当にいじめちゃったかもしれないですね、そのノリで。
うん、わかんない。ひょっとしたら私の行動に何か管理されるところがあったのかもしれない、そういういじめるタイプの子に。
なんだけど、基本的にはいじめるというよりも、普通にフラットに喋ることの方が多かったですね。
そうなんですね。僕がいじめの話を聞いちゃったんですけど、ちょっと戻させてもらって、効率的っていうのは親の影響を受けてる感じはしないんですよね。
さっき言ったら親は真面目にコツコツとって結構タイプだと思うんですけど、もともと持ってた素質なのか、誰かしらに影響を受け始めてそれを身につけたのかどういう感じなんですか?
そうですね。例えば、親の言うことに反発するか効くかみたいな話があったじゃないですか。
これは私ありがたいなといまだに思ってるんですけど、あんまり口うるさく言わないタイプの親だったんですよ。
だから基本的には、そういうふうに考えたんだったらいいよみたいなふうに。
もちろん秩序はあって、例えばのほうずにおもちゃを買ってくれるとかはなかったんですけど、一定のルールが決められていて、
例えばお小遣いはこんだけとか、誕生日とクリスマスは何か買ってくれるとか、テストで何かやったらこういう商品があるみたいな、一定のルールはあったんですよね。
それ以外、例えば誰と友達付き合いするかとか、あと自分の時間をどういうふうに使うかとか、どこに行くかみたいな話は、そんなに口うるさく言われなかった記憶があったんですよ。
そうした時に、もちろんたまにそれはやめたほうがいいとか、それはダメって言われた時に、なんでって思うこともあったんだけど、
基本的にはそんな反発してもいいことないというか、別にやらせてくれてるからいいかみたいなところはあったんですよね。
だから教えられたっていうよりも、とりあえずやらせてくれるから、自分の望ましいと思う方向でやっとくかみたいな思いはあったんだと思いますね。
できる限りやっぱり自由にさせてもらったからこそ自分らしさが出てきたってことですよね。
特に反発もしなかったし、逆に言うと自分がやったことは自分に返ってくるみたいな、誰のせいにもできないみたいなところですかね。
結果も引き受けなきゃいけないみたいなことは昔からあったかもしれない。
すごいな、よくできた幼少期ですね。
今喋ってて思ったけど、大人になってからの後付けもあるような気がしてる。
大人になってからラベリングしてる可能性ありますよね。自分の自己解釈をよくしてるみたいなものは実際起きますからね。
そう、全然あります。ただ、もっとこうやったらうまくいくはずなのになって思ってやって、うまくいったりいかなかったりっていうのが結構エピソードとしては記憶に残ってるんですよね。
そうなんですね。
それは多分、今のビジネスパーソンというか社会人になってからの自分にも影響というか、地続きなんだなってのは思います。
こういうふうに推奨されてるんだけど、行動としては。でもなんかこのルートってあるんじゃないの?みたいなふうには割と思うタイプかなって思いましたね。
そこから高校生、大学生来て、東京大学行かれたじゃないですか。なんで東大行こうって思ったんですか。
これはですね、主体性がないみたいなふうに思われるかもしれないんですけど、新学校がそういうふうだったからとしか言いようがない。
東大行きなさいっていうことだったんですね。
うん。これもリスナーさんで同じような境遇の方もいらっしゃるかもしれないんですけど、地方の公立高校だったんですね。
学年400人いたんですけど、結構システマティックに100番以内つまり2桁に入ってる子は、とりあえず第一志望東大って書いてくださいと。
300番までに入ってる子は、とりあえず名古屋大学って書いてくださいと。愛知県なんで。
それ以下の子は、もちろん名古屋大学って書いてもいいし東大って書いてもいいんだけど、ちょっといろいろ個別に話そうかみたいな。
超ざっくりとそういう感じの学校だったんですよね。ただ、自分として別に何も考えずに東大行ってわけじゃなくて、世界を知りたかったっていうのはある。もちろん。
もうずっと愛知県で17、8まで育ってきて、でもなんかどうも、もっと選択肢が広い世界があるらしいぞということはなんとなく漠然と思っていて、
それがなんかどうも東大っていうところらしいっていうのはありましたね。だからその時、担任と喋った記憶だと、なんか選択肢が多いのって何ですか?みたいな話をした記憶があったんですよ。
最初は京都大学の特定の学部があるんですけど、そこがいいんじゃないかっていう話をイメージだけで私が語ってたら、それだったらもう東大を目指した方がいいよみたいな話をされて、
そうなんですねと思ってやったって感じですね。
結果東大に行ってよかったなと思う。選択肢広がりましたか?
正確に言うと、私の後悔というか当時至っていなかった部分は、世界が狭かったんですよやっぱり。先生にそんなもんかと思われて東大に行ったっていうのもそうだし、ずっと愛知県で生まれ育ってきたっていうのもそうだから、
大学に行くともっと自由になるじゃないですか。カリキュラムっていうのがあってないようなもんだから。だからもっともっと自分の道を選べたはずなんだけど、
それっぽいサークル活動に勤しんで授業を受けて、普通に就活して卒業するっていう道を選んだっていうのは、自分の中での心残りですね。
それっぽく選んでなかったら違う選択肢を取ってたんですか?
多分。例えば、ひょっとしたら学生時代にビジネスやったかもしれないし、どっか留学しに行ってたかもしれないし、っていうのは未だにあって、
こんな言い方するのもあれなんですけど、30歳ぐらいでそのツケを払い終えたかなっていう感覚はあります。
それはいっぱいいろんな選択肢を挑戦できたからですか?30歳ぐらいで。
そうそうそう。ちょっとひょっとしたらこの後はそういう話になるかもしれないですけど、社会人1社目に出版社行って、2社目に外資系のコンサル会社行って、
3社目に当時ベンチャー企業だったメディアに行って、いろんな経験をさせてもらって、30歳ぐらいでかなり多様な経験ができたなって感じがしたんですよ。社会人生活で。
大学4年間を割とうだうだと過ごしてしまった、そのツケがやっと払い終えたかなっていう感覚ではありますね。
そうなんですね。でもそれで言うと結構ペース早い方ですよね、そのツケを払い終えたのって。
まあラッキーもありましたね。特にやっぱ3社目全職ニュースピックスっていう会社なんですけど、あそこに入れたのは結構自分の中ではラッキーだなと思っていて、
それはその難関だから入れたのがラッキーという意味じゃなくて、数あるベンチャー企業のうちの1社だったんですよね、私が入った頃のニュースピックスって。
ただまあその結果的にはこれはもちろん当時の経営人の方々の努力とかメンバーが頑張ったっていうのもあるんですけど、あといろんな幸運もあって会社が伸びていったんですよ。
あとはその社風として、まあとにかくやってくださいといろいろ、ジャストドゥイットみたいな感じの会社だったんですよね。
でももちろんそれによって疲れちゃうとか疲弊しちゃう人もいたんだけど、私の場合はその結構一心不乱にその与えられた機会に対して、当時はやれたというかその職種に関してはマッチしたっていうのがあったんで、結構その自分のやれることが開発されていったんですよね。
だからそこでなんか自分のこの性格的なところと会社の社風っていうのがハマったなっていう感じはあった。
これはじゃあそういったことを計算してニュースフィックスに入ったかというとそんなことはなくて、まあ人のご縁で入ったっていう感じだったんで。
だからここはまあ本当幸運だったなと思ってますね。
まあ誰もが知る会社になりましたもんね。
今はもう相当有名になりましたね。
でも私が入った頃ってグループとしては百数十人くらいいたんですけど、ニュースフィックスの席の社員って20人くらいしかいなかったんですよね。
それ以外がじゃあ大きかったんですか、ニュースフィックス以外の事業が。
B2Bのデータベース事業というのをやってて、スピーダって言うんですけど、そっちの方は100人以上いましたね。
そっちの方がじゃあ当時大きくて。
今でもそっちの方が大きいですよ、売り上げでいうと。
売り上げそうですよね。
だからその事業をより加速させるために広報というか認知拡大の事業としてニュースフィックスが生まれたような感じなんですかね。
そうそう、B2Bだけやってるとやっぱり知名度がそんなに多くならないじゃないですか。
またその届かない方々もいるっていうので、私が入る1年ぐらい前に当時の経営陣の方々がやっぱB2Cの事業もやろうっていう話をして、それで立ち上がったのがニュースフィックスですね。
そうですね。 欲求に基づいた仕事ってすごいことなんだなって今思いましたね。 そうですね。ありがたいことにこのいろんな世界に触れていたいっていう欲求が嘘じゃなかったっていうのはやっぱり今になって思ったことなんですよね。
なんかその就職活動の時って結構自分をごまかしがちじゃないですか。てかまだそこまで固まってない人が多いっていうか、自己分析をしてみてなんか自分はやっぱこれがやりたいはずなんだとか、こういう風なビジネスパーソンになりたいみたいなのがあったとするじゃないですか。でもそれって結構ブレるなっていうのが私の感覚なんですよね。
30歳になったり35歳になると全然違うこと言ってるっていうか、就職活動だから20歳ぐらい21歳とかですけど、その時に思ったことってなんか全然違うわ、嘘があったわっていうことってよくあるんですけど、私の場合はこれも幸運だったんですけど、その時に思ったいろんな世界を知りたいっていう思いが結構本音だったなって。今そこからもう15年ぐらい経ちますけど、変わってないなっていうのはありますね。
ポッドキャスターも最初の頃にも欲求で、知的好奇心、旅もその一つでしたよね。変わらない欲求ってやっぱりすごい良いですね。やっぱ昔からあるものなんですね。
そうですね。なんかもちろん多分いろんな建前とか本音とか入り混じっていたと思うんですけど、当時。でもなんかそのいろんなことを知りたいなみたいな、いろんなものを見たいなっていうプリミティブな感情っていうのは、そこは嘘がなかったんだろうなって思いましたね。
ちょっと自分に子供が生まれたらそういう子供に育ってほしいですね。
どうなんでしょうね、本当にね。
まあでもあんま期待せずにね、ちょっと育ってほしいなとは思いますけど。
そうですね。私も子供いますけど、自分が思うようには育たないんだろうなとか思いましたけどね。
そうですよね。だから選択肢を与えるのが親の仕事かもしれませんね、そういう意味では。
そう思う、本当に。
野村さんありがとうございます。結構時間が経ちましたね、すごい。
どういうペースで喋ろうかってごめんなさい、ちょっと喋りすぎたかもしれないですね。
いやいやいや、すごい面白くて聞いてしまったんですけれども、一旦ここで区切らせていただいて、ここから後編で次に展開していければなと思います。
ちょっと2週にわたって私の人生をタレントークでやっていただいて大変恐縮です。
いえいえ、これからもこういった番外編作っていきたいですね。
はい。じゃあちょっと後編は次回でよろしくお願いします。
タレントーク 才能が見つかれば仕事も人生もうまくいく。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
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そしてこの番組ではリスナーの皆さんからのお便りをお待ちしております。
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それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。