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  2. 降格人事と向き合う
2024-06-09 08:52

降格人事と向き合う

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やはりなんといってもですね、人生は、人生はって言うとなんかすごい偉そうなんですけど、
やはりですね、自分で決めるっていうことが本当にいかに大切かっていうのを痛感したことがやっぱりありますので、
そのお話をしたいなと思うんですね。やっぱり人にアドバイスを求めるっていうのはもちろん大切だし、相談するっていうことも大事なんだけど、
結局誰も決めてくれないので、言ってみれば自分が決めるしかないんですね。
自分が間違ってても間違ってなくてもっていうか、そんな間違ってる間違ってないなんてその時分かるわけないし、
後になってもそれが正しいか正しくないかっていうのは解釈によって何とでも変わるようがあるので、
結局自分が決めて自分がやるっていう、自分が決めたことを自分が人とかのせいにしないでやるっていうことがやっぱり一番大事です。
私は10年以上前に毎朝住吉神社に行って参拝してたんですけども、私は何をお願いしてたかっていうと、
その後の人生っていうのを自分はどういうふうに生きればいいかっていうのが悩んでたんですよ。わからなかったんですよね。
選択肢がたくさんあったという意味ではとても幸せだったんだけども、ただ自分がどういう方向をこれから思考していけばいいかわからなくて、
住吉神社に行って毎朝手を合わせて百面を最初に見えて、どうぞ私を身心のままにお使いくださいと。
もうカッコつけるようなんですけど、本当にやってたんですけど、本当に神殿の前で私を身心のままにお使いくださいと、毎日そうやってお祈りをしておりました。
そしてですね、1年も続いたのか続かなかったのかちょっとわかんないんですけども、いろいろ変化がありまして、結局ですね、パワハラ受けたりとかですね、仕事が合わなかったりとかで、
当時単身赴任で関西にいたんですけども、もともと東海地方の出身ですので単身赴任で行ってたんですけども、体調を崩して帰ることになりました。
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自分としてはすごく不本意で、これが結果なのかと、毎日参拝して、より良い人生というか自分の理想というかですね、そういったものに向かっていくのかなと思ったら、全然とんでもない方向に行って、
そして、後隔ですよ、最後はですね、後隔ですね、サラミーマン人生の初の後隔を受けまして、後隔されて嬉しいっていう人ってなかなかいないと思うんですね。
事情があって後隔してほしいという人は今でももちろんいると思うんですけども、後隔っていう事態を迎えて、頭が真っ白になって、それがひどいことにですね、後隔について何の説明もないんですよ。
本当にびっくりしたんですけど、とにかくある日突然下がってるんですよ。下がってると誰も後隔になるよとも言ってくれないんですね。
気づいたら後隔されてるって言って、やっぱりね、まだ若かったし、会社員人生も自分は平均以上の人間だと思ってたもんだから、恥ずかしくて聞けないんですよ。
後隔されましたとか、後隔された理由を教えてくださいよとか、そういうことを言えないんですよね。これはね、今ならバンバン言うと思うんですけども、全然ね、そんなことこだわってもいないので。
その時若かったんで恥ずかしいって、後隔されたっていうこと自体恥ずかしいんですよね。そうするとずっと自分で悩むことになるわけですよね。
住吉神社のことはもう全然忘れてますよね。だから、いかにいい加減だったかってことですね。全然信仰とかじゃなかったってことですね。
いかに自分の都合のいいように、自分は神社に毎朝参拝して、そういうのを自分は読んでたような感じが今からするとするんですよね。
だけど、今思うと、あらがち間違ってたわけじゃなかった。実は、私はここで別に宗教を進めるとか、宗教家でもないものですから、別に神道の関係者でも神社の関係者でもないんですけども、
ただやっぱり神は本当に自分に必要な経験を与えてくれたのかな、というのを今思うんですよね。何を力説してるんですかね。
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その時はね、とんでもない人生終わりというか、否定されたという感じだったんですけども、この広角っていうのがあって、そこからもう10年悩みに悩んでですね、ほぼ10年のうち10分の7、10分の8ぐらい広角の問題につい合わせるぐらいですよ。
本当にもう悩んで悩んで、でも悩む中で相当学ぶつもりはなくても学んでたんだなっていう風に思いますね。何言ってるのかよくわかんなくなってきたんですけども、本当に望んだ通りになったなという感じがしますね。
まさに神様、私を神様の御心のままにお使いください。よっしゃ、わかったと。お前はこういう勉強をしろと。そしてこういう思いをして、こういう学びを得ろと。
というように、住吉神社の御祭神はですね、私に言いたかったんじゃないかなと。もう10年以上経ってこのメッセージというか、だからですね、これがやっぱり過激なんですよね。
そうかと。お前は学びたいのかと。お前は俺の、私、俺って言うのかな、神様ね。神様、私の教えを受けたいのかと。私の心のままにって言うのかな。よし、わかったと。さすが、それは見上げた心だと。心意気だと。よし、じゃあこのカリクラムを捧げようと。
お前はこれを学べと。住吉さんがくださった人生の課題がですね、この広角と向き合うというですね、もう一大イベントだったということですね。そしてまだあるんですね。これはね、広角だけじゃないですね。まだもう一個ある。
そしてその後ですね、給食が2回来るんですね。給食の話までいくともうよくわかんないので、とりあえずここで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。
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