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2025-06-12 13:17

#256 亡くなった愛犬の供養、どうしたらいいの?

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https://hasunoha.jp/questions/75063

▼お悩み相談・リクエストボックス
https://forms.gle/mmwtAribqPbMZCxj8

ペットは大切な家族。だからこそ、供養の仕方で悩んでしまうこともありますよね。

今回は50代女性の方から寄せられた「亡くなった愛犬の供養」に関するお悩み相談にお答えします。

✅位牌や魂入れ(開眼供養)はした方がいい?
✅人間の位牌のそばに、ペットのお骨を置いても大丈夫?

最近増えている「手元供養」という形。
お父様があまり動物好きではなかったこともあり、どうすれば良いか悩んでいらっしゃるご相談者さまのお気持ちに、仏教の教えをもとに副住職が優しく寄り添います。

放送の後半では、「手元供養を続ける上での大切な視点」についても少しだけお話しさせていただきました。

ペットを亡くして悲しんでいる方、供養の形に迷っている方に、少しでも心の安らぎが届けば幸いです。

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サマリー

このエピソードでは、愛犬の供養に関する相談が取り上げられています。特に、手元供養や改元供養の意味や、他の家族の認識を考慮した供養方法について議論されています。

お悩み相談の導入
どうも、コウブンです。
栃木県の片田舎にある炎上院というお手屋で副住職をしております。
今日もお悩み相談をお送りしたいと思います。
ここのところ、お悩み相談が続いております。
というのは、お悩み相談を6月いっぱいぐらいは集中的にやろうかなと思っているんですよね。
なぜかと言いますと、少し前に放送したお悩み相談の反響があったというのもあるんですが、
このお悩み相談を私が答えることで、これを聞いている方、自分に会うな、この悩みを聞きたかったんだという人がもしかしたらいるかもしれない。
ということで、このお悩み相談を私がやることによって救われる人が増えるかもななんてことを考えまして、
こういったことをやっているというわけでございます。
というわけで、今日のお悩み相談。
いつもの通り、ハスノハというお坊さんが答えるお悩み相談のウェブサイトがございまして、
そちらに寄せられたお悩み相談を私、公文が答えるという、そういうのがこのお悩み相談でございます。
では早速、お悩み相談の方に行きたいと思います。
改元供養の説明
50代の女性の方より、タイトル、ペットの改元供養。
本文の方ですけれども、先日、愛犬を亡くしました。
お骨は手元にあり、手元供養するつもりなのですが、
いはいや魂入れはした方が良いでしょうか。
また、手元供養で人間のいはいがそばにあるのですが、
ペットのい骨と同じ場所におみても大丈夫でしょうか。
私としては、手元供養のステージは分けますが、
同じ場所で一緒に供養したいと思っているのですが、
父があまり動物好きではなかったため気になっています。
教えていただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
という文章でございました。
ペットの供養の仕方についての疑問ですよね。
タイトルに改元供養とありますけれども、
これは何かというと、まずどういう字を書くかというと、
開くという字に目、眼下の眼という字ですね。
なので改元供養というふうに、普通は読んじゃうかもしれませんね。
これは相当種だと改元供養と読むんですよね。
これは何かと言いますと、いわゆる魂入れの作法といわれるものですね。
お祝いとかお墓、あとは仏像とかね。
最初は職人さんが作ったものの状態なんですよね。
そのものの状態から手を合わせる存在へと変える、区切りをつけるというのが改元供養ですよね。
この儀式を通じて、今までいわゆるものであったところから、
自分の大切な人のいる場所、寄り所になるんだということで、
こういったお作法というのは大事にしているというわけなんですね。
これを改元供養と呼びます。
そして手元供養という言葉がありましたけれども、
これは何かというと、どうやらね、私もこれ知らなかったんですが、
お墓とかにお骨を、亡くなった方の骨ですよね。
それをお墓とかに収めるのではなくて、自宅に安置するというのが手元供養というらしいんですよね。
お墓に入れない形、そこが手元供養なんですよね。
そういったものがあるというのは、今回の質問で初めて知りました。
その手元供養ということについて、疑問があるということですよね。
この方は愛犬、ワンちゃんを大事にしていたんですよね。
家族と同じように、人間と同じように大事だったと。
家族同然だったと。というか家族ですよね。
家族そのものだったということで、だからこそのお悩みということですよね。
まずね、居配や魂入れはした方が良いですかというところなんですけれども、
魂入れは居配があればセットで作るものなんですが、
居配はもし大事であれば、よりワンちゃんに対して思いが強ければあった方が良いですよね。
やっぱり形ってあった方が良いんですよね。ないよりは。ないよりはあった方が良いです。
でもこの方の場合、手元供養ですので、お骨もあとはお写真とかもきっとありますよね。
だから、無くても、無いなら無いで、別にそのお写真やお骨に向けて手を合わせることってできますから、
無くても大丈夫かなとは思うんですけれども、
よりハッキリとここにワンちゃんが宿っているんだというような思いを寄せる場所として、
居配というものがあると確かに良いかもしれません。
なので、もしよろしければあった方が良いんじゃないでしょうか、
無くても大丈夫だけどあった方が良いんじゃないでしょうかというところですね。
そして、手元供養で人間の居配がそばにあるんだけれども、
ワンちゃんの居骨をそばに置いても良いのかという質問ですよね。
どことなくね、やっぱり人間とペットというのは別のものという意識もあるし、
またね、お父さん、もともと手元供養としていらっしゃったお父さんは犬が好きじゃなかった、
供養方法の提案
ペットが好きじゃなかったということで、そこを気にかけてしまうというところなんですけれども、
まずね、そもそも仏教というのは生きとし生けるもの、みんな仏性を持っているんだという考え方があるんですよね。
みんな仏となるための種というものが備わっているというところですので、
みんな仏になるということなんですよ。
ということは、仏に対してね、仏に偉いも偉くないもありませんから、区別はしないというところですよね。
ということで、もちろん同じところにおいても大丈夫です。
で、またね、お父さんが気になってしまう。お父さんの生前の活動ですよね。
ペットが好きじゃなかったという行動で気になってしまうということなんですけれども、
まずお父様はすでに黒曜も終えられて、お父様は仏様になってらっしゃるんですね。
先ほども言ったように仏としての立場であれば、区別をしない。
それは当然ですから、おいても大丈夫かなと思うと同時にですよ。
それでもやっぱり気になる、相談者さんにとっては気になるのであれば、
この相談文の方にも書いてあった通り、ステージを分けるという考え方。
ステージを分けるというのは多分場所を分けるという意味ですよね。
それはあってもいいのかなと思います。
例えばお父さんのお得用の場所がリビングであれば、
ワンちゃんの方はベッドルーム、寝室にするとか、そういった分け方。
あるいは少しだけお遺肢とお骨の間に何か物を置いて、若干の区切りをつけるというのもいいかもしれません。
またはお父様のお遺肢に対して大切な家族、ワンちゃんだけど大切な家族ですので、
どうかここに置くことをお許しくださいという報告するだけでもいいと思います。
いずれにせよ、この相談者さんが後悔をしない、納得をする形で収めていただければいいのかなと思います。
わからないですよね、こういうことって。どうすればいいのかなと思っちゃうかもしれませんけれども、
自分が納得する形ということを意識していただければなと思います。
お悩み相談はここで終わりなんですけれども、一つだけ私が気になることが1個あるのでここだけ付け加えさせてください。
というのは、この手元供養という供養の仕方、これもしかしたら、この方50代の方ですのでお子さんがいらっしゃるかもしれないですよね。
もしいるのであれば、この手元供養のお父さんとワンちゃん、お子さんに引き継がせるのは、もしかしたら少し重りになっちゃうかもしれないですよね。
というのは、この方にとって、相談者さんにとっては手元供養でもすごくいいと思うんですよ。
大事なお父さん、それと大好きなワンちゃん、いつでも身近に感じていたい。いつだって手を合わせたいんだ。
というわけで、心は大変近いところにあったわけですから、思い出とかも蘇りやすいですよね。
であれば、遠くの離れたお墓に置くよりも近くにあった方がいいのかなというふうに思うんです。
ただ、世代が変わって、お子さんの世代になって、お子さんにとって相談者さんのお父さんであるおじいちゃんですよね。
同居していれば別ですけど、もし離れて暮らしていたのであれば、よく知らない人でなっちゃうんですよね、どうしても。
なってくると、なかなか心を込めて供養しろと言っても難しいかなと思うんですよね。
ということで、本来供養というものは、自分の人生の中で心がほっとする瞬間であるというのが供養の本質ですから、
心を穏やかな時間にするというのが供養の本質ですから、そうならない、逆に重荷になっちゃう、苦しい原因になっちゃうというのであれば、
本末転倒ということで、自分の代で一代限りできちんと最後を迎えるというのはいいのかなと思います。
具体的に言うと、ある一定期間を持って、ワンちゃんのお骨並びにお父さんのお祝いとか、お祝いはいいのかな、お骨ですね。
お骨が特にどうしたらいいか分かりませんので、お骨をお墓に収めるとか、あるいは樹木草みたいな形で自然に返す。
これはもちろんどこでもいいわけではありませんよ。きちんと樹木草を取り扱っているところで埋葬してください。
海洋産骨というのもありますよね。
これもそういったことを取り扱っている業者さんがおりますので、海洋産骨を調べていただいて、自然に返していただくというのもありですね。
いずれにせよ、自分の代で手ごとというのは一旦どこかで区切りをつけていただくというのは大事な作業だと思います。
ちょっと頭の片隅に入れていただければなというふうに思いました。
というわけで、今日のお話はここで終わりたいと思います。
今日のお話を聞いて、いいねと思った方、いいねボタン並びにフォローをよろしくお願いいたします。
それと、今日みたいなお悩み相談、人生相談、あるいは仏教に対してこんなことを聞きたいといったちょっとしたことでもいいので、
そういったことがあれば、コメント欄の方にご意見をお寄せいただければと思います。
他にも概要欄の方にフォーム、お悩み相談、リクエストボックスというのがありますので、そちらからお寄せいただいても大丈夫です。
必ずお答えいたしますので、よろしくお願いいたします。
というわけで、念状院副住職の幸文でした。ではでは、またね。
13:17

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