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12月8日は、仏教にとって大切な「成道会(じょうどうえ)」の日。
お釈迦様がお悟りを開いた記念日です 。
「禅と悟り」をテーマにお届けしてきた三夜連続企画、最終回の今夜は、その源流であるお釈迦様の悟りそのものについてお話しします。
「悟りって難しそう…」と思うかもしれませんが、実は私たちの日常の苦しみを和らげ、心を楽にするための実践的な知恵が詰まっています。
この放送のポイント
✅ 成道会(じょうどうえ)とは?
お釈迦様が明けの明星を見て真理に目覚めた瞬間のエピソード
✅ お釈迦様の悟りの3つのキーワード
縁起(えんぎ):全てのものは繋がりの中で存在している
四諦(したい):苦しみには原因があり、解決する道がある
中道(ちゅうどう):極端を避け、自分にとって「程よい」バランスを見つける生き方
✅ 現代に生きる私たちへのヒント 「自分を責めすぎない」「100点満点じゃなくていい」 お釈迦様の教えから学ぶ、心を整えるコツ
三夜連続企画の振り返り
🌙 第一夜:臨済宗「外を見る禅」〜動きの中の静けさ〜 🌙 第二夜:曹洞宗「内を見る禅」〜只管打坐と自分自身〜
🌕 第三夜:お釈迦様の悟り 〜縁起・四諦・中道〜(今回)
#仏教 #禅 #成道会 #お釈迦様 #悟り #縁起 #中道 #マインドフルネス #心の安らぎ #メンタルヘルス #生き方 #12月8日 #お寺 #副住職 #standfm
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https://stand.fm/channels/5f5a393ff04555115dcb4f8e
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12月8日は、仏教にとって大切な「成道会(じょうどうえ)」の日。
お釈迦様がお悟りを開いた記念日です 。
「禅と悟り」をテーマにお届けしてきた三夜連続企画、最終回の今夜は、その源流であるお釈迦様の悟りそのものについてお話しします。
「悟りって難しそう…」と思うかもしれませんが、実は私たちの日常の苦しみを和らげ、心を楽にするための実践的な知恵が詰まっています。
この放送のポイント
✅ 成道会(じょうどうえ)とは?
お釈迦様が明けの明星を見て真理に目覚めた瞬間のエピソード
✅ お釈迦様の悟りの3つのキーワード
縁起(えんぎ):全てのものは繋がりの中で存在している
四諦(したい):苦しみには原因があり、解決する道がある
中道(ちゅうどう):極端を避け、自分にとって「程よい」バランスを見つける生き方
✅ 現代に生きる私たちへのヒント 「自分を責めすぎない」「100点満点じゃなくていい」 お釈迦様の教えから学ぶ、心を整えるコツ
三夜連続企画の振り返り
🌙 第一夜:臨済宗「外を見る禅」〜動きの中の静けさ〜 🌙 第二夜:曹洞宗「内を見る禅」〜只管打坐と自分自身〜
🌕 第三夜:お釈迦様の悟り 〜縁起・四諦・中道〜(今回)
#仏教 #禅 #成道会 #お釈迦様 #悟り #縁起 #中道 #マインドフルネス #心の安らぎ #メンタルヘルス #生き方 #12月8日 #お寺 #副住職 #standfm
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サマリー
このエピソードでは、お釈迦様の悟りについて詳しく説明されています。特に、縁起、四諦、中道の3つのキーワードが中心です。お釈迦様の人生や悟りの瞬間が描かれ、どのようにして人々が苦しみから解放されるのかが考察されています。また、縁起、四諦、中道についてやさしく解説されており、苦しみの原因を理解し、真ん中の道を見つけることが重要であると伝えています。
お釈迦様の歩み
どうも、コウブンです。
栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で、副住職をしております。
今日は12月8日。
この12月8日というのは、仏教にとってとても大事な日なんです。
浄土絵という日なんですけれども、この浄土絵って何かといいますと、
仏教をお開きになったお釈迦様。
お釈迦様がお悟りを開いた日というふうに伝えられております。
そういう日なんですね。これを浄土絵と呼んでおります。
そこでこの浄土絵に合わせまして、3夜連続で、禅と悟りについてのお話をしてきたんです。
第1夜、第1回目は臨済宗の外を見る禅。
庭園とか建築、そして絵画、あとは書、そういった見えるものを通して動きの中に静けさを見出す。
そんな禅の姿、これが臨済宗の外を見る禅です。
そういう話をしてきました。
第2夜は相当宗、私の所属している相当宗、この相当宗の内を見る禅についてのお話をしてきました。
四観多座、ただひたすら座ることによって、自分の内側を静かに見つめていく修行について、そんなお話をしてきました。
そして今夜、第3夜は、その両方の源流であるお釈迦様の悟りそのものについて、できるだけわかりやすく、そんなお話をしていきたいというふうに思っております。
キーワードは演技、そして死体、そして中道、この3つのキーワードを元に、今日はお話をしていけたらと思います。
まずは簡単にお釈迦様、お釈迦様はどういう方だったか、お釈迦様の歩みをお話をしていきたいと思います。
お釈迦様という方、この人、実在した人なんですよ。想像上の人物じゃなくて実在したとされている。
このお釈迦様という方は、約2500年ほど前の方です。
もともと僧侶、お坊さんではなくて釈迦族という一族の王子様、そういうふうに伝えられております。
王子様というからには、きっとわりと贅沢な暮らし、何不需要ない暮らしをしていたのかなというふうに、そんなふうに推察されるわけなんですが、
ある時、お釈迦様は城の外に出まして、いろんな人を見ました。どういう人を見たかというと、
年をとった人、病気の人、そして亡くなった人、そういった人たちの姿を見たんですね。
今まであまりお城の中では見たことがなかった。だけど、お城の外に出たら、そんな人たちを見かけた。
それを見て、お釈迦様は、人間は誰でも老いとか病とか死から逃れることはできないんだというような、そういう現実に大変ショックを受けたというふうに言われているんです。
そして、どうすれば人は本当にそういったいろんな苦しみから離れて安心して暮らせるのか、そういう答えを求めて、
この王族の生活の中では難しいと思って、そして家族とか立場を捨てて、出家の道に入ったというふうに言われております。
出家、これは家を出るとそのように書きますが、本当にその通り、自分のありとあらゆるものから離れるということですね。
出世間とも言いますね。出世間を略して出家かな。
とにかく、お城を出てしまった。王族を辞められたということですよね。
そして、いわばお坊さんになったんですね、この時に。髪の毛を剃ってお坊さんになった。
悟りの瞬間
そのお坊さんとなったお釈迦様は、当時のインドで一番厳しいと言われるような苦しい修行、いわゆる苦行を何年も何年も続けたんです。
骨と皮だけになるほど痩せほどって、そして息も絶え絶えになるまで苦行してみたけれども、それでも心の底からの安心にはどうしてもたどり着けなかったというふうに言われております。
そしてある時に気がつきました。体をどんなに痛めつけるような苦行をしても、欲望のままに生きるような快楽でも、どちらでも本当の安らぎはないなって。
そこでお釈迦様は極端な苦行をやめて、体と心を立て直し、菩提寺のもとに座って静かに瞑想に入ったというふうに言われております。
その時に、たとえ肉体が滅びようとも、心理を悟るまではこの座を立つことはないだろうというふうに誓って、その覚悟を持って座り続けた。
そういったことを行ってから、だいたい1週間ほどぶっ続けて座ったと言われております。
その1週間経った12月8日、今日の日ですね、この12月8日の明け方、夜明け前に東の空に明星が輝いたと。
明星というのは金星ですね。今でも明け方になると、タイミングにもよりますけど、明けの明星といってものすごく輝く星がありますよね。
あれが金星なんですけど、それを見たんです、お釈迦様は。
それを金星の輝き、明星の輝きを見たときに、あらゆるものは縁によって起こり、そして縁によって滅びていく。
そのように心理に目覚めたというふうに言われているんです。
これを浄土、いわゆる悟りの瞬間ということなんですよね。
四つの諦め
そのようなことを、そういった悟りのエピソード、これが浄土のエピソードということなんですよね。
では、お釈迦様が悟ったこと、心理に目覚めたということ、それは何かと言いますと、まずは縁起というものがあります。
縁起というのは、縁は五縁があるとか、縁ですね。それに起こるという書いて縁起ですね。
縁起がいいなんていう言葉をよく使ったりもしますけど、その縁起、これを一言で言うと、
全てのものはたくさんの条件が集まってたまたま今ここにあるというような見方なんですよね。
原因があって、条件があって結果がある、そういう方、そういう考え方、そういった真理ですね、
理、道理ですね、絶対的なルールと言っていいかもしれません。
必ずありとあらゆるものは、そのような形をもって成立している。
物質もそうですし、私たち人間関係だってそうですし、
ありとあらゆるものが縁起によって成り立っているんだということです。
例えば目の前のいっぱいのお茶、目の前にお茶があったとします。
このお茶が私たちが目の前に現れるまでの過程というものをちょっと考えてみましょう。
まず、大元に種がありますよね。お茶の種です。お茶の木の種があります。
その種が土に埋められて、雨とか太陽とかいろんな条件が整って目が出ます。
目が出たお茶の目ですね。
これがやはりいろんな条件によって栄養とか温度とかそういったものによって育っていきます。
育ったものを、そのお茶の葉をね、お茶の木を管理する人がいますね。
好き放題に飲みていたらやはりおいしいお茶は取れませんから管理する人がいるんです。
管理する人がいて、そしてお茶の葉を摘む人がいます。
取ったお茶の葉を加工する人。干したりとかもんだりとかしますよね。
そうやって完成したお茶の葉、お茶っ葉ですね。お茶っ葉を今度はパッケージをして運ぶ人がいます。
運んだものをお店に並べて、そしてそれを購入する人がいますね。
購入した人がそれをお湯を沸かして入れます。
そして入れられたお茶がやっと目の前にやってくるというわけですね。
そう、今自分の目の前に現れているお茶。
このお茶いっぱいで考えてもたくさんの工程がありますよね。
たくさんの人が関わっています。たくさんの労力があるということですよね。
こういった無数の円が重なって初めて、いっぱいのお茶がここにあるということなんですよね。
これはものだけではない。私たち自身も、自分の肉体もそうです。
性格、考え方、感情の癖、親との関係、友人関係、
これまでの経験や環境、育ってきた文化や時代背景、
そういったたくさんの要素が重なって、今の自分がいるということなんですよね。
お釈迦様は、苦しみですら、私たちを苦しいというような思いをすること、
それですら苦しいというような思いをすること、
苦しみですら、私たちを苦しいというような思いをすること、
それですら縁によって生じている、そういうことに気づいたと言われております。
自分がダメだから苦しんだ、というわけではなく、
あいつのせいで苦しんだ、というわけでもなく、
いろんな条件が重なった結果として、今苦しみが生まれている。
縁起の目で物事を見ると、誰か一人を責め続けるというのではなくて、
どういう条件が重なってこうなっているのかと、
少し引いて眺めることができるようになるんですよね。
これが苦しみから自由になるためのとても大切な一歩ということなんです。
そしてそのお釈迦様が悟られた内容というものを、
分かれやすい形で整理してくれたものがあります。
これは死体という考え方ですね。
死体というのは4つの諦めと書きます。4つの諦め。
諦めというと何か断念するようなイメージですけど、
そうじゃなくて明らかにするということですね。
はっきりさせる。きちんとどういうことなのかというのを明らかにすること。
これを4つの諦め、4つのはっきりしたことということですよね。
少し難しいように聞こえますけども、内容は実はとてもシンプルです。
1つ目、苦体。苦しみの諦めと書いて苦体ですね。
人生には苦しみがある。病気、老い、別れ、不安、焦り。
苦しいよねと、まずはそういったものがあるんだということを
ちゃんと見つめるということ。2つ目は実体。
実体ということは集まるに諦めると書いて実体ですね。
苦しみの原因とその解消
苦しみというのは原因がある、そういう意味です。
例えばこうでなきゃいけない、あの人はこうあるべきだ、
自分はもっとこうであるべきだというそういう捕らわれ、
それが膨らむほど心はだんだんと苦しくなっていくということなんですよね。
3つ目は滅体。鬼滅の刃の滅です。
鬼滅の刃の滅です。それに諦めるですね。滅に諦める。
その原因がなくなれば苦しみも収まるよということですよね。
条件が変われば結果も変わる。縁起の考え方からすれば
原因となっている捕らわれ、あとは思い込みというのが少しでも緩めば
苦しみも軽くなっていくということなんですよね。
4つ目が胴体。胴体というのは道を諦めると書きますね。
これは苦しみを減らしていくための具体的な生き方、
実践の道があるということです。具体的な方法ですね。
その苦しみを減らすための。これは発症度というふうに言われております。
この発症度の実践というものなんですけれども、
今日はそこまではお話はちょっと長くなってしまいますので省略いたします。
とにかく苦しみには原因があって、それを少しずつ手放していく。
そういう道があるんだというところだけ抑えてもらえれば十分かなと思います。
お釈迦様は人生は苦しいだけで終わらせるのではなくて、
苦しみには必ず道があると教えてくれた人ということですね。
中道の重要性
さてもう一つキーワードがありました。最初に述べましたけれども、
大事なキーワードとしましては中道というものがあります。
中道ってどういう字を書くかというと、真ん中の中に書いて道と書いて中道ですね。
中の道と書いて中道。これは文字通り真ん中の道、程よい道、そんな意味なんです。
お釈迦様は若い頃、贅沢な暮らしをしていたんですね。
贅沢な暮らしというものを知っていたということですよね。
一方で出家した後は体を壊そうとの苦行というものを経験した。
どちらも極端で、どちらの道にも本当の安らぎはなかったということを経験したんです。
そこから見つけたのが中道という生き方ですね。
現代の私たちに置き換えますと、仕事をしすぎても心も体もね、
ボロボロになる。逆に何もしない、そういう時間だけが過ぎていくという、そういった極端。
どちらもね、結局は苦しみになりますよね。
中道というのは、今の自分にとって無理しすぎず、でも誠実に歩んでいける。
ちょうど良いところ、それを探していく生き方ということですね。
極端は避ける。時々頑張る。時々休む。そのような生き方ですよね。
ずっと真ん中じゃなきゃいけないという意味ではありません。
頑張る時も頑張らない時もある。そういったものがいいんですよという考え方ですね。
100点満点を狙って自分を追い詰めるというわけでもなく、
投げやりになって全部をやめてしまうというわけでもない。
今日はここまででいいかな。これをやってみよう。
そういうふうに少し柔らかい心で自分を扱っていく。
これもまたお釈迦様の悟りから生まれた、とても実践的な教えということなんですよね。
さて、3夜連続でお話ししてきた内容というものを最後に一度まとめてみたいと思います。
第一夜、人材集の外を見る禅なんですけれども、これは庭や建築、芸術を通して動きの中に静けさを見出す、そういう禅でした。
そういう道、道って言った方がいいか。動きの中に静けさを見出す道。
第二夜、相当集の内を見る禅。
しかんた座、ただひたすら座ることの中であるがままの自分に気づいていく道。
そして第三夜の経話、その二つの源流としてお釈迦様の悟り、演技、死体、中道、そのお話でした。
共通しているのは苦しみには原因があって、その原因の見方や付き合い方を変えていくことで少しずつ自由になっていくという視点なんですよね。
外の世界を丁寧に味わうことも、うちの内側を静かに見つめることも、どちらも演技と中道の実践、そういうふうに言えるのかなと思います。
上道絵は昔、すごい人が悟った日だよね、と終わる記念日ではなくて、私はこれからどうやって自分とか人の苦しみに向き合っていこうかとね、そっと問いかけてくれるような、そういう日なんですよね。
今日のお話が、皆さんが自分自身を少しでも優しく見るための一つの縁になってくださったら嬉しいなと思います。
三夜連続でお聞きくださった方は本当にありがとうございました。
これからも仏教とか禅の教えを日常がちょっと楽になるヒントとしてゆっくりお届けしたいなというふうに思っております。
というわけで、今日のお話はここで終わりたいと思います。
今日も最後までお聞きください。ありがとうございました。
では、蓮城院副住職、幸文でした。ではまたね。
20:37
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