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2025-04-08 16:26

#218 花まつりの日に思う「天上天下唯我独尊」の真意

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4月8日は、お釈迦様の誕生日をお祝いする「花まつり」の日です。
この放送では、花まつりの由来や、花御堂に甘茶をかける意味についてお話ししています。
また、お釈迦様が生まれた時に言ったとされる「天上天下唯我独尊」という言葉。
この言葉の一般的な解釈だけでなく、あまり知られていない本来の意味や、現代を生きる私たちがどのように受け止め、自己肯定感に繋げられるかについても深掘りしています。
ぜひお聴きいただき、この日を自分自身を奮い立たせるきっかけにしてみませんか?

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サマリー

4月8日はお釈迦様の誕生を祝う日であり、仏教にとって特別な意味を持つ花祭りという儀式が行われます。このエピソードでは、天上天下唯我独尊の真意を深く掘り下げ、自分自身と他者の存在の尊さを説いています。

花祭りの意義
おはようございます、コウブンです。
栃木県の片田中にある蓮城院というお寺で福住職をしております。
今日はですね、4月の8日、この4月の8日、仏教にとっては重要な日の一つとされているんですよね。
皆さん知ってますかね?知ってますか?今日何の日か。仏教にとって大事な日。
答えは、お釈迦様が生まれた日なんですね。4月8日はお釈迦様が生まれた日。
これはですね、端物絵とか、豪端絵とか、あとは花祭りとか、いろんな言い方をしますけども、お釈迦様が生まれた日なんですね。
なので仏教ではね、当然ながら仏教はお釈迦様が開かれた宗教ですので、
お釈迦様が生まれたことをお祝いするというのが世界中の仏教のお寺とかそういうところで行われている、そういうお祝いの儀式を言われているんです。
日本においてもね、そういった各種儀式はあるんですけども、有名なのはというか、一般の方々も親しみやすいのは花祭りなのではないかなと思います。
知ってますかね、花祭り。最近はね、なかなかお寺に関わらない生活をしていると、見たこともないということが多いかもしれませんよね。
花祭り自体をやらないお寺さんも多いですし、なかなか目に触れたことがないよという人もいるかもしれません。
まだまだ多くのお寺で花祭りということを行っているお寺さんもあります。私のお寺も行っているというわけなんですね。
合体絵と言われる儀式、私どもの総統宗という宗派でそういった儀式があるんだよということで、私も修行時代にはそういった儀式に参加して、儀式を取り送られてきたわけではございますけれども、
実際に自分のお寺に帰ってきたら、合体絵という専用の儀式というのは朝のお勤めの中でちょっと言うぐらいで、あまり仰々しくはやっておりません。それが実際のところですね。
それでも花祭りという形で、私のお寺では特別なお釈迦様を祀る場所を設置しております。
それを花見堂と言うんですよね。花のお堂と書いて花見堂と言うんですね。そういったものを設置して、そこの中に、小さいお堂の中に裸のお釈迦様、赤ちゃんの子供の頃の姿のお釈迦様の像を建てて、
そして水の入るような桶をその中に入れて、その桶には甘茶というお茶があるんです。甘いお茶ですね。甘茶を注いで、そして花見堂の周りには花を飾り立てて、
花見堂の前にはお装甲できるようにコールを置いて、そういう形で花祭りセットを設置しております。
見たことのない人は、詳しくはインターネットで検索していただくということでいいかなと思うんですが、ここで簡単に説明しますと、どういうことをやるのかというと、
その裸のお釈迦様、実は子供の姿、正確には赤ちゃんの姿とされているんですけれども、赤ちゃんといえど、服を着ている場合が多いですね。
その辺の細かいところはあまりつっこまないでいただきたいんですけれども、ともかく赤ちゃんの姿とされているお釈迦様、どういうポーズをとっているかというと、
左手が上で、右手が下を指しております。
上と下を指で指している。
立っている姿。その姿のお釈迦様の像にアマチャをかけるんですね。
そういった儀式というか、そういったことを行うのが花祭りという催しなんですよね。
でね、なんでそんなことをやるのかって不思議な行為ですよね。お茶をかけるって何?って思うと思うんですよ。
私も思いました、最初。何だろうこれって。一体何なんだろうってね。
これはちゃんと意味はあるんです。当たり前ですけど。
どういう意味が込められているかと言いますと、一応お釈迦様が生まれた時の伝説にのっとった形、それを表現したものが花祭りなんですよね。
というのはお釈迦様、生まれたらすぐ7歩歩いたと言われております。
7歩歩いて、そして7歩歩いた後に、左手を上に向かって、右手を地面の方に下に向かって指さして、天上天下唯我独尊と言ったんだという風に言い伝えられております。
そしてお釈迦様の誕生を祝って、たくさんの花が咲き乱れ、さらに天から、空からは甘い雨ですね。
お祝いを込める意味で、甘いというのは何て表現していいのかな。
水を持って甘い雨を持ってお祝いをしたということでいいのかな。とにかくめでたいというところでそういったことが起きたと。
その甘い雨を表現して甘茶をかけるということなんですよね。
花見堂というのは、たくさんの咲き乱れている花を表現しているというわけです。
それが花祭りというものでございます。
どうか今日どこかのお寺に行って、もし花見堂を見たら是非とも甘茶をかけてみて、そしてお祝いをして供養してみてください。
ということで、ここでお話が終わっちゃうと。
天上天下唯我独尊の解釈
ただただ花祭りの紹介で終わっちゃうので、もう一つ深掘りしたいところがあります。
それは何かというと、天上天下唯我独尊という言葉ですよね。
この言葉、インパクトが強いから、どこかで聞いたことあるんじゃないでしょうか、皆さんもね。
この唯我独尊、天上天下唯我独尊、これを言葉をそのまま訳しますと、天上、天の上にも天の下にも、私という存在は唯一である。
私という尊い存在は唯一であるという意味ですよね。
ちょっとここだけ切り取ると少し傲慢なように聞こえますよね。
私は唯一の尊い、私は唯一なんだから、うやまえって言ってるよみたいなね。
そんな風にも聞こえるんですけども、これを分かりやすく皆さんに説明するのであれば、
私という存在というのは唯一である。
私という存在、私という個性というのは唯一でありそれは尊いことである。
だからこそ、自分が尊いように皆さんも尊いんだ。
自分以外の他人も尊いんだ。
だからこそ一人一人は尊い存在なんだよというようなことを言ってるんだと。
よくお坊さんの中ではこの言葉の意味として、
意味はこういう意味だよと説明するときではこれを使います。
みんなみんなそれぞれ生きてるんだ。それぞれの命は大事なんだ。
だから自分の命が大事なように他の人も他の命、自分以外の命も大事にしましょうというような意味合いで使われるんですが、
ですが、実はこれは日本のある人物が不況のためにというとちょっと公平があるかもしれませんが、
自分たちの教え、自分たちの宗派というものを広めるためにある意味ちょっと拡大解釈したというふうにも言われております。
ということは本来の意味があるということなんですよね。
どっちが本来かというのは実はどっちでもよくて、この言葉をどのように受け取って、
そして自分の人生にどう活かしていくかというのは大事ですので、
どっちが正しいというのは本当はないんですけれども、
ただ元々の意味という部分ですね、これもきちんと学んでおくというか知っておくということ、これはとても重要だと思います。
知った上で自分でこっちの意味の方が私に合っているなというものを大事にしていただければと思います。
もう一つの意味というのは、元々の意味というのは中国の方で残っている文献に書かれている文言なんですよね。
どんなことが書かれているかというと、中国語ですので言葉自体が難しいんですけれども、
人生へのメッセージ
訳文の方で紹介しますと、天上天下唯我独尊の後に続く言葉ですね。
その訳文は、この世界において私だけが最も尊い存在である、これは天上天下唯我独尊ですね。
その続きですね、それは今ここに誕生したのは最後の生であり、もはや迷いの輪廻世界に再び生まれることはないからであるというふうに続くということなんですよね。
輪廻世界に再び生まれることはないと。
つまりどういうことを言っているのかというと、私というお釈迦様という存在、私という存在はこの世の中の苦しみというところから完全に離れることができる存在だ、だから尊いのだ、そういうことができるから尊いんだということを言っているんですね。
苦しみの輪廻から離れるというのは、昔のインドの中では、現代もそうかもしれませんけれども、輪廻転生という考え方があるんですよね。
日本においても輪廻転生というと、死んだら地獄に落ちるとか、天国に行くとか言いますよね。それも輪廻転生の考え方ですよね。
つまりお釈迦様というのは、その輪廻転生というのはもう二度としない、もう唯一の命だ、だからそれを達成することができたんだ、苦しみを繰り返すことはもう二度とない、なかなか尊いんだというふうに言っているんですよね。
この言葉を私たちはどういうふうに受け取ったらいいのかというと、いろいろ解釈はできると思うんですけれども、私は思ったのは、輪廻転生をもうしない、もう二度と苦しいところを繰り返せないというふうに言い切っているところは、
そういった可能性ですね、苦しみというところから離れることができる、私という人生を命を使い切るといったように言うのかな、苦しみというものがあふれたところから離れて命を謳歌することができるんだということが言っているんじゃないかなと思うんですね。
私はそういうことができたんだ、あなたはどうなんだって言っているような、そんなふうな気がするんですよね。
いわゆるちょっと現代語で言うと自己攻略感に近いかな。
私という存在がこういうことができたんだ、あなたにもきっとできる。
だからあなたは一度きりの命というものを大事に、そして穏やかに過ごすように精進してくださいというふうに励ましの言葉なんじゃないかなというふうに思うんですよね。
そのように受け取っていただければ、この4月8日、花祭りの日というのは、自分自身を奮い立たせる日、あなたに何か目標に向かって頑張る、そして自分はできるんだというふうに誓える、そんな日になるんじゃないかなというふうに思います。
というわけで、今日のお話はここで終わりたいと思います。
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あと、私現在、Udemyというオンラインの学習プラットフォーム、オンラインで学習するプラットフォームの方で講座を作っております。
そちらも今順調ではないんですが、何とか少しずつ進めております。
どうぞこの後、情報の方をお伝えいたしますので、お楽しみにしていただければなというふうに思います。
というわけで、連常院副住職の幸文でした。ではまたね。
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