1. コウブン和尚の寺子屋ラジオ
  2. #282 禅に学ぶ想いの伝え方:..
2025-08-18 18:36

#282 禅に学ぶ想いの伝え方:以心伝心(いしんでんしん)

▼お悩み相談・リクエストボックス
https://forms.gle/mmwtAribqPbMZCxj8

▼蓮城院 アートプロジェクトvol.3『百鬼夜行』
https://renjoin-hyakkiyakou-lp.vercel.app/

今日のテーマは禅語「以心伝心」です。

言葉にしなくても想いが伝わる…そんな不思議な体験、ありませんか?

今回は「心をもって心を伝える」という、この奥深い言葉の意味を、副住職である私自身の体験談を交えながら紐解いていきます。

永平寺での修行時代に見つけた祖父の記録、そして家に残されたボロボロの坐禅用クッション。

そこから感じ取った、時を超えた想いとは… 。

子育ての経験にも通じる「以心伝心」の世界 。あなたの日常にも、大切なヒントが隠されているかもしれません。

放送の最後には、お寺で開催する夏のイベント「百鬼夜行」のお知らせもありますので、ぜひ最後までお聴きください 。

#仏教 #禅語 #以心伝心 #お寺 #人生のヒント #永平寺 #家族の絆 #子育て #standfm #蓮城院
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5f5a393ff04555115dcb4f8e

サマリー

このエピソードでは、一心伝心という禅語を通じて、心を持って心を伝える重要性とその意味を探っています。修行の経験から祖父の影響を受けたことや、言葉を超えた理解の大切さについて話しています。また、禅を通じて異心伝心の概念を探求し、心のつながりを深める方法についても述べています。特に、子育ての経験を通じて親子の愛情がどのように伝わるかを例に挙げ、理解を促進しています。

禅語の紹介と一心伝心
どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で福住職をしております。
今日はですね、皆さんにぜひとも覚えていただきたい禅語というシリーズの第4弾をお送りしたいと思います。禅語。
禅語というのは、座禅の禅に言語の語と書いて、禅語ですね。
良い言葉じゃなくて、禅の言葉という意味です。
この禅語というのは、答えをビシッと指し示すようなものではなくて、人生のヒントになるようなものが多いのが特徴ですね。
なので、人それぞれいろんな受け止め方があるんですが、その禅語というものの特徴故に理解しにくいというのもまた事実なんですよね。
なので、私なりの解釈ではありますけれども、今日は皆さんにこれをお伝えして、皆さんがもし私がこれから言う禅語に触れたときに何か感じるところがあれば、さらに言うと皆さんの人生に役立つものであれば嬉しいなということで、このようなことをやっております。
ということで、今日の扱う禅語は、一心伝心です。一心伝心。
皆さんも一度ぐらいは聞いたことある言葉じゃないかなと思うんですよね。
これは、読んで字のごとく、心を持って心を伝えるという言葉ですね。
これね、実はね、禅語なんですよ。
心を持って心を伝えるってね、なんとなくわかるけど、どういうこと?っていうね、ぼんやりとしかわからないような類の言葉じゃないかなって思うんです。
なので、私の今日のお話を聞いて、皆さんも少しだけ、この言葉ってどういうことかなって考えてもらうきっかけになればいいかなと思います。
でですね、この一心伝心という言葉、そもそもなんでこういう言葉があるのかというと、仏教の究極の目標はなんでしょうか。
これはね、仏になることですね。仏になること。
ちょっと言い方を変えるとね、悟りを開くこととも言えるんですね。悟りを開く。
この悟りというものはね、非常に伝えるのは難しいんですね。
なぜなら、言葉で表現しきれないからなんですよね。
つまり、悟りというものはね、体験というかね、言葉で表現しきれる、何か教えてもらってああそうなんだって理解するようなものではなくて、体験を通じてそういうことなのかと納得する、そういう類のものであるというふうに私は理解しております。
だから、一心伝心というのは、心を持って心を伝えるというのはね、悟りという非常に伝えにくいものというものが伝わったということなんですよね。
言語の壁を越えて伝わったということ。これをね、一心伝心というんですよね。
簡単に言いましたけど、難しいです。私も偉そうに言ってますけど、果たしてね、ちゃんと自分が一心伝心されたのか、それともしてるのか、よく分かりません。
これが正直なところです。
祖父との繋がり
しかしながら、ある一定のタイミングでね、もしかしたらこういうことなのかなって思ったことはあります。
それをね、ちょっとね、今日は皆さんにお話をして、皆さん自身のヒントにもなればなというところです。
どういうことかと言いますと、私、実は福井県にある大本山永平寺というところで修行してきました。
このラジオを聞いている方、私しょっちゅうこれ言ってるんで、また言ってるよと、何回こするんだというふうに思う方がいるかもしれませんが、ご勘弁ください。
私の人生にとって永平寺という場所はそれくらいね、とてもインパクトがあって、さらに自分の人生の様々な価値観を決める上でも重要な場所ということでね、
結構いろんなことの基準になるんです。だからしょっちゅう永平寺というのが出てくるんですが、それはさておきですよ。
私はその永平寺で修行しました。永平寺には、実は過去にどんな人が修行したのかということが記された資料があるんです。
ずっとね、確か明治ぐらいからだったからな、それよりも前はおそらく資料がなかったのかなと思うんですけども、
とりあえず明治ぐらいからどんな人が、何県のどころこのお寺の誰々さんが何年の何月に入ってきましたというのを修行が入りましたというのが記されている、そういう資料があるんですね。
私、たまたまその資料を見る機会がありまして、パラパラと見ていたんです。
そしたらね、私の知っている名前があったんです。それはね、私のおじいちゃんの名前があったんですね。
私のおじいちゃんも永平寺で修行したという話は聞いていました。写真も残っていました。
それは知っていましたが、頭の中でね、うっすらとおぼろげな状態でしか記憶しておりませんでした。
しかし、そのね、あの文字を見た瞬間、おじいちゃんの名前を見た瞬間、
ああ、おじいちゃんって永平寺で修行してたんだな、そういえばそうだったなって。
おじいちゃんもきっと大変だったんだろうなって思ったんです。
いろいろとね、苦労があったんだろうなというふうにね、理解したんですね。
で、なんでかというと、まずね、私その永平寺というところで修行したときにね、
まあ、それはそれはもういろんな思いをしました。はい、大変な思いをね。
みなさん、なんだろうな、この普通の生活だとなかなか経験できないような厳しい環境といったらいいのかな。
まあ、もちろんね、そんな永平寺の修行よりももっともっと厳しい環境におられる方ももちろんいらっしゃるでしょう。
でも、普通にね、学生生活あるいは社会人生活をしていた人からすると、なかなか強烈なインパクトのあるような、
そういった生活になったわけですけども、その中でね、非常に特殊な環境の生活に対応するために、
いろんな苦労があったわけです。そういったものもきっとおじいちゃんもね、経験したんだなあというふうに思ったんです。
他にもね、実はおじいちゃんのその修行に入ったのは、昭和16年の秋って書いてあったんです。昭和16年の秋。
昭和16年というとね、もう戦争直前です。
ほぼほぼ、もう戦争入りますよというようなね、雰囲気が出ていたようなね、時代の中、おじいちゃんは永平寺に修行に行って、
で、おそらくね、正確には修行がなかったのでわからないんですけども、おそらく半年かあるいは1年か、それくらいで修行、永平寺の修行に降りて、
で、兵隊になるための訓練、そういった施設ですね。そこに行ったんだと思われます。
で、そこで訓練した後に、昭和19年から20年あたりに、
どこだったかな、インドネシアだったかな、とにかくね、東南アジアの国の方に出兵したそうです。
で、幸いにも生きて帰ってくれたから、私は今こうやって放送することができるんですが、そのような時代だったんです。
座禅用のクッションと悟り
だから永平寺の修行ももちろん大変だったんだろうと思うと同時に、おじいちゃんはどんな思いでこの修行というものをして、永平寺の修行というものをして、
その後、兵隊となるためにそういった訓練に臨んだのだろうかというところをね、今までよりも、それまでよりも色々と理解することができたと思ったんですね。感じることができました。
で、その後、私も永平寺で修行して、そういうおじいちゃんって大変だったんだろうなと思ったことと、家に帰ってきてというか、今の私のお寺に戻ってね、連常院に戻って物置をね、色々整理をしていたところ、
おじいちゃんが使っていた座禅の時に使うザフというクッション、それが出てきたんですね。
私が記憶している限り、おじいちゃん、座禅をしている姿というのは見たことはないんですけども、ただそのね、座禅用のクッションを見るとね、もうボロッボロなんです。
至る所がね、ほころんでいて、そのクッションの中に入っている綿、パン屋というんですけども、それも飛び出てるし、名札は真っ黒になっちゃってるし、ともかくね、かなり使い込んだ形跡が見られました。
それを見た時に、おじいちゃんもまた様々なお寺というものを苦労しながら運営しながら、また自分自身も座禅というものを通じてね、僧侶としての立ち位振る舞いというものを垂らしていたんだなと思ったんですね。
要はちゃんと家でもね、座禅して修行してたんだなということは理解したんですね。
それだけお寺というものに対して、仏教というものに対して真剣に向き合ってたんだなということを感じたんですね。
そういうことが私ね、これ一心伝心なんじゃないかなって思っております。
直接いろんなことを教わったわけではありません。
目の前でおじいちゃんの姿、私が覚えている限りのおじいちゃんの姿は、お坊さんは確かにやってましたけど、普通のおじいちゃんでした。
だけども、そういったおじいちゃんがいろんな経験をね、私が永平寺という場所に行ったことを通じて、同じような体験をして、そしてきっと同じような思いを抱いていて、
ボロボロになった座布を見て、おじいちゃんがどれだけ座禅というものに対して真剣に向き合っているとか、
この蓮城院というお寺をどうするかっていろいろ悩んだんだろうな、そこまで感じ取ることができたんですよね。
これは言語の壁を越えて、また時代の壁も越えて伝わるもの、心が伝わる状態じゃないかなって私は思ってます。
これこそがまさに神殿寺ということなんだというふうに思いました。
すごい、ものすごい、何て言うんだろう。
陸上言い方しましたけど。
皆さんにとってはなかなか理解し難い部分ではあると思うんです。
だけども、あえてこうやってお話をさせていただきました。
これを聞いている皆さんにとって、一心伝一心ということを理解しやすいことって何かなって考えたんです。
やっぱりそうすると、子供がいる人、自分の子供がいる人、お父さんでもお母さんでもどちらでもいいんですが、
我が子がいると、我が子で子供を育てるってすっごく大変ですよね。
ちょっとしたことで子供の機嫌が悪くなるというか、泣いてしまったりとか、病気になってしまったりとか、けがをしてしまったりとか、
いろんな心配、いろんな苦労があるんだなということが、子供を持つと分かると思うんです。
それって自分たちだけじゃなくて、親の世代もそうですし、周りの人もそうです。
みんなみんな子供を育てることに対してすごく大変なんだなということが分かると思います。
子供を育てることに対してすごく大変なんだなということが理解できる。
その時に今まで受けてきた愛情、親から受けてきた愛情というものが理解できるのかなというところですよね。
これこそまさに異心伝心だと思います。
ちょっともしかしたらニュアンスがずれているかもしれませんが、分かりやすい例えと言っていたらこうなのかなと思いました。
そうなんです。いわゆる子育てに関する書物、あるいは動画、テレビ番組だったりYouTubeだったり、いろいろあると思います。
でもそれだけだとあくまでもノウハウ、テクニックなわけで、心が伝わってくるわけではないですよね。
自分のお父さんお母さんがどんな思いを持って、どんな苦労をしたとか、どれくらいの愛情を持って自分を育ててくれたとか、そういったところまでは伝わらないですよね。
やっぱり自分も同じような経験をして、その時初めて伝わってくるというところってあるんですよね。
こういったことが私の理解する異心伝心だと思っております。
伝わったかな。これが異心伝心すればいいかなということを思いながら、今日はここで終わりたいと思います。
子育てと愛情
今日のお話を聞いてよかったと思った方はどうぞいいねボタンよろしくお願いいたします。
このような仏教の言葉、禅の言葉、あるいはお寺に関する質問、お坊さんは何で頭丸めてるのとか、ポクポク鳴らしてるあれは何ですかとか、そんな質問であったり、また人生相談、お悩み相談、そういったものがあれば概要欄の方にリンクを貼っておきますので、
必ずお返しをいたします。今の質問とかそういったものはコメント欄でも大丈夫ですよ、もちろん。
それと宣伝を一つします。今度の24日、8月の24日、日曜日に私のお寺蓮城院にて百鬼夜行という宣伝を行います。
このイベントは何かというと、お化けのコスチュームみたいなものを身近な材料を使って作って、そしてそれを宣伝するというイベントを行います。
というと、お化けのコスチュームみたいなものを身近な材料を使って作って、そしてそれを着て私のお寺のお墓、それと近くの神社まで練り歩く、これを百鬼夜行と呼んでおります。
そういう百鬼夜行をやった後、プロの階段のお話の人に来てもらって話を聞くという、そういった催しとなっております。
夏の思い出作りにはぴったりかなと思います。子どもたち、大人たち、みんなが楽しめるようなものだと思っておりますので、どうぞご興味のある方は概要欄の方に貼ってある公式ホームページからご覧になってよろしければご参加いただければと思います。
ということで、今日の放送は終わります。蓮城院副住職の幸文でした。ではではまたね。
18:36

コメント

スクロール