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おはようございます。コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院という寺で副住職をしております。
本日もですね、葬送のフリーレンから学ぶということを、
この軸にお話をしていきたいと思います。
本日お話しするのは、葬送のフリーレンの僧侶ハイターから学ぶ、
現代の宗教観、そんなテーマでお送りしたいと思います。
昨日もお話しした通り、私は、葬送のフリーレンという作品がとても大好きですね。
大好きなんです。
というのはですね、この葬送のフリーレンが扱っている、
ファンタジー世界を舞台にして、人間の本質とか生き方、
考えさせるような作品だからなんですよね。
この人間の本質とか生き方ということは、
宗教の領域といっても過言じゃないと思うんですけども、
なので私も一応お坊さんですので、
この作品を掲げるテーマといいますか、
その作品の雰囲気というのが、
宗教的だなというふうに映っているわけで、
なのでとても興味深いというか、
全体的にテーマとして好きな感じなんですよね。
その中の、そのフリーレンの中に出てくる僧侶、
お坊さんとも言えるんでしょうか。
お坊さんというと仏教の僧侶というイメージなんですけども、
それでも宗教者でいいのかな、
宗教者を生きている方を僧侶というふうに捉えるのであれば、
僧侶、ハイターというキャラクターがいて、
その方も僧侶であると、
宗教者であるから僧侶であるというふうに言えると思います。
その登場する僧侶、ハイターというのは、
とても魅力的なキャラクターなんです。
なので、そのハイターのキャラクターを通じて、
現代の宗教の在り方ということについて考えてみたいと思います。
ハイターというキャラクターは、一見すると堅破りな僧侶なんですよね。
というのもお酒が大好きで、
時に気にくめいた発言をしたりもするんです。
でもその言動とか行動の裏には、
深い洞察と実践的な信仰心というのが見え隠れするんですよね。
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彼の人生哲学と印象的な名言を通じて、
私たち現代人が忘れがちな宗教の本質的な役割というのでしょうかね。
あとは心の支えとしての宗教の意義というものを一緒に考えていきたいなと思います。
では、ハイターのセリフ。
私は特にこのセリフが好きなんですよ。
どういうセリフかと言いますと、
天国が実在するかはさほど重要じゃないものの、
あったほうが都合がいい。
このセリフはね、なんて言うんでしょう。
そんな言い方あるんだってすごく思いました。
というのはですね、やっぱりお坊さんとして、
人の前でお話をする際にですね、
地獄とか天国とか極楽とか、
そういうところをうまく説明するのって難しいんですよね。
なんでかというと、
今この現代では、
情報化社会ですし、
また科学がものすごく発展してますから、
どちらかというと、
天国とか極楽とか地獄とかっていうのは、
非常に科学的な分類に入るのかなと思うんですよ。
そこはですね、
そういった考え方というのが、
一般的なこの現代において、
どのように説明すると皆さんが納得するのかっていう部分。
これが非常に難しいんですよね。
一つ間違えば嘘つきになっちゃいますから。
だけども、
なんて言うんでしょう。
本当に心が弱っている人に対して、
救いになる言葉を与えるというのは、
やっぱり宗教者の役割ですから、
現実的なことばっかり言っているのも、
それはそれでよろしくない。
かといって、
全然ファンタジーのことを言っても、
それはそれで仕方がない。
というふうに仕方がないというか、
救いにならないというふうに思いますので、
それをどう折り合いをつけるかという部分。
そこをうまく表現したなって感じるわけですよ。
そんなわけで、
天国が実在するかどうかはさほど重要じゃないものの、
あったほうが都合がいいというセリフ、
大好きなんですね、私は。
この言葉というのは、
ハイターの現実的かつ楽観的な性格というのを、
合わせているのかなと思います。
さらにハイターは、
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他にもこんなことを言っています。
私たちは世界を救った勇者パーティーですよ。
死後は天国で贅沢三昧に決まっています。
というふうに語っているんですよね。
しびれますね。
こんなことをさらっと言える僧侶でありたいと、
私も思っているんですけど、
なかなか言えないですよね。
この言葉というのは、
死後の世界の存在を完全に信じているわけではないんですけども、
希望を持つことの大切さというのを示唆しているというわけなんですよね。
現代社会を生きる私たちにとって、
この考え方というのは非常に示唆に富んでいるというふうに思うわけです。
絶対的な確信がなくても希望を持つことで、
現在の困難を乗り越える力を得るということができる。
そんなふうに感じられるんですよね。
皆さんはどうでしょうか。
天国とか、来世という概念、
それがあなたの人生にどんな影響を与えていると思いますか。
それとも、こういった概念を全く意識せずに日々を過ごしているのでしょうか。
希望を持つことで日々の生活がどのように変わるかというのを、
一度考えていただくとよろしいのかなと思います。
ハイターの他にもこんなセリフがあるんです。
必死に生きてきた人の生きつく先が無であっていいはずがありません。
こういうセリフもあるんですよね。
この言葉は人生の意義や死後の世界について深い洞察を示しているというふうに思います。
この言葉には一生懸命生きてきた人の人生には必ず価値があって、
その存在は無に帰すということはないという強い信念が現れているなというふうに思うんです。
この考え方は現代社会において非常に重要なんじゃないかなというふうに思います。
私たちは日々自分の人生の意味や価値について悩むことはありますよね。
しかしこのハイターの言葉は私たちの存在そのものに意味があるということを教えてくれていると思うんです。
さらにハイターはこんなセリフも言っております。
私がこのまま死んだら、彼、彼というのはヒンメルのことですね、勇者ヒンメル。
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ヒンメルから学んだ勇気や意思や友情や大切な思い出までこの世から亡くなってしまうのではないかというセリフもあるんですよね。
この言葉は人生の中で築いた関係や経験の価値というものを強調しているなというふうに思うんです。
大切な思い出を持ち続けることが生きる意味につながるという考え方、これが表現されているんですよね。
皆さんも自分の人生を振り返ってみると、これまでの経験や築いてきた関係、それがあなたの人生にどのような意味を与えているのか。
それらの経験や関係を大切にすることで、どのような自分の人生に価値を見出すことができているかということを一度皆さん考えてみてください。
ハイターというのは僧侶でありながらお酒が大好きというユニークな設定なんです。
この一見矛盾した特徴、矛盾というのは何で矛盾かと言いますと、仏教の場合はお酒というのをあまり飲むものではないという解律性が決まっているんです。
おそらくいろんな宗教でお酒というものはあまりポジティブに捉えている宗教というのは少ないのかなと思います。
なぜかというと、お酒というのは人間の判断力を鈍らせてしまう側面がありますから、トラブルのもとなんですよね。
トラブルのもと、すなわち苦しみのもとですよね。
苦しみということを宗教が容認してしまうと、これは宗教が成り立たなくなってしまいますので。
なので、お酒に関しては解律で制限しているというのが多いわけなんですね。
ところがそのハイターというのはお酒が大好きという設定なんですよね。
実は彼の柔軟な信仰感というのも象徴しているというふうに私は捉えました。
彼の言動は厳格な教義、宗教の教えよりも人間的な側面を大切にする柔軟な信仰感を示している。
そんなふうに思うわけです。
例えば、私たちは世界を救った勇者パーティーですよ。死後は天国で贅沢三昧に決まっています。
先ほど紹介したこのセリフ、この言葉には仲間との絆、あとは困難を乗り越えた自信というのが現れているんですよね。
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さらにハイターは魔王討伐の旅に参加したり、千載古事のフェルムを引き取って育てたりというふうにそんな行動をしているんですよね。
これらの行動というのは単に祈りを捧げるだけではなくて、積極的に行動して世界の平和に貢献しようとする実践的な信仰心の現れというふうにね、そんなふうに言えるんじゃないでしょうか。
現代社会においても宗教というものはもはや厳格な戒律で戒律を守るだけが目的ではないんです。
むしろ日常生活の中で心の平安を見出して、そして他者のために行動するためのツールとしての機能をしている、そういう側面もあるんですよね。
皆さんの中にもこんな自分でも信仰を持つことができるのだろうかと悩んでいる人がいるのかもしれません。
でもファイターの姿というのは誰もが自分なりの形で信仰を持って、それを行動に移すことができることを教えてくれている、そういうふうに言えると思います。
日本人は無宗教というふうに考えている方が多いと思いますけれども、でも実際神社とかお寺に参拝をしたりする、あるいはお守りを持ち歩いたりするという人が多いですよね。
この無宗教でありながら宗教的な行為を行うという、そういった矛盾した状況というのは、困難な場面に直面したときに影響を及ぼす可能性があるのかなと思います。
ファイターの天国が実在するかどうかはさほど重要ではないもののあったほうが都合がいいというセリフ。
この言葉は日本人特有の宗教観に一つの示唆を与えてくれているのかなというふうに思います。
絶対的な信仰がなくても何かを信じる、あるいは希望を持つことの重要性というのを教えてくれているのかなと思います。
例えば大切な人を失ったときや、自分自身が死と向き合わなければならないとき、
そんなときに明確な信仰、あるいは宗教的な基盤がないと心の支えを見出すことが難しくなることがあるのです。
でもファイターのこの言葉は、そんなときに希望を持つことの大切さというのを教えてくれているのだと思います。
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必死に生きてきた人の行き着く先が無であっていいはずがありませんというセリフ。
このファイターの言葉は、特定の宗教に属していなくても人生や死に対する哲学的な姿勢として持つことができるものなんですよね。
無宗教を標榜する日本人も、このような視点を持つことで人生の困難な場面により効果的に対処できるかもしれないですよね。
最後に、宗教を心の拠り所として生きることの意義について考えてみたいと思います。
ファイターの人生と言葉は、この点について多くのことを教えてくれています。
私がこのまま死んだら、ヒンメルから学んだ勇気や意志や友情や大切な思い出までこの世からなくなってしまうのではないかというセリフですね。
人生の中で築いてきた関係や経験の価値というものを強調しているものです。
この考え方は、宗教や信仰が単に死後の世界を保障するものではなくて、現世での生き方、人間関係を豊かにするものであるということを示唆していると思います。
現代社会では、科学技術の発展によって、かつては宗教が担っていた役割の多くが他のもので代替されるようになったのです。
でも、人間の心は心の奥底にある何かを信じたいという欲求というのは、今も変わらず存在しております。
宗教を心の拠り所とすることで、私たちは人生の意味を見出して、困難を乗り越える力を得たりすることができます。
また、ハイターのように信仰基盤として他者を助け、社会に貢献することで、より充実した人生を送ることができるでしょう。
さらに、自分以外の何かとつながっているという感覚というのは、孤独感を和らげて心の安定をもたらしてくれるということがあるのです。
これは特に現代社会のように、人と人とのつながりが希薄になりがちな時代において重要な役割を果たすのではないでしょうか。
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はい、結論として、曹操の不利年の僧侶ハイターを通じて、現代の宗教の在り方について考えてきました。
彼の人生哲学と印象的な言葉というのは、現代社会における宗教の新しい形というのを示唆している。
そんなふうに思うのです。
厳格な戒律、あるいは教義というものにとらわれるのではなくて、日常生活の中で自然に宗教や信仰と向き合う。
そして、必要な時は心の支えとして宗教を活用して、さらにはその信仰を行動に移して社会に貢献する。
希望を持って人生の意味を見出して、そして他者とのつながりを大切にする。
そんな柔軟で実践的な宗教観というのが、現代に生きる私たちには必要なのかもしれません。
ハイターの生き方と言葉というのは、宗教や信仰が決して遠い存在ではなくて、私たちの日常生活に寄り添って人生をより豊かにしてくれる力を持っているということを
皆さんも自分自身の信仰や宗教観について今一度考えてみてはいかがでしょうか。
それがあなたの人生をより豊かにする一助になるかもしれないです。
そしてその考えを実際の行動に移すことで、自分自身だけではなくて周りの人々の人生も豊かにできるかもしれないですよね。
ハイターの言葉を借りれば、必死に生きてきた人の行き着く先が無であっていいはずがありません。
皆さんの人生にも必ず意味があって価値があるんです。
その価値を見出して、そして大切にしながら生きていく。
これこそが現代における宗教の一つの形なのかもしれませんね。
それでは本日の話はここで終わりたいと思います。
今日のお話を聞いてご意見ご感想等ありましたらどうぞコメント欄の方へよろしくお願いいたします。
また人生相談お悩み相談等ありましたらスタンドFMのレター機能を使って私の方に直接届けていただければこの放送を通じてお答えすることができると思いますのでどうぞご検討ください。
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はい、では蓮城院副住職の幸文でした。ではではまたね。