1. コウブン和尚の寺子屋ラジオ
  2. #40 修行中の思い出①
2024-07-17 25:29

#40 修行中の思い出①

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「#22 決断するためにしたこと」
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📻 【お坊さんの修行秘話】厳しさの中に隠された学びと成長の物語

皆様こんにちは、蓮城院のコウブンです。今回の放送では、私の修行時代の体験を赤裸々に語ります。20歳と36歳、2度の修行で得た貴重な経験と学びをお伝えします。

🔍 本エピソードのハイライト:
着物の着方すら分からなかった初心者が直面した困難
料理係での失敗と、それがもたらした意外な成長
永平寺での厳しい入門儀式と、そこに込められた深い意味
修行を通じて得た、人生を変える5つの重要な学び

修行の世界は厳しくも、人間的成長の宝庫です。その独特の世界観と、そこから得られる人生の教訓をお届けします。

あなたの人生に新たな視点をもたらすかもしれない、お坊さんの修行体験談。ぜひご聴取ください!

#お坊さんの日常 #修行体験 #人生の教訓 #自己成長 #仏教の智慧
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おはようございます。コウブンです。
多然をしたり、蓮を育てたり、野菜を作ったり、最近ではアートギャラリーの企画をしたりしています。
本日はですね、私の過去についてのお話をしてみたいなと思います。
ここ最近はお悩み相談として、蓮の葉というお坊さんがお悩み相談に答えるサイトに上がっていたお悩み相談文に対して
お答えをするという、そういうやり方でお送りしておりましたけれども、本日はですね、私の過去をお話しするというふうにしたんですね。
何でかと言いますと、私が毎日使っているクロードAI、大変お世話になっているクロードAI、クロさんですね。
このクロさんが、私のスタンドFMのアナリティクスを解析してもらったんです。
その何が一番聞かれているか、何が一番いいねがついているかというのを解析してもらいました。
そしたら、私がね、私の放送の中で一番人気があったのは、一番最初に放送した自己紹介なんですけども、これはいわば募集金みたいなもんですから、これは納刊としまして、
その他のやつを見てみるとですね、人気があるのは、私の過去を語った回というものが人気があるというふうにクロさんは言うわけですよ。
なのでね、そういうお話をした方がいいでしょうとアドバイスを受けましたので、なのでそれに素直に従ってまた過去回を話そうかと思います。
で、そのどんな過去を話そうかといろいろ考えたんですけども、やっぱりね、お坊さんの修行ってどんなことしてるのっていうのはね、結構興味あるのかなって思ってね、私は勝手にそう思ってるだけかもしれませんが、
それでちょっとそのお坊さんの修行時代のことについてお話をしたいと思います。
はい、どこから話そうかな。
私は2回修行に行ってるんですね。
1回目は20歳の時に東京の西麻布にある大本山永平寺東京別院彫刻寺というやたら長い名前のお寺に行って修行に行きました。
そこに1年ぐらいいましたね。
20歳だったんで、その時は。
その前、修行行く直前までですね、私は学生だったんです。
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お坊さんのお寺の世界、仏教のことっていうのは全然興味がなかったもんですから、勉強ゼロの状態で行ったんですよね。
今思えば本当に無謀なんですけども、着物の着方すらもわからない状態で修行に臨んだわけなんですよね。
お坊さんっていうのは着物を着て、あまり着物を着たことない人はわからないかもしれませんけども、着物の下に序盤といわれる下着みたいものを着るんですね。
下着を着て着物を着て、そしてその上に時期凸と呼ばれる衣ですね。
お坊さんが着る装衣、お坊さんが着る服装ですね。
装衣っていうもので、それは時期凸と呼ばれるものなんですけども、その時期凸を着て、そしてその上にお袈裟をつけるというような形なんですけども、それを全く知らない状態でしたので。
まず着物の着方っていうものを習うわけですよ、先輩から。
わかりませんから怒られるんですよね。
その怒られながらやってるうちに、お前名前は何て言うんだっていう先輩に言われるんですね。
名前って聞かれたら、ほとんどの人は自分の苗字を、性を名乗るんじゃないかなと思うんですよ。
私は荒木幸文っていう名前ですので、荒木ですって言ったんですね。
そしたら、違う、お前の名前を聞いてるんだって言うんですね。
え?って思って、また荒木ですって言ったら、違う、下の名前だと言われたんですね。
その時に、ああ、そういうことかと。
確かに名前と言えば、自分の下の名前ですよね、いわゆる、の方を指すわけですから、
名前と言われればそっちを言うっていうのは、その時は初めて気がついたんですよね。
やっぱりお寺内のルールでは、名前をいわゆる音読みで読むんですよね。
私の名前は幸文ですけども、幸文っていう字を見ると、漢字は弓辺にカタカナの無という字をつけて、
工房大臣の工ですね、広いっていう意味なんですけども、その工を広にで、文章の文で普通に読むと広文なんですよね。
それを音読みで読むと幸文なんです。
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その音読みで読むっていうことも知らなかったんで、お前の名前は何て言うんだって言うんで、今度は広文ですって堂々と言ったんですよ。
そしたらですね、また先輩和尚さんに、お前はシャバの人間かって言って怒られたんですよね。
シャバっていう言葉、皆さんには馴染みがないかと思うんですけど、シャバっていうのはいわゆる一般社会っていう意味ですね。
お坊さんの修行している環境からすると、お寺の外に出て一般の生活をしている人たちのことをシャバと、一般の生活のことをシャバと呼ぶんですが、修行じゃない生活ですね。
そのシャバの人間かと、そういうふうに言われたわけです。
知らないからしょうがないだろうって正直は思ったんですけども、ちゃんと勉強して来なかった私がね、やっぱり悪いんですよね。
その修行っていうものに対して、あまりにも準備がなかった。
なので、一生懸命やっている人たちに対してすごく失礼ですよね。
いきなりね、そうやって無礼なことを先輩にしてしまったというわけです。
そんな形で修行に入りまして、いろんなね、大変な思いはあったんですよね。
何が一番大変だったか、東京の修行で、東京別院の修行で大変だったのは何かと言いますと、
天祖陵と言われる料理係ですね。
お寺の祖祖宗の修行の中で料理係は天祖と言われるんですね。
字で言うとですね、天は自転の天ですね。
のりという音も読みますね。
座は座。座ると書いて座。天座って書いて天祖と読むんですね。
お寺の中の世界というのはですね、そういった独特な言葉を使えてまして、
知らないとね、ちんぷんかんぷんなわけなんですけども、
ともかくその天祖という役職につきまして、その料理係につきまして修行をしてたんです。
そしたらですね、ある時、何でしょうね、何だったかな、
詳しいことは覚えてないんですけども、
はい、失礼しました。
確かカレーか何かを作った時に焦がしちゃったんですよ。
火が強すぎて。
ああいうドロドロっとしたものを作る時は、火加減っていうのは大事ですから。
そこね、早く作りたいから、早く仕事を終わしたいみたいな気持ちがあって、
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火をね、ガンガン強火にしてやったら焦げちゃったんですね。
で、もうちょっと食べてみたら焦げ臭くて、とてもじゃないけど食べれないということで、
だけど捨てるわけにはいきませんから、それを提供しててね、大目玉です。
ものすごく怒られました。
いろんな人から、先輩からも怒られましたし、
私たち修行僧を指導してくださる老子ですね、先生みたいなお坊さんがいるんですけども、
そういう方々からも怒られました。
そしてその料理係を仕切っている先生方がいるんですね、その老子が。
その料理係のところの指導の老子からもですね、ぴろく怒られまして、
お前らは、もう一人札幌がいたんですけども、
二人でね、2週間ずっと当番をやれと、料理係のメインの仕事をやれと言われたんですね。
この料理係のメインの当番、仕事というのはですね、
朝、そうですね、確か3時起きちゃったかな。
とにかくみんなよりも相当早く起きなくちゃならないんですね。
そして朝のご飯の支度をしながら、その日の食べる料理の調理をしながらと。
とにかくですね、結構肉体的にきついんですよ。
そういった料理当番をしながら、料理の心得というものは分かっていないという理由でですね、
2週間ぶっ続けてやりました。きつかったですね。
毎日毎日料理を作って、料理を作ること自体は好きだったんで、
それはいいんですけど、やっぱ朝早く起きて、そして仕込みをやっていて結構忙しいし、
なかなかの重労働だったんですよ。
それがすごく良い思い出ですね、今思うと。
私は今も普段料理をですね、やるんですけども、
やっぱりね、その経験があるから多少の困難があってもね、何とも思いませんね。
料理めんどくさいと思っても、あれに比べたらって思えるんですよね。
結果オーライでいうことで良かったということでした。
それが東京での思い出ですね。
他にもいろいろあるんですけども、東京での1回目の修行の思い出はこの辺にしまして、
その後ですね、私は2回目の修行に行きます。
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1回目の修行1年で終えて、その後サラリーマンを16年にやりまして、
36歳、37歳に差し掛かるぐらいで会社を辞めてですね、
そしてまた2回目の修行に行くというわけなんですけども、
その修行に行くまでのエピソードというのは前回お話をしました。
そのお話はですね、概要欄の方に貼りますので、もしよろしければ聞いていただければと思います。
そこは飛ばしまして、2回目の修行ですね。
2回目の修行というのは福井県にある大本山永平寺というところに行きました。
その永平寺に、1回目の修行は東京の東京別院なんですけども、2回目は本家ですね。
本家のお寺、大本山永平寺に行きました。
そこに行った理由としましては、前回お話の方でも言ってるんですが、
1回目の東京別院のときに、やっぱりすごく東京の土地でやってるもので
スケールが小さいので全体的に人数も少ないですし、
なのでその大本山永平寺というところに憧れがあったというのがまず第一の理由として、
第二の理由としては、永平寺を開きになった道元伝寺という方がいらっしゃるんですが、
この歴史の中でも習っているはずなんですけども、おそらく皆さん覚えている方は少ないかと思います。
総統宗を開いたとされている道元伝寺。
その道元伝寺の霊廟ですね、いわゆるお墓ですね。
お墓が永平寺の中にあると。
やっぱり総統宗の僧侶、お坊さんとしてそこにどうしても手を合わせたいなという気持ちがありまして、
それもあって永平寺というところに行かせていただきました。
【咳き込み】
その永平寺で修行を始まったわけなんですけども、今回は2回目の修行ですので、
年はだいぶ取りましたけども、2回目の修行ということで、勝手がある程度わかっているんですよね。
総統宗の修行というのはですね、最初に安芸所といわれる、本格的に修行に入る前に準備をするための場所があるんですね。
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安芸所と呼ばれる場所がありまして、そこに立ち寄って、
本格的に修行に入る前の準備をするんですが、そこで先輩からいろいろ指導があるわけです。
やっぱり同じように着物の着方だの、大きさの付け方だの、しゃべり方だの、いろんなことを習うわけですね。
私はもう1回経験済みですので、こういうことが始まったなって思いながらやっていたわけです。
その時に、私と一緒に同じ日に修行に入った人は6人いたんですけども、
ちょっとね、こういう言い方は良くないんですけど、私はその安芸所に到着したのが2番目だったんです。
一番最初の人は大変だから、いろんな役割があるから、それを知ってたんですね、私は。
ずるいんですけど、どうしても一番は嫌だなと思って、2番目に行こうと思って。
安芸所に行く前の道路のところで、誰か行かないからって待ってたんです。
何人集まるかって知らなかったんですけど、とりあえず待ってて、予想が行ったら次行こう、2番目に行こうと決めてたんですね。
そしたら案の定、やっと1番目に、修行の安芸所の方に向かう方がおりまして、その後に続いて、私も後を綴ったというわけなんです。
そしてね、目論み通り2番目になって、良かった良かったと思ってたんですね。
その方、すごく活腹が良かったんですよね。
端的に言うと太ってたんですよね。太ってて大丈夫かなって、少々思ったんです、最初に見た瞬間に。
若干不安そうな表情に太ってる体型、修行についていけるかなって正直思っておりました。
はい、失礼しました。
そして私の次の人、3番目に来た人もですね、これまたすごい巨感の人ですね。
来まして、大丈夫かなって、ちょっと思いだからね。
その後、残り3人くらい来て、計6人だったんですけども、私の前に体の大きい人、私、そしてまた体の大きい人。
すごい圧迫感がある中でね、先輩の指導を受けたわけですよ。
で、その体の大きい人、1番目の人も3番目の人も、やっぱりね、自信がないんですよね。
で、その不安さっていうのが表情に出ちゃいまして、それを先輩もね、見てて、まあ至極わけですよ。
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私はね、2回目だったんで、なんとなく率なくこなしてた。
だからあんまり先輩からね、叱られることはなかったんですけども、その2人がね、ガンガン指導されるわけですよ。
いろんな言葉をかけられてね、苦しそうだなぁなんてちょっと思ってたんですけど、まあこれも修行だからしょうがないかって思ってたんです。
そしてですね、その半減少の本の指導が終わって、いよいよ本格的な修行を入るためにですね、
お寺の門の部分、三門と言われる門があるんですけど、そこにですね、まずは整列しなくちゃならないんです。
そこで、木板と言われる木でできた板、そこをですね、木槌で叩いて、3回叩いて、そうすると、その門に到着しましたという合図なんですね。
そうするとですね、また別の先輩の和尚さんが来て、まあもう凄み、何て言うんですかね、とにかく怖い苦みを聞かせた和尚さんが出てくるわけですよ。
そういう役回りなんですけども、とにかく最初の修行僧が三門に立つときはですね、それまでの常識というものを徹底的に砕くんですね。
いわゆる我ですね、我欲というものを徹底的に壊すんです。
なので、もう凄くね、超パワハラですよ、今考えると。何言ったって怒られるんですか。正解だと思われるようなことを言ったとしても怒られる。
超パワハラな世界なんですけど、まあそれは、いわば通過儀礼なんです。私はそれを知ってました。
なので、三門の門のところに立って、先輩からお前は何しに来たんだと問われるんですね。これも知ってました。
なので、私はね、それなりの答えをしたんです。恐らく、まあ、何て言うんでしょうかね、ずるいんですけど、
まあ、その修行に来た目的としては、間違ったことは言ってない、ような内容だったんですね。
でもね、何か言われて、まあとにかく怒られたんです。
もうちょっとお前ら冷静になって考えろって言って、一回その先輩和尚さんは聞くんですね。
帰っちゃうんです。で、またしばらく、まあ30、40分ですとかね、ちょっと時間は覚えてないんですけど、しばらく経ってて、
で、そのまた、そのいろんなことを考えさせる時間をくれるわけです。
で、また先輩和尚さんが言って、なんだお前らまだいたんかと。
いや、あんたが考えろって言ったんだろうって思いながらもですね、いたんかって言われて、
そして、また同じ質問を食べるわけです。
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で、まず調子を怒られながらも、次はですね、ちょっと励ましになるようなアドバイス的なことを少し言いながら、
じゃあまあね、お前のやる気はわかったと、じゃあこの門をくぐれというようなやり取りがあって、やっとそれで入門することができるっていう、
まあそんな流れなんですよね。
で、その時に、例の体の大きい二人、一番目と三番目です。
なんかね、もう待ってる時点でグラグラしてるんですよ。ただ立ってるだけですよ。
そういうのにグラグラしてる。
なんかね、すごく嫌な予感がしたんですね、その時に。これはまずいぞと思ったんです。
そしたらですね、入門して、部屋にね、通されるんですね、その修行僧が最初に入る部屋があるんですけども、
そこで最初の7日間を過ごさなくちゃならないんですが、まあまあそこは厳しいんですよ。
ちょっと座りっぱなしですし、断るごとに先輩和尚さんに怒られますし、
まあとにかく最初の7日間っていうのはすごく苦しいわけなんですけども、
何回も言いますけど、私は2回目ですので、だいたい流れはわかってるんです。
だから、それは苦しくないって言ったら嘘ですけど、それでも流れを知ってるから、
なんとか対応はできたんです。
だけど、その1番目と3番目の和尚さんはですね、やっぱりきつかったんですよね。
やっぱりね、耐えられなくて途中で帰っちゃいました。
よくあることなんです、これは。
バラだって言われたらそれまでなんですけども、
まあけど、そのね、修行というものは学校じゃないんですよね。
学びに来るというのはあるんですけども、そういう面もあるんですけども、
自分の生き方というか、それまでの自分がどういうふうに過ごしてきたか、
それと仏教というものに対してどれぐらい真摯に向き合うのかとかね、
いろんなことを考える時間なんですね、修行中というのは。
で、それに対してどれだけの覚悟があるんだということで、
先輩方は厳しく接してくるわけです。
でね、その帰っちゃった2人は、簡単に言うとその覚悟が足りなかったというわけなんですよね。
それで私は目論みが外れてですね、1番目になってしまったんですよ、その日の中のね。
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1番目っていうのはいろんな役割を与えられるんですね。
先頭に立って、ただいろんなところを歩かなくちゃならないですし、
何かそういうご挨拶をするときは代表で私が挨拶しなくちゃならないとかね、いろいろあるんですけども、
そういったわけで私はね、2番目の愛平寺のときは小ずるいことをやろうと思ってたら、
見事に目論みが外れてね、大変厳しい修行をスタートすることができたというわけなんですよね。
ちょっと気が付いたらだいぶ話しちゃったんで、今日はここまでとしたいと思います。
今日のお話を聞いてご感想、ご意見等ありましたら、どうぞコメント欄の方にお願いいたします。
またですね、お悩み相談などありましたら、データ機能を使ってですね、直接私の方へメッセージをいただいても大丈夫です。
ファンレターでも大丈夫です。よろしくお願いいたします。
はい、ではですね、前条院の公文がお送りいたしました。ではでは、またね。
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