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おはようございます。コウブンです。
阿禅をしたり、酢を育てたり、野菜を作ったり、最近ではアートギャラリーの企画をしたりしています。
さて、本日もですね、私の修行時代のお話の続きをお話ししたいと思います。
なぜですね、こんな私の修行時代のお話をしているかといいますと、最近話題の生成系AIの中のクロード3.5というものを私はよく愛用しているんですが、
このクロード3.5に私の今までの過去の放送した内容を解析してもらったところ、思い出話、過去のことを話すというのが一番人気があると思います。
なので、そういったものを話すのが良いでしょうというアドバイスを受けましたので、素直にクロード3.5、クローさんの言っていることを素直に聞いて、それを話しているというわけなんです。
昨日はですね、私が2回目の修行に行って、そして門の前、入門するところまでですね、
門の前に立って、先輩和尚さんに怒られて、そしてやっと入門したというお話をしました。
今日はですね、後半、2回目のお話としましては、修行中のお話、そして帰り、修行が終わってからのお話までお話をしたいと思います。
昨日お話した通り、やっとこの思いで入門したわけです。
私と同じ日に修行に入った6人のうち2人が脱落してしまって、私を残して4人という形になってしまいました。
私の同じ日の4人というのは、やっぱり一番苦しい時間を共に過ごすわけですから、とても絆が深いわけなんですけれども、
これがですね、なかなか面白いメンバーでですね、大変でした。
もしかしたらね、私と同じように修行に行ったお坊さんであれば、みんな私の時も大変だったと言うとは思うんですけれども、
私は私で大変でした。何が大変だというと、
いつもですね、その4人で最初のいろんな先輩から指導を受けるんですね。
昨日は着物の着方というお話をしましたけれども、他にも一番大変なのが、
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王陵器と言われるお坊さんが使う食器があるんですね。
ちょっと特殊な食器なんですけれども、イメージで言うとロシアで有名な、ロシアの有名なおもちゃ、マトリョーシカみたいにですね、
大きい器にそれより少し小さい器が入って、それよりも小さい器が入って、そういう形で4つぐらいですね、
それがすべて食器になるんですね、並べると。そういう形で王陵器と呼ばれる名前で、そういう食器があるんです。
そのお坊さんが修行中に使う食器、それが王陵器なんですけれども、
その王陵器はすべてその、何て言うんでしょうか、作法があるんですね、1から10まで。
福砂に包まれて、福砂というのは何でしょう、ハンカチみたいなものですね。
ハンカチみたいなものに包まれて、それを広げて、そして王陵器の下に敷く、下敷きみたいなものが折りたたみになって入っているんですけれども、
下敷き、ランチョンマットみたいなものですね、それを敷いて、そしてマトリョーシカみたいになっている器をですね、
1個1個出して、並べて、お箸を並べて、というのを一連の流れというのをですね、
すごく綿密に決まっているんですね、これをやったら次はこれをやる、そんな形で決まっていまして、
これを習うときにですね、4人のうち、私ともう1人はそれなりにできたんですけれども、
私はね、もう経験済みでしたから、しかも予習もしていきましたから、ほぼなんなくこなしたんですが、
もう1人の人はまあ少し大変そうでしたけど、まあ普通に覚えていました。
で、残りの2人ですね、この2人がね、なかなか覚えられなくて、
覚えられないと、いつまでも先輩の指導が続くわけですよ、ずっと、延々とね、それがね、もうとにかく長くてね、
私も口出してこうしたり、ああしたりって言いたいんですけど、それ言っちゃうと先輩の役割を取っちゃいますから、
それは言えないんですね、先輩に任せて。
先輩の方も後輩を指導するのは、あまりない、そういう経験がない方だったんで、うまく説明できないんですよね。
それで、まあね、本当に、相当時間がかかってやっと覚えてきたってね、
そういったことを繰り返しながら、まあ修行というのは進んでいくわけなんですけども、
そうですね、全部話していたら時間がないんで、よく覚えていることを言ったらですね、
お寺の朝っていうのは、夜寝るのは多然堂で寝るんです、相当週の場合ですよ、相当週の場合は多然堂で寝る。
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朝3時半になったらですね、大きいベルみたいな鈴、大きい鈴を使って起こすんですね、
その多然堂の中で鳴らして、ガランガランって鳴らして起こすんです。
そういうのがあるんですけども、それを修行に入って、最初の方に任される役割なんですよね。
震霊っていうんですけども、震、鈴と書いて震霊っていうんですけども、その震霊の役割を任されると。
で、その多然堂内をチリンチリンとガラガランって鳴らしてみんなを起こしたら、
その後は、お寺の何て言うんでしょうかね、多然堂から出てですね、
お寺中を走り回って、お寺中の人たちを起こすんですね。
多然堂に入っているのは修行僧だけなんですけども、
他のお堂にいる人たち、他の建物にいる人たちは、各部署の当番、
いわゆる部署で専門でその日仕事をする人たちっていうのが、
多然堂で寝ずにですね、各当番の当番所で寝てるわけなんですけども、
そういう人たちを起こすために走り回るんです、寺の中をですね。
永平寺というお寺は大変広いお寺ですので、上回り・下回りっていうのがあるんですね。
上回りって何かというと、永平寺っていうのは斜面にお寺が建てられておりますので、
時計回りで回るんですが、歩道ですね、ぐるっと大きく一瞬をするんですけども、
その時計回りで回る上回り役と下回り役っていうのがあるんですね。
いきなりは走れませんから、なので最初に心霊の役に就いた人の横にくっついて、
後ろに突き回る、そういう練習みたいなのがあるんです。
2回ぐらいやるのかな、確か。
その後は本番で自分一人で走らなくちゃならないんですけども、
これがですね、暗いし、速いし、道が複雑で全く覚えられないんですよ。
どこ走ったか全然わからないんです。
これは困ったな、全然わからないぞと思って、昼間明かるうちに確認したいなと思っても、
永平寺のルールで、つまり勝手にいろんなところを歩いてはダメっていうルールがあるんですよ。
すごく異常なルールなんですけども。
だからルートを確認するってできないんですよね、実質的に。
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こっそりやればもしかしたらできたのかもしれませんけども、
やっぱりそういう新人が道を迷うっていうのも先輩はもう知ってますから、
うろちょろしてたら、当然見つかったら怒られちゃうわけです。
なので実際は見えないと。
いざ本番が始まって、私が最初に任されたのは上回りです。
上回りを行ったら途中で道間違えちゃって、どこ行っていいかわからなくなっちゃったんですね。
しょうがないから少し戻って、なんとかルートを思い出してですね。
やっとゴールっていうか元の座電堂まで戻ってきたんですけど、
迷っちゃったから遅いんですよ。
遅いと帰ってきたタイミングで別の合図が始まるわけですから、
始まるっていうふうに決まりがあってですね、
いつまでやっても帰ってこないから進まないんですね、エヘジの中の行事というか朝のルーティンが。
それでまた怒られてですね、
なんとも言えない気持ちでした。
予習することを許されないのに間違えるなってね、そういった理不尽みたいなパワハラですよね、これも。
そういう状況だったんですけども、それまで全ての宗教僧が経験しているわけです。
なので一応怒るんですけど、そんなに実は怒らない。
それを何回も、5回も6回も間違えたらさすがに大変なことにはなってくるんですけども、
最初の方は怒られるにしても、はい初めてだからしょうがないかみたいな感じで怒られて、そんなことがよく覚えております。
あの特殊な状況を映像があれば一発で伝わるんですけど、ないから言葉で伝えるのは非常に難しいですよね。
ともかくですね、そういった朝の神礼という役割、そういったのがよく覚えているものの一つですね。
そんな形で修行の方、1年間平平寺に修行に行ったんですけども、いろいろあったんですが、
なんだかんだで修行を終わりにする日が近づいてきて、そして私はですね、修行の締めくくりとして平平寺、平平寺というのは福井県にあるんですけど、
平平寺から歩いて栃木県の私のお寺、蓮城院まで歩いて帰ってきました。
修行僧は必ず歩いて帰るわけではないんですけども、
だいたい毎年80人ぐらい入れ替わりがあるんですが、入ってくる人が80人、やめる人が80人という形なんですけども、
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その中の3人ぐらいは毎年歩いて帰るそうです。私がいた当時はね。
なのでそのうちの1人だったわけなんですけども、
だいたいですね、平平寺から栃木県の私のお寺まで約700キロぐらいですね、距離でいうと。
これをですね、約3週間、24日間かけて帰ってきました。
一応これも修行のひとつとして、私の中でですよ、修行のひと筋、これはやらなくてもいいんです。
さっきも言ったように、そのお寺、平平寺を出たら、そのあと新幹線で帰ってきても全然いいんですけども、
私はちょっとね、2回目の修行ということもありましたし、真剣に僧さんをやりたいということを志していたので、
なので歩いて帰る、そういうふうに決めたわけなんですね。
どんな格好で帰ったかと言いますと、アジロ傘って言われるですね、頭にかぶる傘。
そうですね、イメージで言うと、難しいですけど、ベトナムの農家さんがかぶってるのってわかりますかね、
頭の上に傘をかぶってる。あんな感じの傘をね、昔の僧さんがかぶったらしいんですよ。
それをね、今も伝統的に私どもの宗派、曹洞宗ではかぶるんですけども、
それをかぶって、で、頭丸めてますから直にかぶるとですね、すりむいちゃうんで、接触部分が。
なのでですね、頭にタオルを巻いて、そのアジロ傘と言われるものは頭につけて、
そして体に着ている服装はですね、卓厚、卓厚っていうのは、これもまた説明が難しいんですけども、
時々京都とかそういったお寺がいっぱいあるところに行くと、手に器を持って立っている人、
それでいろんな人から施しをもらう、お金だったり、お米だったり、食べ物だったりとかね、
そういうのを、いろんな人から施しを受けることを卓厚って言うんですけども、
この卓厚をするときの格好ですね、普通の、昨日ちょっと説明した衣を着て、着物を着て、
荘園を着て、そしてお袈裟を着てっていう格好ではなくて、それを簡略したやつですね、少し歩きやすいように簡略したもの、それを着てですね、
腕には鉄鋼と言われる、今で言うとアームガードみたいなものですね、鉄鋼を着けて、
脚にはキャハンというもの、これも脚を守るものですね、これはレッグガードと言ったらいいんでしょうか、今で言うと、
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脚元は本来は藁地なんですけども、藁地というのはですね、すぐ摩耗しちゃうんですよね、
なのでとても長距離というか700キロも持たないということで、昔の人はたくさん藁地をあらかじめ作っておいて、腰に下げてですね、
擦り減ったらこう返してってやったみたいなんですけども、ちょっとそれは大変だということで、私は自家タビを履きました。
自家タビというのはよく飛び職の人が履いている、あれですね、タビに、タビって言われる靴下の、
先割れ靴下みたいなものに、下にソールがついてるんですね、ゴムのソールがついてて、それを自家タビって言うんですけども、
その自家タビを履いて歩いて帰ってきました。自家タビにお坊さんの格好して帰ってきたというわけですね。
手には尺錠と呼ばれる杖ですね、シャリンシャリンと鳴る杖ですね、それを持って歩いて帰ってきたというわけですね。
当然ながら3週間もかかるわけですから途中止まらなくちゃいけないですね、宿泊しないとならないんですけども、
これはですね、途中の道中にあるお寺さんに寄って、総統宗のお寺ですよ、総統宗のお寺に寄って、
で、止めてくださいってお願いをして、いいよって言ったら止まる形ですね。
だいたいお願いしたら7割くらいの確率で止めてくれるんですけども、3割くらいはちょっといきなり帰っても困ると。
あとはその時に住職さんがいなくて、住職いないから分かりませんって言って、
まあそりゃそうですよね、怪しい格好したお坊さんがいきなり来て止めてくださいって、
住職じゃなければ知らないですからそんなこと、怪しいっていうことで、それで断られちゃうと、そんなこともありながら帰ってきたんです。
断られた時はどうするかというと、そこはお金を出して泊まりました、ホテルにね。
その当時はまだ今みたいにインバウンドっていうのはそんなに多くなかったんで、
割と当日でも泊まれたという感じですね。今だったら大変ですね。
まず泊まることを本当に早めに早めに決めなくちゃないですよね。
そんなこともなく、いろんなところをテンテンとしながら帰ってきて、途中ね、同じ修行仲間のお寺に泊まったりとか、
あるいは私の古い友人ですね、学生の時の友人のお宅に泊まったりとか、そんなことしながら700km、3週間かけて歩いて帰ってきました。
最後ね、私の妻、奥さんがお寺のところで待っててくれてね、
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あと父の父と母も待っててくれてね、帰ってきた記念に撮影をして終わったという、そんなことが私の修行中の思い出です。
ただただちょっとね、この思い出をしている、思い出話をしているだけで、これを聞いている皆さんにとって役に立つ話ではないんですけども、
こういうことがね、もうやったりもするんだよっていう、ぽくぽく今日読んでるだけじゃなくて、
一応ね、修行というものをやったんだというところだけ少し伝われば、少しでも伝わればいいなという、そんな思いでお話をさせていただきました。
はい、今日のお話を聞いて感想、ご意見などありましたら、どうぞコメントの方へ。
また、お悩み相談等ありましたら、データ機能を使ってですね、直接私の方に寄せていただければ、ぜひお答えさせていただきたいと思います。
はい、では連常院副住職の幸文でした。ではでは、またね。