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2025-08-16 11:38

#281 お施餓鬼とは「幸せおすそ分け」

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お盆の特別編。今回は、お寺でこの時期に行われる「施餓鬼供養(せがきくよう)」について深掘りします 。

「餓鬼に施す」と聞くと少し怖いイメージがあるかもしれませんが、実はこれ、「幸せのお裾分け」の実践なんです 。

誰かに幸せを分けることで、自分もまた幸せになる。そんな「幸せの循環」を生み出す仏教の智慧を、住職がわかりやすくお話しします 。

番組の最後には、お寺で開催する怪談イベント「百鬼夜行」のお知らせもありますので、お聴き逃しなく!

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サマリー

お施餓鬼は亡くなった方への供養であり、幸せを共有する儀式です。この儀式では、供養を通じて自らの幸せを他者と分かち合う重要性が強調されています。特にお盆の期間中に行われるこの行為は、多くの縁でつながっていることを再認識させます。

お盆と供養
どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で、福住職をしております。
昨日は金曜日で、毎週恒例の金曜日の金次郎というのを送る日だったんですが、
現在お盆の期間中ということで、若干私くしが忙しいというのもあり、
お盆の期間はお盆のことをお話しした方がいいなと思って、
今回は金曜日の金次郎はお休みして、お盆のお話をまたしたいと思います。
前回もお盆のお話をさせていただいたんですが、
お盆とは人生の振り返る期間であると、そんな結論でお話をさせていただきました。
それにさらに一歩踏み込んだお話を今日はしていきたいなと思うんです。
というのは、このお盆の期間中、お盆の期間中だけではないんですけど、
お寺では背書き供養と呼ばれる法要をやるんです。
背書き供養、聞いたことあるかな。
書きという言葉、六道輪廻のうちの一つの書きなんですけども、
人間は亡くなると六つの世界に生まれ変わるんだという輪廻転生という考え方があります。
輪廻転生する先が六つの世界であると言われていまして、
人間の世界というのもその一つに入っております。
もろもろいろんな世界がある中で、書きという世界もあって、
そこはとにかく、いつも欲しい欲しいというむさぼりの心というのは絶え間ない。
ずっと続く。欲しい欲しい。欲しいと思っていても叶わなくて、
それはずっと続くという、そういう世界なんですね。
それは書道の世界と言われるんですけども、
その書に対して食べ物を施す儀式というのが背書き供養ですね。
ちなみに総統集では背字記供養と呼んでおります。
ちょっと表現の仕方が違うだけで中身は一緒ですね。
とにかく一般的には背書き供養と言われているものですね。
そういう儀式はやるんでしょう。
お寺に、どこかのお寺のお段下さんという形で、
お寺に出入りしている方だったら見たことがあるかなと思うんですけども、
それ以外の人はなかなか見る機会がない。
レアなというのかな。
お寺ならではの儀式なんですよね。
このお背書きというのはどういうことかというと、
私の解釈ですけども、
これは幸せのお裾分けの儀式なんですよね。
お裾分けの意味
どういうことかというと、
まず、そもそもこのお裾分けという言葉。
すごく心が温かくなるような、そういういい言葉なんですけども、
自分が誰かからお裾分けしてもらう。
例えば、ご近所の人が野菜を作りすぎちゃったよという時に、
野菜作りすぎちゃったからと言っていただいたりとか、
そういうことってあると思うんですよ。
これは田舎ならではかもしれませんが、
ご近所付き合いの中でそういうこともありますよね。
他にも会社、職場、
そういうところで、どこか旅行に行ってきたから、
お土産買ってきたよということで、
それをいただいたりするということもありますよね。
その逆に、自分がどこか旅行に行ったら、
お土産というのを職場の人、お世話になっている人に渡したりとかもありますし、
あるいは自分の家で家庭菜園などをやっていたら、
ちょっと余っちゃったものをご近所さんに分けたりとか、
そういうお裾分けというものって割と身近にあるし、
しかもそのお裾分けという行為、受ける側も与える側も、
やっぱり気持ちがいいですよね。
すごく嫌だということではないと思うんですよ。
少なくとも私はそのように受け取っているんですけれども、
やっぱりちょっとしたものでもいただければ嬉しいし、
やっぱり誰かの役に立っている、
誰かが笑顔になるということを感じれば分け与えることで、
そのように誰かが笑顔になるということが分かるのであれば、
やっぱりそれはそれで嬉しいし、
そういったお裾分けという行動自体というのは、
すごく自分にとって嬉しいことですよね。
一方でお話が急に変わるんですけれども、
私たちって普段生きていること、
すごくたくさんの御縁の中に生きているという事実ってありますよね。
前回のお話でもそうですけれども、
ご先祖様、私たちのご先祖様というのはたくさんいるんだよってお話をしました。
ちょっとおさらいしますと、
私たちの親の世代というのは2人、
おじいちゃんおばあちゃんの世代は4人、
そういう形でどんどん遡っていくと、
10代前になると約1000人、
20代前になると約100万人、
それくらい膨大な数がいて、
私たちというのはたくさんの御縁があっているんだ、
今現在命があるんだ、
あと食べ物なんかも、
食べ物を食べるまでにいろんな人がいろんな苦労をして作ってくれた食べ物、
それを私たちは当然のようにいただいている部分はあるんですけれども、
よくよく考えたらこれって大変なことだよね。
だからそういう今命があるということに対して、
これはありがたいこと、幸せなことなんだよっていうようなことを感じることってありますよね。
そんな私たちの幸せという、
普段の生きている幸せというものを、
先ほども言ったガキと呼ばれるような形をとりながら、
ガキ道に落ちた人に食べ物を施すという宗教的行為を通じながら、
自分が誰かに幸せをおそ分けするという、
そういう施しをするという実践が背が利くよというわけなんですね。
だいぶわかりにくかったですね。
もうちょっとスーッとスマートにお話しできればいいんですけれども、
すごく伝えなくちゃ伝えなくちゃという思いがありすぎて、
結局周りくどくでよくわからない感じになっちゃいましたね。
ともかくお盆によくお寺で行われる儀式、背が利くよというものがございまして、
それは私たちが普段受けているたくさんの御恩、幸せというものを、
この儀式を通じていろんな人に還元しましょうという、
そういう儀式なんですよね。
なんでそんなことをするのかというと、
さっきも言いましたけど、おそ分けする行為というものは、
それ自体でもう私たちというのは満たされるんですよね、すごく気持ちが。
幸せを感じるんです。幸せを分けることで幸せを得るんですよね。
幸せの循環
そういうわけで、こういう幸せを循環するという考え方、
これをこの儀式を通じて実践していただいて、
さらにそれを皆さんの日常に活かしていただきたいというのが、
これがやっぱり背が利くよの肝の部分なんですよね。
つまりこの儀式に参加しながら、こういうことってあるんだなということを感じて、
じゃあ自分であったらどうすることができるかなというふうなところまで思いを巡らせて、
そしてそれを実践する。自分の得た幸せを他人にも分け与えて、
誰かが幸せになればそれがまた自分の幸せとなるというような、
そういった循環を作っていく。これが背が利くよでございます。
今日はこの辺で終わりたいと思います。
もし背が利くよの詳細の部分を知りたいのであれば、
また別の機会で使ってお話をしたいと思います。
ではここで今日のお話は終わりたいと思います。
今日のような仏教に関することであったり、あるいはちょっとした疑問ですね。
お坊さんってなんで頭丸めてるのとか、そういったことだったりとか、
あとは人生相談、お悩み相談などそういったものがあれば、
概要欄の方にリンク、フォームのリンクが貼ってありますので、
そちらの方からぜひともご質問等いただければ必ずお答えいたします。
よろしくお願いいたします。
それと8月の24日日曜日に私のお寺蓮城院にて百鬼夜行という会談のイベントが行われます。
ぜひともこれを聞いている方、参加していただきたいと思います。
特に今回の百鬼夜行を行うにあたって特別な御衆院というのを企画しております。
特別なデザインですね。
いつも私のお寺、御衆院というのは積極的にはやってないんですけども、
こういう時に少しでも来た方に満足感を得てほしい、来てよかったと思ってほしいという思いから、
そういった御衆院を作成することになりました。
そういった特典もありますし、また会談というテレビでは昔よくやってましたけど、
今はやっているのかな、よくわからないけど、
そういったことを聞く機会というのもそんなにないでしょうから、
楽しむ意味でもぜひとも参加していただければと思います。
詳しくは概要欄の方に公式ページのリンクを貼っておりますので、
どうぞそちらからご覧になってください。
はい、というわけで蓮城院副住職の幸文でした。
ではまたね。
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