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ニューコモン商会のラジオローカリアンズ!
東京から静岡の地元に戻り、企業・田舎で生活する中谷と高林の2人がローカルで暮らすことで見えてきたちょっと未来を、コモン共有地として発信していく番組です。
Uターンやローカルの今をお伝えしていきたいとおもいます。
いやー、久しぶりです。
いや、だいぶ久しぶりですね。
本当に。
今日はまた二股に戻ってきたと。
おかえりなさいませ。
ありがとうございます。
そんなところで早速いきますか。
早速今日のゲストをご紹介というところで。
studio calm代表、包商店店長、店主、西村のりひこさんです。
こんにちは、西村です。
こんにちは。
よろしくお願いします。
やっぱり僕らにとっての、ある種兄貴的存在であり、かっこいい大人っていうところでの代表格というか、っていう風なイメージを持っている。
そうですね。まさに兄貴という感じで。
今日は色々何について聞いてきたかっていう。
そうですね。まだ肩書きだけしか説明ができていないので、ちょっと西村さんの方にご自身の活動ですとか、いろいろお伺いできればと思いますが。
簡単に自己紹介をお願いします。
studio calmが家具のデザイン制作とか、空間デザインとか、木工作家として活動している方々、天竜の双肩で去年からアイスクリーム屋、包商店をやっています。
なんでも屋です。
なんでも屋さん。
なんでも屋です。
便利屋です。
でも確かに、インマイライフの空間デザインも実は西村さんに手掛けていただいておりまして、もちろん中の重機なんかも制作いただいてるんですけども、本当に多彩だなっていう印象が強くてですね。
なんかその多彩っていうところで言うと、例えば音楽でも何か投げれば絶対返ってくる。
ああ、こんなのいいよとか。
そうそう、とか、これがねっていうところでスパッと何か返ってくるものが。
そうなんですよね。
そこら辺どうやって知見というかみたいなものを身につけていらっしゃったのか、そこら辺を知りたいなっていうふうに思うんですけど。
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大将の引き出しみたいなものをどうやって作ってきたかみたいな。
それを聞いてみたいですね。
教えてください。
どうですか。
超ざっくり出した。
自分がね年齢がもう40の後半になるんで、やっぱ若い頃はインターネットがないっていう時代で育ってきて。
何か一つ情報を仕入れるように本当に自分の足を、足とか本当に本を読み漁って一つのことにたどり着くっていう感じで。
その一つのことにたどり着く過程でやっぱりいろいろ寄り道しないとたどり着かないっていう。
なるほどね。
その寄り道が蓄積されていろんな知識になっているのかなっていう感じがあるかな。
何かその寄り道っていうところで言うと、ちょっとだいぶ昔に戻りますけど、小学校とか中学校の頃とか。
何か今の石村さんの姿からはその時の姿ってなかなか見えてこないものがあるんですけど、どんな方だったんですか。
普通の子供だったけども、何かこうおもちゃ買うとすぐにバラしてみたいな。
変臨が。
バラして仕組みを知りたくなるっていうか。
やっぱ変臨がね。
バラして元に戻せなくて泣いたりとか。
なるほど。どんな仕組みで動いているのかみたいなのが気になっちゃう。
そっかそっか。
こんにちは。
こんにちは。
すいません、今日お休みです。
申し訳ないです。
すいません。
入ってきやすいですよね。
そうですね。
フラーっとね。
なりづらいっていうのはあるかもしれない。
やっているのかやってないのかっていうところもね。
やっぱさっきも小学校の子たちが、小学生の子たちが入ってきたけど、入りづらさありますよね。
そっかそっか。すいません、何かちょっと脱線しましたけども。
そうすると、ラジコンとかそういうことですか。
ラジコンもマイティーフロックとかグラスポッパーとかその辺の時代のやつで、やっぱり普通に組むんじゃなくてちょっと改造をすぐしたくなって。
そんな感じですね。
お小遣いなんて一切貯めずに好きなものを全部買ってしまうという。
そんな子供でした。
小中学生ぐらい。
そのすぐ使っちゃう癖っていうのは結構これまで治るっていうか。
治らない。
治らない。
現在進行形。
それもまた使っちゃう。
あれだけ使っちゃう。
いやでも分かるな。
なるほどなるほど。
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でも強烈に欲しいみたいなのがやっぱり出てくるものと出会うことがあるともう我慢できないって感じですか。
もう我慢できない。
そうっすよね。
それはあれですか中学校に入ってとか。
いやもう本当に小さい頃から小学生とか低学年ぐらいからお年玉もらっても1週間で使っちゃうっていう。
そういう子供。
全く同じだ。
なるほど。
中学の頃は何をあれなんですか。
ハマってたというかそれこそ収集してたんですか。
中学の頃はやっぱ音楽とあとファッションはもうその当時ちょっとファッションなんて言うと恥ずかしいような。
ファッション雑誌はエロ本ぐらい恥ずかしいような。
隠れて買うような時代で。
なんですかなんですか全然わからない。
男がオシャレなんて興味持ってんじゃねえとか。
ちょっとナンパな感じがしちゃう。
そうそうそうそう。
なるほどなるほど。
そうか。
なるほどな。
ポパイとかそういうのもまだあるのかないのかぐらいだったってことなのかなどうなんだろう。
ポパイはあったけどホットドックプレスとかそういうのがあった時代。
ほぼエロ本です。
そうだね。
まだ宝島がパンク雑誌だった頃。
なるほどなるほど。
すごい雑誌もありですね。
すごい偏見を得てるんだなって。
なるほどな。
例えばファッションみたいなものって雑誌ももちろんそうですけど実際にお店をやっぱり歩いて。
その頃から古着は好きで。
自分の姉さんが三つ離れた姉さんがたまに東京に買い物行ったりすると古着の大丸一枚買ってきて頼んだりとか。
なるほど。
そういう感じだった。
当時浜松とか掛川に古着屋さんってあったりしたんですか?
ない。
なかったというか知らなかったかもしれないけど。
そうするともう雑誌とかで見てこういうのがあるんだけど近くにはないっていう状況がずっと続くみたいな感じで。
そう。
やっぱり結構スタンドバイミー映画。
あれに憧れて。
その頃調べてこれはリーヴァイスだ。
年代とかね全然わかんないんだけど。
ヘインズのTシャツに501にオールスターみたいな。
なるほど。定番の雨風というか。
そうそう。
そこでそのスタンダードみたいなものを築いていったというか。
別にそのスタンダードっていうふうに意識しないでもそれが後にスタンダードになっていったっていうふうな感じなんですかね。
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そういうことだよね。
なるほど。
結構アメリカが好きみたいなのは意識せず。
そうやっぱりアメリカ映画にはすごく影響されて。
あとブーニーズとか。
ETとか。
確かになんか色褪せないですよね。
そうだね。かっこいいって感じだよね。
今になってもオパーとかにはやっぱりそこらへんの話題を乗ってくるだろうし。
何回も何週もリバイバルしてるみたいなね。
そうですね。普遍的なものですよね。
スタンダードって感じだね。
なるほどな。
あと音楽。
音楽は?
音楽は小学校ぐらいから、やっぱり高学年ぐらいからビートルズとかあの辺が好きで、その辺のCD買ったりして聴いてたかな。
なんかオーディオとかもお好きでいらっしゃるじゃないですか。
オーディオにハマり始めたのは割と後って感じですか?
オーディオは高校くらいかな。
もうDJ機材を買ったりとかして。
でもやっぱりオーディオ高いんで、社会人にならないとなかなか買えなかったんで。
社会人になって一番最初に車でも何でもなくローン組んでオーディオを買ったっていう。
だいぶ普通じゃないですね。
普通っていうあれがちょっともう当てはまらないというか。
中学の頃ってそれでもやっぱり、とはいえ中学生じゃないですか。
もちろん女の子に興味があったりとか。
部活とかね。
そこら辺はどうだったんですか?
その辺はもうけんせんに普通の中学生。
部活は何やってらっしゃったんですか?
部活はね、テニス。
ソフトテニスですか?
ソフトテニス。
で、高校もですか?
高校はね、公式のテニス。
結構がっつりちゃんとやってた。
高校に入ってからはどうでした?
高校に入ってもやっぱり変わらずずっと好きなものはあって。
でもやっぱり周りの田舎の高校、中学もそうだけど高校なんで。
分かち合える人がいないなって思ったんだけど。
高校の時にリュウドサイン。
田辺リュウド。
あれが同級生で。
なるほど。
で、そこでこう。
そこか。
刺激し合ってっていう。
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なるほど。
周りにすごくたくさんカルチャー友達がいたわけではないっていうか。
本当にそうですよね。
通じ合えるのはリュウダダくらいかなっていう。
なるほどな。
でもいいですよね。
浅く広くっていうよりかは、割と深くグッと入り込める友達。
慣れ合うじゃないわけじゃなく、高め合えるじゃないけど。
そういう友達がいるっていうのはやっぱり羨ましいなっていうふうに思いますね。
今でもやっぱりお互い、向こうからも刺激をすごく受けてるんで。
いい関係だなと思って。
インスパイアされ。
そうですね。そのまま仕事にもつながってたりとかね。
なるってなかなかないですよね。
高校時代かな、リュウダさん。
あれですよね。ミックスのセンスというか、いろんなカルチャーみたいなものを吸収して、
それをアウトプットするっていうふうなところのセンスというか。
そこら辺がやっぱり秀逸だなって、西村さんはいつも見てて思ったりするんですけど。
そういうものって好きなものっていうのを、例えば中学・高校とかで身につけていって、
どこら辺からそういうものを発露するようになったというか、表現するようになったんですか?
どこからなんだろうな。
自分で意識が全然ないんだけど。
何かを作って誰かに披露したみたいなものでいくと、何が最初なんですか?
一番最初は何だろう。
自分で作ってとなると、社会に出てから一回ちょっと社会からドロップアウトして、
そこら辺ちょっと秀逸みたいな。
レザークラフトとかそういうのをやってたので、そういうのを商品にしてお店に卸し始めたっていうのが最初になるのかな。
なるほどな。ちょっと待ってくださいね。
今の話はちょっと通り過ぎれないバージョンが入ってたね。
ドロップアウトとは?
ドロップアウト、そう。
ちょっとやっぱり色々社会に出てからもうちょっと馴染めなくて。
最初はサラリーマンというか会社で働いてたんですよね?
意外かもしれないけど、最初は美容師だった。
高校卒業してから?
ちょっと色々あって東京進学決まってたんだけど、父親が亡くなったりとかっていうのもあって、
こっちに残って、何やろうかな、美容師でもやるとかっていうのも。
これ今日初めて聞いたぞ。
初出し情報かもしれない。
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国家資格も取ってお客さんも入ってたんだけど、やっぱ違うなと思って。
とりあえず辞めて、辞めてもやっぱり食い口作らないといけないんで。
物作って売ってっていう、そんなところがやっぱり自分の表現で最初だったのかもしれない。
表現っていうところで言うと。
なるほどな。
高校生の時に、ちょっと前に聞いた話ですけど、
服を買ってきてそれを売ってたっていう話を聞いたんです。
それどうやってやってたんですか?
その頃まだそんなにビンテージの年代を調べるとかっていう。
そういうのが全然、やっぱり情報がない時代だったので、
自分の足使ってこのタグ、この刺繍とか、この文字が違うとか。
そういうのである程度年代とか価値とかがわかるんだけど、
やっぱり田舎だとそういうのも全然情報がない、届かない。
でも古い商店街のつぶれたスポーツ店にビンテージのナイキが入るぞっていう情報が入ると言って、
もうこっからここまで全部くれって。
買い占めて、それフリーマーケットとか、
あと高校の時に昼休みとか、学校でフリーマーケットとか買ったりして。
そんなことをやってました。
面白いですよね。
商売の基本もやってたってことですね。
なんかあれですよね、僕が高校生になった頃って、
例えばそういうことをやるやつって周りに一切いなかったんですよ。
授業中席離れるやつもいなかったし、
なんかお利口なやつらばっかりだったんですけど、僕も含めてですけど。
こっからここまで高校生だったらやっていいっていうのを結構軽々しく飛び越えていくのって、
やっぱり5個10個上の人と僕らの世代とまたちょっと違う感覚があるかもしれないですね。
よく授業行かずマージャンやってたとかさ、
部室でアダフォーダみたいなのを聞いたりするけど。
そういう明らかなルール違反というか、そういうのはあまりやらなかった。
ただグレーゾーンはフルに活用するっていう。
塀の上を歩いてたってことですね。
学校で何か売っちゃいかんとか、そういう拘束はないんで。
まあ確かに。
そういう部分は載ってないからいいんじゃないっていう感じで。
いやー面白いな。
そっか。
で、美容師でレザーのクラフトだったりだとかを届けつつ、仕事自体はそれ一本だったんですか?
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もうそれ一本で食べてた。
それは何歳ぐらいの時なんですか?
それは本当に22から25ぐらいまで。
レーサークラフト。
そのぐらいはそれで食って、本当に昼夜逆転の夜から物作ってっていう。
そんな感じになって。
いや、これちょっと社会戻れねえなっていう。
どうやって戻ればいいんだろうっていうところまで。
当時の活動拠点はどこだったんですか?
活動拠点は掛川。
掛川で。
ぐっていうとどこかのお店に下ろして。
そう、お店に下ろしてっていう。
そういうのの開拓も自分でしたですか?
どういうふうにそのお店は繋がっていくんですか?
馴染みのお店みたいな。
知り合いのお店から始まって、あと口コミでちょっと広がっていったっていう感じかな。
そっからは何か別の道というか。
そっから本当にちょっとどうしようって焦りもあったんで、
このままどうやったら食っていけるんだろう、社会に戻れるんだろうっていう感じも思いつつもやってたんだけど。
そんな時、設計事務所、エンジニアの機械設計の事務所の社長に声かけてもらって、
ブラブラしてるなら打ちこいよっつって。
そこは出会いがあったんだ。
じゃあお願いします。
そこで社会復帰。
そうそう、社会復帰して。
そっから結構長くエンジニアをやってた感じかな。
なるほどな。
エンジニアをやってその時の生活。
とはいえ今までの変遷みたいなものを伺ってると、なかなか抑えきれないものとかあったんじゃなかろうかとか思うんですけど。
でもね、エンジニアの仕事も面白いしやりがいがあったんで。
もんもんとしながらも、エンジニア20年くらいやってたのかな、会社。
ちょっと一回転職もしたりしながら。
まあでも、100点じゃないけど、まあいいかなぐらいの妥協できるぐらいだったから続けられたっていうのがあるね。
逆にサラリーマンだと、働く時間と休みがパリッとはっきりしてて、
あれ程度使えるお金も出てくると、さっきのスピーカーじゃないけど、いろいろ収集しちゃうみたいな、そういうのもあった?
収集壁はもうずっと続いてた。
なるほど。
でも今まである人、趣味だったりだとか、自分が作りたいとか売りたいっていうふうな思ったものを売ってたところから、別のものを売るだったりだとか提供するっていうような側になって、
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逆にその趣味っていうふうなところに落ち着いたっていうか、ところに関しては何か違和感みたいなものっていうのは感じなかったんですか?
意外と適応できるタイプなので。
なるほど。逆にそれが今に生きてるなとか、そういうのってあったりしますか?感覚として。
やっぱり社会性とか、交渉力っていう部分だったり、図面を描くスキルとか。
あとプレゼントとかいろいろやったりっていうのを会社で経験してるんで、割とその辺は役に立っているのかなっていうふうには。
確かにそうですよね。アイディアとかスキルが奇抜だったりオリジナルでも、結構それ伝えたりするのに。
本当に企業の。
僕も今の聞いてすごいそうだなと思うけど、結構そういう組織で働いてた経験とかって生きる瞬間ありますもんね。
やっぱり休止、クオリティコントロールとか、社内提案とかっていうので、常に良くなる向上していけるような提案をしていく。
常に考えていくっていう考え方はすごい役に立っています。
確かに確かに。
次回へ続く。