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2025-10-02 36:53

#24-4 詩の力について | 詩人 菅原敏

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起業家、科学者、クリエイター、新時代を導くプロフェッショナルの原動力に迫るインタビューシリーズ。

第24回目のゲストは、詩人 菅原敏さんです。

番組では「プロジェクトデザイン」の視点から対話し、プロジェクト成功の秘訣を探ります。

<ハイライト>

もし詩が水だとしたら、どんな器に入れられるのか?そんな独自な視点を持ちながら詩を書き続ける菅原敏さんが大切にされていることを丁寧に伺いました。

詩の力が人の活力やプロジェクトにどのように作用していくのか、その可能性について考察しています。


菅原敏

詩人。2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』で逆輸入デビュー。「群像」「すばる」などの文芸誌や新聞・雑誌での執筆活動を軸に、毎夜一編の詩を街に注ぐラジオ番組「at home QUIET POETRY」(J-WAVE)、 mitosaya 薬草園蒸留所と共同制作した燃やすとレモンの香る詩集『果実は空に投げ たくさんの星をつくること』、またラジオやテレビでの朗読、ギャラリーや美術館でのインスタレーション展示など、幅広く詩を表現。

Bottega Veneta(ボッテガ・ヴェネタ)、GUERLAIN(ゲラン)、SONY、NIKE、Starbucks Coffee、LUSH、THREEなど、国内外の様々なブランドとのコラボレーションも多数。

アメリカ(ポートランド州立大学)、ロシア(サンクトペテルブルク・プーシキン博物館)やポーランド(ワルシャワ日本大使館)など、海外からの招聘で国際的な朗読活動も行なっている。主な講演に東京国際文芸フェス、六本木アートカレッジ、Google (US)主催のデザイン・カンファレンス「SPAN」など。

Superflyや合唱曲への歌詞提供、東京藝術大学大学院との共同プロジェクト、美術家との共同制作など、音楽やアートとの接点も多い。また、その声を生かしてナレーションも多数手掛けている。

近著に『かのひと 超訳世界恋愛詩集』(東京新聞)、燃やすとレモンの香りのする詩集『果実は空に投げ たくさんの星をつくること』(mitosaya)、『季節を脱いで ふたりは潜る』(雷鳥社)『珈琲夜船』(雷鳥社)。

近年では長崎県壱岐市、福井県小浜市、広島県尾道市など地方創生やまちづくりに関わる詩作や、ラジオJ-WAVE『QUIET POETRY』、『NIKE LAB RADIO*』の ディレクション、香りにまつわる製品のプロデュースなど、〔もしも詩が水なら〕をテーマにさまざまな器に詩を注ぐ活動を展開している。

プロデュースを担当したアロマディフューザー「Lei」は、世界三大デザイン賞に数えられるドイツ「Red Dot Design Award」「iF Design Award」をはじめイタリア「A’Design Award」(銀賞)、アメリカ「Chicago Good Design Award」、日本「グッドデザイン賞」など、世界各国で10を超えるデザイン賞を受賞。

東京藝術大学 デザイン科 非常勤講師

J-WAVE「at home QUIET POETRY」ナビゲーター


■詩人 菅原敏

https://sugawarabin.com/

サマリー

詩人の菅原敏は、詩集作りのプロジェクトについて語り、自身の詩が生まれる背景や思考過程を深く掘り下げています。また、作品のテーマや執筆時のルーティン、他者に作品を見せることの意義についても考察しています。詩の朗読を通じて、菅原は新しい状態での詩の届け方を模索しています。特に、コロナ禍を背景にした電話朗読室などのユニークな試みを通じて、詩が人々に寄り添う方法について考えています。このエピソードでは、詩の力や詩人としての自由な表現について述べられ、菅原の視点から詩の魅力が深掘りされています。また、詩を通じて新しい発見をし、創造的な生活を送ることの重要性が強調されています。

詩集作りの意義
プロジェクトデザインルーム、引き続き菅原敏さんとの会話を進めていきたいと思います。
あっという間にパート4ということで、ありがとうございました。
ありがとうございました。
ずっと楽しいですけれども、このプロジェクトっていうことに少し軸足を置きたいなと思っていて、
冒頭もお話しされていましたけど、詩集を作るっていうのが、
一つこの詩人にとってのプロジェクトの典型なのかなとも思っていて、
なので、あえてこの詩集を作るということを題材に、このプロジェクトにまつわるご質問をちょっとしていこうかなと思っています。
で、一つ目がきっかけみたいなテーマでお話ししたくて、
一冊作るって結構な数、やっぱ数十の詩が入りますよね。
これ、やっぱテーマから決めるんですか?
が多いですね、今から。
じゃあそのテーマを考えるっていうのはどういう思考なんですか?
自分の場合、例えばこの最新観のコーヒーよ船というものに関しては、
ちょっと元をたどっていくと、
私自身が初めて詩の連載をしたのが、
スターバックスコーヒーのウェブサイトで、
一日一遍、かすかにコーヒーが香るような、遠くに喫茶が見えるぐらいな塩梅で、
詩を一日一つ書いてもらえませんかっていうようなお仕事があったんですけども、
10年以上前にあって、
その当時から自分自身が喫茶店でコーヒーを飲みながら詩を書いていることがすごく多くて、
なんか嫉妬コーヒーが常にセットにどこかでなっていたところはずっとあったんです。
それもあって、いつか何かかすかにコーヒーが香るようなというか、
コーヒーを題材にした詩集をいつか作ってみたいなという気持ちはどこかあって、
過去の10年分ぐらいの詩のアーカイブを自分なりに見たときに、
一応この本のテーマが、旅と喫茶がテーマになっているんですけれども、
旅や喫茶、コーヒーにまつわるような詩編のアーカイブもだいぶたまってきたって、
ここらでちょっと一冊まとめてみたいなっていう気持ちが一つと、
詩の創作過程
実はこの本に関しては刊末にエッセイが収められていて、
もともとは群蔵という文芸師のために書いたエッセイだったんですけれども、
それが自分の祖父母と祖母が入れてくれた初めてのコーヒーのことを書いたエッセイがありまして、
それを書いたことが一番大きなこの本を作ってみようかっていう理由になっていて、
なのでこれに関して言うと、このエッセイが生まれたことで過去を振り返って、
こういうテーマでこのエッセイを柱に詩集を作ってみたらいいんじゃないかなっていうのと、
このタイトルがコーヒー夜船というタイトルなんですが、
白川夜船ということわざが私はすごく好きで、江戸の頃だと思うんですけど、
昔々男が京都見物に行ってきたよと嘘をついたところ、
友人が白川どうだったと聞かれたらしいんですね。
でも実際には行ってないから、白川と言うからには川だろうと。
ちょっと夜船で揺られて寝てたから、あんまり覚えてないんだよね白川のことみたいなことを嘘ぶいたらしいんですけども、
白川っていうのは当時から地名のことであって川ではなかったんですよね。
そこから転じて白川夜船ということわざの持つ意味として嘘をつくことというのと、深い眠りに落ちることという2つの意味があって、
私はその校舎の眠りに落ちる白川夜船という意味合いが好きで、
なので眠りにちょっと一滴カフェインを落として夢と現実を行き交うような船みたいな本ができたらいいなと思って、
ちょっと現実が夢になったり夢が現実になったりとか、
その夜の海をちょっとコーヒーに例えながら、
一冊の船と言いますか、小舟のような本を作れたらよいなというような。
いいバックストーリーを聞きまして、これあんまり損なくない感想なんですけど、
マジいいんですよ、この緑色の本。皆さん買っていただきたいんですけど、
ありがとうございます。
本で見ていただきたくて。
確かに夢うつつ感はありました。
今こっちの視点だな、変わったなとかもすごく感じて、
最後のエッセイがこの後書きに変えてっていうところだと思うんですけど、
これがすごかったんですよね。
そのまんま1ページ目に戻ってもう一回読み直しました。
そうだよな、こういうことがあって出てきたんだっていうのが、
二度見しちゃう感じの面白さがあって。
嬉しいです。やっぱりその後書き読んでから読むと、
刺繍自体がまた全然違う表情になってくれると思うので。
そうですよね。このじいちゃん、すごい乱暴そうな気もするけど、
自分にもそのじいちゃんの要素ありそうだなとか、
きっとすごくいろんな人生が詰まったご家族、ご家計だったんだなみたいなことも面白い。
なので毎回本作りに関しては異なる成り立ちではあるんですが、
やっぱりひとつテーマのようなものから出来上がることが多いですね。
ありがとうございます。
例えば他のストックもあったりとか色々する中で、
時代の空気みたいなものとかちょっと考慮されていたりもしますか。
あんまりそこは気にせずですかね。
そうですね。さほど強い意識はないですけど、
やっぱり今の社会に生きている一員として少なからずご影響は絶対受けていると思うので、
すごくパーソナルなことを描いているとは思うんですが、
もう何十年後かに見たらその時代を帯びているようなものもあると思うので、
やっぱり多少はあるんですかね。
そうですか。
それこそテーマが決まった後に新たに描くものも。
そうですね。基本の発掘作業みたいな感じで掘り返したものがほとんどなんですけれども、
何ペンかは新しく、今の自分が描く紙みたいなものも入っていて。
ありがとうございます。
ちょうど2つ目の生み出すっていう質問とちょっと混ざってきたので、話題を進めていきたいんですけれども、
これはすみません、ただのファンが気になって聞いているだけみたいな質問なんですが、
さっき喫茶店でみたいなお話もあったんですけど、
生み出す時って一人ですかとか、どこにいることが多いですかとか、
逆にルーティンにしていることはあるんですかみたいな、
そういうことを少し伺ってみてもいいですか。
もちろんです。
基本的にはずっと一人で筆筆中は誰かといるっていうことはないですね。
描く時は、それこそ喫茶店で描く時もあれば旅先で描いたり、
旅の行き帰りとか、感情の揺れている時なんかは、よく日記のようなものを残しているんですけれども、
そういったものが詩になることも多いですし、
あとは朝のまどろみの時間に詩を書くことが結構多くて、
だいたい締め切り当日の朝なんですけど、
夜の間中ずっと考えていて、一回眠ることで何かきっと整理される部分もあるのかもしれないんですが、
朝のまどろみの意識と無意識の間に詩を書くと、
意外と段であれば結びつかない文言文脈が結びついたりとか、
何かある程度整理された上で新しい繋がりが生まれたりとか、
自分にとってのホント、タイムって言うと変ですけど、
あと最近その時間頼みになってきて怖いなっていうのはあるんですけど。
朝の自分に後は任せたみたいな。
必ずしも出るわけではないんですが、
すごくはかどる時間でもあって、やっぱり午前中の朝起きた瞬間とか、
だから布団の中で、いつも枕元にそういうときは紙とペンを置いて寝るんですけど、
まどろみながら書いてるんで、時々その線がダーッとなって落ちてるみたいなのがあったり、
やや枕カバーにインクがついてるみたいなこともあるんですけど、
割とその時間が自分にとっては大事というか、助けられている時間ですね。
すごい詳しいではありませんが、共感したりすることもありますし、
自分の家庭の中で言うと、朝ってやっぱり家族が、子どもとかが一番バタバタする時間なんですけど、
むちゃくちゃロックオンされたようにパソコンにしか見ついてる自分とかを、
よく自分自覚していて、
いや、なぜ今って多分なってると思うんですけど、そこなんだよなみたいな。
これをちょっとBさんの言葉を借りて家族に説明したいなと思いましたが。
もう一つね、その生み出しで気になったのが、途中で誰かに見せたりとか、
その反応をまた栄養にして再編集するとか、そういうことってあったりします?
エッセイとか断片の小説みたいなものですと、
途中でその編集さんに見てもらって、っていうようなことはあるんですが、
詩に関しては途中で誰かに見せるということはなくて、
完全に最後、旅立てる状態にしてから送り出すみたいなものなので、ないですね。
作品の届け方
じゃあもう本当自分って感じですね。
そうですね。でもきっと時には良いんでしょうね。
違う風が。
そうですね。
それがやっぱりノイズになることを恐れてる自分もいると思うんですよね、その外からの風って。
でも逆にそれがノイズではなく、とても良い風になる場合もありますもんね。
そうですね。これは別にどうして欲しいっていうことは何もないんですけど、
あるインスタレーションの作品を思い出して、それは衣装をテーマにしたインスタレーションで、
最終的にはこの一章がワードになっていて、それが展示されている状態なんですけど、
タイピングしてし始めてから終わるまでの、やっぱり全部消したりとか、
途中でここの言い方を直したりみたいなことが、
全部履歴として映像に残るような作品が見たことがあって、すごく素敵だなと思うんですけど、
なんかやっぱりその途中みたいなことにまた別の意味とか味とか。
面白いですもんね。
やっぱそれ辞めた上でこれなんだみたいなこととかは、
なんかこう覗いてみたい好奇心みたいなのはちょっとあります。
確かにいろんな葛藤や揺らぎが出ますもんね。
そうですよね。
特にやっぱり死の場合は、骨から肉を削いでいくような作業に近いなと思っていて、
小説は逆に骨組みに肉をつけて形作っていくような感覚があるんですけど、
やっぱりどこまで削ぎ落とすのか、削ぎ落としすぎていないかとか、
なるほど。
一回肉を戻してみるとか、
なんかきっとそういう工程を毎回経ているので、今の話でちょっと思い出しましたね。
そうですか。すみません、好奇心で聞いてしまいましたが。
でもなんかそういう画家が塗り直ししたりするみたいにね、またなんかお洋服の着せ替えとか、
そういうこともされるんだなっていうのはよくわかりました。
じゃあ次のテーマなんですけど、届けるっていうふうにしてて、
これはもう今日何度も多分出ているその器、
石が水だったとして、どういう器があるかなっていうのもあると思いますし、
はたまたマーケティングみたいな観点もあるかもしれないですけども、
出版をする、本屋とかAmazonで売ってるっていう以外の方法とか、
詩の朗読の新しい取り組み
最近やってみたいなとかありますか、届けるという意味で。
届ける。
少し前に一編の詩の朗読を売る店っていう、菅原朗読展というお店を開いたんですけど、
それは銀座の森岡書店さんという一冊の本だけを普段売っているお店なんですけれども、
そこで一緒に森岡さんと何か一緒にやりましょうっていう話になったときに、
一緒に一冊の本だけ売られているので、一編の朗読だけ売っても面白いかなと思って、
お正月に1回、そして8月に1回で、これまで2回やらせてもらったんですけど、
お豆腐屋さんが豆腐1丁売るような感覚で詩の朗読を売るといいますか、
詩の朗読が1ペンイクラで、コーヒーがついてますと。
素敵ですね。
お店にテーブルが1つ、椅子が2脚あって、待ち合いといいますか、待ってる方用の椅子があって、そこに皆さん座って、
他の人に読んでいる詩の朗読も待ってる人も聞けるような感じなんですけど、
どこかクリニックのような診療所のような処方箋を出しているような感覚もあって、
おみくじのように詩を引いてもらうというか。
選ぶ感じじゃないですね。
いろんな届け方をしていて、リクエストがあればそれを読みますし、
例えばそのページ数で番号、ナンバーからナンバーまでで選んでくださいっていうものもあれば、
私がその12ヶ月の季節をめぐる詩集を出していて、誕生日に即した1ペンがあるので、それを引いてもらったりとか、
いろんな詩の選び方はあるんですが、その1ペンの詩を売るっていうのは、
自分としてもより個人商店感を感じられる楽しい時間だったので。
面白いですね。
親さんみたいな。
昔、僕もAmazonでKindleがこれだけ普及してるんで、
一冊買いじゃなくてページ買いしたいのにって思ってた時があったんですけど、やっぱりできなくて。
それができてるっていうのが面白さもありますね。
本当に、なかなか自分自身も日にそんな何十ペンも詩を読んだことなかったので、
でも本当に皆さん選ばれるし、リクエストも様々だったり、いろんなところからいらしてくださったり、
普段そんなに頻繁に朗読会みたいなこともしないので、
やっぱりこういう実際に読んでくださっている方たちに直接声を届けられるっていうのは、
とても貴重な時間だなと思ってやらせてもらっていて、
コロナ禍における声の届け方
実際にその前作の季節を抜いて二人は潜るという詩集を出した際には、
本当にコロナ禍最中に出した本だったので、そういう朗読会とか出版記念イベントなんかも何一つできない状況だったので、
何か声でも朗読届けられたらなと思って、
刊末に袋閉じをつけて、そこに電話朗読室という、私の電話番号を袋閉じの中に記して、
本を買ってくださった方は一人様一編限りではあるんですけれども、
その袋閉じの番号にかけてもらえると、毎週木曜日に決まった時間にかけてもらえると、
一編詩の朗読を私がお届けするっていうすごい袋閉じをつけたりして、
やっぱりそれもコロナ禍でね、人に会えない状況で一番シンプルに声で伝える方法は何かなって考えたときに、
電話って何百年も前からある一番シンプルに声で親密さを持って伝えられるんじゃないかと思ってつけたんですけれども、
やっぱりその時だったから声伝え方が浮かんだのかな。
なるほどな。面白いです。
何ていうんですかね、外部の要因とかも多分あったんだと思うんですけど、
コピーさん、企画者としての脳みそもすごくあるなと今すごく感じてますし、
特に距離感のデザインがすごく上手いなって思っていて、
もちろん文字を通して本で作者との距離を少し感じることもありますけど、
まあ間近くで、それこそ朗読を一遍ずつ売ることもあれば、
これまた電話とかって結構離れてるけどむちゃくちゃ近い距離感の存在感じゃないですか。
ちょっとこの少し音声品質が落ちた感じとかも含めて。
そうですね。
距離を詰めたくてやられてるわけじゃないと思うんですけど、
結果なんかすごくいろんな距離感をデザインされるような届け方、
法案されてるんだなって。
なるほど。距離感、自分では気づかなかったけど、面白いですね。
そう考え直すとまた別の届け方も思いつきそうだなとかすごく思いますし、
さっきのバスボムのやつとかもすごくいいなと思っていて。
なるほど。
なんでかっていうと、裸な状況で詩を読んでるっていうのが、
またちょっと日常だけど普通じゃない状況っていうか。
そうですね。完全に無防備ですよね。
そうですね。それまたちょっと違う感じ方ができるんだろうなみたいな。
すごく面白いなって思いますね。
じゃあ残り2つなんですけど、4つ目は広げる、拡張するみたいなテーマを持ちたいと思ってます。
詩自体は根本で言えば自己表現っていうためのツールだと思うんですけれども、
これちょっと仮の話として、詩がプロジェクトを進めるためのツールだとしたら、
どんな作用がありそうだろうかみたいなことをちょっとこれはもう想像してみたいっていう話で。
なるほど。
さっきちらっとね、そんな話も出ましたけれども、
みんなでキックオフしたときにお互いの詩を読んでみるみたいなこともあったかもしれないし、
もしくは既存の誰かが書いた詩をできてみてどうこうするとか、
なんかいろいろありそうだなと思っていて。
なるほど。
これはブレスト的に今ちょっとお話ししたかったんですけど。
そうですね、なんかその一遍の詩があって、それをどう解釈したかみたいなことを話し合えるととても面白いんじゃないかなと思って。
やっぱり解釈が本当に異なってくると思うんですよね、一遍の詩をどう読むかっていうところが。
で、それによって解釈の幅と言いますか、それぞれ違う解釈がある中で、
なんかその際から生まれるものとか、何かもしビジネスに何かその詩を用いる一遍の詩が既に掲げられていて、
っていうことであれば、なんかそれぞれその余白に何を見出しているのか、
書かれていない部分にきっと書かれているものがたくさんあると思うので、
みんなで一遍読んで、自分はどう感じて、どこに未来を感じるのかとか、
なんかそういうひとつの何ですかね、きっかけになる指針、コンパスみたいなものになる。
詩を通じたコミュニケーション
面白い。それは、まずすぐやれそうだし、やってみようって今思います。
結構やっぱりその、読書会じゃないけど、特にビジネス詩とかだと、やっぱりみんなの価値観を合わせたいとか、
言葉の定義を合わせるために、これ読んどいてとかたまにやるんですね。
最近だとやっぱりその組織の再設計みたいなことをするために、
やっぱりみんなの価値観を合わせたいとか、言葉の定義を合わせるために、
リーダーシップとマネジメントってちょっと意味が違うよね、みたいなことをやるために、
本を読んでもらったりするんですけど、結構ヘビーで、
どこが学びになったかみたいなことのシェアは、そういう読書会とかを通してできるんですけど、
なんかその人の感性みたいなものを知る作業には何か、
あんまならないなっていう気がしていて、
でもなんか一編の詩をとにかく読むって、それがどこがどう感じたのかっていうのは、
やっぱりそのパーソナリティに触れられそうな気がすごくしましたね。
そうですよね。
たぶんびっくりするぐらいみんな違う、
そこが面白いところでもあるんですけど、
それはいいですね。
それぞれに詩を書いてもらうのも、その人の透けて見える面白さありますけど、
詩の解釈にも大きくその人が現れそうなので、
そのどの一編をチョイスするのかみたいなことの偶発性とか、
この状況にはこれだろうみたいなことの選抜とか、
そういうの考えるのも面白そうですね。
そうですね。
やっぱり、あと、もし何人かでチームでみんなで一編の詩を作ってみるっていう作業も、
逆の道筋にはなると思うんですけど、それもすごく面白くて、
私が大学なんかでも教えて、使っている手法ではあるんですけど、
各自、自作の詩を持ち寄ってきてもらった後に、
それをみんなで一編の詩を作ってみるっていう作業も、
私が大学なんかでも教えて、使っている手法ではあるんですけど、
各自、自作の詩を持ち寄ってきてもらった後に、
それをちょっと細かく切って、お料理のように、
一行で切ってもいいし、単語で切ってもいいですし、一文字で切ってもいいんですけど、
自分で書いてきたものを素材として提供して、
3人なり4人なりチームで紙の上に指で動かしながら、
言葉を持ち寄って一編詩を作っていく。
そうすると、頭の中では絶対結びつかないような、
言葉の結びつきが、フィジカルの指の動きによって、
ちょっとちっちゃい爆発みたいに勝手に生まれてしまうことがあって、
とても良い刺激になると言いますか。
面白い。じゃあ元々は一編書いていくんですか、それぞれが。
そうですね。書いてきてもいいですし、自分の好きな詩を、
例えば一編ずつコピーしてもいいし、逆に詩じゃなくても、
例えば自分の好きな何らかの本の1ページを持ってきて、
それを素材として、コラージュの素材として切ってしまって、
持ってきた自分のジャガイモ、かぼちゃ、にんじんみたいな、
どんぐらい切るかはその人次第で、
千切りにしてもいいし、細かくね、いじん切りにしてもいいけど、
それで1枚の紙の上に糊で貼っていったりして、
一編みんなで紹介でいくと、ハードルは少し下がるというか、
1から全部想像してやろうとすると大変ですけど、
ありものの素材で組み合わせを楽しみながら、
チームでコミュニケーション取りながらタイトルはどうしようとか、
この文章の次にはこっちの方がいいんじゃないかとか、
そういう作業、あまり普段経験することないと思うので。
いいですね、いいですね。
明らかに正解がない作業。
本当にそうなんですよね。
最終的にそれを声に出して読んだ時に、とても演劇的になるというか、
自分の持ち寄った言葉をその人の声で読んでもらうと、
一編の詩の中にいくつもの声が存在するというか、
そういう声にすることでも、
詩の体験、言葉の体験を新しく感じることもできますし、
機会があれば。
やってみます、それは。
よくアートをビジネスの現場に持ち込むトライって結構いろいろあると思うんですけど、
絵を描いてみようとか、粘土で彫刻っぽいものを作ってみようとか、
やっぱりちょっとこの、得て不得てがすごく出そうというか、見た目に出るので、
それがやっぱり難しいなと思うんですけど、
詩の力と自由な表現
やっぱりこの日本語でつながっているとか、ある言語でつながっているということにおいては、
誰しもができるハードルであるっていうのもすごくいいなと思いましたし、
すごくこれは今皆さんやれることがあるとすごく今感じている人が多いかなと思っていました。
ぜひ。
ありがとうございます。
最後なんですけども、ちょっと思い切ってフリーテーマにしたいなと思っていて、
今日お話しされてみて、
ビンさん側でちょっと思いついているテーマというか、逆に質問いただいてもいいかもしれないですけど、
最後せっかくなんで、テーマをいただいてもいいかなと思っています。
テーマ、そうですね。
どこかでブレたいんだっておっしゃっていたことが結構強く印象に残っていて、
あえて迷ってしまいたい、少しはみ出したいっていう、
なんかその感じは自分も確かにあるのかなと思いながら言っていて、
いわゆる詩人として詩集を書いて、本を出して、
っていう定型と言いますか、もちろんすごく大好きなことなので、本を作ったりすることは、
これからも作り続けていけたらいいなと思うんですが、
どこかでそこからはみ出したい自分も折々で顔を見せるので、
きっとその感覚が一緒なのかなみたいなことを感じて。
なるほど。自分のラベルを別に今あまり気にされていないみたいなお話も冒頭ありましたもんね。
そうですね。
そうですか。何かをやるってことは何かをやらないことの選択な気もしていて、
僕それがちょっとあまり好きじゃないのかもしれないですよね。
やりたいって思ったら全部やりたいっていうのがあって、
よくそこを組織として動いていくときとかはやっぱりメンバーと意見が割れたりすることもあるんですよ。
何でもやりすぎてると得意ゾーンがちゃんと表現されないんじゃないかとか、
そういったファンが作りにくいんじゃないかみたいな話であるとか、
そういうときに一番やっぱりブレやすいメンバーが自分だなって思っていて、
そこは確かに結構あるかもしれないですけど。
やっぱりそのブレがあるから、あまり既視感のない新しいものが作れるというか、
生み出せるというのもありそうですよね。
そうかもしれないですね。確かにそうですね。
ブレたいというか、ちょうど40になったんで不枠で惑わないみたいなのがマジで嘘だなって。むしろ。
惑い惑って。
惑ってますね。僕からは今日あれですね。
人前で詩を読むのちょっと気持ちいいかもしれないみたいな。
すごくいいと思います。
お酒を飲みながら詩を読むみたいなのが一時、友人間の中で流行ったことがあって。
そうなんですね。
意外と自分の好きな詩集を持ち寄って、飲みながら一遍読むみたいな。
やっぱりそれによってその人のことも新しい再発見があったり、
あと純粋にいい詩集だねとか、そういうちょっと読書界的な要素もあったんですけど、
ほろ酔いぐらいで最初読み出してもいいかもしれないですね。
いいですね。
なんかぜひちょっとそれはアンオフィシャルに。
今度やりましょうか。
やってもらっていいですか。
やりましょうぜひ。
ありがとうございます。
ということで、あの5つのテーマでお話ができたので、本当にあっという間だったんですけれども。
いやいや楽しかったですね。
菅原美術さんに来ていただきました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
プロジェクトデザインルーム第24回、菅原美術さんをゲストにお招きいたしましたが、皆さんどうでしたでしょうか。
詩を通じた新しい発見
もう終始、僕はすごく美術さんのスローンでメロウな口調にすごく心地よさを感じていたんですけれども、
やっぱり詩が持つ自由さとか、
一方ではすごく道具として捉えても結構便利に使えそうな局面もあるなとか、
あまり普段接されない方もぜひまずはちょっとこの刺繍を取っていただいたりとか、
手元にペンと紙を置くような生活をぜひぜひしていただけたらいいんじゃないかなというふうに思っています。
ちょっとせっかくなんで、このコーヒーオフネの僕が好きなというか、この一番最初の詩ですね。
コロンビアというタイトルの詩を僕も最後ちょっとせっかくなので朗読して皆様にお勧めしたいなと思っています。
コロンビア
見知らぬ街
褐色の肌
雨上がり
窓から風
カーテンを巻きつけ
隠れて汗まじり
裸で纏う見えない服
コロンビアという詩でした。
とても素敵な詩がたくさん詰まってますので、ぜひぜひお手に取っていただければと思います。
それではまた次回も素敵なゲストをお招きしたいと思っておりますので、お楽しみにしてください。
次回もお楽しみにしておりますので、お楽しみにしてください。
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