自分が時々この話をする時に思い出すのが、昔、ルイ・アームストロングっていうジャズミュージシャンが、
サッチモとも呼ばれていたトランペッターが、何かの取材の檻にインタビュアーに、ジャズって何なんですかって聞かれた時に、
それが人に聞かないとわかんないよ、じゃあジャズって一生わかんないと思う、みたいなことを言ったらしいんですよね。
へー厳しい。
なんかおそらくだから、人に聞いてわかるものではなくて、自分なりに感じて答えを見つけろよ、みたいなことを彼は言いたかったのと思うんだけど、
すごくそれも詩の世界と近いのかなと思っていて、いろいろな過去に残されたその詩論とかを読むのもすごく楽しいですし、
様々これが詩なんだっていう残されてきたものを自分も読んできた上で、自分が詩と思うものを書いているので、
いろいろな影響を受けていると思うんですが、やっぱりそれぞれに感じてもらうという部分が一番大きいのかな。
うーん、なるほど。すごく自由度が高いっていうことを今教えてくださったんですけど、
一方でこの手張りというか、やっぱり物が上手になったり、自分のスタイルを見つけていく前に、
やっぱり何かちゃんとその道のことを学んだりとか、そこからあえて離れるみたいなのもあるのかなと思っていて、
そういう時は何か、やっぱり誰かしらの作品をすごく、なんていうんですかね、釈迦譜じゃないですけど、
トレースしてみたりとか、そういうこともやっぱりあったりするんですか?
そうですね、やっぱり詩を書いている人は、誰よりもいろんな詩集を読んで生きてきていると思うんですよね。
私自身も過去に憧れた詩人たちがいて、始まりはやっぱりその魔法と言いますか、
私はアメリカ文学を専攻していたこともあって、アメリカとか海外の詩人たちからの影響がとても大きかったんですけど、
割とそれぞれみんなルーツみたいなものがあるんじゃないですかね。
そう、なんかこの緑色のコーヒー、夜船の、最後の方に英語が書かれていたような気も、あれ違ったっけな、何かどっかに。
そうですね、漢末にエッセイがあって、パールバックという。
ああ、そうだそうだ。これを見て、英語はなんとなくわかったんですけど、
漢末で感じるのってすごい英語の詩って自分にとっては難しいんだなっていうことも同時にわかって、
なんかこの、今すげえなって思ってます。
まず違う国の言葉で書かれた詩からちゃんと情緒を受け取って、
でも普段は日本語で書かれることが多いわけですもんね。
そこの変換というか、インプットとアウトプットの回路がまた違いそうだなみたいなところもちょっと面白いなと思いましたね。
そうですよね、やっぱり海外の詩に触れる最初のきっかけは翻訳を介して日本語で読んで、
これすごく好きだなと思うと、原文で読んでみたくなってというような。
なので最初に翻訳ありきなので、私の好きなパターソンという映画の中で、
詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びるようなもんだっていう理説が出てくるんですけど、
まさにちょっと言えて妙だなというか、100%を訳し切ることは本当に難しいけれど、特に詩の場合。
だけど自分にとってはその詩の翻訳があって、すごく興味を強く持ったっていう原点のようなものもあるので、
やっぱりレインコート着てても水のしぶきとか、感じる温度とかがあって、
文化は国境を越えていくにはやっぱり翻訳というものが必要で、
100%の翻訳はありえないにしても、それでもやっぱり翻訳って素晴らしいものだなっていうのは感じるんですよね、特に詩の翻訳。
そうですか、ピンさんの詩で翻訳されたものとかも何かあったりもするんですか?
そうですね、時々海外で詩の朗読の講演をするときには、現地の言葉に翻訳してもらったりです。
じゃあその翻訳家さんとのコラボレーションがあるんですよね。
英語であれば多少の意思疎通しながらブラッシュアップしていけますけど、
全然、例えばポーランド語とかロシア語とか、完全に委ねるしかないので、
そうですよね。
もう信じる。
お人柄とか、そういうところでしかわかんないところってあるんですよね。
そうか、そういう世界ですよね。まさにAIがたどり着くのが一番遅いかもしれない領域なのかなとか、
翻訳家の方、かなり仕事が暇になって大変みたいな話もすごく聞きますけど、形式的なものでいうと。
でもなんかこう、冒頭ちょっと僕がイントロでもお話したんですけど、
なんか分かったようで分かんないみたいなものが多いなと思うんですよね。
日によって感じ方も違うし、このなんか好きみたいな状態だから、
余計に翻訳したところでなんか好きっていうぐらいの温度感に着地するんだろうなとか。
そうですよね。なかなか、やっぱり詩の翻訳っておそらくその明治期ぐらいから、
当時はその七五朝に無理やりフランス語の韻律を押し込んでみたりとか、
本当にいろんな努力と工夫が重ねられて培われてきたものだと思うので、
自分のせいにやっぱりAIの翻訳とちょっと気になりますね。面白そうですね。
そうですね。本当に本当に。じゃあちょっと少し話題を移していきたいんですけれども、
このユースケースってビジネスの言葉で言うとすごく硬いんですけど、
詩というものが仮にプロダクトとかサービスとかそういうもの、価値のあるものだったとしたときに、
いつ誰がどんなときに使って付加価値を感じるんだろうみたいなことを、
ちょっとあえてビジネスっぽく捉え直してみてるんですけど、僕の詩のユースケースってさっきお話ししたように、
例えば夜寝られないときにその時間をあえて良くしていきたいみたいなこととか、
自分のコンディショニングに効くなっていうイメージがあって、
何となく振り返るとですね、ちょっと弱ってたりとか、なんか人生に迷いあるなみたいなときに、
自分が読んでる日が比較的多い気がするんですよね。
でもやっぱり自分のことしかわからないので、たくさん朗読をされる、提供される方がいろんな方いらっしゃったりすると思うんですけど、
みんなどんなときに詩を読んでるんだろうっていうのが、見えてますか?ウィンさんからは。
そうですね。やっぱり今おっしゃってたように、ちょっと日常の中での少し苦闘点のような実感になったら良いなみたいな意思には。
せわしない日常の中で、夜眠る前に、どこを開いても詩集っていいじゃないですか。どこから読み出してもいいものなので、
何かちょっとだけ時間の流れが変わったら良いなみたいな気持ちはありつつも、
あまりこう読んでほしいみたいなものは実はなくて、本当に読み手の方それぞれが好きなように旅に持ってって、
どこどこの海で読みましたみたいなことを聞いたこともあったんですけど、それはそれでとっても嬉しいですし、
眠れない夜にページを開いて読んでましたって聞くこともとても嬉しいですし、
最近ちょっと面白かったのが、夜寝れないから何かお勧めの本ないかっていうのをAIに聞いたらしいんですね。
それで勧められて私の本を読み始めましたっていう方がいて、
わからずもなんかAIそんないい感じで営業してくれたかみたいな。
理解してるかもしれないですね。
でも先ほど自分は、もしシガ水だったらどんな器に注ぐことができるのかってお話ししましたけど、
最終的にコップ一杯の水みたいに暮らしの中でちょっとこう潤い水が体に染み込んでいくような時間になったら良いなと思っていて、
書いたものがコップ一杯分のささやかなものではあるんですけど、
水のような言葉たちになったら一番いいなっていうのは思っていて。
そういう意味だと、なかなか僕も数十年生きてきて、ここやっぱ1,2,3年とかが、
私は自分の生活圏内に死というものがあるっていう状態ができたのが最近だなと思っていて、
やっぱりそこに、自分がすごくそれがいいなと思っているので、どんどん届いてほしいなと思っていて。
なので、まさに本じゃない器とか、そういったものは一緒に考えられても面白いななんて思いますし、
あと一方で、ちょっと言うのも恥ずかしいんですけど、たまに書いたりします。
いいですね。
ここにiPadがあるんですが、その中にペンで書くことがあって、
なんか僕の場合は、朝起きたときに、すごく光が綺麗だな、今日はみたいな時とかって、
iPhoneがあっても、その写真撮ったところで削除しようぐらいの感じの、全然違うみたいな状態のときに、
なんか言葉が出たりするときがあって、そういうときに誰に見せるものでもないんですけど、
ためてるやつが、さっき見たら10個ぐらいあって。
ぜひ一度、誰かの前で声にして朗読してみると、
あまり人前で自分の書いた詩を読む経験って、ほぼみなさんないと思うんですけど。
ないっすね。だし、ちょっとやっぱり恥ずかしいと思うのはなぜなんだろうって、この気持ちに今ちょっと向き合いたくて。
そうですよね。
恥ずかしいぞ。
読んで、声に出すって、こう響きとして体で感じて、その時間を共有するって、意外にハードルは高いけれど、やってみるとどうやら面白いらしくてですね。
私が今大学だったり、障害者の施設の方と一緒にワークショップなんかもやってるんですが、
そこで企業さんの社内向けのワークショップみたいなもので、全社員で詩を書いて、チームごとで一遍詩を書いてみようとか、
それでみんなの前で発表したりっていうのをやっていただくことがあって、意外とやっぱりその普段見えてこない人間像、人物像が見えてくるんですよね。
面白い。
同じチームの中でずっと過ごしてきていたけど、その人の書いた詩をその人の声で聞くと、この人こんな人だったんだとか、こんな部分が隠れていたんだっていうのがすごく見え隠れするようで、
基本的にはコミュニケーションを取る上でのワークショップだったり、それはLUSHっていうバスボムとかを作られているブランドさんと一緒に1年間ぐらい、
翌日としっていうプロジェクトで、プロダクトとしてバスボムの中に詩が入っていって、溶けると詩が出てくるみたいなものもあったんですけど、それだけではなくて、店舗ごとに実際に詩を書いてみたり、
一人一人まず一遍書いてきて、それをみんなの前で発表したりっていうようないろんな工程を踏んだ上で、あと銭湯でインスタレーションね。詩のインスタレーションしたりもしたんですけれども、やっぱり詩を書くとその人の心のちょっと深いところが透けて見える瞬間があるんでしょうね、おそらく。
いやー、だから恥ずかしいのか。
ちょっとやっぱり見せたくない部分とか。
そうですよ。
受け入れられるんだろうかみたいな部分もあるけど。
そうですよね。
じゃあでも、ピンさんが書くときとかって、もうこのタイミングで伺うのは今更かもしれないですけど、見てもらうことを前提に吐き出しているものと、そうじゃない、なんだろう、これは別に見せるものではない、みたいなものが別々あったりするんですか。
そうですね。毎日日記のようなものは書いてるんですが、それが腰の種になることは頻繁にありまして、ただその日記の形態、形状では誰にもやっぱり見せることはできないですし、やっぱりどこかで着替えるというか、その書いた根っこの部分というか本質、言葉の本質が変わらないにしても、
少しちょっとこういう靴履かせたりとか、洋装着せたり、逆に脱がせたりとか、そういう感覚なんですね。
どこかできっとあるんでしょうね、そういう対外的に。
面白いですね。このまま勢いで読んじゃおうかな、自分でも思うんですけど。
聞きたいですね。
どれがいいんだろうな。
すごい短いのがあったんで、これを。めっちゃ恥ずかしいですね。でも読んでみます。
眠れない。夜はいつも長くて起きてる。昼はいつも短い。って書いてあります。
それだけ。
夜書いたんですかね、きっとこれ。昼が短けぇな。
でもきっとすごくたくさんの共感あるんじゃないですかね。
それは、書いたのは朝に書いたんですか。
これは多分眠れないときに書いてますね。
ちょっと長いのあったんで、これ読んでこのパート終わりにしようかなと思うんですけど、自分でももう何書いたか覚えてないですね。
飲まないくせに2本あったほうがいい。ハイボール1缶しか飲む気力も体力も残ってないとき、それでもテーブルには2本あったほうがいい。
どうせ持って帰るから荷物になるだけだが、2本あったほうがいい。って書いてあります。
いいじゃないですか。
それでもめっちゃあるんですよ。出張とか行くと、もう1本あるっていうのがなんかすごい。
落ち着きますもんね。
飲まないくせに。最後ちょっと開けて寝るみたいな。
そんな、これは詩なんだろうか、何なんだろうか。
いやいや、とってもなんか情景浮かんできますね、出張時のね。
そうですね。なんかこういうことも、今ちょっと読む前すごいドキドキしてたんですけど、どんどんやや気持ちよくなってますね。
いやでもやっぱり聞いていても、私もなんだろうな。
少しまた今までとは違った構造がというか、なんか本当に少し心の隙間から覗かせてもらえるような感覚もあったり。
いいかもしれないですね。
意外となんかその人を知るとか、なんだか例えばプロジェクト一緒にやるみたいな時に、
いろいろ自己紹介の仕方とかあると思うんですけど、
1回詩をそれぞれ読み合っておくと、もうこれ以上の超えるハードルとかはないと思うので、
最初に全部取っ払って、
自分の生身の部分が出てくると思うので。
すごいですね。これは大きなヒントをいただきました。
いやいや、素敵な詩をありがとうございます。
ということで、パト2この辺にしときたいと思います。ありがとうございました。