詩人の菅原敏さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
敏さん、ありがとうございます。わざわざ来ていただいて。
どちらこそありがとうございます。
本当に僕が菅原敏さんに触れたのも何年前かなって思ってたんですけど、
少なくとも一つ前の家に住んでたときで、
当時は武蔵小杉という町に住んでたんですけど、
自宅の近くに縄文の湯っていうめちゃくちゃローカルな温泉があって、
11時ぐらいまで、11時半とか12時とか入れるんですよね。
閉店ギリギリに行くのが好きで、
帰り道に車の窓を開けて、
0時直前にJWaveのクワヘットポエトリーが流れてきて、
あれが多分個人的な敏さんへの出会いみたいな感じだったんですよね。
ちょうどコロナ禍ぐらいですかね。
かもしれないですね。ちょっと前ぐらいかもしれないですね。
でもコロナ始まったぐらいか。
そうですね。
そうですね。
一日の割に一遍の詩を届けるっていうコンセプトで始まったラジオ番組で、
街をテーマにしていたんですね。
今日は六本木、今日は島北沢とか、
街に詩を注ぐということをテーマに、
当時なかなか外に散歩とかにも気軽に行けないような状況も続いていたので、
目を閉じて夜の小さな散歩に出てもらえるような番組になったらよいかな、
なんていうところから始まった番組でした。
めちゃめちゃなってて、僕は文字じゃなくて耳から入ったかもなって思うんですけど、
やっぱりそこから本を買ったりとかいろいろしつつ、
本当に大好きで、
シンプルにファンすぎて今日ちょっと来ていただいているみたいなところがあるんですけど、
今手元にですね、このコーヒー夜船という詩集がありますけれども、
この中でも僕が大好きな夜船というその一編があってですね、
本当に差し出がましいあれなんですけど、
これちょっと一回生で読んでみていただけないかなというのが、
素晴らしい、80ページにあるやつですね。
ではお聞きください。夜船。
これまでの人生、片道切符になるような旅がしたい。
旅先で再びあの子に出会い直す旅がしたい。
砂ぼこり巻き上げて赤ちゃけた土くれ蹴飛ばす車で旅がしたい。
お前の人生全部嘘だと星を見ながら、
つぶやく夜さえ嘘だよと旅がしたい。
すべての道を間違えて、
降り出しに戻って、それから旅がしたい。
誰にも出会わず、どこへも行かず、
この紙一枚旅がしたい。
夜船。ありがとうございます。
ありがとうございます。
いや結構感動していますというか、何度も読んでるんですけど、
でもやっぱりこの音と一緒に詩を味わうっていうのは、またちょっと違う趣ですね。
そうですね、やっぱりページの上だけで詩の言葉を込めているときと耳で聞くとき、
やっぱり表情がだいぶ変わりますよね。
いやですし、結構あれなんですか、
読み方みたいなのは、これまでスタイルがいくつか変遷があったりとかしたんですか?
もともとバンド活動みたいなものが、
詩を書くきっかけというか一番始まりだったんですけど、
作詞をしたのが活動の始まりで、
その頃から割と書いたものを自分で声にするっていうことが一連の動作になっていたので、
現在も書き物をするときに、やっぱり自分で口にしながら声にしながら書くっていうのは
常となっているので、あまり意識しているというよりは自然な発話というか、
おそらく他の書き物をしている方に比べると、
ちょっとその身体勢みたいなものはずっと近くにあるのかなと思うんですけど。
なるほど、音楽に関しては、
そうですね、最初はもう本当にバンドの作詞みたいなものが始まりだったので。
じゃあ自分で書いて歌っての?
そうですね、曲も当時作って、歌詞を書いて、
メンバーに曲を渡し、集客し、
永遠に終わらないそのルーティンを続けてましたね。
じゃあ下北とかも割と。
よくやってましたね、大学生の時に一番最初にライブしたのは下北沢のライブハウスだったので。
そこまでは今全く同じです。
下北でバンド活動をしてましたね。
やっぱり身を見真似で曲を書いたりとか、みんなでするのがすごく楽しかったので。
そういうとこにでもルーツがあるんだ。
そうですよね。
そうですか、そうですか。
今日3つ目にしたかった質問が今、
3つ目の質問に関しては、
3つ目の質問に関しては、
そうですよね。
そうですか、そうですか。
今日3つ目にしたかった質問が今、
1つ目に勝手にお話し始められてすごく良かったんですけど、
詩人ってどうやったらなれるんだろう?
名乗った時からがそうなのかもしれないんですけど、
そんな話もちょっと聞きたくて、
一応簡単な自己紹介からまずおさらいしていきたいなと思っていて、
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあピンさんのプロフィールというか、
これまでのことも含めて自己紹介をお願いしてもいいですか。
はい。
菅原弁と申します。
自己紹介難しいですね。
基本的には詩集を作るといいますか、
詩を書いてそれを読むということが活動の根幹にはあると思うんですが、
私が少し特徴があるとすると、
その本を作るだけではなくて、
もしも詩が水だったらどんな器に注ぐことができるのかということを活動のテーマにしていて、
もしも詩が水だったら、こういう本という紙の器にも注ぐことができますし、
インターネットのようなデジタルの器に注ぐこともできれば、
アートとか建築とかマッションとか、
本当にいろいろなものを器に見立てて詩を注ぐというような活動が非常に多くてですね、
最近ですと香りだったりお酒だったり音楽だったり、
いろいろなところに、詩のない場所に詩を運ぶといいますか、
やっぱり詩も様々に形を水のように変えることができるので、
そのいろいろな器に詩を注ぐことを自分なりに楽しみながら活動しているという、
あまり自己紹介になっているかわからないですが。
その話大好きで、以前お会いしたときも素敵だなと思ってましたし、
たぶんこの本をたくさん買ってもらうということ以外にも、
プロジェクトっぽい動きというか、されていらっしゃることが特徴かもしれないですよね。
最近だとどんな器が面白かったですか、ご自身の捉えとしては。
最近ですと、香りに関わるプロジェクトといいますか、
お仕事が結構続いていて、今年はイタリアのボッテガベネタというブランドと一緒に、
私の詩の展示を銀座の本店でやらせてもらったんですが、
それは森岡書店さんという銀座にある本屋さんと一緒に開催した企画で、
私のこのコーヒー夜船という詩集から5編の詩を、
調香師のサリさんという方が5つの香りに翻訳してくださって、
詩の言葉と香りを楽しめるというような展示を行ったりですとか。
あとは直近で8月頭ぐらいに、ゲランというフランスの香水のブランドがあるんですが、
とても長い歴史を持った香水ブランドで、そこの一つのライン、
芸術やアートをモチーフにしたラインがあるんですけれども、
この6つの香りに詩を書き下ろして、香りと詩のインスタレーションを、
銀座のソニーパークというところでインスタレーションをして、
私が書いた詩を津田健二郎さんという声優さんの方が読んでくださって、
体験型と言いますか、箱に頭を入れると詩の声が聞こえて、
合わせてその香りを楽しめてというような、
空間を作るという、詩を書くだけではない楽しさもあったり、
この夏ですとそのあたりとか、
あと東京芸術大学で詩の特別授業みたいなものを毎年やってるんですけれども、
そこからちょっと派生した形で、江戸川区と東京芸大学を一緒に運営しているアートコレクティブがあって、
そこのプロジェクトで、精神の障害のある方たちと詩を一緒に書いてみようというようなワークショップの企画を今していて、
最終的に展示だったり作品集だったりを作ろうとしているんですけれども、
この夏はわりとそのあたりが結構…
いやもうめちゃくちゃ、何だろう、本からははみ出しまくっているというか、そうですよね、面白いですね。
そうですね、基本的には詩の言葉が軸にはあって、
詩の言葉が導いてくれるところに、よっこりいつもお邪魔しているような感覚がありますね。
このパートで最後聞いておきたいなと思ったのが、そういうチャンスというか、
何かはみ出したり、これまでと違う器に飛び移っていくときって、どういう出会いの要素が強いのかなと思っていて、
やっぱり活動量が多くて、自発的に発信していると問い合わせが来たりとか、
何か運です、みたいなこととかもあると思うんですけど、何か傾向とか、逆に意識されていることとかあるんですか。
これはもう本当に自分の預かり知らないところで、ことが生まれていることが非常に多くて、
香織に関する仕事もすごく多くて、今も別のメゾンのブランドと一緒にプロジェクトとかしているんですけど、
基本的に過去の作品を発掘してくれてというか、作品を見てお声掛けいただくことが非常に多くて、
自分自身がもう忘れているようなプロジェクトというか仕事のことをすごく細やかに見てくださっていたりとか、
本当に過去、これやって意味あんのかなとか、いろいろ思うこともあったりはしましたけど、
どれもやっぱり意味があって、やっぱり何が花開くかわかんないというか、どれが種になるかわかんない楽しさみたいなのを最近感じていて、
なのでこの活動を始めて12、3年ぐらいなんですけれども、活動の当初に撒いた種が回り回って今御芽吹いていたりとか、
長く続けてきているので、芸大に関しても10年、今年その講師をして10年目になるかな。
やっぱりいろいろな、基本的に今デザイン科の学部の3年生対象に、
そのさっきちらっとお話した芝の器という授業をしていって、言葉から作品を作ってみようと。
アウトプットの手法は問わないので、基本的には仕様を書いてアニメーションを作るセットさんもいれば、
インスタレーションとかファッションの洋服作ってくる子もいたりして、毎回すごく刺激をもらっていて、
やっていく中で他の学科の建築の大学院と一緒にプロジェクトをやったりとか、
いろいろ学内でのちょっと面白い科学案のみたいなものも楽しみながらやらせてもらっていて、
そういう中で江戸学のプロジェクトはとても自分にとってもチャレンジングなことといいますか、
削られたことがない分野ではあったので。
ということはこれまでの生み出してきたものが連れてくるチャンスがやっぱり巡り巡って続けているということですよね。
そうですね、あまり自分自身で意識しているというよりは目の前のものを自分なりに作ってきて、
それがこう知らぬ間につながっているんだなというような。
でもめっちゃそれは腑に落ちたというか、プロジェクトをデザインする側に立つことが多いので、
いつかビンさんと何かやりたいなってずっと思ってたところは、やっぱりそれこそJ-WEBの企画がありましたし、
すごくこういう個性をお持ちなんだな、ストライクゾーンがあるんだなみたいなのがすごく伝わってくる書かれ方をしているので、すごく納得がいきました。
最後最後と言っておきながらちょっとここだけはもう一個いきたいのが、
いつ詩人になろうって決めて、一応書くこと自体はそれこそライフワーク的にこれまであったと思うんですけど、
職業人としての活動に乗り出したところってきっかけとか転機みたいなのはあったんですか?
そうですね、音楽をやっていたときもジャズのバンドで詩を読むみたいなことをしていて、
ただその時に自分が詩人を名乗ることなどはなかったので、あくまで作詞をして詩を読んでいるぐらいの認識だったと思うんですが、
おそらく最初の詩集を出したタイミングぐらいで、難しいですよね。
職業なのか生き方なのか、割とそのあたりも曖昧な肩書きだと思うので、
ある時までは自分でちょっと面白がっていたところもあるのかもしれないですけど、
詩人ですと自分を自己紹介のときに言うこともあったんですが、
今は自分からあまり言うこともさほどないというか、そう思っていただけるならそれでいいですし、
あまりもう自分は肩書きはそんなに関係ないのかなみたいなことは。
そうだったんですね。
出版に至ったところとしては、わりとテーマを持って一冊取り組まれていた感じなのか、
たまってきたものがあるなとか、どんな感じだったんですか。
わりとその両方がありまして、当時その音楽のために書き下ろしていた詩がたくさんたまってきていて、
せっかくだから一冊にしてみたらどうかっていうお話をいただいて、
その際に自分なりの選別と言いますか、テーマを持ってアーカイブから選びながら編み直すみたいな。
なるほど。
わりとその時がやっぱり音楽から書き物の方に移行する大きなきっかけではありましたね。
なんかそれ聞いて、これもう詩集出せるんじゃないかっていう人結構いそうだなって思いましたね。
これだけ音楽やられてる人も多いし。
そうですね。今はやっぱり本の個人で、人だったりとかいろんな形でご発表できると思うので、
とても個性を出しながら楽しみながら本を作っていけると思うので。
そうですよね。そんな人の少し背中を押しちゃう可能性もあるなと思いつつ、
今日はちょっと残りのパートもやっていけたらと思います。
じゃあまずはパート1ありがとうございました。
ありがとうございました。