1. プロジェクトの秘訣を探る Project Design Room
  2. #20-2 人生というプロジェクト..
2025-05-16 24:12

#20-2 人生というプロジェクトに経営戦略を | 山口周・ライプニッツ代表

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<ハイライト>

・人生の経営戦略 という周さんの新著に沿って

・企業のライフサイクルカーブになぞらえて

・人生のステージを春夏秋冬に区分し

・人生という、その人にとって最も長期のプロジェクトに

・経営戦略の視点から有効な工夫を洞察しています。


・せっかくなので、ただ書籍をなぞるのではなく、周さん自身の人生を題材に対話してます。

・やっかいだった少年時代から、ワクワクが詰まる高齢時代に向けて、リアルなトークから学びを受け取ってください。

・パート4では、「春夏秋冬」は一度きりなのか?飽き性な人はまた春を始められるのか?という天邪鬼に付き合ってもらっています。たくさん勇気をもらえます。


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人生の経営戦略/山口 周 著

<内容紹介>

「そもそも生きている意味がわからない」「仕事で失敗するのが怖い」「40代を過ぎて、部下の若手の成長に焦る」「仕事ばかりしていて家族との時間がない」「最近全然成長できていない気がする」…人生でぶつかる様々な問題を、「経営戦略」のコンセプトで解決する、まったく新しい生き方の本。超人気著者の集大成!


■山口 周

株式会社ライプニッツ/代表

著作家/パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程を修了後、電通、ボストン・コンサルティング・グループなどを経て、現職。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『ニュータイプの時代』『ビジネスの未来』など著書は多数。世界経済フォーラム(ダボス会議)のメンバーでもあり、中川政七商店社外取締役を務めるなど「美と経営の新しい価値」を世界に発信している。
■公式 note
https://note.com/shu_yamaguchi

サマリー

山口周さんは自身の子供時代や高校生活を振り返りながら、人生をプロジェクトとして捉える重要性を語ります。特に、20代までの人生の春における試行錯誤や自己探求についての考え方を深掘りします。このエピソードでは、人生における仮説検証の重要性が強調され、経営戦略を人生のプロジェクトに適用することについても議論されます。また、副業や兼業の意義についても触れられ、若い世代が持つべき働き方の柔軟性が強調されています。

山口周の子供時代
プロジェクトデザインルーム第20回パート2ですが、引き続き山口周さんに ご挨拶を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。
早速盛り上がってきてるんですけれども、周さんの人生を題材にさせていただくということで、この人生というプロジェクトを一緒にデザインを学んでいきたいんですけれども、
最初、ざっくり聞いてみたくて、どんな子供だったんですか?という話を。
それはね、もうハチャメチャだよね。
ハチャメチャですか。
ハチャメチャです。
ご出身はどちらですか?
出身は東京です。東京横浜ですけれども、小学校、中学校、地元の公立の学校に行って、こんな感じだったんで、めちゃめちゃ反抗的。
で、校則とかにね、この校則に何の意味があるんだ、みたいなことを質問して、ものすごいやりにくかったと思いますね、先生はね。
縛られていることとか、意味が感じられないことに対する疑問とか。
そうですね、理不尽っていうのかな。だから、日本人の悪い癖で、年齢が上っていうだけで上から目線で指導しようとするでしょ。
俺に教えるなと思ってましたから。
僕ね、クラブとか部活って参加したことないんですよ。
理由はもう単純で、なんで1年上っていうだけでお前そんなにヤバってんだよっていうのが毎回思っちゃってたんで。
見学とか行っても、こいつにエバられるのは耐えられないなっていう感じで、所属できたことがないんです。
なるほど。だから逆に、しゅうさん、僕と結構年も10くらい離れているような気がしますけど、全然その感じがない。
今日も僕はユニクロの上にパタゴニアに来てますけど、この間、某総交渉者の社長さんのインタビューも同じ格好で行きましたから。
天皇陛下と会うときには、たぶんこれ会うと援遊会とか行くとやめてくれって言われるんですけど、たぶんそれだったらじゃあ行きませんって断っちゃうと思います。
それともかくとしてめちゃくちゃ面倒くさい子供で。
音楽とか、やっぱり好奇心はありましたね。
音楽は家に大量のレコードがあったんで、小学校5年生くらいから片っ端から聴き始めたりとか、
本も小学校3、4年くらいからすごく好きになってて、
で、高校で私立の付属に行ったんで、非常に自由な学校で、
3分の1くらい行ってないんですけど、最低限の成績取ってれば大学行かせてやるってところだったんで、
だから学校行かずに映画行ったり図書館行ったり、博物館行ったり美術館行ったりとか、
そういう高校生活でしたね。
今、高校生活を送るとしても、たぶん同じような辿り方になりそうです?
よかれると思ってやってたわけじゃないんですよ。
これ学校行かなきゃなって思ってたんですけど、もう行けないって感じでしたね。
体がついてこないんですよ。
だからコンサルも40代の最後に辞めたんですけど、
辞めた理由は、重大な最終報告会とかで、寝過ごして起きれない。
9時から最終報告会で、8時55分とかに携帯が鳴ってるって気がつくと着信が40本くらい入ってるんですね。
ついに出た!出た!とか言ってるの向こう側で。
ヤゴミさん今どこですかって言って、ベッドの中だよとか言って、
今日最終報告会ですよ、みたいな。
完全に忘れてる。だからね、体がもう拒否してるんですよね。
頭でやらなきゃいけないと思ってることだけど、体ができない。
学校に行かなきゃと思ってるのに、体が映画に行ってしまう。
で、学校の先生から怒られる。神経が危うくなる。
親まからもガミガミ言われる。
それは嫌だなと思ってるんですけど、体がついてこなかったんですよ。
でもそれでもある意味正直に。
だからね、辛かったんですよ。正直言って。
今こうやって話してると、前後転してるというか、開き直ってるように聞けると思うんですけども、
こんなんで俺、生きていけるのかなとかね、思ってましたから。
なるほど。なんかそれはエピソード的にはすごくこの後につながる
面白そうなアイディアだとぐらいで、今ちょっとお伺いしちゃってますけど、
そういった学生時代というか、いろんな波乱もあったというようなところだと思うんですけれども、
春夏秋冬のフレーム
ここから一つずつ、春夏秋冬というフレームに沿って
話し進めさせていただきたいなと思ってます。
まずこの春夏秋冬というのは非常にきれいなフレームだなと思ってるんですけれども、
人生の春は、これ題して試すみたいなことを題材にされてたと思っていて、
だいたい20代ぐらいまでの人というようなことで。
これは導入期というふうに言い直したりとかもしてますけど。
ライフサイクルカーブの概念で言うと。
そうですね。S字っぽい企業とかが軌道に乗っているような過程みたいな。
そういうのが一番最初ですと。
ここで言及されていたのが、夢中になれる対象を見つけたりとか、
自分の得意不得意を知りましょうねみたいなことだったということで。
ズバリ、習さんの場合ということだったんですけれども、
どういうふうに自分を試されていたりだとか、過ごされていたのかなみたいなのを簡単に振り返りから。
僕は厳密に言うと、自分の人生はこのフレーム通りだったかというとちょっと遅いんですよね。
僕はいろいろ試したのって30代の前半だったんで。
20代の時は、わかりやすく言うとクリエイティブディレクターになって、
映像作品とか作って、女優と結婚みたいなふざけた、痛々しいことを考えていたわけですよ。
それで広告代理店の伝通行ったんだけど、
やっぱり5年ぐらいやってると、まずクリエイティブだからやりたい。
でもクリエイティブに配属されない。
自分が、とはいえ広い意味でみんな広告の制作に関わってるんで、
自分もアイディア出すんだけど、我ながらイケてない。
自分でもオッケー出していくような。
今から思うと、やっぱり空回りしてるっていう感じだったと思うんですけど、
素直な頭の使い方をしてなくって、
人のやってる方法論を使おうとしてたんでしょうね。
自分の頭で考えるっていうよりかはね。
広告はことごとく採用されない。
一方で、お客さんがいろんなことで悩んでると、広告主のね。
それも必ずしも広告の話じゃなかったりするんですけども、
こういうことじゃないですかっていろいろ整理してあげると、
なんかスッキリしたって言うんで、
そういう方向でいきましょうみたいなことが何度かあって、
だんだん広告のアイディア欲しいって言われずに、
ちょっと困ってることあるから相談乗ってくんないって言われることが多くなってきたんですね。
これが20代の後半ぐらいで、
自分はどうもクリエイティブな才能あると思って伝通きたけど、
それはクラスの中でとかね、
あるいは場合によっては家族の中で
比較的クリエイティブな才能があるっていうだけでね。
比べてるのはもう親父と弟のその2人だけ。
で、シュウちゃんって絵うまいよねとか言われてる。
その程度なわけですよ。
ところが伝通って全国で一番クリエイティブな人たちが集まってくるんで、
クリエイティブ自慢が。
それで戦うと、とてもじゃないけどその中でトップクラスにはいけそうもないということで、
分かりやすく言うと挫折ですよね。
コンサルティングの厳しさ
で、その前に音楽の勉強ずっとやってて、
大学時代は何となく作曲で食えたらいいなみたいなことも思ってたんだけども、
これもやっぱり挫折ですね。
周りを見ていて明らかに才能のある人だと思うので、
これはもう絶対苦しくなるなと思って。
で、広告行って苦しくなるなということで、
結局30の時にインターネットが来たっていうのがあって、
一旦辞めて、経歴上実はそこから空白期間が2年ぐらいあるんですよ。
知らなかったです。
今日ちょうどノートでボイドっていう、人生にボイドを取り込めるかっていう話を言って、
ボイドって建築用語で空白とか何もない空間のことを言うわけですけど、
結構このボイドが大事だと思ってて、
僕のボイドはだからそういう意味で言うと29から31の間に来て、
この時期って中場プー太郎、中場フリーターで、
でも今から思うと結構面白いことがあってて、
例えばサイバーエージェントの藤田さんがインターネットで広告の会社作るっていうんで、
サイバークリックっていうね、当時はバナーをクリックさせるっていう広告商品を作って、
それ作ったの堀江さんなんですけど、
商品として売るときって大体根付けどうしたらいいのかとか、
そういうことをアドバイスするっていうバイトをやってたんですよね。
バイトがアドバイスしたんですか?
バイトとしてアドバイザーっていうバイトをやってたんです。
当時はビットバレーとかっていうのがあって、
いろいろなネット界隈のスタートアップの経営者でみんなで集まるようなパーティーがよくあって、
僕も電通にいたときから絶対インターネット来ると思ってたんで、
しょっちゅう出入りしてたんですね。
そしてある日藤田さんに紹介されて、
じゃあいろいろ教えてくださいよって電通で買ってもらいたいと最終的に。
そうすると電通と取引するような広告としての基本的な体裁ってどういうものかっていうのはもう分かりますからね。
バイトになるとバイト頭になっちゃうんですよ。
こっちはもともとサラリーマンだったんだけど電通辞めて、
バイトで日給2万円出すとかって言われると、へーとかなるじゃないですか。
バイトになるのに。
バイト頭で言うと日給2万円ってすごいんだけど、
20日働いて月給40万なんでサラリーマンとしては普通なんですよね。
でもバイトで日給2万とかでーとかなるんだって。
その頭がバイト頭に戻っちゃって。
それで2年間ぐらい結構ネット周りのいろいろな事業、
まさにプロジェクトベースで手伝ったりとかやってて、
楽しかったんだけど、
自分はトップとして事業を引っ張っていくっていうのは向いてないなと思ったんですよね。
まず諦めが早すぎる。
秋っぽいすごい。
最初に筋が悪いなって思うとやる気しないみたいな。
それね、やっぱりこれはちょっとスタートアップを作っていくっていうチームでね。
自分は結構これブレーキになっちゃう可能性あるなと思って。
って思ってた時に、デンツー時代のクリエイティブは採用されないけど、議論の整理は得意。
で、この2年間の空白期間で一番評価されたのは結局アドバイス。
で、当時あんまり市民権がなかったんですけど、
そういうことを専門にやってる仕事がどうもあるらしいということで、
じゃあ受けてみようかなって受けたのが、
マーキンゼー、BCG、ベイン、アクセンチャーってコンサル会社で。
当時MBA持ってなくて受けるのってかなり異例だったんですよね。
で、ただ割と何社かから向いてると思います。
言うんできませんかっていう話になったのが32の時ですね。
じゃあ結構ある意味試されてる。
そう、だから試すって言うと非常にアクティブな意図を持った意図並みに聞こえますけど、
ちょっと悪く言うと迷走ですよね。
あっち行っちゃダメ、こっち行っちゃダメ。
ただやっぱそれなりに濃密な20代は過ごして、
いい意味での挫折もやっぱりしたと思うんで。
日本の会社で僕はすごい残酷だなと思うのは、
例えばコンサルティング会社はこれ入ると。
入るとアッポーアウトなんで基本的にすぐクビになるわけですよね。
マネージャーになるのは5人に1人。
入るのかアウトするのかということですね。
そこからパートナーになるのはまた5人に1人なので、
8割の人っていうのは3,4年で脱落するわけですよね。
本当に会社からある人突然パートナーから呼ばれて、
山井さん来週から来なくていいですっていきなり言われるわけですけど、
そういうの耐えられないっていう人いるんだけど、
僕どっちの方が残酷かって言ったら日本企業の方が残酷だと思いますよ。
だって向いてるか向いてないかもはっきり分かんないのに、
40とか50のもう袋工事みたいな状態になって、
他にもう意気揚がありませんっていうところで、
あなた役になる可能性ゼロですかって言われるわけでしょ。
俺の人生どうしてくれるんだってなんでみんな言わないのって思いますよね。
だから僕は伝通に言ってここの会社にいたら先は知れてるなと。
会社自体もこれから先儲からなくなるし、
自分の人生も多分あんまりここのレースでは勝てないって思った時に、
20の意味で厳しいじゃないですか。
これもう辞めるしかなかったですね、合理的な結論として。
それこそちょっと本に書かれてることも今思い出して、
一つ戦略コンセプトとして、
適応戦略みたいなことが書かれてたと思うんですよね。
仮説検証の重要性
自分がどういったフィールドだと一番生きてくるのかみたいなことだと思うんですけども、
さっきあっち行ってダメこっち行ってダメっていう話の中で、
結構それが世の中的には失敗みたいなラベルが上がられてしまいそうなことも、
これ失敗っていうかここ行けるんじゃないと思ったら
仮説の誤りが検証されただけだよね。
仮説検証って言ってますね。
お話が結構勇気もらえるなっていう感覚があったんで、
こういうところに確かに経営戦略っぽいコンセプトを持ち込むと
ちょっと心が楽になりますね。
でむらさんもコンサルト会社を見たんで感覚わかると思うんですけども、
仮説って人に作られるとプロジェクトが苦しくなるじゃないですか。
クライアントが作ってる仮説の方が最悪なんだよね。
自分で作った仮説を自分で検証するっていうのが一番プロジェクトって楽しくって、
仮説が進化するっていう言い方をしますけれども、
それは自分の人生でも同じで、
仮説を他社に作られるときつい。
この人はこういうのがいいんじゃないかとか、
これはこのプロジェクトはこういう方向でいくといいんじゃないかみたいなことを
クライアントが言い始めると、
クライアントの仮説を否決するのって反証するのって
むちゃくちゃ面倒くさいんですよね。
自分で作った仮説だったらすぐ試してダメだったら
次の仮説に行けばいい。
本人も書きましたけれども、
20代って仮説の塊なんですよね、みんな。
だから検証されてない。
多分こうじゃないか、おそらくこうじゃないか。
そういうのの塊なんで、スタートアップの経営なんかもそうですけど、
できるだけ早く検証しちゃった方がいいですよね。
毎週1個仮説検証するっていうのはそれぐらいのペースだと思うんですけど、
なので非常にたくさんの仮説が検証された結果、
当初思いもよらない人生になっていったっていうことですよね。
成長期の働き方
そこでややスタートが遅いって先ほど自身でおっしゃってましたけど、
コンサルティングファームに入って、
そこから夏っぽい感じ。
そうですね、だから最初の半年ぐらいで
これパートナーになれるなって思いました。
やば!その感覚いいですね。
めちゃくちゃこれ俺得意だなと思って、
これパートナーになるって思いました。
パートナーになるっていうか、そこまでの確信じゃないですけど、
これパートナーになれるんじゃね?みたいな感じでは思いましたよね。
それって配属されたプロジェクトをいくつかやっていく中で、
あれなんか打てば響くなみたいな。
打てば響くっていうのと同僚の同じぐらいのね、
例えばアソシエイトっていうステータスで入ったんですけど、
周りのアソシエイトの人たちの言ってることが
なんかちょっとこれレベル低くね?みたいな感じで、相対感ですよね。
なるほど、いいですね。
そこでやっぱりある意味蛇行して、
いろんな仮説の検証の末、
あ、これなんかいけそうみたいなところで、
人生の夏のテーマが築く、築き上げるっていうような意味で書かれて、
別名成長期なんて呼ばれてたりもするんですけれども、
その頃、かなり集中的にやられてたんじゃないかなっていうことを見受けしていて、
結構今、社会人やってる中の方でも副業みたいなトレンドとか、
あとフリーランスみたいな働き方も当然いい感じで増えてきたなと思うんですけども、
こういった成長期とか夏みたいなことにおいて、
お勧めの働き方っていうのを今ちょっとあえて議論するような感じなんだろうね。
人生の春と夏の振り返り
兼業とか副業っていうのは本の中にもね、
これだけいろいろな会社がいつ消えてなくなっちゃうかもわからない状況だとすると、
一つの会社の中だけに社会関係支援を作ったり、
その会社の中だけで生きる人的支援を築くのはやっぱりリスクが大きいから、
基本的には兼業とか副業っていうのはポジティブに書いてますけれども、
最終的に兼業副業がいいかっていうのは、
その人の能力を社会に還元しきれてるかどうかってことだと思うんですよね。
ですから一つの会社の中にいて、
100%、120%自分の能力っていうものを社会に対して還元できてるんであれば、
それはもう100%でね、兼業でやればいいと思うんですけども、
仮になんとなく使い切れてない、不完全燃焼してるなっていう感覚があるんであるとすると、
それはやっぱりもったいないし、時間資本の使い方としては、
若い時にやっぱり人的資本に転換していかないと、
福利で利いてきちゃうんで、資本ですから。
それは非常にもったいないので、
もし60%とか70%とかしか使えてなくて要力があるなと思うんであれば、
副業とか兼業は考えたほうがいいかもわかんないです。
僕の場合は200%ぐらい会社から求められたんで、
死んじゃうよっていうぐらい働いてましたから。
一社で200いったんですか?
一社で200ぐらい。戦略コンサルってそういうもの。
当時はもっとひどくて、今でもかなり改善されたと聞いてますけれども、
だいたい入ってきた人みんなパニックになるわけですよね。
普通に考えると1週間ぐらいかかるでしょっていう仕事。
これ明日までにお願いねとかパスワードとかで、
どうするんですか?君ならできるとかってガチャって切られちゃうんですよね。
で、まんじりともせずに徹夜して、
出した紙ビリビリ破られるみたいな、
君脳みそあんの?とか言われるわけですよね。
だから本当に僕よく仕事間に合わないっていうので、
土曜日はだけ休んで、日曜日朝から出て、
日曜日仕事終わらなくて、日曜日結局夜徹夜。
日曜日の夜からすでに徹夜で、月曜日の朝に臨むみたいなね。
しょっちゅうやってましたけれども、
間違いなくあの期間がなかったら今の僕はいないですね。
いやー、なんかいろいろ思い出しちゃいました、僕も。
ここっていう決めた領域に対して、
このレーザービームのようにリソースを集中していく期間って、
どこかでは必要なんじゃないか。
手応えもやっぱりあったんですよ。
すごくいいアウトプットを作ってるし、
顧客がこれですごいインパクトが出るっていうのは、
やっぱり自分で分かってましたから、
今思い出しても苦しい感じっていうのは全然ないですよね。
すげー楽しかったなっていう印象しかないですね。
それってやっぱりいいお題が集まってるファームだったから、
それはそうだと思いますね、確かに。
できるっていうのはすごくありますよね。
それ言われて自分も自覚症状が今出てきたんですけど、
僕の場合はちょっと似てるんですけど、順番逆で。
コンサルティングファームから広告代理店。
ちょっと逆だったんですけど、
やっぱり200%やってたんですよ、コンサル時代って。
本当にほぼ同じような、繰り返しのような働き方をしていたんですけど、
逆に広告代理店に行った時に120%ぐらいだったんです。
溢れてるじゃないですか。
なんかメモリがおかしくなってるからね。
でも200%あったんで、あれ80ぐらいまだなんかいけるなみたいな感じになって、
今やってるコネルという会社も自分で立ち上げながら、
それはそれで利益がぶつからないような配慮をしつつですけれども、
ワラジを2つ履いてたっていうような時代があって、
でも今思うと、そこで120%求められて120%出してなかったら、
やっぱり今はなかっただろうなというか、
きっちり求められてることをやりきった上でのセカンドだろうというのは
すごく思い当たる気がありましたね。
うちの会社も全然兼業も、
推奨は別にしてないですけど、やってもいいんじゃないっていうようなスタンスでいるんですけど、
やっぱりそこに望むときの感覚とか、
自分の100をどこで満たせてるんだみたいなことは、
やっぱりちょっと意識していけると夏が過ごせるんじゃないかという感じがしますね。
ということで、ここまでで人生の春と夏ということを、
山下さんのお題を元にですね、振り返らせていただきました。
パート2、ここまでとさせていただきます。
ありがとうございました。
24:12

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