そうすると、ここからはリアルタイムなところと、
冬に向けての自分に対しては予告みたいな部分もあるのかなと思うんですけども、
例えば仕事のポートフォレオを持つみたいなことで言うと、 最近意識してやられていることとかってありますか?
これは別に特に秋に入ってからっていうことではないんですけれども、
基本的に僕、頂いた仕事は全て引き受けるっていうポリシーを持っていて、
さすがにここ5,6年くらい全部に対応ができてないんですけど、
何か相談事があったり、こういうのあるんだけどって言ったら、
基本的には全部関わるっていうことはやってきてましたね。
だから、自分の中になんていうのかな、
これもこの間ケンスーさんと話してて、全く俺と同じだなと思ったんですけど、
自分の人生って物語のまず読者が自分っていう感覚なんですよ。
予測できる話って面白くないじゃないですか。
典型的な主人公がいて、予測できる通りに動いてるとかってつまんないでしょ。
コンサル会社いて、パートナーとかで、分かりやすい人いるじゃない。
港区のタワーマンション住んでて、ベンツのGクラス乗ってて、
外縁西通り行ってて、子供私立の小学校に入ってますみたいな。
物語として読んで、なんだこれつまんねえなって思ってきたのが、
だいたい40代の半ば前半くらいで、つまんねえなと、この物語は。
どうするって言ったら、とりあえず早間引っ越すかみたいな。
もう意味分かんないですよね。なんでみたいな。
脈絡はなさそうですね。
ないですね。親とかもひえーとかって言ってましたけど、
なんとなく物語としてつまんなくなってきたと。
Bさんとタンパンで基本的に動いてると。定時に帰っちゃうみたいな。
自分の物語を拡覧してたんですけど、50代そうだね。
何の話でしたっけ。
ポートフリオっていうようなところだったんですけど、
今今のシューザンの肩書きみたいなところを見ると、
著作家とか独立研究者とかパブリックスピーカーみたいな。
あんまりその肩書きを持ってる人少なそうだなみたいな感じですけど。
ここは例えばバランスを意外と考えて普段動いてるよとか、
実はそれぐちゃぐちゃになって、どの自分っていうのは意外となかったりするのかなと。
そうですね。だからなんていうかね、やっぱりね、
肩書きの呪いっていうものはあると思ってて、
肩書き決めるとその肩書きの人がやらないことはやれないじゃないですか。
だから基本的に決めたくないんですよ、肩書きを。
で、やってることを書いてるだけなんですね。
調べて考える。で、それを書く。で、人前で話す。教える。
で、調べて考えるは研究者。書くは著作家。
人前で喋るはパブリックスピーカーなんで、
基本的にやってることを肩書きっぽく書くとそうなるっていうだけなんですよね。
なるほど。いいですね。
じゃあなんか、今は書くのが楽しいなとか、
今日は話したいなとか、やっぱりそういうのは自分というよりも
社会からの期待でどの自分で行こうかなみたいなことなんですか。
だからここは本書のコンセプトは、
まず自分の人生を自分で生きるっていうことなので、
主体性っていうのは自分のハンドルを握るっていうようなね、
例えで言われたりもしますけれども、
そのためにはやっぱり戦略的な物事に物事を考えていく、
道具っていうものがあった方がいいっていうことなんですけども、
一方で人間って社会的な存在だし、
自己を規定するのは関係性だっていうこともあるんだとすると、
周りの人が何を期待してるかっていうのはやっぱりすごく重要なわけですよね。
ですから自分の形はジグソーパズルのピースみたいなもんで、
自分で勝手に決められないと。周りのピースとの関係性で形が決まる。
そういう意味で言うと、自分のポートフォリオっていうのは、
こういうふうに広げよう、ああいうふうに広げようっていうのはもちろんありますけれども、
40代の半ばぐらいから会社の仕事はなるべく減らすっていうことをやってたときに、
自然に広がっていっちゃったっていうのはありますよね。
今の話、すごくグッとくるところがあって、
それこそ春のさっきの話で言うと、クリエイティブディレクターになるのであるっていう、
自分が何者になりたいのかっていう規定で、
このピースの形をデザインしていくっていうこともあったんだと思うんですけれども、
やっぱり結構社会関係資本がしっかり太ってきているフェーズで言うと、
期待があって、それに合わせて自分というものを豊かにデザインしていくっていう順番も、
それはそれでアリなんだなというか、お前にしかないのかっていう話でもないという感じですよね。
国文工一郎先生が哲学者の中道体ってことを言ってて、
能動体でも受動体でもないと。
世の中も個人もみんな中道体で生きてるっていうことを言ってますよね。
確かに言われてみるとそうで、
能動体と受動体で物事って整理されようとするじゃないですか。
あなたの意思でやったのか、それともやらされたのか。
会社に来てるのはあなたの意思で来たのかって言われると、
それはもちろん意思で来てるんだけど、
一方で会社来ないと怒られるし、来ないとまずいからって。
じゃあ来させられたのかみたいな話を言われると、
いや、それだけじゃないと。
だから中道体なわけですよね。
その使い分けみたいなものも結構重要なのかなっていう気がしますけどね。
なるほど、面白いです。
確かにグレーゾーンを許せない生き方って結構生きにくそうだなっていう感じですね。
僕が見てて失敗してるのは、みんな極端にどっちかなんですよ。
だから、農道体しかないっていう人もいるんですね。
典型的には、明らかにコンサル向いてないよって思ってるのに、
コンサル会社1年でクビになって、1年でクビになってっていうのをずっと繰り返して、
どんどん格下のコンサルティング会社に移っていくっていう人もいるんですけど、
15年くらい、いまだにコンサル探偵やってるんだけど、
農道体でコンサル探偵やるって決めてるんですよ。
向いてないし、期待してないんだから周りがね。
なんで他のことやらないのかしらっていうふうに、僕なんかだと思うんですけど。
一方で児童体しかないっていう人もいて、親がこう言ってるからとか、
家族がこういうこと望んでるからって言うんで、
じゃああなた何したいのっていうと、てんてんてんみたいな。
コンサルティング会社なんて結構多いと思うんですよね。
世間的に結構ね、花話って言われてるし、報酬水準も高いし、
親も家族もみんな喜ぶっていうかね、プラウドークできるんでやってんだけど、
でももうちょっと辞めたいんだけどっていう時に、
じゃあ辞めて何するのっていうと、てんてんてんみたいな人いて、
人間の脳みそって筋肉と同じなんで、考えないとやっぱり鈍っていっちゃうんですよね。
自分で何したいのかっていうこと考えない。
だからその人はもうそこの回路が筋肉っていうか神経回路なんで、
神経回路はやっぱり切れてるわけですよね。あるいはもうなくなっちゃってる。
そうするとやっぱりいきなり何したいって言われてもとか、
やんなきゃいけないこと言ってくださいみたいな話になっちゃうわけで。
なるほどな。今ちょっと僕反省したことが一個あって、
取締役会ってうちの会社もあるんですね。
4,5人とかで結構舵取りを考えるような会議があって、
やっぱり1年に何度かは結構長期的な視点の話をしようみたいなところがあるじゃないですか。
僕一応社長なんで、割と成分で言うと能動体の方が多いかなっていう資格はあるんですね。
社交したりとか。
ただやっぱり同じ船に乗って一緒に舵取りをしてるっていう仲間で言うと、
みんなのああしたい、こうしたい、めちゃくちゃ聞きたいっていうのが自分の中にあって、
そこの解像度がやっぱりバラつきはあるんですよね。
それは本当に一人一人のタイミングにもよるんですけど、
その解像度が別にまだないかなみたいなときに、
すごく嫌ないのかっていうふうに、怒りまではいかないですけども、
フラストレートするっていうのがあって、
でも全員が100で能動体の塊になることが医学ではないんだなっていうことを今ちょっと思ったりして、
ある程度、能動じゃないということは柔道なんだでもないとか、
その間のニュートラルな部分っていうのはすごく重要にしていきたいなと思った秋からまた派生しましたけども。
これはなかなかセンスみたいなものも絡むんで、
受動体的に振り回されてる人生でもない。
世の中で言われてることに振り回されてるだけの人生でもないし、
能動体的に自分がやりたいやりたいと空回りして独自に陥っちゃってるだけでもない。
曰く言い難いタイミングにもよるしね。
その能動がすごく出るタイミングと受動のタイミングとかもあるでしょうし、
そこって結構人生経験っていうかね、いろいろな失敗も含めてバカ図がいるかなっていう気がしますね。
ありがとうございます。
ではですね、最後、人生の冬っていうことで話を移していきたいんですけれども、
サブテーマ、与えるみたいなキーワードになってます。
別名で言うと衰退期っていうふうにも呼ばれていて、
年齢の刻みで言うとやや70代から。
ここでは更新の活動、次に続く方への活動を支援したり、
人と人をつなぐみたいなことに時間を使っていくといいんじゃないかみたいな、
そんなまとめがあって、なるほどなるほどと思ってたわけですね。
当然僕もですし、しゅうさんもまだ冬にはいたってないというような感じなんですが、
来たる70代に向けてワクワクしてますか?
うん、してますね。
僕はね、20代より30代が楽しかったし、30代より40代の方が楽しくて、
40代より50代の方が今のところ楽しいんですよ。
60代はもっと楽しいよって、50代が結構分数入れって言われてて、
50代楽しい人は60代も楽しいし、60代楽しい人は大体70代も楽しい。
ただ健康だけ気をつけろとか言われてますけれども、
どんだけ楽しいんだ今こんだけ楽しいのにもっと楽しくなるわけって思ってますね。
いいですね。
具体的に別にやりたいことがパキッとあるわけでもなくても、きっと楽しいだろうというような感覚ですか?
ただ、やっぱり基本的に与えて与えて全部与えきっちゃって、
全部ゼロでなくなるっていうのが一番いいと思うんですよ。
70代で取り込んで取り込んで全部得てっていう風にしようとしてる人って、
大体不幸になっていくでしょう。
だから、全部与えて与えて自分がすっからかになって、
最後70、80でなくなるっていうのが一番いいんじゃないかなと思ってますけどね。
この間ね、エビスの里直さんのバーに一緒に行きましたよね。
そこでダイヴィズゼロっていう本の話題にもなったなと。
僕も読んだんですけど、僕今もうちょっとで40なんですよ。
若いね。
40代なんで。
8月だよね、まさに。
太陽が一番高い。
もうね、山下達郎聞こえてきちゃう。
そうそう。
後継数があるからね。
そうなんですよ。
でもダイヴィズゼロ、つまりゼロでなくなるっていうような、
これにいろんなこと書かれてましたけど、
資産を減らして始めるタイミングは45歳がいいんじゃないかみたいな。
もちろん人によるだろうけど、
でも明確にそれが書かれてるっていうのは、
あと5年なのか、みたいな。
すごく思ったより早いな、みたいな感覚もありますし、
それだけ自分がやりたいこととかにちゃんとためずに使ってこうね、
みたいな感覚だったりはすると思いますけれども、
ゼロでなくなりたいっていう意識はすごく僕もそこから出てきたと思いますね。
その年、年齢で過剰なものと希少なものっていう関係性で捉えると、
時期にも実は変わるわけですよ。
例えば個人的な欲求のあり方とかね、
っていうものと供給されるものとか手元にあるものっていうことで言うと、
最近もちょっとアメリカではSNSで話題になってたみたいですけども、
あれはお金と体力と時間っていう関係で見てるのかな。
20代って時間は結構あるし体力はあるけどお金がないと。
だからできること限られてるし。
欲求っていうことで言うと仏欲もあったり聖欲もあったり、
いろいろな自己建築欲みたいなものもあったりすると。
欲は強いと。
何があるかっていうと時間、体力。
お金はないと。
30代になるとだんだんお金もできてくるんだけど、
今度時間がなくなってくる。
体力があると。
欲求もいろいろあると。
40代になるとお金もますますできる。
でも時間がますますなくなると。
体力は少し落ちると。
欲求のレベルは少し丸まってくると。
50代は欲求のレベルがかなり落ちて、
時間はある程度できてくる。
人によってはね、
エグゼクティブになったりするとめちゃくちゃ忙しくなるんだけど、
多くの人にとっては50代は知りどくんで。
お金もある。
時間もある。
体力もあるということで、
お金、時間、体力のトライアングルが
最もバランスよく整ってくるのが50代なので、
50代が一番楽しい。
なるほど。
っていうのがSNSで話題になってた主張なんですね。
ところが、
お金と体力と時間と欲求のあり方のバランスが一番取れてる50代を
旅行に行ったりとか、
やりたかったことをやったりとかっていうのを使わずに、
ダラダラ仕事して過ごす人がすごく多いから、
もったいないってことを言ってたんですよね。
60代になるともちろん時間もさらにできるんだけども、
ガクッと体力のレベルが落ちるので、
50代だったらできた、
例えば旅行だとか、あるいは新しいスポーツだとか、
なんとか習い事だとかっていうのも、
かなりできなくなってくるっていうので、
この50代ピーク説っていうのは、
なかなかこの間読んで面白かったんですけど。
そうですね。
そこがあって、
例えば50代に習得した、
サーフィンの新しい趣味があったから70でも続けられてるみたいなこととか、
結局それが健康にまた戻ってくるみたいなこともありそうですからね。
すごい、その話はうっとくるところがありますね。
そうね。
最後このパートで聞いてみたいなというラストのクエスチョンなんですけど、
逆に今70代以上の方々にとって、
リクエストまたはアドバイスしたいことみたいなのをちょっと挙げてみるとなんだろうなと。
ごめんなさい。
今70代の方々に対して、ある意味先輩ですけども、
リクエストしたいこととか、
ちょっと今話出ちゃってたかもしれないですけども、
さっきの話で言えば、もう体力は割と減ってきている。
お金と時間があるような方に対して、
書籍の中で言えば、
いわゆるサーバントリーダーシップ的なお話もあるかもしれないですし、
ここを意識して生きてみてほしいみたいなところを、
ちょうどうちの親父とかがそれぐらいに差し掛かってくるんですけども、
何を言ってあげるといいかなというのをちょっと考えてたんですよね。
難しいですね。
普通に直感的に出てきちゃうのは、
Don't disturbということで、
引っ掛け回さないでくれっていうことですよね。
全般的に言えることはね、今の日本の状況を考えると。
70,80で企業の経営に首を突っ込んできて、
引っ掛け回している人がすごく多いので、
Don't disturbというのが、まずは筆頭に来ると思うんですけども、
一方で、極度にそれを意識して引っ込んじゃっている人もいると思うんですよ。
70になっていないのは想像できないですけどね。
テレビばっかり見てるんじゃないとかね、そういう感じですかね。
ちゃんと勉強しろって話ですかね。
学びは楽しいですからね。
人生の最後に見取りをやるような仕事をやっている人って世の中にたくさんいまして、
この本書の中にも出てきたんですけれども、
人が死ぬときに後悔することって何かって言ったら、
典型的にはもっと友達と会えばよかった、もっと自分を大事にすればよかった、
もっと家族と時間を過ごせばよかったっていうのが典型で、
もっと出世したかったとかね、もっと仕事したかったとか、
もっとお金を稼ぎたかったってほとんど出ないんですよ。
これってね、結局何言ってるかっていうと、さっき言った人的資本、社会資本、金融資本の3つに関して言うと、
最終的に人生のクオリティを決めるのってやっぱり社会資本なんですよね。
だから人に会った方がいいと思います。70代になったら。
あるいはその回復させる。どこでもいいからコミュニティに入って新しい関係性を作っていくとか、
あるいは古い友達に連絡取って一緒に旅行に行ってみるとか、何でもいいんで。
人生の最後で、お金って最後って本当にどうでもよくなってくるじゃないですか。
フェラーリ欲しいぜとかね、キャバクラ行きまくるぜとか、70代でそういう欲求があるんであれば、
それは言わず儲かるので多分幸せなんでしょうから、大いにおやりになったらいいと思うんですけど。
通常お金ってどうでもよくなってくるわけですよ、最低限の暮らしができるんであれば。
なってくると、クオリティ・オブ・ライフを決めてくれるのは、社会資本の比重がどんどん大きくなってくるんで、70代、80代はね。
切れてしまった社会資本だったら、それを回復するっていうことをやられた方がいいと思うし、
さらには新しく作るっていうこともできますから、
例えば、僕がヨーロッパの友達なんかを見ていて、そういう議論をしていて感じるのは、
70代、80代って大学入り直す人ってすごい多いんですよ、ヨーロッパって。
本当に20代の学生と一緒にワークショップやったりして、普通に飲み会も行ったりすると。
それはちょっとヨーロッパの例なんで、日本だと少しやりにくいってのはあるかもわからないですけど。
うちの親父がすごく幸せそうなんです。
やっぱりね、いろんなところに出入りしてるんですよ。
語の研究会だとか、あとシェイクスピアとか源氏物語とか文学好きなんで、
そういう勉強会があるとしょっちゅう出入りして、ほぼ週に5日はそういう勉強会がどこかであるので出入りしてて、
その勉強会の飲み会があるとか、今日はちょっと遅くなるとか、80過ぎですよ。
あれ見てると、たぶん今一番幸せそうなんですよね。
いい話ですね。
締めくくっていくと、僕はそれを聞いて、もともと思ってたことを思い出したんですよ。
働きすぎてるせいか、別に友達が少ない人生ではなかったんですけど、
今交流してる友達っていう人ってかなり少ない状態の時期なんですね。
新しく友達作るってなったときに、
親父よりも年取ってる70代の人と友達になりたいっていう漠然とあるんですよ。
特にマインタウンみたいな映画とかを見た後とかはすごく思うんですよね。
なので、自分にないものを明らかに持ってるっていうところからすると、
年齢をそこまで話しちゃうと、明らかに動質性が下がっていくっていうのは予想できるんで、
回復するって話もありましたけど、ぜひ僕はいろんな方と友達になりたいなというのは思いますね。
僕の今話を聞いてて思い出したのは、杉山幸太郎さんっていう、
伝通のクリエイティブの親分を長らく務めたレジェンドがいますけど、
彼がすごく、もう70過ぎの方ですけれども、
しょっちゅうご飯行こうよとか、2人とも旧車好き、古い車が好きなんで、
オートモビルカウンシルっていう古い車の展示会があると必ずそこを誘ってくれたりとかして、
本を読んで、ずっと勉強もされてるし、本を読んでこの人は面白い若手が出てきたなっていうと、
司令を返して紹介してくれって言って、食事しに行って、どんどんどんどんいまだに友達の輪を広げてるんですよね。
杉山さんもそうだし、スマイルズの遠山正道さんなんかもそうだと思うんですけども、
60代70代になってもますます元気で楽しそうにしている人たちっていうのは、
どんどんあの人と会いたいとかいう人とは、自ら積極的に関係性を作りに行ってて、
ラーツと全く威張らないんですよ。さっきのそれ、Don't Disturbっていうのにすごい近いんですけれども、
僕なんかのSNSの発信見て、杉山さんなんかはちょっとこれはどうかなと思うのもあるんだと思うんだけど、
ちょっとこれはどうかと思うよっていうメッセージが来るんじゃなくて、フワッとなんかね、来るんですよ。
フワッと来る。なんかね、やっぱりこういう時にこういう気持ちになることってあるよねみたいなのがポンと来るんだけど、
そういうのが来てる時はなんか思ってるはずなんですよ。
でもハッとすると、あれのことを言ってんだろうなっていうのはわかるんですよ。
だから、上から目線にドンと押さえつけるとか叱るとか、こうした方がいいよっていうアドバイスじゃなくて、
なんていうのかな、そういう考え方してると傷つく人がいるよとかね、それなんか難しい、やっぱりもう絶妙なんですよ、そのアドバイス。
司作的な方なんですね。
ちょっとぼやきみたいな感じでポツンと来るんですけど、
だからその距離感の取り方っていうのはすごくこう、上から目線で来られるとやっぱり若い人たちはね、あの人も鬱陶しいってなるし、
一方でじゃあなんかアドバイスしてくれないってなるとやっぱりね、本人もなんていうのかな、自分も自己効力感が下がっちゃうし、
これもやっぱりすごく難しいバランス感覚がね、いると思うんですけど、
ああいう70代になりたいなっていう目標はね、ロールモデルとしては僕はやっぱり出会えたので、そこは良かったですよね。