プロジェクトデザインルーム第26回、引き続き2度目小学校プロジェクトの古川理沙さんと対話を進めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで、プロジェクトの話はかなりディープに今日、掘っていきたいなと思うんですけど、
意外と僕がまだ知っているようで知らない、理沙さんのこれまでのお話とかも全然ありそうだなと思うので、
ちょっと改めて、これまでのどんなことを注力されてきたのかとか、ちょっとお話を聞いていきたくて、
まず、普段何やってますかっていうのを一回聞きたくて、もしかしたらいろいろ説明が大変かもしれないですけど、
説明以外のことも多分あるかなと思うので、ちょっと簡単にいつもしているプロフィール紹介みたいなのがあればお願いします。
普段の仕事。ものすごく自由に生きてて。
自由人だ。
まず、朝早くと夜は仕事はいれない。
やりたい仕事しかしないっていう前提で、自由に生きてるんですけど、やっていることで言うと、今現在で言うと保育園を2つ経営。
全く幼児教育なんてやったことがなかったんですけど、9年前と8年前に保育園を作っちゃって、それを経営しているのと、
経営なので現場にはほとんどいないんですけど、本当お客さんのように時々行って給食を食べさせてもらって美味しかったって言って帰るぐらいのことしかしてなくて、
それからレストラン併設型の物産館をひょんな御苑でやることになって、そっちの経営もしてることになってるんですけど、
そっちも時々ひょこっと行って、まかないを食べて帰ってくるみたいなことしかしてなくて、あとは農業法人を持っていて、時々農場に行く。
他は子供が2人いて、そのうちの1人が、1人は広島の学校に寮に入っちゃってるから家にいないんですけど、
もう1人は家にいるので、娘と遊ぶ時間が最近は結構長いかもしれない。
いい、というか、もうかなりいろいろやってるっていうことが。
そういう仕事のバランスとかもそんなにカッチリカッチリ決めずに、わりと流れの中で、今これが大事だなみたいな感じのバランスでやってるんですか。
前提としてすごく恵まれてるし、私が得意かもしれないと思ってるのが、自分がいなくてもちゃんと現場が回っていく仕組みを作るというか、
そういうメンバーを集めたりとか、そういうメンバーが楽しく、大変なこともいっぱいあるけど、
それでもやりがいを持って働けるような仕組みを作るっていうほど大層なことじゃないんですけど、そういう状態を作るっていうのは、わりと得意な方だと思っていて、
そのおかげで、どこの現場に行っても、どこの現場も、あんまり私が関わらなくても、ちゃんと回ってるから、
例えば今で言うと、この2度目小学校を作ろうっていうプロジェクト、もともとで言うと、保育園を立ち上げた9年前から、保育園小学校、中学校で作っていくつもりで始まってるから、厳密にはその9年前からこのプロジェクトは始まってはいるんだけど、
それやりたかったんですね。保育園小学校、中学校、まだ先もあるんだ。
これまで何度かチャンスらしきものが来ては消え、来ては消え、みたいなのを繰り返して、2年前についに校舎を買うことができるっていう運命の出会いみたいなのがあって、
本格的にこの2度目小学校設立準備財団っていうのができて以降は、基本的には私は、2度目小を作るためのことをやればいいという。
だからこの2年間はいろんな人に会って、このプロジェクトの話をしたりとか、人をスカウトというか仲間になってみたいな感じで仲間に引き入れたりとか。
いやー、すごい。
小学校ってすごく作るのが難しくって、借り入れじゃだめで、全部寄付でお金を集めないといけない。
土地建物運転資金をキャッシュで持ってるっていうのを示さないといけなくて、そのためにはもういろんな企業にご挨拶に行って寄付を集める必要があるんですけど、
だからこの2年間はいろんな会社に行って、2度目小のお話をさせていただいて、寄付をいただいてというのを繰り返している感じです。
なるほど。なんとなく想像がつきつつ。でも朝と夜は働かない。
はい。
今日はすいません、遅い時間に。
いや、とんでもないです。
今7時半ぐらいです。
少し今聞いてた内容からも想像ができる部分もあるんですけど、キャリアのこの歩みというか、先生にまずなったんですか。
そうなんです。
何の先生だったんですか。
日本語。
日本語の先生。
外国、私たち日本人が、日本語母語学者が英語とかフランス語とかを勉強するみたいに、外国語を母語としている人たちも外国語として日本語を勉強する。その先生。
じゃあ、相手にしているのはいろんな国の人たちに日本で日本語を教えてたんですか。
2000年代は韓国と中国に、日韓ワールドカップぐらいまでのソウルと北京オリンピックぐらいまでの中国。
そうなんだ。
結構楽しい時期にそれぞれその国にいて、日本に帰ってきてからも日本の大学とか高校とかには留学生がたくさんいるので、そこで10年ちょっと働いて。
数えたらですね、23カ国、2000人以上教え子がいました。
なるほど、すごいな。それはどれぐらいの年齢の人たちが相手だったんですか。
基本的には大学生以上がほとんど。
ほんとに実力としてそのスキルが必要な人に教えるっていうことをやってた。
そうです。
じゃあそこから、保育園で今ジャンプしちゃってるんだけど、なんかあったの?そこは。
ソウルにいた頃に、話が飛びまくるというかですけど、ソウルにいた頃にたまたまご縁があって、アメリカの教育学会の教え方に触れる機会があったんです。
プリンストン大学の先生がわざわざソウルまで来て教えてくださるっていう講座があって、
それを受けたときに、日本でこれまで自分が受けてきた教育とこんなに違うんだっていうのをすごい感動したことが結構現体験としてはあって、
それは会社経営にも通ずるところがあると思ってるんですけど、子育てとかにも。
何かっていうと、これまで私が日本で受けてきた教育っていうのは、結構1から10まで先生がデザインして、先生の手のひらの上で。
50分授業だったらだいたい45分ぐらいは先生がしゃべる時間。
確かに。
5分もしゃべることないじゃないですか、授業時間中に学校の。
そうだとしたときに、私たちが新しく触れた教育のやり方だと真逆で、
45分間生徒がとにかく自分の考えてることとかを伝えたくて伝えたくてしょうがなくなるようなクラスをデザインして、
思ってたほど伝えられなかったとか、思いがけずいいアイデアにたどり着いたとか、そういうことが起こるように教師が準備をする。
おもろ。
何か真逆なんですけど、子育ても同じで、
例えば、明日の学校の準備とか、全部親がやってあげていたくなっちゃう。
やってる。
そう、ほんと。
時ある。