1. プロジェクトの秘訣を探る Project Design Room
  2. #26-2 「ふつうの学校」をつく..
2025-12-23 14:09

#26-2 「ふつうの学校」をつくる挑戦 | 新留小学校設立準備財団 古川理沙

spotify apple_podcasts youtube

起業家、科学者、クリエイター、新時代を導くプロフェッショナルの原動力に迫るインタビューシリーズ。

第26回目のゲストは、一般財団法人私立新留小学校設立準備財団 共同代表の古川理沙さんです。

番組では「プロジェクトデザイン」の視点から対話し、プロフェッショナルの原動力に迫ります。


<ハイライト>

・令和の時代に新しく小学校をつくるにはどんなことが必要なのか?

・特異点ではなく、地域によって横展開できる「あたらしいふつう」の発想とは?

・リーダーの濃度がうすくなってもうまくいくプロジェクトのつくりかたは?


<新留小学校設立プロジェクトとは?>

私立新留小学校設立準備財団は、鹿児島県姶良市の旧・新留小学校の廃校を舞台に、新たな小学校の設立を目指しています。(2027年4月開校予定)


学校を地域の共有地と位置づけ、近隣の生産者と連携した給食、まちに開かれたランチルームとライブラリーなど、地域に暮らす人たちと共に学びの環境をつくっていきます。

学びが深まるほどに、小さな半径の生態系 (地域のつながりや経済、文化、自然環境)が豊かになっていく、再生されていく姿を目指します。

コンセプトは「ふつうの学校」。特別な方法論やプレイヤーに頼らずとも、その土地の文化やコミュニティの中で実現できる、どの地域の公立小学校(廃校になりそうな過疎地の小規模校を含む)でも再現可能なモデルとなることを目標としています。


現在ふるさと納税にて寄付を受付中です。

詳細は以下をご覧ください。


<個人向け>

⁠⁠https://furusato.yamap.com/gcf/projects/4772⁠⁠

(2025年12月31日まで)


<法人向け>

以下の事務局までお問合せください。

私立新留小学校設立準備財団 事務局

⁠⁠junbizaidan@gmail.com⁠⁠


<脳波アート「BWTC」によるドネーション>

こちらから古川理沙さんの脳波から作成したアートを購入できます。

購入いただくと、売上の全額が私立新留小学校設立準備財団に寄付されます。

⁠⁠https://bwtc.jp/collection/A1-0000001836⁠⁠


※BWTCとは?⁠⁠https://konel.jp/works/bwtc/⁠⁠

サマリー

古川理沙さんは、自由な働き方を通じて保育園や物産館を経営し、新たに小学校を設立しようと挑戦しています。彼女の教育理念は、従来の日本の教育システムとは異なり、生徒が主体となる授業のデザインを重視しています。新留小学校設立準備財団の古川理沙さんは、教育スタイルの違和感から学校設立の夢を語ります。また、保育園の設立過程や、教育の根本を見直す重要性についても触れます。

多様な仕事と自由なライフスタイル
プロジェクトデザインルーム第26回、引き続き2度目小学校プロジェクトの古川理沙さんと対話を進めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで、プロジェクトの話はかなりディープに今日、掘っていきたいなと思うんですけど、
意外と僕がまだ知っているようで知らない、理沙さんのこれまでのお話とかも全然ありそうだなと思うので、
ちょっと改めて、これまでのどんなことを注力されてきたのかとか、ちょっとお話を聞いていきたくて、
まず、普段何やってますかっていうのを一回聞きたくて、もしかしたらいろいろ説明が大変かもしれないですけど、
説明以外のことも多分あるかなと思うので、ちょっと簡単にいつもしているプロフィール紹介みたいなのがあればお願いします。
普段の仕事。ものすごく自由に生きてて。
自由人だ。
まず、朝早くと夜は仕事はいれない。
やりたい仕事しかしないっていう前提で、自由に生きてるんですけど、やっていることで言うと、今現在で言うと保育園を2つ経営。
全く幼児教育なんてやったことがなかったんですけど、9年前と8年前に保育園を作っちゃって、それを経営しているのと、
経営なので現場にはほとんどいないんですけど、本当お客さんのように時々行って給食を食べさせてもらって美味しかったって言って帰るぐらいのことしかしてなくて、
それからレストラン併設型の物産館をひょんな御苑でやることになって、そっちの経営もしてることになってるんですけど、
そっちも時々ひょこっと行って、まかないを食べて帰ってくるみたいなことしかしてなくて、あとは農業法人を持っていて、時々農場に行く。
他は子供が2人いて、そのうちの1人が、1人は広島の学校に寮に入っちゃってるから家にいないんですけど、
もう1人は家にいるので、娘と遊ぶ時間が最近は結構長いかもしれない。
いい、というか、もうかなりいろいろやってるっていうことが。
そういう仕事のバランスとかもそんなにカッチリカッチリ決めずに、わりと流れの中で、今これが大事だなみたいな感じのバランスでやってるんですか。
前提としてすごく恵まれてるし、私が得意かもしれないと思ってるのが、自分がいなくてもちゃんと現場が回っていく仕組みを作るというか、
そういうメンバーを集めたりとか、そういうメンバーが楽しく、大変なこともいっぱいあるけど、
それでもやりがいを持って働けるような仕組みを作るっていうほど大層なことじゃないんですけど、そういう状態を作るっていうのは、わりと得意な方だと思っていて、
そのおかげで、どこの現場に行っても、どこの現場も、あんまり私が関わらなくても、ちゃんと回ってるから、
例えば今で言うと、この2度目小学校を作ろうっていうプロジェクト、もともとで言うと、保育園を立ち上げた9年前から、保育園小学校、中学校で作っていくつもりで始まってるから、厳密にはその9年前からこのプロジェクトは始まってはいるんだけど、
それやりたかったんですね。保育園小学校、中学校、まだ先もあるんだ。
これまで何度かチャンスらしきものが来ては消え、来ては消え、みたいなのを繰り返して、2年前についに校舎を買うことができるっていう運命の出会いみたいなのがあって、
本格的にこの2度目小学校設立準備財団っていうのができて以降は、基本的には私は、2度目小を作るためのことをやればいいという。
だからこの2年間はいろんな人に会って、このプロジェクトの話をしたりとか、人をスカウトというか仲間になってみたいな感じで仲間に引き入れたりとか。
教育理念と新たな挑戦
いやー、すごい。
小学校ってすごく作るのが難しくって、借り入れじゃだめで、全部寄付でお金を集めないといけない。
土地建物運転資金をキャッシュで持ってるっていうのを示さないといけなくて、そのためにはもういろんな企業にご挨拶に行って寄付を集める必要があるんですけど、
だからこの2年間はいろんな会社に行って、2度目小のお話をさせていただいて、寄付をいただいてというのを繰り返している感じです。
なるほど。なんとなく想像がつきつつ。でも朝と夜は働かない。
はい。
今日はすいません、遅い時間に。
いや、とんでもないです。
今7時半ぐらいです。
少し今聞いてた内容からも想像ができる部分もあるんですけど、キャリアのこの歩みというか、先生にまずなったんですか。
そうなんです。
何の先生だったんですか。
日本語。
日本語の先生。
外国、私たち日本人が、日本語母語学者が英語とかフランス語とかを勉強するみたいに、外国語を母語としている人たちも外国語として日本語を勉強する。その先生。
じゃあ、相手にしているのはいろんな国の人たちに日本で日本語を教えてたんですか。
2000年代は韓国と中国に、日韓ワールドカップぐらいまでのソウルと北京オリンピックぐらいまでの中国。
そうなんだ。
結構楽しい時期にそれぞれその国にいて、日本に帰ってきてからも日本の大学とか高校とかには留学生がたくさんいるので、そこで10年ちょっと働いて。
数えたらですね、23カ国、2000人以上教え子がいました。
なるほど、すごいな。それはどれぐらいの年齢の人たちが相手だったんですか。
基本的には大学生以上がほとんど。
ほんとに実力としてそのスキルが必要な人に教えるっていうことをやってた。
そうです。
じゃあそこから、保育園で今ジャンプしちゃってるんだけど、なんかあったの?そこは。
ソウルにいた頃に、話が飛びまくるというかですけど、ソウルにいた頃にたまたまご縁があって、アメリカの教育学会の教え方に触れる機会があったんです。
プリンストン大学の先生がわざわざソウルまで来て教えてくださるっていう講座があって、
それを受けたときに、日本でこれまで自分が受けてきた教育とこんなに違うんだっていうのをすごい感動したことが結構現体験としてはあって、
それは会社経営にも通ずるところがあると思ってるんですけど、子育てとかにも。
何かっていうと、これまで私が日本で受けてきた教育っていうのは、結構1から10まで先生がデザインして、先生の手のひらの上で。
50分授業だったらだいたい45分ぐらいは先生がしゃべる時間。
確かに。
5分もしゃべることないじゃないですか、授業時間中に学校の。
そうだとしたときに、私たちが新しく触れた教育のやり方だと真逆で、
45分間生徒がとにかく自分の考えてることとかを伝えたくて伝えたくてしょうがなくなるようなクラスをデザインして、
思ってたほど伝えられなかったとか、思いがけずいいアイデアにたどり着いたとか、そういうことが起こるように教師が準備をする。
おもろ。
何か真逆なんですけど、子育ても同じで、
例えば、明日の学校の準備とか、全部親がやってあげていたくなっちゃう。
やってる。
そう、ほんと。
時ある。
教育のスタイルとその影響
まあ、時だけはね。
もっと言うと、例えば、毎日の食べることとか、部屋の掃除とか、
例えば、自分がトイレに入って汚れたとき、パッと掃除して出てくるか、それは誰かが掃除してくれるものとしてそのままか、
洗濯物がたくさん溜まっているときに、パッと自分で洗濯をするかどうか、みたいなこととか、
先生とか親とか、あるいは経営者とかが、1から10までやってあげればやってあげるほど受けてというか、子供たちとか社員とかは、とにかく指示を待つ。
なるほど。
ようになる。
なるほど。
そうすると、自分たちで試行錯誤する力があんまり育たなくて、というふうな、そういう構造があるなっていうのに気づいたんですね。
で、日本語の教師、中国では大学の教員をしてたんですけど、その後、日本に帰ってきて、日本の大学とか高専の教員をしながら、会社も始めたんです。
全然畑の違う会社を立ち上げて、その経営者たちとの、いろいろ話をしたりとかする中で、結構、新卒を、新卒で自分の会社に来てもらってから、いろいろ研修とかしても、なかなかそっからじゃ変わらないものってあるよね、みたいな、ぶっちゃけの話とかをする。
はい。
もちろん無駄ではないんだけど、もっと手前のところでいろんな力がついてると、より彼らにとってもいいよね、みたいな話をしちゃう。
で、大学でも教えてると、大学の教務室とかでも、もともと大学って、俺たちが若い頃って、大学ってもっと学問を極める場だったはずだけど、今や自分たちが、生徒たちに言うのが、学生たちに言うのが、定室期限を守れとか、朝ちゃんと起きろとか。
高校までにもっと力つけててほしいな、みたいなことを言うんです。
高校、校船の教務室でも似たような話をしてて。で、なると、ちっさければちっさいほど、そういうベースの力を早いうちにつけてた方が、本人のためにもいいし、社会のためにもいいなと思って。
で、それでなんか、いろんなご縁が重なって、保育園作りましょうっていう。
なるほど。
ある日突然、そんなことになっちゃって、作ってしまった。
新留小学校の設立について
あ、めちゃ画点がいった。というか、要は人にとっての根本の初めての社会。
そう。
だもんね、保育園って。あ、そうか。できちゃったんだ、それ。
そう。
ご縁で。やっぱそうか、おもしろいな。
じゃあやっぱりその、なんとなく疑問に思ってた教育スタイルの違和感とか、それを会社とか経営みたいな、ちょっと違う領域でも、やっぱりなんか疑問に思うことがあって、一番最初の源流の部分にタッチしたいっていうところにご縁っていうわ。
うんうん。
それは画点がいきました。で、なんだろう、その時は結構もう、フルコミットとかもう、じゃあ保育園作るぞって01をガンガンやって仲間集めてみたいな。
へー。
急にいろいろ、要はいろんなこと辞めて、それを始めたっていう感じですもんね、たぶんね。
いろんなことをやりながら。
やりながら。
やっぱ01が好きなんですね、きっとね、それも。
で、それをいなくても続けられるような01をやるかどうかっていうのはすごく、なんかめっちゃそこ入門したいなっていう気持ちになっています、それは。
おもしろい。
はい。じゃあそんなりささんですけど、今後はまた道半ばということで、きっといろんなご縁があるだろうなということですが、
はい、よくわかりました。そういう人と今まで話してたんだなっていうのがなんか理解できたんで、もっとこういうこと聞こうとか今ちょっと頭の中に沸いてますけど、
この週はりささんについてお話を聞いたので、次のパートではもっと一番の本題ですね、二度目小学校今どうなってるんだっていうことをお伺いしていこうと思います。
じゃあパート2ここまででありがとうございました。
ありがとうございました。
14:09

コメント

スクロール