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2023-09-25 18:42

#2 農×山浦②(農業との出会い)

前回からの続きということで今回は山浦と農業の出会いと4Hクラブの面白さ、これからの農業への想いを共有します。

雑音、ボリューム調整中。(試行錯誤中です、ごめんなさい。)

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そういった悩みを抱えながら、悶々とトラックドライバーをしていたわけなんですけれども、その時に
嬉しいお声掛けがありましてですね、そこが初めて農業との出会いになるんですけれども、
かんぼちゃの知り合いの方からですね、農業系のベンチャーで海外で農業をしていくような仕事に興味ある人いないかというところで、
どちらかというと農業という言葉よりは海外という言葉にですね、強く惹かれてですね、条件も何も聞かずに
すぐにスカイプで面接をさせていただいて、ぜひやりたいということを言わさせていただきました。
その時の拠点がですね、長野県軽井沢に会社がありまして、
そこにその後ですね、単身赴任という形で嫁子供を置いてですね、行くことになります。
その会社は軽井沢で標高高いところなので、まだ畑ができないよう、ちょうど4月頃だったんですけど、
だったので、農部屋はアグレですね、私の前職になるんですけれども、そこでパイプハウスを冬の間春、4月まで作っているから、
そこ手伝っておいでというところで、農業経験の一つとしてですね、4月の1ヶ月間アグレスにお邪魔させていただいて、パイプハウスを一緒に建設を手伝わせていただきました。
その時にアグレスの代表土屋さんとですね、仲良くさせてもらって、またぜひ一緒にいろいろやりたいなという話はしていたんですけれども、
やっぱり私が行ったのは軽井沢だったので、そちらの会社に入って、まずやらされたというか、
まずお願いされたのが、大品目で高い野菜を無農薬でオーガニックという形でやらせてやっていた事業だったので、日本ではですね、
じゃあその大品目の栽培をよろしくということで、おそらく40品目ぐらいは夏の間でハーブとかも含めてですね、作っていたんですけれども、それをもう任すと言われてですね、
全く農業の素人だったんですけれども、これはでもお高いの注文も来るしということで、
何とか野菜を作らなきゃいけないと。一人おじさん、農家、熟練のおじさんはいたんですけれども、ほぼ一緒に働くことは少なくてですね、
とにかく自分で調べて、それこそ農業をやってそうな人にたくさん聞いて、本も買って、検索もしてというので、
無農薬って逆に言えばもう植えときゃなるので、余計な肥料でやったりとか、特に入れずにやっときゃなるので、それでもう何とかやり過ごしたという感じで、
その夏を終えて、あれ海外の授業はというところで、インドネシアの方でのお米を作る授業とかもあったんですけれども、そちらには入れてもらえず、
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君は中国に行ってきなさいということで、中国は上海郊外にある昆山の中国資本の農業施設に放り込まれてですね、日本から来た農業アドバイザーだというところで、
週の半年もあるかないかぐらいのところでですね、そんなことをしているとですね、やっぱり少しずつメッキも剥がれていくわけですよね。どんだけ調べてそれを伝えようが、
伝えるにしても、ある程度英語であれば伝えようもあったかなと思うんですけれども、
中国の皆さんというのは、ある程度現場作業系の人で英語をしゃべれるという人はほとんどいなくてですね、
もうその当時の、それも10年前ですけれども、Google翻訳もあまり精度も高くない中で、ずっとそれでやり取りしつつ、中国語も頑張って学ぼうともしたんですけれども、
なかなかそこも、うまいコミュニケーションにはつながらずですね、全然うまくいかないわけですよね。
そういった中で半年、ちょっと家族、子どもとも離れていて、2人目も生まれるという中で、かなり精神的にも
きつかった状況で、中国にもたまに帰ってきながら行っていたんですけれども、最後は中国のその会社の方で、
うちが預けていたお金を返してくれないということで、揉め事が起きましてですね、これはちょっともうここでは続けていけないですと、
社長の方に伝えたところでは、撤退に撤退するかというところで、撤退するのであれば引き継ぎもないし、
ご迷惑もかけないかなと、自分勝手な考えだったかもしれないんですけれども、ちょっとこのまま生きていくのは家族にもちょっと資金的には迷惑をかけていたので、
厳しいなというところで、中国というよりカリダーのカリダネを退職させていただいて、
そのことをたまたまなのか何なのか、わらおもすがる思いなのか、ちょっと忘れましたけれども、
アグレスの土屋代表にもお伝えしたところ、ぜひうちに来てほしいと言っていただいてですね、
何とか家族を養える仕事をまたありつけたなと思ってはいたんですけれども、私自身が農業自体はそこの経験でめちゃくちゃ楽しいし面白いなと思ったんですけれども、
例えばずっとアグレスはほうれん草の会社で現場作業だけをやり続けるスタッフ、社員であるならば、私はもうそれには耐えられないと思う。
自分の性格上わかっていたので、そこはちょっと厳しいですよということを伝えたら、
数年しっかり現場を出た上で、いずれは企画であったりとか事業開発のほう、それ以外の仕事等もお願いしたいと約束してくれたので、アグレスという会社に入らせていただきました。
アグレスに入ったところでトマトでやったりとか、アグレスは信山なんですけど山梨でトマトもちょっと最初はやっていたりとか、
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レタス、白菜等、ほうれん草の現場もそうなんですけれども、最初の4年、4.5年から中途半端に5年ぐらいまではちょこちょこ現場にも出てたんですけれども、
そういう経験をさせてもらって、なるほど農業の現場ではこういうものかと、トラクターの乗り方も教えてもらって、いまだに免許も持ってないんですけれども、大得ですね。
そういった中で土屋代表が約束を守っていただいて、山梨さんのできる、やりたい事業開発の仕事をやってくださいと言っていただいてですね、
いただいた約束が未来開発室長ということで、未来を開発すると農業、農家、農業法人の次の事業を探しに行くような約束をいただいてですね、様々なことに挑戦しました。
そこで最初に作ったのが、自分の海外経験を踏まえた農業に特化した海外スタディーツアー、ノースターというので、
今でもカンボジアに行ってますけれども、カンボジアに農業系の若手農家さん、もしくは大学生、もしくは卸、農業系の人なら誰でもというところで、
カンボジアに行くツアーを2018年から始めていて、これはもう自分の事業だったので、今ミッツテラスでも引き継いで行っているんですけれども、
もう毎年、2018年、2019年、20年までですね、コロナが流行る寸前までですね、行かせてもらって、まあ自分的にはかなり良い事業だなと思っております。
まだまだ認知度も少ないので、行きたいと出てあげる人は少ないんですけれども、やっぱり農家さんが初めて海外に行って、特にカンボジアという日本とは全く違う世界、未知の文化、未知の経験を共有すること、
風景とかも人柄とかも全部そうなんですけれども、というところが大学生だったり農家さんに対してものすごい大きい影響を与えているなというか、きっかけを与えているなという感じが、一緒にいていてすごく伝わってきてですね、今後もこれはやっていくべきだなと思って今もやっています。
本来それに乗じてですね、アグレスの海外事業をやっていきたいなと思って準備をしていたわけなんですけれども、そこでやっぱり2020年の4月ぐらいから猛威を奮い出すですね、新型コロナがあって、それが全くダメになると。
会社の農業、栽培事業自体はですね、大きく影響はなかったかなと思うんですけれども、私は新規事業で外ばっかり出たので、それはかなり精神的にもきつかったなと思って、どうしよう、やることが何もなくなってしまったというか、目的が海外に向いていたので、それがなくなってしまったなというところで、
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一つだけ持っていたのがほうれん草カレーという加工品を作るという事業というか、そこまで最初は力を入れていなかったんですけれども、これを加工品にして売り出すという事業をやってみようと思ってですね、様々なレシピを考える人とかとやり取りをしながらクラウドファンディングもやらせてもらって、50万という目標に掲げて250万近くいただいて大成功。
それに応じてやっぱりプレスとかも出させてもらって、全国メディア、ローカルメディア、新聞等もたくさん出させてもらってですね、一時は本当に全国メディアにも出たので予約待ちになるような感じで制度が全く追いつかないというところもあったり、またコロナで巣ごもり需要みたいなのもあったので、美味しい加工品というのがかなり当たった、うまいタイミングで当たったんじゃないかなと思っていました。
それと同時に、じゃあキッチンカーでコロナもいずれ終わるので、延山の高原でキッチンカーレストランみたいなのもやろうみたいな感じで動いていたりして、キッチンカーの用意もして、ちょっと夏に間に合わなかったのでイベントであったりとかに出てちょこちょこ現金収入みたいな形で事業もスタートしていました。
大きいところで言うと、それと同時に4Hクラブというものとの出会いが自分にとってはかなり大きかったなと思います。
というのが、一番最初にアグレスの代表である土屋さんに柵の飲み会みたいなところに連れて行かれまして、その時はもう4Hクラブというのも、長野県の4Hクラブパルネット長野というんですけれども、そこの名前も何の意味もわからないまま言ってですね、パルネット長野、要は長野県4Hクラブの理事として山浦をアグレスから出しますということをその場で言われてですね、
何かよくわからないけどわかりました、任せてくださいみたいな感じで受けさせてもらって、パルネット長野に入ってですね、言いたいことを言ってたら2年目で長野県の会長にならせていただいたんですけれども、何でそこまで盛り上がったかというのは、今までやっぱりアグレスという一つの会社の中でそこが私の農業の世界の全てだったわけですよね。
それが4Hクラブパルネット長野という長野県の他の地域であったりとか、他の品目の農家さんと様々交流する中で、めちゃくちゃそれが面白くて、と同時にたくさんの課題も見えてきて、そうかと、農業というのはいろんな形があるし、いろんな働き方がある。何ならほとんどがまだまだ個人事業なんだなというところとかも見えてですね、
そういう人たちの様々なアグレスでは見えなかった挑戦とかを見ることがとにかく楽しくてですね、交流にもとにかく参加しましたし、理事会とかでもいろんな意見を出させてもらっているうちに、信頼を勝ち取ったのか、信頼していただいたのか、次の会長になる手がいなかったというのが大きな原因なんですけれども、2年目でパルネットの会長にならせてもらって、
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県の会長になるとやっぱり全国とのつながりができてくる中で全国の会長会議というものがありましてですね、そこになってくると長野県だけでも盛り上がったのに、各会長が、もしくはそこに関係する農家さんたちがとにかくまた変態ぞろいでですね、これは面白いと、こんな長野ではこうだったけど北海道ではこうなんだ、九州ではこうなんだ、北関東ではこうなんだとか、
とにかく面白い農家さん、またやっぱりアグレッシブな人がそういう役職に就くんですね。そういった中で4-Hクラブが楽しくなって、またその中で盛り上がってくると言いたいことを言っているとですね、こいつなんか物を言うなと、じゃあやってくれるんじゃないかというところで理事になったり、事務局次長になったり、副会長になったりの社会という4-Hクラブの一番大きいイベントの実行委員会、
4-Hクラブの一番大きいイベントの実行委員会に入れさせてもらったりというところで、とにかく横とのつながりをどんどんどんどん広げて活かしてもらって、それはもちろん楽しい学びになるというところでやらせてもらっていたんですけれども、最終的には会長という役職で、令和4年度第69代の会長というところで、一応全国、コロナちょうど明けの会長だったので全国走り回らせていただいて、
またさらにいろんな経験をいただいたなという部分があります。もちろん4-Hクラブのために何ができるかという部分をですね、役員の皆さんと一緒に考えていくというのも、自分にとってはものすごく価値のある時間だったなと。ある意味でめちゃくちゃ大変で、家族もおいて全国に行ったり、まためちゃくちゃ悩むところもたくさんあったんですけれども、今会長を引退してですね、顧問という現状立場ではあるんですけれども、それ自体が価値ある時間だったなと思いました。
私の農業の変歴というところで言うと、そういうところなので、正直お前農家かと言われると、現状はまだ農家、アグレスをやめてですね、現状農家と言える立場ではない状況でもありますし、現場には4-5年いたものの、結局それはもう社長であったりリーダーの指示のもと作業をしていたというところなので、基本的な手作業は大体できるしトラクターも乗れるんですけれども、
技術を持っているかというと、自分で考えて肥料を作ったり、栽培収穫のタイミングを測ったことはその当時はなくて、なので何も農業的に技術的に強いテクニックを持っているわけではない。
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ただ、多くの農家さんと関連させてもらって、農系企業さん、農系サービスの会社さんともお仲良くさせてもらっているという部分と、あと農水省であったりとか、例えば法人協会という農業の組織もあるのでですね、そういった皆さんと関係することで農業の全体像であったりとか、農業の今後の流れみたいなのは少し勉強させてもらったかなと思っています。
その中でやっぱり農業に対して強く思うのはですね、やっぱり無限の可能性はあるんです。その可能性はあるんですけれども、そこに対しての視野を持っている人が現状そこまでやっぱり絶対数からしてあまり多くないんじゃないかなというのが私の考えというか、現状を見たときの意見なんですよね。
そうした時に、今じゃあ何をすべきかって考えたのが海外で未知の文化、未知の体験をする。そうすることによって自信を持つことと視野を広げることというのが今の日本農業、今のというかその当時になるかもしれないですけれども、農業界、要は農家さんにとっては大事になるんじゃないかなと思います。
現状の日本の農業というところで見ると、やっぱり2000年以降インターネット出てAIが出て、社会の活動も全く新型コロナもあってですね、社会の活動も変わってという中で言うと、やっぱり農業、要は農作物の売り方もどんどん変わってますし、ECの大統というのもありますけれども、さまざまなサービスというのが生まれて、自分で農作物に値段をつけることもできますし、要は農作物を売る以外でもお金を作るポイントがあります。
いわゆるキャッシュポイントというのは農家にはたくさんあるのに、なんでみんなそれしないんだろうとか、もっとなんで海外に目を向けないんだろうとか、日本の人口に関しては、これだけ人口が減るし高齢化がいて言い袋が小さくなっていくんだったら、完全に海外のマーケット、例えばカンボジア一つでも人口はまだまだ増えていきますし、経済発展は7%、コロナ以降でまた復活しつつある。
インドであるとか、東南アジア全般ですね、経済的にどんどんどんどんまだまだ発展していっているという中で、なんでそっちをマーケットにしていかないんだろうなという思いが結構あってですね、もちろんもうすでにマーケットにしている、特に果樹関係とか多いんですけれども、どんな農家でもそこはチャンスとしてマーケットにできるな、あとはブランディングであったりとか、現地事情を知るであったりとか、そこの一歩をなかなか踏み出せないでいるんじゃないかなと個人的には思っています。
そういう意図がありつつですね、農家さんが今後日本で生きていくために、日本じゃなくてもですね、日本の農家さんが今後農業という営みを続けていくために、どんなアイデアが必要なんだろうかというものをゼロから作り出すというのがこの農の掛け算ラジオの一つの目的でもあるので、
ここでこれから様々な業種の方々とお話をしていくというのもそうですし、自分自身が何か面白いテーマ、何そのテーマみたいなテーマと農業という言葉を組み合わせてですね、ビジネスアイデアであったりとか、ものを共有していければなと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
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なかなか慣れないラジオ、一人喋りというところでたくさんの場面あったかと思いますけれども、今後面白い話をどんどんしていければなと思いますので、よろしくお願いします。
ではまた。
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