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2024-05-10 15:42

♯10「日本リサーチ編 後藤家の食卓」

東日本大震災で被災した宮城県石巻市牡鹿半島でのプロジェクト。震災の時に津波で全壊した家が多いエリアに同級生の「ごっちゃん」が住んでいて牡蠣の養殖業を家族経営で営んでいた。当時はBtoBのビジネスばかりしていたがECサイトを作ってBtoCで「石巻カキ」を売っていく話。

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こんにちは、近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第10回の話をさせてもらいたいなと思っています。
このポッドキャストの概要を知りたい方は、第1回から4回でだいたいざっくり概要を話しているので、そちらを聞いてください。
今日は、リサーチ編の日本編という中で、後藤家の食卓というプロジェクト。
東日本大震災の被災地の石巻というエリアで、牡蠣の漁師たちとやったプロジェクトについて話ができたらなと思っています。
後藤家の食卓というのは、ちょっと後でつけたプロジェクト名なので、ちょっとその後で話すんですけど、
今回は、宮城県の石巻市の雄鹿半島というところが、少し太平洋側にニョキッと出た半島であるんですけど、
そこは東日本大震災のときに、かなり津波で潮がかかって、かなり全壊した家が多いエリアでしたね。
そこに僕の同級生の後ちゃんという後藤君が住んでいたので、プロジェクト名は後藤家の食卓というのになっていくんですけど、
後ちゃんが家族で牡蠣の養殖の会社、養殖業を家族経理となっていたという感じですね。
そこが家も牡蠣のむき場というか、牡蠣の処理をする現場も水がかかっちゃって、一応全壊しているという話だったんですけど、
彼の家は2階建てで、2階の床まではかからなかったけど、1階は水が通過したのでボロボロでという状態だったんですけど、
その情報を知って、3月11日の何日後だったかな、本当は1週間も経っていないと思うんですけど、
それで同級生の友達が後ちゃんと連絡が取れないと言っていたんだけど、数日で連絡が取れたみたいで、
それでサポートしに行こうというので、車2台で寝袋とか布団とかどういう状況かわからないので、いろいろ積み込んで、
物資とかも何がどういるかもわけがわからなかったので、何かいろいろ買い込んだ記憶があるんですけど、
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それで石巻まで車で走っていって、やっぱり地震が直撃したあたりのところって、今の野党半島もそうですけど、
野党よりも正直もっと面積がでかかったなという感じなんですけど、道もボロボロでまだ水が抜けきっていないので、
道路の上にすっごい水溜りができてて、下が全く見えないけど、この下どうなっているんだろうっていう。
でもここ通過しないといけないし、行くぞー!みたいな感じでアクセル踏むみたいな感じで、
とりあえず車は走れる状態のまま水溜りを通過して、
お鹿半島のかなり先っちょの方にあるごっちゃんの家までたどり着けて、
野党の地震とか見てても思うんですけど、
どっちが気軽なのかが本当に分からないんだけど、
小学校の体育館だったりとかに避難所とかが作られて、
避難所とかの方がまだ物資が来たりとか、たまにお風呂に入れたりとか、
サポートもありそうな気がするんだけど、やっぱり少しでも住めそうな可能性があると、
なんとかして自分の家に住もうっていう意識が働くんだなっていうのが、
なかなか興味深いなと思って、野党とかでも見てるんですけど、
ごっちゃんたちもそういう感じで、2階に住めるからって言って、
1階がぐちゃぐちゃなんだけど、なんとか片付けてそこでご飯作って、
2階に住んでみたいな形でやってて、そこを片付けとかを手伝い始めて、
状況が分からなかったのであまり長期では入れず、
1回東京戻って、僕は体制整えてまた行くみたいな形で通ってたんですけど、
最初のうちは片付け作業みたいなものっていうのが結構あったり、
大人もメンタルやられてるから、
大人はとはいえメンタルやられてるけど、やることはあるっていうので忙しくしてて、
そうなると子どもたちに対して意識が全然向かなくなるんですよね。
子どもをケアしてるっていうか、子どもと遊ぶみたいな選択肢とかも全然ないみたいな、
だから子どもたちがほっとかれてるなみたいな感じだったんで、
最初のうちは行くたんびにめちゃくちゃ本気で子どもと遊ぶみたいなことをやってましたね。
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グラウンドとかでサッカーやるときもあんなにドロドロになりながらスライディングするとか、
本当にいつやったんだろうっていうぐらいだったけど、
それぐらい全力で大人が付き合ってくれるっていうことが、
多分数日なかった子どもたちに対して、それが俺ができる態度なのかなってそのときは思ってて、
一緒に1週間に1回くらい来る自衛隊がやってくれる巨大なお風呂みたいなのとかで、
2話は子どもたちと一緒に入ってめっちゃはしゃいでめっちゃ怒られるみたいなこととかぐらい、
全力で子どもたちが楽しいとか笑顔になれるような瞬間を作るみたいなこととか、
それを意識してやってたんですけど、
その後だんだん細々と学校が再開したりとかし始めるので、
そうすると次大人たちが片付けとかもだんだんできることが、
重機が入ってめっちゃ大規模にやらなきゃいけないなんて人間の手では片付けられないんだけど、
自分の家とかぐらいは片付けられるけどそれもだんだん片付いてくると、
次は仕事がないからやることがないっていう状態に陥るんだなと思って、
それでメンタル的に病んでいくっていうか、
病んでいくに近いんだろうなってやることがないからね、
なるほどこうなるんだと思って、
同級生で当時まだ30代だからごっちゃんとか俺も、
30代でバリバリ働いたりとか活動したりとかやることがないっていう。
柿って養殖の場合柿の違いっていうか、
子どもを細かく言うと竹にホタテガイの殻をぶら下げて、
そこに柿の違いをくっつけて海の中に沈めとくと、
簡単に言うと通常だったら2年間で柿になるっていう感じなんですけど、
でも2年後かもしれないけど、
とりあえず違いが手に入るなら始めてみようよみたいな話になって、
それで少しでも動いてみようと思って動き出して柿育ててみたら、
津波って本当に海をかき回すっていう作業を、
自然側から、人間から見ると辛いことのように見えるけど、
自然の方からすると固まってしまったというか、
海の中をぐるっとかき回すので、
下の方にいたプランクトンたちだったりとか、
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何人かたちが海の中に生き生きとできるような状態になっちゃったりとかして、
海自体がすごく栄養のある状態によみがえるので、
そのおかげでまさかの1年目で柿ができちゃったんですよね。
柿できたみたいな。
でも売ろうぜって言っても、
でもまだやっぱり当時ってB to Bのビジネスばっかりだったんで、
漁協が再生してないと売り先がないみたいな感じになって、
でも柿できちゃったしみたいな。
どうしようみたいな話になってて、
ECサイト作ってB to Cでとりあえず売ろうみたいな。
今まで石巻って有名じゃなかったけど、
宮城県産柿ぐらいの感じだったんだけど、
今回津波とか東日本大震災のおかげで、
石巻っていう町自体も有名になったし、
とりあえず石巻柿って言ったら検索1位になるっていうのを狙おうみたいな。
それでやり始めて、かつ人間ぽさみたいなのを出すっていう上で、
当時多分伊東家の食卓みたいなテレビ番組があったんだと思うんだけど、
これを思いっきりパクって、伊東家の食卓みたいな名前で、
ごっちゃんとお父さん、お母さん、子供とか、
同僚の人たちが1人ずつ人間ぽく登場するようなECサイトを作って、
それで柿を売りまくって、
毎月1万個以上柿売ってた記憶がありますね。
しかも色々そこも戦略があったんだけど、
まずはECサイトを作るために、
カメラマンだったりライターだったり、
ホームページ制作してくれる人、コーディングしてくれる人とか必要だったんですけど、
でも金ないし、どうしようと思って、
それで知り合いたちに相談して、
ギャラ柿なんだけどいいって言って、
柿払いで仕事を受けてもらって、全員に。
ウェブのコーディングした人は多分柿1000個ぐらいもらっちゃって、
それで食べてよみたいな話もあったんだけど、
ちょうど僕は山梨で別のプロジェクトを昔からやってたのもあって、
山梨って日本で言うと国産のワインを作っている地域なので、
山梨の白ワインと柿、
柿とワインっていうのは比較的贅沢な食べ方みたいなイメージがある人たちが多かったので、
多分フランスとかから始まって、
なので石巻の柿かける山梨白ワインパーティーみたいなので、
回収していったらどうですかみたいな感じで、
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ウェブのコーディングの会社が1000個もらった柿を使って、
お客さんめっちゃ東京で呼んで柿パーティーして、
その売り上げでギャラを回収するみたいなこととか結構うまくいってて、
これは面白いなと思って、
それで日本中いろんな人に、友達に声をかけて、
石巻の柿を必要なだけ送るから、
かける白ワインとか日本酒みたいな感じで、
パーティーというかイベントをやって、
楽しみながら盛り上げてよみたいなのも結構そういうのがあったので、
だからそこで数百個とか消費、まず売れて、
そこに来たお客さんが後藤家の食卓の存在を知ってくれて、
ECサイトで個人的に数十個買ってくれるみたいな状況で、
毎月1万個以上とかみたいな感じで売れていくっていうのが、
うまくいったなって感じでしたね。
それを2年ぐらい、2,3年ぐらい、
1年目は本当にB2Cしか売り先がなかったので、
2年目ぐらいから柿のB2B用の柿剥き小屋とか、
あと漁協が少しずつ再開していったので、
B2Bの売り上げも再開していって、
だんだん当時以上にある程度稼げるようにもなってきて、
その後はもう僕のやることはないし、
彼らがECサイトやりたければやればいいっていうつもりでいたんですけど、
多分数年前に、
なぜか理由は聞いてないですけど、
彼ら的にはB2Bの方が楽だったんだと思います。
B2Cの相手しているとそれなりに人件費はかかると思うので、
今はそのサイトをクローズした状態にはなっているんですけど、
そういうプロジェクトも通して、
日本っていう自然災害がかなりあるエリアで、
あれぐらい打撃を受けた人たちが、
子どもたちも大人たちも、
どういう気持ちになるかとか、
どうやって再生していくか、
みたいなことに関しては、
それはすごい間近で見れたプロジェクトだったので、
この後藤家の植卓っていうのは、
僕にとってもすごい大事でしたね。
今のノトの地震とかもそうですけど、
そういうのが起こったり、
津波がかかったりするときに、
すごい臨場感を持って見れるようになってきたし、
これから南海トラフとかの地震が起こったときに、
東京から愛知県ぐらいまでの間とかが、
本当にそこに津波が押し寄せるようなことがあったら、
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どんなことが起こるかなっていうのの、
本当に参考にはなったプロジェクトだったので、
今日紹介させてもらいました。
どうもありがとうございます。
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