4種類目は「国単位で法律を作る事(ルールメイキング)」。コロナ禍の3年間で17~18か国を60回以上移動して気づいた事の話
サマリー
このエピソードでは、近藤ナオがコロナ禍における国単位での法律策定やルールメイキングについて話します。彼の海外経験を通じて、日本の厳しい入国管理や他国との違いが明らかになり、その体験を通して人々が直面する問題に焦点を当てます。また、タンザニアでの隔離生活を通じて感じたさまざまな人々の反応についても触れます。文化や国による環境適応の違いがストレスに与える影響について考察します。
国単位での法律策定
こんにちは、近藤ナオです。今日は近藤ナオという生き物の第56回の話をさせてもらえたらなと思っています。
今日は、新生に突入した中で、僕も含めて世界中の人達が釈然として生きていけるために始めた100種類の事ということで、
100種類始めてないんですけど、順番に話をしてきていて、今日から4個目の話に移っていきたいなと思っていて、4個目は国単位で法律をつくるみたいなことかな。
俗に言うルールメイキングっていう部分ですかね。なんでこの国単位っていうところに着目し始めたのかっていうのを、まず説明したいなと思うんですけど、
コロナでの体験がすごい僕にとっては大きかったですね。コロナの間でも、コロナ前世紀の3年間ぐらいは、コロナでいろいろ自粛みたいなのが世界的にいろいろ続いてたと思うんですけど、
その間でも、僕は3年間で多分17カ国か8カ国か教えたんですけど、それぐらいを60回以上は移動しながら暮らしてました。なので、17、8カ国にはコロナの間でも入国したことによって、いろんな国の対応の違いみたいなものも本当に実体験できたので、すごい大きな経験だったんですけど、
日本は本当に世界トップレベルで国を閉じて外から人を入れないとか、日本人でも出ていったらなかなか戻れないとかすらイメージ持ってる人とかいて、すごいそのイメージはなかなかびっくりなんですけど、日本はかなりトップレベルで閉じちゃったので、ちょっとみんな閉じてるんだろうなって思ってた人が多いなと思いました。
特に1回出ちゃうと、日本人なのに日本に戻ってこれるの?みたいな。日本に戻れないんじゃないかって思ってる人とかもいて、友達に日本に戻れるの?とか言われて、いや、僕日本人なんで、日本国は僕が帰ってきたら受け入れないわけにいかない。僕が犯罪者とかでもなければっていう形で、それが国としての当たり前の態度というか、でもその代わりに日本にたどり着く方法がない場合は入国できないっていうので。
当時何本か飛行機が欠航したりとか空港封鎖してるところとかもあったので、日本になかなか戻ってこれなくて、日本政府が例えばタイだったりとか、どこでもいいんですけど、そういう外国人のほうにいて飛行機が飛ばなくなってしまったから、日本人たちが日本に戻りたいけど、かつ飛行機1台分ぐらいは余裕で戻りたい人がいるっていう状況になってくると、
日本政府とかがタイの政府とかに交渉してチャーター機だけ飛ばせるようにしてもらって、特別にその飛行機で日本に戻ってくるって形で入国したっていうケースはあります。
僕自身もアフリカのタンザニアに入国したときから、オランダからタンザニアに飛んだ、飛ぶって決めてた日に、本当に近差だったんですけど、僕の飛行機が夜中の12時を過ぎて1時ぐらい到着になっちゃってて、
その日の0時からタンザニアも世界を真似して、入国した人、タンザニア人も含めて何人でも全員14日間にホテルで監禁するみたいなことを決めた日で、だからオランダから飛ぶときも、タンザニアに飛行機が飛ぶけど入国できるか本当わかんないですよってめっちゃ念を押しされて、
入国はできるな、多分タンザニアもそのルールを決めたっていう情報を、それですぐ情報を伝達して、まだ運用を1日も始めてないときだったので、だから航空会社の人ですら、定かの情報が多分わかんなかったと思うんですよね。
だからどうなるかわかんないですけど大丈夫ですかみたいなことを確認されて、僕も別に暇だったというか、やることもなかったし、タンザニアに行ったほうがやることがあったので、どっちにしろ行きますってことで乗ったら、
そのKLMの、KLMってオランダ航空なんですけど、その飛行機でオランダから飛んだんですけど、多分当時200人ぐらい乗る規模の飛行機に、僕ともう1人とかしか乗ってなくて、2人だけでタンザニア飛ぶみたいな感じで、タンザニアに入国しました。
でも本当、確かに到着したらその日の0時から、みんなホテルで監禁みたいなことになっていたので、もう空港がかなりパニックになってたっていうか、多分正直、スタッフさんたちも日本とかで多分そういうことをやるとき、かなりマニュアルを作ってからスタートすると思うんですけど、なかなかタンザニアとかではそこまででもなく、なんか急に国が決めて始めるぞぐらいになったのか、
みんなどうしたらいいかわけわかんなくて、でも入国した人を空港の中で閉じ込められ続けるっていう感じで、ゲートを外には出させてもらえなかったので、ずっとそこに人がたまり続けて、
多分そこで、実際ホテルって言ってもどこのホテルに誰を泊まるのかみたいなところも決まってなくて、しかも自腹っていう形でホテル代は自分で払わなきゃいけないっていう感じだったので、しかもじゃあ次はホテルに移動ですとか言って、なんかホテル見つけたのか連れてかれたのが四つ星とか五つ星レベルのホテルで、タンザニアなのに一泊1万円以上するみたいな。
それって、まだは僕とか欧米人の人たちとかはまだ払えますけど、でも14日間なんでそれだけで15万円ぐらいとかお金がかかるっていうのはかなりすごいことだなと思って、だからケニア人だったりタンザニア人とかもブチ切れてるわけですよね。
平均の月収が2万円とかみたいな国の人たちにとって、15万円強制的に取られるってすごいことだと思うので、だからもう本当にわーわー言ってる人たちがいて、でも俺もそこで1万円払って泊まるのも面白くないなと思って、わーわー言ってる人の近くにずっといたら、わーわーの人のおかげでじゃあこっちでもいいよみたいな感じで安い方のホテルに移動できるっていうので、
隔離状況の実態
それについていったら一泊2000円ぐらいの、でもそれでも別に全然お湯も出たし網戸もついてたので、エアコンとかもついてたので全然快適だったんですけど、そこで暮らし始めて、
それでだんだん1週間ぐらい経ってきて、入国する人たち全員に自腹でホテルに行かせるっていう行為が相当問題になったんだと思うんですよね。他の国って自腹じゃないので、ほとんどが政府が税金で補填して住む場所を用意してる。
日本とかも、だから日本に入ってきた人1週間とか、1週間じゃない、14日間の時もあったよね。しかも食事3食付きなんですよね。ホテル代ただで3食付いててって、僕日本に戻った時も隔離させられちゃったんですけど、めちゃくちゃ不思議な気持ちになりましたね。
結構すごい広いホテルで、ダブルベッドが2つあるようなところの部屋で1人で暮らして、毎日時間になると玄関の扉のところの外に食べ物が置かれていくっていう、なんかビビップではないですけど、でもこれだけやったら相当なお金使うだろうなっていうのはそれでも思ってたし。
タンザニア政府もそんなお金すぐには政府としてもないっていう部分もあって、たぶんホテル代も食費も自腹っていう仕組みにしたんだと思うんですけど、でもそれでは理解がたぶんされなかったのか。
それで急遽、タンザニア政府が用意できる宿と3食のご飯も用意できる場所を探してあげく、空港があるのがダルエスサラムっていう経済の首都なんですけど、その経済の首都で大量の人が入れる場所っていうので、学生寮に目をつけたんですよね。
その学生寮はタンザニアのローカルなエリアとか田舎からダルエスサラムにある高校とか大学とかに通うような子が集まってくるような学生寮なので、アフリカのかなり劣悪な環境で生活に慣れてる人が泊まったら快適レベルの学生寮で、ベッドとかも一つの部屋に二段ベッドが二つあって、4人一部屋みたいな。
今回コロナで隔離ってことだったんで、4つベッドがあるところに一人で寝るっていう状態だったんで広さとしては完璧だったんですけど、窓とか開けると網戸がついてないので蚊がめっちゃ入ってくるんで、かゆいし蚊に刺されるとやっぱりマラリアのリスクっていうのも上がってくるから、窓も開けるには開けられないなみたいなこととか。
僕とか身長がでかいんで195センチとか6センチぐらいあるんですけど、二段ベッドとかもちっちゃいわけですよ。アフリカ人って別に背高いわけでもないので、世界一背が高い国は今オランダなので、男性の平均身長が184センチとかだったかなぐらいあるぐらいなんで。
だから184センチ超えてくるとベッドに足が当たるっていうか、二段ベッドで頭のほうと足元に柵みたいなのがあって飛び出れないっていうようなつくりのベッドで、寝るときがすんげえ寝づらかったなっていう感じなんですけど、それと窓開けられないんでめっちゃ蒸し暑いっていう状態。
エアコンもないんで部屋に。シャワーとかもお湯はもちろん出ないし、水がちょろちょろちょろっていうぐらいただ流れるようなシャワーしかないみたいな状況で。そこにめっちゃ面白かったのは、タンザニア人からケニア人からみたいな開発途上国側の人たちだったりと、あと欧米人だったり日本人だったり中国人とか、
世界中の国の人が分け隔てなく劣悪って感じない人と感じる人が相当差があるような暮らしをしてる人たちが同じ環境で何百人と暮らしてたので、そこの姿もそれはそれでただただ国の違いっていう意味じゃなくて、ただめっちゃ面白かったなと思ったのは、やっぱりタンザニア人とかケニア人の人たちはその環境レベルで暮らすのとかすごい慣れてるので、
余裕でチャラチャラ暮らしてるんですけど、ヨーロッパの人とかアメリカの人全員ではないですけど、数人がブチ切れててストレスで、多分相当なストレスだったと思うんですよね、あの環境は普通は。
僕はもうタンザニアとかナイジエだったりとか、そういうスラムみたいなところとか、砂の上でも寝てる経験もあったりとか、一日一食しか食べないとか、シャンプーも一切使わずに水で髪の毛洗えればたまに洗えればいいやみたいな暮らしにシフトできてたので、なんか全然足が痛いっていう寝るときだけきつかったなっていうのはありますけど、それ以外は全然大丈夫だったんですけど、
それに超ストレス感じてる人は、もう1階に降りると1階で言え、共同食堂、共同キッチンみたいなものが広場みたいなところで、青空キッチンみたいな感じで料理が作られてて、そこになんかキッチンもあるし、本部っていうか保健所の人っていうのかなとか、一応お医者さんだったりとかいるんですけど、そこに行って、
絶対どんだけ抗議したって国が14日間は隔離って決めてるから、絶対出れないのにずっとずっと保健所の人に切れ続けてるオーベイジの人たちばっかりでしたね。
ずっとずっと抗議してるみたいな。でも本当逃げ出したいんだけど、建物中の要所要所にライフル持った警察が何人も周りを囲んでるので、本当に逃亡したら相当やばいことになるんだろうなっていう感じで、抜け出すことはなく毎日のようにブチ切れてて。
1日食事は結局2回だったかな。食べたい人はある時間にその1回に降りて取りに行くみたいな状況でした。なので、タンザニアに関してもそういうようなルールで国独自のルールをやってみたし、でもタンザニアは結局その後1ヶ月2ヶ月続けないうちにもう隔離はやめて。
オランダへの移動調整
当時の大統領がこの間もちょっと話したかもしれないですけど、タンザニアにはコロナなんてないっていう神に祈って働けっていう方向のコンセプトを掲げ始めて、一気に隔離もなしだし、閉じてた空港も開くことになるんですけど、
でも僕はそこで隔離生活を重力化して外に出て、タンザニアにちょうど家をダレス・サラムに3LDKとかの中国人の不動産デベロッパーが作った新築のマンションを一部屋友達と5人で買って、ちょうど引渡しとかだったので、引渡されて内装の家具とかを整えたりとかそういうことをすごいやりたくて、タンザニアに無理して入国したので、
隔離が終わり次第すぐにそこのマンションに行って、すぐにいろいろバーって家具を集めて、10日間ぐらいでだいたいセットアップを終わらせたかなっていう感じでやったんですけど、でも10日ぐらいしてちょっとタンザニアもやることがなくなってきたのと、
ちょっとオランダか日本に移動したいなと思ってたんですけど、でも空港が封鎖されてるので、オランダ行きも日本行きも飛行機がもうないっていう状況だったので、そこでさっきの日本政府がチャーター機を用意してくれないと日本には戻れないし、
でも僕はオランダの居住許可書っていうパスポートフォルダーよりはちょっと立場が低いですけど、一応オランダとしてはオランダに住んでもいいと認められた人だったので、オランダのチャーター機にもワンチャン乗れるんじゃないかなと思っていて、調整を始めて、
大使館かなとかと連絡取りながら、僕の中でどちらかに乗れるように調整を始めていくんですけど、この話もなかなか面白かったので、ちょっとまた続きは次回に。
16:13
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