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サマリー
近藤ナオ氏は第93回のエピソードで、彼が目指す共同体の形成とそれを実現するための活動について語ります。特に、東松島市でのスマートエコビレッジプロジェクトやDAOの可能性に焦点を当て、現代社会の変化とその影響について考察します。
共同体の形成
こんにちは、近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第93回の話をさせてもらえたらなと思っています。
今は、僕も含めて、世界中の人たちが百善として生きていける世の中を作るために始めた100種類くらいのことということで話をさせてもらっていて、
100種類もしていないんですけど、前回、今始めている10種類目までの話をさせてもらっていて、
僕はこの近藤ナオという生き物に関しては、今自分がやってきたことだけを話したいなと思っているので、
この先、こんなことをやりたいとか、そういう話はしたくなかったので、前回、もうこれで最後かなっていう話もしてたんですけど、
今、すごいすごい話したいことが、話したいって言われるとちょっとわからないんですけど、
でも今、5種類目の部分で、人間が最小単位で心地よく生きていけるコモンズ、共同体を作ることっていうので、
宮城県の東松島市のノビルってエリアで、東日本大震災の津波がかかってしまったエリアで、
そこのキボッチャスマートエコビレッジっていうプロジェクトをみんなでやっていて、
その中の運営の仕方としてキボッチャスマートエコビレッジ、DAO合同会社っていう、DAOという自立分散型組織っていう日本語にすると、
英語の頭文字のDAOを取ってDAOっていうものを使って活動してるんですけど、
このDAOに関してはかなりいろいろ可能性があるかなとも思ってますし、
あと僕が家がある静岡県の伊豆半島の方でも、
2025年の10月末頃、伊豆とDAO合同会社っていうのを立ち上げて、
DAOを使って町づくりというかコミュニティづくりというか、
助け合いのことですね、ちょっと言葉に一言にするのは難しいんですけど、
ということを始めていて、
なのでDAOっていうものの可能性については今後話していきたいなと思ってるんですけど、
それっぽくっていうのはニュアンスが難しいんですけど、
話すことはできるんですけど、
その前に今の今、僕の心の整理というか、心の話みたいなことをちょっとしたいなと思っていて、
何かっていうと、この1年、2年ぐらい、
ちょっと2024年ぐらいからその気配はあったかもしれないですけど、
2025年はかなり僕の中で世界的にムードがどんどん変わってきたなと感じてる部分があって、
あんまり別に分析的なことを言いたいわけじゃなくて、
ただ僕は感じてましたっていう話を今したいだけなので、
あんまり討論家とか研究者的な人のコメントを僕は聞いてほしくないんですけど、
何かっていうと、だんだんみんな自分の大事なもの以外はもう守れなくなってきたっていうか、
それはそれである意味、いいことでもあるかもしれないですけど、
本当に余裕がなくなってきて、
奇麗事的なことっていうのかな、
そういうものに手を出す余裕のない人たちがすごい増えてきたなっていう気がしてて、
こういう言い方をするとかなり角が立つかもしれないですけど、
自分だったり自分の大事にしている家族だったり、
国のトップであれば自分も含めた国みたいなことだったり、
ロシア、ウクライナみたいな戦争のところからこういうずつムードが、
戦争がそれだけじゃないですけど、それは大きな象徴だったなと思いますし、
2026年の1月の2日でしたっけ、
ベネズエラに対してアメリカが仕掛けたことだったりとかも、
別にアメリカがいいとかベネズエラがいいとか、
どっちを評価してるとかみたいなこととか、
いいとかっていうのは全然ないんですけど、
やっぱり切羽詰まってきたというか、
自分たちが守れる範囲とか守らなきゃいけない、
大事にしてるってことだけをみんながやり始めたような気がしてて、
例えばオランダとかデンマーク、北欧みたいな国々って、
例えば環境問題っていうんですかね、
環境に対してすごい意識が高い国だなと思ってたんですけど、
今も高いとは思うんですけど、
例えば個人の家とかが再生可能エネルギーのソーラーパネルとかが中心だと思うんですけど、
そういうものを家に設置するみたいなこととかをすごいしてる家が多いなと思ってたんですけど、
あれっていうのはやっぱり国が主導して、主体になって、
補助金を出したりしてるので、補助金ももらえて、
ある種コストメリットみたいなものもある上で、
かつ環境にもいいんだったらそっちの方がいいかなっていう部分でやってる人たちが、
現実多かったんだなっていうのが去年ぐらいからなんですかね、
国が出す補助金の額が下がってってるらしいんですね。
それによって、そこの補助金のメリットがないんだったら、
そこまでしてソーラーパネルを設置することに対して投資することというのかな、
そういうことをやる人たちが減っていってるっていうか、
ああいうオランダみたいな、ヨーロッパ全般とかだったり、
そういうような国々でも、やっぱりこう、まず自分の周りとかだったりなのか、
それは当たり前のようだけど、ここだけ、非常に言い方が難しいんですよね。
そういうことだったんだなっていうことが分かったというか、
だから余裕があれば、いろんなことができるというか、
僕は高校時代から、今僕はすごいお腹が空いてて、
パンを1個持っていて、隣にもお腹が空いてる人がいるのに、
そのパンを半分あげれるのかっていう、
それについてすごい葛藤というか、本当にそうなったらあげれるのかなって思っていて、
今はそういう状況に世の中がなってきたなと思っていて、
それが悪い方向というか、自分を守るためにだったら人を傷つけてもいいっていうことによって、
世界中で多くの人たちが死ななければいいなとは思っているんですけど、
でもそういうことをしてでも大事なものを守るということを選択する人たちも出てくる社会になってきたなと思っていて、
今話した話だと、大事なものを守るために相手を傷つけるみたいなことの話になっちゃいましたけど、
もう一個感じるのは、それぞれがやっていることたちに、
DAOの可能性
どれがすごくいいことで、どれは普通でみたいなこととかってあんまりないんだなと思っているのは最近、
例えば地域課題を解決したり社会課題を解決しているようなことをやっている人たちって、
あたかもすごいことというか高尚なことなのかわからないですけど、
そういうことをやっているように見られがちだなと思うんですけど、
それはその人がただ好きでやっているというか、
すごい軽い言葉っぽくてまだピンときてないんですけど、単語としてはそれが趣味なんだなっていう気がしていて、
ゲームをずっとやっている人もそうだし、スポーツにずっと打ち込む人もそうだし、
例えば家の前とかにある石をずっと運んで綺麗に並べることが、
それが趣味の人はそれでもいいんじゃない、いいとかじゃないですね、そこに差はないんじゃないかなって最近思ってきていて、
こういう言い方はちょっと極端ですけど、正直人間がそれぞれどんなふうに生きても、
1万年後には地球さんがいろいろリセットしてくれると思うので、
本当にすごい先の未来みたいなことを考えて何かやっている人たちがそれがすごいとかっていうことでもなくて、
未来を考えて生きることが趣味なんだなこの人はとか、
環境活動家の方とかは環境問題のところに一心取り組むことが趣味なんだなっていうふうに、
なんか最近はすごい考えるようになってきて、
だからもうどっちの方向が正解的なこととかが、
本当に僕は考えなくてももういいんじゃないかなっていう気もしていて、
なので一人一人が一人一人の世界を持つ、
それでお互いそれを認め合うというか、
いいねとかっていう認め合うではなくて、存在しているっていうことを認め合うっていう、
まさに最初にダオの話しましたけど、
自立分散型の組織というか自立分散している状態で、
みんなが並列にフラットに並んでいて、
もし誰かがある活動を急にリーダーみたいにしたとしても、
それを支えたいとか一緒にやりたいって人がいれば、
例えば少したまにリーダーっぽく目立つ人がいたとしても、
それはそれでそういう活動が動いたんだなっていうぐらいで、
それを認め合って、
なのでダオ的に言えばそれぞれの活動が全部透明性を持って、
誰が何をやっているかみたいなことができれば誰でも見れるというか、
見るっていう言い方はちょっと語弊があるかもしれないですけど、
そしてこんなことをやってるんだなって理解し合えるような世界観みたいなことっていうのは、
すごいこれからの混沌としてというか、
どれが正解みたいなことが、
多分そういうのを見つける時代じゃないような気がしてて、
なのでそういう中で一人一人の世界を持つみたいなことに対しては、
ダオというような語式というか考え方というか、
そういうものが非常にマッチしてるんじゃないかなと思っていて、
なので今新しく始めたことなのかがちょっとわからないんですけど、
そういう日本中でダオ的な活動体みたいなものをどんどん増やそうとして、
今いろいろやっているので、
次回からは僕が関わっているダオについて話ができたらなと思っています。
なのでまた次回に。
13:26
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