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2024-10-25 16:10

#34「世界中をリサーチして感じた事」

人間はほとんど同じ。第1言語と第2言語の差。教育の波

サマリー

リサーチを通じて、世界中の人々の生活や考え方を理解し、自身の活動に活かそうとする過程を語っています。また、スーパーマンのような人々や効果的な仕組みを探し求めた結果、単なる人間同士のつながりや社会の構造の重要性に気づくことができました。教育の状況についての国際的な研究を通じて、発展途上国における教育へのアクセスの改善や、その背景にある経済的状況について深く理解しています。また、学校に通うことがすべてではなく、教育の質や選択肢の重要性を認識することができました。

リサーチの目的
こんにちは、近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第34回の話をさせてもらえたらなと思っています。
今日は、リサーチ編が日本編と海外編をかなり話したので、もうそろそろいいかなと思っていて、
今日は、僕がこのリサーチをいろいろして、感じたことっていうのについて話そうかなと思っています。
この感じたことを踏まえて、次の活動に進んでいくんですけど、今回このリサーチで僕は何をしてたのかなと思うと、
まずは世界中、どんな人たちがどんなふうに生きてるのか、何を考えたり、何を食べてとか、ちょっとニュアンスすぎるんですけど、
どんなふうに生きてるのかなっていうのを知りたかったし、あともう一個自分の中で探したかったのは、
僕の何倍もすごいスーパーマンみたいな人たちが世界中にいっぱいいるんじゃないかっていうのも、そんなのはいたら情報、メディアというか、どっかに出てくるだろうっていう話なんですけど、
でも出てこないようなところにいっぱいいるんじゃないかっていう期待もあって、スーパーマンみたいな人たちが今の地球の状態というか、世界をいい感じにしてくれるんじゃないかっていう期待もあって、
そういうスーパーマンみたいな人たちにも会えたらいいなというか、いてくれたらもうその人たちに任せたいなと思ってたし、
でも結局世界中ぐるぐるぐるぐる回っても、僕の1.2倍とか1.5倍ぐらいすごいなと思う人たちっていうのは何人も出会ったんですけど、
でも結局先進国だったり開発途上国とかの電気すら通ってないエリアとか行っても、結局ご飯を食べてうんこしておしっこしてっていう、
僕と同じ人間がいたっていうことだけだったんだっていうのは、今回のリサーチで結構大きい収穫というか、当たり前なんですけどそうなんだなっていうのを感じましたね。
世界の人々との出会い
今後の話の中で細かく話す時があるかもしれないんですけど、例えば電気のないエリア、タンザニアの電気のないエリアで暮らしてた時も、
アリファってやつがいるんですけど、アリファは1日多分10円も使ってないというか5円、お金的にはほぼ使わず、たまに使うんで平均すると1日5円とか10円ぐらいのお金で暮らしてて、
多分もう国連が言う裁品コンソーの下の下みたいな暮らしをしてるんですけど、でもやっぱりアリファとかは何でもできるんですよね。
僕らが日本人とかがピンチに陥ると、連絡もしてないのにテレパシーなのかっていうぐらい急に現れたりして助けてくれたりもするし、
テレパシーもすごいなと思ったけど、技術とかもそうですよね。家とかが壊れたりとか、そういうのも本当に一瞬で直したり、
海の中に網を仕掛けて、僕らが場所わかんなくなっちゃって、その網を回収できなくなった時もアリファが大体わかるから行ってくるよって言って、
海の中入って網回収してきたりとか、わけわかんないぐらいすごいなと思って。裁品コンソーの人たちが苦労して生きてるってことも違う話だったというか、
裁品コンソー、1日今だと1.9ドル以下で暮らす人が裁品コンソーっていう定義をしてるらしいんですけど、
そういうふうに定義をして、そういう人たちが何人いるっていうことにして、そこは裁品コンソーが多いから開発援助みたいなことをして、
先進国からお金を移動させるっていうためにロジックを作らなきゃいけなかったのかなって思うぐらい、
この数字の設定っていうのは何だったんだろうなっていうのを、僕は一個すごい世界をぐるぐるして感じました。
6、7年前、僕日本で、日本中隅々まで見たって言ったんですけど、個人的にはやりたかったけどやり残したことっていうのがいくつかあって、
それのうちの一個が、日本の公教育を作り直すみたいな部分だったりとか、あと法律を作るっていうことですね。
やっぱり霞ヶ関とかにいる官僚の方々とか、国会議員の人たちとか、なんかイケてないとか言われるけど、でもとはいえめっちゃ頭のいい人たちで、
そういう人たちが、俺の何倍よりもすごい人たちがそういう法律とか作ってるんだろうなって思ってたので、
なかなか怖くて入っていけなかったっていうか、そういうところに入ってて、
なおさん想像よりイケてないですねとか言われるとか、そういうの結構僕、打たれ強いわけではなかったりもするので、
そういうのも怖かったのもあって、なかなか入っていけなかったんですけど、この数年世界中ぐるぐる回って、
世界中本当に隅々まで僕と同じような人間が住んでるだけで、そういう人たちが法律作ったりもそうですけど、国を動かしたり、
たぶんイーロン・マスクさんみたいな人とかもすごいけど、僕の3倍も4倍もすごくはないんだろうなみたいなこととかが、
すごい負に落ちたんですよね。なので、今は何をするにも怖くはなくなったっていう感じですね。
新しい概念の探求
僕と同じような人がやってるだけなんだっていう、人間がやってることに関してはですね。
なので、この感覚を手に入れられたっていうのは、このリサーチの中ですごい大きな成果だったなと思ってます。
あと世界中ぐるぐるして、スーパーマンみたいな人も探してたし、でも本当できれば、もしかしたらめちゃめちゃイケてる仕組みみたいなものもあるのかなっていうのも探していて、
その仕組みみたいなものをいろんな国とか地域が丸パクリしたら、地球全体がいい感じになるような仕組みもあるのかなと思ったんですけど、
そういう仕組みも、丸パクリして世界中がコピペするようなものはなかったし、もちろんヒントになるものっていうのがいっぱいあったので、
それは僕の中にすごい蓄積されたんですけど、そういう仕組みもないんだなと思って。
しかも僕の仮説として、1個の仕組みで地球全体がいい感じになるっていうの自体は気持ち悪いなと思ってたので、
何十種類ものいろんな仕組みが織り重なって、ちょっと日本語おかしいかもしれない。
地球全体を網羅していくような形でいい感じになるのかなと思ったんですけど、
ですが、これをそのままパクったらいいなっていうのがすごいいっぱいあったわけじゃなかったので、
じゃあもう自分が代表っていうかリーダーっていう感じでやっていくっていうことではないですが、
リサーチではなくて自分がやっていくっていう方のフェーズに入んなきゃいけないのかなと思って、
今動き始めています。その感覚に慣れたのもすごく大きかったですね。
あとはもう1個大きかったのが、第1言語と第2言語の違いみたいなものもすごい大きかったですね。
正直僕は第2言語の英語は全然できるってことじゃないですけど、
でも今僕がやろうとしていることっていうのは、
世の中に今ないような概念とか暮らし方みたいなものとか、
そういうものを作っていこうとしているとは思っているので、
やっぱり第2言語で話し合いやすいのは、
今まで既存にあるものについて話し合うっていうのが話しやすいんだなと思いました。
ビジネスの話っていうのは、本当の新規事業だったらちょっと別かもしれないですけど、
既存にあるようなビジネスみたいなものに対してはすごい話しやすいなと思ったし、
既存の概念みたいなものとかっていうのを話すっていうことは、
第2言語でもやることはできると思うんですけど、
でもそうですね、やっぱり今ないものを試行するときって、
ほとんどの国の人たち、オランダとかデンマークとか、
世界でトップレベルで人口の9割以上が英語ができる、
第2言語の英語ができるって言われてるんですけど、
彼らですらやっぱり新しいものを考えるときっていうのは、
第1言語のオランダ語とデンマーク語で考えるわけですよ。
そりゃそうだよなって思って、
なので、今僕がいろんな国で第2言語をギリギリ使って何かをやるっていうより、
6、7年前に日本でやり残したって思ってたことも自分の中にあったので、
教育へのアクセスの改善
じゃあ第1言語の日本語を使って、
公教育の作り直しだったりとか、
ルールメイキングとか法律を作るみたいなことだったりとか、
最低限、人間が安心安全に暮らしていけるような居場所というか、
堅く言えばシェルターみたいな場所というか、
そういうものを何万人規模というか、
できれば人口全員が何かあったときに避難できるぐらいの場所を
作るとか、
そういう国レベルに関わるようなことを、
僕がやってもいいんだなっていう、
それをやってくれてる人たちは僕と同じ人間だっていうのもすごい腑に落ちたので、
まずやるんだったら第1言語を使って、
日本でやるべきかなと思って、
第1言語の世界に戻ってきて、今いろいろやっています。
この第1言語と第2言語の違いっていうのを感じさせてもらえたっていうのはすごい大きかったですね。
やっぱりホントね、オランダ人はオランダ語だし、
タンザニア人はスワヒリ語っていう言葉、ジョージアはジョージア語で、
やっぱり思考はしていくんだなっていうのは非常に興味深かったですね。
あとは世界中ぐるぐる回って、
感じたのは教育の波みたいなものっていうのが、
もう開発途上国の電気のないようなエリア、隅々まで、
受けようと思えば学校に行けるような環境になってきてるんだなっていうのも結構びっくりしましたね。
僕の中で10年以上前なのかなとかだと、
アフリカもそうだし、いろんな東南アジアとかそういうところでも、
開発途上国とかだと、その学校自体が作るお金がなくて、
学校に行けない子どもたちがいるっていうような中で、
いろんな寄付を集めたりして学校を作ってるっていうような人たちが、
僕の知り合いにもいたし、すごい良いことやってるなってずっと思ったんですけど、
今はやっぱりだんだん、開発途上国への援助みたいなものっていうのが、
いろんな形で相当お金が入ってきて、
そしてさっき言ったように、電気のないようなエリアにも学校が作られ、
行こうと思えば学校に行けるような状況になってきてるっていうのもびっくりしました。
家庭の事情っていうのは、
子ども自体を労働力として捉えているような生産地みたいなのもあるので、
それを生み出しているのは先進国が安いお金で、
それを生産物を買おうとしているっていう背景がすごく大きいですけど、
そういうところだと、やっぱり親の事情で学校に行けない子もいたりとか、
あとは紛争に巻き込まれている場合、
避難の意味も含めて学校に行けないみたいな状況の人たちはいますけど、
そうじゃない人たちっていうのは、
行こうと思えば学校に行けるっていう状態になっているんだなっていうのにびっくりしました。
その時、いろんな国の学校を見てて、
でも学校に行ければいいってもんじゃないんだっていうか、
どういうタイプの学校に行けばいいのかっていうと、
ほとんど学校に行けるけど、学校を選べる選択肢っていうのはない状況なんだなとは思いました。
まだまだ。
行ったら行ったで、知識は学べるし、給食はお昼とか食べれるしっていう形で、
給食目当てに来ている人たちってまだまだいるような現状ではありますけど、
でも学校に行けばいいってもんじゃないんだっていうか、
今の日本でも結構残っているかなと思うのは、
もう1クラス3,40人ぐらいの生徒がいて、同じことを一方的に学び続けて、
かつ言い方はあれですけど、
今の資本主義の仕組みに、
自分たちが学べるようになって、
今の資本主義の仕組みに順応するような、
そういうところで生きていけるような、
もっと変な言い方すれば、
権力者たちが資本主義の仕組みの中で使いやすい人たちを育むような教育のスタイルっていうのが、
ただただいっぱい培養されていて、
オランダとかデンマークとかには結構多いスタイルの、
個人個人を見て、その人がやりたいと思うことをやっていくことをサポートする、
みたいな教育の場っていうのは全然なくて、
世界中、ただただ学校に行けるっていうこととか、
教育を受けれるってことが、
すごいただただいいことでもないんだなっていうのを、
感じたっていうのもすごい大きいことでした。
教育の質と選択肢の重要性
こういう世界中ぐるぐる回って感じたことを含めて、
次回ちょっと違う話するかもしれないですけど、
この後は具体的に自分がやり始めた話っていうのを話していけたらなと思っています。
今日は以上です。
16:10

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