2種類目は「お金がなくてもある程度、快適に暮らせるビレッジ(場所)を作る事」。日本にビレッジを作りはじめようとしたが発起人の僕が両目網膜剥離になりスタートの日にいなかった話と網膜剥離になった原因の話
サマリー
近藤ナオは、目の健康問題について話します。彼女は網膜剥離が発覚し、緊急手術を受ける経験を共有します。また、手術後の経過や視力に関する新たな課題にも触れ、医療機関の迅速な対応と自身の体験を振り返ります。エピソードでは、タンザニアでの事故とその後の対応についても語られます。特に国立公園近くでの車の横転事故や、地元の人々との協力による車の回収作業について詳しく述べられています。
健康問題の発覚
こんにちは、近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第45回の話をさせてもらえたらなと思っています。
前回から日本でも、3ヘクタールの湧き水が出る山を友達たちと買って、
そこで、緊急時には0円でも快適に暮らせるようなビレッジを作っているという話だったんですけど、
2023年の1月5日から住み込みで、そこでビレッジ作りを始めていくということで、
なのに、1月5日、ホッキ人の僕がそこにいなかったという話の続きをしたいんですけど、
なんでかっていうと、簡単に言うと、その7日前かな、12月27日とかに、
12月1ヶ月くらい前から左目が少しずつ見えなくなってきて、すごいモヤがかかるなと思ってて、
これなんだろうと思って、やばいかもなと思って、12月24日くらいとかにかなり見えなくなってきてて、
でもオランダにいたので、オランダの病院より日本の病院の方がクオリティ高いし、日本語で伝えやすいので、
日本に戻ったらすぐ病院に行こうと思って、12月27日とかに戻ってきて、その時は大阪だったんで、
大阪の街の眼科行ってたんですよね。
そしたら左目が盲膜剥離になってますよって言われて、え?と思って、なんで?っていう感じだったんだけど、
でもこれ盲膜剥離は本当に時間が勝負っていうか、なるべく早く処置したほうが回復がしやすいというか、
視力が落ちなくて済むらしくて、もう明日は半大病院っていう大学病院の最終日だから招待状書いてあげるから、
明日朝から並びなさいみたいなこと言われて、朝8時に行って並べば絶対見てくれるからこの招待状があればって言って、
わかりましたと思って、朝から並んで、診断が始まった時に、やっぱり向こう側も盲膜剥離は本当に時間が勝負だっていうのがすごいあるみたいなので、
僕そこから5個ぐらい検査をされて、6個目がその検査を元に先生の診断みたいな感じなんですけど、
普通大学病院で5個も検査して、先生の話聞くとなると、僕のイメージでは2時間3時間とか当たり前にかかるっていう感じだったんですけど、
本当にやばかったのか、40分ぐらい後にはもう先生の前に俺座ってるみたいな状態で、これ結構やばいのかもなっていうふうにも思ったし、
しかもやっぱり大学病院は本気出せばこのスピードで患者さん回せるんだなと思って、
だから病院に行って1個の検査で先生の話聞くだけで2時間とか3時間かかってる人とかいると思うし、
僕も入院した後で体調良くなってきて定期的に店に来てって言われていく時とかってめっちゃ時間かかるから、
だから全然緊急事態じゃないときはゆっくりで、めっちゃ早くどんどんローテーションさせられてる人はやばい状況なんだなっていうのをそこですごい自覚したんですけど、
それで40分後に先生のとこ行ったら、近藤さんこれ両目網膜剥離になってるよって言われて、えっと思って、
手術と入院の決定
もう俺左目網膜剥離って言われたからもうマインド的には左目片方見えなくなるんだったらもういいかなと思って、
自分の中で右目見えるんだったらまあまあいいかって自分の中でマインド的にはもう受け入れてたんですけど、
両目って言われると思ってなくて、両目見えなくなる可能性あるんだって思って、久しぶりに鼓動が激しくなったというか、
パニックはなってないけど思考停止状態が一瞬続いて過呼吸みたいな感じになってやばと思って、とりあえずちょっとして平気なふりして、
もしかしたら営業最終日で、最終日にもしかしたら手術があって、もしかしたら入院の可能性もあるかもなっていう、
僕肺炎とか肺気経っていう肺に穴が開いて、内視経っていうので穴を塞いでみたいなこととかで、
トータルで人生で7回ぐらい肺とか呼吸器が僕ちょっと弱いらしくて、最近は肺炎とか肺気経にはならなくなったんですけど、
30ぐらいまではたまに入院したりしてたので、入院慣れしてるっていう部分があるんで、入院が決まると一気に急に入院決まると、
そのために家族とかが僕のパジャマだったりとか必要なものをバババって集めてきて病院に来てとかやらなきゃいけないっていうのがいつもめんどくさいなと思ったんで、
もしかして今回緊急入院になると嫌だからと思って、僕入院するためのセットとか持ってってたんですよね。
すごい大荷物な患者さんみたいな感じだったんだけど、それは先生が見てて、
近藤さん、今日この後もう夕方、全部診察終わったら午後、夕方ぐらいになっちゃうかもしんないけど、
手術してあげるから、いいよね、今日入院だけど大丈夫?とか言われて、え?って思って、
でもだって近藤さんその気で荷物持ってきてるでしょ?みたいなこと言われて、そうなんですけど、今日入院ですね、わかりましたみたいな感じで、
今日とりあえず左目やろうみたいな、左目のほうがやばいから、左目やろうって。
50歳を超えてくると、脇内障の手術も一緒にしちゃったほうがいいよみたいな、50歳を超えてくると脇内障になる人が多いから、
それで目の中に人工のレンズを入れるみたいな形をやっとくと、いいよみたいなことを言われて、
その脇内障の手術をするとどういうリスクというか、リスクじゃないんだけど、どんな状況になるかっていうのをちゃんと調べずに、
そうなんだと思って、思考もあんまり回ってなかったから、じゃあお願いしますみたいな感じで受け入れちゃって、
後々知ったんですけど、脇内障のレンズ入れると目の筋肉と接合されてないので、一定の距離しか見えなくなるというか、
近くを見てすぐ遠くを見るみたいな感じで、動向じゃないけど何かが動かなくなっちゃうみたいで、
だから今、そのレンズのおかげと脇内障の手術もしたし、そのレンズで視力もコンタクトレンズを埋め込んでるような状況になるので、
遠くとかは少し実は見えるようになったんですけど、でも逆にスマホとかを見るときの近くの文字が見えなくなっちゃって、
なので、一々メガネを取ったり外したりみたいなことをしなきゃいけないっていう工程があるっていうのを知らなくて、
手術後の経過
それだったら全然僕レンズ入れなくて、50歳60歳でもし脇内障になってきて、すごい気になったらもうそこで覚悟してレンズ入れればよかったなと思って、
でもやっちゃったものは戻せないので、しょうがないかなと思ってて、それで入院し、
ここから脳膜剥離の手術って目の中の膜が剥がれてるので、目の中にガスを入れるかシリコンを入れて内側から抑えるみたいな形で、
何となくわかりますかね、眼球の剥がれてるものを内側から抑えて、それで何日か待つとそれがくっつくので元に戻っていくっていう、
全回復はほぼしないって言われてたんですけど、っていうようなやり方で、やり方が2個あって、ガスを入れるっていうやり方で、
ガスを入れると何がいいかっていうと、ガスがどんどんゆっくり減っていくので、ガスを抜く必要がないっていう感じですね。
でも減ってきちゃうから、ずっとおじぎをし続けるというか、逆立ちしてる状態が一番いいっていう形らしいんですよね。
立ってるとガスの上の方が空気がどんどん減っていくと抑える部分がなくなってきちゃうので、上側がくっつかなくなるっていう感じらしいんですけど、逆か。
ガスが上に上がるから下側がくっつかなくなるのか。だからできればずっと逆立ちしててほしいって言われて、それは無理だとわかるからずっと頭下げてくださいみたいな。
寝るときも下向いて寝てくださいみたいな感じで、左目見えない上に年末年始ずっと下向いてるんだ俺はと思って。
左目を12月28日にやって、左目が少し見えるようになってきたら右目を手術しましょうみたいな形で、それが1月5日とかぐらいに右目みたいな感じで、
そっから右目がだいたい見えるようになって退院するためには1月20日ぐらいまでかかるなみたいなこと言われて、めっちゃ長いと思って。
でも先生が左目手術終わった後とか、僕が世界中でどんな暮らししてるかとか、タンザニアでそういうビレッジ作ったりとか、
多分この桃隔離になったのは何かっていうと、タンザニアの国道だけど、ビレッジのすぐ近くに国立公園があって、もう4キロぐらいしか離れてないんですけど、そこを国立公園の中の道を僕一人で車を運転してて、
簡単に言うと一人で横転したんですよね。カーブを曲がってたら左前のタイヤがパンクして、それでいきなりグルンと1回転して、180度回っただけなんで半回転しただけだったんですけど、
でもシートベルトちょっとしてなくて、あんまりそういう規制がないからタンザニアとかだとしないで走っちゃったりするんですけど、それで1回転して逆さで左目の上あたりを、天井っていうのは反対になった車の天井のところを打った記憶はあって、
でもその時も全然ほとんど無傷で、自力で動いて車の中から抜け出して、しかも車もボコボコになってなかったからガラスとか割って出なきゃいけないのかなと思ったら、割るとかもなく扉が普通にガーって開いて、ちょっと漫画の世界と違うなみたいな感じで外に出れちゃったんですけど、
それでその辺の人たちタンザニア人がたまに歩いたりとかバスが通るのでバスの人たちが止まってくれて、それで事務所みたいなところに1回行ったほうがいいって言ってバスにタダで乗せてもらって、国立公園の事務所のあたりで降ろされて事務所の人に報告して、国立公園の中で事故ったら罰金があるとか言われて、
罰金ですか、しょうがないなと思って罰金払ったんですけど、プラス人集めてあげるから車を1回ひっくり返そうみたいな形で、機械とか全然あるわけじゃないので、その日動けるようなタンザニア人とか国立公園の近くに住んでる人たちが6、7人集めてくれて、もちろん1人、
日本円にしていくらですか、500円ずつぐらいだけど、お礼を払ったかなっていう記憶があるんですけど、それで人力で車をひっくり返したんですけど、それで動くかなと思ったんですけど車が動かなくて、
そうするとそこからダルエスサラームっていう経済の人まで、まだまだ何百キロあるんだろう、普通に車が調子いい時に走ったとしても4時間とかはかかる距離だったので、まだまだそこからレッカーしてもらうしかないなと思って、でもレッカーって仕組みもないから、
結局それもまたそこにいてくれた人が知り合い関係で車持ってる人たちに電話して、かつダルエスサラームまで連れて行きたい人みたいな感じで、そしたら1人やってくれるやつがいるよみたいな、5万円ぐらいかな日本円にしてとかだよって言ってしょうがないかと思ってお願いしますって言ったら、
僕の方は車はトヨタのハイエースだっけ、みたいなサイズの8人乗りとかの比較的でかいやつだったんですけど、来たのが普通に5人乗りの乗用車みたいなのが来て、かつロープと乗用車持ってきて、
いやこれロープで引っ張るんすかみたいな感じで、やってみようみたいな感じで、ロープ繋げて引っ張って進むんですけど、案の定1キロぐらいのところですぐロープが切れて、そうっすよねみたいな感じで、
次はその辺にあったっていうのかな、結局木をマチェットっていう斧でもあり小刀でもあり、どんな用途にも使うようなサーベルみたいな形のものをマチェットって言うんですけど、みんなそれは車とかに入れてたりするので、
もうそれでその辺の木を切って、木の結構太い枝と枝を車に結びつけてそれでスタートみたいな感じで、そしたらそれはまあまあうまくいったんですけど、何十キロか走ると木がボーって折れるのでまた新しい木をゲットするみたいな感じで、それでなんとか砂の道はもうそれで乗り切れたって感じですね。
それでアスファルトの道にやっと出たタイミングでちょっと木をすぐに見つけづらくなってくるので、アスファルトのところになってくると、でその人の家の砂の道とかだとほとんど誰の目もないし誰の木かわかんないっていう感じなので、まあ木切って大丈夫だったんですけど、アスファルトのところに出てくるとなかなかそういうわけにいかないので、
ちょっとこの話もっと話せそうな気がしてきちゃったから、ちょっと長くなってきちゃったんでちょっと続きにさせてもらいます。ではまた。
16:12
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