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2025-07-25 15:20

♯68「僕も含めて世界中の人達が釈然として生きていける世の中をつくるために始めた100種類の事⑤-①」

5種類目は「人間が最小単位で心地よく生きていけるコモンズ(共同体)を作る事」。なぜ、こんな事をやり始めたのか?ロシアとウクライナの戦争の復興計画の話。南海トラフ地震と首都直下地震に対する復興計画の話

サマリー

このエピソードでは、近藤ナオが人間が心地よく生きられる共同体の構築について語っています。ウクライナの復興計画や日本の津波被害に関する考察を通じて、地域活性化やコミュニティの重要性に触れています。愛知県における再生計画では、自然エネルギーを利用した移動手段とオフグリッドな共同体の構築が目指されています。また、津波の影響を受けた地域の改修や土地利用の課題についても深掘りされています。

共同体の必要性
こんにちは、近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第68回の話をさせてもらえたらなと思っています。
前回までで、僕も含めて世界中の人たちが釈然として生きていける世の中を作るために始めた100種類のことっていうのの4種類目の話と、9種類目のことの一部っていうのの話をさせてもらってたんですけど、
今日からは5種類目の話に移らせてもらえたらなと思っています。5種類目は、僕がつけているタイトルとしては、人間が最小単位で心地よく生きていけるコモンズというか共同体みたいなことを作るということをやろうとしていて、
細かく話しだすと長くなっちゃうので、何でこういうことをやろうと思い始めたかというと、きっかけはオランダで僕が暮らしている中で、オランダの都市計画事務所というか設計事務所、都市計画事務所みたいなところがあって、そこの共同代表の一人が僕の友達なんですけど、
その人と2年ぐらい前に話をしているときに、ロシアとウクライナの戦争がまだ終わってないときに、2年前、オランダの設計事務所が戦争前からウクライナとかの仕事をしてたらしくて、それで相談を受けて、
ロシアがボコボコにやられたエリアに関しては復興計画を考えたいみたいな相談を受けてて、それで復興計画作ってるんだよねみたいなこと言って、まだ戦争終わってないじゃんって僕は思ったんですけど、確かに終わってから考えたら、
ガレキ結局みたいな部分じゃないですけど、東日本大震災のときもそうですけど、僕も含めてみんな全然想定もしてなかったような、みんなとは言いませんですけど、東松島とかにいるとそれを想定してたおじいちゃんとかが避難する場所を作ってたりする事例があったりするので、想定できてた人たちっていうのはいるんだろうなと思うんですけど、僕は想定できてなかったんで、
ああいうことが起こってから確かにガレキ撤去だったりとか、マイナスっていう僕の言い方だとマイナスをまずゼロの状態にするっていう部分で、ガレキを撤去したり、壊れた中で新しく街を作り直すっていうフェーズに入るまでの間のゼロにするまでの作業をしながら、
ゼロになった後、できればすぐに着手して建物を作ったりとか市役所機能を再生させたりとかっていうのをしていきたいと思うんですけど、復旧しながら、例えばガレキを撤去しながらクリエイティブを考えていくって確かにめちゃくちゃ難しいことだなと思っていて、
僕はやっぱりショックだなと思うのは、僕でももう本当難しいかっただろうなともちろん思うんですけど、せっかくあれだけ津波の後に街を作り直せるチャンスがあったのに、結局新しい建物とかが建っただけで、ライフラインの考え方とかインフラとかも多分前のままの状態が再生されたように、
僕にはほとんどの東日本大震災の被害を受けた市町村がほとんど同じような形で再生していったように見えていて、それは僕からするとせっかくの機会もったいなかったなってすごい感じてた部分があったので、まさかウクライナではもう戦争が全然未だに終わってないですけど、その状態で復興計画を考えてるんだっていうのにすごいびっくりして、
でも確かにそれはすごい重要なことだと思ったので、それで今首都直下地震もそうですけど、南海トラフの地震が起こったときに最悪のケースだと伊豆半島というか静岡県ぐらいから宮崎とかぐらいまで津波を受ける可能性があるって言われていると思うんですけど、本当に最大にそういう津波の被害を受けたときに、
地域コミュニティと活性化
どういうふうに復興していくかっていう復興計画を考えようって僕も思ったんですよね。そのときに東京は津波あんまかからなそうですけど、首都直下地震とかでもいいんですけど、東京は僕の地元でもないし仲間は何人もいますけど、いろんな人たちが考えそうだなっていうのがあって、どうしようって思ったときに一番仲間も多い、
僕が生まれた愛知県が津波を食らったときにどうやって再生させるかっていうのを考えようということで、地元の有志に友達とかに声をかけて、それを考えることに興味があったりとか、脳みそ的についてこれそうな人っていうのを何人か声をかけたんですけど、
その中でちょっとやってみたいっていう友達がいて、そいつとともに勝手に10万人とか100万人規模の人たちが暮らす場所を再生するとしたらどうやって考えていくのかっていうのを考え始めてました。
いろいろどうやって電気作るのかとかガスというか熱エネルギーを加工するかとか水だったり考えていく中で、例えばコミュニティの単位みたいなのは、僕がもう20年以上地域活性化のコンサルみたいな、コンサルだけじゃなくて自分でも授業はやりましたけど、
コンサルみたいな形で日本中、仕事からすべての都道府県には行かせてもらって、すべての市町村には行ってないんですけど、でもかなり数百人単位の町から数百万人ぐらいの市までいろんなところに行かせてもらって、
僕が結構驚いたことがあったのは宮崎県の西メラ村ってところに行ったときに、あそこ人口1000人ちょっとだったかな、それぐらいの町に行ったとき、市役所に行ったときとかにすごいびっくりして、普通市役所に行くと、来た住民と市役所の職員みたいな関係性の中でいろいろ手続きしたりとか質問したりとかしてると思うんですけど、
西メラ村とかだと人と人みたいな感じで、市役所の職員に対してあっちゃんさこれどうしたらいいのとか、とめさんこれねみたいな感じとか、みんながあだ名とか下の名前とかで呼び合っていて、それであっちゃんの特徴は今市役所の職員をやっているみたいな、それが肩書きみたいなのが後っていうか、
個人っていうのをお互いが、全員とは言わないけどほとんどの人がほとんどの人を理解し合ってて、でもそれが3000人ぐらいの町に行くとそういう状況にならないんですよね。市役所の職員は市役所の職員でお互い敬語を使って話してたりとか、みたいな状況を見て、1000人ぐらいだと全員が全員を理解できる可能性があるんだってそこでむちゃくちゃびっくりして、
それ以来いろんなコミュニティをそういう目で見ていると、1000人超え、その後知識的にある学者の人が研究している結果によると、1500人が人間が覚えれる人数の数の限界らしくて、そういう意味では僕が捉えてた感覚は間違ってなかったなと思っているので、
今は無難に1000人っていうのを1個の単位にして、そうすることで何が起こるかというと、お互いがどんな人かだいたい理解していると、やっぱり何かあったときに助け合ったりとかっていうのがやっぱりしやすくなってくるんですよね。
赤の他人でどんな趣向性を持っている人が分からない人を助けるとかっていうのって、助けてもいいですけど、ちょっと気が引けたりとか、赤の他人だからほっとくみたいな感情が出る人たちもいちゃうかもしれない中で、僕は100万人の街を作るにしても、1000人が1ユニットみたいなぐらいで最低限の暮らしを作っていくっていうことを考えてたりしました。
1000人の単位の中で、電気、ガス、水道とか食料、最低限の食料みたいなことは自給させていくべきだとか、超都市部だったら難しいかもしれないですけど、そうじゃないところであれば、1000人の人たちが暮らすエリアも1キロかける1キロっていう形で、100ヘクタールぐらいのサイズが、それぐらい別に、
用意できないことはないと思うので、いろんな地域で、それぐらい大きな面積があれば、1000人分の食料を作ったりとかっていうことはそんなに難しくないかなと思っていて、1000人を1ユニットで考えるみたいなことを考えてました。
でも、最低限の暮らしだけしてても面白くないし、緊急時に病院っていうか医療的な機能だったりとか、そういうのも必要だと思うんですけど、そういうものは、僕の中では5キロかける5キロぐらいの範囲の中で、5キロかける5キロだと、100ヘクタールで1000人って考えると、そうそう2万5千人が暮らせる規模感なんですけど、
愛知県の再生計画
それぐらいの人たちが暮らしていれば、その中には病院みたいな機能を持ったりとか、学校だったりとか、娯楽施設みたいなものとかっていうのを用意しても、何とか運営していけるんじゃないかなって思っていたりとか、そのサイズをどんどん増やしていけば、1万の人たちがどう暮らすかっていうのが考えられていれば、
それが100万人とか1000万人にしていくっていうのは、僕の中で現実的なんじゃないかなと思っていて、なので今回僕は最小単位でっていうときに1万人っていうのを最小単位で捉えて、今それを作り上げようとして、5種類目の活動としてやってます。
愛知県を再生する計画っていうのを具体的に、地域内の移動手段は、もちろん自然エネルギーで電気を作って電気自動車を動かすことによって、容易に移動できますし、もし万が一電気自動車たちが動かなくなったとしても、5キロかける5キロだったら徒歩で行けるんですよね。
5キロって別に、ちょっと体が悪い人たちは別ですけど、歩ける人が普通に歩いたら1時間半はかかんないで、5キロは歩けるので、本当に緊急時だったら歩いていける距離にそういう全ての機能が、全てって言い方なんですけど、僕が考える全ての機能があって、それがオフグリッドで自立してるっていう状態が作られていれば、
何があっても、もちろんそのビレッジがある場所が地震が直撃したりとか、また津波がかかっちゃったりとかして、そこがもう1回流されちゃったときはしょうがないというか、僕的には1万人規模の最小限の共同体を作って、それを日本中にできれば100カ所とか1000カ所ぐらい分散されて作られてれば、
どっかが打撃を受けても同じような考え方の場所があって、その人たちをみんな快適に受け入れられるような状況であれば、何があっても怖くないまで思えるかわかんないですけど、そういうような感情になるんじゃないかなと思っていて、将来はそこまでのことを考えながら、
まずはとはいえ自分の中で1番人脈があって、将来津波がかかった後に復興計画を考えておけば、そのときどういう計画を再生するかっていう決定権のある人たち、簡単に県知事だったりとか、そこの関わる自治体の長だったりとか、そういう人たちに対してのルートは全然あったりするので、
そこに対して早いうちに提言することで、僕らのものをまるまる採用してほしいというわけではないですけど、結構考えて、まだ起こらないので起こる前にかなり精度高く考えられるんじゃないかなと思っていたので、そういうものを提出することでヒントになったりとかベースになったりしたらいいなと思って、そんなことを考えて動いてました。
実際、南海トラフの場合で愛知県がやられるとした津波だと思うんですけど、それが起こるのがいつかわかんないからそれを淡々と進めてたんですけど、そんなときに野党半島の地震があって、そこをきっかけに偶然宮城県の東松島市の津波がかかってしまったエリアが、
と出会うんですね。東松島だけじゃなくて南三陸とか津波がかかったエリアの海沿いの地域っていうのは、ほとんどが津波防災地域っていうふうに認定されてしまって、
宅地開発が禁止されているというか、住民票を置いて住む形の家を建てることができないエリアっていうのが、実はめちゃくちゃ広がって残ったままだったんですね。
そこは自治体が草刈りをして維持してたり、使えるところはソーラーパネルとかを割っておいて、売電事業みたいなことをやっていたりとか、そのエリアはホテルみたいなものだったりとか農業だったりとか、そういういろんな施設を作ったりしても民間が作ってもいいんですけど、
塩が1回かかっちゃってるので簡単に農業として再生できなかったりとか、そういうところでホテルとかそういう宿泊事業をやってもなかなか観光地とかでもなかったりするし、津波の恐怖もあったり、多くのところが7メートル規模の堤防を建てちゃって、海が車に乗ってたり歩いてて見えないみたいなところも多くなってきちゃってるので、なかなか簡単に使いづらいという状況で利用者がいないまま残ってる地域っていうのが結構あって、
そんなところがこんなにあるんだっていうのに偶然の出会いで気づくんですけど、そこの出会いに関してはまた次回に。
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