振り返りの始まり
こんばんは、こみです。私はインスタやTikTokで、毒親育ちの私が、親や過去に縛られずに、大切な人と今を生きるということを目標に日々奮闘する様子を発信しています。
10月は、私の毒親育ちっていう過去や気持ちの変化を一旦振り返ろうということで、一日一テーマ、音声ジャーナリングに取り組んでいます。
今日で13日目かな?だいぶ来ました。
今では、やらないことが気持ち悪いっていうのは、こういう感覚なのかっていうふうに、自分でも嬉しさと、ここが踏ん張り時だなっていうふうに思いながらやっています。
今日は振り返るのは、今はね、あの保育園から順に自分の生い立ちだったりとかを振り返ってて、保育園、小学校、中学、高校、短大、20代前半まで来て、今日はなんと20代後半まで来ました。
あと私は37なので、もう30代はもう一緒でいいかなと思っているので、今日と次でもう終わるかなっていうふうに思っています。
20代後半、私どこへ育ちの、私がどんなふうに育ったのかって、育ったじゃないな、過ごしていたのかって言うと、
まず20代後半は、そうですね、恋愛も割と落ち着いてきたのかな。
旦那と付き合う前の人が一人いたかなっていうのが、自分の中で印象的です。
20代前半は、自分の場所っていうのかな、繋がりを求めるために、毎週誰かと飲みに歩いたりとか、お友達の家に泊まりに行ったりとか、
彼氏だったりとか、普通に男友達とかと夜な夜な遊んだりとか、
なんかそういう無駄な時間を過ごしてでも誰かと一緒にいたいっていう、なんか一人が嫌なんだけれども、何かと繋がってたいみたいな、
なんかそういう時期だったのが、20代後半の時には付き合っている人がいたなっていうのを覚えています。
ただ、なんかついついやっぱりその時も、どこや育ちあるあるなのか、恋愛がやっぱり自分を幸せにしてくれるツールっていうのかな。
その人のことは好きなんだけれども、10代の時からの考えとして、自分はね、この経済的なところだったり、親からの愛情だったりとか、
そういうのをしっかりもらうことができない、自分で選択できない、我慢しないといけないっていうところで、
自分はなかなか幸せになれないっていう風に思って生きてきたんですけれども、それを叶えてくれるのが、
叶えてくれるっていうのが、そんな私でも幸せな気持ちになれるっていうのが、私にとっては恋愛でした。
やっぱりまず気軽に変われるっていうのかな。
なんかね、今の時代に生きてたら、そんなちょっとね、危ないこととかみたいな感じで怖いなって思うんですけど、
まあ当時の15年ぐらい前になるのかな、20だと。
まあその恋愛が自分を幸せにしてくれるものっていう風に思っていたので、結構ずっと恋愛をしたりとか、
そういう、そうですね、していたなっていう風に思っています。
なのですけど、なんかすぐに別れちゃうとか、結構その、ポンって、ポンポンって、今は私いろいろと、
根掘り、葉掘り、自分の中で考え方を掘り起こして、掘り起こして、やって結論を出すっていうのが好きなんですけど、
20代の時は、もうカッてなったらパッて言っちゃうみたいなところがあったので、すぐ喧嘩とかして別れるって言っちゃったりとか、
ブロックしちゃうとか、本当にそういう、でブロックした後数日経ったらやっぱり戻りたいみたいな、
そういうのを鬱陶しく言ってる女だったんですけれども、 26ぐらいの時に旦那と出会いました。
旦那は、前にだいぶね仕事が順調やったところもあって、 割と旦那は順調やったり、その楽しい時期だったっていうのもあって、
なんかたまたまその時、恋愛恋愛ってならなかったんですよね。
多分旦那も、旦那からの私への愛情っていうのも、 なんか割と、
なんていうんだろう、なんか今までの人とは違ったっていうのかな、 一定のこう、なんか穏やかな愛情だったりとか、
今までの人はそう、別れようとか言ったら分かったみたいな感じで、 萌えはとかっていう感じだったんですけど、
旦那に関しては、そういうふうなことを言ってしまう気持ちもすごいわかるけど、 それだと多分、
うまくいかないと思うよみたいな、これからの人ともうまくいかないと思うし、 自分はしっかりと向き合って話したいんだとか、
最後まで最後まですごく向き合ってくれる人だったので、 今もなんですけどね、私が欲しかった言葉をかけてくれる人、
最後までしっかりと向き合ってくれる人だったので、 分かれるようなことも確かにあったなっていう記憶はあるんですけど、
喧嘩した後もちゃんと仲直りができるっていうので、 私はその同行親育ちでこの恋愛に飢えていたんですけど、
結婚と新たな選択
何かいい意味で飢えずにフロッタの状態で入れたっていうのと、 それでもやっぱり私はあまり心を開けないタイプだったんですけど、
好きになるとその人だけを優しくできるみたいなところが多分あるので、 旦那はそういうところを、私のそういうところと仕事、一生懸命頑張っているところ、
保育士してるんでね、そういうところとかを理解してくれたんじゃないかなって思っています。
昨日も少し話したんですけど、私たちはそうは言ってもできちゃった結婚です。 一緒に住みたいなとかいう意見はあったんですけど、
同行親育ちっていうところで、私はやっぱり誰かと結婚する子供が、 保育士で子供は好きなんですけど、
子供の世話をするとか、離婚を繰り返しそうだっていうのがあって、 結婚とか家族とか、やっぱりそれはいくら恋愛で安定していても、
結婚と恋愛はまた違うっていう感覚があったので、ちょっとってなってたんですけど、 妊娠したことが分かりました。
その時も旦那はすごい喜んでくれて、親にも挨拶しに行こうっていう感じで、
そういう時もすごいすごいなっていうふうに、ありがたいなっていうふうに思ってて、
結果的に、私はその時も卸した方がいいんじゃないか、 世間体がとかっていう風にブツブツ言ってたんですけど、
うまくいって、そういうきっかけがないと多分、 私は結婚して子供を産んでやってなかった。
うまく進めていなかったなって思うので、 私たちにとっては本当に授かり婚というか、タイミング的にも、
27で妊娠して28で産めたので、それはすごいタイミング的にも良かったのかなって思っています。
これを聞いてくださる方へのメッセージっていう感じなんですけど、 私よりも旦那の方がね、
あの時できちゃった結婚っていう形で選択して良かったねって言ってるんですよね。
自分自身お給料もすごい高いわけじゃなかったし、 私みたいなね、徳穂や育ちっていうよりかは覚悟がない私と前に進んでいくのは、
やっぱり勢いだったりとか、そうせざるを得ないっていう状況だったけれども、 それも大事やったんじゃないかなっていうふうに
言ってるので、これを聞いている皆さんも、そういうちょっと躊躇することとか踏み出せないっていう場合は、
勢いに乗ってやってみるっていうのもいいんじゃないかなって思っています。 聞いてくれているみんなが幸せになれるのであれば、その方法だったりとか選択っていうのは、
悪いことじゃなければ何でもいいんかなっていうふうに思っているので、 自分にあった選択、ベストな選択、ベストな結果が起きるであろう選択、
そして自分が傷つかない、自分を傷つけない選択をしてほしいなって思っています。 今日はこの辺で終わりたいなと思います。
こみっていうアカウントで、徳穂や育ちの私が日々奮闘する様子を配信しています。 フォローだったりとか、DM、コメントもらえるとすごく嬉しいので、ぜひ一緒に
過去や親に縛られずに生きていけると嬉しいです。
はい、じゃあこれで終わりますね。 じゃあね、明日の配信で会いましょう。バイバーイ