1. 心の砂地#
  2. 第99回『鍵をかけないで』
2024-12-25 58:10

第99回『鍵をかけないで』

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「大島弓子先生の作品に出会っていなかったら、もう一度漫画を読むことはなかったかも……。」ひとりの衝撃的な体験。今回は漫画特集、として、大島弓子『ロストハウス』を深掘りします。人間の複雑さ、人生、言葉の断片。90年代半ばに描かれた、ストーリー漫画としての集大成、とも言える本作。心揺さぶるそれぞれの物語の魅力、また、この物語を読む側の私たちとこれからについて(どのように、受け止めればいいのか?)、お話いたしました。


◆大島弓子『ロスト ハウス」収録作品

「ジィジィ」※文庫本のみ収録、(ASUKA、93)

「青い 固い 渋い」(93年12月号)

「ロスト ハウス」(94年4月号)

「8月に生まれる子供」(94年7月号)

「クレイジー ガーデンPARTI」(「卒論」改題 94年11月号)

「クレイジー ガーデンPARTII」(95年2月号)


◆本作についてのリンク集(note記事)

https://note.com/lnt91/n/n1c34cd5674bc


◆参考文献

・よしながふみ『よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり』(*単行本07、太田出版,*文庫版13、白泉社)

・福田 里香,藤本 由香里,やまだ ないと『大島弓子にあこがれて』(14、ブックマン社)

・橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(79、文庫:84河出書房)
・『大島弓子 fan book』(15、青弓社)


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サマリー

このエピソードでは、大島弓子の短編集「ロスト ハウス」について語り、彼女の作品が持つ影響力や感情的な深さを掘り下げます。特に短編「8月に生まれる子供」が衝撃的であり、聞き手の心を強く揺さぶる要素に焦点を当てています。大島弓子の作品についての分析が展開され、特に『綿の国星』の独自性や影響力が強調されます。この作品は猫と人間の関係を新たな視点で描き、アニメーションとしても重要な位置を占めています。また、その後の作品や大島の影響を受けた作家たちについても触れられています。メインテーマとして、大島弓子の作品「ロスト ハウス」について話されています。大島弓子の作品について深く掘り下げ、特に『8月に生まれる子供』における老化のテーマと、主人公が経験する孤独について探ります。また、作品の描写がどのように人間関係や感情に影響を与えるか、人間の複雑さや共感に関する意見が交わされています。

大島弓子との出会い
大島弓子先生の作品に出会わなかったら、また漫画をいっぱい読もうみたいな気持ちになってなかったかなっていう感覚があるんですよね。
あーそうなんですか、そんなきっかけになった作家さん。
やっぱブームみたいなんてあるやん、何にしても。
うん、そうね、自分のこう熱が入ってる時期みたいな。
そうそう、漫画と音楽とみたいなのは常にあったわけなんやけど、
大学入ってその音楽の比率がすごい上がっていって、自分の中でね。
こう漫画と結構距離遠い時期があったんすよ、20歳とかって。
うーん、まとまった時間なかったりすると。
し、その音楽が面白すぎたっていうか、
で、まぁライブハウス行ったり、新譜出てすごいみたいなのが、
早い速度で味わえるようになって、っていうので離れてたんやけど、
ふとちょっと音楽だけじゃな、みたいな時に、
古本屋さんとかによく通うようになって、
大島弓子っていう名前は知ってたからさ、
あ、呼んだことないな、たぶん、みたいな感じで、
ふと取ったのが、この今回紹介する「ロスト ハウス」っていう短編集だったんすよね。
A5版なんですけど、この単行本版はね。
こう見て、あ、なんかこれいいなっていうので。
ま、表紙とかはもういかにも少女漫画っぽい感じのね、ルックスなんで、
ま、こういうの読んでみるかー、みたいな感じで読んだんやけど。
その頃はシャークさんでも結構少女漫画は読んでたんじゃないですか、すでに。
ま、すでに、もちろん矢沢あいとかから始まって、
いろいろ読んではいるよ、昔のも。
それこそ一条ゆかり先生とかは実家にあったから読んでたし、
萩尾望都とかは読んでるわ。
けど、大島弓子、竹宮恵子、山岸凉子も読んだことなかったかな。
その辺はまだ全然読んだことないみたいな。
なるほどね、そういった意味でまだ触れてない領域や。
もちろん、よしながふみ先生とか、そういうのは読んでたけどね。
昔のそういうクラシックみたいな。
ま、だからそういう漫画の本とか読んでいく中で、
うわ、なんかみんな大島弓子とか萩尾望都に影響を受けてんねんな、みたいな。
あー、なるほどね、そうかそうか。
そうそう。っていうのは思ってて。
なんかそういう評論とかでも、よく大島弓子って名前めっちゃ出てくるし。
っていうので、やっぱ読まなあかんなっていうので、
名前で手に取った。
そこに「ロスト ハウス」があったからって感じだったんやけど。
作品の魅力
はいはい。
もう本当にこれにすごいショックを受けて、この「ロスト ハウス」という短編集に。
うーん。
なんて面白いんだと思って。
僕も今回読んだことないタイプの漫画やったから。
どれぐらいの時期に描かれたんかとかも全然なんも知らんかった。
まあ本当に今日話すけども、
これは大島弓子先生のストーリー漫画としての本当最後期、一番最後の方の作品。
そうなんや。
この後、雑草物語っていう単行本も出てるんだけど、
その中にこの後描いたやつが2,3作載ってて、
そっからはもう猫と自分のエッセイだけ描かれてるっていう感じになるんだけど。
あ、そっかそっか。エッセイに転向してくんだ。
コミックエッセイね。
へー。
その前ぐらいから描かれてるんだけど、
自分の本と描かれてるサバっていう猫と、
そのサバが亡くなっちゃってグーグーっていう猫を飼われるんだけど、
その話っていうのをずっと描いてて、まあ今にも至るって感じなんだけど。
この「ロスト ハウス」の後ぐらいにご病気されるっていうのも多分大きいんだと思うんだけどね。
なるほどね。
うーん。
身体もね、あるからねやっぱり。
っていうのもあって、まあそういうことは後々知るんだけども、
本当にすごいと思う作品で、
ぜひまず読んでほしいなっていう。
まあ僕にとって重要な作品だし、
めっちゃ面白いことは間違いないっていうか。
そうね、確かにな。
結構僕もなんていうんやろうな、体験みたいな感じだった今の僕の中で。
本当に言ったら遠塾されてるし、
細かい説明とかしないんだけどわかるみたいな。
そうね。
マジで1コマぐらいでバコーンって飛ぶから、
今のジャンプラとか読むスピードに慣れてる人だったら多分読まれへんと思う。
意味わからんくなると思うけど。
僕も途中で見失って、ちょっとページ戻して読み返すっていうのをね、何回かやりましたね。
で、ここで時間飛んでんのねとかいうのが、
まあ全然ちゃんと漫画としてそうなんだけど、
僕らの今のスピードからすると、え、なんか早すぎるみたいな。
でもなんか、そのスピードになってる俺らがおかしいっていうか。
そうね、確かに。
小説とかさ、読んでるとさ、最初の10ページぐらいって、
まず情報をつかみ取るのにさ、
大島弓子の経歴と影響
なんか頭に入ってるんか入ってないんかわからんぐらいのスピードで読むじゃないですか、
その感覚にめっちゃ近かったんですよ。
めっちゃわかるわ。そういう感覚になるよな。
だからじっくり読んでいくと、すごい見えていくから、
ああ、なるほどなっていう感じになるんやけどね。
まあなあ、そこが緩急として本当にすごいし、
っていうね、申し遅れましたけど、私シャークくんです。
はい、私はてらだです。
ということで、大島弓子先生の「ロスト ハウス」という短編集について、
今日は話していきたいなと思っております。
この作品集について、さっき言った通り、
大島弓子先生のストーリー漫画の作品としては最高級のものですね。
その後も漫画は描かれるんですけども、
コミックエッセイ、猫と自分のエッセイっていうのをずっといろんなタイトルで描かれてるっていうのが、
今に至るまでの大島弓子先生のキャリアですね。
この作品集は、角川のヤングロゼで93年から95年に発表した作品というのを集めた短編集ですね。
で、文庫版、てらださん読んだ文庫版やね、たぶんね。
白泉社文庫のキンドルやね。
そうですね。
なんで、その前に「ジィジィ」っていう短編が1個入ってるんですけど、
それはアスカっていうところで、角川なんだけど。
で、書かれたものが、白泉社文庫版には入ってるって感じですね。
これもすごくいい短編なんですけど。
っていう、まあ時期的には同じなんで、93年から95年ぐらいの作品が入ってるって感じで。
大島弓子先生は47年生まれなんで、
当時、40代半ばから後半っていう感じの時期って感じですかね。
で、ヤングロゼについては、岡崎京子の「チワワちゃん」、第75回で紹介してるんですけども、
のところで話してるんですけど、
だから完全に「チワワちゃん」と、まあ完全にってわけでもないな。
同じ時期に連載してたのが、この「ロスト ハウス」に入ってる短編って感じですね。
そうなんや。
岡崎さんとか、桜沢エリカさん、やまだないとさん、岩館真理子さん、CLAMPとかね。
全然違うところの骨のある作家がいっぱい書いてた雑誌だったので、
すごい力のある雑誌だったんだなっていうところで、
すごい良かったんだなってことは後から思うんですけども、
この僕の本当にショッキングな経験っていうのは、
やっぱり一編、一つ撮るなら一編、全部いいんですけど、
で、全部の話今日していきたいんですけど、
やっぱり「8月に生まれる子供」っていう短編が本当にすごいと思って。
そうね、ちょっとびっくりするよね、この話は。
ちょっとショッキングでもあるしね。
そうそう。
本当に心を引き裂かれるような気持ちになる話なんですけど。
あのね、この心を引き裂かれるような、グッと、ウッとなるような気持ちになるっていうのが、
大島弓子先生の作品だなって僕はすごく思うんだけど。
この作品が本当すごくて。
で、これは、ヤングロゼの94年7月号に載ってるんですけど、
これはね、岡崎京子の「チワワちゃん」、表題作も同じ号に載ってるんですよ。
なかなか衝撃的なのが2個載ってたと。
いやだからすごい号ですよ、94年7月号は。
ヤングロゼ。
いやヤングロゼ持ってる人すごいですよ、それ。
なんでこれはね、古本屋さんとかで行くたびに僕いつも探す号ではあるんですけど。
一緒に載ってるのがあるかっていうみたいな。
そうそうみたいなと思って。
でもなかなか見つけれたことはないですね。
この「ロスト ハウス」っていう題される短編集っていうのも複数あって、
現行で買える白泉社文庫で大島弓子先生の作品っていっぱいまとめられてて、
そこに題される白泉社文庫の「ロスト ハウス」、もしくは単行本の「ロスト ハウス」。
本当にヤングロゼで出たはじめのやつ、僕が手に取ったやつっていうのを読むと、
今日話す話と一致してくると思うんですけど、
やっぱこのいっぱいいろんなところで短編書いてるから、
いろんなタイトルで単行本とか文庫本出てて、
これ被ってるやんみたいなことが起きてしまうのよ。
出版社とか判定が違うもので買っていくと、大島弓子先生の作品って言うけど、
「ロスト ハウス」に関しては、文庫版もしくは単行本で買えば間違いないっていうのと、
ただ、一つメディアファクトリーで出てる、
「大島弓子が選んだ大島弓子選集7 「ロスト ハウス」」っていうタイトルの単行本が出てんのよ。
で、これはサバシリーズっていう猫のエッセイと、
この文庫版とか単行本「ロスト ハウス」に入ってるもんと、
他のもんとかもいろいろ混ざって入ってるんで、
ちょっとこの「ロスト ハウス」って聞いたなと思って、これ買うと違うんで。
入ってるんだけど、ちょっと違い下げも入ってるんで、
ちょっと今日話してる話とはずれてくるんで、これだけちょっと要注意っていう。
なるほどね。
うんうんうん。
ことがあるんで、
ヤングロゼコミックスの「ロスト ハウス」、単行本か白泉社文庫の「ロスト ハウス」っていうのを、
読んでもらうのが一番いいかなと思います。
大島弓子先生の説明をちょっとしたいんですけども、
1947年生まれ、昭和22年の栃木県生まれで、
作品に関わるところで言うと、子供時代に同居してた大おばがいたらしいんだよね。
すごい影響を受けたみたいなことを言ってて、
これが「ジィジィ」っていう、これは文庫版に入っている短編に、
その大おばの家に行ってみたいな、すごく大おばがキーの話になるんだけど、
たぶんその人のことを着想して書かれたんかなっていう感じが、
このエピソードを見たときに思いましたし、
たぶんそうなんだと思いますね。
そうね、リアリティあったもんね。
うんうんうん。
ご飯作ってとか、両親が出てきてみたいな。
うん。
68年、短大在学生に週刊マーガレットでデビューされてて、
その時は、いわゆるその時流行ってた悲劇ものみたいなジャンルがあったんだけど、
そういうのをよく書かれてたんだけど、
少女漫画の盛り上がりって、やっぱり初めは小学館、
いい編集者さんとかがいて、
そこで萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子みたいな人たちがドドドッと出てくるわけなんだけど、
そういうところで、別冊少女コミックとかで書くようになって、
徐々に小学館で書かれるようになってから、
今の大島弓子みたいな、すごく作家性が出てきたのかなっていう感じですね。
で、もう73年ぐらいになると、まだ単行本出てないんだけど、
第2回漫画協会賞、優秀賞っていうのを受賞するっていうぐらい、
すごく先鋭的であり、人気のある作家にもすでになっていたという感じですね。
なので70年代前半半ばぐらいからも、いわゆる24年組、
少女漫画の革命というのの真ん中にいた1人の作家というのが大島弓子先生ですね。
で、小学館中心に、もうこの70年代半ばから、
今読んでもほとんど面白いなみたいな作品をバンバン書いている。
大島弓子の代表作
大島弓子って名前のついてる漫画、どれ買っても基本は面白いよと言いたいところなんですけど、
一般的なブレイクとか人気のある、そして入りやすいっていうところだと、
lala、白泉社で書いた「綿の国星」という作品。
これは長編になるんですけど、初め読み切りで出て。
文庫版だと今4巻分あるかなっていう作品があって、
それから入るのが一番わかりやすいのかなというのは、
一般的なのかなというのは思いますね。
「綿の国星」に関しては本当に一大センセーションみたいな感じで、すごい流行った漫画で。
で、一つすごい先鋭的なところがあって、
猫と人間が出てくるんだけど、猫が猫の形してないよね。
人間の子供に耳と尻尾つけて、猫に見えてる。
子供に耳と尻尾がついてる状態でウロウロしてるのよ。
そうなんだ。主人公だけそう見えてるみたいな。
作品上の人たちはみんな、それを猫としてやってるんだけど、
読者だけは漫画上ではそう見てるってことか。
僕らから見てるのは、人間の子供に耳と尻尾がついてる可愛い女の子っていう。
なるほどね。面白いですね。
でも、そんな時代から猫耳の感じだったね。
でもこれ本当に多分ね、スタートだと思いますよ。
猫耳であり、っていう。
言ったらね、正直このロリコンブームっていうのにも、ここは影響めちゃめちゃあるんですよ。
ここからね。
で、「形態の分母を揃える」っていうことを、大島先生はそういう言い方をしてて。
はい。
だから、猫を猫の形で揃えるっていうのを、主人公に揃えるっていうのはなっていうので、
じゃあ人型にするっていうことを、「形態の分母」っていうのを揃えたらいいなって思ってっていうふうにおっしゃってて。
やっぱ優れた人はこういう言語感すごいっていうか。
そういうことね。猫と人間やったらちょっと携帯が違うから。
だからそう、人間という分母。
人間という形態の分母をあわしてるんだ。
っていうことを。
天才ですよ。
そうね。ちょっとそれだけでも気になるけどね、そんな発想で作られてるのは。
これは面白いし、綿の国星っていう、猫視点。
だから猫視点で、主人公の飼い主とかの人たちの方が見えたりとかっていうところで。
これアニメーション作品にもなってるんですよ、84年に。
で、これも結構アニメ史としてはこれめちゃめちゃ重要とされていて、
84年ってすごいエポックな年で、ナウシカ、ビューティフルドリーマー、綿の国星、マクロス。
この4作品が同じ年にガーンって出てるのよね。
他の3つに比べて、ここってあんまり語られることなくなってるんだけど、
すごいアニメとしても面白いし、絵もすごい綺麗だし。
すごくいいアニメなんで、ぜひ見ていただきたいなと思うんですが、
作品の影響と評価
新海誠さんってめっちゃ影響を受けてると思う。
へー、あ、そうなんだ。
これ今でも見れるんですけど、
新海誠が本当にインディーズというか、逆光を初めて浴びることになった作品って、
『彼女と彼女の猫』っていう作品なんですけど、5分くらいの短編ね。
で、もろ綿の国星。
そうなんや
うーん。
もちろん絵とかは完全に新海誠なんだけど、
てか、新海誠の文体とかってめちゃめちゃ大島弓子っぽいなって、
そっからたどるとめっちゃ思うんやけど、このモノローグの監視とか。
へー。
そう。なんで、綿の国星見て、『彼女と彼女の猫』を見るとすごい謎が解けるし、
新海誠に潜む大島弓子性というのにも気づけるっていうので、
これたぶんね、一万字とかで書いたらめっちゃいい評論になるはず。
wwww
誰か書く?書いてほしい?
そうそうそう。
シャークさん書いてください。
いやー、ちょっとってとこなんで。
なんで、新海誠作品のなんかああいうポエジーな感じとかが好きな人は、いいのかなーと思ったりしますね。
なるほど。
なんで、ここから入るっていうのか、もしくはこの時期だと、
「四月怪談」っていう作品だったり、もう一つの大本命としては、
「バナナブレッドのプディング」っていう作品がありまして。
おー、なんか聞いたことありますね、さすがに僕も。
「バナナブレッドのプディング」がたぶんね、漫画好きとかの人の教養からすると、
大島弓子といえば、みたいな感じかな。
あー、なるほど。
大島弓子作品、全体的にそうなんだけど、
社会からちょっと漏れちゃう人みたいなのが主人公になることが多いんですよね。
うん。
すごい綺麗な女の子なんだけど、ちょっと考え方とかが違うというか、
周りの人たちとルールが違うっていうか、そういう子が主人公になってて。
うんうん。
なんかその感じが素晴らしい。長編になるんだけど、一巻分なんで。
おー。
そういうところも含めて、バナナブレッドのプディングから入るっていうのもめちゃめちゃいいなと思いますし、
僕も大好きな作品ですね。
うん。
っていうのもあります。
70年代後半、綿の国星の大ヒット。
で、それを書き続けながら、他にも短編とかを書かれてるっていう状態なんだけど、
ここが第2期大島弓子としたら、デビューから70年代前半が第1期だとしたら、
第2期がこの綿の国星以降で、もう第3期盛り上がりっていうのがあるんですよ。
が、80年代後半。
で、月刊アスカ。
この頃は角川で最後の方が書かれることが多いんですけど、
ヤングロゼも角川だしね。
アスカで書いていた、「秋日子かく語りき」という作品がありまして、
こっから「ロスト ハウス」に繋がっていくような、すごい白いし、
なんていうかな、円熟みが増してるから、
モノローグの切れ味もすごいし、説明っぽいことも少なくなるし、
絵の派手派手しさみたいな、もっとすぐ書ける人だから、
70年代とかは結構背景とかもびっしり書いてて、書かれてるんだけど、
この辺から白くて、結構「ロスト ハウス」に繋がるような、
なんて言ったらいいかな、
まあもう芯だけあればいいみたいな。
なんかそういう感じになってて、
っていうのが始まるのが80年代後半からって感じかな。
そうね、確かに。
表紙の雰囲気とかもかなり近く。
うんそう、変わってくるし。
これは難しいところなんだけど、
この間に、言ったらもう、岡崎京子とか出てきてるわけよ。
だからなんかね、その辺の影響っていうか、
なんかないこともないのかなとも正直思ったりするのよね。
すごいこうザクッと書いてるやんか、岡崎京子とか、
あのA5版系の作家の人たちって。
そうね、そんな書き込みがたくさんあるっていうよりは、
シンプルな線で書かれてるイメージ。
少女たちのためのっていう作品ではないやんか。
自分の等身大のものを書きたいものを書いていくっていうタイプの人らやんか。
ストリート感覚の人ら。
なんかそういうのもあって、まあ簡素にしてもいいのかなみたいな。
それは少女漫画業界全体のルールとして広がってるっていうところもあって、
大島先生自身もそういう感じのタッチになったりしてたんかなとかいうのは、
僕の見立てでは思ったりするんですけど。
ああ、なるほど。
で、この「秋日子かく語りき」はドラマ化されてたりもしてて、
2回ドラマ化、ABC朝日放送で幽霊女子高生っていう名前でなってたり、
NHKでちょっと待って、神様!っていうタイトル。
で、これは2004年にやってて宮崎あおい主演だったんで、
僕ら世代でも見てた人いるんかなっていうのは思うんですけど、
泉ピン子だったかな。
泉ピン子と宮崎あおいだったと思うんだけど。
50何歳の人が事故にあって、女子高生に魂が乗り移っちゃうっていう話なのよ。
ああ、確かに。
ちょっとドラマ化されそうな。
そうそう。
っていうので。
でもなんかやっぱ、昨今の原作ドラマ化問題みたいなのはすごく思うのは、
やっぱりタイトルがっつり変えられてるし、テレビ局に。
そうやな、タイトルだけでどういうものかわかるように。
そうそう。
なんかその辺はちょっと思ったりするところではあるな。
もうそれだったら「秋日子かく語りき」っていうこんな素晴らしいタイトルがあるのに、
それであるよって思うし、今だったらそうするんだろうけど。
そうね、今。
うーん、その辺はすごく思ったりしますね。
で、この辺りからサバという猫を飼われてた時期なんで、
サバの何々みたいな、サバってタイトル付いてるコミックエッセイっていうのも
同時に書かれ出すっていう時期ですね。
あー、なるほどね。
なんか「綿の国星」とかもそうやけど、結構一貫して猫を飼ってたの?
猫はね、好きだったんだろうし、
今も一時期何か十何匹飼ってるみたいなことをコミックエッセイで書いてたことを。
それはすごいな。
記憶があるんで、今もう70代後半とかになられてるんで、
どういうふうに過ごされてるのか、って僕ちょっと知らないんですけど不勉強ながら、
大好きな猫たちに囲まれて暮らされてるんかなっていう感じはするんですけどね。
へー、そうなんや。
いや、猫好きっていうのはよくある話ではあるけど、
ここまで一貫して書いてる人はすごいよね、いろんなスタイルでね。
若い時にすごい尖った作家だったけど、
後年コミックエッセイとゆるいもんしか書いてないっていう作家さんっているじゃないですか、いっぱい。
いますね、はい。
いろんな人いますよ、それほんとに。
でもそのかたって多分大島弓子が作ったのよ。
そもそもその、あるあるの源流なんや。
そっか、大島弓子先生みたいな形がいいなっていうので、みんなそういうふうに移行したりっていう。
そういう仕事の仕方っていうのを作ったのも多分大島弓子先生なんですよね。
なるほどね。
まあ確かにそういうさ、ほんまに、それもあるし、愛猫についての漫画もめちゃめちゃ多いじゃないですか。
やっぱりそれもさ、「グーグーだって猫である」っていうの僕も聞いたことあるけど、それ以降ぐらいの感じなのかな、やっぱり。
多分そうだと思うよ。これめっちゃ売れたし。
猫系の漫画やっぱめちゃめちゃ多いもんね。
グーグー以前以降って絶対あると思うね。
へー、そっか、なんか全く予想してなかったところの源流みたいな。
だからそれこそもう矢沢あいでも、まあ今の少女漫画とかにも通じるようなモノローグみたいなのを書いていくっていうね。
の第一人者でもあり、そういうアニメ界のひとつの何かでもあり、40代50代になった時のそういうエッセイみたいな形で漫画を書いていくっていう方も作った人だから。
へー。
大島弓子の継承と変遷
超すごいのよ。
めちゃめちゃ重要人物。
言うまでもなく、誰が手塚治虫かみたいな話で、そのクラスの人で。
まあそういうエッセイみたいなのも書かれてるけど、ずっとストーリー漫画を書き続けてる萩尾望都とかってやっぱおかしいのよ。
まあまあそっか、逆にそっちの凄さが。
いやもう凄すぎる。
その第一線って、しかも最新型未だに出してるから、そういう怪物の人たちもいるしっていうね。
まあいろんな事情もあったんだろうけど、あるところでバシッとそういう風に切り替えてやられてるっていうのもいいし、
その残された作品の、若い時にこんだけ書いちゃったらもう書くもんないよねって正直思っちゃうんだよね、僕とかは。
あー。
見たいよ、もちろん。今のストーリー漫画どんなのが書かれるか見たいけど、まあそうだよねっていう。
だからなんか紡木たくとかもめっちゃ短いんやけど、なんかそこは凄いあると思うな。
やっぱ書き切っちゃうみたいな。
うーん。
心の砂地。
大島弓子の影響
本当に影響っていうのは直系として、岡崎京子先生から、技法から何から自分の作品にも、正直ほぼ全ての少女漫画に影響を与えたと言っていいと思いますよ。大島弓子先生の作品っていうのは。
うーん。まあやっぱそれがこう、よく評論される所以でも。
うん、あるあるし、あとはその吉本ばなな先生が「キッチン」とかでバンと出てきたときに、
どういうさ文学的背景、まあもちろんお父さんのこととかあるけども、どういう素養できたんかっていう話になるときに、大島弓子先生の作品だっていうことを言ってはるんですよね。
あー、なるほどね、そっかそっか。
大島弓子先生の作品でできてます、みたいなことを言って、自分で(大島弓子先生に)インタビューされたりとかもしてるんだけど、そういうところもあって、文芸的な方面からでもではということで再評価されやすいっていう部分もあるんでしょうね。
うーん、そっか。
ただ、僕がこの大島弓子論っていうのを、心の砂地5年やってきてずっと最後に置いてたっていうのは、1つこう、呪いの一節っていうのがあるんですよ。
はあ。
これは大島弓子漫画を好きな男性っていうのは全員が知ってるんじゃないかという、そしてみんながこうウッとなった対談集っていうのがありまして、
これももう大好きなよしながふみ先生のあの人とここだけのおしゃべりっていうね、対談集。
いろんな人としゃべってるやつがあるんだけど、その中でやまだないとさんとかとしゃべってる章があるんですよね。
で、そこでやまだないとさんが、「男の人って大島弓子わかりたがるよね」、よしながふみ先生が、
「学者の先生とか好きですよね。なんでなんだろう。」やまだ先生が、「そりゃ無理だよ、女の子に生まれなかったんだから諦めなって思うんだけど。
だって男の人が大島弓子を解き明かそうとするとさ、必ず「バナナブレッドのプディング」でしょ?」みたいな話をしてるのよ。
わかるわけないっていう。みたいなことを書かれてて、これ十何年前とかね、ゼロ年代に出た対談集とかなんで、
今のね、《男の人ってわかりたがるよね、わかるわけないじゃん、女じゃないのに》って言ってるのは、どうなんかなっていう感じも思うと思うんだけど、
やまだ先生はほんまにそういう気持ちで当時発言されてて、結構ある程度クリティカルだなと僕たちは思っていたんですよね。
当時のね、やっぱその学者の人とかがわかりたがるっていうのをちょっと辟易してたっていうのは、やっぱあるんでしょうね。
たぶんそこに対するディスなのよ。
で、当時、それこそ90年代からゼロ年代とかって、その少女〇〇みたいな、少女の心というものをどうこうのっていう、少女評論みたいなのが流行った時期があるのね。
で、そういうの、アカデミック的には新しいし、本気でやりたかったんだろうけど、ちょっとちゃうんちゃうんみたいな。
で、それをやってる学者さんたちはみんなおじさんなわけよ。
なんかそれってちょっとこう、少女っていうものをつけた、いいような消費なんじゃないっていう感覚は絶対あったと思うし。
なるほどね、そっか。
まあ、ちょっとそういうのにうんざりしてたんですね、わかった気になんなよっていう。
ちょっと違うけど、たとえって言うと、今ってそのギャルって言葉、ギャル最高だよねみたいな、ギャルが神聖化されてるやんか。
うん、されてるね、なんかすごいポジティブなアイコン。
そうそうそう。で、なんかギャルっていう記号を表象としてすごい消費してるやんか。
多分そういう感じで少女とか、そこに代理されるものが大島弓子先生の漫画で描かれる少女の気持ち、まだモノローグとかの、
ああいうところっていうのをすごいこう、旗標としてどんどん描いてた人たちとか、そういう盛り上がりがあって、そういうことに対して、「いや、そういうことじゃねえだろう。」みたいなことが多分言いたかった。
うん、というふうに僕は理解してるんだけど、ただ、やまだないと先生もよしなが先生、まあよしなが先生そこまで言ってないんだけど、「なんでなんだろうね。」みたいな感じなんだけど、どっちも大好きですから、
よしながふみ先生の言葉をこうね、聖典のように読んでる私からすると、「ああ、大島弓子好きって言ったらダメなんだ。」って思っちゃうね。
まあちょっと語り言うのをはばかれるね、確かにな。
だってやまだないと先生言ってたもんなって。
いやーそう、わかりたがるよねって言って、男がわかったように言ったらダメだよねって言うのが呪いとしてずっとあったわけよ。
なるほどね、そうか。
俺の大好きな、何回も読み返す本に毎回出てくるんだもん。
そういうことね、だからまあね、ポッドキャスト続けて、このタイミングでさすがにやらせてもらってもいいでしょうと。
うん、やっぱね、でも今思ったら本気で、ああいやでも「ロスト ハウス」だったなっていうさ。
「ロスト ハウス」の概要
で、まあその後読み返していろんな作品、それこそ「バナナブレッドのプディング」も大好きですし。
いっぱいあるよ、「秋日子かく語りき」でも、「綿の国星」でもいいなと思ったけど、まあでも一番衝撃で改めて読み返しても、やっぱ「ロスト ハウス」一番いいなと思って。
まあそれに衝撃を受けたっていうのはね、嘘じゃないわけ。
嘘じゃないし、僕もそっから入ったってことは、もしかしたら同じような感じで、まあ僕も変な体験はしてるかもしれんけど、ただの30代男性なわけですから、今30代男性、まあ当時読んだとき20歳とかだったけど、同じような人生の重ね方してる人が今読むんだったら「ロスト ハウス」なのかもなというふうにも思ったんで。
うーん、そうね。
うーん、というところでね。じゃあ「ロスト ハウス」読んでみてどうだったかっていう話をしていきたいんですけど。
はい。
全部でどれが一番好きでした?
あー、いや難しいな。でも素直に選ぶなら「ロスト ハウス」。まあ表題作が一番好きでしたね。
一番の傑作ってたぶん「ロスト ハウス」ですよ。
うーん、そうね。アルバム通して聞いたときにやっぱこれが一番名曲って思ったわけか。
まあそうだね。
やっぱストーリーとして綺麗すぎるし、なんならかっこいいなまでは。
うーん、すごいし、こんな漫画読んだことないし、今後も出てくることは多分ないんじゃないかっていう。
いやタイトルもいいよな、「ロスト ハウス」。
いやそう、あのね大島先生の天才なとこってだいたいタイトルが文章とかに出てこないことが多いんですよ。
確かに。
で、これはめっちゃ俺も影響を受けてて。
だから心の砂地のタイトルとかって出てきたワード、ぱんってタイトルとかしないんですよ。
聞いてみて、あ、こういうことだったんだなっていうタイトルになるのがかっこいいと思ってるから。
ああ、なるほどね、キラーフレーズを入れるわけじゃない。
じゃなくて、たまにやるけどそっちのほうがいいなと思ってやるときもあるんだけど、結構この違うタイトルみたいな、その包括するようなバシッとしたタイトルをつけるっていうのはめっちゃ影響を受けてるんですけど。
なるほどね。
うーん、「ロスト ハウス」っていう作品のね、まあ一応ちょっと紹介しておこうか。
はい。
えりちゃんっていう大学生が主人公なんですね、まずは。
うん。
で、大学で何回もナンパをされる男がいるんですね。
えりちゃんはその3回目のナンパのときに、部屋に行っていいですかって言って、そいつの部屋に行くんよね。
そうすると、その相手が部屋に入ったら襲おうとしてしまうっていうことがショッキングなことがあるんだけど、まあなんとかかわして怒ってそのときは帰るんだけど。
そいつとまた出会ったときに許す理由として、「そうだわ、1ヶ月間あなたがあの部屋の鍵を開けないで過ごしたら許してもいいわ。そしてその間、私がいつ何時あの部屋に入ろうと、あなたは完璧に私を無視して過ごすの。それができたらね。」っていうようわからんことを言うんだよな。
で、それはなんでなんかっていうと、っていうので急に時間がギューンって巻き戻って、ちっちゃい頃のえりちゃんの話になるっていう。
そうね。
ちっちゃい頃に住んでたアパートの隣の住人のことが好きで、めっちゃ忙しい新聞記者の鹿森さんだったかなっていう人が住んでるんやけど、もう部屋の鍵はいつも開いててぐっちゃぐちゃの部屋なんやけど、そこの部屋にちっちゃい頃のえりちゃんが行くのがすごい好きだったっていう話なんですよね。
で、そこからその人がどうなったかっていうのと、自分の生活っていうところの、また大学生のえりちゃんっていうところに戻っていくっていう短編なんですけど、まあこの話の構造自体すごいし。
まあまあそうね、時がね、結構ギューンと戻るからね、一回ね。
そうそうそう。し、なんかこのプロットもどうやったらこんなの思いつくんですか?
いや、そうなんよな。いやで、それでさ、えりちゃんが入って、それで親にさ、その不法侵入やみたいなことを言われてさ、警察に捕まるみたいなことを思ってて、電話かかってきたりしてヒヤヒヤするみたいなさ、あれめちゃめちゃ子供あるあるやなって思うので。
大島先生の漫画に特徴してるんやけど、主観的な、主人公の主観にグッと寄って、そこのモノローグみたいなのが、その気持ちがモノローグで語られるんだけど、そこがマジで子供の気持ちのモノローグが書かれてるっていうのが、うわーいって感じするよね。
そうそうそう。いやだから、言われな見落としてるようなことを、子供の気持ちになって全部書かれてる感じがしてて、いやそこ抜き出せるんがまずすごいなって。
で、大人の世界は大人の世界で存在してる中であるから。
そうよね。だから、結局最初に会った男の子の家もその、モノを盗まれたりとかって、いやまあそらそうよな、開けっぱなしにしてたらっていう、なんかそういう、やっぱりその現実っていうものを、もうやっぱり介入してくるし、やっぱりさ、その部屋が開け放たれてるっていうことを。
でさ、そこがさ、片付けられてないけど、恋人が来たら片付けられるとかさ、なんかそこがすごくこう、なんていうか、人間の心の中っていうのが、もう本当に多分重ね合わせて、それのメタファーとして多分描かれてるんやけど、なんかそこをすごく熱く語る、さっきのやまだないとさんの発言を聞いて、うわー確かに語りてーと思ってしまってる自分が。
物語のテーマ
語りてーけど、いやそういうことじゃねーんだよっていう、俺の頭の中のやまだないとが言うんやけど、まあまあそれはね、あれなんですけど。
で、最後、そこが完全に開放されるみたいな、すごい表現方法やなっていう。
そうそうそう。で、まあその開放のされ方っていうのがまたさ、すごいんですよ。
うん、いやそうなんですよね、そんな。もう本当になんかちょっと目覚めみたいな。
まあちょっと宗教的な感じがするよな。こう通過儀礼とかなんかそういう感じというか。
そう、でもなんかその最後のそういうカタルシス的なものもあるというかね。
なんでこの人が成り立ってるのかっていう話ではあるんだけど、すげえいいんだよな、そこが。
確かにね。
で、まあ探し回って本当に会いたい人みたいなのには会えないけども、夜が来て、見つかんないけど朝は来るっていう。
うん、そうね。
これって結構、まあそこは岡崎京子でもやってるし、なんもないけど朝は来るっていう。日常が続いていくみたいな。
うんうん。
そういうので本当にすごいね。
そうね。まあでも人生は続いていくよねっていう、もう本当に一番いいとこですよね。
そうそうそう。岡崎京子さんとかは結構そこがさ、その日常の退屈さみたいなのがすごい、なんていうか、残酷に映る。
ではない。大島弓子先生が同じようなものを描いたら、あ、こういう切り取り方みたいな。一瞬の切り方とシチュエーションは近いんだけど、
ああ、なんか見方ね、みたいな。世界の見方みたいなところを中心にするんだねっていうところが。
まあ確かにね。
なんかすごい大島先生っぽいし、ある種すごく自分に落ちていってるから、自閉的っちゃ自閉的かもしれないけど、
心晴れやかに、ああまあそうだよなっていう感じに読める作品でもあるし、
大島弓子の作品の特徴
まあただなんかその、すごい残酷なものもあるから、心がグッと引き裂かれるような気持ちになるっていうね。
カラっとしてるけど、全部解決してるわけじゃないしっていう。
そうね。そういう描写は確かに全編通してあるというか、田舎の感じとか。
はいはいはい。「青い 固い 渋い」ね。
あの話も辛かったな、結構。
あの、「青い 固い 渋い」っていう作品が「ロスト ハウス」の前にあって、単行本だとはじめはこの作品からスタートするんですけど、
僕が思ったのはその田舎の描写って、都会から来た人が田舎に来て、ちょっと難しいみたいな感覚っていうのは、すごいいろんなもんで描かれてると思うけど、
その中でも、その気持ちとこの田舎に乗り切れなさとそこのうまくいかなさみたいなことを描いた漫画としては本当にトップクラスですごいと思うね。
そうね。なんかその、なんていうんだろう、露骨な嫌がらせってレベルでもないというか。
ちょっと排他的な雰囲気がある。なんかそこのリアリティがさ、わかるよね。
絶対聞こえてたやんっていうのを無視されるみたいな。
なんかね、この感覚が多分、田舎から出てきて都会に3年目の自分に刺さったっていうのも多分あったね。
1作目に「青い 堅い 渋い」があって、うわ、こんなことを漫画で、もう多分昔やけど、描いてる人がいたんやみたいなびっくりみたいなのもすごいあって、そこで心つかまれたとこもあったのかな。
なるほどね。確かに。でも、「クレイジーガーデン」の描き方はまたちょっと違う方向。
老化の描写
「クレイジーガーデン」ね。
そっちはやっぱり地方から出てきた人を描いてるんだけど。
だから、そこがすごく多面的なのはいいなってやっぱ思うよね。
やっぱりいろんな面がやっぱりあるっていう、地方、田舎っていう、僕らもそういうところ生まれですから。
人間っていうものの複雑さに多分興味がある人だから、絵だけ見たらすごいキャッチーだし、いいなって思うとこあるんだけど、やっぱそのエグさを描かれてるから、いろんな人にそういうものが届いてるっていうのはいいなと思うけどね。
「ジィジィ」は文庫本のみにしか入ってないですもんね。やっぱりこの話も結構好きだったね。
「ジィジィ」ももちろん傑作ですよ。
けっこう差し込まれるギャグみたいなのが。
なんかシュールなんだよな、あれ。
「お父さん、急所は外すのよ!」
いや、あれ笑うよな。
あれちょっと面白すぎるやろ。
やっぱ普通におもろい。なんか吉田戦車的なシュールさみたいな。
いやいや、ほんまにほんまに。
不条理感あるよな、あれ。
さっき言っちゃうと夢落ちじゃないですか。だからそのあたりもちょっと納得がいくというか、そういう不条理さみたいなところ。
これ読み返してて気づいたんですけど、男の子が喧嘩してて、主人公の女の子が木のとこで寝てるシーンが、完全にこれ不思議の国のアリスやん。
そうね。
そうそう。だから、「あ、そっか、じゃあもうこっから振ってやったんや。」みたいなところとかも読み返してて気づきました。
そうね。で、走って行って、男の子がこう誘っていくみたいな感じもね、そうなんだよね。
だから読み返したら、やっぱり一まとまりになった時に、全然めちゃくちゃな話ではないというか、一本筋がやっぱ通ってたんやっていう。
で、またその、ひとえに夢落ちって言ってもっていう感じの味わいがあるのがやっぱ大島弓子節っていうか。
そうね。だから、「あ、夢だったちゃんちゃん。」じゃなくて、まあもうちょっと先があって、銀河鉄道の夜的なさ、何かこうリンクしてるところがあったりとか。
まああるし、ひとりのね、人間の死っていうのがあるんだけど、多分そこに向けて書かれたんだろうなってことは思うし、ちょっとね、味わいがやっぱ深いんすよね、その辺の行間が書かれてるところから。
うんうん、そうね。だから結構「ジィジィ」は、読み返してた時に味がすごかったのが一番。
うーん、そうね。まあまあ、やっぱ大島先生の作品はずっとやっぱ手元にあった方がいいっていうのが、やっぱそういう読み返し読み返しで、やっぱ、「おーおーおーおー。」みたいな、気づくことがめっちゃあるっていうかね。
そうね。
うーん、っていうところもあるし。やっぱ「8月に生まれる子供」の話もしなあかんもんな。
はい。
で、これは女の子が、大学生の女の子が夏休みで、2ヶ月大学生っていうのは夏休みがあるみたいなね。
どうやって遊ぼうかみたいな。幸せなカップルの本当に幸せな瞬間、みたいなとこからスタートするんすよね。
で、そっからなんか女の子がちょっと機嫌悪かったり、なんかこうすごい物忘れ激しくなったりみたいな描写があって、
で、後にその主人公の女の子が、すごく早く老化してしまう、本当に急速に早く老化してしまう病気っていうのにかかってしまっているということがわかって、
で、実際にその綺麗だった少女が、急速に老人となっていくっていうことが描かれる短編なんですけども。
うん。
さっき「ロスト ハウス」で、ちびっこ目線の主観モノローグっていうのがあるんだけど、これは言ったら、老化でちょっとよくわかんない状態になってる主人公のモノローグとかいうのが描かれたりするんですよ。
ああ、そうね。
だからその目線が、いわゆるアルツハイマーだったりとか、老人の方とかの気持ちってこうなのかなっていうような、そこに迫ったときにすごい切ない気持ちになるっていうかね。
うん。
なんかこう、現実との齟齬、自分の体とその頭と忘れてしまうことの齟齬みたいなことをすごく鋭くガンと描いてて。
うんうん。
もうなんかね、本当にこれはすごい、ううっとううっとなるんだよね。
そうね。なんかだから、ほんまにもうコントロール聞かず世界に置いていかれる感じみたいなのが、なんでこんな、だから読者も本当にその状態にさせられる。
させられるし、実際にそのおばあさんを、ただ本当にこうコントみたいな感じではおばあさんじゃなくて、本当におばあさんにして描いていくのよね。
うーん、っていうのが、やっぱね。
そうね。ちょっとあの、それの作品自体ではないんですけど、最近、最近じゃないのか、もう今年の7月ぐらいに、アフタヌーン四季賞で「6年目の浦島太郎」っていう短編が、
あります。
あれ、絶対って言っていいかな、影響を受けてるよね。
いや間違いないと思うよ。
その逆なんですけどね、冷凍する、自分だけ歳をとらないっていう設定なんですけど、めっちゃそれ思い出しましたね、だからやっぱ。
僕もあれ読んだ時に、あっ「8月に生まれる子供」だなって思ったね。
うん。自分だけ取り残されていくんやけど、周りはやっぱりちょっと気使うじゃないけど優しいままやったりとかして、それがもっと自分を孤独にさせるというか。
そうね。で、もう見られるのが嫌だから毛布みたいなの被ってみたいな。で、その姿を描くのよ、大島弓子は。
うーん、そうね。
ああいう風になったらもう自分の主観ショットだけでさ、やっていくのがありそうやけどさ、なんかちょっと引いて見せるんだよね、その感じを。
あー確かにね、そっか。
孤独感と新たな誕生
あれがやっぱ天才だと思うな、僕は。
そうね、描き続けるっていう。
やっぱな、恋人と待ち合わせ、デートだから待ち合わせしてるんだけども、老婆の姿になってるんだけど会いに行くみたいなところとかもあって。
あっことか、やっぱ何回読んでもね、死にそうなんねんな。
うーん。
うーっと思うね。
そうね、いやー。
いやまあなんかでも、こういう「8月に生まれる子供」自体はさ、こう急速に老化するっていう特殊な状況ではあるけど、自分らが生きてる中でもさ、久しぶりに会った友達とか、なんかどんどんこう、みんなと過ごしてる時間軸自体は一緒やねんけど、進んでるときが違うくなって、なんかこう急激に孤独感を感じるときとか。
あるあるある。
うん、なんかそれをやっぱ、より強い形で体験させられてるから、めちゃくちゃきついなっていう。
そうねー。でまあ、お姉ちゃんは子供が生まれる、新しい命がある、でまあ実際生まれる。でこのやっぱタイトルですよ、「8月に生まれる子供」。
うん。
言ったら、新しい自分が生まれると肯定してるよね。このすごい老化してるあれなんだけど。
うん。
もし、例えば自分の身内の人とかが年をとって、まあこういう状態になったりすることも全然あると思うのね。
はいはい。
で、それってその今までずっと知ってた、例えば自分の父母が変わるとか、ちょっと自分のことがわかんなくなるみたいなことって、あんまり想像できない人が多いと思うんだけど。
うん。
でもそうなったときにやっぱみんなすごい強いショックを受けると思うんだけど、
生まれたんだなっていう、新たに子供としてこの人が生まれたんだなっていう風な捉え方をしたら、すごく受け止めることもできるんかなーみたいなことは、この漫画を何回も読み返す中で僕は思ったりするんですよね。
ああ、なるほどね。
うん。
まあ、やっぱ同じ人間やったから、そこにこう、ショックとか苛立ちがあるかもしれないけど、別にもう別のものや、という。
そうそう。だから、もう一回その人が年をとって生まれることっていうのがあるって思った、っていう捉え方なんだなって僕はすごく思ったのね。
なるほどね。
うん。で、そういうことを感じられたんかなとか、そういう経験があったのかなっていうのはわかんないんだけど、僕は自分の経験としてそういう風にできるのかなと思っていて。
そうね。
うーん。
でもほんま人って別人のようにさ、この、まあそういう老化以外にもほんまにカラッと変わったりするもんね。
うん。だからそういう時は、なんか新たに生まれたんだなって思うっていう。
そういう考えは確かにすごい素敵ですよね。
そうそう。で、なんかやっぱ新たに生まれるってことは子供であるってことだから、だから変わった時ってもう子供なんだよね。新しく生まれた人って。だからこう、難しいっつうか。
そうね。いやー、そう。いやでもなんかさ、これのさ、その一番最初の方ってさ、見た目はまだそんな老化しない状況やけど、ちょっとそういう物忘れ的なところがデート中にこういっぱい出てくるっていうところじゃないですか。
なんかそこでやっぱこう、苛立ちを感じてしまってる自分がすごくこう、後半に自己嫌悪になるというか。
はいははい。まあそうか、そうだなー。
そうそう。なんかこの、いやそりゃそうやんなっていう。やっぱその、お年寄りやったら多分なんとも思わんかもしれんし、あるあるなんかもしれんけど、でもそういう事情って別に見た目に関係なく人にあることじゃないですか。
あるしな。うーん。もちろんもちろん。
なのになんかこうやっぱり、わーいや嫌な感じやなっていう。思っちゃう自分っていうのが、後半でどんどんグサグサさされていく感覚があったし。
あーそういうことかっていうね。でもどうしようもないことだし。
最初はほんまになんか、おちょこちょいやのにわがままな人なんかなみたいな。そういうちょっと嫌さがあったのがさ。
いやーでも。大島先生の主人公、書かれる作品ってこういうことめっちゃ多いのよ。なんかこう、条理から外れてる子が主人公で、で、その人がどういうふうに生きていくかっていう。で、周りの人たちはそれに翻弄されるみたいな。
で、まあそう、この在り方というか、その人自身の在り方を見つけることもあるし、周りがこう変わることもあるし、とかまあそういう困難さというか。どうしてもこぼれてしまう人たちにスポットを当てるのが大島先生なのね。
後々読んで、あーなんかいろいろ書いてきて、この老化っていうところにしたんだ、っていうのもすごいなと思ったし。
あー確かに。なるほどね。
だからなんか、「バナナブレッドのプディング」とかもそうなんだけど、すごく言ったら子供っぽい感じで、まあ言ったら空気読めないみたいな感じの主人公みたいなのがいて、みたいな感じなんだけど。
批評と複雑さ
なんかそういうのって、最近ってやっぱすごいみんな名前つけたがる?みんないろんな人が。そういうこととか。例えば映画評論とかでも、そういう言葉使ってしまうことが結構ある?
うんうん。
最近で言うと、「ナミビアの砂漠」っていう映画。見てるよな、てらださん。だったけど、あれをその主人公をいわゆるADHDだという診断で見たら、読めるものがあるっていう評論とかあったりして。
で、それってたぶん一つ形としてはアリなんですよ。評論という形はアリなんだけど、でもなんかその名前をつけて、全部そこに回収してしまうってことは、批評としてはすごい貧しいのよ。
うーん、そうね。だから、なんて言うんだろうな。難しいけど、境目ができてしまうよね、明確に。
そうそう。で、人間というものの複雑さの一つの一面として、例えばそういう特性だったり病気だったりっていうものの名前がつくっていうことは、複雑さの一面でしかないやんか。
そうね。
ただ、一個批評の軸として、そういう病名だったり特性だったりするものをガツンと軸に置いて批評というものをすると、非常に貧しい。
その一個に全部回収されるようなもので書いていくと、非常に貧しいし、それは映画のメッセージとか映画というものの豊富さ。
今回だったら漫画というものの豊富さ。そういうグラデーションというか、そういう複雑さを描くために芸術とか映画とか漫画があるのに、
一個のもんに回収されちゃうっていうのは、すごくちっちゃくしちゃった捉え方だなと思って、僕は良くないなというものが思ってるんだけど。
だから、大島先生の漫画とかでもそういうことが見えると思うのね。
この子はちょっとADHD傾向だ、みたいな感じで見ちゃうと、途端にめっちゃ面白くないような漫画に見えてしまう。その批評の面ではね。
そうね。そういうちょっと切り込みを入れるような視点を言いたがるっていうのはすごく評論としてバズりやすいだろうし、
それで届く人もいるっちゃいるんやろうけど、でもやっぱ個性に境目をつけるっていうのは、ある意味すごく閉じた方向性の話にもなっちゃうことでもあるからね。
今そういうもん切り方で、〇〇で、みたいな。例えば、これも、この主人公って〇〇〇〇っぽいよねってMBTIのことを言ったりとかも言ってると思うね。
でもそういうことが流行ってるところだからそういうことをしちゃうし、それを自分たちの判断基準の一番のもんだって置いちゃってるからそういうこと言っちゃうんだけど、そういうことするとめちゃめちゃ取りこぼすものがあるよっていう。
で、その取りこぼす人たちの話をしてて、その中にもすごい複雑で豊かな、そこの中にもすげえいっぱいグラデーションがあるよみたいな。
場面によっても社会によっても、その個人の中でもいろんな見え方形があるよっていうことをすごく描いてる漫画家だから、大島先生は。
だからこそ、その感情を感じてほしいがために今こそ読んでほしいな、みたいな作品でもあるんですよね、大島弓子先生の漫画は。
うん、確かにね。そうね、だから確かに、派閥的なものに回収されていくことはやっぱりないし、「ロスト ハウス」にしてもそうやけど。
なんかその…《部屋のドアを開けといて》、っていう話っていうのが、その人の中では理論があるというか、理由があるっていうところをしっかりと解きほぐされてることによって、
ドアを開けといてっていうだけで言うと、いわゆる不思議ちゃん的な名前で終わらされてしまうようなことを、実はその読者としてその背景とかまで読むと、別に全然みんなと一緒でもあるところでもあるし、
そこの持っていき方の優しさみたいなのが、やっぱり終始ある人ではあるよね、確かに。
そうねー。だから正直ね、今例えば漫画とかアプリとかで見てますよみたいな子に、これがどこまで伝わるかってわかんないのね。
類型化か感情移入。自分がこの人だって思うから楽しいとかいう感じで楽しんでるエンタメ作品を楽しんでるお客さんが一番多いなと思ってるから。
まあ共感ですよね、一番あるのはね、よく見るのは。
共感っていう言葉にしたらまだいいんだけど、例えばこの作品に出てくる人たちのキャラクターに今の人たちが乗れるかっていうと結構難しいと思う。
まあそれはそうかもしれない。
そう、溢れる人たちばっかり描いてるから。
うーん、そうやな。なんかでも、僕もそうやと思うねんけど、今の時代時代って言ったらあるかもしれんけどさ、
自分は共感しないけど言ってることはすごくわかるっていう気持ちを持って、めちゃめちゃ重要やと思うし、
僕はそういう作品かなり好きなんですけど、それがダメになってきてる感じ、すごい最近感じてる。
でもね、自分が共感できなかったらもうダメやなっていう。
そうそうそう。僕からすると、やまだないと先生が言う通り、多分わかんないのよ。
出てくる少女たち、女性たちの本当の感情移入っていう意味で。
大島弓子先生の作品の読者たちがこれだけ広がってるっていうところは、そういう部分も絶対あったの。
あなたのことだよって言ってくれてるところもあるんだよ。
多分この少女のモノローグだったり、所作だったり、なんか思ってることだったりっていうことが、
すごく共感できる部分がある。で、僕も言ってることはわかるというふうに思ってるんだけど。
ただ、そういう見方があんまり最近はされなくなっちゃってるから、
届く幅もちょっと狭まっちゃってるのかなみたいな。
そうね。そこは難しいよね、やっぱ。
まあ、やっぱりその、「これって自分のことじゃん!」みたいなのがやっぱり。
めっちゃ多い。それが最高っていう意味だもんね。
そうそう。っていうのがやっぱりね、強いもんね。
そう、「ロスト ハウス」に出てくる作品、全部自分のことだとは1ミリも思わない。
まあ、マジでそうなんですよ。なんかその、自分のことだとは一切思ってないんだけど、
でも、なんかそういう世界があったりとか、そういう人たちがいることが自分の中でとても重要っていう。
し、それこそ8月に生まれる子供でも、「ロスト ハウス」のえりちゃんでも、「共感をするよ!」っていう。
なんかさ、共感っていう意味の幅がグッとちっちゃくなってんのよ、たぶん最近って言葉の。
確かに、僕もやってたもんね。
自分が経験したから感じたこととイコールにできるかっていう意味だけど、違うと思うんだよ。
もっと広くて、「それわかるよ!」っていう気持ちって、体験してないけど、自分に似たような経験はないけど、その感情として、同じように自分の心が震えたことはあるよと。
同じように自分の気持ちがなったことはあるよっていうことがあるのが共感だと僕は思ってるから。
あー、なるほどね。
うん。
今後の展望
そうか。そこまでの範囲で言うなったら、まあそうね。
そうそう、その共感をするよって。
同じように気持ちは感じるよっていうことはすごく思ってて。
だからまあ、そういうわかるわけねえってやまだないと先生は言ってて、別にそれが俺たちに対するディスではないと思うんだけど、でも僕は共感はできてると思ってますっていうふうに言いたいなとは思ってるんですよね。
そうね、そうやな。でもまあ確かに、わかったふり、わかったふりは別にしたくはないかな。
し、まあいらんことやけど、これわかったふりするとかっこいい作品ではあるんですよ。
うん、そう、確かに。
持ってて語りがいがあるし、この「ロスト ハウス」の散らかった部屋というのはその人の心象風景、つまりは新聞記者で忙しくみたいなさ、丁寧な評論できるし、それはあってる、正しい読み方だと思うんだけど、まあまあまあ、そうじゃなくてっていう。
いやだからまあ、ほんまにそういうことですよね。さっきのナミビアの話で、ADHDでつじつまが合うとかさ、いやまあ確かにそうなんだけど、そういうことじゃなくてっていうのと全く一緒ですよね。
交通整理されると違うんだよなっていう。
っていうのはあるよね。なんかこう、情報の整理、正しいことを言わなあかんっていうことに、正解を出さなあかんと、批評とか感想が正解かどうかっていうものに慣れすぎというか、やっぱみんなそういうセンター試験とか大学受験的なモデルをやっぱ、いまだに信じすぎてるというのが多分あるんだよね。
うーん、そうですよね。
そんなことないから。
国語の問題であんま読みすぎないほうがいいっていうのもあるのかもしれないですね。
そうそう。でもただ、そういう国語の問題としても、国語の問題集としても、すげえレベルが高くて、かっこいいもんなんすよ、大島弓子先生の漫画って。
だから「ロスト ハウス」を棚に入れといて語るっていうことがかっこいいことでもあるから。
なるほどね。
うーん、っていう魅力はめっちゃわかるし、僕もそういう部分もあるけど、でも改めて読み直して本気で共感するところがあるし、そこでいいなって思った作品だなっていうことは思ったかな。
なるほどな。
でも確かにこれが大事な作品になるっていうのはすごく納得がしますね。
見てる視点的な話で言うと、今回女の子と男の子が云々みたいな、男女の話はあんまりしなかったですね。そういう視点での話もあるんですか。
でもさ、恋愛っていうもんでも結ばれるのよ。だから「ロスト ハウス」を一つの恋愛として読むこともできるんですよね。
「8月に生まれる子供」もすごいロマンスだというね、愛の物語だねっていうふうに読めることもできるんですよ。
いやでも確かにすごい現代的じゃないですか、そのあたりで言うと。青い固い渋いとかもそうやけど、明確な何か男女のカップルとか夫婦っていうものから基本的に解放された愛情のものがやっぱり多いから。
で、性描写も本当に一切ないですし。だからそうしたら現代的でもあるな。
70年代の作品とかから同性愛だったり、ジェンダーに関わる揺らぎだったりとか、そういうことも描いてるから、本当に素晴らしい作家ですよ、大島先生。
本当にたくさん作品があるんで、よかったらね。「ロスト ハウス」から是非と思ってますが、いろんな大島弓子先生の作品にこれから出会ってほしいなと聞いていただいてる人が出会ってほしいなと思いますね。
というわけで、心の砂地は引き続きお便りをお待ちしております。すべての宛先は各配信サービスの概要欄に載っているグーグルフォームからお願いします。
Apple podcast、ポチファイでの評価、番組のフォローも是非ともよろしくお願いします。
各種SNSでの投稿は、ハッシュタグKOKOSNAです。投稿していただく際にはエピソードのリンクも貼っていただけると嬉しいです。
以上で第99回少女漫画特集、今シーズンは終了ということで。
はい、そうですね。で、次回がいよいよ100回。
100回ということで、まあ100回はいただいたお便りと振り返りみたいな感じでね、やっていきますんで。
まあ後、新しいシーズンになっても少女漫画特集はやります。
まあまあそれはね、でしょうね。
あとはやってない作家さんもいっぱいいるんでね、その辺も引き続きジュジュ繋ぎでね、楽しんでいただければなと思っております。
はい、それでは皆様ごきげんよう。
58:10

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