1. 心の砂地#
  2. 『その愛、について』
2025-05-21 47:48

『その愛、について』

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M17.愛、信仰、推し活。すべてが重なっているようで、少しずつ違うと思います。恋愛、友情、性愛。社会や時代によって変わる感情のかたちや、他者との距離感、向き合い方。お互いのこれまでの偏愛、アイドル・アニメ・漫画・演劇など様々な対象への愛し方、遍歴や距離感をヒントに、作品、キャラクターへの共感や自己投影、感情の持ち方、10代の頃に受けた衝撃的な作品体験など……。つまりは自分自身の「好き」のあり方について、本気で向き合って考えてみよう、というお話です。

◆てんてこ・まい
Xnote
・『とけない夜に空想を』
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【ひねくれている大人が、他人と足並みを揃えるために生存戦略について考えたい番組。アイロニーと愛を。アニメや漫画が好きなエンタメオタク。人間関係と哲学。】

◇参考文献
・吉野朔実『恋愛的瞬間』(96〜98、集英社)
・デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』(20、岩波書店)
・岩井俊二『リリィ・シュシュのすべて』(01、ロックウェル・アイズ…lilyholic…)


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サマリー

『その愛、について』では、ゲストのてんてこまいさんとともに「愛」について深く掘り下げます。それぞれの「愛」の経験や感情の変遷を通じて、アイドルやエンタメに関連する独自の視点が語られ、多面的な愛の形について考えます。このエピソードでは、二次元キャラクターへの愛情と哲学的観点からの共感が探求されます。特に『呪術回戦』の七海建人というキャラクターを通じて、自身の生き様に対する共鳴や愛情の形についての考察が行われます。また、友情と恋愛の境界線について考え、ジェンダーや感情のグラデーションに焦点を当てます。参加者たちは、愛情の変化や感情的な嫉妬についての気づきを共有し、社会の圧力が個人の感情に与える影響について議論します。自分自身や他者に対する愛についての考察が行われ、特に定義の難しさやそれぞれの体験からの感情の影響が語られます。また、愛に関する複雑な感情や、自己表現としての「変身」についても深く掘り下げられます。愛についての深い考察と、それに伴う表現方法や影響が探求されています。

愛についての出発点
シャークくんです。今回はゲストに来ていただいておりまして、ゲストの方と一緒にお話ししていくというエピソードになります。
今回のゲストは、ポッドキャスト番組、「とけない夜に空想を」の、てんてこまいさんに来ていただいております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。「とけない夜に空想を」という番組をしております。てんてこまいと申します。お願いします。
よろしくお願いします。「とけない夜に空想を」は、多分リスナーさんがつぶやいてたりとか、Xとかで、そういうので知って聞くようになって、みたいな感じなんで、
多分その時まだ5、6エピソードしかなかった記憶があるので…。そんな昔から聞いてくださっているんですか。
直接的にそんなに、例えば感想を送り合ったりみたいなのは、そこまで距離感が近かったわけではないんだけど、ずっと認識はしていて。
嬉しいです。
今みたいなゲストを迎える形式になった時に、せっかくなら話しときたいなぁみたいな中にてんてこまいさんがいたので、オファーさせていただきまして、本日の機会が生まれたという感じの流れになります。
なので特に前触れも何もなくですし、1回打ち合わせでお話をさせてもらったっていうだけなんで、今日喋るのは2回目みたいな感じなんで。
そうですね。2度目ましてですね。
2度目ましてなんで、そんな距離感でいろんなことについて話せたらいいかなというのが今日のエピソードでございます。
で、「とけない夜に空想を」の配信を聞きながら、一時期その愛についてっていう話を連続してというか、なんか最近考えてることでみたいなので、よく話されている時期があったかなと思っていて。
で、そこがすごく僕も興味深かったし、なんか僕も同じようなことを考えていたというか。
で、ただその大きく愛についてっていうのって、それこそエーリッヒ・フロムの愛の本とか、なんかいろんな愛という言葉っていうだけでいろんな捉え方があるし、いろんな話ができちゃうんで。
なんかてんてこさんと愛についてというか、てんてこさんがどんな人なんか、僕がどんな人なんかっていうのを愛についてっていうキーワードとともに話していけたらいいかなっていうふうなことを思ってて。
ふんわりほんとそれだけ決めて今収録をしてるみたいな感じなんですけど。
で、僕が思う愛についてっていう話、結構自分は何かを、特にエンタメ作品とかそういったものを、変愛、そういったものに端的するっていうことで人生やってこれたみたいな感覚がすごくあって。
常に触れてきたってことですよね。
そうですね。で、なんかそれが多分、もしかしたら今の言葉だったら推し活とか、そういったもんにもはまんのかな。
でもいわゆる推し活みたいなことをしてる人からすると、自分が持ってきたそういう端的するみたいな愛情みたいなものとちょっと違うような、かすってる部分もあるけどちょっと違うようなとか。
あとは自分が何かに対して、例えば自分がアイドルに対してとかオタクだと思ってるけど、オタクとしてこうあるべしみたいな行動と推し活と愛みたいな、この3つ全部重なってるので全部ちょっと違うような気もしてて。
あー、重なり合ってる部分もあるけど違うんじゃないかみたいな。
そうそうそう、なんかそういう話とか、自分がじゃあなんでこういうふうに思ったのか、そもそもなんで僕が何か好きっていう気持ちとか、愛情みたいなもんで生きていこうって思ったんかみたいなこととかも考えたりしながら、
なんかそんなことをお互い生きてきて何か好きだと思うこととか、愛情みたいなものを考える、愛情ってつけちゃうとまた違うんだけど、そういった感じの話ができたらなって感じですね。
好きなものの重要性
はーい。
どうですか?なんか僕はその時その時、まあ音楽とか映画とか最近だと演劇が好きだけど、好きなものみたいなものに時間を使う、まあこれ今で言うと推し活とかに近いと思うんだけど、そういったものの比率を年をとるごとに増やしていけるってことがあるからなんとか生きていけるみたいな感覚があるんですけど。
命の支えってのを大袈裟すぎますけど。
でもそうそうそう、そういう感覚かな。そういうのってどうですか?
さっきシャークさんがおっしゃってた推し活とちょっと違うみたいなニュアンスがすごく共感できるっていうかわかるなっていうのを思ってて、自分の心の支えにはなるけど、疑いの目を向けながら共存しているから、
やっぱりその世間が言ってる推し活とはなんかちょっと違うかなっていうのは私も思ってるかなあっていうのは思いましたね。
僕も女性アイドルがすごく好きだったし、それにすごい時間の比率が多かった時期とかって、わかりやすく生きやすかった感みたいなのあったんですよね。そういう好きなものの中でも。
それはなんで違うんですか?その今の演劇の好きとアイドルの好きっていうのは何が違うんでしょうね。
多分それっていわゆるオタクみたいな、まだ推し活ってことはないけど、そういうのに当てはまりやすいし、その用意がすごくされてるし、アイドルオタクみたいなものの認知が広がってる時だったから、あ、そういう人なのねみたいな、多分すごくシンプルでいられた時間みたいなのがあったんですよ。
深刻化じゃないですけど、もうこの偶像崇拝じゃないですけど、置いといたら自分の心の支えになるみたいな感覚なんですかね。
その時ってすごくシンプルに、本当宗教って言ったらわかりやすすぎるんだけど、指針がこれがこの好きなアイドル的なものなのか違うのかっていうシンプルに判断になるから。
明確なんですね。
それってすごく生きやすかった気がするんですよね、その時の自分って。
へー、そうなんですね。
でもなんかそこに、アイドルが自分の場合はその表舞台から一旦去りますっていうことがあったんで、こう、解放されるというか、自然とその時間が終わりを告げるみたいなことがあったんで、なんかまた違う方面に行ったみたいな。
自分から終止符を打つっていうか、アイドル側からもう一旦お休みだよって感じだから、やめざるを得ないというか、離れざるを得ないみたいな環境だったんですね。
だから今の推し活とか、すごく愛を持っている何かにっていうことの人とかって、なんか一種多分その信仰を持ちたいというか、その信仰の中にいることの居心地の良さみたいなことはすごくよくわかるんですよね。
脇目も振らず、もうそれだけに熱情する気持ちよさ。
そうなんですよね。で、それが推し活なのか、愛なのか、信仰なのかって、全部重なってるけど、
なるほど、難しい。
微妙だなと思ってて、なんか僕の中では、今みんな推し活とか愛情とかオタクって言ってるけど、僕の感覚としては信仰が一番近いんじゃないのかなっていう。
わかります。そういう印象が私もありますね。
思ってて、そういう意味で言うと、僕は今なんかその、一個の信仰みたいなもんから離れようとしてる感覚があって、だからちょっとしんどいし、でもなんかそのしんどさの方が今はいいかなと思ってるみたいな感じなんですよね。
一個これだっていう信仰を決めずに、いやこれもな、これも好きだけど、うーんってやりながらの方が、前に比べたら生きにくいけど、でも僕の中でそれはそれぞれの愛があるし、それぞれの推しがあるし、それぞれの面白さがあるんだけど、信仰じゃないみたいな感じの、全ての僕が好きなものを愛しているみたいな感じで、今後は生きていきたいなみたいな感じ?
僕の持ってた、偏愛で生きてきたんだけど、今もそうなんだけど、それが分散してるのみたいな。で、そこにも距離感があるみたいなのは、そんな感じっていうのが今なうって感じなんですよね。
だから考える、舞台とか観劇って私も好きなんですけど、結構考えるじゃないですか。なんか受動的、それこそさっきのアイドル的文化ってなんか受動的感が私にはあって、
相手から提供される愛を矢印を一気に享受するみたいなコンテンツっていうか、そういう愛の形かな一種のっていうのをアイドル的な愛は思ってるけど、私たちが興味関心を持っている舞台とか、感激とかっていうのは、なんかどっちかっていうと双方が矢印を向いている愛の形のものかなっていうのは、今話してちょっとふと思いましたね。
そうですね。だから僕がそれは批評っていうものとか解釈っていうものがすごい好きっていうのと、相性が多分良かったりするんでしょうね。だから、なんか一個のなんとかワールドとか、アイドルとかのファンクラブとかの名前がついてて、その中で行われるとかもなんかすごく閉じた、あんまり、そこでもちろん解釈はあっていいんだけど、みんな同じものを受け取ってるねっていう興奮みたいなのが一番大事みたいな。
愛の遍歴
同じ波に乗ろうじゃないですけど。
なんかでもそれはそれで、まあ愛ではあるんだろうなと思うし、なんかそれが羨ましいし、そこに浸ったこともあるから、まあいろいろあって面白いなと思いつつ、ちょっと個人としてはそういうのから離れてる時期ではあるみたいな感じですかね。僕の偏愛で生きてきて、それの変遷みたいな感じって。
現在はそうってことなんですね。
まあ僕の愛みたいなとの距離みたいな。
てんてこさん的にはどうですかね、そういった愛情、愛の遍歴みたいなことって。
ああ、愛の遍歴、考えたこともなかったですけど、どちらかというと、私アイドルっていうそういったものにはまってきたことがなくて、私の時代だとそれこそ嵐とかAKB48とか。
タイミングはめっちゃありそうですよね。
そうなんですよ、はまるきっかけっていうのが絶対ターニングポイントみたいなのがあったはずなのに、全部うまいことこうシュルッと抜けてきて、だからその今言ってたその閉じたコミュニティの熱狂みたいなものを逆に経験してみたいなっていうのは、今の年齢になって思うのと同時に、今までの遍歴で言うとアニメとか漫画とか。
それもある種、自分の一人の殻の中に閉じこもった閉鎖的な感じですけど、そっちのものに愛を感じるというか、狂ってきたかなっていうのはありますね、遍歴で言うと。
なるほどね、確かに。そこって例えば、僕は結構姉とかが同人、毎年こう変わるジャンル、今年はこのアニメの本を書いてみたいなのを高校生ぐらいから見てきた世代なので、ちょっと近いかなみたいな感覚はあるんですけど。
まあそうですね、大きく繰り返すと似たような。
でもなんか違うんだろうな。
か、私自身がそのアニメとか漫画に対する見方が、周りは確かに大多数の人たちはそういう楽しみ方、同人とか創作とか二次創作的なところへ繋げる人は結構いたし、自分もそういう文化には触れてきたんですけど、そこでも居づらさっていうか居心地の悪さみたいなのをすごい思ってて、自分の時代の憂鬱さでもいろいろ話してるんですけど。
そうなんです。ズレみたいなのは、確かにシャークさんがおっしゃるようにアイドル的文化とアニメとか漫画の文化って構造的に似ている部分もたくさんあるなっていうのは見てたけど、なんか自分の楽しみ方が違うというか、なんか今変やなっていうのはちょっと思いましたね。
確かにその辺って言ったら、その同人誌作るとかも大きいのってやっぱ基本的なキャラ萌えじゃないですか。
そうなんです。関係性萌えとかキャラクターに対して萌えるとかですね。
二次元キャラクターへの愛
確かに僕も二次元のキャラクターに関してそこの才能なかったんですよ。関係性は唯一あるんですけど、単体萌えみたいなのとか、その人のことをずっと考え続けるみたいなのが、これは三次元でもその人のことを考えてたけど、その人の言ってる言葉とか思想萌えでよく考えると。
その人のキャラクターに萌えてたわけじゃなかったっていうのに至ってて。
あー、哲学的。その人の考える思考ってことですよね。
そうそう、そうですね。何を体現してるのかっていう、どうゲームをチェンジさせたいのかみたいなことにすごい萌えてた。
これも萌えるはどっちかというと燃焼の方の燃えだったというか、そういう感じだったんで。それありますよね、多分。特に二次元的なカルチャーってあまりにもキャラ萌え前提だとされすぎてるところがあるんですよね。
ありますあります。だから今、本当この令和に入ってより加速したっていうか、アクスタとかでみんなこう写真撮ってご飯食べたりとか、もう本当にアイドルと一緒じゃないですか。
推し方が。っていうのは確かに思いますね。じゃあてんてこさん的にはどういうのが愛情的な遍歴?アニメっていうものが好きだったけど、どういう感じで遍歴があったみたいな感じっていうのが聞きたいなとは思ってるんですけど。
その推し方じゃないですけど、愛し方というか好み方みたいな感じですよね。
ちょっと言語化むずい。何だろう。でもさっきシャークさんが言ってたように、端的に言うとその哲学的な部分というか、アニメだったらこのキャラクターの生き様みたいなところ、例えば具体的な作品を出すのであれば、呪術回戦でわかりますか?
わかります。
呪術回戦、めっちゃネタバレになっちゃうんですけど、呪術回戦の七海建人っていうキャラクターがいるんですね。
いわゆる世間一般で言う私は七海建人が推しなんですけど、好きなんですけど、それは恋としての好きとか、この人を応援したいとしての好きとかじゃなくて、彼って呪術高専に通ってて、けれども一般企業に就職して、でもまた先生ではないけども現場に戻ってくるっていうキャラクターなんですよね。
もう自分は参ったところから去るというか、いろんな出来事があって同級生がいろいろあって、去るっていう道を選んだけどまた戻るって言ったキャラクターなんですけど、私そのキャラクターに自己投影じゃないんですけど、その生き様に共感してしまったというか、そういう生き方もあるんだとか、こういう考え方もあるんだみたいなので、結構鼓舞されたというか、勇気づけられたというかっていう一面があって、
別にそれは恋愛としての好きとか、自己投影して好きとかとはまた違うんですよね。
確かに。やっぱりナナミンって僕もすごいキャラクターだなと思ってて、有名なブルシッドジョブの話をナナミンがするじゃないですか、
その週刊少年ジャンプでどう働くかみたいな、働き者の漫画っていうのはあったけど、実際にそこの今現代で起きているブルシッドジョブっていうのがあって、それにどういうふうに実際のプレイヤーとしてそこに喰らい、それで自分のあるべき場所に戻ってきみたいな。
で、みんなそれをすごく共感して読んだし、でんでこさんみたいにその哲学にすごくいいなと思うとか、自分を投影したっていう人がすごく多かったっていう。
そうですかね。具体的なキャラクターを挙げたら、それかな。
感情と人間関係の難しさ
愛情推し云々とかで、自分投影できるか、そういうの全然関係ないよみたいなのもあったりするじゃないですか。
ありますあります。
その辺ってどうですか?もう自分を絶対投入して好きっていう人とか、作品の中にログインしちゃう型の人と離れて見る人って多分いると思うんですけど、どっちもある感じですか?
私自身はないかもしれないですね。なんか世の中って、だから俗に言う、さっきログイン型って言ってましたけど、昔結構ハーレムモノみたいなのが流行ったじゃないですか。
それって多分ログインタイプじゃないですか。見る手っていうのが。でも私はないかなっていうのは思いますね。
なるほどね。だからそこのあるとしたら、例えばナナミンが表してる哲学とかそういったものに、1個ワンクッションあって自分に刺さるものがあるっていう感じってことですよね。
ちょっと感情移入みたいな言葉ではハマるところでもあるけど。
そうですね。ワンクッション確かにそうですそうです。
てんてこさんの話が面白いなと思ってたのが、多分そういうとこなんですよね。
一般的なオタク語りってやっぱすごくログインして萌え語り系なのか、がっつり現代思想に絡めてアニメを批評するみたいなの。どっちかに結構なってて。
多分その間っていうか、ここの部分はこうだし普通にいいなと思うみたいな。私なんかそこに対してすごい面白いことをてんてこさんは言ってるなっていう印象がめっちゃあるんで。
なんか今話聞くとすごく納得できた感はありますね。
ありがとうございます。
ちなみにシャークさんはアニメとかいろんなのをご覧になってきたと思うんですけど、ログインタイプでした?それとも違いました?
10代の時とかはすごくログインしてた部分もあったと思います。
そうなんですね。
だから僕本当になんか知らんけど、14歳の時に急にエヴァンゲリオンをTSUTAYAで借りて見たんですけど。
衝撃ですよね、10代で見るエヴァンゲリオン。
ちゃんと14歳でエヴァンゲリオン見たんですけど、最終話までコツコツ。それとかってなんかすごい持ってかれる感あったんですよね、やっぱり。
本気でアスカがやられることとか、綾波が死んじゃうことみたいなことに本気で落ち込むみたいな。本気でシンジくんに乗ってる部分があって。
ログインですね。
でも結局って数がだんだん自分を作ってくれるとこは絶対あると思うんですけど、そういうの見ていくうちに年取っていくうちにだんだん入っていく感覚が逆にわかんなくなるっていうか。
もちろん気持ちは持っていかれるんだけど、だから好きとか。
入りとか衝撃がエヴァンゲリオンっていうのもなんかすげー僕をこじらせてる何か多分あって。
初期衝動がすごい作品ですもんね、あの作品って。
で、それを劇場版とか見ると気持ちいいの?とか言われるわけですよ。現実に帰れみたいなことめっちゃ言ってくるから。
だからアニメだけ見てたらダメなんだ、みたいなところから入っちゃうみたいな。
揺さぶられますよね。
そういうメタっぽいもんから入っちゃってるからわかんないし、こう見てたらダメなんだみたいな。
かっこいいみたいな感じで見てるんじゃなくて、考えろみたいなことを言われちゃったから、そうしないといけないんだっていう感覚も多分僕を大きく狂わせてるというか。
なんかもっと多分わかりやすい、楽しい、面白いみたいな感じの作品から入っていたら多分それに浸れると思うんだけど、多分そこめっちゃあるんですよね。
あんまりログイン、感情移入っていう言葉がよくわかんねーなーってなってるっすね。
し、なんかそこって自分が好きなもんでできてるんで、だから愛情みたいなもんは何なのかっていうことを解体しちゃうっていうか、自分の感情も多分どんどん。
その作品に触れながら。
そうそう、なんで、なんか自分が日常生活で感じてる感情とかも、こうある種ちょっと理人的に見る癖みたいなのがどんどんついちゃってて、
なんかその自分に湧き立つ何かみたいなものがすげーよくわかんないなーっていうことを最近よく思うっていうか、
なんかみんなもうちょっと感情的に生きてるなーっていうことすげーまざまざと思うんですよね。
見てる自分と考えてる自分がすごい離れてるんですよね。なんかわかる気がします。
だから、あんまり僕その人間関係の感情だけでぶつかってそれがこじれるみたいなって、めっちゃ大人になってもあるし、
その友人感とかでもってよく見るんですけど、でも僕自身はその感覚全然マジ今わかんなくなってて。
だから多分、そもそも自分が人間とか、多分実生活における愛情とかも、なんかそういうものをどう見るんかっていうことをやりすぎちゃったせいで、
自分のものもそこも解体しちゃうから、本当にわかんないんですよね。
それがもともと僕に才能がなかったのか、そういう考え方をずっとしちゃったせいで変わったのかわかんないんだけど。
そうですね、なんか人間ってめっちゃ感情と感情でこじれるし、それだけで生きてる人の方が多いなーみたいなことは、
結構30代になってから自覚しつつ、でもそういうふうに社会や世界ができてるから難しいなーみたいな。
でも僕はしたいこと、誰かと何かしたいとは思うし、人も好きなこともあるから、そういう中に入っていかないといけないんだけど、
だからそういう人間が人間に持つ友情というか感情とか愛情みたいなもんで、めっちゃ難しいなーって最近思ってますね。
こう違う話になっていっちゃうんですけど。
いいえ、いいえ。でも自分も最近それすごく今、ああーってすごい共鳴しちゃったのは、本当に感情で生きてる人の方が多い?
いや、そうっすよね。
多い。で、なんか考えすぎてる自分が、ダメだとまではいかないですけど、そんな多数ではないんだっていう気づき。
で、そこからうまくその世の中が提供する、それこそアイドルだったら、漫画とかもそうでアニメとかもそうですけど、そのまま楽しめばいいだけじゃないですか。
あ、おもろいねーとか、あの披露かっこいいねーとか、そんな単純に受け取れない自分が考え出して、そこから愛とは何だろう?って手探索に移っていくっていう、そういう流れはあって。
それこそさっきエヴァの話が出たんで、エヴァの話を引っ張ってくるんですけど、アスカ、惣流と式波で考え出したらわかんなくなってきちゃう。
なのでそこも多分、そこまで考えなくていいと思うんですよ。話もうまく享受できなくなっちゃうっていうのは、楽しめてないなーっていうのは思いますね。
確かに確かに。ずっとエヴァの話しちゃうんですけど、エヴァ面白いのは、エヴァってみんな機能不全家庭の話でもあって、
そうですね。
で、その感情がわかんないって、コミュニケーションどうしたらいいかわかんないっていう、そこに入れないっていうもんもすごい入ってるんですよ。
70年代の映画みたいな、やってること割と泥臭い人間関係だったりしてて、いろんな湧き立つ感情みたいな気持ち悪いみたいなことも書いてるから、
10代の時にそういうのあって、うわーわかるなーと思いながら、そういうことにだんだん答えが出だしちゃってるから、
今、友人関係とかでトラブル起きると、むずいなーってすごいめっちゃ思うっていう。
僕は結構その家族愛とか恋愛関係とかの愛情みたいなのが、すげー一般的な人々より薄いんだなーっていう自覚をここ数年めっちゃしてるんですよ。
あ、そうなんですね。
うん。
で、いっぱいいろんな作品の話をしますが、吉野朔実先生の「恋愛的瞬間」っていう漫画があって、
結構精神分析学とか当時流行ってた、たぶん90年代ぐらいなんだけどに、とかの引用とかそういったものを一遍一遍恋愛の話にしていくみたいな素晴らしい漫画があるんだけど、
その中で友情と恋愛っていうのはそんな違わない。
へー。
友情と恋愛の違い
で、それは友情だとまあいろんな例えばジェンダーが違うとか、自分の恋愛対象に入んないとか、そういったもんとかで、
その関係が達成されない、恋愛として達成されないっていうだけで、恋愛と一緒だよっていう。
で、恋愛っていうのはそれが達成されるっていう関係だから、達成してるだけだよみたいな話があって。
あ、ゴールがあるかないかみたいなことですかね。
言ったらそうですね。で、そこにあるハードルっていうのがあるから達成されるかされないかっていうのがあるっていうだけで、感情的には一緒だよみたいなのが書いてあったんですよ。
で、なんかそれ考えた時になるほどなみたいな、僕の中で一緒だったんですよ、たぶんそれって。
あー、なるほど。境目がないというか、グラデーションになってる。
そうそう、完全に一緒だったし、すごく僕たちが育った世代って、恋愛するのが一番だよねみたいな、なんかすげえ恋愛主義社会にめちゃめちゃ影響を受けたんだなっていうこととかを、だんだん歳をとってくにつれて、すごい感じていて。
でもそうでしたよね。
うん。絶対恋愛が一番って今も思ってる人もいるし、反対もあるかもしれないし、絶対友情が一番だって、そこに優劣がある人だってあると思うし、
なんかそういうのがみんなルールが全然違うっていうのって、めっちゃめんどくせえけど、たぶんめっちゃ面白いことでもあるみたいな。
面白がれるんですね、シャークさんはそれを。
あの、そこで自分がややこしいこととか、自分がたぶんいけないことしちゃってるんですよ、実際たぶん、友情であり恋愛でありとかって、それに迷惑かけてる人は絶対いるんですけど。
まあ心地よさも感じてるし。
感情のグラデーション
でも僕は、それ自体が面白いって考えたらなんとかやっていけるよね、みたいな。ストイックに見つめすぎると、もう死にたいだけになるじゃないですか、そういうのって。
なります、なります。
あまりにも違いすぎるじゃないですか。だから、なんかおっきく、いやそれ面白いねって、無理やり言おうとしてるみたいなところがあるんですけど。
でもなんか今、その面白い考え方を聞いて、すごい今感化されたのが、私、既婚者なんですけど、その、なんだろう、恋愛市場主義の中でちゃんと恋愛してきて結婚したのかな、みたいなのを結婚して数年経つんですけど、すごい振り返るんですよね。
みんなこう情熱に熱烈に愛して愛されてみたいな感じの、いわゆる小説とか映画とかのワンシーンのようなものを憧れて、自分でそれをやってきてみたいながある中で、なんか違うな、みたいな感じがあったんですよ。
で、最近仲良くなった知り合いがいて、それは同性なんですけど、その同性に対して嫉妬じゃないですけど、なんで私と仲良くしてくれてたのに、してくれなくなったの?みたいな、その嫉妬心っていうものを今まで、今の配偶者には感じたことがあまりなかったのに、そっちに対してはちょっと思うみたいなことがあったんですよね。
で、なんか今のお話、漫画の話を聞いて、あ、そうかって、その性別とかに区切りはなくて、たまたまゴールがあるかないかの、みたいな話を聞いて、私が今抱いてた悩みというか、気持ち悪さというか、感覚の気持ち悪さ、世間とのずれと、なんか自分の感情の、別に夫のこと愛してるし、大好きだし、一緒にいたいと思うけども、またその違う。
何だろう、私心っていうか、指標で嫉妬してる友達に対してみたいなのは、あるなーっていうのは今思いましたね。
確かにそうですよね。だから、もちろんその結婚してるパートナーに対して、いわゆる恋愛的な感情がお互いにあるから絶対結婚するってわけじゃ多分ないと思うし、お話聞いてると多分そうだったから、てんてこさんは結婚という形を選んだってわけでは多分ないんですよね、多分。
まだわかんないですけどね。
まだわかんないですよね。それも多分後から思うと、これだったんだなって思うんだったらそれでもいいし、それずっとわかんないままでもいいなって僕は思うんですけど、でもそうですよね、それって社会の圧としては全然そんなの意味わかんないっていう人の方が、そういう圧が結構あるから、だからそれが、そういう圧力が僕たちの感覚とか言葉とかをバグらせてくるってことがめっちゃ悪いんでしょうね、多分ね。
バグりなのか、そうか。
なんかその、おかしいよって言われてることがおかしいっていうことですよね、多分ね、と僕は思う。
多分僕自身が薄いんで、巻き込まれることとか矢印をグッと持てられることとか、まあそういう気配があったら多分僕逃げてるとこがあるんですけど。
あっ察知した瞬間に逃げるの。
そうそう、うまくやってる部分があるんですけど。
うまいな。
友人間のトラブルってみんなが思う恋愛的な喧嘩にやっぱ近いですよ、てかそうなんですよね、絶対。
まあ冷静に考えたら近いものの方が多いですよね。
そうなんですよね、でもむずいなと思うのが、僕もなんかそういった、今の言葉で言うと恋愛的な感情みたいなことに走らされておかしくなっちゃうことは全然多分あるんですよ、今も。
へー、俯瞰的に考えられそうなのにって勝手に思っちゃいましたけど。
今そうじゃないフリをしてて、そうじゃない自分の方が好きだということにしてるからなんだけど、なんかそういったものに急に襲われたら多分そうなることは多分あるんですよ。
まあ人間ですしね。
それがめっちゃおもろいしめっちゃ怖いなとも思うんですよね。それがまあ人間への感情なのか、もっとそういった作品とかそういったものなのかとかは、なんかもっとそれこそ全然違うものなのかっていうのはわかんないし、なんかそういったものにぶっ飛ばされたりみたいなのがめっちゃあるんだけど、怖いしめっちゃ面白い。
でもそれが人生のすべてでありたいなとも思わないなとも思うみたいな。
だからこそ漫画とかアニメとか演劇とかそういったところで代理的に消費してる部分もあるのかなって今思いましたね。
本当にそうだと思いますね。でもなんかそういった大きな感情、恋愛に近いような大きな感情が一番だよねっていうことにはすげえ抗いたいみたいな。
わかるな。もがきたいし抗いたい。
愛情と社会の圧力
そうそうそうとかがめっちゃ思ってて、これまたちょっとさらにややこしいあれを入れると、なんかその性愛としての欲求みたいなところもあるじゃないですかきっと。
それぞれ人によってあると思うけど、そこと恋愛っていうかどう違うんかって、いやそれ全部一緒でしょって思ってる人もいるし、僕は全然違うと思ってるんですけど、
なんかでもそこが近しいところにいると、俺はなんかすげえ考えたことで好きだったのに、結局人間のなんか本能的なもんから来てるみたいな。
動物なんだって自覚される部分。
されるみたいなのがめっちゃ悔しいから、できる限り話したいみたいなところあるんですよね。そこにはまず抗いたいみたいなのがあるんですよね。
でも切り分けるのってなんだかんだ難しいなっていう部分もありますよね。
そうそう無理で、それって熱量っていきなり襲ってくるし、俺も襲われたいと思ってるから。
楽しんでますね。
そうそうそう、むずいっていう。
でも多分そこを人生の熱量とか熱病に侵されるような感覚が、いいよねっていう風に人生の目的とか一番最高なものとして置いてる人って多分多いっていうか。
その感覚は令和でもあるんですかね。
全然ないような感じするじゃないですか。
15年前に比べたら全然っていう印象。
多分15年前に比べたらなくはなってるんですよ。
意外とみんな、やっぱみんなめちゃめちゃ恋愛だなーみたいな。熱病に侵されることが最高なんだなってことって、やっぱ全然10個下の子とかと喋ってても全然、ああそうなんだって思うことあったりして。
そうなんですね。
悔しいなーみたいな。
なんか僕はやっぱ好きなものに遠くに連れてってくれるっていうのがめっちゃいいんですよ。
それこそ愛情とかそういったものが自分を遠くに連れてってくれるっていう感じがあるから面白いなと思うんですよね。
その時の自分じゃない。
見たことのないところへ。
人間ってずっと同じとこにいる。そこの美しさってあると思うし、それを否定したくはないんだけど、僕は人間がやっぱ動いてるってことがすごい面白いことだと思ってるんで。
感情とかも含めて。
でもなんかそれが全部、肩とか一個のものに回収される。それこそそれって全部恋愛だよねってことに回収されるってなっちゃうと、熱量が最高っていうのはいいんだけど、私の理想とは違うんだよなーみたいな。
なんかそういうエゴイスティックな世界とか社会とか他人への欲望みたいなのは、そういう意味では強いかもしれないですね。
ちょうど10代の頃にシャークさんがエヴァ見たって話であったじゃないですか、今の視点とかのずれとか遠くに連れてってほしいみたいな話を聞いてて、
自分が10代の時に見てすごい衝撃だった作品があって、話ちょっとずれちゃうかもしれないんですけど、「リリィ・シュシュのすべて」っていう作品を10代の頃に見たんですね。
僕もね、16歳の時に見た。DVDで。
10代一緒ぐらいの、あの作品を今話してすごい情景が見えてきて、
あれも好きなアーティストを崇拝する部分と、リアルな環境の人間関係のいざこざとかっていう部分が同じ軸で進んでて、
でもその主人公とか近辺にいる人たちがどっかに逃げたいというか、私たちを連れ出してほしいみたいなところがメッセージの一つとしてあるのかなと思ってて、
私あれ見た時に本当に大衝撃で、自分の10代、あれを見ちゃったからこういう人格になっちゃった、言い過ぎなんですけど、
本当に情景が浮かんじゃったんで、ちょっと作品を出しちゃったんですが。
いやいやいや、確かに。なんかでもあれって、10代に今見せたら多分なんか狂っちゃうんだろうなっていう熱力が絶対ある作品だと僕は信じてやまないんですけど。
今でも狂いますかね。
そうね。僕も地方都市、本当に田んぼしかないような街で18歳まで育ってるんで、
なんかそういうものが描かれてるし、あの作品には。で、めっちゃ綺麗な風景の中にハイパー暴力があるみたいな。
その、一緒に本当は共存しないとこが共存してますよね、あの世界って。
そうそうそう。で、あのヘッドホンという閉じ込める門と、みたいな、鉄塔と、みたいな。
全部がすごいショックだったし、なんか未だになんかふと落ち込むんですけど、リリッシュのことを考えると。
私もあります。
でも、そうですね、なんかありますよね。
あの遠くに連れてってほしいっていう願望と、でもそうじゃない、めっちゃ美しいようにお前らは見えるかもしれないけど、
俺の中ではもうマジで暴力しか見えてないみたいな感覚とかって、なんかそういうもんにすごい心。
実際僕の環境ってそういう環境だったから。
私も同じです。
そこから、まあ俺たち何とかやってるよっていうところはやっぱあるし、とか、そういうとこなんかな。
なんかあれも、なんだろう、性愛的な部分っていうか、その遠行の部分が取り上げられてるじゃないですか、時代。
愛の定義とその影響
ちょうどブルセラとかの後か、2001年とかですよね。
そうですね。おそらくそうだと思うんですけど。
だからあの時にこそ、その性愛がじゃあ恋愛と同軸で語られるものなのかみたいなのを提言した作品でもあるのかなとか思ったりもしましたね。
確かにね。
愛って何でしょうねってすごく考えましたよね。
蒼井優が何万円かもらって泥だらけの中でめっちゃ踏むみたいなシーンがあるんですけど、
あれとかもなんかめっちゃわかるんだよな。
なんかそのお金みたいな指標が出てるのも多分すごいよくて。
記号としてのお金ですよね。
美しさとそういった行動に払わされる対価みたいなものと、それをもらっても14歳、15歳とかの子は踏むしかないっていう感覚とか。
でもああいうのを多分僕は忘れようとしてるところもあるみたいな。
すげー好きだけどめっちゃ嫌な映画みたいな。
そうですよね。
日常生活には本当は必要ないって言ったらあれですけど、
必要はあるのか必要はないか難しいなと。
難しいですよね。
でもなんかそういったものを食らっていろんなものを多分自分の中で再構成したりしてるんだろうな。
そうですよね。
確かにな。
今の10代の子とかも覆われてるのは変わらずすげーハイパー暴力なんですよね。
そうですよね。リアルな話をすると、受け子とか駆け子とかそういうのがニュースでやってるんで、
もっと内包された閉じられたみたいな。
僕らがそういった時間を過ぎたっていうだけで、そういう時代だったなって思ってるだけで、
多分変わんないですよね。
変わんないと思います。
同じことを結局歩んでるだけで、憧れの対象家が違うだけで、
行動としては似てるっていうか同じじゃないかなって思いますね。
そうですね。
そういうもんから逃げたかったんだろうな。
僕が全然音楽の世界とかライブハウスの轟音みたいな中に包まれたいみたいな、
そういったことにすごい欲求があったのって、
でも本当に何とかしてそういう暴力的なとこから逃れたいみたいなのがめっちゃあるんですよね。
ふさぎっこみたい。逃げたい。
みたいなのがめっちゃあって。
そういうとこから抜けられたいし、
はじめから言ってる遠くの方に連れてってほしいっていうのはやっぱそうなんだよな。
なんだかんだ10代の、
こういう話してて結局生育環境のトラウマに帰っちゃうのって。
つらい。
でも振り返ると結局そこはやっぱあるんだろうなってことを今話しながら。
なんで僕がこんなにいろんなもんに拡散したり、
それこそ自分が対象に対してグッと感情を寄せないっていうところもそういうところが影響があるのかなとも、
今喋りながら思ってますね。
遠ざける意識であったりだとか、無意識だと思うんですけどそういったところですよね。
あるんかもしれないですね。
私もそうかもしれないな。
自己表現と逃避
ふと思ったのが、僕同じような同じ地元で育った友達とか、
急に大人になった瞬間服装でめっちゃスタイルをガンって作る人が多かったんですよね。
僕の周りって。
何々系って言われるような服装にガツンってなる人が多くて。
だから急にしっかり金髪になるとか、急にギャルになってるとか。
ピアスをかけるとか。
急にパンクになってるとか急にヒップホップになってるみたいな。
そういうのをガツンと作る人が多くて。
単純に言えば、10代からそういうことをやりたくてなったっていうのは、別にそれで説明がついちゃうんだけど、
なんでそんな感じになるんだろうとか、なんでそういう格好をしたかったんやっていう話をしてたときに、
あれは24、25だったかなのときに、僕は変身したかったみたいなことを言ってたんですよ。
ちょっと違う言葉でそれぞれ言ってたんだけど、
全然違うもんになりたかったみたいな言葉を数人から言ってて、
そっかーみたいな。
僕はそういうのうとい子だったんで、頭でやろうとしてたんで、
そういった自分の外見を変身させるみたいなことを全然やらなかったんですけど、
でもそういう願望がすげえ強くあのときの同級生たちにあったんだなっていうことをすごく印象的で、
そっかーみたいな。半分納得もしたみたいな。
変身したいよなーみたいな。
なんかこうなったんで、すごい覚えてることがあるんだけど。
でもそれもある種の逃避っていうか脱皮というか、生まれ変わることで自分は変わるんだよと、
違う自分になるんだよって遠ざけてる感覚もあるのかなっていうのは思いましたね。
ありました?そういうのって。
あ、私も本当に高校卒業して次の日にもうピアス開けて髪の毛を紫にしてみたいな、
本当形から入る逃避行動、私もどちらかというと地方の田舎のところで生まれ育ってきたので、
なんかずっと逃げたい逃げたいみたいな感覚が多分あって心の中で。
じゃあ手っ取り早くできるものはなんだろうってなったときに変わる、生まれ変わるじゃないですけど。
見た目から入るっていうのが手っ取り早かったのかなっていうのは振り返っては思いますね。
確かにね。それって1回変身したら満足したみたいな感覚なんですかね。
でもそれは近いかもしれない。私の性格かもしれないんですけど、
もう1回やったわ、結局、でも落胆したのかもしれないですね。
結局何も変わらないわじゃないですけど。
そうね。
そうなんですよ。そこで多分みんな大人になっていくというか、自覚して受け入れていくのかなっていうのは今となっては思いますね。
なるほどな。確かにね。すげえわかるな。
なんか僕、よくイベントとか何か人に出るとかのときに変な格好しがちなんですよ。
なんかお面とかつけてらっしゃいますよね。
マスクか。
お面のパターンもあるんですよ。いっぱいあるんですよ。
いいな、いっぱい変身あるの。
僕の中に何個かキャラクターがあって、そういうので1回入って着替えて普通に戻るみたいなことをよくやってるんですけど、
それみんな意味わかんないと思うんですけど、僕の中でそこから入りたいっていうのが毎回あるんですよ。
それってスイッチみたいなもんですか?自分のチャックさんに切り替わる儀式じゃないですけど、そういったものなんですか?
本当そうなんですよ。
そうなんだ。
これ全然理解されないんですけど、1回やると僕はやりやすいんだって聞かれたらちゃんと説明するんですけど、それもボケだと思われてるから全然信じられないんですよ。
それで間違えることめっちゃあるんですよ。
ちゃんと話そうと思ってるのになんかふざけてきたってなって嫌われることとかもあるんですよ。
自分の出し方がわからんすぎて1回すごい過剰に入っちゃうみたいな感覚があって、今思うと自分がやることも多分そういうことなんだろうな。
でもそれって自分に対する愛というか自分を守るための愛かなって思いますよね。
そうなんですよね。だからめちゃめちゃおかしい人ですよ、ややこしいですよっていうのを多分言おうとしてる部分があるんですよ。
体現してるわけですね、ちゃんと。
もう意味わかんないんだけど、自分でも何なんだろうと思うんだけど。
変身っていう願望もなんかあるんだろうな。
変身のお話。
はい。
愛の複雑さ
いろんなお話が、最後変身の話までいったというところですが、こんな感じでいろんな話。
僕の中ではこの1時間全く同じ話をしたつもりみたいな感覚があって、それは流れで聞いていただいた人にもすごくよくわかってくれるんじゃないかなと今思ってるって感じです。
よかった。
でも最後に一言とか言いつついっぱい喋っちゃったんですけど。
どうぞどうぞ。
やっぱり愛って形がないし、それぞれによって指標がないから本当に難しいなって擦り合わせることも難しいし、
今みたいに自分自身に対する愛もそうだし、他人に対する愛もそうだし、関係性で構築されていく愛もそうだし、
すごい難しいなって結局結論は出ないものだから、より複雑になったなっていう1時間でしたね。
面白かったけど。
そんな感じの1時間で、僕はすごくいいのできちゃったなって感じなんですけど。
嬉しい。またシャークさんと愛について考えたいなって思いました。
そうですね。結構僕はてんてこさんの感覚もわかるし、なんか僕の言ってる感覚が伝わるなっていう感じの距離感で今日話してるんですよ。
でも多分これが全く全然違うっていう人の方が多いぐらいだと思っていて、
なんでそういう人にもすごい話を逆に私たちが聞きたいなっていう感覚もあるなというのもあって。
違いだからこそ面白いってありますもんね。
そう。恋愛的な状態のこと、僕は熱病に浮かされるとか熱量がすごいみたいなことあったけど、
そこの言葉をもっと尽くすみたいな方向とかに長けてる人とかすごい多いなと思うので、
なんかそういう、なんか僕はその灰になってる状態がすごい苦手で、
その時に言葉が出てこないのが嫌だから、灰だーって終わっちゃうのが嫌なんだけど、
なんか灰だーって言ってその灰の状態をバーって言語にできる人っていっぱいいて、
なんかそういうのも聞いてみてどう思うのかとかいうのも考えたいなとか思いましたね。
面白そうですね。聞きたいです、それは。
そういうのもぜひっていう感じで。
はい、ということでエピソードは以上になります。
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ということで今回も聞いていただきまして誠にありがとうございました。
てんてこまじさん今日はゲストということで改めてありがとうございました。
ありがとうございました。楽しかったです。
また定期的に来ていただきたいなと思ってますので。
いいんですか、お邪魔しても。
何もお渡しできないんですけども。
いやいや、しゃーくさんと喋られるだけで嬉しいです。
ありがとうございます。
ちょっと定期的にいろんなお話できたらなと思いますので、
また引き続き仲良くさせていただければなと思っております。
よろしくお願いします。
SNSとか概要欄に載せておいてもいいんですかね。
ちょっと全然解けないように空想は配信してないんですけど、
よかったら。
よかったら。
過去回残ってるんで、過去回送られても聞けますしね。
そうですね。いろいろ愛についてもお話ししてるので、
聞いていただけたら嬉しいです。
そんな感じで概要欄もぜひともチェックしていただければなと思います。
それでは皆様。
ごきげんよう。
47:48

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