1. 心の砂地#
  2. 『かっこつきやめます』
2025-05-28 50:16

『かっこつきやめます』

spotify apple_podcasts

M18.「どのようにスタイルを持って、どのような身体で我々はこれからを生きるのか」。今回はゲストにクラシさんを迎え、社会との関わりの中で生まれる葛藤や気づきについて考えました。「男」への抵抗感、他者の目を意識したスタイルやキャラクターを持つこと、自己(内面)との乖離、、そして「フィクションとしての身体」や「鎧」を纏う感覚について、「クラシ」にとってミニマルライフとは何だったのか……。誰もが何かスタイルを持って生きる時代に、自分にとってのちょうどいい心地よさを見つけるヒントになれば良いなと、それぞれの内面を対話形式で互いに掘りあってみました。ぜひお聞きください。

◆クラシ

▶︎⁠⁠⁠IG⁠⁠⁠ ▶︎⁠⁠linkfly(各種リンク)⁠
機嫌よく暮らしたい人です。孤独と付き合っています。
・『クラシFM』
⁠▷⁠⁠Spotify⁠⁠⁠ ▷⁠⁠Apple⁠⁠
【自分にとっての「丁度いい暮らし」を探すべく、暮らし、モノ・仕事・人間関係などにスポットを当て、フワフワと感じたことをお話ししています。】

◇参考文献
・平野啓一郎『私とは何か――「個人」から「分人」へ 』』(12、講談社)

◆Discord
https://discord.gg/NxH9y5t29V

「心の砂地#kokosuna コミュニティ」をDiscordにて立ち上げました。リスナーさんたちの感想や雑談などが書ける掲示板のようなものです。良ければ上記リンクから参加してください。
================
ここすなリンク集→ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://lit.link/kokosuna
各種SNSに感想など、投稿していただける場合のハッシュタグは#kokosuna でお願いします! 番組感想、お便りは kokoronosuna@gmail.com ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠もしくは以下のフォームまで!⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
https://forms.gle/M1Few46KyWf1cM2B8
artwork:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠セキヤ@sekiyanabemotsu⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
ED theme:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@k5_y4⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@toma__ko⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
================

Summary

このエピソードでは、男性性に対する意識や社会の期待に対する抵抗感について深い議論が行われる。ゲストのクラシさんと共に、外見や表現が人間関係にどう影響するかを考察し、個人のスタイルを形成する過程が語ら自己のアイデンティティやフィクション的な側面を深く掘り下げ、特にSNS時代における自己表現の変化やミニマリズムへの思いについて語られる。彼らはカッコつきの暮らしと本来の自己との乖離についても触れる。このエピソードでは、人格や発信スタイルについて考察されており、特に外部要因によって形成される存在の見解が示される。また、複数の人格が存在することの難しさや真の自己についての議論も展開される。やりたいこととやらなければならないことの混在や、年齢と共に人前での挑戦に対する恥ずかしさについても議論される。個々の価値観や評価基準が社会の行動に影響を与えることが語られ、ミニマリストや丁寧な暮らしの実践についても触れられる。このエピソードでは、自己のスタイルや生き方についての対話の重要性が話し合われ、リスナーとのコミュニケーションの大切さが強調される。

男性性と自覚
シャークくんです。本日はゲストに来ていただいております、こちらの方です。どうぞー。
お疲れ様です。クラシFMのクラシです。
よろしくお願いしますー。
よろしくお願いします。
心の砂地は2回目ですね。
そうですねー。
クラシさんとは雑談っぽい感じで、いろんな話をできればなーと思っていて、っていう感じの2回目なんですけども。
僕がクラシさんに聞いてみたいなーって思ったことみたいなのが、お話できたらなーと思ってるんですが。
1つ思ってるのは、自分が男であるっていう自覚とか、男社会とか、これからのおじさんに自分がなっていく、これからのおじさん像とか、そういうことを話して、それを聞いたりして、
発展して思ったことなんだけど、いわゆるカッコつきの男みたいなものに対して、すごく抵抗があるんだなっていうことを、僕は改めて考えたりするんですよね。
思ってるのは、僕はその抵抗から、自分が特に思想とか、こういう風にやるんだとか、これはおかしいとか、こういうことはしたくない、こういうことはしたいとか、
自分の生きるスタイルみたいなものを、1つこう、男の上にそれは着てるものなんだけど、そこから離れるために、がっちり男みたいな感じじゃない鎧みたいなものとして、
どういう生き方をするんか、どういうものがカッコいいんか、どういうものがカッコよくないんかっていうことを、なんか選んだんかなーって最近思ってるんですよね。
で、ぐらしさん的にその辺でどう思います?
キャラクターの形成
いわゆるカッコつきの男ではなかった僕は、そうだな、やっぱり周りの人が興味を持ってくれるようなわかりやすいキャラが欲しいなとは思っていたかもしれないって今思った。
そういう感覚ってありますよね、たぶん。
あるね。かっこつきの男じゃなくても受け入れてもらえる経験っていうのを大人になってから積み重ねることができたんだけど、かっこつきの男じゃなくても別にいいやって思えるようにはなったんだけどさ、
でもやっぱり思春期に覚えた、そこにそくせなかった劣等感みたいなものをひっそり根付いているから、そこから卒業するのにはなかなか時間がかかったかもしれないなって思ったのと、だからキャラが欲しいと思ったんだよね。
それってキャラ欲しいなって思いつつ、一方で、人を表層的な部分でしか見ていないのでは?自分自身のそういう現れなのでは?って思ったりもして。
確かに。自分がそこにはめに行くっていうことは、他人をそうやって見てるからっていう、人への視線とか、消費に近いかもしれないけど、ちょっとそういう自分の人間への見方の残酷さが浮かび上がってくるよねっていうことですよね。
そうそう。
確かにそれはあるな。ちょっとエグいですよね。
エグいね。そうなのよ。何者かであるよりは、何を思って生きるかっていうことが大切なのに、どうしても何者であるかっていうことにフォーカスしてしまう自分がいるなっていうね。
なるほどなるほど。今日話す前に、僕の中ですごくアイコニックで、キャラがしっかりしてるなっていうお兄さんとちょっと喋ったんですけど、その人が喋っていいって言ってるからその人の特徴みたいなのを言うんですけど、
ルック的な特徴ね。メガネかけてて、ひげががっつりも、ちょっと軽い仙人ぐらいアゴひげが生えてて、巻けるぐらいの長さがある。服装的には日によっていろいろ違うけど、結構派手な格好をしてるみたいな。
今だったらちょっと半袖のガラシャツとか着てたりするのかな。なんかそういうパッと見、なんか面白そうな背景があるなっていう見た目の人なんですよ。多いと思うんですけど、こっつりメガネかけてひげそういう感じでみたいな人って。
で、その人自体はすごく実際面白いルーツを持っていて、その人自身もすごく喋りも面白いし、なんか面白いお兄さんだなみたいな。僕より10個ぐらい上だから、今40、45とかかな。なんだけど、ひとつの文化系おじさんのスタイルではあると思うんですよ、そういうのって。
なんかちょっとややこしそうな面白い人来たぞみたいな感じの。で、それって実際そういうふうになってったのか、その型を目指してなったのかどっちなんすかって聞いてみたら、それはいろんなことを過剰に分かりやすくしていったらこうなったみたいなこと言ってて。
過剰に分かりやすくしていったらそうなった。
うん。だから、多分そのメガネももっと普通のメガネだったけど、どんどん形がごつい、この人のメガネって分かるようなメガネにだんだんなってるし、なんかひげとかも生えてたっていうのがだんだんこう、ここまで行ったんだったらこんぐらいまで行ったほうがいいかなとか。服ももうちょっとシンプルだったけど、パッと見て分かるようにしてるみたいなこと言ってて。
だから、だんだんそういうのって、ファッションとか自分のまともなのって過剰になっていく感覚っていうのはすごく分かるなーと思ったし、だからそういうふうに移行してなってったんだな、この人はっていうのが面白かったのと、あと、明確に友達とか恋人とかパートナーとか、誰かと一緒にいるときの、横を歩いてるときに、いい付属品でありたかったみたいなこと言ってて。
友達にとっての?
うん、そうそう、たぶんそう。だから、一緒に歩いてる人が、この人と一緒にいるんだったらなんか面白い人なんだろうなって思ってもらえるような外見になったほうが得だなって思ったらしいんですよね。
だから、自分の見た目で、うわって、明らかにこの人ちょっと心開いてないな、不審者だと思ってるなってことは増えたらしいんだけど、でも逆に、自分が会いたい人とか、自分を説明するんとかが早くなったみたいなこと言ってて。
うんうんうんうん。
だから、そういう、なんか結構みんな自然となってるけど、なんか目指す方があってなってたりするんだなーとか思って。
あー、なるほどねー。
で、そういうのも、僕自身はあんまりそんなこと考えたことなかったから、一緒に歩いてる人のいい付属品みたいな感じになりたいみたいなって思ったことなかったから、え、すげー面白いなーとか思って。でも、すげー同時にわかるっていう。
外見と社会的役割
はいはい。
なんか確かに、そういうスタイル持つことって、自分の欲望なんだけど、僕の言葉だと、自分の体をフィクションにしていく感覚って僕はよく言ってるんですけど、嘘っていうか。
うんうんうん。
これはちょっと嘘っていう意味が抗議だから、わかりにくいかもしれんけど、そんなことないやんっていう。そんな服着んでいいやんとか、そんなことせんでいいやんみたいな、自分の生きるための身体じゃないちょっと過剰性みたいなのを纏う感覚みたいなのを僕はフィクションとしての身体とか、嘘っぽい体みたいな言葉で言おうとしてるんですけど。
そういうのを日常とか自分の体に当てはめていく感覚みたいなんて、短い言葉で言ったらなんかスタイルを持って生きることとか、自分を記号化するっていう言葉でも言えると思うんだけど。
うんうんうんうん。
僕もなんかだんだんそういうことに踏み込もうとしてる感覚があって。
へー。
わかりやすい方がいいかなとか。
あー。
たぶん本当は10代の時とかに過剰なさ、こう見られてるんちゃうかとか、なんかあるじゃないですか、第1位層。
そういう感覚とはまた違う社会への、こう見られたほうがいいとか、こうしたほうがいいかなっていうことを最近思っていて。
で、ひとつは自分の意識がなんでそうなるんかとか、なんでそうしたいんかっていうことにも興味があるし、それってたぶん外部からの圧で成り立ってる部分もあると思うんですよね。
うんうん。
ちょっと言ったらこれって鎧って言葉とかが近いと思ってて、その装いのことを。
うんうん。
なんで戦うわけじゃないのに、外に出るとか人のいるところに出るみたいなところに鎧が必要なんかっていう感覚っていうのとかが、もう外部的な余裕も内部的な余裕もどっちもすごい興味があるっていう感じ。
ちょっとダーッと喋ったんですけど。
うんうんうん。
で、暮らしさんってやっぱその、暮らしさんという記号を俺は持ってると思うんですよ。
うんうん。
暮らしだし。
これが、たとえば暮らしさんの本名がイチタロウだとしたら、あのイチタロウではやってないじゃないですか、この配信活動とかSNSだったりとかって。
暮らしでやってるじゃないですか。
そうですね。
でまあそれは別に流れでなったんですよね。
そうそう。もともとインスタの発信のアカウントが、暮らしアンダーバーカメラ、暮らしカメラっていうアカウント名だったんですよ。
それはアカウント名だったの。暮らしをカメラに収めますっていうコンセプトのもと。
まあほんとシンプルな感じですよね。
そうそう。で、あの下に名前で自分の苗字をね、本当はそこに入れていたんだけど、インスタを見てくださってる方々が僕のことを暮らしって呼ぶようになって、
あ、僕は暮らしなのか。ってそっから暮らしが始まったんだよね。
あのー、ですよね。暮らしさんっていう記号としてのシンデレラが存在してる人だと思ってて。
うんうんうん。
だから、僕のさっきの言葉で言うと、暮らしというフィクションな体をまとってる人だとも思うんですよね。で、なんかそれがなんかすごい興味あるっていうか。
あー、結果僕は暮らしっていう人になったんだけど、手っ取り早く、キャッチーに僕のことを覚えてもらえるからすごく便利っていうのが一つある。
あー、そうっすよね。
それはね、大人になってからの人間関係って学生時代と比べると、瞬発力が必要じゃないですか。
そうですね。
あの、毎日学校に通って長い時間かけて関係を築いていくってことがなかなかないんで、職場以外では。
うーん。
だから、何ていうのか、過剰に自分のファッションをしていくっていうのもそうだと思うんだけど、やっぱり覚えてもらいやすさみたいなところはあるのかなっていうのを思うかな。
確かに確かに。
短い時間で自分のことを印象つけるように。
うーん。暮らしさんだったらなんとなく白いシャツ着てるなーとか、なんか黒口眼鏡かけてるなーみたいなとか。
そうだね、そうだね。
それこそそれって視覚的にはインスタだったりなんかしろSNSのアイコンとかになってるものの、そのままの人が来たらめっちゃわかりやすいっすもんね、初めてのバトルが。
こういう人なんですねっていう。シャツの裾がちょっと長めだったら、ああなるほどみたいな。
うん。
なんかそういうので見ることあるじゃないですか。
まあそういうわかりやすさっていうのは良い点として、まあ普通にやっぱあるんですね。
うん、そうだね。もし僕が暮らしカメラっていうアカウントのインスタをやってなかったとしても、多分そういう同じことをするんじゃないかなって思うんだよね。ファッションをすごい過剰にしたりとか。
っていうのはやっぱり自分の仕事がそんなにキャッチーな仕事でもないし、キャラクター的にも格好つきの男ではないみたいな話に戻りますけど、強さもないもんだから、
皆さんの懐に入るにはどうすればいいんだろうって考えた時に、なんか過剰なことをしてしまうんじゃないかなとは思う。
ああ、やっぱそうなんですね。
もし例えば自分がもっと派手な仕事、まあ派手な仕事って言うとあれだけど、わかりやすく派手な仕事をしていたら、もっとその自分を出せていたのかどうかとは思うけれどね。
なるほどね。だから、もっともっと暮らしであれみたいなことを要求されてたら、逆に違ったかもしれないしとかあるかもしれないですよね。
そうだね。
フィクション側が本業によっているとどっちかわかんなくなったり、逆に普段はめっちゃ違う感じになってるとか、そういう反転もありそうな気がしますもんね。
だから、こないだの配信でさ、シャークちゃんがお面マスクをかぶってどうのこうのって話をしてたじゃないですか。
はいはいはい、そうっすね。
自分のシャークスイッチを入れるためにってやつ。あれすごいわかるなーと思って。
ああ、やっぱそうっすよね。たぶん何かしろやってる人とか、本名じゃなくて何か名乗ってる人って絶対あると思う。
いや、そうね。本当だね。
アイデンティティの探求
そこでちょっと聞きたかったのがね、シャークちゃんに逆に。シャークじゃないシャークちゃんがいて、で、シャークっていう人格があって、そこが乖離してって、いややっぱり自分に戻りたいって思うことはあるのかなと思って。
ああ、でも今んとこはまだ楽しい時期で、そのシャークとして批判されるみたいなことも表だってまだないし、だしシャークくんの方が好き放題言えてるとこあるんすよ。
ああ、なるほど。
うん、だし自分の人生、僕は凛太郎って名前なんですけど、凛太郎として生きてても別にあんまり帰りないんすよ、今んところ。
あ、その自分とシャークっていうキャラクター。
そうそうそう。てかむしろずっと言いたかったこととかやりたかったことみたいなのが十何年ぐーっとあって、今ゼーっと出してすげー楽なんすよ。
うんうんうん。
だからあんまりそこのシャークだからそうだろうみたいな要求をまだ全然されるタームにないんで僕は。
ああ、なるほどね。
こういう人だと思ってなかったとかないから、だからまだ全然楽しいんだけど、でもそれこれがもうちょっと多分規模が大きくなると嫌になると思う。
ああ、そうだよね。
うん。
ああ、なんかアイドルもさデビューしたての時は覚えてもらいたくてさ、変なキャッチフレーズつけたりとかさ、マヨラーデスとか言ったりとかしてなんかこう。
はいはい、ありますよね。
ドコドココグのなんとか姫レスとかっていうのも途中でしんどくなっちゃうのって多分そういうことでしょ、だって。
いややっぱそうなんすよね。なんか僕がよく言うのは、松浦彩が彩だった時期って意外と短いんすよ。
あ、そうなの?
うん。いわゆる桃色片思いとか、売りっ子キャラみたいな時の彩って、まあデビューしてちょっとしてからスイッチ入ってあれになって、で、多分2,3年あってだんだんこう松浦彩になっていくんすよ。その歌手みたいな感じの方向になっていくんすよね。
あ、そんな早い段階で。
そう、意外と短いんすよ。で、松浦さんってやっぱ当時トップスターだったんで、いろんなインタビュー答えてるんですけど、その後半の歌って時の松浦彩の時は、綾焼のことをあの人はーとか言うんですよ。
あーもう別の人格だー。
そうそうそう、綾焼だったことを聞かれるとそういうこと言って、それってなんかすごい僕の中でショッキングなあれだったし、面白いなーっていう話、よくこの話するんですけど。
うん。
それってすごいフィクションをやってて、まあもうちょっとナチュラルっぽいことになりたくなるみたいなんて絶対、まあそれこそ芸能界とか、その消費されるスピードがとんでもないから、あるんだろうなっていうのは一つは思うし、でもそれは、そう僕らが生きてる中でも全然あるなっていうことに最近すごい興味があるっていう。
なるほどね。
し、その辺は特にこのSNS時代になって、みんながみんな何かしらフィクションなものとか、期待に応えようとしてるっていうのがすごくあって、で、なんか僕が暮らしさんにこれを聞きたいなと思ったのは、今は名乗ってないと思うんですけど、その僕と出会った時の暮らしさんってミニマリストの暮らしさんだったんで、
うんうんうん。
その、地続きではあるけど、それがプロフィールの一番にポンって出てくるっていうことでは今はないですよね。
そうだね。
うん。
し、まあちょうどいい暮らしって言ってますもんね、最近は。
そうだね。
その辺も配信で喋っておられるのも聞いたりしてはいるんですけど、し、そのミニマリストっていう時期があったっていうのも僕の中ではすごい興味深くて。
あーなるほど。
それこそ、フィクションとか、もしくは反対、もうすげー生々しいみたいなものから、全部捨てるっていうとこじゃないですか、その、下脱とか出家に近いじゃないですか。
いやーほんとそうね。
うん。で、そっからまたこうちょっと増えていって、今ちょうどいい感じになってると思うんですけど。
うんうんうん。
だからその辺の、だから倉知さんは一回、何かしろその鎧をグッと着て脱いだっていうのがNOWなんちゃうんかなって思って、その辺聞きたいなと思ったんですよね。
なるほどね。
なんか、ミニマルライフを実践してる人って僕二パターンあると思ってて。
うーん。
まあ一つ目は、生活の効率化を狙っている人と。
あーいますよね、そういう人ね。
あとは、疲弊した心の回復を狙っている人、この大きく二つかなって思ってて。
僕はもう後者の、疲弊した心の回復を狙っている人だったんですよ。
はいはいはい。
で、仕事にまみれて生活をしている時代はね、買い物が発散手段だったこともあって、物にまみれて、でも生理整頓する気力も体力もなかったから、部屋がとっても散らかっていたのね。
実は、情報量の多い部屋ってエネルギー奪われるから、ミニマルライフの実践で物理的にも脳のメモリー的にもリフレッシュできたのよ。
で、そのミニマルライフっていう薬がね、疲弊した僕にとっては最適な処方箋だったんで、
それこそ何かに入心したぐらいの信仰心があって、ミニマリストをやっていた時代に多分シャークちゃんと会ったんじゃないかなって思うんだけど。
うーん、そうっすよね。
うん。
まあでも今の答えでだいたいあれっすね。だから薬だったから、ずっと別に飲まんでもいいかっていう感じですよね。
それが元気になってきたら、まあ別に服はずっと好きだったってよくおっしゃってるから、まあ服別にあってもいいかとか。
いや、ほんとにそう。
こんぐらいだったら物あったほうがいいなって絶対出てきますもんね。薬だからそう。聞いてきたら、ああ、こっちのほうがいいなってなってくるからってことですよね。
いや、そうなのよ。まあ今もね、物増えたりはしてるんだけど、あの許容量は超えなくなったんだよね。管理できなくなるぐらいの。
で、許容枠の中で物を迎え入れることを楽しめるようになってきた時に、ミニマリスト暮らしとしてインスタで発信したりとか、ポッドキャストで配信することに違和感をそれこそ覚え始めたんだよね。
自己表現と他者との関係
うーん。
いや、ほんと俺物好きだよなーって思って。でも、ミニマリスト暮らしが一人歩きしてしまって、いや僕は今、乖離しているこの2つの自分をどうやってまとめていけばいいんだろうって悩んだ時期はやっぱりあったっていう感じだよね。
うーん。それって、ややこしいんですけど、そのカッコつきの暮らしっていうのがあるなーみたいなことは、そこに悩んでるんですか?
もう単純に、市太郎としての人格としてこうかなと思ったのがあって。まあどっちもあるのか。
そうだね。多分、インスタで発信してるだけとか、ポッドキャストで配信してるだけだったら多分、市太郎の人格に戻らなくてもよかったと思うんだけど、
インスタとかポッドキャストをきっかけにリアルなコミュニティがどんどんできてきたっていうのが大きいかも。
そっか。ミニマリストの暮らしさんですで懐に入っちゃってるから、ありますよね?
ある!
今違うんですよね?とか、暮らしさんとか本とか出してるし、「あれ見て、僕もなったんですよ!」とかなったら、責任感とかもあるし。
そうなんだよ。
うーん、確か。それは確かに僕が感じたことのないプレッシャーだな、それは。
他者が介入してきたことによって、その帰りに対する違和感を覚えたっていうことだよね。
うーん。
さっきシャークちゃんも言ってたけど、ミニマルライフって疲弊した心の回復を狙っている系ミニマリストさんからすれば、あくまでも処方箋に過ぎないから、ずっと摂取し続けるものでもないのよ。
いや、そうっすよね。
うん。実際にミニマリストとして名を馳せている方々の中でも、もうミニマリストじゃなくなった方たくさんいるし。
うーん。
そこからやっぱり、ちょっと逸脱したかったのかもしれませんね。
確かに確かに。
うーん。
でもその、ゼロになりたい願望って、いきなりSNS辞めるとか、友達関係一気に立つとかね、リセット証拠群とか、そういうのとかとほんと近しい。
全部それって疲弊してて、一回ゼロになりたいみたいな。
でもたぶん、今ゼロっていうのを一回押しただけで、それを押し続けて、そこからリロードしていって、「あ、じゃあこっから始めます。」みたいなことだろうから、
いやだから、ゼロにするって言ってたよみたいな批判ってする人もいると思うんやけど、そういうことじゃねえからっていう。
そうだね。
一つの、ちょっとした旅行でリフレッシュしてるとか、なんかそういうの一部なんだろうなみたいな。
で、それがなんか、名前がついちゃってるし、リフレッシュの方法っていうよりは生き方の指針とか、それをもっともっと煽ってビジネスにしてる人とかもいるから、
ちょっとその辺のミニマリストとかなんて、こじれが起きてるっていうのはあるんだろうね。
そうだね。確かにね。
ほんとに、なんかちょっとスピっぽいもんね。スピリチュアルっぽいもんね。
そうそう。で、スピる人多いんですよね。ついでに。
あれ、なんだろうね。でもやっぱり、ちょっとね、コントロールされてるんだと思う。
うーん。それってやっぱ、外的な抑圧っすよね。
うんうん。
いや、そうなんだよなあ。
結局は、自分の生まれた文化資本とか、体とかから逃れられないみたいな話ってすごい多いと思うんですよ。
うんうん。
だから、自分がそういった東京に生まれて、普通に展示会とかに家族とかと行くという休日が当たり前の人とかって、
そういう休日がないっていうことが、ほんまにわかんないじゃないですか。
うんうん。
し、僕はそういう週末があるっていうこと自体もほんまにわかんないし、そこはクロスすることがなかなかないっていう話って、
最近よくされるし、そこにすごい絶望的なことを感じもするけど、でも生まれ持ったもんじゃない体とか考え方を僕たちは作れるとも本当は思ってるんですよね。
ああ。
だって、暮らしさんはなんかその暮らし、カッコつきの暮らしであることを選び取ってなったと僕は思うんですよ。
うん。そうかもしれない。
なんか、でもそれってすごい素敵だし、すげえことなんだけど、もちろんそこに悩むこともあるし、誰もができるわけじゃないから、
じゃあそれは暮らしさんがカッコつきの暮らしになれる才能があったんだよねって言われたら、まあまあまあまあみたいなとこはあるんだけど。
うんうん。
うーん。
そうね。まあ、その他者を意識しての人格形成みたいなものって、たぶん2ヶ月か3ヶ月ぐらい続けてれば俺キャラって定着すると思うのよ。
ああ、なるほどね。
それはそんなに難しくないことだと思うんだけど、やっぱりその他者を介入させたその人格っていうのに対して、
自分が居心地の良さを感じるか感じないかっていうところが結構重要で、僕はそこに居心地の悪さを感じてしまったんだよね。
うーん。
結局最終的には、自分にちゃんとフィットするかしないかっていうところなのかなって思う点では、
僕はちょっと自分の今の、変容してきた今の暮らしにカッコつきの暮らしがフィットしなくなってきたっていうところで、
ちょっともうミニマリストっていう看板を背負うのやめようって思ったんだよね。
でもその時に思ったのは、カッコつきの暮らしで距離が縮まってきた人たちが離れていってしまうんじゃないかっていう怖さがあったから、たぶん悩んだんだと思う。
いやー、なるほどなー。でも実際そんなことないっしょ、たぶん。まあそういう場合もあんのか。
えっとね、SNS上だけで繋がっていた人は離れていく人もいたね、実際に。
あー、まあまあ、そうね。
うん。でも実際に直接会って友達になった人たちが、僕がミニマリストを辞めたって言ったところで、だからなんだって話で、全然関係も壊れることなかったし。
自分という存在
いやー、まあそうっすよね。まあでもそれは正直そうっすよね。この人がこういうことを発信してる情報収集としてフォローしてたけど、
あ、そうじゃなくなったんだったらフォロー外しちゃおうみたいなことが全然たぶんみんなもあって。
でもそこって、まあ企業がやってる場合とかいろいろあるけど、え、それって全然人だよっていう。
そこに発信して、そのフォローが1減ったことで、あ、減ったなって。別に思ってなくてもちょっとピッてさ。
ピッとした傷になってることってあるじゃないですか。まあただの数字なんだけど。
いやー、そうだね。そうだね。でもそれって結構考えなあかんところでもある。いや人なんだよっていうところって。
なんかそういう人を食べちゃう感覚とかって、まあそれこそ、これがこうですよって、これはフィクションですよって押し出してきてる人だとしても、
うーんとかちょっと、ふと思うときはあるし、そういうことは結構自分の中では大事にしたいなみたいなのが。
まあ僕にとってのそのスタイルの一つでも最近はあるっていう感じではあるんですけど。
ああ、なるほどね。だからきっと、もっと私生活と仕事のコントラストがある芸能人とかもそうだし、まあ言ったら、まあ趣味でやってるポッドキャスターもそうだけれども。
うーん。
うーん、なんだろ、自分のキャラクターに違和感を覚えてしまったらもう長く続かないね。
うーん、なんか、でもそれってやっぱ真面目な人って絶対さ、まあそうきたし、やるかみたいな感じでずっと言っちゃうじゃないですか。
うんうん。
一番真面目に考えて一番ベストなセンターゴーする人って、そのときの。
うん。
それが何かしらのなんかこう、悲劇と、まあその人にとっても悲劇だし、そこが乖離してる周りもどんどんしんどいしみたいなことが、そう起きちゃうんだろうなあ。
うーん。
そうだね。その本来の自分の人格と、形成された別の人格をちゃんと飼い慣らせるバランス感覚のある人。
うーん、とかが。だから、結局は僕そのスタイルを持つことみたいなのが話しながら、あったほうがいいなとは思ってるんですよ。
し、なんか僕結構そこしか今まで他人に興味なかったなみたいなとこあるんですよ。
うんうんうんうん。
まあスタイルって言ったらちょっとあれなんだけど、その人とか、何をこう表想したいのか、何を考えたいのか、どういう思想なのかっていうことを、まあその人のテーマとか、その人自身の何かっていうことにしか基本的に興味なかったんですよ。
うんうんうんうん。
でもなんかそれって、同じように残酷でもあって。だからその、なんなんって言われてぺって言えたほうが俺もわかりやすいから、そういう人にばっか多分反応してしまってるし。
うんうんうん。
まあ今はこうこうこうこうなんですよっていう人には、僕はできる限りそういう複雑な人の話を聞きたい、そういう人とも友達になりたいって思ってるけど、でもそれって、そうなんだって言うまでに時間かかっちゃうから、そういうスタイルがこうだって思ってる人より仲良くなるには時間かかっちゃうとか、僕自身が興味を失っちゃうみたいなことは多分、今話しながら起きてるんだなって思ったんですよね。
うんうんうんうん。
だから、結構ここ数年とかまあ、なんとなくなんかそれこそ何か好きを持ってる人とか、なんかスタイルを持ってる人っていうのが僕はいいなって思ってたけど、なんかそうとも言い切られへんのやなって今思い始めてますね。
ああ。
うん。その人自身の環境とか状況もあるしもちろん。
確かに。例えば2つの人格があったとして、それが自分が生きていく上で必要な人格だとしたら、それは自分にフィットした生き方になると思うんだけど、結局見せるための演出だけだと苦しくなってくるのかもしれない。
いやー、確かにそうっすね。そこが自分として20、普通にやってます。で、それを他人に100で出すとかだったら、まだその足してる80分はなんかその水でこう薄めてグーって上がってるみたいな、あれだから、なんかその20の部分をどうするかみたいな感じであると思うんすけど、そこが1とか0だった場合に他人に100やってると、しんどくなってくるっすよね、多分。
いやー、そうだねー。
うんうんうん。
確かに。
今シャークちゃんは心の砂地をやってるけど、その辺の見られる演出とか、見せたい自分たちっていうところのバランスってどう?
でもね、そういう意味では、自分の中で20か30くらいないとやってないっすね。
あー。
5やけど流行ってるからやっとくかとか、2やけどちょっとこういう風な方が見られ方としていいからやっとくかみたいなのはやってないのかなぁ。
だから意外とイケてるっすかね。で、あと、人格っていうこととか、自分の性格みたいな捉え方が多分僕、ちょっと変わってて、その、これも多分ちょっと聞いてる人もみんなそれぞれ考えてほしいとこなんやけど、
うん。
自分っていうものがどこにあるんかっていうことを、10代とか20代の時すげー考えたんすよ。
すごい、ずいぶん早い段階で。
そうそうそう。あの、知識がすげー過剰だったから。し、その関西のお前おもろいんかみたいな感じのあれともあって、そこに対抗するために考えなければならなかったんだけど。
うん。
なんかその時に、俺自身の人格みたいな、好みとかなんとなく生まれ持った性格みたいなのなんとなくあるけど、俺の中に深く潜ってもなんもないと思ったんすよ。
うんうん。
それが俺であることっていうのは。
うん。
僕っていうのはいろんなもんとか、ま、そこそこ家庭環境とか、好きだったもんとか、ま、そこそこ着てる服とか、なんかいろんなもんで構成されてて、
で、それが、こう、入れ替わったり、自分から変えようとしたりみたいな、ほんと外部的な要因の中で、俺、シャークくんができてるって思ったんで、
うん。
俺自身の中にはなんもないと思ってるんすよ。
人格の乖離
だから、本物の自分とかいうのは、存在しないんだなっていう考え方で生きてるんすよね。
ほう。
だから、今こういうふうに喋ってるのを何かに影響を受けたもんから、いろんなものが組み合わさってできてるっていうだけで、
あー。
その、俺本来の何々とか、俺がしたいことみたいなのって、最後の判断とかがあって、で、そこが性格とか、気持ちを判断するところ、みたいな機会もあるんだけど、
うん。
こういった性格だからとか、こうかなみたいなのは、あんま存在しないみたいな。俺自身はすげえ空っぽな、人形に近いもんなんだみたいな考え方になったんすよ、どっかで。
あー、なるほど。
そう。たまたま命吹き込まれただけの人形みたいな考え方なんすよ、僕って。
あー、ほうほうほうほうほう。
あの、ピノキオみたいな感じだと思っていただいたら。
はいはいはい。
なんで、あんまり、だからその、本間の自分ってなんなんやろうとか、俺自身が奥底に眠るとこから考えたらこうかもとかっていうとこに、なんか悩まないんすよね。
なるほどね。
うん。だから、その人格が2つあって乖離するとかってことが、あんま起きえない感じはしますね。
まあ確かに、純と100%の自分なんて、そんな人いないよね。誰とも会わない限り、そうはならないものね。
そうそう。でも、なんか、その人の性格とか、この人ってこういう人だからとかいう言葉とかで、なんかこう、自分の奥底にそういうポテンシャルとか、自分が持ってる何かみたいなもんがあるって結構思っちゃうんですよね。
うん、確かに。
僕はまあ、大きく言いすぎると、俺っていう個体は存在しないみたいなふうに考えたらすげえ楽だったんすよ。だからね、今もそうしてるんすけど。
あー、そっか。
うん。
なんか、ライフステージが変わったりとか、人間関係が変わっていくと価値観もちょっと移行してったりするじゃない?
そうですね。
で、まあ、自分が変わっていった時に、なんか本来の自分とちょっと今ズレが生じてるなって思うのって、自分の変化に気づいていないのかもしんないね、もしかしたら。
うーん、そうですよね。もしかしたらそうかもしんないし。まあ、でもそれは、そこにちょっと嫌さがあるんだったら、それはなんかその判断する期間は僕はあると思ってるんですよ。
はい。
だから魂とか心は存在すると思ってるんで。でもそこが嫌なんだったら、ああそれは違うんだろうなとか。
うんうんうん。
ただそれが本当の自分とかっていうもんではないよっていう。
うんうん。
だからたぶん細かく見ていったら、あ、これが嫌なんだなっていう要因があるよっていう。
だからそれを一個一個こうやってったらいいんじゃない?みたいな感じで僕だったら考えるかな。だからたぶんそういうスタイルで生きてるんですよね、たぶんね。
うんうん。
うーん。
そうね。あの平野圭一郎が書いて、あの文人の話あるじゃないですか。
うんうんうん。
あの個人じゃなくて、いろんな自分がいて、それで正解なんだよみたいな、あの確か。
はいはいはい。
うん。ざっくり話すとねっていう話があるんだけれども。
とある臨床診療師の先生とその話をしたときに、文人ってあっていいと思うと言ってたんだけど、でも最終的には人格一個にしないと途中ですごく生きづらくなってしまうんだよって話をされたことがあって。
うーん。
え、そっか。じゃあいろんな自分を認めてはいいけれども、最終的にどうやってこう、等を足して一つにしていったらいいんだろうって。
僕の中ではまだ答えが出てないんだよな。
なるほどなー。
生き方に迷ってしまうことがあるって言われてね。
でも確かになー。
でもシャークシャンみたいに、オンラインの自分っていうものを描くこととしてはなくて、変化していくことをちゃんと許容していくことで生きることが苦しくないっていうのは確かにそれも一理あるなと思う。
そうですね。だからまあ確かにその多分文人的なもんがいっぱいありすぎる。職場の自分とプライベートの自分と、また趣味の友達の自分、3人とか全然それぞれ立ち位置とかも違うみたいになると、たぶん心の場所がいっぱい動いちゃうから、
それで疲弊して削れちゃうみたいなことが多分起きるんだと思うんですよね。
で、それは多くの人が抱えてて、で、たぶん平野さんの方は別にでもみんなそうだからそれでいいんだよみたいな。そう、全然違うっていうことに悩まなくていいって話じゃないですか。
生きるための軸
でもたぶん倉知さんの今の話だと、それがあるっていうことで疲弊する部分ももちろんあるから、
なんかしろ軸みたいなのはあった方がいいよとか、もしくは全然気にしないでいいっていうふうな、僕はたぶんそっちの考え方なんだけど、っていうことなんだと思うんだけどね。
そうね、確かに。でも、シャークちゃんがそのさっき言った生き方で生きてて特に問題がないのは、それでもやっぱりこれは譲れないんだよねっていう何か柱がちゃんとあるからな気がする。
それはマジであるんですよ。
うん、そりゃそうなんですよ。
それがない人がたぶん迷っちゃうんだね、きっと。
うん、それやっぱ揺らうんでしょうね。
うん、それを見つけるにはどうすればいいんだろうね。
確かになー。
揺らがない。
まあでも、僕もミニマルじゃないけど、嫌なことめっちゃあったんですよ。
で、これがなんで嫌なんかみたいなこととか、なんで俺は生きにくいんやみたいなことを考えざるを得ない環境だったから、だからそれめっちゃあったから、たぶん軸ちょっとできたんですよね。
いや、もうほんとわかる。
たぶんね、迷ってしまう人って自己理解が低いと僕思うんだよね。
改造度がすごく低い。
やりたいことの混在
例えば、やりたいなと思ってることを書き出したときに、やりたいことの中にやりたいことも入ってるけど、やんなくちゃいけないことも入ってたりとか、やれることみたいなのが結構混在してて、本当にやりたいことがちょっとぼやっとしてるとか。
だからその辺の自分の改造度みたいなものをちゃんと高めていかないと、たぶん迷ってしまうんだと思うんだよな。
そうっすよね。でもなんかそういうのとかって、まあすごくまたカッコつきの男問題もあるんですけど、歳とってくると、やりたかったけど、やりたいことに書くのがまず恥ずかしいみたいなハードルとか。
例えば、もしかしたら本当は人の前とかでも歌ってみたいとか。でも例えば今もう35だったら、今からまたピアノ弾いて歌ってみたいなんて恥ずかしいとか。そういうのとかって、やってきた経験で、「あ、いけるかな?」とか思えたりするじゃないですか。
自分がどうなんかとか考えて、ドンっていうの積み重ね踏み越えていけるんだけど、なかなかやっぱそこが行動としても心としても動かしたことがなかったら、そうなっちゃうんですよね。
タスクを処理するみたいな感じの、仕事として求められる正解みたいなことをアウトプットとか自分のことだと思っちゃうみたいなことって、まあでもこれって本当に多くの人が抱えてると思うし、
それって本当にそういうものを求める、そういうものしか評価してない社会っていうのがマジで悪い。
そうだねー。
だからその人がそういうチャンスをつかみきれなかったっていうのは、そういう社会とか外で業員にそういうのが殺されちゃったっていうのはあると思うんだけど。
確かに。
でも難しいよね、そういうのって。
難しい。
俺らができるのは、でもそれもやっぱ数じゃないですか。数が絶対に保証してくれるというか、本当に一歩目の勇気っていうのがめっちゃいるけど、それでいい結果とか、こうだったとかって、たぶん一回やっただけじゃわからなかったりするじゃないですか。
それが同じジャンルの行動でも、違うジャンルの行動でも。
なんかそれって、こうしたけどようわからんかったな、で次じゃあこれやってみようかなとかっていけるかっていうのがハードルあって。
ただ1回目2回目わからなかった3回目やってみた、だったら1,2,3だったら2が一番良かった気はするなとか、2のあれが一番おもろかったのかもとか、なんか数が出てくると自分の好きなもん見えてくるみたいな。
こういうことが苦手なんだなとか、そういうのが出てくるみたいな。
だからそういうのってチャンスには絶対数と、で数こなすためには時間と余裕と隙間がいるんですけど、なんかそういう時間と余裕と隙間作ろうと思ったら結局金と時間と命がイコールであるんで、だからそこが難しいんやないかいみたいなさ、嫌な方向に繋がっちゃうんだけど。
でもまあちょっと勇気出せばそこっていけることもあるから。
そうだね。その勇気の中には他者を介入させないっていう勇気もすごく必要だよね。さっきシャークちゃんが言ったみたいに、30過ぎてからギターと歌やりたいとか、50過ぎてから自分のお店持ちたいみたいなのって、なんか周りからなんか言われるんじゃないかなみたいな怖さがあって忖度を押して言えなかったりすると、純粋な好きがどんどん見失ってしまうっていうか。
うーん、確かに。でもなんか、普通に会社とかタスクとか本当の生きるためみたいなことじゃないことって、基本的に全部最高っすよね。
うん、わかる。
僕ほんま最高だと思う。他人が、俺がなんも興味ないことでもこういうことやってんだよねってことって、マジでどんなことでも超最高だなって思う。
うんうんうん。
し、多くの人は別にそれに対してええって言わへん。
そうね。意外とそこまで興味ないよね。
いや、興味ないと思う。
他人は自分に。
かな?そうそう。で、興味ないからひどいこと言われちゃってるだけなんで。
ああ、そうね。
うん。で、それはまあ、そいつが圧倒的に悪いんで、全部それはそいつのせいにしたらいいし。
うん。
そうね。なんかそういうチャレンジとかを繰り返していって、なんか見つけていけたらいいんかなっていう。で、それがもしかしたら、ああ、俺こういうスタイルで生きていくのが好きなのかも。こういう思想が好きなのかもとか、このジャンルが好きなのかもみたいなのをきっかけになったりするんかな。
確かに。
うーん。
そうね。他人の関心を過大評価してるっていうことを往々にしてあるかもしれないね。
もうなんか、意外とみんな自分の人生のことで精一杯だから、自分がなんか夢語ろうと、そんなになんか口出ししないよね。
いや、ほんとそう。だからなんか、他人にこう見られたいからこういうスタイルを取るみたいなのは、あんまり良くないかも。とも思います。
確かに、それはそうね。
まあでも、でも絶対に他人と生きなければならないんですよね、僕らって。それあんまり良くないかもって言ってるけど、でもその気持ちもわかるし、そっちの方が自分の心が動くんだったら、他人にどう見られるかっていうことをすごく意識したスタイル、そういう思想で生きていくっていうのも、まあありなんだろうなとは全然僕は思うんですよ。
そうだね。
だからそこが評価軸が全部渡しちゃうと、しんどいよ多分みたいな。みんなその人がどうかっていうことで、その人の面倒を見てくんないから、結局は自分の側に持って、でも他人にこう生まれたいからこういうんなんだっていうことを選んだ方が良いのかなっていうふうに思ってるんですよね。
そうだね。あともうなんか自分がなんかしたことによって、他人がどう思うかっていうのはもう他人に委ねるしかないからね。
いやそうなんすよねー。
こっちではコントロールできないことだから。だから最終的に自分が何をやりたいのか、何を思ってるのかっていうことが大事なんだと思うんだよな。
そうそう。とかまあ鎧とか抵抗とか、社会とか他人とかってこう何かを確立しようと思った時に、要は敵に見えるじゃないですか、基本的には。でもなんか意外と敵じゃないっていう部分もあったりすると思うんですよね。意外と戦いじゃないし、意外と敵でもないし。
だから、その辺のやり方はいろいろ、自分のスタイルと他人っていうことはバチッとするかいいねしかないような気がするけど、意外とこういろんな複合的なハマり方はあるとも思うんですよ。
だから、そういうことに何かこう自分がこうだとか、こうじゃないかもとか悩んだ時に、一番先に喰らうのってそういう他人からの評価だったり、どうしていくかみたいな。
ミニマリストの実践
そことどういう場所でいくかってことだと思うんだけど、意外といろんな形あると思うなーというのは思うとこかもしれないですね。
確かに。だから最初の話に戻ると、ミニマルライフを実践してる人とか、ずっとね、あと丁寧な暮らしっていうことを実践し続けてる人って、周りから多分ああだこうだ言われてることも往々にしちゃうと思うけれども。
そうですよね。
うん。それでもこの暮らしが自分にとってはめちゃくちゃちょうどいいんだと。
うんうん。
もう変えられないんだよねっていう。
そうですね。
もう、着替えみたいなものも持ちつつ多分暮らしてるんだろうなと思う。
うん、確かに確かに。暮らしさんにとっての一例をもとに、一つの薬としてのミニマルライフみたいな感じで思ったけど、いやいや、これおにぎりだよっていう人も多分いるんすもんね。
ああ、そうだね。
ミニマルライフおにぎりなんですっていう人も多分いるんですよ。
いるいる。
だから、そうなったら別にそれでいいですもんね。
うん、そう。出職の人もいるからね、それがね。
うんうん。
あ、でもそれは確かに一つの捉え方としていいかもしんないですね。
うんうん。
暮らしさんがミニマルライフの時は、やってる時、やめようかなって思った時に、あ、これ薬だったんだなって思ったっていう感じなんすか。
あ、そうだね。その時はもう主食だと思ってた。
ああ、これだっていう。
うん、もうこれしか食べていかないって。
ああ、でもやっぱそうなんだな。
うん。だから周りの人にもこれもうめっちゃくちゃおいしいから食べてごらんって共有もしてたし。
なるほどなるほどね。
でも周りからしたら薬なわけですよ。風邪ひいてないのに薬もらっても飲みたくないじゃないですか。
確かに。ああ、そっかそっか。
うん。で、自分もその季節が終わった時に、あ、もうこれ飲むタイスじゃないなって気づいた時には、周りの人に勧めなくなってきたし。
うん。でもなんかそれを、相手にとっては薬だったけど自分がおにぎりだと思って渡したっていうことも、別に俺はそれ悪いことでも、本当になんのアレでもないと思って。
そのコミュニケーションのすれ違いっていうだけで。
ああ。
うん。なんかそこ自体が良くない行動だとは僕も一個も思わないんですよね。今も聞いてても。
まあね、なんか淀みがあって騙そうとして言ってるわけじゃないからね。
そうそう。
いいなと思って言ってるから、まあ確かにそれはそうだ。
うん。だから、いろんな言葉で言ってるけど、その人がスタイルをやる時に、あ、だからこれ薬だからなと思って、一定の期間でやめないといけないとか、なんかそういう入り方は別にどんなことでもしなくていいと思うし。
うん。
なんか気づいたら、あ、これを、このスタイルがおにぎりだからずっと食べれるなとか思ってて、もうこれしかいけないと思ってたけど、なんかある日、いやもう飽きたってなっちゃっても全然いいじゃないですか。
そうだね。
うん。
確かに。だからなんか好きなものを勧める時って、誰にでも開かれているけれども、デイリーも洗濯も自由ですよっていうスタンスが必要なのかな。
うん。
なんか口に無理やりおにぎり突っ込むのがちょっと暴力的だから、おにぎり並べといてどうぞっていうスタンスだったらいいのかもしれないね。
うん。し、なんか僕は、それぞれがそれがおにぎりだったり醸剤に見えてるみたいなこと自体がめっちゃおもれえなと思うんで、これ何に見えるみたいな話とかはみんなもうちょっとした方がいいんかなというのは、今思いますね。
確かに。たまにエッチの効いた表出の仕方をシャークちゃんするじゃないですか。
うん。
シャークちゃんはなんか、「このおにぎり食ってみろや!」って投げつける感じもたまにあったりして。
そうですね。これしか食べなくていいですって言った方が、自分にとっていいなっていう時が結構あるんですよ。
確かに。そうだね。
特にてらださんとかは、「いや、それおにぎりじゃなくて僕にはパスタに見えますけどね。」みたいなこと言ってくるんで。
はいはい。
もう何やねんこいつと思うけど、それが僕はめっちゃおもろいと思うんですよね。
確かにね。まあ、そして、わかりやすいしね。投げつけられた方がわかりやすいこともある。
あるあるある。まあでも、全部が全部やってるとよくないかなとは思うんで。
そうだね。
まあ、いろいろな。これ何に見える?っていう時もあるし、
いやもうこれも、とりあえず食べてどういう味がしたか教えてくれみたいな時もあるんで。
確かに。
うん。なんかそういうのは本当、まあ一つのスタイルがあってもアウトプットの仕方っていうのもあるし、
そのスタイル自体をなんかいろんな人とこうバシッて決めちゃうと、それ自体に自分は本当悩んでるんだけど、
まあそれこそミニマリストとして始まったから、悩んでるんだよねとかって言いにくかったと思うんですけど。
言いにくかったね。
別にオッケーだし、むしろそういうことってみんな意外と聞いてくれると思うんですよね。
あ、そうなんだみたいな。
そうなんだよ。だからね、SNSで発信してる時も、もう綺麗に整然と整ってる部屋の投稿よりも、
ちょっと部屋が散らかっていたりとか、布団ががわってはだけてる写真の方が反応が良かったりすることもあるし。
そうそう。
自己のスタイルの確立
うん。こういうことで悩んでいて今苦しいっていう、すでしゃべってるクラッシュFMの配信がすごく反応が良かったりすることもあるから。
うん、なんかでもそれ面白いよねっていうこととか、なんかそういうことを話していけたらいいんかな。
うん。
そうだね。
やっぱ結局やっぱ話さないとダメなんでしょうね。
いやー、そう。
スタイルみたいなのと、それをどう決めてどうするのかっていうことを話していくんかなと思ってたんだけど、結局はそうなんかなっていう。
それ自体が、ぼこぼこ人と当てたりしながら作った本の方が、俺は綺麗なのかな、いや僕美しいと思うかなというか。
そういう時間の方がせっかくならいいのかなみたいなことを結構今日話して思いましたね。
確かに。
そうだね。だからポッドキャストって一方的に配信してるようだけど、結局対話だし、あと自分のスタイルを確立していくためには他者じゃなくて自分との対話が結構必要なのかもしれない。
そうですね。僕らはなんかそういうことに恵まれてるからいいけど、なんか方法はいろいろあると思うんで。
そんなとこっすかね、今日は。
はい。自分のスタイルとか生き方みたいなことってこんな感じかなというお話ができてよかったなと思います。
リスナーとのコミュニケーション
いやー面白かった、今回も。
いやーよかったです。なんか1個でも響くことがこの聞いていただいてる方にあったら嬉しいなと思っております。
はい。
ここののすなじではお便りをお待ちしております。
すべての朝先は各配信サービスの概要欄に載っているグーグルフォームからお送りください。
チャンネル登録、番組のフォロー、高評価もぜひともよろしくお願いします。
特殊SNSでの投稿は、ハッシュタグKOKOSUNAです。
ぜひとも何かおエピソードを聞いて思うことがあれば一言でも書いていただけたら嬉しいです。
ということで、じゃあクラシさん今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
50:16

Comments

Scroll