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あんまり使いたくない言葉みたいなのってある? あんまり使いたくない言葉か。
自分的NGみたいな。使わない言葉? あー、使わないようにしてる言葉。表現とかで言うと、
料理とか、結構ツイッターでバズったりしてるやつとかでさ、 麻薬なんちゃらとか。 あー、あるなー。薬物っぽく言うやつ。
そうそう、麻薬卵とか、なんちゃらを決めるって言い方したりとか。 はいはい、焼くるとせんを決めるとか。そうそうそう。
なんかそういうちょっと食べ物とか飲み物を、ドラッグっぽく言うみたいな。まあ僕も多分ちょっと昔とかやっちゃってたかもしれないけど、
良くないことやなーと思って、僕はちょっと使わないようにはしてるとかはありますね。 うーん。
確かにな、それも指摘する人、最近はね、やっぱこう増えてきたかなーっていう感じあるけど。 そう、たまーに見る。なんかさ、ドラッグとかって、あんまりこうね、カジュアルに使い過ぎるとさ、
どんどん距離感がね縮まっていきそうな感じがするんですよ。 だからやっぱそこは切り分けてやった方がいいんかなと思ってて、まあ僕は使わないようにしてる。
やっぱその、ドラッグがこう浸透することの一端を担いたくないから。 うーん、自分の言葉に責任を持ちたいっていうことやな。
まあそうやな、僕も近くて、それも言ったら何々ドラッグとかさ、麻薬卵とかもさ、まあネットスラングのノリだと思うんだよね。
まあそうね、さっきも言ったけど、ツイッターとかでやっぱバズりやすいよね、そういう言葉は。 で、まあネットスラングってイコール2チャンネル、今5チャンネルかで使われてた言葉っていうニュアンスがほとんどだと思うんだよね。
2チャンネルから発祥した文化っていうのがやっぱ強いと思ってて。 それがニコニコ動画だったりある時期は、今だったらどうなんだろうな、ツイッターとかそういったSNSになってきてるみたいなとこあると思うんだけど、
例えば、なんじぇーごとかあるやん、5チャンネルで言うと。 うん、なんかこう、誇張したみたいな関西弁の喋り方ね。 うん、とかはもう絶対使わんとか思うよね。
確かに、でももうさ、使う人本当に増えたし。 いや多いなよ。 ネタするとこの、交互とかでもさ、実際に会う人とかでもたまに使ってる人見るもんな。
カジュアルに使う人結構いて、僕やっぱね、それ見るたびに、マジかって思うなんか。 そのネットスラング的なものをその会話に使うっていうことに未だにこうすごい抵抗があるんだよね。
いやでもまっさにシャークさんとか僕らぐらいの世代の人が、ほんまに5年前ぐらいとかやったかな。なんかそれぐらいにさ、本当に現実でもそういうインターネット、兄ちゃんっぽい喋り方をするの。
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っていうのを見て、やっぱその違和感があるって言ってた議論が割と盛んやった時期あってんけど、もう今やそれも落ち着いてきたから、あんまり抵抗ある人少なくなったんかなって思ってんのよな。
うーん、なんかでもそこってそれこそ僕も、やっぱ自分の言葉に責任を持ちたいみたいな感じで、
生理的な抵抗っていうのが先に来てるような感覚もあるんだけど、なんかあんまり使いたくないなぁとか思ったりとか。
で、言葉として流行する中でもあんまり使いたくないなぁみたいな言葉っていうのもあったりとかしてて。
そう、まあやっぱりこの現実で喋る言葉とインターネットで文字で会話するのって絶対に性質が違うから、
同じようにリアルで使った時に不要意に人を傷つけてしまったりとか、まあさっき言ったけどやっぱり強い言葉がさ、
バズったりしやすいから、そういった意味でそのまま使っていいんやろうかっていう違和感はあるかもね。
うーん、そうだなぁ。
まあ多分自分がポッドキャストっていうね、今こう話してるっていうものをやりだしてから、余計慎重になってる感覚というか。
ああ、まあ確かに。
あとやっぱこういう名詞も、やっぱこの人の名前出したくないなぁとか、
まあこの人の名前を出すっていうこと自体がどうなんかって思ってるから、みたいなとかね。
だから別にそれは寺田が悪いって言ってる訳じゃなくても、寺田がパッて出した言葉とかでも、前後の流れとかっても、
僕的にはこの人の名前出すんとか、このことの名前出すっていうのは僕的にはNGなので、その部分をオールカットしたりとかしてるんだけど。
やっぱ強いからこういう名詞って、残っちゃうし、誰々の話してたなってなるわけよ、聞いてる側としては。
まあ僕なりの、これもこの言葉使うと難しいけど、キャンセルの仕方みたいな感じだよね。
僕なりのその人への評価というか。
うーん、なるほどね。
っていうので使わない、この名前は出さない、このことは出さないみたいなのがあったりするんだよね。
名前を出さないことが意思表明になってるんだよね。
で、まあそういうとかの話をしようかな。
言葉の話なんだけど、それをちょっと考えたいなと思います。
この番組、心のすなじは様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、
言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、シャークンです。
はい、そして私が寺田です。よろしくお願いします。
ということで本日も始まります。心のすなじ。
いやだから、ほんま見た瞬間俺はランディ・サブウェイジみたいになってますね。
あんまおらんけどね、派手さの引き出しにランディ・サブウェイジしてますね。
ランディ・サブウェイジみたいだよな。
06:00
で、やっぱ天竜とランディ・サブウェイジの試合もいるよ、自分に考えれば。
心のすなじシャープ。
冒頭出してないんだけども、推しって言葉NGにしてんのね、自分の中で。
あー、言ってるとこ聞いたことないかもね、確かに。
でも多分ね、出ちゃってはいるのよ。
先に言っちゃうと僕はハロープロジェクトのアイドルが好きで、
この心のすなじシャープでも第3回とかにジュースジュースの唐澤智子さんの話をしたりとかもしてるので、
アイドルについて話すってことが結構あるので、その中で使ってたりする流れとしてあるとは思うんだけど、
自分の中では推しっていう言葉が、言ったら整理できてないし、推しっていう言葉というものに入ってるニュアンスが、
うーん、と思うところがあって、使わないようにしてるんだよね。
あー、そうなんや。僕、あんまりアイドルとかハマったことがないんで、
ここまであんまり推しって言葉について考えたことはなかったんですけど、
推しっていう言葉どうなんだって言ってるのはいますね、記事とかでも。
うーん、特にね、最近読んだ本で、本も出てるのよ。
ここまで言ってるんや。
アイドルについて葛藤しながら考えてみた、ジェンダー、パーソナリティ、推しっていう本が。
これね、ほんと最近出た本で、先月の末に出てるんだけど、これは本、やっぱすごい良くて、
やっぱり推しという言葉にっていう回はやりたいなってずっとあって、1年くらい温めてるのね、この回って。
ただ、自分の中で整理がついてなくて、ちょうどこの本出るっていうのを見て、
やっぱり考えてる人はいるしっていう話なんやけど。
僕が今回するのは、推しという言葉の話っていうのと、そこに含まれるニュアンス。
つまりは推しっていうことを考えることにもなるんだけども、そういう話をしていきたいんだけど。
先にこの紹介、参考文献としてこの本を読んだっていうのがあるので、この本の紹介をちょっとさせていただきたいんですけども。
諸英というか、そこを先に読ませていただきたいなと思います。
アイドルについて葛藤しながら考えてみた。ジェンダーパーソナリティ推し。
今日、アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイルや可能性を持つジャンルとしても注目されている。
しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。
暗黙の恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義。
年齢維持や一定の年齢での卒業という慣習に現れるエイジズム。
あからさまに可視化されるルッキズム。SNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ。
アイドルというジャンルは、現実にアイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。
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スキャンダルやトラブルが発生して、球体依然とも言えるアイドル界の常識の在り方が浮き彫りになるたび、
ファンの間では答えの出ない議論が繰り返されている。
その一方で自らの表現を模索しながら主体的にステージに立ち、時に演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。
そしてファンの中でもアイドル本人に身勝手な意固法や規範を押し付けることと、裏表でもある押す、ニヤリイコール、消費することに対して
後ろめたさを抱く人が増えている。本書では、押しているが故にジャンルが抱える問題から目を逸らすのではなく、かといって
日々活動を続ける一人一人のアイドルの存在を無視してアイドルそのものを悪しき文化として非難するものでもなく、アイドルを好きでいることと問題点の批判的な検討との両立を目指す
という本なんですけども、それぞれ章ごとに6章あるのかな?それぞれ違うライターが、押し的なカルチャーを愛好している人が、自分の得意なジャンル、自分の担当しているジャンルの話から、押しの問題点みたいな、押しとアイドル
そこにある問題点みたいなことを書いているっていう本なんだけど、野木坂とか坂道系もあればハロープロもあるし、K-POP、男性アイドル、アイドル全体の異性愛主義とか、そういう話をそれぞれしてたり、みたいな感じなんだけど。
押し勝つみたいなことも最近言ったりしますけど、アイドルっていう肉体を持ったジャンルの人、アイドルっていう3次元的な肉体を持った人のことを指していることが多いんだけども、ただ今って例えば2次元的なカルチャーとかにも押しっていう言葉を結構使ったりするやんか。
ああ、キャラクターとかってことね。アイドルとか漫画の。
そうそうそう、とかまあ何かをすごく消費する、言葉が難しいけど、すごく対象に対してお金をかける、消費する、みたいなこと自体が結構押し勝つの中に含まれてたりみたいなこともあったりすると思うんだけど、だからいろんなジャンルに今押し勝つって使われてて、ここ2,3年のバズワードの一つだと思うんだよね。
そう、なんか結構人間関係とかでも使い出してるもんね、もはや。対人関係とかでもあの人を押しみたいな言い方したりすることはあるから。
そうそう、なんかでもそういったところが、押しがあることで人生が成り立つみたいな言説がそこに結構ついてきてるんだよね。それって本当にいいことだと思うんだけど、同時にやっぱさっきこの本の紹介のところを読んだところにも入ってるんだけど、すごく言ったら消費主義的であったりとか、性的なまなざしっていうものがあるのかないのかとかさ。
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いろんな問題はある中で、100押し勝つ最高ってわけでもないんちゃうかなっていうことは僕はずっと思っていて。だからそういったカルチャーにたしなんでる人が周りも多いし、好きなんだけど、ちょっと改めてすごく消費主義的なものが入ってるよとかいうところを改めて考えてほしいなってところが、僕がずっと思ってることでもあって。
なんかそういう押し勝つみたいなに親しんでる人はぜひ一読してほしい一冊だなとは思ってるんですけども。
この本はそういった押し勝つ全体の話みたいなのをしてくれてるんで、以上でこういう話でぜひ読んでくださいっていうことなんだけども。
僕が問題にしてることっていうのは、「押し」っていうまず言葉自体っていうことなんだよね。冒頭も言ったとおり。僕が思うのは、「押す」っていう言葉のわたくし性というか、押すっていう言葉の手辺だったりするんだけど、「応援する」とかいうこと。
まあ言ったら、押すにありイコール応援するっていう言葉にもあると思うんだけど、応援する、好きでいることに対して、自分のニュアンスが入っているっていうところが、自分が押すっていうことなのか。
行動やんな、好きっていうのはさ、状態やけど、押すっていうのはもうその人の行動の話やから、確かによりこの自分、ファン自身の存在感が浮き出ている言葉ではあるかもね。
そうそう、っていうところが僕的に引っかかってるんよね。あ、自分のためっぽい感じがニュアンスとして生まれてる気がするのよ。押しという言葉に。
押し、確かに押しかつとかまで行くとさ、もうなんかより自分の生活を回すための精神安定剤としてって感じが、確かニュアンスとしては受けるけど、押しっていう言葉からだけでもそういうのを感じるもんなんや。
僕がまあ、そこはすごくヒステリックに、アイドルと自分の関係、好きな対象に対しての自分の会計っていうのをずっと問い続けてるみたいな感じがあるから、これはかなりヒステリックな反応でもあると自分でも思うんだけども。
でも、押しっていう言葉ができたことですごくいいことっていうのもたぶんあると思ってて。これも、もともとはネットストラング的なもんなんよ、押しっていう言葉も。80年代くらいのアイドルを評する話とかからあったみたいな話はあるんだけど。
たぶん普及したのは、それこそモーニング娘。黄金期。90年代末からゼロ年代くらいの時の2chの、狼っていう企画がありますけど。で、すごく使われた言葉っていうのが、たぶん今に至る押しっていう言葉の発展っていうことだと思うんだよね。
一番近いニュアンスとしては、それこそゼロ年代の秋葉原ブームとか、電車男とかに至るところの流れとかの時に、「萌え!」って言葉が流行ったやんか。そういうニュアンスに近いと思ってくれてもいいと思うし。
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ちょっと指す意味が違うので、一緒のもんとは違うと思うんだけど、そういう感じのもんが一般的に普及してみたみたいな感じのもんで。で、僕がでも初めて押しって聞いたのっていうのは、AKB48のチームB、柏木幸さんとか渡辺輝さんがいたときのチームBの、「チームB押し!」っていう曲があって。これ2010年の曲なんだけど。
一人ずつ出てきて、一人ずつコールするみたいな曲なんだけど。
まあ、ちょっと紹介ソング的な感じの。
そうそうそう。アイドルにある一人一人紹介ソングみたいな感じなんだけど。ここで、「誰を押すの?」みたいな感じの曲っていうのがあって、そこで初めて知った。あ、そういうもんなんだ、みたいな感じだったりするんだけど。
もう公式が使い出した、押しってことは。
そうそう。AKBとか、やっぱり秋元さんってそういうの、流行ってることは使うの好きやんか。この時からそういうところがあったりとかしていて。で、去年の流行語大賞に押し勝つって言葉入ってんだよね。
ああ、そう。去年入ってたんや。
たぶんここ2,3年ぐらいでも、相当押しっていう言葉が加速してて。やっぱり検索してもすごく出てくるんだよね。若者言葉で押しっていう言葉を考えてる人みたいなのがあって。
この辺はリンク貼っとくんで読んでほしいんだけど。でも、押しっていう言葉がこんだけ流行る理由というか、あっていいなって僕が思う部分っていうのは、押しっていう言葉が、好きでは表せない感情っていうのを引き受けてるっていうところがあるとは思うのね。
大太鼓みたいになってるから、なんでも万能な言葉になってるみたいなこと?
うーんとね、万能な言葉っていうか、今までは誰々のファンとか好きっていう表現の仕方しかなかったと思うんだよね。何かを愛好するっていう意味では。
でもその、愛好の中にもニュアンスがいっぱいあるんだけど、好きっていう言葉だけで言うと、どうしても恋愛感情、これは性的な眼差しを含む意味に捉えられてきたという、言ったらオタクたちの戦いっていうのがあったと思うのね。
うーん、うん、なるほどね。好きが恋愛的なラブであるっていうふうに伝わってしまうってことなの。
うん、なんかよく、僕も言われたことありますけど、誰々さんがいたら付き合いたいとかさ。
あー、なんかよく聞くなー、そういう会話。
そういうこと言う人多いな。
おるなー、そういうこと言ってくる人。
好きっていう言葉の、好きっていうのがほんまイコール性愛的な、それこそ恋愛関係としてなりたいってだけしか思ってない人、相当な数いるのね。
そういう好きじゃないんだみたいなこと言っても、理解されないやんか。好きっていう言葉を使ってる以上。
うーん、その人にとっては好きはもうイコール性愛やからな。伝わらないですよね、その人に。
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そうそう、だからそこが、推しっていう言葉ができたことによって、そういうことねっていうさ、好きでは出せないニュアンスっていうことを言えることができるようになったっていうことが、たぶんこの推しっていう言葉のオルタナティブ性というか。
あー。
このさっき紹介した本にも出てくるんだけどね。
うん、ちゃんと切り分けて伝わる言葉になってくれた。
うん、だから恋愛とか親密性のオルタナティブとしての推しっていう言葉っていうのがね。で、そこはすごい良いと思うのね。
で、例えば、そろそろ今みたいな10年前ぐらいか、さっき言った萌っていう言葉も、そういったアニメーションのキャラクターとかに対して、
ある種、そういう好きっていう言葉を新しいニュアンスで伝えようっていう感覚の試みの一つだったと思うのね。
うんうん、そうやな。
そう、愛好の気持ちにもいっぱいあるし、で、こういった言葉をどんどん増えていってほしいなと僕も思うんだけど。
で、やっぱこういうことを生み出すオタクたちってやっぱすごいなとも思うんだけど、推しっていう言葉が好きでは表せない感情を引き受けてることはすごい良いんだけど、
ただ、そこにある私性、さっき言ったっていうのが同時に好きにはないニュアンスが生まれてしまってるところもあるというふうに僕は思っていて、
だから使えないんだよね。
なるほど、じゃあまたちょっとシャークさんが思ってる感情とは別なんやな、推しっていう伝わるものは。
そう、重なる部分はめちゃめちゃあるんだけども、僕個人の考えとしては、
言ったらハロープロジェクトのアイドルが推しの対象ではあるのよ、バシッと。
で、まさしくそうなの。性的な眼差しを持ってない、持ってないと言うと難しいっていうのがまたこの複雑性でもあるんだけど。
そこって、そんなきっぱり分かれてるもんでもないかもしれない。
そうそうそうそう、ある程度は多分性的に魅力を感じてる部分もあると思うし、そうじゃない部分もあるんだけど、みたいなところなんだけど。
ただ、推しっていう言葉を使った時に出てくる私性、僕は当事者性みたいなところ、言ったら担当ですみたいなところを僕は俯瞰してみたいタイプ。
多分、推しに対して。推しって言葉を使うと。
だから、そこが推しって言葉を使っちゃうと、僕の思ってる関係とは近すぎる、っていうか、自分が出過ぎてるっていう感覚では。
なんかでもさ、確かにシャークさんと話しててよく思うのは、アイドルに限らずさ、ミュージシャンとかアーティスト全体に対してやと思うんだけど、
なんかその人の生き様を見させていただいてるみたいな感じのスタンスであることが多いから、
そういう人からしたら確かに推しとか担当みたいなのって距離が近いなっていうのは、確かにすごく納得いくかな。
うん。でも、「ああ、この人のことが好きだな。」っていうのはあったりしてて、その気持ちは完璧に推しっていう言葉で表せんの。
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ただ、その言葉を使う、俺が本当に使っていいのか、みたいなところがずっとあって使わないっていうふうに至ってるんだけどね。
うーん、なるほど。じゃあその、私性みたいなものが出ちゃってるなーっていうのをやっぱ目の当たりにすることがあるっていうことなの?シャークさんは。
うん。例えばライブとかに行って、例えば応援してる人のカラーが最近あったりするからさ。
この子はピンクとか、この子は緑。そういうの見てもやっぱこう、ちょっとね、いいなって思う半分、うっと思う半分っていうのがあるのよ。
あー、なるほどね。
この人はこの人なんだな。これ難しいな。このオタクはこのアイドルを愛好しているんだっていうこと自体はめっちゃ素晴らしいことだよなって思う半分、
この人はその人の表現しているものをある種自分にまとってしまってるなっていうニュアンスも感じてるのよ。めっちゃ意地の悪いことを言うと。
なるほどね。なんかわかるけど、まあもうその人自身の個性として持っちゃってるってこと?
そう、そこだね。応援するっていうことを言ったらアイデンティティにしているっていうことってめっちゃいいことだと思う。で、僕もそうなの。
でもさっき話したような、いろんなさ、複合する問題ってことがあるわけ。その好きなものに対して。
これはどんな好きなものにも絶対なんか、その人の全部を問題点で絶対出てくると思うのね。
特に、僕の愛好してるこういうアイドルっていうジャンルにおいては、すごいまあそういうエイジズム的なことであったり、ルキズム的なことであったりとか、
押す押されるっていう共犯関係的な関係とか、いろんなもののある中で、それでも乗りますよっていうことは、超素晴らしいんだけど、俺はできないって思ってるの。
自分のもんにはできない。
うーん、なるほどね。応援する応援されるっていう関係自体がさ、どうしてもこの力の均衡だったりっていうものを売っちゃうものやんか。
だから、なんかそういった関係において、それをすべて自分の身にまとってやりますっていうのは、なんか危険なことなのかもしれへんな確かに。
どうしても、特にアイドルはそれが顕著に見えるんかなーって感じはするよね。
顕著に見える。そういう構造をめちゃめちゃに感じやすいジャンルではあるから。
そういう構造とかいろんなものを含めて全工程でいいのかみたいな。
でも、ちゃんとメンバーカラーのTシャツを着て、メンバーカラーのペンライトを振って、持ってる人にもそう思いながら、ちゃんとやってる人の方が多いと思うんだよね。
全部が全部、100オッケーですと思ってないと思うの、みんな。気づくし。絶対。好きだからこそ気づくことは絶対あると思う。
すごく盲目的になるっていう場合もあると思うけどね。ただ、自分としては自分のものだと思う感覚っていうところにすごく抵抗感があるので。
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僕にとっては推しっていう言葉を使うことすら、誰々さんが推しですっていうだけで、その人のことを自分のものとして消費してしまってる感覚っていうのが生まれるため、使えないんだよね。
自分の個性にしてしまってるとか消費するっていうのは、なんやろうな。もう結構感覚の話なの。具体的にここまでいったらっていう線引きがシャークさんの中である感じなの。難しいけどね、これは。
難しいし、ほんと感覚的な話だし、自分のものにしようとしちゃってるなっていう感覚としか言いようがないんだよね。いろいろちょっと考えたんだけど。
はたから見てて、なんかそういう感じが出ちゃってるっていう。
いや、あんまり正直、今まで話したけど、他の人に対しては、「うっ!」ってなるだけで、そこまでは思わへん。
ああ、そうなんや。自分がやるとなったらって話か、それは。
そういうこと。今話してて気づいたけど、自分としてはできへん。半分、「うっ!」ってなってるのも、自分に変えてきて、「うっ!」ってなってるっていうことだと思うのね。
その人自体はすごいいいなと思うし、それを言ったら、「あ、こういうふうに自分もしてるんだな。」っていうことを変えりみて、「うっ!」ってなってるんだと思う。
じゃあなんかこう、他人が目にすくからやめようぜっていうよりは、自分はそれができないから使いたくないっていう感じか。
うーん。だからその状況の話っていうよりはすごく自分の内面の話なんだけど。
心のすがじいところは変わりせいむ。ヤギ様からめぐろくてびろくていそく。
とこしょもさらってくとこ。走り続けあう闇だべのごとく。
大法なくちゃ。大公約者。大丈夫用語集もあるから。
思考回路はまるで迷路らかメトロール。この島めぐろう。我が城としようか。
まあわけわからん話をするんやけど、三島由紀夫が、「実は私は愛国心という言葉があまり好きではない。」っていう。
朝日新聞に68年にエッセイみたいな、寄稿してんのね。
で、これ見たときに、ああーって思ったんよね。
ああ、そうなんだ。なんか納得いくようなことが書いてあった。
うーん。で、これちょっとノートに。ちょっとこれを読み上げるっていうことはどうなんかなと思って読み上げないんですけども、貼っておきますけども。
その三島由紀夫ってさ、そろそろこの翌年ですか。自決するやん。集団自決するわけやんか。
っていうぐらい言ったら、愛国者として言われてる人の一人だと思うんだよね。
そうなんですよね。
うん。まあそういう縦の解っていうのを作って、まあ今の一数回のね、元ですから。
うん。
なんていう人が、愛国心という言葉があんまり好きじゃないって言ってるの。
うんうん。
言葉のニュアンスなんだよね。愛っていう文字の字が嫌いやって言ってるの、三島由紀夫は。
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うん。そうね。いや、台本に書いてあるんで、私も今読んでるんですけれども、なんかかなりこう、ニュアンスの話やね、これは。
うーん。一番最後の文だけ引用すると、「自分が逃れようもなく国の内部にいて、国の一員であるのにも関わらず、その国というものを向こう側に対象に置いて、わざわざそれを愛するというのがわざとらしくて嫌いである。」っていう文なんだけど。
うん。
で、これは、本当に俺が推しっていう言葉に対する気持ちとこれ、本当に一緒なの。
あー、そうなんや。あー、なんか納得してきたかも。
うん。愛するって対象が生まれることやんか。で、それをわざわざ愛するっていうことのわざとらしさが嫌なのよ。
うーん。
さっき言ったとまた反対のこと言うんやけど、自分のものに多分してるのね、それ対象を。
あー、しちゃってる。
その向こう側とかじゃなくて、そう。してて、でもそれをわざわざ言うっていうことのわざとらしさが嫌なんだなっていうことに落ち着いてるんやけど。
それを消費するっていう感覚で言うと、まあそこにもまず位置引っかかりがあるし、そもそも多分自分のもんみたいなもんにしてるんだけど。
推しっていう言葉を使うときって言ったら、それの表明やんか。言葉にするっていうのが。で、その表明するときの言葉っていうのが、ちょっとこう、「うーん」って思ったりするんだよね。
なるほどねー。
うーんとかね。まあちょっといろんな角度から考えれると思うんだけど。でも結局は、また戻るけど、これは自分のものだ問題みたいなさ、やっぱあると思ってて。
で、これやっぱ、この間、寺田とロブスターの話をしたとも思ったけども、見ている作品とか対象に対して、自分っていうものが通過するか否か、対象物への距離感っていうのが、やっぱ多分、僕と寺田は全然違うと思うので。
俺が引っかかってるのは、表現に対して自分が得るっていう感覚がすごく嫌なのね。
うん、得るっていうのはどういうこと?
えーっとね、作用するみたいな感覚。
あー、なんかさ、シャークさんは作品とか見てて、「こういうことやったんや!」って気づかされるみたいな感覚っていうのは、じゃあ基本的にはないっていうこと?
うーん、じゃなくて、それはもちろんあるんだけど、これも多分ニュアンスがいっぱいあるんだけど、2つ多分あって、1つは、作品とか対象に対してログインしてるかどうか。
例えば映画だったら、その登場人物に対して自分が乗るかどうかっていうのがあると思うんだよね。
で、僕はログインできないタイプなのね。
あー、感情移入とかは基本的にあんまない?
うーん、そうそうそうそう。
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っていうのと、もう1個は、何か作用として対象物に触れるっていう感覚だよね。
こういうものが表現されていて、癒されるな、作用として対象に触れるっていうもんってあると思うんだよな。
あー、それは僕もちょっとあんまりわからんかもな。
なんかこう、癒されに行くとかってこと?
うーん、そうそう。
うーん、そういう、そうか、なんかこういう気分になりたいからこれ見ようとかは、あんまり僕もないからわかれへんかも。
うん。
多分そういう需要があることもわかる。
気持ちよくなりたい、みたいな感覚っていうのって、結構推し勝つとかに肉薄してくる話っていうか。
これもう乱暴な言い方だけど、ストレス解消のために推すとか、ストレス解消のために何か対象物に触れるとかっていうことってあると思うんだよね。
そうね。
で、そこがちょっとこう、俺はすごい引っかかんのね。
何回も戻るけど、自分のために対象物、作品とか、それこそ推しに対する対象に対して、こう、作用する、もうこう求めに行くなよって思ってしまうね。
あー、まあ、そうね。
いや、難しいな。
わからんでもない。
わからんでもないし、その推しに対して何かこう、お金をたくさん払うこと自体が何かこうストレス発散になってる、ちょっとこう、自暴自棄的な感じっていうのは、
ちょっとあんまり良くないなっていうのはわかんないけど、何やろうな。
まあ例えばアイドル、ごめんアイドル詳しくないからまあ言わんほうがいいか、例えばその音楽の人とかで、こうみんなを癒したいみたいな、そっち側がこっちを消費していいよっていうスタンスの人らもおる、ちゃおるやん。
なんかそういう人に対して作用を求めていくこと自体は当人が求めてることやからいいんかなーとは思ったりするよね。
あー。
僕自身はあんまりそういうのないけど、でもなんかそこで別に本人が意図してるものを汲み取るっていう行為になってるんやったら、悪くはないんかなーと思ったりするけど、それはなんか、消費と消費って感じはするかもね。
今寺田が言ったことって、アイドルってまさしくそういう構造をはらんでるんすよ。
私たちを消費して元気になってくれ、みたいなことをアイドル自身が言ったりもするし、まあそれは運命が打ち出していたりもするし、で、それを言って元気になるっていうことが約束されて、それをお互いに消費し合うっていうもんなんだよね。
いや、お互いにでもないかな。まあお互いにっていうのも重なってる部分もあるけど、言ったらお客さん側のほうが消費しに行って消費するっていう感覚なんだよね。
うーん、そうだな。
うん、で、だからそこがいいかなと思う部分はもちろんなんだけど、そこに、うーん、なんて言ったらいいかなー、本当に作業を求めに行っていいんかって思う部分だよなー、俺は。
あ、そうなんよ。
うん、その人たちがいいと言ってるから全部OKではないと思うね。
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うん、なんかその、消費に全乗っかりしていいのか、みたいな。
うん、だからそこには、そもそもの構造の問題みたいなのがあったりするし、本当に10代の女の子、20代前半の女の子とかが、その時間を背負って、すごいいろんな人の中で囲まれててっていうものを見てて本当にいいのかっていうものであったりとか。
うーん。
その歌われている世界の問題とか、そこにある、まあいろんな複合的なアイドルの構造の問題っていうのをはらんでいる中でも、彼女たちはそう言うでしょ。
うーん、いやそうね、僕もまさにそういうことを思って、言わざるを得ないやんか、私たちが、まあそんな言い方はせえへんけど、私たちを消費してくれっていうニュアンスのことを言わざるを得ないじゃないですか。
だからと言って、本人が言ってるからいいんじゃねえかよってさ、あの、ぜんのっかりすんのは確かに違うなっていうのはわかる。
うーん。
そもそも、そういうことを言わざるを得ない構造になってるっていうことを、冷静に見つめないといけないっていうのはあるね。
うーん、この本の中でも出てくるんだけど、歌詞読むと、うわ、これエイジズムだし、うわ、この歌詞の世界観きついなと思いつつも、どうしても踊ってしまうみたいなさ。
うーん。
これはOKなのか否かっていうのは、全部やっていかなあかんし、俺はもう全部やるべきと思ってるんだけど、全部やり直さなあかんとは思ってるんだけど。
うーん。
全体として、おっきい話で言うと、やっぱその、消費しにいく、自分が得ようとする感覚っていうのをまずちょっと、考えたいなと思ってるかなあ。
うーん。
ほんま全部考え直さなあかんくなるよね。さっきも言ってたけど、そもそもが、消費してくださいっていうポーズのもんだからさ。
うーん、めちゃめちゃグロテスクな構造の下に成り立ってるものであって。
それが前提になり立ってるもんだから、見直すっていうよりも根本的なところを変えないと難しいんじゃないかなっていう感じがすごい効いてると思うなあ。
うーん、前話したことあるけど、AKBの一連のドキュメンタリー映画、前田敦子さんとかが後ろでバンバン倒れていく映画とか見て、もうアイドルやめてくれって。アイドルっていうもんをやめてくれって思ってたのよ、僕は。
こういうことがやったらダメですっていうことにしてくれって思ってたのね、僕は。二十歳そこそこの僕は。
それは多分そういう根本的な問題を解決してくれって思ってたんだと思うんだけど。
でもそういうわけにもいかんくてさ。やっぱりその、やりながら、なんかそういう一つ一つ精査していって怒るときには怒らなあかんし。
だからその一つの抵抗として、推しっていう言葉を使うっていうことも、僕の中では、「いや、そこはちょっと定食するな。」っていうところがあるっていうのがあって。
だからその、でもやっぱこう、オタクって何でもこう言ったら消費すればするほど強いみたいなところもあったりとかしていて。
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うーん、まあその方がよりお金をかけてる方がファンとしての格が高いみたいな感覚あるよね。
そうそうそう。推しへの愛みたいな感じの言葉に、推しっていう言葉が生まれたことによってちょっと漂白されてるニュアンスっていうのが出てくんのよ。
言ったらお金をめちゃめちゃつぎ込んでるっていうことが、推しへの愛って言葉に言うと、なんか綺麗にまとまった感じに聞こえちゃうみたいなことがあったりしていて。
うーん、なんか、それはどうなんかなっていうので、僕はそういうこともいろいろあって、推しっていう言葉自体まずはどうなのかしらっていうところから始めようとしてるって感じかな。
そうね。まあこの状態を存続させるための、この草の根運動的なところとして、まずは僕は使わないっていうことかな。
うんうんうん、だし、まあそれ、僕なりの抵抗でもあるし、表明でもあるし、
うーん、誠実になりたいっていう自分のエゴでもあるんだけどね、ある種ね。
俺はゴリゴリ加担してるし、それをゴリゴリに消費してる側なんだけど、当事者性を回避しているっていうだけのこととも言える。取れるなと思う、自分でね。
まあちょっと自分の罪悪感を軽くするための。
まあそっちの方がでかい、そっちの方がでかいと思うけどね、正直ね。
なるほどね。
うーん、まあただ、今日喋ったような感じで、うーん、一つ、うーん、やっぱ言葉、言葉大事だと思うからなあ、うん。
今回は推しっていう言葉についてだけど、これって多分でも推し勝つとか推し関係なくても、なんか一つの言葉を使う使わんみたいなことって結構変わってくると思ってて、その人の生き方とか、その人自身の何かが。
うーん、まあその人が使いたくない言葉を聞くと、その人の生き方めっちゃ見えてくるかもね、スタンスとかがね。
推してるものがあると前提みたいなことで結構話を進めていったんだけども、
一つ言葉っていうのに捉えれば、うーん、なんかNGにする言葉とか、使うもの、自分がどうするかっていうことを改めて変えりみるっていうの大事なんちゃうかなあって思ったりとかしますね。
まとまりはしないんですけども、そういうことをね、最近考えてますっていう話でした。
ありがとうございます。
引き続き心の砂地はお便りをお待ちしております。
すべての宛先は、kokorosuna.comまでよろしくお願いします。
もしくはSpotify、Apple Podcastなど各配信サービスのエピソードの詳細に載っているGoogleフォームからお願いします。
Apple Podcastへのレビュー評価も絶賛募集中です。
ぜひともよろしくお願いします。
Twitterでの投稿は、ハッシュタグKOKOSUNACOKOSUNAです。
よろしくお願いします。
ツイートしていただく際にはエピソードのリンクも貼っていただけると嬉しいです。
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また本編で出てきた固有名詞などは、ノートに要募集がありますのでそちらもご覧ください。
ノートのURLも各配信サービスのエピソードの詳細にございます。
ということで、今回も聞いていただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
次回は清田孝行さんの新作の本。
今回話した話にもある程度また繋がるのではないか。
あんましてないか。
ジェンダー的な問題っていうのもやっぱあると思うんで、アイドルには。
次はジェンダーに関わる問題。
まあいわゆる男性性ということを考えるというお話をしたいなと思っております。
それでは皆様ごきげんよう。