1. 心の砂地#
  2. 『14歳だった』
2025-08-13 37:54

『14歳だった』

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M28.「14歳、17歳、20歳」、忘れてたけど、精一杯生きてました。

▷参考
・かるがも団地『意味なしサチコ、三度目の朝
《秋田の片田舎。
街は緩やかに衰退と縮小が進む。
駅前の商店街はシャッター通りになる。
小学校が閉校して更地になる。
やがて、
この街の賑わいの象徴だった、
唯一の団地も取り壊される。

ここに何があったかなんて、
そこに誰がいたかなんて、
どうせみんな忘れていくんだけれど。

だから私も、
おめえのこと
有耶無耶にしていいのかな。》

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サマリー

『14歳だった』のエピソードでは、シャークくんが演劇「カルガモ団地 意味なし幸子 三度目の朝」を通じて、故郷の秋田に対する喪失感や思い出を語ります。彼はその作品を通じて自らの過去を振り返り、地方と都市部の文化的な繋がりに思いを馳せます。このエピソードでは、14歳という思春期の葛藤や思い出を掘り下げ、友人との関係や地域での経験が彼に与えた影響について話されています。また、成長や自分の役割に対する意識も探求されています。中学生の頃の友人との思い出や、格闘技や音楽への情熱についても語られ、録画したビデオを通して視聴した試合やバンド活動の交流が描かれています。特に銀杏ボイズの思い出が印象的です。14歳の頃の思い出を振り返り、友人や音楽に対する彼の大切な感情が語られるエピソードです。

演劇の紹介
この番組、心の砂地は、様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、シャークくんです。 今回は一人回ということで、一人で喋っていきたいなと思っております。
えっとですね、どんなことを喋ろうかなと、お便りとかもちょっといただいてたんで、その辺を紹介しようかなと思ったんですけど、
先日見に行ってきた演劇から思ったこと、素晴らしい演劇だったんですけども、それの話とそれについて自分が思い出したことというか、思ったことみたいなのがあるので、そんな話をしてみようかなと思います。
吉祥寺シアターという、東京の吉祥寺にある劇場でですね、やっていたかるがも団地という団体の
意味なし幸子、三度目の朝という演劇を見てきまして、これがすごく良かったというお話ですね。
今配信している8月13日現在もですね、配信が変えるということなので、概要欄に貼ってありますので、ぜひとも1ヶ月ぐらいまで見れるのかな。
なので、9月2週目ぐらいか、までは見れるっていうことなんで、ぜひ気になる方は見てほしいなという演劇なんですけれども、あっという間に終わっちゃいますからね、演劇って。
で、まあ配信で見れないっていうのもあったりとか、また配信と生で見るのも違ってっていう話もあるんですけど、ぜひとも配信でもこの作品について、描かれていることについて、
みんながどう思ったり、どんなことを感じるのかなーっていうことをすごく聞きたいなとも思ったし、これから話すことも僕が思ったことっていうのは、なんかあの時の誰かを思い出したような話みたいなことをすると思うんだけど、そういう演劇なんで。
とりあえず、まあこのエピソード、特になんかネタバレみたいな話、作品の内容の深い批評とかそういう話はしないんで、僕の話をするんで、エピソード聞いてもらってから見てもらってもいいし、見てから聞いてもらっても、
ああこういうことをシャークは思ったんだなーっていう感じで、楽しめる配信にこれからなっていくと思いますので、という感じなんですけれども。
一応どんなあらすじかというところがあって、マチラ紙とかに載っているあらすじというかリード文みたいなものを紹介したいと思います。
かるがも団地 意味なし幸子 3度目の朝
そこは野代とかいう秋田の固い中。 町は緩やかに衰退と縮小が進む。駅前の商店街はシャッター通りになる。
小学校が並行してさらちになる。 やがてこの町のにぎわいの象徴だった唯一の団地も取り壊される。
ここに何があったかなんて、そこに誰がいたかなんて、どうせみんな忘れていくんだけれど。 だから私もおめえのことうやむやにしていいのかな。
いい文章ですね。というのがチラシなどで紹介されているお話になります。 これねビジュアル、チラシのビジュアル見えると思うんですけども、それもすごく良くって団地の前に主演のお二人が
自転車に二人乗りしてるっていう写真なんですけど、すごい良い写真だね。 これが見終わった後に
また改めて見るとすごく響くなぁと思いながら。 いい写真だな。これ見てぜひ配信見てもらえたらなと思いますね。
読み上げたリード文の通り、秋田の野城という田舎が舞台で、そこの団地を中心に展開されていくお話っていうところで、
まぁそこから上京してきた主人公とか、そこにずっといる地元の人々とか、 まぁいろんなことから帰る時に秋田の野城の団地の中で高校生までの自分とかの話や、
出会った人々の話で、今に至るまでみたいなことが展開されていくという物語でですね。 このカルガマ団地の脚本演出を務められている藤田恭介さんという方が、実際に地元が秋田の野城なのかな。
で、まぁそれをこう多分テーマにして描いた作品っていう感じなんだと思うんですけど、 なんか僕の中でやっぱこういう郊外ものとか地方もの、
でまぁあと状況っていうのが出てくるっていうのは、 どうしても状況している人間からすると逃れられないテーマというところで、
まぁ実際文学にしろ、まぁ演劇にしろ、映画にしろ、なんか僕が20代から30代、まぁ今に至るまで今回の作品もだし、
そういったテーマで描かれたものっていうのは、まぁたくさんあるんだけど、なんかその中でもすごく良かったなぁ、
あぁこういうアプローチなんだなぁみたいな、まぁ舞台にしているものは団地だったり、郊外だったりとかで、みんなまぁ目の付け所が違ったりすると思うんですけど、
そういうものが僕は刺さる中でも、特になんか、あぁなんか、こうだったなぁ、あいつどうしてっかなぁ、みたいな、
そういうなんか記憶?でも確かにあったみたいな、忘れていくことと、あったことと、でなんかこう、後から思ってるからすごく美化しちゃってたりとか、
多分それが本当は忘れてるけど、本当は結構こういうことだったんじゃないかとか、
うわぁあの子って今思ったらすごくしんどかったかもとか、あれよくわかってなかったけどすごいことしちゃってたなぁとか、全然気づけてなかったなぁみたいなこととかって、
なんかふと、僕とかたまに地元帰った後の新幹線とか、まぁ帰っていく途中とかね、逆に戻っていく時とかになんかこう、
電車のスピードと自分の記憶が巻き戻されてるみたいな、なんかぐるぐる回る感じでそういうことを思ったりすることがあって、
なんかもしかしたら作られている藤田さんとかも、そういったことを思ったりしたのかなぁとか思いながら見たりして、そういう楽しみ方もしたんですが、
ちょっと違う作品の話とかをすると、こういった僕が何もなかったみたいな、自分の18歳まで育った環境の中で何もなかったし、
個人的な振り返り
自分が、なんかずっとテレビって東京のことをやってて、まぁ関西のテレビだったら大阪のこととかもやってくるんだけど、基本的にはテレビの世界みたいなものは僕に向いてなくて、
いろんな大好きなエンターテインメントが僕のもんじゃなくて、遠いもので、雑誌の向こうのもので、インターネットの向こうのもので、テレビの向こうのもので、みたいな感じだったんで、
ああ、なんかすっげー外れたところに生まれちゃったんだ、みたいな。 ただ、10代の自分の自意識とやりたいことと好きなことみたいな情熱からめっちゃ遠いんだってことをすごく
客観視であろうが得ない環境で育った自分としては、そういった作品のテーマとかに自分の近いものみたいなものが描かれるっていう感覚がなかなかなかったわけですね、10代の頃は。
で、うわっと思ったのは山内マリコさんの「ここは退屈迎えに来て」ですね。
それ、今、たぶん原答者文庫とかで読めると思うんですけど、という小説が、僕が読んだのは大学生入ってから、大学生入ってから出たのかな?
2010年代とかに書かれているのか、もう文庫化してたものを読んだので、って感じなんですけど。
とかで、ファスト風土。ファストはカタカナで、漢字で風土というような。これは社会学とかで語られてたような話というのがあって、それが小説に落とし込まれているような。
それこそ都会に出たけども、帰って地元でこう、地元の情報士とかで働いている主人公が、みたいな。なんかそういうずっと俺の魂は東京にあるって言って、そのウータンクランを自慢気に流している先輩っていうのがいて、みたいな部分が
すごく衝撃的で。ウータンクランっていうヒップホップグループは、僕よりぐっと1つ、2つ上の世代の方々がすごく影響を受けた。
日本のグループだったらカミナリとか、マイクロフォンペイジャーとか、ニトロマイクロフォンアンダーグラムとか、そういったグループとかが非常に影響を受けたウータンクランというグループがあって、
なんか多分、その辺の世代の人たちと喋ると、ウータン聞いてるってことがすごい特別なこと?みたいな感じで思ってるなっていうことをすごく感じたことがあって、
それがたまたまたぶんそういった感じの人と出会われたり見たことがあるっていうので、そういうふうな落とし込み方?
たぶん実際いたと思うんですよね。ウータンクラン聞いてかっこいいと思ってる人みたいな。
なんかそういったところが落とし込まれているところが、すごくうわっって、そういうなんか、自分の魂は東京にあるんだって言いながら田舎でいるみたいな人っていう一部分とか、
まあそうじゃない?それこそここは退屈迎えに来てって言われているような郊外のユニクロがあって、洋服の青山があって、
まあそういうファミリーレッスンがあって、イオンがあってみたいな、まあなんとかなるけど退屈?みたいなところで気持ちみたいな描かれた本っていう小説っていうのを読んだ時に、
ああなんかもしかしたらそうじゃなくてもいいんだというか、なんか僕も生きてたんだっていうことを初めて実感したみたいなね。
もっとみんな例えば中学生の時とかに太宰治も読んだりとか、村上春樹でもいいと思うんだけど、
小説を読んで、そこに自分があるみたいなことを発見するっていうことは、まあそれは全国どこに住んでても思ったりするっていう人がいたりして、
カルチャーが好きな自分としては、いろんな話してると、そう自己投影してそれに救われたみたいなことを結構地方から東京に出てきた人とか、
まあもちろんずっと東京にいる人とか、都市部にいる人、田舎にいる人、みんないろいろあるんだけど、なんかそういう人が多いなと思ってて、
ただ僕はそういう投影がどうしてもできなかったんですよね。なんかあまりにもちょっと遠いと思っちゃうみたいな。
客観視して、いや俺じゃないなとか、なんかそこの力が強かったんだけど、うわっ、僕が思ってることみたいなものを書いてるって思ったのは山内丸子さんの一連の小説とかはすごく、
うわっと思って、今もすごく好きな作家さんですね。あとは、やっぱあの田我流が主演したサウダージという映画ですね。
これもまあさっき話したようなヒップホップがテーマになってる映画なんですけども、これも同時期くらいだと思うんだよな。
確か震災の年とかに公開された映画だったと思うので、2011年とかだったと思うんですけど、富田克也監督のサウダージっていう作品ですね。
これ確かソフト化しないでずっと上映でしかやんないっていう作品なんで、今見るの難しいと思うんですけど、もしかしたら今またなんか見れるようになってるとかあんのかな。
なんか当時はそういうのだったんで、僕も2011年には見てないんですけど、それも言ったらそのシャッター商店街みたいなものだったりとか。
でもその中で、ヒップホップっていうものがどうあるかとか。
暗いものだったんですよね。サウダージとか、あとはイデイユ監督の『埼玉のラッパー』っていうシリーズとか、イデイ監督の映画とか。
当時その郊外とヒップホップとみたいな、なんかそういうので繋がるところあったなぁ。
僕の中では山内さんの小説があって、入江監督の『SAITAMAのラッパー』あり、富田監督の『サウダージ』ありみたいな。
ああ、なんかそうでも生きていいんだみたいな感じ。ちょうど19、20歳ぐらいになる時にそういったものを感じたりとかして。
なんか俺は俺なりの体験をしたんだみたいな。なんかそれをかっこよくないし、なんかそれでいくっていうの嫌だなと思いつつも、まあ別にそれはそれで。
なんかそれってあんまり作品のメッセージとかそういうもんではない。本来それぞれの作品が訴えたいことはもちろん違うんだけど、っていうもんではないと思うんだけど。
思春期の葛藤
僕の中では、ああ僕もそういった何かもしかしたら共通している体験みたいな。このすごく都市部に住んでいる人たちっていうのじゃないと何も体験してないようなもんだよみたいな。
コンプレックスみたいなのを10代時に抱えてたんだけども、ああ、なんか僕は僕であんだみたいな。っていうのを本当に思えたみたいな。
時期が19、20歳とそういった作品たちに出会った頃っていう記憶がありますね。なんかそういうのをまずは思い浮かさせてもらって、
かるがも団地の意味なしサチコ3度目の朝は、そんな中でももっともっと前の記憶というか、まあ言ってしまったらその友達との記憶っていうのが、僕にはすごく20代の時とかに地方出身であることとか、
僕にも今日何か作っていいんだ、何か誇って生きていいんだみたいなポジティブなメッセージを受けたっていうところの中にあんまなかった。
今も地元にいるあいつ。今も地元で。 どうしてるかもわかんない。もしかしたらもう会えないかもしれない。
だし、いなくなっちゃったなっていうあいつとか、なんかそういった友達の記憶?
っていうのが、僕の中で全然なかったなっていう。 そんなこと全然この10年とか考えてなかったなーっていうことを
思い起こさせられたし、でも生きてるんだよなっていうことを。 まあなんかいろんなねSNSとかで今は見れたりするから
生きてるなーみたいな、頑張ってるなーとか思ったらいいのをしたりとか。 ちょっと気軽に連絡できそうな奴だったらなんか軽くね
DMやり取りしたりとか、また帰ったらみたいな感じのやり取りする人とかも、すごく少ないけどいたりするんだけど、
でも圧倒的にそういう人のほうが少ない。 もっともっと一緒の時間を過ごしたはずの奴っていうのはいたはずで、なんか本当にすごく近い距離感だったなー
っていう人っていうのが、のことをすごく思ったり。 まあそれは僕は京都から大阪に出て、大阪から東京に出てるんで、大阪時代。7年ぐらいあった。
大阪時代にもいた人とか地のことも思うし、もっとその本当の田舎の京都の、京都って言ったらそれなりに都会だろうと思うけど、
僕の京都はすごく田舎だったんで、そこの記憶とかもいろいろ扉が開いた感じがして、多分僕個人ってなんかあんまりその人間への思い入れみたいな結構薄いんですよね。
多分薄くて、なんかもっと好きなこととか非人間的なものの何かとか、というかもっと遠くの何かみたいなものにのめりこぼうみたいな。
それは多分そういう環境で育ったっていうのもあって、すごく遠いものに感情移入するみたいなところに人生の立地点を置いてしまったところがあって、
学校生活の役割
なんか近くの人間の思い入れとか、人間自体への感情とかそういうのをあんまりよくわかってないし、大事にできてないし、多分他の人に比べたら薄いんだろうなっていうところがあって、
ただ言われてみたら思うことそれあるよねみたいなこともたくさんあって、で、こっからが本題です。長かったなぁ。
まあ全部本題なんですけど、こっから僕がもう完全に忘れてたけど、今思ったらっていう話をしたいなと思ってて、
中学生の頃です。僕が中2、中3かな、の頃の記憶っていうのがあって、
高校もそうだったんですけど、中学生ぐらいまで僕はまあ言ったら中心というか、まあ何かしろ任されるタイプ。
学級委員だったりとか、そういったことを任されるタイプの子で、成長が早かった、体がしっかりしてたっていうのもあって、明らかに落ち着いてたっていうことと、
いわゆる男の子っぽい遊びみたいなものを小学校の時からそんなにしなかった。割と一人で遊んだりとか、ちょっとね、みんなが住んでる家だと離れてたんですよね。
なんかそういうのもあって、たぶんちょっと先生が扱いやすいとか、なんかこいつに立てといたらやりやすいみたいな、みたいなポジションの子。
ただ野球もやってたし、中学だったらサッカーやってて、まあそういったみんなとも付き合いがあるし、こいつのこと嫌いみたいなのは僕からはなかったんで、
なんかそういったポジションを任されることが多かったんですよね。で、今思えば、僕は中1の時はランダムである程度、
まあ小学校からの内申とかあるんでしょうけど、ある程度ランダムに配置される中で、中2のクラスから中3っていうのは一緒のクラスなんですよ。
中2の時にできたクラスがそのまま3年に持ち上がるっていう感じなんですけど、中2の僕のクラスって明らかに、今思えば問題児を集めたクラスだったんですよ。
で、その学年の中でも、ちょっと力のあるというか、生徒とかを制御できるタイプの、ちょい癖のある厳しい感じもあり、人間的にも面白いかなっていうタイプの先生がグッと抑え込むっていう感じで多分、問題のある子たちを結構集めてたクラスだったんですよね。
で、今思ったら明らかに、そういった中でもある程度まとめてやってくれるだろうというくじを引いてたのが僕なんですよ。
だから学年で一番ちょっとゆったら不良みたいな子を抑える役が僕だったんですよね。で、まあその子とは仲良かったし、実際その子も学校来ない時期とかがあったんで、
その子んちにお越しに行ったりとか、プリント届けたりとか、その子んちの複雑な感じとかも、家の中で見たりとかしたっていう経験もあったんですけど。
言ったように、学校来ないやつとか、来れるけどちょっと問題を抱えてるやつっていうのは、基本的には先生とかがケアするんだけど、それをちょっと頼りにされてた部分みたいなのがあって、
でもそれは、本当にケアしてくれとか、お前がやれって言われたわけじゃなくて、そういったちょっと問題を抱えてる子が、中学校の学区っていうのは4つ5つぐらいあったんですけど、僕の小学校の学区の中でいた子が何かいたっていう感じで、だから昔から知ってるみたいな感覚で、
僕が、まあ学区が一緒ってことは家も近いんで、だからお前がプリント持っていけとか、そういった感じで配置されたんだと思うんだけど、
それで、小学校から一緒だったんだけど、ある時から学校来れなくなっちゃった子がいて、その子のところに、僕が毎朝、一旦、家から反対方向なんですけど、一旦寄って、
そっから、大体お父さんとかお母さんが出てきて、「いやー今日はちょっと難しそうだな。」みたいなんで、終わる時もあれば、「ちょっと挨拶だけでもする?」って言われた時。
だから、たぶん親御さんから見たら、ちょっと調子良さそうな時みたいな時は、たぶん入れてくれるみたいな感じで、行って、ちょっと話して、
で、そろそろ行くけど行くみたいな感じで、ほとんど来ないんですけど、何回か一緒に行くみたいな、中学校ね。
格闘技との思い出
遠いんで自転車で行くんですけど、一緒に自転車で行くみたいな時間があったりとか、あれでもちょっと待って、俺朝練あったはずなんだよな。
朝練の時間より前に行ってたのか。あ、でもそうだな。だから朝練より前行ってたからすごい早かったのか。
サッカー部の朝練がある時間より前に一旦呼びに行って、
あ、そうだなそうだな。一緒に行った時、朝練あるからって言って、教室まではその子は一緒に行かへんかったんだ。
あ、すみません。なんか意味のわからない会話したんですけど。そうですね。だからそういった朝迎えに行ってみたいなのが、
12から13、ほんと卒業するぐらいまであったんですよね。で、ただ、なんか僕の記憶では毎日は行ってないんですよね。結構行ってたけど、
例えばそれこそちょっと試合前とか、朝練が早い、より早い時間になるとかってなった時は、さすがに行かれへんなっていうので行かなかったし、
帰りも行ってたんですけど、帰りはなんか例えば配布物、プリントとかなんかテスト前の対策とか、なんかがある時じゃないと行かんかった。
ただ、僕が遊びに行ってたそのバンドをやってるんですけど、そこの溜まり場になってる場所、まあ楽器屋さんなんですけど、の途中にあったんですよ、その子の家が。
だから、僕はなんか、部活終わったりとか習い事終わった後にその楽器屋さんに遊びに行くんですけど、その途中にあるんで、どうかなと思って寄ってから行ったりとかしてたから、
ただまあまあ、用ない時も行ってたのか。なんかそんな感じで、その子の家に行っては、なんか上がったり、そのままお嬢さんだけ出てきて、
こんにちは、みたいな。いますか?みたいな。ああいや今日はちょっとごめんね、みたいな感じで。ああいや、あの、
遊び行く途中なんで、みたいな感じで。じゃあじゃあまた来たって言っといてください、みたいな感じで帰るみたいな日々があったんですよね。
で、その子とはめっちゃ仲良かったわけでも全然ないんですよ。まあそれこそ小学校の時に結構、なんていうんですかね、僕らの世代だったらみんなやってたと思うんですけど、
その子の家が、ゲームをみんなでやる家だったんですよ。言ったら64がある家。例えば家によっては1P、2P、64ってこう4Pまでできるんですけど、1P、2Pまでのコントローラーしかない家とかあるんですよ、たまにね。
そんな家が来ないタイプの家。でもその子の家はちゃんと4Pまであって、言ったらもっと予備ぐらいまで、とかなんかちょっとこう仕様の違うコントローラーとか合わしたらなんかもっといっぱいあったような。
で、男のお兄ちゃんがいてみたいな。だからそういった、みんなが集う系の家だったんですよ、小学校、高学年ぐらいまではね。
だったから、まあよく行ってたっていうのはあるんだけど、ただ、例えば2人っきり遊んだりとかするタイプでもなかったんだけど、まあその、言ってしまえば中学2年からの問題児クラスに入れられた時には、
そういった、小学校の時の仲間ですからね、そのみんなで64してたのは。そういった奴らが僕のクラスでいなかったんで、まあ必然的に僕が行くみたいな。
あともう一人だな。もう一人ね、一緒の少年野球もやってて同じクラスだった子がいたんだけど、まあその子は確か野球部で割と忙しかったのと、あんまりそういった、
その子が、じゃあ俺が届けに行くわっつって行く時もあったから、まあ半々までは行かないんだけど、その子も行ってたなっていうのはありますね。
まあただ、基本は僕みたいな感じかっていうのがあって、行ったら学校来てない子の家に、なんか毎週来る奴みたいな人だったんですよね、僕が。
まあそれはさっき言った通り、遊びに行く途中だったからとか、そういった先生からの期待とか、なんかその自分の親もわかってて、ああそれは行ったらいいみたいな感じで、親も多分そこの家に行く、
その友達を呼びに行くっていうことは歓迎してた父子があって、だからなんかいい人気になりたいみたいな、そういった子でもあったから、そういったことをやってたんですよね。
で、まずこんなことを忘れてて、そこ行ってたなーって思うことで、で、僕が格闘技好きなんですよね。
K-1とかPRIDEとか、当時ゼロ年代、2000年代なんです。僕が中学校の時は2004年から2006年、高校が2007年から2009年なんで、格闘技全盛期、PRIDEとかK-1とかやってる時期で、
で、あの大晦日とかやってる時期ですよ。だから、で、確かその子のお父さんがもともとプロレスとかボクシング大好きみたいな人で、
格闘技との出会い
多分趣味で、なんかねバラエティとかも好きで、結構多分録画するのが好きだったんですよね。多分いろんなVHSを。で、お笑いとかなんかドリフトとかもその子の家で見たし、
そういうのは、たぶんお父さんが撮ってたものとかで見たんだと思うんですよね。だから、昔のがっつりええ感じとかダウンタウンのビデオとかも、
たぶんその録音とかしてる時に、なんか今日はビデオみんな見てるなーと思ったら、ダウンタウンの昔のビデオ見てめっちゃ笑ったりとか。
あとは、爆笑オンエアバトルとか、お笑い系だとね、そういうのも見たりとかした記憶があるし。で、なんかそんな中で格闘技のビデオを、たぶんお父さんが見てるみたいな時に、
一緒に見るかみたいな感じでその子が見てて、で、僕がこんにちはみたいな感じで来た時に一緒に見るみたいな感じで。
僕の家でも、まあ親父格闘技割と好きだったんで、柔道やってて。もう見てたんですけど、なんか昔のPRIDEの試合とか。
なんかTSUTAYAで多分レンタルできたんですけど、当時見たのはそこなんですよね。
もっと言えばスカパー入ってたんですよね、そこの家が。だからスカパーの録画とかだったのかな。なんかそういうのもあったような気がします。
だから、僕がその昔の外国の選手、K-1とかPRIDEとかに出てくる総合格闘技だったり、そういったキックボクシングの試合とかの多くを見たのはその子の家なんですよね。
で、多分そのビデオもなんか日に日になんかすごいいっぱい上に行ってて、なんかポスターとかも貼られたりとかしてて。
で、その友達もなんていうか見てからこいつやっぱり。ヒョードル強いなーとか、こいつめっちゃでかいなーとかK-1でね。
そうそう、チェホンマンとかね、出てきた時にはこんなやつ勝てるわけないやろとか。
あとは、そうそうそう、なんかそういうのとかなんか、あとミノワマンの試合とかね。ミノワマンの試合をよく見たんだよな、当時。
総合格闘技で、まあもともとプロレスラーとかそっち系の出身のミノワマンっていう、美濃和育久さんって名前だったんですけど、途中から急にミノワマンっていう名前になったんですけど。
それもなんか中学生男子としてはなんかすごい面白いところっていうか。で、結構体ちっちゃいけどすごいでかい選手であったりとか、なんか動きが面白かったりとかね。
ミノワマンの試合とか見てね。で、なんかそれで友達とキャッキャキャッキャ言い上がって話すときはまあほんと何もないんですよ。
だからキャッキャキャッキャ、もうちょいもう一回見ようとか言って巻き戻して、総合格闘技のその煽りVっていうね、あの文化ができたの当時だったんで。
なんかそういうの当時なかったんで、煽りVがめちゃめちゃ面白かったんで。煽りVのとこだけ何回も見たりとかして。
で、試合も見て、うわーみたいな。っていうのやってたんすよ。だから、それだから夕方とか夜だから、なんかご飯食べる時間ぐらいまで見てたとか、なんか一緒のご飯食べた記憶もあるし。
食べずに、僕、凛太郎っていう名前で、凛ちゃん帰るまでちょっと見てからご飯食べるわみたいなこと言ってた記憶もあるから。だから7時とか、中学生だもんな。7時とか8時ぐらいまでおったんかな。
で、そこの家に居るっていうことは、僕の家に友達の家の子が、お母さんとかが電話してくれたりとかしてたんで、ああ、ほんじゃオッケーみたいな感じでオッケーとされてたよね。
あんま良くないですけどね。今はまだ中学生で、そんな夜ウロウロしてると。ただ、そういった大人保護者に許されたあれだったんで、できてたんだね。
なんかそういった時間があって、今は薬、格闘技好きなんですけど、あれもこれもあの子の家で見たなっていうのが忘れてたし、なんか感慨深いっすね。
音楽との関わり
で、本当にその子のお父さんがマニアだったから、なんか雑誌とか、そろそろ昔のイノキの試合とか見た日とかもなんか覚えてるんですよね。
お父さんがこれ見ろみたいな感じ。たぶん今思えばあれキラーイノキみたいな、イノキの中でもエグめの試合みたいなのを集めたやつがあるんですけど、たぶんそれを買ってたんだろうな、そういうのとか見たりとかして。
ただ、やっぱ僕らが見慣れてたのは総合格闘技だったりキックボクシング試合だったんで、その友達のグッド80年代のプロレス見ると、うわ、プロレスやなーみたいな感じで、
あんまりイノキに興奮できなかったみたいなのも含めて覚えてる。ただ、本当にバラエティみたいな感覚で楽しかったし、うえっと思うようなすごい試合もあったんで。
なんかそこで僕の中のイノキ初出会いみたいなのもちゃんと中学生ぐらいにイニシエーションみたいな感じで起きてるっていうのもありますね。
友達のお父さんがなんかこいつがこうでこうでみたいな解説してる時もあったし、なんか普通に野球見てる時もあったな。
もともとね、お兄ちゃんも高校野球までやったんかなとか、僕らも少年野球の時に出会ってて、お父さんもなんか野球のコーチとして来てたんで、野球好きな家だったんで、野球見てる時とかもあったし、
珍プレー好プレーみんなで見て笑ったりした時もあったな。
とかでね。で、まあそれが卒業まであり、なんか合唱コン一緒に行ったりしたんですけどね。合唱コンクール
はみんなでやりたいみたいなね。あの、みんなご存知のそういった最後なんだからって言ってしきる女の子がいて。
でもまあね、そのクラスの名簿全員おれへん。クラスだったんだけど全員で歌いたいみたいな感じで、その子に是非みたいな感じで。
なんかいつも僕だけだったけど、そういった合唱コン頑張りたいみたいな子とかと一緒に、この日はちょっと一緒に来てほしいみたいな。歌えなくてもいいから、立ってるだけでもいいから来てほしいみたいな感じで。
言って実際、合唱コンクールの日はじゃあ行くわってなって言って、なんか玄関でみんなで練習してそのまま本番行くみたいな。なんかすげードラマみたいなやつありましたね。
だからちょくちょくは来てくれたんですよね。で、ただ高校は離れて…。
で、で、まあもう一個重要なファクターを言うと、僕がバンド始めるんですよ。
中学の時に、そのまたかぶってる友達もいるんですけど、違うクラス、みんな違う。クラスはみんな違うんですけど、行ってたたまり場にどんどん中学の友達を連れて行って、みんなそれぞれ楽器をやってたり、ドラムの子はお父さんがやってたとかで、あったとかで。
で、バンド始めて、その始めたのは4人だったんですけど、なんか4人で何かやってるらしいってなると、なんかじゃあ俺もギターやりたいなとか、まあ友達がまた友達呼んで、そのたまり場行ってギター買ったとか、ベース買った、ドラム買ったみたいな感じで。
バンドやりたいな、楽器やってるな、みたいな子がどんどんどんどん増えていったんですよ。僕の学年に。で、触発されるように上の学年、下の学年とかにも出てきたりとかして。
で、まあ実際それでバンドが増えていくみたいな感じになるんですけど。で、そんな中で、その子と仲良かった子が、ドラム始めたっていう子が、ギターやったらいいやみたいな。
ギター弾く子が多いらへんから。って言って、その僕が毎日呼びに行ってた子が、ギター買いに行って実際買って、すげーギターハマるようになって。
だからそうね、だから中3かあれ。中3の時に一緒に練習したりとかね。僕は僕でやってるバンドがあって別だったんだけど、ベース僕が弾いて、その子とまた違うドラムの子とかね。なんか別バンドじゃないけど。
まあバンドって言ってもなんかね。僕のバンドはあるんだけど、また違うバンドもやろうみたいな感じ。実際ライブまではやらんかったんだけど。で、銀杏ボイズの曲やったりとか。
だから、そうなんだよな。めっちゃ覚えてる。一個今覚えてるのは、銀杏ボイズって思い出したのが、その子がなんかこうギター弾くようになって、イヤホンでめっちゃ音楽聴いてて、パッと僕の方に振り返って、「何聴いてた?」って言ったら、「いや、銀杏聴いてた。」みたいな感じで。
多分その子にとって銀杏BOYZが刺さる何かがたぶんめっちゃあったんでしょうね。で、かっこいいもんだったんだと思う。その子にとって銀杏ボイズを聴いてるということが。だからそれがすごい嬉しかったなと思って、それを僕が聴いた側になったっていうか。
「いや、銀杏、聴いてた。」みたいな。で、僕はその当時からちょっと銀杏苦手だったんだけど、でも、その子がめっちゃ好きっていうのがわかるし、なんかその、それ嬉しかったんですよね。
あんまりその、なかなかね、その家で会うとか、まぁ笑うこととかあっても、その子が自信満々に、「俺、今、銀杏ボイズ聴いてたんだ。」みたいな感じの主張してくるっていうことが、たぶん嬉しかったんですよね。
だから、「いいね、いいよね。」とか言って、「聴こう聴こう。」とか言って、イヤホンで聴いてたんだけど、ちょっとスピーカーで聴こうって言って一緒に、かな?聴きましたね、その日は。
銀杏ボイズ、今日聴こう。みたいな感じで聴いて。で、ギター弾き合ったりとかして。青春です、僕の。
友情の思い出
で、高校離れちゃって1年、2年ぐらいまではなんかちょっとその、バントをほんまにやってたら、もうちょっと関わりあったんだけど、やっぱ高校離れちゃうと全然違うし、家はまあその変わんないからいたんだけど、
なんかなかなか会わなくなっちゃって。でも結局たぶん高校辞めちゃったのかな?なんかそんな噂で聞くぐらいになっちゃって。で、結局今に至るまで何も連絡先も、だから当時携帯持ってなかったと思うんだよな、ハッチが持ってなくて。
だから連絡先も、電話番号とか繋がってたらLINEでとかあるんですけど、それもなしだし、成人式か、成人式の時に会うみたいなのがありそうなんだけど、たぶん連絡先みんなが知らんかったり誘ってなかったりとかがあったのかな?
だから今に至るまで会えず、どうしてるのかわかんない。
けど、今話したよな、なんかその沖縄ポリス聞いて、ギター弾いたりとか一緒に。すごいね、また思い出しちゃった。真っ黒のストラトキャスターね。ストラトキャスターっていう一番有名なギターの一つがあるんだけど、基本は黒でもピックガードって言われる部分が白だったり、だから全部真っ黒の仕様ってあんまないんですよ。
で、僕らが行ってたのは中古の楽器屋さんだったんだけど、なんかそのオールブラックの、金の金具とかも全部黒みたいな。なんかたぶん何かしらのアーティストモデルとかなのか、誰かが改造した絵なのか、なんかそういうんだったような気もするんだけど、真っ黒のストラトっていうのが出てきて、なんか値段もちょうど良くて、エレキ欲しいって言ってたからそれを
親からお金借りて、買いに行こうっつって買ったんだよなぁ。で、それ出てきて、これめっちゃいいなってなった日は僕が一緒に行ったんだけど、買うって日はまた違う週で、で、なんか買ったらしいみたいな、オールらしいみたいな感じで、あとから行ったらもうすでに買って、楽器屋でこう、試奏してるみたいなところに立ち会って。で、なんかまあまあね、弦、何の弦にするとか、なんかそのアームっていう、このウィンウィンウィンってあの高見沢さんがウィンウィンってやってるやつね。
アーム付ける付けないとか、なんか、いやでもやっぱ黒めっちゃ似合うなーとか、なんかその僕の周りのバンド友達とか、まあいろいろいたんで、めっちゃ似合ってるねーって言って、いやこのギターかっこいいなーみたいな、これでこういうの弾いたらかっこいいなーとか。
で、なんかその子が結構指が細くてすごい長かったんですよ。ちょっと色黒な感じだったんですけど、でも細くて長くて、なんか僕は本当、指ごっつくて、指短くてっていう手だったんだ。
っていうのをよくいじられてて、なんかベースにはすごい合ってる感じなんだけど、ギター弾くとなんかすごくめっちゃブキッチョに見えるんだけど、その子が指がすごくギタリストっぽい指で、グッと構えたら似合うなーとか。
で、体もなんかこう、スタイル良かったんで。その真っ黒なストラとか似合うなーみたいな感じで、いいなーとか言って、
うん。 楽しかったんですよね。
ね、そんな、 どうしてんのかなーと思うし、
なんかほんまに生きとってくれたらいいみたいな、これなんかそれこそ、20歳とか成人式の時とかに、
友達の親父さんとかが、もうなんか生きとってくれたらええ? みたいな、みんなでこう、酔っ払って、その親父さんとも一緒にめちゃめちゃ酔っ払って、
もうみんな生きとってくれたらええからなーみたいなやつで、なんなんすかそれみたいな感じで、みんなでギャハギャハ、なんか言うたびに生きとってくれたらほんまええからってその
親父が言うから、なんなんそれみたいな感じで、みんなでギャハギャハ笑うみたいなくだりがあったんだけど、
でもそれもすごいわかるなーと思う。 生きとってくれたらそれだけでいいし、
うーん、なんかそう、それこそ僕も格闘技の話、今でも大好きだしするし、
でもあの時間なかったら好きじゃなかったかもしれん。 あの時間なかったらもっとバンドとか、
音楽のこと好きじゃなかったかもしれん。 っていう
大事な友達がいましたね。 そういったことを
覚え出しました。 はい。
エピソードの締めくくり
ここまで聞いていただきまして、誠にありがとうございました。 各種SNSでの投稿はハッシュタグKOKOSNAです。
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ということで今日は一人会ということで、いろんなまとまりもないような話をしましたけども、 感想などいただけたら大変嬉しいです。
それでは皆様ごきげんよう。
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